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2012/06/08

人間という我侭な集団、自民党の敵   5。

 丹羽宇一朗駐中国大使(73)が東京都の石原知事が進める、沖縄・尖閣諸島の購入計画について、「実行された場合、日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」という見解を示したということが、7日明らかになったと、産経新聞第一面のトップ記事として扱っています。
 丹羽氏に言わせると、1972年の日中国交正常化以降、構築してきた関係を危機にさらしかねないと指摘し、「過去数十年の努力を無には出来ない」と主張したといいます。この人の発言は日本の矜持、国益、国力に関して、全く見当外れの、自分の関係する商売以外に目が行かないのではないでしょうか。確かに、「伊藤忠」の頃は名物社長として成功を収めた人物として注目を集めました。
 しかし今回の発言は、いままでの功績を一気に落としてしまった、非常に評判の悪い、ご都合主義の町人根性丸出しの、といっても町人を貶めて言うのでは無く、欲の皮の突っ張った、悪徳商人の様相を晒したといっていいでしょう。それが証拠に新聞の他の発言を見ると、これに同調する意見を探すのに、骨が折れそうです。
 都知事の石原氏は不快感を示し「知らない、言わせておけばいい」と突き放したそうですし、政府筋でも、藤村官房長官は記者会見で「政府の立場を表明したものでは全く無い」と否定したそうです。民主党の前原政調会長は、「大使の職権を超えており、適切な発言ではない」と強く批判し、「私は東京都より、国が買うべきだと考えている」と述べたそうです。
 尖閣諸島購入基金の寄付は、すでに十億円を突破し国民の95%以上が、この石原氏の意見に賛同しています。丹羽駐中大使はどっちの国の見方なのですか。日本国よりチャイナの立場に立って、困っているのですか。利益優先で勝手にチャイナに投資したのは日本のためとは決して言えないでしょう。日本の産業や雇用問題に対しての無関心、その鈍感さ、いままでよく社長をつとめてこられたものだと思いますが、相手は腹黒の中国です。あなたには駐中大使は、色がつきすぎて先ず無理でしょう。
 昨日の続きに突然移ります。こんな日本の弱腰外交も、元をたどればここに行き当たってしまうでしょう。
 《 雑誌『正論』 7月号より》
  【 徹底検証 誰が殺した 自民党 】   五回目
 ●、かって日本に高度成長をもたらした自民党は、もはや死んでしまったのか・・・。だとしたら誰が殺したのか・・・・十人の識者が、十人の“元凶”を論じた。
 『デフレの元凶、竹下登の呪縛を解く』
         経済評論家       上念 司
 政治を経済活動にたとえるなら、政党は会社のような存在である。ある会社が伸びていくためには市場参加者のニーズに応え続ける必要がある。かっての自民党は日本という国の政治商圏において、長年シェアNO・1を続けている老舗のようなものであった。願客(支持者)には何代も続けて通い続けている人もいた。店の支配人が交代しても、く悪が支配人を育ててくれるし、多少の失敗なら許してもらえた。
 しかし、平成に入り自民党は、老舗としては、あってはならない失敗(経済失政)を繰り返してしまった。それまでは店を育ててやろうと余裕のあった顧客も、デフレ不況で困窮し、次第にこの老舗に期待してもダメだと思いようになった。最後には、人々は何も言わずに老舗を去り、近所にできた安売り店(民主党)に通い始めるようになってしまった。
 《橋本内閣執政の黒幕》
 自民党のバブル崩壊直後から2000年までの間に何度もあった日本経済復活のチャンスをみすみす見逃してきた。一度目のチャンスは95年から97年にかけての阪神大震災の復興需要に沸いた時期だ。この時、当時の総理大臣であった橋本龍太郎が、消費税を増税し立ち直りかけた日本経済を再び奈落のそこに突き落とした。
 そして2度目のチャンスはITバブルに沸いた2000年前後である。このときも橋本龍太郎の大蔵省解体過程で独立した日銀が、政府の反対を押し切っての早すぎるゼロ金利解除を行い、再び日本はデフレのどん底へと叩き落された。
 いずれの経済失政も橋本内閣にその原因があるように見える。なぜ橋本龍太郎は二度も日本経済に仇をなしたのか?。実は、この問題を考えるとき、全ての責任を橋本龍太郎になすりつけるだけでは見えてこない、より大きな原因の存在に気付かされる。
 自民党が経済政策の結果を軽視し始めたのは何も橋本内閣が最初ではない。池田勇人による所得倍増計画に成功した日本は、その後、三角大福中の権力闘争の中でひたすらこの遺産を食い潰していった。派閥争いをより有利に進めるため、各陣営はこぞって公共事業による利益誘導を行い、その結果歳出圧力だけが膨らんでいった。権力を掌握するために、国全体の利益を考えない体質というのはすでにこの頃生まれていたのだ。
 三角大福中の権力闘争の中で五年にわたる長期政権を築いた中曽根康弘から政権を譲り受けた、竹下登はまさにこのドグマの申し子と言っていい。その竹下の政治スタンスとは次の二つである。
 ◆(1)、・・自分が権力を握るためなら、日本はどうなってもよい。
 ◆(2)、・・実は政策的にやりたいことは何も無い。
 だからこそ、竹下は自分の権力を維持すること意外、特に何もしなかった。幸運なことに竹下内閣の頃は、プラザ合意による円高不況を恐れた、政府・日銀が過剰な金融緩和を行なってしまい、バブル景気が発生していた。しかし、竹下は自分の権力を維持するために、いくら好況で歳入が増えても、どんどん気前よくばら撒いてしまった。
 《国民不在の権力ゲーム》
 当然、大蔵省は三角大福中の頃からこのことに頭を痛めていた。当時の大蔵省が消費税を導入せざるを得なかった理由は、まさにこのギリシャのようなばら撒きを止められないという諦念からである。
 『検証外務省の近現代史』(倉山満著、光文社)によれば、大蔵省は当初複数年度予算の硬直化打破や歳出削減そのものを狙っていた。しかし、内閣法制局や政治家に妨害され、連戦連敗だった。無限の歳出拡大を支える最後の手段として「増税」という禁断の果実に手を出さざるを得なくなったのは、こういう背景があったのだ。
 時はバブル真っ只中、この景気が永遠に続くと思われていたときであった。もちろん、竹下は消費税の導入自体には反対しなかった。彼の頭の中には大蔵省に恩を売って、いざという時には自分の為にコキ使うという発想しかない。大蔵省が当初示した税率5%に難色を示し、3%と鶴の一声で決めたり、食品などの例外処置について難色を示し対象品目例外なしという仕組みを決めたりしたのも、要は相手に恩を売りつつコントロール知るためのゲームなのである。
 しかし、その後日銀の三重野総裁による苛烈なバブル潰し(金融引き締め)が始まり日本経済は徐々に不況へと向かっていく。ほぼ時を同じくして東京佐川急便事件に端を発した政治不信と竹下派の内部分裂が引き金となり自民党が衆院選に大敗、下野した。もちろん、竹下はバブルが崩壊したことにはあまり関心がなかっただろう。
 むしろ、この時自分を裏切った小沢一郎や、敵方小沢に走った大蔵省斉藤次郎とその仲間たちが許せなかったはずだ。竹下は支持率低下に耐えて大蔵省の悲願である消費税増税という希望をかなえてやったと思っている。この裏切りに対して、必ず復讐することを誓ったはずだ。
 自社大連立という離れ業で政権に返り咲いた自民党は、その後村山内閣から橋本内閣に権力が移譲されるや、露骨な大蔵省潰しには知った。もちろん、その時の大蔵省側の脇が甘かったことは否めない。いわゆるノーパンしゃぶしゃぶ事件や証券スキャンダルなど、賄賂、過剰接待、反社会勢力との癒着などあってはならないことが次々に明るみに出たのだ。
 当時、橋本首相の秘書官だった江田憲司(現みんなの党幹事長)によれば、橋本行革における省庁再編で大蔵省改革は最大の課題であったとのことである。当時、銀行には「MOF担」という大蔵省担当社員がいて、接待や法案の代理作成など大蔵省の担当者との関係はズブズブになっていた。このような状態で厳しい国際金融市場で日本が勝ち残っていくことはできない。だから、思い切ってメスを入れたとのことである。
 とはいえ、この大蔵省改革に橋本首相の背後にいた竹下の復讐の要素が全くなかったのか?。実施に怒ったことを見れば、さすがにそこまでは言い切れない。
 例えば、人事面で斉藤次郎次官を任期満了前に放逐し、その後の事務次官は異様に短い貴艦で何度も交代させている。もちろん対象になったのは小沢一郎の連立与党に味方した主計局人脈だ。逆に竹下自身が消費税導入時に活躍した主計局人脈は重用されている。
 例えば、橋本は竹下の蔵相時代の秘書官として仕えた小川是、田波耕治など主計局以外の人材を事務次官に抜擢した。実は、この竹下による大粛清下で消費税は3%から5%へと増税されたのだ。
 またこの時日銀には元大蔵省の松下康雄総裁がいた。本来はたすき掛け人事により福井に総裁の座が明け渡される予定だったが、この粛清の煽りを受けて松下と一緒に辞任した。そして、きわめて間の悪いことに、松下の後任にはあの円高原理主義者、速水優(日銀OBで当時日商岩井会長)が就任したのである。
 この速水の円高礼賛姿勢こそが、後の日本をデフレと超円高という苦境に陥れたのである。橋本は竹下のお陰で首相になり、竹下の敷いたレールの上を走った。そのレールとはデフレ下での増税と円高原理主義者の日銀総裁就任という経済失政そのものである。
 復讐と権力掌握のためには、「日本がどうなっても構わない」という姿勢が、結果的にとんでもない重いツケを国民に背負わせてしまった。そして、自民党に対する怒りの炎は小泉政権の時代の景気好転で一時的に下火になりはしたが、結局サブプライム問題や、リーマンショックによって、再び大炎上したのだ。
 後のデフレ不況の原因となる大失敗を引き起こした竹下登こそ、自民党政権転落の超A級戦犯ではないだろうか。
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 いまの自民党の、体たらくは今更言っても始まりませんが。かって、「自分が権力を握るためなら、日本がどうなっても良い」、「実は政策的にやりたいことは何も無い」という言葉のインパクトです。
 政策的にやりたいことは口でだけは大きな声で目立つように言いまくる。できない約束も熱意を込めて演技力でカバーする。選挙は戦いだ。そんな時代になってきたみたいですが、日本が如何なっても気にしないという事についっては、大変な日本人モドキガ跋扈しだしたということでしょう。
 こんな売国的な政治が、戦後のどの時代から始まりだしたのでしょうか。胡散臭い政治家の群れを見ていると。ナショナリズムに目覚めた世論を何とか切り崩そうとするメディアにも心して見守っていかなければならないでしょう。
 
 
 

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