関越自動車道の事故から一ヶ月。問題の核心は居眠り運転だけにポイントがしぼられ、報道は、「容疑者は中国語が話せるから中国人相手の観光バスを運行していた」という表現を使うようになっていた。容疑者は、「中国語が話せる」のではない。20年近く日本で暮らしているが「日本語が話せない」のが事実だ。そのような状況にも関わらず、特殊免許が取れたのはなぜなのか。
芸能人の親族による生活保護受給問題は、その経緯を報じないがために、テレビだけを見た人たちは問題の核心から目を逸らされ、本来浮き彫りとなるはずの問題の本質が、国民の目から隠されてしまった。
報道に携わる人たちは、本来、秘密の暴露に快感を覚える人種のはずだ。
在日の中国人韓国人のありとあらゆる実態を、全ての人たちの目にさらしたい、という報道の欲求が押さえつけられて久しい。しかし、人は快感や欲求には勝てないものだ。報道の現場で、誰が最初に、「王様の耳はロバの耳」を叫ぶだろうか。
もとより失っている勇気や義務感、使命感は必要ない。ゴシップやスキャンダルを煽りたて、他人の不幸は蜜の味という、マスコミらしさをそのまま発揮すればいい。
同じように、役所や学校関係などからでも、誰か安全な立場にいる人が、現場でのさまざまな在日中国人韓国人の実態を暴露して、メディアが事実を報道するように、尽きないネタを提供すればいい。
しかし、こうしている今も、人権擁護法案の再提出が検討されている。
法案が通らなくても、このような法案が考えられたというだけで、日本という国家と日本人にとっては危機なのだが、実は同時に、在日の中国人韓国人にも危機を招く材料となってしまった。そのことに気づいている人はどれだけいるだろうか。
日本で真面目に暮らしている中国人韓国人に、親近感を持つ日本人がまだいる間に、在日の中国人韓国人のうち、まっとうな人たちは、自分たちが自浄作用を起こせることを証明してみせなければならない。
日本にいたいなら、日本でまっとうに働いて暮らしたいなら、すべきことがある。日本という、この地域にふさわしい生き方で暮らしていることを、体現しなくてはならない。日本に寄生して日本を貪るためにここにいるのではない、自分は狡いことをしないまっとうな人間なのだ、日本で暮らしていたいのだ、と言うなら、その言葉通りに暮らすだけでなく、日本における同胞の不正を正すべく、自分たちから声を上げるべきなのだ。それをしなくて、信用は得られない。
渡来人によって日本は国として成立し、天皇も渡来人だという説はもっともだ。が、だからといって、日本は中国でもなければ韓国でもない。中国人韓国人と、天皇家のメンタリティは全く異なる。
古代、他所からこの列島に初めてやって来た人々は、この地域の自然に感銘し、この地と共に生きたい、この地にふさわしい者でありたいと願ったのではないだろうか。その彼らと、この列島の自然環境の中で元々暮らしていた者たちが共に、この地域の気候風土によって精神を培われ、そして作り上げてきた、ここはまぎれもない日本という国なのだ。
今の日本は、かつて古代人が日本を作り上げてきた時と同じように、政も暮らしも何もかも、最初から作り直さねばならないような、混乱した状況だ。
信教や国籍や民族、習慣の違いに関わらず、この国で共に生きていこうとする者同士が、今こそ、ここ日本において、中国でも韓国でもない、まぎれもない日本という国を、共に力を合わせて作っていかなければならない時期なのだ。
日本人自身が、日本が日本であることを諦めずに、まだ踏ん張ることができるか否かを問われている今、日本にいる中国人も韓国人も、問われている。
この国にふさわしい人間として、ここ日本で暮らしていきたいか。日本というこの国を、共に作り上げていく一員として、日本と日本人に加わることができるのか。中国人に、韓国人に、これからの日本で生きることの覚悟はあるか。
在日の中国人韓国人は、それを体現してみせなければならない。
在日の中国人韓国人が現状のまま、日本の中枢が売国路線のままならば、さまざまに負荷のかかった日本社会に何が起こるか。
それは最初、新聞の片隅に載るような、小さな扱いの事件から始まるかもしれない。一つ一つは全く関連性のない事件が、ぽつり、ぽつり、と起こっているのに、そのうち誰かが気づくだろう。中国人が、韓国人が、消されていく。日本の各地で、中国人が、韓国人が、ひっそり消されていくのだ。それを知った者のうち、自分も行動を起こす者が現れる。政治も報道も法律も、何も日本を護らない。それならば、正義は誰が行うのだろう。日本と日本人の暮らしを護るために、すべきことは何なのだろう。そして、ある時、「堰を切る」瞬間が訪れる。
一度堰が切られたら、どこでどのようなことが起こるか、容易に想像できるだろう。小さな事をひっそりと行わなくても、大きな事ができる。売国議員や売国企業もターゲットになる。
社会学者やマスコミは、これを「デスノート現象」と呼ぶかもしれない。
日本だけの話ではない。この現象は世界中で起こる。
日本も世界各国も、今現在その可能性が高まりそうな、夜明け前が一番暗い、そういう鬱屈状態になっている。
かくなる上は、という覚悟に至った時の日本人のメンタリティは凶器となり得るが、同様に、選択肢はこれしかないと結論に至った時の西欧人の合理性は、ヒューマニズムを凌駕する。欧米では、はびこったものは駆除するという感覚で、中国人韓国人の排斥が起こるだろう。
また、どこか一国という規模の意図においてではなく、世界経済の枠組みを最も外側からコントロールする多国籍の立場からの意図が、中国と韓国という国ではなく、中国人と韓国人をこのままにしておいてはならないと判断した場合、資本の移動のような経済的な手段で国を破綻させるのではなく、具体的に人間そのものに作用する手段を講じる可能性も、なきにしもあらずだ。
ヒトゲノム解析の成果は、こういう時に使われる。
漢民族と朝鮮半島人にそれぞれ特有なメンタリティは、それぞれの脳の器質がそのような傾向をしているからだ、という見方をすれば、脳に作用する手段によって、一度に大量の数を減らすことができる。遺伝子の関係で日本人も影響を受けるだろうが、日本人は数が少なくても、残っていれば質において役に立つと見なされるだろう。
可能性として視野に入れておくべき予想図ではあるが、シミュレーションの実行篇・応戦篇・神風篇を記載する前に、不適切などの諸事情によりこのブログが閉鎖された場合には、何卒ご容赦願いたい。
2012年05月27日
在日中国人韓国人に迫る危機について
posted by 金の龍星新社 at 00:07| 生活
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