戦後日本の刑事法学の権威で、最高裁判事や宮内庁参与も務めた東京大名誉教授の団藤重光(だんどう・しげみつ)さんが、25日午前、老衰のため東京都内の自宅で死去した。98歳だった。通夜は近親者のみで行う。葬儀ミサは29日午後1時30分から東京都千代田区麹町6の5の1の聖イグナチオ教会大聖堂で。喪主は義妹勝本稔子(としこ)さん。葬儀委員長は松尾浩也・東大名誉教授。
岡山県出身。1935年東京帝国大法学部卒、47年同学部教授。戦後、刑事訴訟法の立案に携わるなど、刑事法学の分野で大きな業績を重ねた。東大法学部長や日本刑法学会理事長などを経て74〜83年に最高裁判事を務め、87年に勲一等旭日大綬章、95年に文化勲章を受章した。
最高裁判事時代には再審の門戸を広げたとされる「白鳥決定」(75年)に関わったほか、衆参両院の議員定数訴訟では「一票の格差」が広がることに警鐘を鳴らす意見を書き続けるなど、リベラル派として知られた。
判事退官後は死刑廃止運動に積極的に取り組み、91年には「死刑廃止論」を出版。廃止運動に大きな影響を与えた。
83年からは東宮職参与として当時皇太子だった天皇陛下の相談役となった。89年の陛下即位後は宮内庁参与となり、2000年に退任するまで務めた。