「正しい御本尊」へのお題目ならば・・・

正しい御本尊への
正しい題目にこそ

初めて自らに宿る仏の生命を蘇らせ
真の功徳を体感することが可能なのであって

創価学会発行のニセ本尊に、いくら鼻血が出るまで題目を唱えても
自分の中に眠っているものをなんら開拓できない

なんとなくフワっと気持ちいい感覚に包まれたと思っても
しばらく経てば、あれ?また欝っぽいぞ、おっかしいな?あんだけ題目唱えたのにとなるだけなんです(自分もそうでした)

学会員は否定するが、本来、正しい本尊に10時間も唱題すれば
すぐに何かが自分の中で変わっていくのを実感できて、
「この感覚が功徳なんだ」となり、しかもそれはずっとじわりとでも続いていく

すぐに落っこちることなんて、ないはずなんです
たとえ数分でも真剣に唱えて一体となれば、本当に正しい本尊であればそれだけで例外なく、その人なりが感じる功徳を味わえます。

最近は学会の幹部クラスからも
「唱題しても功徳を感じられない」
と嘆く声が相次いでいるようです

この日記を読んだ現役学会員のみなさん
貴方もそんな感覚お持ちじゃないですか?

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