1930年に抗日民衆大会を開こうとした疑いで留置場に収容され、釈放された独立運動家の韓竜雲(ハン・ヨンウン、1879-1944)は、共に収容されていた弁護士、許憲(ホ・ホン、1885-1951)の話を聞いて舌打ちした。許憲は留置場でも法律書を広げ「われわれが犯したのは違警罪(旧刑法で軽犯罪の総称)にすぎないのに」と言っていたからだ。韓竜雲は「独立のために闘うのに、罪の軽重を考えてどうするのかと考えると腹が立ち、木製の枕をたたきつけたい気持ちだった」と語った。
日本による植民地時代、裁判所で日本の法律に基づき、日本の判事、検事を相手に独立運動について弁論した朝鮮人弁護士の活動は無駄だったのだろうか。
その質問に答えるため、ソウル大法学専門大学院の韓寅燮(ハン・インソプ)教授は、5年間にわたり韓国と日本を行き来し、公判記録や関連記事を研究した。結論は「決して無駄ではなかった」というものだった。その結実が687ページの新著『植民地法廷で独立を弁論する』(京仁文化社)だ。主人公は許憲、金炳魯(キム・ビョンノ、1887-1964)、李仁(イ・イン、1896-1979)の3人だ。韓教授は19日、本紙のインタビューに対し「日本による植民地支配期における3人の弁護士の活動は、法廷を舞台としたもう一つの独立運動だった」と述べた。
以下はインタビューの一問一答。
―日本による植民地統治下の弁護士にスポットを当てた本は初めてではないか。
「私自身、法律家として気になっていた。日本が与えた弁護士資格で、日本の法廷で日本の法律に基づき、被告人を弁護することは可能なのか。日本による植民地支配期の弁護士と独立運動家は矛盾した関係ではないか。そんなジレンマをどのように打破したか知りたかった。刑事裁判こそ、独立運動家と日本の権力が真っ向からぶつかる場所で、法廷こそ独立運動の戦場だった」