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(21時間51分前に更新) |
東京電力の福島第1原発事故調査委員会(社内事故調)が最終報告書を公表した。
「想定を上回る津波を発想できなかった」ことが事故の原因だと指摘している。
地震による損傷程度が明確に確認されていないにもかかわらず「津波」と決めつけるのに妥当性はあるだろうか。
国会で政府は倒壊した受電鉄塔が「津波の及ばない地域にあった」ことを認めている。地震が起きた時点で、主要設備が損傷していた可能性は消えていない。
東電は津波の危険性について2008年10月、平安時代の貞観(じょうがん)津波(869年)に関する論文提供を受けている。防波堤設置に数百億円、約4年かかると試算していたが、対策を取らなかった。
事故直前の昨年3月に開いた文部科学省との情報交換会で、東電側は「貞観津波は震源や規模は確定していない」と主張。文科省も、その後の経済産業省原子力安全・保安院もこの主張を受け入れた。東電は「今すぐ対策を実施するようにとの指示はなかった」と弁解している。
文科省や保安院の対応も問題だが、東電は起こり得る危険性の情報が寄せられたにもかかわらず放置した。国から指示はない、と自らの責任を棚に上げ「知見を超えた巨大地震・巨大津波だった」というのは「逃げ」でしかない。
事故前に原発は多重防護で安全だとあれほど強調しながら、実は全電源喪失など万が一を想定した安全対策を取っていなかったのではないか。
自己弁護と責任転嫁に終始した内容だと言わざるを得ない。
報告書は、事故対応や情報公開が官邸の介入によって混乱したと批判している。自社に甘い内容だ。
原発からの撤退問題はどうか。東電は全員の撤退は当初から考えていなかったと主張する。これに対し、菅直人前首相は報告書公表翌日のブログで「事実は違う」と反論、「全員撤退」と強調する。
東電の情報開示には疑問が残る。菅氏が東電本店に乗り込んだ際のやりとりはテレビ会議を公開すればわかる。プライバシーを理由に公表しないのはおかしい。
社内事故調には外部の検証委員会が設置されていたが、「調査過程で意見を聞いた」として検証内容は報告書に盛り込まれなかった。社内事故調の限界を自ら認めるようなものだ。
「低線量被ばく」については「不安解消のため国を挙げての取り組みと解明をお願いしたい」とそっけない。被ばくし不安を抱えている人たちの苦境に加害企業として思いをいたしているのかを疑う。
東電の社内事故調は、事実の解明ではなく、自己保身を優先しているようにしかみえない。東電は事故を起こした当事者であることを忘れているのではないか。
社内事故調は事故を検証し歴史的な教訓を得るものでなければならない。そのためには情報をすべて開示し、身を切る覚悟が必要だ。
東電の最終報告書からは、事故に真摯(しんし)に向き合う姿勢が感じられない。