法 源
1. 1.法源の意義
· 法の存在、ないし成立する形態、または形式、あるいは法を認識する素材(法の現象形態)を法源という。
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· ある法律行為をなそうとする時や、法律行為に関して当事者間で紛争が起きた場合、その事項に関しては、ある法律のある条項に規定されているから人は、それに規律されるので従わなければならないとか、法に規定がない場合、取引の慣習や官庁の慣例ではこのようになっているとか、あるいは裁判所の見解(先例・判例)はこうであるから、こうすべきであるとかという追究が行われるが、追究される素材(対象物)が法源であり、それは法の淵源(えんげん=みなもと)ともいう。
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· 換言すれば、法は我々市民の前にいかなる形(式)をもって存在するのか、いかなるものが法として肯定されるのか(価値を有するのか)、つまり、「法とは何か」ということが法源の主要な問題なのである。
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· さて法源の問題は、それぞれの国において、その歴史性や法思想によって異なるところとなる。
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· イギリス、アメリカ(特に第一次大戦後の急速なアメリカ資本主義の発展は、法の分野でもイギリス法とは異なった展開をもたらしているので、両国を同列にみるのは現代では問題である。ただ歴史的にみた場合、大陸法との区別においてアメリカも英米法体系の一つであることはまちがいない)系統の法に代表される英米法諸国では、個々の事件の判例や慣習によって法は発展し、それは法典という形をとらず、また文字に書かれないものであった(文書になっていない法という意味で不文法という)。
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· これに対してドイツ、フランス系統の法に代表される大陸法諸国では、法は文字、支章で表現され、文章の形式をそなえた方法をとってきた(文書になっていることから、不文法に対して成文法という)。
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· その意味では、英米法諸国の法源は、判例法・慣習法(不文法主義)であり、大陸法諸国の法源は、制定法(成文法主義)であるといえる。
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· ただ、不文法主義の英米法諸国においても、高度な資本主義の発展により、社会構造そのものが複雑になってきている昨今、そこからかもし出される新しい諸問題に対して、過去の慣習や判例ではとうてい規律しえない事態が発生するにつれて、それに対処するために成文法主義の当然の帰結である法典編纂がなされ、特別立法が続々と制定されて、成文法が漸次増加しているのが現状である。
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· 成文法主義の大陸法諸国においても、成文法だけではすべての社会現象を視律することは不可能で、慣習や判例にたよらざるを得ない事態が存在し、慣習法や判例法も、成文法(法典)を補充する(ばかりでなく、これらが成文法の規定を変更することも少なくない)意味で重要な意義を有している。
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· したがって英米法諸国においては、不文法である慣習法や判例法が法源の首位におかれ、大陸法諸国では、法典である成文法が法源の首位におかれるという相対的意味において埋解されなければならない。ところで大陸法系統に属し、今日大多数の国がそうであるように、成文法主義に立脚している日本の法源には、まずその首位に国家が定立した(国会等が制定した)法律(制定法)があり、その次に慣習法、それに判例法が続くことになる。
3. 2.制定法
· 国の立法機関(国会)をはじめとする公の機関において一定の手続の下に定められた(定立された)法を制定法という(制定法は文書で表現されるのが常であるから、成文法と事実上は同じものである)。
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· 国会の制定する法律(形式的意義=狭義の法律)だけでなく、内閣の制定する命令(政令−法律の委任による委任命令と法律実施のための必要命令である執行命令の二種がある−憲法73条6号・内閣法2条参照)、各省大臣の命令(省令−法律又は政令の委任に基づいて、もしくは法律又は政令を実施するために発せられる−国家行政組織法12条参照)、総理府長官として内閣総理大臣の発する命令(府令−省令と同様の日的で発せられ、省令と同格の効力を有する)、最高裁判所の制定する規則(訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項を定める−憲法77条)、地方公共団体がその自治権に基づいて、法令の範囲内においてその議会の議決によって制定する法である条例(都道府県条例と市町村条例がある−地方自治法96条)、及び条約(憲法98条2項−当事者の数により2国間条約と多数国間条約、加入条項の有無によって開放条約と閉鎖条約に区別される)を包含する。
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· ただ、私法上の団体規約(法人の定款−ていかん−民法37・38・64条)、部分社会の自治規範(労働協約−労働組合法14条以下、就業規則−労働基準法89条以下)、及び普通契約(業務)約款(銀行取引契約・運送契約・保険契約・電力供給契約等、個々に締結される契約内容が契約当事者の一方においてあらかじめ定型的に決められており、契約締結時に当事者が内容について交渉する余地がなく、しかも、それが不特定多数の市民に強制される結果となっているような条款)等の法源性については、条理と同様議論のあるところである。
· 3.慣習法
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· 社会生活における事実上の慣習、すなわちある社会で歴史的に成立・発展した伝統的な行動様式が反復継続され、ある程度まで一般人、または特定人(ある一定のカテゴリーの職業人や社会階級人)を規律するようになり、かつ社会の法的確信(一般人又は待定人が慣習に従わなければならないと意識するに至った概念)に支えられて、一つの法としての実体を備えるようになった場合、つまりその行動様式が一つの社会規範としてのみならず、法規範としての妥当性(拘束性)を獲得したとき、その社会規範を慣習法という。
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· またその段階に達しない社会規範、すなわち単なる社会のしきたり=行動様式(習俗)にすぎず、法的確信を伴わない慣習を、事実たる慣習という。
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· しかし、慣習法に対してどのような効力を認めるか、換言すれば、法としての実効性(法的強制力)をいかなる範囲において是認するかは、各国のそれぞれの時代によって異なる。
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· 古代、中世において慣習法は、第一次(首位)的法源として重要な地位を占めていたが、18世紀末から19世紀初めにかけて近代市民国家が成立するや否や、中央集権的統治機構確立のために、階級支配の道具としてすべての法を支配階級の手中に収めようとする政治的要求と、当時の指導的法理論であった「人為に基づかず、なんらかの先験的根拠に基づいて存立し、時と場所を超越する普通的妥当性をもつ永遠の法の存在を主張した」自然法学理論の法学的要求が相まって、慣習法は実際的に圧追を受け、法埋論的にも排除ざれた。
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· その結果、18世紀末から19世紀初頭に制定された各国の近代市民法は、憤習法を否認する態度をとった。1786年のオーストリア・ヨゼフ法典、1794年のプロイセンー般ラント法、1804年のフランス・ナポレオン法典がその代表である。
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· 中世から近世への変革、つまりブルジョア革命によって封建的階級社会から自由・平等を基調とする近代市民社会(ブルジョア社会)ヘ移行するという革命的変革の時代は、旧来の封建社会の経済生活から生成されていた慣習法を否定した上で、ブルジョア社会に適合する新しい法規範を形成する時代であったがゆえに、それは当然の帰結となった。
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· また自然法学埋論は、天賦(てんぷ)人権思想(人類が社会を構成する以前、つまり自然の状態で、個人が生まれながらに享有する権利であり、国家といえどもこれを奪うことができない権利(自然法上の権利)を背景に、永遠不滅の法の存在を主張して、封建国家の支配権力から市民を解放する法的役割を歴史的に果すのであるが(その意味において自然法学埋論は、ブルジョア革命を法的側面から支えたといえる)、自然法を制定法(成文法)によって確認させることを促進する意味からも、個人の人権を認めなかった前近代的封建性の遺物であった当時の慣習法を否認することは必然的な帰着を意味した。
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· ところが、19世紀中頃になると近代国家は確固たるものとなり、封建的遺物を一掃した上で資本主義経済社会の発展が急速に進んでくると、制定法のみでは発展・流動する経済社会のすべてを規律できなくなってきた。
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· 同時に、制定法のみを市民社会の法源とするとき、健全な経済社会の発達を阻害する恐れすら否定できない状況が生まれた。
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· ここに再び慣習法を認めなければならない時代が到来するのである。それはまた、かつて革命的役割を果した自然法学理論の終焉と、法と民衆の歴史的関係を尊重する歴史法学の台頭を意味した。
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· 法の民族的・歴史的性格を指摘しつつ、法源埋論・効力論・解釈論・法史学等に新たな局面を開拓した歴史法学は、法と生活との関連性に注目する(その意味で法社会学への萌芽を含む)がゆえに、必然的に慣習法を重視することになる。
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· 歴史法学は、特にドイツにおいてサヴィニー(ドイツにおける歴史法学の始祖、「立法・法学に対する現代の使命」を論じ、「法はつくるものでなく、成るものである」ことを主張した。主著に『現代ローマ法体系』がある)、プフタ(歴史学派に属し、サヴィニーとともに主たる研究をローマ法にそそいだ。ドイツ普通法のドグマティックの確立につとめ、パンデクテン法学を形成した。主著に『慣習法』がある)等によって展開されたが、19世紀末のドイツ民法典の制定にあたっては、大論争の末、慣習法の効力について明文をもって法典に規定することを避け、法埋論・法解釈(学説)にそれを委ねたのであった。
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· 20世紀における資本主義経済の高度な発展は、ますます制定法の限界と慣習法の重要性を認識させ、ついに、20世紀初めに制定されたスイス民法(1907年公布)は、その1条2項によって慣習法の在在を認め、明文現定をもって慣習法の効力を、制定法を補充する意味(補充的効力)において是認したのである。
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· すなわち慣習法を、民法の法源の一つとして(制定法につぐ第二位の法源として)、裁判の規準とすることを制定法が認めたわけである。
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· わが国における慣習法の法源性は、スイス民法と同様に法例2条、民法92条、及び商法1条においてその取扱について定めをしている。
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· まず法例2条は、「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セサル」という大きな制約の枠内において、二つの場合に〃慣習〃を「法律ト同一ノ効カヲ有ス」としてその法的効力を認めている。
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· 二つの場合とは、「法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ」、つまり制定法が、慣習の法的効力を認めた場合(例えば民法217条・319条3項・228条・236条・269条2項・294条等にみられるように法律の規定が、「別段ノ慣習アルトキハ其ノ慣習ニ従フ」と明示する場合)と、「法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノ」、つまり制定法になんらの規定がない事項に関する場合(例えば入会権・流水利用権・農業水利権・流木権・温泉権等に代表されるように、制定法にこれらの権利に関する規定が存在しない場合)とである。
· 4.判例法
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· 英米の裁判制度、特にイギリスでは、判例に法規を創設する効力を認め、将来の類似事件の判決についても拘束力(判例拘束性)をもたせた意味において、判例によって成立する法である判例法が法源の最も重要な位置を占めている。
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· これに対してわが国の裁判制度では、判例の拘束性は法律上認められておらず、判決は単に、個々の具体的事件(紛争)について個々に紛争解決のための命題(一つの判断の内容を文言によって表わしたもの)、すなわち具体的な規準(裁判規範)を宣言するにすぎず、原則として裁判所は、自己、または同級、もしくは上級の他の裁判所の同類の判例に拘束されることなく独自に判決を行うことができる。
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· ただ例外として、上級審の裁判における判断は、その事件についてのみ下級審の裁判所を拘束し(裁判所法4条)、最高裁判所が憲法、その他の法令の解釈通用についてすでに行った判決と異なる判決をする場合には、大法廷でこれをしなければならない(裁判所法10条3号)にすぎない。
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· しかし実際上は、最高裁判所も従来の判例を踏襲するのが普通であるし、判例変更を行う場合でも相当な埋由(合理的埋由)が必要とされるわけであり、また下級審も、特別の場合を除いて、将来上級審で破棄されるような判決を行わないであろうことが容易に想定されるがゆえに、最高裁判所の判例は、事実上拘束力を生ずることになる。
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· このように、最高裁判所の判決の繰り返し(反復)によって、そこに自然と抽象的な原則が確立され、それが合理的なものである場合には、人もこれを尊重し、類似の裁判に対しては、確立された原則に従う判決が下されるであろう期待感をもつのが普通一般であるから、人はそれを一つの法規範として承認し、これに従って行動するようになる。ここに判例の反復による慣習法が成立する。これが判例法である。
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· すなわち判例法は判例を通して成立する慣習法であるということができる。
· 特に、わが国の法源としての慣習法の主要なものである立木等に関する明認方法の対抗要件適格牲、内縁の準婚的効力、譲渡担保の有効性等を、反復された(慣習化した)判例から生じた法規範と理解するならば、法源としての判例法は、まさに慣習法の一形態であるといわねばならない。
· 5.条理
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· 近代市民社会にあっては、すべて人は平等に裁判を受ける権利が保障されている(例えば日本国憲法32条)。したがって、私的(個人的)生活関係において生じた紛争解決の法的方法として裁判の提起がなされた場合に、その紛争解決のために準拠すべき(適用されるべき)法が、制定法・慣習法・判例法のいずれの分野においても存在しないことが起りうる。
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· かような法の不存在、いわば法と現実との間の〃すきま〃を法の欠缺(けんけつ)という。
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· 法の欠缺には、立法者が意識的にか無意識的にか規定を置かなかった場合、あるいは制定後新たな生活関係が生じた場合、つまり制定法が沈黙をし、未だ慣習法や判例法が形成されていない場合の、いわゆる狭義の欠缺がある。
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· しかしそれのみならず、民法1条の基本原理条項や民法90条の公序良俗条項に代表されるように、極めて抽象的な概念によって規定され、その具体的内容については裁判所の判断に委ねている場合、あるいは制定法は存在するけれども、それをそのまま厳格に適用するならば、不当な結果を招来する場合等々の、いわゆる広義の欠缺も、ここでいう法の欠缺に含まれる。
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· この場合裁判官が、法の欠缺を理由に裁判を拒否、ないし回避すれば、社会のなかに裁判に対する幻滅と法に対する不信が形成され、ひいては法秩序の崩壊にもつながるので、絶対にこれを避けなければならないことになる。
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· それゆえ1875(明治8)年の太政官(だいじょうかん−明治初期国家の中央政府。1868(慶応4)年の政体書で「天下の権力総てこれを太政官に帰す」と定められ、太政官は、立法・行政・司法の三権に分けられた。「だじょうかん」とも読む。1885(明治18)年の内閣制の創設により廃止された)布告第103号裁判事務心得3条は、「民事ノ裁判ニ成文ナキモノハ習慣ニ依り、習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スベシ」と規定し、このことを明文規定で明らかにしている。
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· したがって裁判官は、法の欠缺の場合には、条理をもって裁判を行わなければならないことになる。
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· ここでいう条理とは、ものごとの道理筋道であり、スイス民法1条が規定する「自分が立法者ならば法規として設定したであろうところに従って裁判しなければならない」意味である。
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· 換言すれば、社会生活における根本埋念=社 会一般に通用する常識であって、それを「社会通念」という言葉で表現することもできる。
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· すなわち条理は、制定法や判例法とは異なり、客観的に認識しうる命題化された規範ではなく、裁判官が現実の社会のなかから求めうる理念であるといわねばならない。
· ただこの場合、条理が法源となりうるかどうかについては争いのあるところであり、条埋は法源ではないが、裁判の最後の規準になると解する考え方が有力である。
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· しかし、法源を裁判官が裁判に際して拠るべき規準の存在形式、つまり、裁判において裁判官が追究すべき素材(現象形態)と理解するならば、条理もまた民法の法源といわねばならない。
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05年7月6日、日本に永住帰国した中国残留孤児の8割、2000人が国家賠償を求めて全国15地裁に起こした訴訟の初めての大阪地裁判決(1年3カ月のスピード結審)は、孤児らの窮状を「看過できない」と認めながら「国には早期帰国を実現させる条理上の作為義務はあったが、違反とまでは言えず、孤児になったことが国家政策に起因するからといって条理上の自立支援義務を負ったとも言えない」として孤児らの訴えはすべて退けた。 この判決で「条理」は、孤児らの窮状を「国民が等しく受忍しなければならない戦争損害であって国の内と外を問わない」として、平等原則の制約要件に使用し、孤児を救済する「法がないから条理を根拠に補償を求めた原告に、補償は立法、行政の裁量の問題と突き放す根拠に使ったのである。ハンセン病訴訟の熊本地裁判決(01年5月11日)や中国人強制連行訴訟の東京地裁判決(01年7月12)のように、法の不備を「条理」で補う司法の弱者救済の流れが断たれた。肉親との再会を望んで果たせず、戻った祖国に再び見捨てられた孤児らには無残な七夕(たなばた=五節句の一。7月7日に行う牽牛星と織女星を祭る行事)となった(05年07月07日付『東京新聞』−「筆洗」)。 |
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