2012年6月7日
|
将棋名人戦――4百年の歴史を受け継ぐ将棋界最高の舞台だ。当代の一流棋士は対局態度も気高い。相手の思考を妨げないよう互いに気遣い、対局室は静寂そのもの。だが昨年4月、浜松市であった名人戦第2局で“珍事”があった。
将棋担当の記者が控える別室で、対局室を映すモニターから「ガサゴソ」とかすかな異音が断続的に続いた。虫が侵入したのかと気をもんだが、違った。挑戦者だった森内俊之・現名人がパインアメの包装を次から次へと破り続け、口の中に放り込んでいたのだ。
棋士の中でも謹厳実直な人柄で知られる森内さん。「おいしかったので、つい」となめつつ、指し手をしならせ快勝。タイトルも4勝3敗で奪取した。
名人をやみつきにさせたこのアメ、1950年に大阪の製菓店から世に出た。当時、庶民には高嶺(たかね)の花だったパイン缶代わりに、と考案された。
味も形も輪切りのパイナップルをイメージしたが穴開け機がなく、最初は穴なしの「パイナップル飴(あめ)」として売り出した。顧客満足度を高めようと割り箸で穴を開ける力業に出るも、腱鞘炎(けんしょうえん)にかかる従業員が続出。艱難辛苦(かんなんしんく)の末53年に機械化し、軌道に乗った。
その昔、大人が子どもにふるまうお菓子といえばこの「アメちゃん」だった。その大ヒットは戦後まもなく創業した個人商店「業平(なりひら)製菓」を押し上げる。56年に「パイン製菓」に、81年には「パイン」へとその名を純化させ、今や従業員103人を抱える株式会社だ。
大阪市天王寺区の本社も何から何までパインづくしだ。大通り沿いのビルの外壁も、出迎えてくれた2代目上田豊社長(62)の着込む作業服もパイン色、社長が差し出した名刺の真ん中には太いパインの輪が描かれ、社史代わりの書物は「パインアメ物語」……。「わが社にとって、『幸せの黄色いキャンディー』なんです」と社長。
滋賀県草津市の近代工場で作っているアメの肝は、トレードマークの穴にある。「穴があると舌と触れ合う表面積が増え、味がよく広がるのです」と開発部の木下堅太次長(44)。作りたてのアメは一粒ずつCCDカメラで撮影され、穴の姿形が悪いものは除かれていく。この一品にかける思いは並ではない。
さて、名人戦だ。森内名人が防衛をかけ羽生善治二冠と争う今期は31日から京都で第5局を迎える。ここまで指し分けの4局で聞こえなかった「ガサゴソ」。名人は切り札を出すのか。(佐藤圭司)
◇
メモ 少子化で子ども向け駄菓子の売り上げが減り、OLをターゲットにした「べっぴんキャンディ」やカラオケブームに乗った「うたうのど飴」など大人向けの新商品も開発してきたが、主力はやはりパインアメ。不動の4番打者だ。
◇
■推薦
パインアメが大好きな棋士・森内俊之名人(41)
「勝負食」の一つかも
私がパインアメが好きなのをよくご存じですね。確かに昨春の浜松の名人戦第2局で、将棋盤の脇のお菓子鉢にあったのが気に入って、やみつきになりました。担当してくれた市の職員さんが、対局前夜に「私の好きなパインアメを入れておきました」と話しかけてくれたのが心に残っていたのかもしれません。あのアメをなめて将棋も勝てました。私の「勝負食」の一つかもしれませんね。