• タブー、これをやってはいけない! その2
  • あまり興味を引かない設定をクドクドと書かない
     
     ネット小説でよく見かけるのですが、物語の冒頭部に、
     世界観やら歴史やら地理やらの設定をズラーと書いてある作品があります。
     設定を最初に公開することによって、
     読者が物語に入りやすくなるようにという意図でやっているのでしょうが、
     ハッキリ言って逆効果です。

     読者は設定を読みに来ているのではなく、ストーリーを楽しみにきているのですから、
     この時点で読むのをやめてしまう可能性があります。

     「なんだこれ? つまらないどうでもいいことを、クドクド書いて……」
     という風に読者に思われたら、当然、その続きなど読んでもらえませんよね。
     古代にその大陸を支配していたのが魔族で、人間との戦いに敗れて姿を消していった。
     などという陳腐なバックグランドなど、なんの興味も引きません。
     興味を引かないモノなど、当然、誰も真剣に読んで理解しようとなどしてくれません。
     これでは、設定に凝るだけ損というものですね。そんなことがないように、
     ストーリーの進行と同時に、
     徐々に世界観や歴史の奥深さがわかってくるような展開にしましょう。
     
     では、ここでダメな例を上げてみます。

     
     世界最大の巨大大陸イブリス。
     この大陸を統治するのが、竜を使役し、その絶対的な力を振るう竜の巫女『リリア』。
     リリアは、大陸の中央にそびえ立つ『竜王の塔』に竜族たちとともに住まい、その強大な力と恐怖で大陸全土を支配していた。
     リリアは絶対権力者であるが、彼女が直接、政治を行っているわけではない。
     東西南北それぞれの地に国家があり、実際の政治は、その国王らによって行われている。
     どの国の王も例外なく、リリアの前では無力な子供のように平伏し、その言葉に従順に従う。
     どの国の民も、リリアを女神のごとく崇め、彼女の意思を大々的に口にする。
     ――けれど、四つの国家は、それぞれ独立しているのだ。
     各王国はそれぞれ異なる民族によって形作られており、価値観や、習慣、政治方針なども大きく異なる。
     リリアというトップが同じでも、四王国は決して協調関係にあるわけではない。
     リリアが現れる以前まで、四王国は血で血を洗う闘争を続けていた。
     大地を血に沈め、その血の海の上に屍の山を築いて幾星霜。
     何百年もの間、この大陸は断末魔と悲鳴に満たされていた。
     そんな連綿と続いてきた民族間の確執が、分厚い壁となって四つの国家を引き裂いている。
     もし、リリアがいなくなったら、四王国はすぐさま交戦状態に入るだろう。
     強壮たる竜の力を振るい、大陸の民を恐怖で縛り上げている暴君は、平和を維持するためになくてならなない人材だった。 
     東のグランデル。
     西のオルフェス。
     南のベオグラータ。
     北のシリウス。
     必ずしも相性が良いとは言えない、四つの全く異なる国家は、ただただ、リリアという絶対存在の元、もう100年近くも、その危うい均衡を保ちつづけている。


     ちょっと考えてみましたが、もし冒頭からこんな長い世界観の説明があったら、
     読んでいる方は引いてしまいます。
     しかも、それが何の捻りもない陳腐な内容だったらなおさらです。
     また、イブリスだの、リリアだの、グランデルだの、

     聞き慣れない横文字のオンパレードは読者の読書意欲を損ないます。
     情報は小出しにしていくことが大切です。



    登場人物を不必要に多くしない

     登場人物が多くなると、それぞれのキャラの特徴をとらえるのが大変になります。

     キャラがたくさんいすぎて、誰が誰だかわからない! という状況になってしまうのです。

     作者であるあなた自身は、登場人物の数が多くてもバッチリ、
     それぞれのキャラの見分けがつくでしょう。
     自分自身の手で生み出したキャラは、自分の分身や子供みたいなものですからね。
     しかし、読者も、それぞれのキャラクターを理解してくれていると思ったら大間違いです。

     登場人物が多いと、「あれ、このキャラ誰だっけ?」というような状況が発生し、だんだんと混乱してきます。
     そして、読者は徐々にストーリーを追うのが苦痛になって、
     読むのをやめてしまうという最悪の展開に突入です。
     しかも、キャラクターがたくさんいると、それぞれの描写がどうしても浅いものになってしまいます。
     その結果、

     登場人物を深く掘り下げることができなくなり、
     誰も彼もが薄っぺらな個性しか持てないようになってしまうのです!

     そんなことになったらイヤですよね? 
     登場人物は不必要に多くしないよう、気をつけてください。

     基準としては短編の場合なら、主要メンバーは多くても3,4人。
     長編でも、8人以上にはしない方が無難です。

     また、冒頭で登場人物を一気に出すようなマネは絶対にやめてください。
     99パーセント誰が誰だかわからなくなる事態が発生します。
     読んでいる方は、混乱の魔法でもかけられたみたいに大パニックです。
     そんなことになったら、「なんだ、この小説は? 訳わからん!」と、
     一発で読者に読むのをやめられてしまうでしょう。



    時点移動に注意 

     マンガやアニメ、映画などではよく回想シーンが入ります。
     現在から過去へ戻り、現在のシーンの補足や説明をするという技法です。
     よく見かけませんか?
     『あれが俺とヤツの最初の出会いだった』なんていう風に因縁の始まりを説明したり、
     死んでしまった恋人と海辺で戯れている場面にワープしたり……

     コレが、短い文を使って登場人物の頭の中で行われるのではなく、
     時間軸そのものを過去へと移動させると『時点移動』になります。

     実は、これには2つの大きなデメリットがあります。

     1・物語の流れが一続きではなくなり、内容を理解しにくくなってしまうこと。
     2・回想シーンは現在の補足であり、回想中は本編の進行がストップした状態になること。

     回想シーンは多用したり、長くやりすぎると、本編の進行が阻害され、
     さっさと話を先に進めろよ! というイライラ感を生みます。
     本編をおもしろくするための、あくまで補足的なストーリーだということを忘れてはいけません。

     また、問題は小説は文章だけしか読者に物語を伝える手段がないということです。
     文章だけで、あなたの頭の中で考えたストーリーを他人に伝えるというのは、
     ものすごく難しいことなのです。
     そのため、少しでも内容が読者に良く伝わるように、理解しやすい構成にすることが大切です。
     例えば、

     現在⇒10年前⇒現在⇒15年前⇒現在⇒5年前のように、
     話の時系列がバラバラ過ぎると、一体今がいつなのか? 話が進行しているのか?
     意味不明になりやすくなります。

     時間は現在から未来へと流れていくもので、その逆はありえません。
     それを過去へ飛ぶというのは、本来、不自然なことなのです。
     不自然なことを混乱なく読者に受け入れてもらうためには、注意して行う必要があります。

     マンガのように『絵』という視覚に訴える強烈な媒介があれば、
     時点移動を行っても読者はストーリーを容易に理解することができます。
     でも、小説の場合だと読者の混乱を招く、マイナス要因になりかねないのです。

     物語は原則的に出来事の起きた順番通りに並べて作ってください。

     万全を期するなら、エピソードの年表を作成して、
     時系列が入り乱れてないかチェックするという手がオススメです。

     どうしても、主人公の過去のトラウマなどを描くために時点移動を行わなければならないなら、
     時点移動の欠点を良く理解した上で、緻密に構成を練って行ってください。
     安易な使用は危険です。



    過去を語る回想形式の弊害
      
    「俺の話を聞きたいなんて、あんたも酔狂だな……」
     青年はおもむろに口を開いた。
     窓の外の星空を眺めて、遠い過去に視線を飛ばす。
    「さて、あいつと出会ったのは、いつだったか」
     青年は静かに語り始めた……


     回想形式とは、上のように主人公(また、それに準じるの者)が、
     昔を思い出して物語を語るという形式の小説です。

     時点移動の一種であり、時点が混乱するという問題もありますが、
     一番の問題点は緊張感が出ないことです。

     主人公が昔を語っているということは、その物語の中で主人公がいかなる窮地に立たされようと、
     そのピンチを脱したことが、すでに証明されているのです。
     そのため、

     山場のおもしろさが半減します。

     恋愛や賭け事とか、命に関わることでないならそれほど問題ありませんが、活劇の場合は致命的です。
     敵に捕らわれて拷問されようが、大人数に包囲されて銃を突きつけられようが、
     封印された大魔王が地響きを伴って復活しようが、それはすでに過去のことでしかないわけです。
     
     敵との戦闘の醍醐味とは、生死を賭けたスリルと緊張感にあります。
     一瞬先、主人公がどうなっているかわからない、わずかなミスや判断の遅れ、
     敵の策略が彼(彼女)を死に追いやっているかも知れない……。
     こういう一寸先は闇な状態が、おもしろいのです。

     しかし、回想形式の場合、その窮地を切り抜けた主人公が回想しているわけです。
     これはハッキリ言って、半分ネタバレしているのに等しい所行です。
     
     結末がわかっている物語って、心底楽しいと思えますか? 思えませんよね。
     もちろん、プロの中にはこの回想形式を、物語のギミックとして活用している方もいますが、
     素人が安易に使うと99パーセント失敗します。ええ、それは無惨なまでに……
     過去を語るという手法は、やらないように気を付けてください。


    極のタブー。視点移動をしてはならない
     
     小説の視点となる人物を決めたら、その人物が心の中で思ったこと、
     目で見たこと以外は書いてはいけません。

     「おや、どうして?」と、あなたは首をかしげるかもしれません。
     マンガなどでは、視点となっているキャラクター以外の心情が、
     当然のように吹き出しで描写さていますものね。
     しかし、同じ娯楽媒体でもマンガやアニメと小説は決定的に違います。
     時点移動でも説明しましたが、小説は文字だけで構成されている娯楽です。
     マンガやアニメと違って、読者は内容を理解するのにかなりの労力を必要とします。
     その労力を倍増させるようなことをするのは自殺行為なのです。
     
     視点として定めた人物以外の心情描写をしてはいけません。

     これは視点移動のタブーと呼ばれ、プロの世界では常識です。
     例えば、あなたに好きな相手がいたとします。とりあえず、片思いということにしましょう。 
     その人があなたをどう思っているのかは、当然のことながら、わかりませんよね。
     現実の世界でそうなのですから、小説の世界でも同じですよ。
     もちろん、主人公が超能力者で、他人の考えが読めるというのなら別ですが……。
      
     例を上げてみましょう

     
     触れ合った手の平から大介の温もりが伝わってくる。
     美佳の心臓は破裂せんばかりに脈打ち、頭の中が真っ白になった。
    「どうしたんだ? 顔が赤いぞ」 
     心配そうな声が降ってくる。
     はっと、顔を上げれば大介の顔が息がかかりそうなくらい近くにあった。
    「な、な、な、なんでもない……」
     美佳はしどろもどろになりながら、俯く。
    (おかしな娘だな……)
     彼女の手を引きながら、大介は内心、首を捻った。


     上の文は途中で視点が美佳から大介に移っています。
     視点となっている人物に感情移入しながら読んでいたのに、そこに別の人間の視点が入り込むと、
     読者はその人物の感情を追うことを強制的に中断させられます。
     これはストレスを生みます。
     さらに、これが何度も続くと、視点が混乱し、誰の視点で物語が進んでいるのか、わかりにくくなります。

     主人公の心情だと思っていたのが、実は別の人物の心情だったなんて誤解がうまれてくるのです。

     すると読者はやがてイライラしてきて、読むのをやめてしまうでしょう。
     一人称の場合なら、視点が固定されているので、この罠に陥る危険性は低いですが、
     三人称の場合だとついうっかり視点に定めた人物以外の視点が混じってしまうことがあるので、
     気を付けましょう。
     
     だだし、章や場面が変わった際に、別の人間に視点が変わるのは有効です。
     
     あくまで、一続きのシーンの中で、視点が切り替わるのがいけないのです。
     1章は主人公、2章はヒロインの視点で描くというのであれば問題ありません。
     ただ、あまりやりすぎると主人公が誰だかわからなくなるので、ほどほどに。
  • 2012年 06月26日 (火) 02時58分
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