「司法の正統性」という視点

     司法制度改革審議会以来の、裁判員制度に具体化された「国民の司法参加」の議論では、その意義として、司法の国民的基盤の確立という目的とともに、「統治客体意識」からの脱却を含め、むしろ国民側が責任をもって、主体的に司法を支えることの意味が、当然のように語られてきました。国民の主体意識への転換が21世紀のわが国の社会の姿のなかに描き込まれ、裁判員制度は、そうした意味のうえ立って、いわば司法を変革すると同時に、あたかも国民への教育的効果をもたらすもののようにとらえられてきた感があります。

     一方で、この議論のなかで、不思議なくらい、すっぽり抜け落ちているように思えるのは、「司法の正統性」といったテーマです。司法「改革」の議論は、いわば「国民」が司法に直接参加するという一事を持って、これを民主主義国家の「民主的」手続として、前記テーマを飛び越えている、あるいは不問にしてきたようなところがあります。

     ただ、これは不思議なことでもあります。なぜ、無作為で抽出された国民の裁判に、「司法の正統性」をここでゆだねられるのか、ということは、司法を信じようとしてきたはずの国民にとっては、当然の疑問であって不思議ではありません。と同時に、これをさらにはっきりさせておかなければならないのは、そうした形で飛び越えて裁判員制度が導入されても、参審制の変形である、この制度では、すべての決定過程に職業裁判官が関与し、また控訴審においては職業裁判官だけによって裁判が行われるからです。

     最高裁も、法曹のみによって実現される高度の専門性は、時に国民の理解を困難にしているとか、国民の視点や感覚と法曹の専門性とが常に交流することで、相互理解を深める、とか、必要性を強調します。しかし、だからといって、これまでの「司法の正統性」や「権威」が、今、国民を強制的に直接参加させなければならないほどに、ぐらついてしまっているということを、正面から認める話をしているわけではありません。

     この問題に関して、社会学者の宮台真司氏が著書「日本の難点」のなかで、重要な指摘をしています。実は「国民参加」のテーマの背景にはポストモダンにおける「正統性の危機」という問題が確実にあったのだが、司法審にはその専門家が一人もいなかったので、それ自体が議論になっていない、というのです。

      「司法の正統性」は、立法や行政の正統性と違って、民主的票(で選ばれた人による投票)に由来するとは観念できない。それが民主主義であっていけないのは、移ろいやすい民衆の感情から法原則を隔離するためであり、法的裁定の適法性を担保する仕組みが大幅に欠落した裁判員制度は、「司法の正統性」の本義に反する。司法の裁定を人々の意見を寄せ集めた合意に基礎づけてはいけない――。

     彼は、「司法の正統性」からみた裁判員制度の問題性をこう指摘したうえで、この流れをポピュリズムを不可避的にもたらすポストモダン化のなかでとらえます。

      「ポストモダンでは、第一に、社会の『底がぬけた』感覚(再帰性の主観的側面)のせいで不安が覆い、第二に、誰が主体でどこに権威があるのか分からなくなって正統性の危機が生じます。不安も正統性の危機も『俺たちに決めさせろ』という市民参加や民主主義への過剰要求を生みます」
      「不安や正統性危機を民主主義で埋め合わせるのは、体制側にも反体制側にも好都合です。体制側は危機に陥った正統性を補完でき(ると信じ)、反体制側は市民参加で権力を牽制でき(ると信じ)るからです。ところが人文知の治験では、ポストモダン化が市民の無垢(イノセンス)を信頼できなくさせてしまいます」
      「そのことは裁判員制度への疑念の噴出それ自体に見出せます。僕の考えでは、ポストモダン化に伴う権威や正統性の劣化を市民合意(民主主義)で補完するのは危険です。その危険は法理学や法社会学の伝統的思考に従えば明らかです。権威や正統性の劣化を食い止める別の方策が必要です」

     彼は、移ろいやすい庶民感覚や生活感覚を当てにしてはいけない領域、状況に依存する感情的反応から中立的な長い歴史の蓄積を参照できる専門家を当てにすべき領域が確実に存在し、それを毀損してしまうと、そうした感覚に従う「市民政治」が疑念の対象になる、と結んでいます。

     今、本当はなぜ、この国に「国民の司法参加」がもたらされているのか、また、それは司法にとって、何を意味しているのか――。その答えを導き出すために必要であるはずなのに、やはり「改革」論議からも、大マスコミの報道からも抜け落ちた視点のように思えます。


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    プロフィール

    Author:河野真樹
    法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    河野真樹
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