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数ヶ月前のことだが、テレビを見ていると、懐かしい顔に出会った。男性誌時代に、よく仕事を一緒にしていたカメラマンだ。だが、話の内容を聞いて愕いた。写真家としてではなく、医事評論家として出演していた。
伊藤隼也というテレビ映りのよい端正な顔立ちだ。
テレビを見た後、ネットで検索してみると、8年前ほどに父親が医療事故に遭い、この道に入ったようだ。最近、よく仕事で行動をともにしている名古屋の雑誌社のK社長に、茶飲み話で彼のことを話した。もう、10日くらい前のことだ。
一昨日になって、「急にこの4月から病院関係の広告に対する規制が緩んで、健康や福祉の雑誌を企画しているが、伊藤さんを紹介してほしい」と言ってきた。もう、30年近く前のことだが、伊藤隼也とは、大変親しくしていた。
昨日の昼頃、伊藤隼也の会社に電話してしてみた。生憎外出中だったが、もうすぐに帰って来るという。会社と携帯の電話番号を伝え、電話を切った。午後2時頃、僕より20歳くらい若いK社長が来た。午後3時からトヨタ100%出資のデルフィスという広告代理店に同行した。
この代理店の応接間で打ち合わせ中に会社から、「伊藤隼也さんという方から電話がありました」という連絡が入った。大切な話し中だったので、すぐには話せなかった。打ち合わせ後、同じビルの1階の喫茶店にK社長と入った。伊藤隼也に電話をしようと表にでたら、先ほどの広告代理店の人から、「即決です。いまどこですか」という連絡が入った。下の喫茶店にいることを話すと、下に来てくれるという。
代理店の人が下に来るまでの間に、伊藤隼也に電話をした。懐かしい声で、一瞬にして30年前にもどった。ここ数年、このような再会がよくある。東京で親しく付き合っていた連中が、4,5人、年商100億以上の出版社を経営しているが、たまに社長室をたずねて話すことがあるが、昔と変わらない。
まだ、親しくしていたが、再会していなく電話で声を聞いただけの人もいる。
ここで、伊藤隼也と話したのは、ほんの1分程度だ。「大切な仕事の話が、長引いているので、改めて電話します」と電話を切った。
1時間ほど経ってから、会社に帰り、再び伊藤隼也に電話をした。今度は、少しゆっくり話せた。
K社長に電話をかわると30分くらい話していた。最後に電話を代わり、近々東京で再会することを約束した。正確な名称は忘れたが、病院にランクをつける公の組織の広報の担当もしているようだ。
元はタレントなどの主に女性の写真を撮り、週刊現代などのグラビアページで作品を見ていたが、いまは医療関係の写真も多数撮っているようだ。日本初の世界雑誌の話をすると大賛成で、世界の医療や福祉の現場写真を撮りたいと言っていた。
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広くよき友を持つと言う事は、自分にとっての財産になりますね。お金の事ではありません。素晴らしいことだと思います。日本発(初)の世界雑誌内容の濃いものにして下さい。楽しみにお待ち致しております。加油、加油。フアンより。
2007/3/28(水) 午後 0:55 [ ]
世界雑誌の夢が早く叶いそうですね。
2007/3/28(水) 午後 11:49 [ sima ]
日本発の世界雑誌の夢は、もう持ち始めて30年です。当時から仮に実現できるとしても55歳を過ぎてからだろうと直感で思っていた。このことを誇大妄想と言った人は今、都知事選にでています。ある人は、どんなことも大きなスケールのことは誇大妄想が出発点と応援してくれます。もう、20年くらいの命。人生を完全燃焼させるには、この誇大妄想の実現以外に考えられないといったところです。
2007/3/30(金) 午前 0:22 [ cos*ora*a7*72 ]
こんにちは、そうですね、始めは誇大妄想からで、じっと時が来るのを待っていれば巡って来るのでしょうか? 実現に向けてONですね、頑張って〜
2007/4/2(月) 午前 11:53 [ sima ]
約30年くらい待ちました。今後、どうなるかわからないですが、着々と前進しています。
2007/4/2(月) 午後 11:45 [ cos*ora*a7*72 ]