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食の安全・安心 11 ー疑わしきは罰するー




「疑わしきは罰する」は正しいか?

 ダイオキシンが毒物かどうかはっきりしないのだから、「疑わしきは罰する」という原則に従ってダイオキシンを禁止するのはよい、だから、今になってダイオキシンが毒物ではないと判ったにしても、これまで「ダイオキシンは猛毒だ」といったことは正しかったと言う。

このような考え方は、「環境をまもる」という意味で正しいのだろうか?

 ダイオキシンは殺虫剤や農薬と密接な関係があり、ダイオキシンが猛毒だと言われた結果、塩素系の殺虫剤なども製造されなくなったり、極端に使用が制限されたりするようになった。

 その影響は発展途上国にとって致命的だった。

まだ国が発展段階にあり、下水道や河川が整備されていない時には害虫の駆除が大切である。多くの人が害虫で病気になり、あるいは死ぬ。それは「環境ホルモンによって次世代に影響が有るかも知れない」などというゆっくりした影響ではなく、「害虫を退治しないと明日がない」ということである。

 しかし、先進国に住み、周囲環境に恵まれた人達、特に、先進国の中流から上流の生活をしている人は発展途上国の人びとにはあまり関心もなかったし、想像もできなかった。

体の回りにアブが飛び交い、害虫がつねに子供をおそう生活の中では、一刻も早く害虫を駆除して家族と子供の安全を守りたいと考えるのが親というものである。

 でも、先進国のダイオキシン騒動は、塩素系殺虫剤の製造中止や、使用禁止へと発展して、「地球の汚染を防ぐために、塩素系殺虫剤を使うのは犯罪だ」というキャンペーンがはじまった。本当は、「地球の汚染」ではなく、「先進国の人たちだけの汚染の可能性」だったのであるが、それが開発途上国を襲った。

その結果、開発途上国ではマラリアを媒介するハマダラ蚊が急に増加しはじめ、それによってマラリアで犠牲になった人の数は推定で年間100万人以上と言われる。

ダイオキシンや塩素系殺虫剤を追放したことは「環境」を改善したのだろうか?確かに、先進国の人達にとってみれば、自分の身の回りの環境だけは良くなったように見えるが、環境とは自分だけが得をするというものだろうか?

まして、ダイオキシンがほとんど無毒だったということが判った今となっては、この騒動で犠牲になった人達が痛々しい。

 そして、今になって規制を緩めても、環境運動のために、ここ2,30年で犠牲になった数1,000万人から数億の人の命は帰ってはこない。その人達は、さぞ残念だったと思う。

もし有効な殺虫剤を買い求めることができ、環境を少しでも良くできれば、人生を全うすることができたのに、少年時代にあえなく害虫にやられ、30歳でマラリアで死ななければならなかった人、その人達は先進国のダイオキシン騒動をどう感じるだろうか?幼い命を奪われていく子供をみとった母親はどんな気持ちだっただろうか?

 この例は、ある特定の化合物を「狭い視野から規制する」ことや「毒物でも無いものを毒物とする」ことは、疑わしきは罰するというものとは違うことを示している。技術はつねにメリットとデメリットがあり、環境は、多くのことが複雑にからんだものである。

だから、環境のことを自分の感覚だけで判断すると、世界のどこかで泣く人が出る。それをダイオキシン騒動は歴史的事実で示している。

 マラリアばかりではなく、ダイオキシンの追放運動は、おおくの人達を死に追いやった。たとえば、ポリ塩化ビニルや臭素系難燃材料も濡れ衣を着せられ、そのために命を失った人をだしたものの一つである。

ポリ塩化ビニルはプラスチックとして素晴らしい素材であり、難燃性、つまり火災の時になかなか燃えないという性質を持っている。そのために、日本の家屋では建材や壁紙などにポリ塩化ビニルが使われていた。

また火災を防ぐために、繊維やプラスチックに臭素系難燃材料が使われていた。

しかし、ダイオキシン追放運動や環境ホルモン騒動がおこり、市民はポリ塩化ビニルや難燃剤の不買運動をはじめた。その結果、壁紙や電気製品などに燃えやすい素材が使用され始めた。なにしろ、塩ビや臭素化合物を使っているとわかると売れないのでメーカーは作ることができない。

ちなみに、火災は、日本で年間6万件以上の火災があり、2,000人が犠牲になる交通事故につぐ大災害で、しかも火災の犠牲者のおおくは幼児や老人で、いわば社会的弱者である。

 著者は火災をふせぐ目的で、難燃材料の研究をしているが、数年前、ヨーロッパに塩素系化合物追放運動が起った。その結果、テレビに使っていた塩素系材料が「非塩素系」、つまり塩素を使っていない材料にかわった。その理由は、「環境に優しい」ということだったが、テレビはそれだけ燃えやすくなり、追放運動が盛んだった北欧三カ国で約一割、焼死者が増えたとされている。

 著者が直接に聞いた話では、フィンランドのある家庭でそれまでおばあさんがロウソクをテレビの横に立てて夜を過ごしていた。ある時、息子がおばあさんのテレビが古くなったので、新しいテレビを買ってあげた。

「環境を守る」という消費者運動で塩素系材料が使えなかったテレビメーカーは、不買運動におびえて、すでにテレビの材料を燃えやすいものに変えていた。「環境にやさしいテレビ」を買ったその家庭で間もなく火事をだし、そのおばあさんは焼死した。

おばあさんも、テレビを買ってあげたその息子も、本当のことを知ったらやり場のない怒りを感じただろう。「環境にわるい」という理由をつけられて追放された材料で犠牲者が出ているなら仕方がないが、ヨーロッパで塩素系材料で死亡した人はまだ知られていない。

それなのにまるで中世の魔女狩りのように塩ビや難燃材料を追放する。そして幼児や老人が火災で犠牲になる・・・・

無理を通すと社会にはさまざまな形で被害が及ぶ。そのうちの精神的名打撃を受けた人もいる。

 ある時、著者が市民を対象とした講演会でダイオキシンはほとんど無毒と話したところ、講演が終わって一人の聴衆が、次のように話をしてくれた。

・・・わたしは長年、焼却炉の掃除をしていました。今ではまるで宇宙服を着なければ入れないような環境でした。私は学校を卒業して二十年もそれをやっていたので、ダイオキシンが危険だと聞いたときには驚いて、それから自分はいつ死ぬか、いつ死ぬかとビクビクしていました。今日、先生のお話を聞いて、今晩からやっと安心して眠れます・・・

私はそう話す人の顔を見て、ああ、良いことをした。真実を伝えるのはやはり大切なことだと感じたのである。

 人間は知らないことだらけである。だから、何が本当のことかは実はわからない。でも人間にはできることはある。それは事実にもとづいて誠実に生きることである。そうしてもまだ間違いがあるが、それは人間というものの限界である。

 人間は利己的な存在である。だから、自分のために生きるのも間違ってはいない。自分がダイオキシンが怖ければ、遠ざかるようにするのは良いが、自分と人の環境は違う。また日本と世界はまた大きく違う。

 そして、善意もときとしてダイオキシン騒動で儲かる人の後押しをするだけに終わり、その結果、弱者が犠牲になることもあるのである。

(その11 おわり)


武田邦彦



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