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モノの値段、安いにこしたことはない。電気料金だってそうだ。ただし、「安かろう、悪かろう(停電する)」では困る。必要なコストは払わなければならない。[記事全文]
歴史を伝える。そのために残すべき言葉をめぐり、沖縄で論争が続いている。沖縄県が那覇市の首里城公園内に設けた説明板のことだ。ここには、沖縄戦でこの地[記事全文]
モノの値段、安いにこしたことはない。
電気料金だってそうだ。ただし、「安かろう、悪かろう(停電する)」では困る。必要なコストは払わなければならない。
原発を減らし、火力や再生可能エネルギーで補っていく過程では、むしろ料金は押し上げられる方向にある。肝心なのは、納得できるサービスと料金を自分で選べるかどうかだ。
政府の審議会で電力システムの改革論議が進んでいる。発電と送電の分離とともに注目されるのが、家庭向け料金の自由化だ。政府は、早ければ2年後にも電力小売りを全面的に自由化することを検討している。
基本的には賛成だ。
しかし、制度だけ変えても実際に新規参入がなければ、既存の電力会社による「規制なき独占」につながって、料金が高止まりしかねない。新たな担い手(新電力)が育つ環境を急いで整える必要がある。
そのためには、まず企業向けの大口分野で競争状態をつくりださなければならない。
大口分野は2000年代に自由化されたが、実質的には大手電力が独占している。さまざまな障壁があるからだ。
代表例は、消費電力と発電量とを常に一致させるよう求める「同時同量」制度である。
今のルールは新電力に厳しく、不足が生じれば大手電力に高額の料金を払わなければならない。もっとハードルを下げるべきだ。たとえば、市場取引を活用する。電力に余裕のある企業が売り、必要な企業が買うという融通によって全体のバランスをとる仕組みだ。
現在、審査中である東京電力の家庭向け料金の値上げでは、人件費の抑制や認可時期などをめぐり、官民ともに情報の出し方が作為的ではないかと指摘されている。小さな取り繕いが大きな不信を招く構図だ。
競争の促進は、こうした構造を消費者主導で変えることにもつながる。
独ミュンヘン在住のジャーナリスト、熊谷徹さんは最近、電気代が高いことに不満を感じ、契約する電力会社を変えた。
パソコンで郵便番号と年間使用量を打ち込めば、契約できる電力会社と価格が100社ほどリストアップされる。契約変更はワンクリックでOKだ。
「選択の自由が電力会社の不正防止やコンプライアンスの向上にも効いている」。熊谷さんはそう指摘する。
名ばかりの自由化ではなく、消費者が実際に電気を選べる社会をつくろう。
歴史を伝える。そのために残すべき言葉をめぐり、沖縄で論争が続いている。
沖縄県が那覇市の首里城公園内に設けた説明板のことだ。
ここには、沖縄戦でこの地域の旧陸軍を指揮した第32軍司令部壕(ごう)があった。
説明文の原案は、県から委嘱された大学教員らの検討委員会がまとめたが、原案にあった壕内にいた「慰安婦」や、壕周辺であった「日本軍による住民虐殺」の言葉が、県によって削除された。安全を理由に、今後、壕を埋めることもあるという。
検討委員会の委員を務めた村上有慶さんは「説明板を一度撤去し、文案を練り直してほしい」と批判している。
大切な戦争遺跡だ。豊見城(とみぐすく)市にある旧海軍司令部壕のように歴史を学べる場所になるよう整備し、保存するべきだ。
折しも、米軍の新型輸送機オスプレイの配備を拒む県民の闘争が島ぐるみになりつつある。
そんな状況の下で、6月23日の沖縄慰霊の日を迎えた。
平和を希求する県民の心は、歴史を大切にする思いと重なっている。
沖縄戦をめぐっては、旧文部省や文部科学省が高校日本史の教科書検定で、日本兵による住民虐殺の記述の削除を求めたり、集団死への「日本軍の強制」を消させたりした。
そうした動きに、沖縄国際大学で国際平和学を教える安良城(あらしろ)米子さんは、教科書執筆者が証拠となる史料に基づいて、沖縄戦の本質を記すべきだという。
安良城さんは講義で旧日本軍の史料を使う。例えば1945年6月15日の「鹿山文書」は旧日本軍による住民虐殺が起きた久米島で、海軍通信隊長が出した文書だ。米軍の投降勧告ビラを持っている者は「敵のスパイとみなして銃殺する」とある。
住民の証言を裏づける史料といえる。沖縄戦で軍は住民を守らなかった。「それどころか、日本軍の軍事作戦で住民が直接に日本軍に殺害されたり、死に追い込まれたりしたことを学生は学ぶ」という。そして安良城さんは、「集団自決」という言葉にも慎重に、と求める。
県の旧平和祈念資料館の設立理念を記した文には、住民「自ら命を絶ち」という記述があった。だが、2000年に開いた現在の平和祈念資料館では論議の末に「自ら命を絶たされ」に直した。館内の説明も「強制による集団死」に改めた。
「集団自決」という言葉には国に殉じたものとして賛美し、強制された死を隠す意図があると、地元の人は感じている。