BASE HEADSのお話 その4
今はこれから始まる武道館でのLIVEリハーサル終わって休憩中さ!!
う〜ん、毎日快調に長文更新してたら
タッちゃんやみやっちから「ブログなげぇよっ!!」
っと苦情が(笑)
俺は愛だと受け取ってる(笑)!!
だから今日も快調に更新だ!!
なんかBASE HEADSの事書いてるのに俺自身の事書いてるみたいだ
でも、俺に起こった全ての出来事はBASE HEADSに起こった事だし
俺とBASE HEADSは殆ど同じ様なもんだしな
少なくとも俺はそう思ってる
たぶん他のメンバーもそれぞれ自分自身とチームをだぶらせていると思う
だからこれはあくまで俺の視点からのBASE HEADSになるね
いつか他のメンバーの別の視点から見たBASE HEADSって言うのも見てみたいね!
MISIAのツアーが終わりを向かえた頃、いよいよ無視出来ない事があった
それはLAのムーブメント
今まではNY全てだったけど、アメリカのPVとかこっちに入ってくる多くのダンスの情報がNYからLAに切り替わっていた
それを決定づけたのはJUSTIN TIMBERLAKEの「LIKE I LOVE YOU」のPV
スゲースタイリッシュだったし、アイドルあがりのJUSTINがファレルとCLIPSEと共演してるってのもミソだった
JAZZとかストリートダンス以外ののテイストに対して心からヤラれた衝撃的な作品だった
とにかくNYではそれは手に入らない物だった
っとは言い過ぎかも
NYではRAHPSODYが凄い勢いだったし、当時まだ生徒で俺等と同じスタジオでレッスン受けてたLUAMとかJONTE’とかも勢いあったからね
まぁ、でも大多数がLAに集まっていたのは否定出来ない事実だった
だからLAに行ってみようって思ったんだ
HISって旅行代理店でチケット発券して1週間後に出発って時になってまた連絡があった
BoAのツアーオーディションを告げる電話だった
迷わず受ける事にした
チケット代キャンセル料発生するから全額戻ってこなくなってしまったけどね(笑)
そして、一緒に行く筈だったPRIME TIMEのYOSHI-ZOを1人で行かせた(ゴメン 笑)
クローズドオーディションだったから選ばれた20人位のダンサーがスタジオに居て
そこには俺等BASE HEADSも全員居た
んで結果は
また俺だけ合格だった
スゲー嬉しかったけど、複雑な気持ちもあった
その時のツアーメンバーは今思ってもスペシャルなメンバーだった
男は後々ずっと一緒にやる事になるSHIGE、そしてまだうちのメンバーではなくREAL SHITからSTOに移ったRYO、あとCHEWくんと俺の4人
女はその後、至る所で快進撃するNAZUKI、YUKA、LINAと後にグエンステファニーと共に活躍する原宿ガールズの一員のMAYAの4人
そのメンバーと共にアヤさんって凄腕のコレオグラファーのLAの最先端の振付けでツアーを回った
JAZZ FUNKの様なスタイルだったり、何より女の子達を含めた大人数での作品は自分の持っているテクニックでは全然追いつかず凄い苦労したのを覚えてる
MISIAの時とは全然違ったステージを経験した
その直後
ホントに直後
ツアーの打ち上げが渋谷のモンスーンCAFEって所であったんだ
ツアーが無事終わった事
そしてこの先また頑張っていきましょうって事
レコード会社とか関係者とか良く知らなかったけど、見るからに偉そうな人とかオンパレード
そんな打ち上げの隅っこで飯喰ってお酒飲んでる時だった
俺の携帯が鳴った
GENからだった
前にも書いたけど元々ワープループって人気チームで活躍してたし同世代だったし、イベントも一緒になる事多かったから知り合いだった
とにかく荒っぽい奴でうるさいし、モヒカンだったし、目つき悪かったし
まぁ、ジャンルが違ったからバチバチにはならなかったけど、一緒に遊ぼうとかそう言う仲ではなかった
だからそれまで沢山話した事はなかったし、GENがどんなやつなのかも良く知らなかった
その時、GENが何を考えてどういう状況だったのかも全く知らなかった
電話越しのGENは俺の知ってるあいつとは全然違っていた
なんだか今にも崩れ落ちそうな位弱っていた
声も聞き取れない位震えていた
何となく耳にはしていたけどワープループがバラバラになったっと
特殊な家庭環境で躍りたいのに躍る事が出来なくなっているって
そんな中、同世代の俺等はどんどん活躍し始めてるって
それをTVとかでしかみる事が出来ない状況に
凄く絶望してた
そして細い糸を手繰る様に
そんなに仲良くもない俺に電話して来たんだと思う
「俺はどうしたらいい…」「躍りたいよ…」
って言ってた
俺はGENからのSOSだと思った
だからしばらく、俺等のショーケースに一緒に連れて行ったり
ユニットに引き入れてみたりしてた
GENの事ずっと連れ回してたな
RYOはRYOでSTOってチームでバリバリ活動してたし
STOはSTEZOさん、HIROさん、タッちゃん、セバ&パト君とかのMISIAのバックアップクルーがそのままチームになったよううなスゲーメンバーでさ
俺等もMISIAをきっかけにSTOとかとしょっちゅう一緒にユニットで躍らせてもらったりしてた
それからしばらくして
きっかけは何だったかなぁ
その頃GENとRYOとは遊びも踊りもずっと一緒にいたからさ
自然な流れだったと思う
A-VEちゃんとKENKENと何となく話してさ
BASE HEADSを5人にしようよって話をね
RYOは当時から天才ダンサーっぷりを超発揮してたからみんな即決でOKだったし
あの態度悪いGENも、意外とみんな即決でOKだった(笑)
こうして俺等は中期を過ごしたメンバーになる
3人だったのが一度に5人になったのはマジ夢の様に楽しかった
俺は一度に2人も弟の様な子分の様な…(笑)
そんなメンバーが出来て凄い嬉しかった
まだまだ手探りの状態は続いていたけどメジャーとストリートを行ったり来たりするスタイルがここで確立された
人数的にもパワーアップした俺等はダンスも音楽もファッションも全てにおいて勢いを加速させた
やっと俺等にも時代の追い風が吹いて来た
そんな印象だった
もしかしたらみんながイメージするBASE HEADSって言うのはこの時からの俺等の姿かもしれないね
その後、巻き起こす大騒動の夜明けの様な瞬間
2003年の春を過ぎて初夏の頃の出来事