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最近、このページを更新する気がないかのように意図的に宣伝している人たちがいますが、内容が内容だけに慎重に更新を進めていますことをご了承ください。
省庁制について思い出そうと思ったらけっこう忘れていたので、ネット上で検索した結果に修正を加えつつ再現してみるが、大体以下のような形だったと思う(思い出したら修正する)。
この省庁制の誕生で何が変わっただろうか。一つは各部署の省庁単位での権限が強化されたことである。意外に思われるかもしれないが、今まですべて麻原裁定だったものが、各省庁のトップの判断に譲られる部分が出てきたということだ。多少の分権がおこなわれたわけである。
それと関連して、省庁間の断絶が強まった部分もある。省庁が違うとワークをともにしないし、各省庁のトップ同士で承認を受けないと部署間の連携もしづらい、という「縦割り行政化」が進んだという感じも受けた。だから、省庁が違うともう何をやっているかあまりわからないという状況だったのである。そして、他部署のことなどを気にしていると、集中力がないとか、場合によってはスパイ視されてしまうので、結局、教団の全体を把握しようという考えはなくなるのだった。
その一方で、法皇官房の絶対性が強まっていく状況もあった。イニシエーションにしろ、セミナーにしろ、その他の様々な試みにしろ、法皇官房はきわめて「改革的」であり、何でも思いついたらやるという方向性だった。それは、学生出身者を多く抱え、アイデアと行動力に秀でたヴィシュカンビン正悟師が率いることが大きく関係していたと思われる。
この省庁制以降、事件までの期間、この法皇官房が教団の流れを大きく変えていたように思うのである。
ところで、教団で「太陽寂静国基本律第一次草案」とか「オウム真理国基本律第一次草案」というものが作られていたという話があるが、これは教団内ではまったく知られていないものだった。内容的にもおかしなところがあり、どこかの部署で草案を作っていたのかもしれないが、決して教団のものとして採用済みの内容ではなかった。あの内容を元にして当時のオウムを論じるとおかしくなるので注意が必要である。
このころ、教団内で通称「尾崎ビデオ」と呼ばれるビデオが作られた。タイトルを『戦いか破滅か』という。法皇官房が企画、究聖法院が実際の制作にあたったものだったと思う(郵政省はタッチしていないはずだ)。このビデオは、1994年から1995年の教団の方向性を決めたきわめて重要なビデオである。教団の暴走を知るには、このビデオをもう少し検討すべきではないかと思う。
尾崎豊の死の原因がアメリカにある、という内容から始まるこのビデオは、別名「反Aビデオ」とも呼ばれていた。この「A」とはアメリカのこと。まもなく日米戦争が始まり、アメリカが日本を再占領、そして日本人を滅ぼそうとしている、というプロパガンダビデオである。日本はすでにアメリカのコントロール下にあり、アメリカは「影の世界政府」の支配下にある。影の世界政府は世界人口30億人の大虐殺計画を持っており、その作戦の一貫として、日本を滅ぼそうとして攻撃してくる。尾崎はその計画に都合が悪いので暗殺された。そして、その「影の世界政府」・アメリカの攻撃には対抗して戦わなければならない。アフガニスタンやヴェトナムやキューバのようにレジスタンスを繰り広げなければならない。そして、その戦いを率いる救世主は、日本に現われる……(それが誰かはいわずもがな)……という内容だ。
はてな内に、このシナリオの冊子を文字化したデータがあったのでリンクしておく。
大国でも敗けるときは敗ける。結局勝負を決めるのはその集団のリーダーだからだ。間もなくこの日本に僕たちを勝利に導く魂があらわれる。時間はない。選択の時だ。
核や毒ガスやレ-ザ-兵器に対して逃げ場所はない。
そしてまだ、アメリカがそんなことをするはずがないという人はこのビデオをもう一度最初から見てほしい。
湾岸戦争はなかったのですか。
なぜ過去に起こったことが今後にないと言い切れるのですか。
もう一度。
戦いか、破滅か。選ぶのはあなたです。
影の世界政府=フリーメーソン=ユダヤの陰謀、という連鎖になるわけだが、この「反Aビデオ」・省庁制(法皇官房体制)がこの時期の教団を大きく変えたと思う。もちろん、それ以前からの流れ、プラズマ説法や毒ガス攻撃を受けているという説法の流れを引いてはいるのだが、ここで完全に教団は「アメリカに対する戦闘モード」に入っていたのである。オウム真理教は、日本を守るための最前線部隊であるというモードに入っていった。
ここで注意してほしいことがある。それは、あくまでも敵はアメリカや影の世界政府であり、「この日本に僕たちを勝利に導く魂があらわれる」とされているのである。つまり、日本の破滅を食い止めるために、日本のために戦うのがオウム真理教だと規定されていたのだ。
敵は日本ではない。
日本でクーデターを起こそうとしていたとか、日本政府や日本人を敵視していたという感覚はまったくなかったのだ。アメリカの手先となってしまっている公安という認識はあったが、オウムは日本を守るためにある。
少なくとも教団内ではそういう認識だった。だから、事件後「日本政府に対するクーデター計画」だとか「日本人への大量虐殺計画」みたいに言われても、信者がまるでピンとこなかったのは、ここにも原因があると思う。少なくとも僕はそうだった。なんで日本を守ろうとしていた団体が日本を攻撃しなければならないのか。アメリカへの攻撃計画ならともかく、日本が敵になるとは思ってもみなかったのだ。
敵はアメリカ。影の政府に操られた軍事超大国の魔手から日本を守ろうとしているオウムを、アメリカに心を売り渡した公安や一部の権力者が潰そうとしている――その大きなストーリーが信徒・サマナには共有されていたのだ。そのストーリーを広めようとした法皇官房やトップクラスの人間たちがどう考えていたのかは知らないし、何かをカモフラージュしようとしていたのかもしれないが、教団の内外に流布されたストーリーはこういうものだった。
それを単純にだまされていたと言って被害者面するつもりはない。このストーリーに自分の使命感のようなものがかき立てられたのは事実だからだ。来るべき日米戦争で日本をアメリカの攻撃から守るには、我々が立ち上がらなければならない! そう思わせるだけの迫力を持ったビデオだった。その使命感が、教団全体の勢いを作っていたのも事実だ。
そして、機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』は、この「反Aビデオ」の内容に沿って特集を組んだのである。
よく「サリンを撒く立場になったかもしれないだろう? それを反省せよ」という問いかけがあるが、そういう仮定の問題には答えにくい。しかし、あえて言うならば、日米戦争になって攻め込まれたとき、もしサリンを撒くことがその戦いの一環に含まれるなら、僕はおそらく米軍に対してサリンを撒いていただろう。あのころの勢いなら、たぶんそう思う(今はそういう気持ちはないことは念を押しておくが)。
ただ、それは、北朝鮮が攻めてきたとして、サリンが手元にあれば、多くの日本人が北朝鮮軍兵士に対してサリンを使うに違いない、というのと同じ意味である。
だが、それが東京の地下鉄に撒け、と言われたなら、そこで混乱が起きただろうと思うし、それ以前に、なぜ教団にサリンがあるのか、わけがわからなくなっていたはずだ。そもそも、自分にそういう裏ワークが回ってくること自体がおかしい。だから、それ以上はやはり仮定の上に仮定を重ねなければならないので、答えるのは難しい。
もう一つ、法皇官房の作ったものがあった。それが『ヴァジラヤーナ教学システム教本』である。教団で言うヴァジラヤーナの「五仏の法則」というものが説かれた。これが俗に「危険な教義」と呼ばれている教えである。実際には、この法則は思考実験としてはありえるものの、実際に実践できるかといえば、決してそんなことはない。極めて特殊な教えであるといえる。
しかし、それを教本としてまとめてしまったのが法皇官房だった。
当時、この冊子を見て、ヤソーダラー正大師は「郵政省を通していたなら、こんなものは絶対に出させないのに」と言っていたそうだ。つまり、ヴァジラヤーナ教本の存在そのものが、教団として異常な事態だった。