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2012/03/29

Vol. 41「自然も取り込み京都でロングステイ」-山田 淳

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山田淳(やまだ・あつし)/
登山ガイド・フィールド&マウンテン代表

1979年、神戸市生まれ。私立灘中学のワンダーフォーゲル部で屋久島に行き、登山、自然の魅力に目覚める。東京大学で山岳部に入り、アジア大陸・世界最高峰のエベレスト登頂をめざし、99年のキリマンジャロを皮切りに7大陸最高峰の踏破を重ね、2002年、最後のエベレスト登頂を達成。卒業後、3年半、世界的コンサルティング会社マッキンゼーに勤務し、2010年2月、「登山人口の増加」と「安全登山の推進」を掲げ、登山用具専門のレンタル宅配サービス「フィールド&マウンテン」を設立。「3回山に行けばきっと山好きになる。まず、手近な山に気軽に」と。

 屋久島のあの自然との出会いが、山登りにのめり込むきっかけでした。ぜんそくに悩み体の弱かったぼくは、灘中学に入った時、部活動で運動をして体をきたえようと考え、ワンダーフォーゲル部を選びました。体力的に自信がなく、人と競わなくてもいいというのが選択の理由だったのです。そのワンダーフォーゲルで、たちまちすばらしい自然の力と出会いました。夏合宿で先輩の高校生に連れて行ってもらった屋久島です。こんなにすごい自然があるのか!360度自然に囲まれ、いいようのない至福の感動に包まれたのです。屋久島にはまったぼくは、まだ知らない世界中の山や自然をもっと知りたい、体験したいと強く思いました。
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屋久島の自然の中で
 それからは、もうまさに登山、登山の毎日。部活のほかにも、家族旅行はすべて山。南アルプスや八ヶ岳などを訪ね、きょう登った山の向こうに見える山に来週は登ってみようといった有様で、さすがに両親は、ある時期から「もう勝手に行って」と…(笑い)。ところが、中3の時に阪神大震災が起こり、山どころではなくなってしまいました。その時期には、植村直己さん、沢木耕太郎さんや新田次郎さんの著作をよく読み、海外を舞台にした冒険旅行や登山に心ひかれ夢を膨らませていきました。それで、東京大学に入学すると、何の迷いもなく山岳部に。山岳部に入るとヒマラヤ遠征に加われるのです。税金で勉強させてもらうのに申し訳ないが、東大も山登りが全て。勉強の方も、単位とかで一番山に行きやすいということで経済学部にしたのです。
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キリマンジャロ(タンザニア)登頂
 目標は、ズバリ「エベレストに登りたい」だった。そのために、技術面とかスポンサー集めとかいろんな意味で実績作りが要ります。そこでぼくは、世界7大陸の最高峰踏破を考えました。国内の山でトレーニングを積み、一年生だった1999年、まずアフリカのキリマンジャロに登り、2000年は、南米のアコンカグアから始まり北米のマッキンリー、ヨーロッパ大陸のロシアにあるエルブルース。そして01年には南極のヴィソン・マシフに登り、ついに02年5月、国際遠征隊に加わって念願のエベレスト登頂を果たします。2年半で7大陸の最高峰を制覇し、23歳になったばかりで当時の最年少記録を更新しました。それからもあらゆる山に登り、もう山に骨を埋めてもいいと考えていました。登山ガイドも始め、卒業しなくても、山とつきあいながら生活していけるという風にはなっていたのです。気がつけば、大学生活も7年が経っていました。
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エルブルース(ロシア)にて
 実はぼくは、高校時代から起業欲というものを持っていました。何か、世の中に投げかけたい、と思っていたのです。ぼくの場合、そのフィールドが山だった。大学時代に始めた登山ガイドもそうですが、山を何とかビジネスに結び付けられないだろうかと考えたのです。ところが、ガイドは飯を食えても、ビジネスとしては広がっていかない。おなじみさんばかりが増えて、同好会のようになってしまい、ちょっと私が考えていた「登山人口を増やしたい」という事業にはつながっていかないのです。もっとビジネスモデルとかマネジメントとかきちんとしたものにしないと、と思ったのですが、とても当時の自分の実力では無理だと感じました。それで、全然違うところでビジネスを勉強したいと考え、卒業してマッキンゼーに入社したのです。入ってみるとマッキンゼーという会社は、想像以上に面白かったですね。3年半、米国や韓国、日本で、入社早々からマッキンゼーを背負った仕事を一人でやらせてくれました。商品開発やコスト管理などに没頭し、あんまりおもしろくて山のことも忘れてしまうほどだったのです。

 ところが、また、山に引き戻されることになります。2009年7月16日に起きた北海道のトムラウシ山の遭難事故。ガイドも含め9人がなくなるという大変な事故でした。そのことを知り衝撃の中で、自分の仕事は、登山業界を何とかする、だったのではないか―そんな思いがよみがえったのです。もう居ても立ってもいられず、何も具体的なものはなかったのですが、山の業界にもどるという使命感のようなものだけで、マッキンゼーを辞めました。そして10年2月には、登山用具のレンタルなど行う会社を立ち上げたのです。それは、具体的な事業のイメージのない中で、レジャー白書のデータを徹底して分析し、業界と登山を目指す人とのギャップを洗い出した結果に基づくものでした。データからは、500万人もの人が山に登りたいと思っていて、特に30代、40代の女性が多いと浮かびあがってきた。そのデータからわかった大事なことは、それまでの業界の常識では「安全でない、友達がいない」などの理由でその女性たちが山に行かないということだったが、大違い。「もっと手軽で安ければ」彼女たちは山へ行くということだったのです。このことを基に、登山用具のレンタル、フリーペーパー発行による情報提供、さまざまな観光業界とタイアップしたイベント提案―の3つをビジネスとしてスタートさせたわけです。始めてみて特にレンタル事業は想像を超える反応で驚きました。近年、「山ガール」がブームになっていますが、この事業が少なからず貢献したと自負しています。これからは、現在、富士山中心のお客さんたちをどのように別の山にも行ってもらうか、が課題になると考えています。
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エベレスト・ノースコル
 登山の事業化の中で考えているのは、今後、日本の産業に観光振興は大きな役割を担うことになるだろうということです。その意味で、日本を代表する観光地である京都の役割は大きい。何といっても京都の観光資源は圧倒的で、そこに日本のすばらしい自然を組み合わせ海外の観光客にロングステイしてもらう仕組みを作ることが、観光客を増やすことと同様に重要です。京都や奈良の独特の歴史や伝統文化、それに屋久島やアルプス、白神山地など豊かな自然の魅力が加われば、世界的に通用する観光資源になると思います。

フィールド&マウンテン

唐長文様「天平大雲」