締切り済みの質問
片山右京のパーティーが富士山で遭難死したのは記憶に新しいですが、
また雪山登山をして遭難したり死亡したりしているようですね。
遭難しても自分だけで対処するならまだいいですが、
警察や自衛隊や周囲の人に多大な迷惑とお金がかかっていて腹立たしくありませんか?
そもそも雪山は危険な場所なのですからわざわざ危険を犯してそうなるのは自業自得では?
ロマンなどとかっこつけ美化した自殺をしているようにも思えませんか?
いっそのこと雪山登山禁止にすればいいのではありませんか?
投稿日時 - 2010-01-06 11:56:01
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回答(16件中 1~5件目)
No.9です。
No.15さんのご意見にある「法的な救助義務」を見直さなければ「不必要な危険地域(冬山とは限りません)での行動」抑制できないというのが私の考えです。
確かに現場で「救助すべきかどうか」考慮するのは大変なことでしょう。
しかし、私は神戸大震災の被害者として申し上げれば公的機関がいかに最善を尽くしても救助できない・・つまり人手も機械もない・・事態をいやというほど見てきました。
あの時は「救助の義務」などと云っておられない状態がありました。大多数の人が「自助努力」「自己責任」で対処したのです。
No.15さんは「一般人」となっていますが、・・もし救助隊員などを経験された方でも、・・十分に予算があり、救助要員を好きなだけ養えるという前提でなければ、「救難救助は対象を選ばない」という原則は綺麗ごととしてしか成り立ちません。
昨今のように「税収」が入ってこないときに「救難救助は対象を選ばない」事を実現できるのか、救急車のたらいまわしの報道を見るまでもないでしょう。
その行動が生活上のものかレクリエーションあるいはスポーツのものか線引きが難しい事も納得は出来ますが「常識的」(その地方の風土も考慮して)に考えればわかるケースが大部分だと思います。
今の「法的義務」を制限することによりこの線引きも出来るようになります。
投稿日時 - 2010-01-13 20:21:39
少々、救難救助の原則を見失っているように思えます。
救助隊員には法的な救助の義務というものがありますので、その原則に対して整合性のある方法論、つまり現場における行動基準、といった視点がまったく欠けています。
一般的に、救助というものは、その義務の有無を判断する際にはおのずと事前の判断が求められます。
救助すべき対象なのかそうでないのか判断するための因果が前後しているのであり、救助に際しては、自己の能力と現場の状況に照らして救助の成功可能性と自己の安全へのリスクを考慮して「予断」による即座の決定が求められます。
一般人であれば、救助の義務といったものは限定的であり、そもそも能力等も及ばない場合が多いのですが、救助を職業とする公務員は重大な責務を背負っています。
彼らの現場での判断は「救助可能である場合は例外なく救助する」という原則下においても、その可能性に対してすら「身を危険に置いて救助すべきかどうか」という常に困難な決断を迫られているわけですが、ここに「救助対象とすべきかどうか」という、更なる「予断」を強いるのはあまりに酷というものです。
例えば、冬季に山岳救助要請があったとして、それが趣味の登山によるものであるのかどうかなどを確実に認定する方法は果たしてあるのでしょうか。
仮に公的救助義務を阻却するような状況を認め、その判断基準を全面禁止措置ないし事前登録制による限定許可制に委ねたとしても、非常時の判断とは常にレアケースへの対処である故、「予断」に対する担保とはなり得ません。
もし結果として「予断」に間違いがあったとすれば、救助隊員は不作為による責任に問われることになりかねませんし、そうでなくとも、「間違って救助されなかった人」は公的に殺されたも同然です。
そもそも、基準の設定自体に困難があります。
規制されるべき「冬山」とはいかなる客観的基準によるものでしょうか。
人家の点在する里山でも冬は危険です。
北国の山間集落の生活上の移動と冬登山との間にどのような線引きができるのでしょうか。
また、基準を設けたとして、それを監視して規制することは物理的に可能なのでしょうか。
基準化は不可能ではないにせよ、広く同意を得るのは困難であり、実現には相応の費用も要するでしょう。
レアケースなどまずあり得ないし想定が非現実的、という主張もあるかもしれません。
しかし、義務的に危険行為を犯さざるを得ないような状況もあれば、本人の意思に関わらずそのような状況が生じる可能性もあり得ます。
いったい誰が、「予断」しかなしえない救助の現場において「彼らは自己責任であるから救助義務の対象たりえない」と保障してくれるのでしょうか。
まずもって、救難救助は対象を選ばない、という普遍的な原則がなぜ存在するのかということをよく考えてみるべきです。
投稿日時 - 2010-01-13 17:34:36
tako_0006さん、こんにちは。
この手の話題になるとよく「交通事故や海水浴で溺れる方が危険度が高く、遭難は微々たるもの」という発言を見ます。
そこで、車の走る街中や海川の方が、登山より危険なのか、と思い簡単に調べみました。
日本全国年間の死者数は下記(年により変動があるので概算、なお水難と登山は行方不明含む)。
・交通事故5000人
・水難1000人
・登山250人
交通事故死の母集団は、日本の総人口1億2000万人になるので、0.004%。
水難の母集団を、死者の1000人が0.004%として求めると2500万人。
総人口の20%しか海川に行っていないとは思えないので母集団はもっと大きくなり、交通事故に比べて、水難での死者発生率は、低いと推測できます。
同じく、登山の母集団を、死者の250人が0.004%として求めると625万人。
様々な統計がありますが、登山人口は、600~650万人と言われていて、先に求めた母集団数とほぼ同数ですので、母集団として的外れな数ではないでしょう。
これにより登山は、水難より死者発生率が高く、交通事故と大差のない死者発生率と推測できます。
死者発生率:水難<交通事故=登山
また、「自己責任」という言葉、登山家の方はスゴイなと思いました。
登山遭難での救助費用は、当人に請求される、と言われていますが、全額ではありません。
警察や消防が行った捜索費用は、税金でまかなわれます。
これに使用される機材(ヘリ他)の設備投資、維持管理も、税金です。
(もちろん、登山遭難のみに使う機材ではないでしょうが)
民間のヘリを使用したり、警察が捜査を打ち切った後の分の捜索費用は、貯金があるのでしょう。
登山保険が、年間5000円で300万円程度の保証とすれば、たった1日分の捜索費です。
死んだとなれば、お葬式代、職場への迷惑、家族の精神的・経済的な負担。これらのケアにも、相当な用意が必要でしょう。
登山で亡くなった場合、生命保険って、出ないんでしたよね?
これだけの覚悟と用意をして、登山に行くのですから、頭が下がります。
登山の禁止は、登山関係の会社、出版社が大反対して、現実的ではありません。
自己責任をもっと徹底するためにも、登山遭難の救助費用は全額当人負担として、入山時に(敷金のように)預け入れ金を最低でも500万円くらい出すようにすれば、安易な登山が減るかと思います。
投稿日時 - 2010-01-07 12:01:08
お礼
私は特殊な雪山の場合単純な量差で推し量れないと考えるのですが反対のご回答が多いようです。
このご回答により実際の数量としても大変多いものだということを教えていただき大変良かったです。
やはり公的機関による分は私たちの貴重な税金を多額使用していますよね。
入山時の支払い金を敷金のようにして高額とするもの賛成です。
投稿日時 - 2010-01-07 18:52:37
雪山事故が起きる度、ウチの親父が「ふん、雪山登山なんて死にに行く様なもんだ」とブツブツ言っていました…。
他のスポーツ、レジャーと比べると、ダントツで危険極まりない行動であることは間違いありません(事故発生後の騒ぎ、迷惑度も含めて)。その分達成感は素晴らしいのでしょうが…。
すみません、回答になっていなくて…。
投稿日時 - 2010-01-07 06:45:39
お礼
アドバイスでも大いに結構です。
年配者なら教育も厳しかったでしょうし、
武士道のようなことも身についているのかもしれませんね。
ですが昨今の中高年登山ブームにつれ、
夏山がいけたから雪山もと安易に考える方もいるそうです。
投稿日時 - 2010-01-07 18:46:26