スポーツの功罪の評価は難しいが、逃げずに考えよう
スポーツ倫理を問う
友添秀則、近藤良享共著
大修館書店 2000年9月20日刊、B6判、242頁、1800円
今年もさまざまなスポーツ界に関わる犯罪が報道された。最近では、オリンピック選手2人が協力しての無免許運転替え玉作戦とか、球界の紳士が集まったチームメンバーによる女性傷害事件とか、もちろんオリンピック関係でも枚挙にいとまなしの賑やかさだ。いずれも、世の中のすごい犯罪(バスジャックとか、連続放火とか、組織的覚醒剤販売とか、保険金連続殺人とか、億以上単位の業務上横領とか)に較べると、報道される活字の大きさの割にはスケールが小さいのだが、数は多いように思える。
2000年11月10日の朝日新聞朝刊スポーツ欄を見ると、日本学生野球協会決定による14件の処分が掲載されている。たぶん、処分されるのは明るみに出たからで、知られざるいろいろがごまんとあるのだろう。
このような処分が新聞で報道されるのは、ほとんどが野球部で、他の競技ではときどき、部内暴力事件が傷害、殺人、入賞者の替え玉事件などが報道されるだけだ。野球の処分では、部員の喫煙による警告処分が掲載されているが、今や喫煙で警告していたら高校の運動部のほとんどが警告を受けなければならないだろう。朝日新聞は「処分」の特集号を発行しなければならなくなる。思うに、処分をくらってしまったのは、相当悪質であった(例えば、公式試合のダッグアウトで思わず喫煙してしまったとか)のではなかろうかと推測つかまつる。
話が漫談の方向に逸れてしまったので、元に戻そう。
小生がここで考えるのは、マスコミを見ている分には、犯罪や、ルール違反を起こす割合が、スポーツマンとそうでない人とではどちらが多いのだろうか、という疑問である。
ここで一つの例として、帝京大学ラグビー部員による集団強姦事件を考えてみよう。集団で強姦するというくらいだから、グループという単位がこの場合キーワードになる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」ではないが、おそらく個人が強姦を犯す確率より、集団(会社、学校、町内会等の社会的集団は埒外)が強姦を犯す確率の方が高いのではないかと思う。特に結束力の強い集団ほど犯罪を犯す確率が高まるような気がする。こう仮定すると、運動部というのは、かなり犯罪を犯しやすい組織であるという結論に導かれる。
以上のようなことは、本書には書いてない。これは本書を読んでいて小生が個人的に思ったことだ。そんなふうに考えさせられることが、実は現在のスポーツ界には実に多いということを教えられる。
スポーツには、相容れない理想が求められていることが多い。
「正々堂々」の試合態度が求められる一方で、ゲームのスキルそのものが詐欺的な技術を要求するスポーツは多い。「参加することに意義がある」のか「メダルを取ることに意義がある」のか国論を統一させた国はいまだかつてないだろう。「健全な精神が宿る健全な身体」を作るはずのスポーツだが、たいていのスポーツは、偏した身体を作る(太った方が有利とか、やせた方が有利とか、利き腕ばかり強くなるとか)。
一口にスポーツといっても、さまざまなレベルがあり、種目があり、目的がある。このさまざまな要素が、アマプロの垣根が取り払われ、男女間の溝も埋められつつあることによって、たいへんに混沌とした状況に陥っているのが現在のスポーツ界の有様だと思う。
見せ物としてのスポーツ、営利のためのスポーツ、就職のためのスポーツ、健康のためのスポーツ、コミュニケーションのためのスポーツ、娯楽としてのスポーツ、ひまつぶしのためのスポーツ、社会教育のためのスポーツ、消費創出のためのスポーツ、利権のためのスポーツ、精神修養のためのスポーツ、宗教の代替としてのスポーツ、闘争の代替としてのスポーツ、自己満足のスポーツ、サド・マゾ的快感を味わうためのスポーツ……。これらの目的ごとに、さまざまなスポーツの種目やそのトレーニング方法、大会のあり方、システムの形などがあるのではないだろうか。
本書は、数多くの例証と示唆を与えてくれる。これを入口として、さらに多くの方々、特に早急には青少年の教育に携わっている方々が広く深く、スポーツをどう子供たちに与えるのか、研究を深めて欲しいと思う。
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