ソードアート・オンライン 外伝4 『絶剣』
2
「な……ええ……?」 アスナはもう訳がわからず、間抜けな声を漏らすことしかできなかった。 「あ、あの……デュエルの決着は……?」 「こんだけ戦えば、ボクはもう満足だよ。お姉さんは最後までやりたい?」 笑顔でそう言われては、アスナも首を横に振るしかない。どちらにせよ、絶剣が最後の一撃を止めなければ、アスナのHPは確実にゼロになっていたのだ。少女は嬉しそうに大きく頷くと、言葉を続ける。 「ずっと、ぴぴっとくる人を探してたんだ。ようやく見つけた! ね、お姉さん、まだ時間だいじょうぶ?」 「う……うん。平気だけど……」 「じゃ、ボクにちょっと付き合って!」 絶剣は涼やかな音を響かせて腰の鞘に剣を収めると、勢い良く右手を差し出した。アスナもとりあえず剣を鞘に戻し、おずおずとその手を取る。 途端、絶剣は背中の翅を大きく広げると、ロケットのような勢いで地面を蹴った。 「わっ」 慌ててアスナも翅を広げ、宙に浮き上がる。 「ちょっと、どこいくのよアスナ!」 甲高い声に振り向くと、リズベットが驚き半分呆れ半分と言った顔で手を上げていた。 「え、えっと……あとで連絡するー!」 答えるのと、絶剣が両の翅を輝かせて猛ダッシュに入るのはほぼ同時だった。アスナは右手を引っ張られながら、懸命に背中の翅を震わせて、謎めいた少女剣士のあとを追った。
絶剣は61層の湖の上空を一直線に南下すると、アインクラッド外周の開口部から躊躇なく外に飛び出した。 「わぷっ!」 途端に濃密な雲の塊がアスナの顔を叩く。白一色の空間をさらに数秒突き進むと、不意に雲が切れ、セルリアンブルーの空が無限に広がった。 視界の遥か右下方には、雲の層を貫いて緑色の円錐が伸びているのが見える。アルヴヘイム中央にそびえる世界樹の先端だ。視線を動かして真下を見ると、青く霞む地表が薄っすらと見て取れる。海岸線を丸く抉ったような湾の形状からすると、現在アインクラッドはウンディーネ領の上空を飛行中だったらしい。 一体どこに行くつもりなのか、と思ったとき、前を飛ぶ絶剣が急に上昇に転じた。 体を半回転させると、目の前にアインクラッドの湾曲した巨体が絶壁のように屹立している。ひとつ百メートルの高さを持つ層を次々に横切って、絶剣は尚も高みを目指して飛び続ける。 ――と言っても、巨大浮遊城の外周部を自由に出入りできるのは、すでに攻略された層に限られている。未踏破層の外周は不可侵領域になっているのだ。心配になったアスナは、それを確認しようと口を開いたが、叫ぶべく息を吸い込んだところで再び飛翔角度が九十度変わった。 絶剣が目指しているのはどうやら67層のようだった。アスナの記憶が正しければ、現在の最前線だ。苔むした外壁の隙間を縫うように、すぽんと内部に飛び込むと、いきなり周囲が暗くなった。 アインクラッド67層は常闇の国だ。外周の開口部は極端に少なく、昼間でも差し込む陽光は無いに等しい。内部はごつごつした岩山がいくつも上層の底まで伸び、そのそこかしこから生えた巨大な水晶の六角柱がぼんやりとした青い光を放っている。印象としては、アルヴヘイム北方のノーム領を構成する地底世界に近い。 スプリガンと並んで暗視能力に秀でたインプの少女は、アスナの手を引いたまますいすいと岩山の間を飛翔していく。時折前方に、飛行モンスターであるガーゴイルの集団が姿を現すが、戦闘を行う気は無いようで、敵群の索敵範囲を巧みに避けて翔び続ける。 やがて出現した深い谷に飛び込み、尚も低速で一分ばかり飛ぶと、円形に開けた谷底に貼り付くように小さな街が見えた。67層主街区の、名前は確か『ロンバール』だ。 岩の塊からまるごと掘り出したようなその街は、細い路地やら階段やらが複雑に絡み合っており、それらをオレンジ色の灯りが照らし出している。寒々とした夜の底にぽつりと燃える焚き火のように、どこかほっとする光景だ。 絶剣とアスナは、紫と水色の軌跡を闇に引きながら、街の中央の円形広場目指してゆっくりと降下していく。 街区圏内に入った証である穏やかなBGMが耳に届き、かすかなシチューの香りが鼻をくすぐった――と思ったときには、靴底がすとんと石畳を叩いていた。 アスナはふう、と息をついて、とりあえず周囲を見回した。ロンバールは、夜の精霊たちの街、というコンセプトに添って巨きな建物はひとつも存在しない。青みがかった岩造りの小さな工房や商店、宿屋がぎっしりと軒をつらね、それらをオレンジ色のランプが照らし出す光景は幻想的な美しさと夜祭り的な賑わいを同居させている。 旧SAO時代のこの街は、層の攻略にこそ手間取ったものの、さして重要な施設もないせいで、人が集まった時期はごく短かった。アスナも数日逗留した記憶しかない。 しかし今は、攻略最前線だけあって多くのプレイヤー達が装備を鳴らして闊歩している。皆がひとくせふたくせありそうな、つわものめいたオーラを漂わせており、それを見るアスナの胸に懐かしさとほろ苦さが入り混じった感慨が去来した。 森の家を手にいれるため、22層までは常に前線に立ちつづけたアスナだが、それ以降の層ではほとんどボス攻略には参加していない。街開きのカタルシスは、新規に浮遊城での冒険を楽しんでいるプレイヤー達が味わうべきだと思うし、最前線にいると思い出すのは楽しいことばかりではないからだ。 目をつぶり、軽く髪を払って感傷を振り落とすと、アスナは隣に立つ絶剣を見やった。 「わたしに用って、なに? ここに何かあるの?」 訊くと、絶剣はにっと笑みを浮かべ、再びアスナの手を取った。 「その前に、まずボクの仲間に紹介するよ! こっち!」 「あ、ちょ……」 たったか駆け出す絶剣の後を追い、アスナは広場から放射状に伸びる狭い路地のひとつに潜りこんだ。 小さな階段を登り、降り、橋を渡りトンネルをくぐり、着いた先は一軒の、宿屋とおぼしき店の前だった。「INN」の文字と大釜を象った鋳鉄製の吊り看板が揺れる戸口をくぐり、居眠りする白髭のNPCの横を通り抜けて奥の酒場兼レストランへと足を踏み入れる。その途端―― 「おかえり、ユウキ! 見つかったの!?」 はしゃぐような少年の声が、二人を出迎えた。 酒場の中央の丸テーブルには、五人のプレイヤーが陣取っていた。他に人影はない。絶剣はすたすたと彼らの前に歩み寄り、くるりとアスナのほうに振り向いた。すっと右手を横に伸ばし、 「――紹介するよ。ボクのギルド、『スリーピング・ナイツ』の仲間たち」 再び半回転し、今度はアスナを手で示して、 「で、このお姉さんが――……」 そこで一瞬言葉に詰まる。ぎゅっと首をすくめると、おおきな瞳を回しながらぺろりと舌を出した。 「……ごめん、まだ名前聞いてなかった」 だああっ、と五人のプレイヤーが椅子の上でコケる。その様子にアスナは思わずくすりと笑いながら、ぺこりと一礼して名乗った。 「わたし、アスナといいます」 すると、アスナから見ていちばん左に座っていた、小柄なサラマンダーの少年が立ち上がった。頭の後ろで小さなシッポに結ったオレンジ色の髪を揺らして、元気な声で言う。 「僕はジュン! アスナさん、よろしく!」 その隣は、ノームの巨漢だった。砂色の癖っ毛の下に、にこにこと細められた糸目が愛嬌を沿えている。突き出たお腹を無理矢理ひっこめるようにぺこりと頭を下げ、のんびりした口調で名乗った。 「あー、えーっと、テッチって言います。どうぞよろしく」 続いて立ったのは、ひょろりと痩せたレプラホーンの青年だった。きちんと分けた黄銅色の髪と、鉄ブチの丸眼鏡が学生めいた印象を与える。小さな丸い目を一杯に見開き、かくんと腰を折ってから、なぜか赤面しながら慌てたようにまくしたてる。 「わ、ワタシは、そ、その、タルケンって名前です。よ、よ、よろしくお願いし……イッテ!!」 語尾に悲鳴がかぶったのは、彼の左に座っていた女性プレイヤーが、重そうなブーツでむこうずねを蹴飛ばしたからだ。 「いいかげんその上がり性なおしなよタルは! 女の子の前に出るとすぐこれなんだから」 威勢のいい口調で言うと、ガッタンと椅子を鳴らして立ち上がった。目を丸くするアスナに向かって顔中でにいっと笑いかけ、太陽のように広がった黒髪をぐしゃぐしゃかき混ぜながら名乗る。 「アタシはノリ。会えて嬉しいよ」 浅黒い肌と灰色の翅を見る限りスプリガンのようだが、ぐいっと太い眉ときりりとした目、厚めの唇、骨太の体格には影妖精族のイメージはあまり無い。 そして、最後のひとりは、アスナと同じくウンディーネの女性プレイヤーだった。ほとんど白に近いアクアブルーの髪を両肩に長く垂らし、伏せた長い睫毛の下には穏やかな濃紺の瞳が輝いている。すっと長く通った鼻梁に艶やかな唇、驚くほど華奢な身体は、本来治療師としての能力に秀でる水妖精族のイメージにぴったりだ。 女性はふわりとした動作で立つと、落ち着いたウェットな声で自己紹介した。 「はじめまして。私はシーエンです。ありがとう、来てくれて」 「んで――」 最後に、五人の右に立った絶剣が、おおきな瞳をきらきら輝かせながら言った。 「ボクが、いちおうギルドリーダーのユウキです! アスナさん……」 がっしとアスナの両手を取り、 「一緒にがんばろう!」 「えっと……何をがんばるのかな?」 笑いをこらえながらアスナが訊くと、絶剣ことユウキはきょとんとした顔をしてから、再びぺろりと舌を出した。 「そっか、ボクまだなんにも説明してなかった!」 ずこーっ! と再度五人が椅子の上に崩れ落ちる様子を見て、アスナはついに吹き出してしまった。お腹をかかえてくっくっと笑っていると、やがてユウキと、残り全員も大声で笑い出す。 どうにか笑いを飲み込もうと苦労しながら、アスナはもう一度『スリーピング・ナイツ』のメンバーをぐるりと見回し――そして、かすかに背筋をぞくぞくと走るものを感じた。 全員が全員、凄まじい手練だ。何気ない一挙手一投足の滑らかさを見ただけで、アスナには判る。六人とも、VR世界での動きに完全に慣れきっている。恐らく武器を取れば、絶剣に近いレベルの強さを発揮するに違いない。 これほどの凄腕集団が存在することを、アスナも、おそらくキリトやリズたちもまるで知らなかった。仮に全員が、絶剣と同じく他世界からコンバートしてきたとすれば、元のVRワールドではさぞかし名の通ったチームだったに違いない。 慣れ親しんだVR体と全アイテムを捨ててまで、ALOに移住してきた理由はなんだろう……とアスナが考えていると、ようやく笑いを収めた絶剣――ユウキが、赤いカチューシャを飾った頭をぽりぽりかきながら、申し訳なさそうに言った。 「ごめんね、アスナさん。訳も言わずにこんなとこまで連れてきちゃって。ようやくボクと同じくらい強い人みつけたんで、嬉しくて、つい……。えーと、あらためてお願いします。ボクに……ボクたちに、手を貸してください!」 「手を……貸す?」 首を傾げて繰り返しながら、アスナは、頭のなかでいろいろな想像を瞬時に巡らせた。 単純な、お金やアイテム、スキルアップポイント目的の狩りの手伝いということはないだろう。これほどのハイレベル・ギルドに、今更アスナが一人加わったところで出来ることはたかがしれている。 同様に、特定のレアアイテムやプレイヤーハウスを入手するという目的も考え難い。情報自体が高額で取引されていた旧SAOとは違い、ALOには無償で攻略情報を載せている外部ウェブサイトが山ほどある。それらを参考に腰を据えて取り組めば、ほとんどのアイテムはいずれ取得できるはずだ。 有り得るとすれば、絶剣がアスナに求めた「強さ」というのは単純な数値的能力ではなく、戦闘の駆け引きを含めたノウハウ全般ということなのだろうか。となると、それがもっとも必要とされるのは、対モンスターではなく対プレイヤー戦である。しかもギルドに紹介したということは、絶剣が今まで行ってきた一対一のデュエルではなく、集団による大規模戦闘――平たく言えばどこかのギルドとノールールで殺しあうということだ。 そこまでを一瞬で考え、アスナはわずかに唇を噛んでから、おずおずと口を開いた。 「あの……もし、他のギルドとの戦争の手伝いだったら、悪いんだけど……」 試合形式の大会や、システムに則ったデュエル以外の対人戦は、どうしてもあとに感情のしこりを残すことになる。もちろん、一時のぶつかり合いを長々と根に持つプレイヤーは少数派だが、それでもアスナ本人のみならず周囲の友人たちにまで後々迷惑をかけることになる可能性は否定できないのだ。 よって、アスナはたとえ狩場で理不尽なマナーレス行為を浴びせられようとも、プレイヤー相手には絶対に剣を抜かないようにしている。 そのことを、どうにか簡潔に説明しようと、続けて口を開いた。だが、絶剣は一瞬ぱちくりと目を見開いてから、ぶんぶんと首を振った。 「ううん、違うよ、どっかと戦争とかそんなんじゃないんだ。えっとね……その、ボクたち……笑われるかもしれないんだけど……」 ふいっとうつむき、はにかむように唇をもごもごさせてから、上目遣いにアスナを見た絶剣は、まったく思いもよらないことを口にした。 「……あのね、ボクたち、この層のボスモンスターを倒したいんだ」 「は……はあ!?」 アスナは完全に意表を突かれ、素っ頓狂な声を上げてしまった。 「ボス……ボスモンスターって、迷宮区のいちばん奥にいるやつ……? 時間湧きのフラグドモブとかじゃなくて?」 「うん、そう。一回しか倒せない、アレ」 「うーん……そっか……ボスかぁ〜〜」 絶句しながら残り五人のギルドメンバーの顔を見回すと、全員が目をきらきらさせながら、アスナの返事を待っているようだった。どうやら本気らしい。 「それは……まあ、ゼッ……じゃない、ユウキさんたちの強さなら……」 ぱちぱちと何度も瞬きしてアタマを切り替え、実際的なボス攻略の可能性について考える。 「そうだね……お金はかかるけど、あと35人くらい集めて、えーと、6パーティー程度の態勢を組めれば、不可能じゃないと思うけど……」 すると、絶剣はさらにもじもじしながら、再度首を左右に動かした。 「えっとね……それじゃ、ダメなんだ。僕たち六人と、アスナさんだけで倒したい……んだけど……どうかな……」 「えぇ!?」 もう一度おおきな声を出してしまう。 新生アインクラッドに配置されているフロア守護モンスターは、旧SAOと比べると、やけくそなまでの強化を施されている。もちろんゲームシステムが大幅に変わっているので単純な比較はできないが、旧時代のボスたちのほとんどが、ひとりの死者も出さずに攻略可能だったのに対して、新ボスモンスター群は超強力な通常・特殊攻撃によってプレイヤーたちをたんぽぽの綿毛のように吹き散らしていく理不尽な強さを誇っているのだ。 当然、攻略のための作戦も変わらざるを得ない。可能なかぎりの人数を集め、死者が続出するのを見越してヒーラーの層を厚くする。ひとりが与える10のダメージより、10人で12のダメージを与えることを重視する。アスナが最後に参加したボス攻略戦は21層のものだが、そんな低階層でさえ、仲間を総動員した21人3パーティー態勢が全滅寸前まで行ったのである。 ボスの強さは、当然階層が上がるごとに増加している。徐々に終盤が見えつつある65、66層あたりは、有力な大ギルドがいくつも協定を結んで、ようやく攻略したのだと聞いた。 つまり、いくら強者ぞろいとは言ってもたかだか7人でボスを倒そうというのは無茶もいいところなのだ。 アスナは、言葉を選びながら手短にそのへんの事情を説明した。 「……っていうわけだから……7人っていうのは、ちょっと無理かなあって思うんだけど……」 言葉を切ると、ユウキたちは互いに顔を見合わせ、なぜか全員が照れたように笑った。代表して、ユウキが口を開く。 「うん、ぜんぜん無理だった。実は、65層と66層のボスにも挑戦したんだ」 「えー!? ろ……6人で!?」 「そう。ボクたち的にはけっこうがんばったつもりだったんだけど……どうしてもMPと回復アイテムがもたなくて。あれこれ言ってるうちに、でっかいところに倒されちゃった」 「そ……そっかあ……。本気なんだね」 アスナはもう一度ゆっくりと6人の顔を見た。確かに無謀な挑戦もいいところだが、そういう気概そのものは嫌いではない。ゲームに慣れすぎたプレイヤーは、出来ること、出来ないことにすぐ見切りをつけたがってしまうものだ。『スリーピングナイツ』がもつエネルギーは、アスナの目にはとても新鮮なものに映った。 「でも……何で? どうしてそこまでしてボスを倒したいの?」 ボスを倒せば、尋常ではない額のユルドと、希少な武具、アイテムを手に入れることができる。だが、その動機は、どこかこの6人はそぐわないような気がした。 「えっと……えっとね」 ユウキは、アメジスト色の瞳をいっぱいに広げて、何ごとかを言おうと口を動かした。しかし、言葉が出てこない。何かが胸に詰まったように、幾度も唇を開いたり、閉じたりするが、言うべき言葉がなかなか見つからないようだった。 と、ユウキの隣にいた長身のウンディーネ、シーエンと名乗った女性が、助け舟を出すように声を発した。 「あの、私から説明します。その前に、どうぞ、座ってください」 アスナを含めた7人がテーブルにつき、NPCにオーダーした飲み物が並んだところで、シーエンは卓上でしなやかな指を組み合わせ、落ち着いた声で喋りはじめた。 「実は、私たちはこの世界で知り合ったのではないんです。ゲーム外のとあるネットコミュニティで出会って……すぐに意気投合して、友達になったのです。もう……二年ほども経ちますか」 睫毛を伏せたまま、何かを思い出すように一瞬言葉を切る。 「最高の仲間たちです。みんなで、色々な世界に行って、色々な冒険をしました。でも、残念ですが、私達が一緒に旅を出来るのもたぶんこの春までなんです。みんな……それぞれに忙しくなってしまいますから。そこで私達は、解散するまえに、ひとつ絶対に忘れることのない思い出を作ろうと決めました。無数にあるVRMMOワールドの中で、いちばん楽しく、美しく、心躍る世界を探して、そこで力を合わせて何かひとつやり遂げよう、って。そうしてあちこちコンバートを繰り返して、見つけたのがこの世界なのです」 シーエンは仲間たちの顔を順に見回した。ジュン、テッチ、タルケン、ノリ、ユウキの五人は、それぞれ顔を輝かせて大きく頷く。シーエンもふわりと微笑し、続ける。 「この世界――アルヴヘイム、そしてアインクラッドは素晴らしいところです。美しい街や森、草原、世界樹――そしてこの城をまわりを、皆で連れ立って飛んだことを、全員永遠に忘れることはないでしょう。望むことは、あとひとつ……この世界に、私達の足跡を残したい」 ほとんど閉じられた瞼のおくで、シーエンの藍色の瞳が真剣な光を帯びる。 「ボスモンスターを攻略すれば、はじまりの街にある黒鉄宮、あそこの『剣士の碑』に名前が残りますよね」 「あ……」 アスナは一瞬目を見開いてから、大きくこくんと頷いた。昔のことなので忘れていたが、確かにボスを倒したプレイヤーの名前は黒鉄宮に記録される。アスナ自身も、21層の欄に名を残している。 「その……自己満足もいいところですけれど、私達、どうしてもあの碑に名前を刻んでおきたいんです。でも、問題がひとつあります。ボスを攻略したのが一パーティーなら、その全員の名前が記録されるのですが、パーティーが複数になってしまうと残るのはパーティーリーダーの名前だけになってしまうのです」 「そ……そっか。うん、確かにその通りですね」 アスナもこくんと頷く。 「つまり、全員の名を残そうと思ったら、挑めるのは一パーティーだけということになってしまいます。私達、65層と66層で一生懸命がんばったんですが、どうしてもあと少しが及ばなくて……。そこで、みんなで相談して決めたのです。パーティーの上限人数は7人なので、あとひとりだけ空きがあります。僭越な話ですけど、私達の中で最強のユウキと同じかそれ以上に強い人を探して、助けてくれるようにお願いしてみよう、って」 「なるほど……。そういうことだったんですか」 アスナはひとつこくんと頷き、視線を白いテーブルクロスの表面に落とした。 『剣士の碑』に名前を残す。その望みは理解できる。 VRMMOに限らずネットゲームというものはプレイヤーに多くの時間を要求するため、進学や就職といった理由によって、春ごろに引退していく者は多い。必然的に、何年も存続した親密なギルドが解散を余儀なくされることもあるだろう。その思い出を、この世界が続くかぎり残る記念碑に刻んでおきたいと思うのは自然なことだ。 ほかならぬアスナ自身も、果たしていつまでALOを続けられるかわからない状況だ。母親がこれ以上強硬な態度に出れば、アミュスフィアの使用そのものを禁じられるかもしれない。残る時間が有限なら、その一分一秒を濃密なものにしたい、という思いは彼らと共通している。 「……どうでしょう? 引き受けてはもらえませんか? 私達は、コンバートしてまだあまり経っていないので、お礼がじゅうぶんできないかもしれないんですが……」 金額を提示すべくトレードウインドウを操作しようとするシーエンを、アスナは両手で制止した。 「あ、いえ、どうせ経費が山ほどかかりますから、手持ちのお金はそっちに回したほうがいいです。報酬は、ボスから出たものを何かもらえればそれで……」 「じゃあ、引き受けてもらえるんですか!?」 シーエンと、残り五人の顔がぱっと輝く。 「え……ええと……」 アスナは軽く唇を引き結び、作戦成功の可能性を考えようとした。 遥かな昔、今はもうないギルドのサブリーダーとして、沢山のボスモンスターの攻略作戦を立案したときの記憶が甦ってくる。当時は、限られた人員とアイテムを懸命にやりくりして、絶望的な戦いに乗り出していったものだ。他の攻略ギルドやソロプレイヤーたちと何時間も討議し、怒鳴りあい、時には地面に手をついて助力を乞うたこともある。そこまでの苦労をしたのは、あの世界ではひとつどうしても堅守しなくてはいけない条件があったからだ。つまり、一人の死者も出さないこと。 しかしもう、すべては変わったのだ。今のこの世界でプレイヤーに与えられた義務そして権利はたった一つ、楽しむことだけだ。勝算がないからと言って退くのは、果たしてゲームを楽しんでいることになるのだろうか。ユウキたちは、すでにたった六人で65、66層のボスモンスターに挑み、しかも善戦したらしい。 失敗することをあれこれ考えるよりも、とりあえず、ぶつかってみる。そんな無鉄砲なゲームプレイはずいぶん長い間していないような気がした。どうせ、全滅したところで失うのは少々の経験値だけだ。 「……やるだけ、やってみましょうか。成功率とかは置いといて」 アスナは顔を上げて、いたずらっぽく微笑みながら言った。真っ先に歓声を上げたのはユウキだった。両手で、テーブルのうえのアスナの右手をがしっと包み、大きな瞳をいっぱいに見開く。 「ありがとう、アスナさん! 最初に剣を打ち合ったときから、そう言ってくれると思ってた!」 「そ、それはちょっと買い被りすぎかも……。あと、アスナって呼んでくれていいよ」 「ボクもユウキって呼んで!」 我先にと手を差し出してくるほかの五人ともそれぞれかたく握手を交わす。 新たに注文したジョッキでの乾杯が一段落したところで、アスナはふと浮かんできた疑問をユウキに向かって口にした。 「そういえば、ユウキちゃ……ユウキはデュエルで強い人を探してたんだよね?」 「うん、そうだよ」 「それなら、私の前にも、強い人はいっぱいいたと思うんだけどなあ。特に、つんつん頭で大剣使いのスプリガンのこととか、憶えてない? 多分、その人のほうが、わたしより助けになると思うんだけど……」 「あー」 それだけでユウキはキリトのことに思い至ったようだった。こくこくと頷き、何故かむずかしい顔で腕を組む。 「憶えてる。確かにあの人も強かった!」 「じゃあ……どうして助っ人を頼まなかったの?」 「うーん……」 珍しく口ごもってから、ユウキはちらりと不思議な笑みを浮かべた。 「やっぱり、あの人はダメ」 「な……なんで?」 「ボクの秘密に気付いちゃったから」
ユウキも、シーエンたちもそのことについては語りたくないようだったので、それ以上追求はできなかった。おそらくその秘密というのは、絶剣ことユウキの突出した強さに関連することと思われたが、アスナにはまるで見当もつかなかった。 首を傾げていると、話題を変えようとするかのように、レプラホーンのタルケンが丸眼鏡を押し上げながら言った。 「それで……攻略の、具体的な手順は、ど……どうなるんでしょう?」 「あ……ええっと……」 喉元にひっかかる疑問を、ジョッキの果実酒で飲み下し、アスナは人差し指を立てた。 「まず、大事なのは、ボスの攻撃パターンを把握することなの。避けるべきところは避け、護るべきは護り、攻めるべきところを全力で攻めれば、勝機が見えるかもしれない。問題は、その情報をどうやって得るかってことだけど……多分、ボス狩り専門の大ギルドには聞いても無駄でしょうね。一度は、全滅を前提に挑戦してみないとだめだと思う」 「うん、ボクたちは大丈夫だよ! ただ……前の層でも、その前でも、ぶっつけ本番で全滅したあと、すぐに他のギルドに攻略されちゃったんだ」 ユウキがしゅんとした顔をすると、テーブルの反対側で、サラマンダーの少年ジュンがギザギザした眉毛をしかめて言葉を繋いだ。 「三時間後に出直したらもう終わってたんだよなー。気のせいかもしれないけど……なんか、僕らが失敗するのを待ってたみたいな……」 「へえ……」 アスナは口もとに手を当てて考え込んだ。最近、ボス攻略に関していろいろなトラブルが発生しているとは噂に聞いていた。大規模なギルド同盟による専横が過ぎるというのが主な内容だが、そんなところが果たして6人程度のギルドに注意を払うだろうか。 「うーん、じゃあ一応、全滅したらすぐに再挑戦できるように準備を整えておきましょう。みんなの都合がいいのはいつなのかな?」 「あ、ゴメン。アタシとタルケンは夜だめなんだ。明日の午後一時からはどうかなあ?」 大柄なスプリガンのノリが、頭をかきながらすまなそうに言う。 「うん、わたしは大丈夫。じゃあ、あした一時にこの宿屋に集合でいい?」 オッケー、了解、と口々に頷く面々に向かって、アスナはもう一度笑いかけると、大きな声で言った。 「――がんばろうね!」
名残惜しそうに、本当にありがとうと繰り返すユウキの頭をぽふぽふと撫で、宿屋を後にしたアスナは、ひとまずリズベット達のところに戻ることにした。思わぬ成り行きのことを話せば驚くだろうなあ、とわくわくしながらロンバールの中央広場にある転移門を目指して早足に歩く。 覚束ない記憶を辿りながら隘路を抜け、ようやく目の前に賑わう円形広場が出現した、その時だった。 ブツン、とまるでスイッチを切ったように、世界が暗くなった。感覚の全てが消滅し、アスナはまったき闇の中に放り出された。
* * *
底無しの穴に放り込まれたような、急激な落下感覚に襲われ、きつく奥歯を噛み締める。唐突に天地の方向が九十度切り替わり、背中にぐいっと圧力がかかる。次いで、五感のスイッチがばちんばちんと乱暴に再接続されていくショックに、アスナは全身をかたく強張らせてこらえた。 二、三度まぶたを痙攣させてから、霞んで涙がにじむ眼をどうにか押し開くと、自室の天井がぼんやりと見えた。 馴染んだベッドの柔らかさが、ようやく身体の背面に伝わってくる。浅い呼吸を何度も繰り返すうち、神経系の混乱は徐々に収まっていった。 一体、何があったのだろう。瞬間的な停電か、もしくはアミュスフィアに何らかの障害が――と思いながら、腕に力をこめて上体を起こし、ヘッドボードのほうに振り返って、明日奈は唖然と口を開けた。ベッドの傍らには、険しい表情を作った京子が立っており、右手をアミュスフィア本体の上部に置いていた。 異常切断の理由は、京子がマシンの電源を落としたせいなのだ、と悟って、明日奈は抑えきれずに声を荒げていた。 「な……なにするのよ母さん!」 だが、京子は眉間に深い谷を刻んだまま、無言で北側の壁に目をやった。明日奈もその視線を追い、埋め込み型の時計の針が、6時半を5分ほど回っていることに気付く。 思わず明日奈が唇を引き結ぶと、京子はようやく口を開いた。 「先月食事の時間に遅れたとき、お母さん言ったわよね。今度、このゲーム機を使ってて遅れたら、スイッチ切りますからね、って」 その、どこか勝ち誇ったように聞こえる口調に、反射的に大声で言い返しそうになる。俯いてその衝動をどうにか飲み込んでから、明日奈は低く震える声で言った。 「……時間を忘れてたのはわたしが悪かったわ。でも、だからって電源切らなくてもいいじゃない。身体を揺するか、耳もとで大声で呼んでもらえれば、中に警報が届くから……」 「前にそうしたら、あなた目を醒ますまで5分もかかったじゃないの」 「それは……移動とか、挨拶とかいろいろ……」 「何が挨拶よ。わけのわからないゲームの中での挨拶を、本物の約束事より優先させるの、あなたは? お食事が冷めちゃったら、せっかく用意してくれたお手伝いさんに悪いとは思わないの?」 たとえゲームの中でも相手は本物の人間なのよ、それに母さんこそ、大学に行ってるときはよく電話一本で料理を丸ごと無駄にさせるじゃないの――と、いくつもの反論が頭を過ぎった。しかし明日奈は再び下を向き、震える息を深く吐いた。かわりに出てきたのは、短い一言だけだった。 「……ごめんなさい。次から気をつけます」 「次はもうないわよ。今度これのせいで決まりごとをおろそかにしたら、機械は取り上げます。だいたい……」 京子は口もとをかすかに歪めると、明日奈の額にかかったままのアミュスフィアを一瞥した。 「お母さん、あなたがわからないわよ。そのおかしな機械のせいで、あなた大切な時期を二年間も無駄にしちゃったのよ? 見るのも嫌だとは思わないの?」 「これは……ナーヴギアとは違うわ」 呟いて、頭から二重の金属円環を外す。SAO事件の反省から、アミュスフィアに施されている何重ものセーフティ機構について口にしようとしたが、すぐに言っても無駄だと思い直した。それに、使っている機械が異なるとは言え、VRMMOゲームのせいで明日奈が二年に渡って植物状態に陥ったのは事実だ。その間、京子が多いに心配したのは確かだろうし、一時は明日奈の死をも覚悟したそうだ。母親がマシンを嫌う気持ちは解るし、理解しなければならない。 明日奈が黙っていると、京子は大きなため息をついて、ドアの方に向き直った。 「食事にするわよ。すぐに着替えて降りてきなさい」 「……今日はいらない」 夕食を作ってくれたハウスキーパーの明恵に悪いと思ったが、とても母親と向かい合って食事をする気にはならなかった。 「――好きにしなさい」 かすかに首を振って、京子は部屋を出ていった。かちんと音を立ててドアが閉まると、明日奈は制御パネルに手を伸ばしてエアコンの運転モードを急換気に変え、母親のつけていた強いコロンの残り香を追い出そうとしたが、それはいつまでもしつこく漂いつづけた。 "絶剣"ユウキとその魅力的な仲間達との出会い、そして新たな冒険の予感が残したわくわくする気持ちは、陽に照らされた雪球のように跡形も無く消えてしまっていた。 明日奈は立ち上がり、クローゼットを開けると、色褪せて膝に穴のあいたジーンズを引っ張り出して足を通した。プリントもののトレーナーをかぶり、合成素材の白いダウンジャケットを引っ掛ける。 手早く髪を整え、ヒップバッグと携帯端末を掴んで足早に部屋を出た。階段を降り、玄関ホールでスニーカーを履いて重いドアを押し開けようとしたとき、横の壁に設置されたパネルから鋭い声が響いた。 『明日奈! こんな時間にどこに行くの!?』 だが明日奈はそれには答えず、母親に遠隔操作でドアをロックされる前にノブを回した。両開きの扉が開け放たれた瞬間、双方の側面から音を立てて金属のバーが飛び出したが、ぎりぎりのタイミングで先んじた明日奈はするりと外に抜け出した。湿気を含んだ冷たい夜気が顔を叩く。 足早に車回しを横切り、ゲート脇の通用口から家の敷地外に出ると、明日奈はようやく詰めていた息を吐き出した。呼気が目の前に白く漂い、たちまち薄れて消える。ジャケットのジッパーを首元まで引き上げ、両手をポケットに突っ込むと、東急宮阪駅の方へと歩きはじめた。 行く宛がある訳ではなかった。母親にあてつけるように家を飛び出てみたものの、これが単なる子供っぽい反抗のポーズに過ぎないことは明日奈にもわかっていた。ジーンズのポケットに入っている端末には位置情報モニター機能があり、母親には明日奈が何処にいるか逐一知られてしまう。だからといって端末を置いてくるほどの度胸があるわけでもない。そんな自分への苛立ちが、胸の奥の無力感をいや増していく。 大きな屋敷が連なる住宅街のなかに、ぽつんと佇む小さな児童公園の前に差し掛かり、明日奈は足を停めた。入り口に立つ逆U字型の金属パイプに腰を乗せ、ポケットから端末を引っ張り出す。 ぱちんと開いて親指でキーを操り、画面にキリト――和人の番号を呼び出す。コールボタンに指を置き、しかし、明日奈はそこでまぶたを閉じて俯いた。 和人に電話して、ヘルメットを余計に一つ持ってバイクで迎えにきて、と言いたい。やかましいけれど速いバイクの後ろに跨って、和人の腰にぎゅっと手を回して、新年でがらがらの幹線道路をどこまでも真っ直ぐ飛ばしてほしい。そうすればきっと、アルヴヘイムで全力飛行するときのように、頭のなかのもやもやはたちまち消えてしまうだろうに。 けれど、いま和人に会ったら、感情を抑えきれずに、泣きながら何もかもを打ち明けてしまうだろう。学校を変わらなくてはいけないこと。ALOにも行けなくなるかもしれないこと。明日奈を既定の方向に押し流していく冷徹な現実と、それに抗えない自分――つまりは、ひた隠しにしてきた己の弱さそのものを。 明日奈は端末のボタンから指を離すと、それを静かに畳んだ。一瞬ぎゅっと握り締めてから、ポケットに戻す。 強くなりたい。かたときも揺るがない精神の強さ。扶養者に頼らず、自分の望む方向に進むための強さが欲しい。 しかし、同時に弱くなりたい、と叫ぶ声がする。自分を偽らず、泣きたいときに泣ける弱さ。すがりつき、わたしを守って、助けて、と言える弱さが欲しい。 降り始めた雪の一片が、頬に触れ、たちまち融けて流れた。明日奈は顔を上げ、仄白い闇のなかから落下してくるまばらな白点を、無言で見つめ続けた。
「えーとつまり、ユウキとジュン、テッチが近接前衛型、タルケンとノリが中距離、シーエンが後方援護型ってことね」 アスナは腕を組み、武器防具を装備したスリーピングナイツの面々を見回した。 昨夜紹介されたときは軽装の普段着姿だったが、今は全員がエンシェント・ウェポン級の武装に身を固めている。絶剣ユウキはきのうと同じ黒のハーフアーマーに細身のロングソード。サラマンダーのジュンは小さな身体に不釣合いとも思える赤銅色のフルプレートをがっちり装備し、背中には身長と同じほどの長さのある大剣を吊っている。 巨漢ノームのテッチも同じく肉厚のプレートアーマーに、さらに戸板のごとき巨大なシールドを携えている。武器はごつごつした突起を四方に伸ばした、いかにも重そうなメイスだ。 眼鏡のレプラホーン・タルケンはひょろっとした体を真鍮色のライトアーマーに包み、武器は恐ろしく長いスピア。その隣に立つ姉御肌のスプリガン・ノリは、金属を使っていない道着ふうのゆったりした防具をまとい、これまた天井に届きそうな長さの鉄棍を携えている。 そして、唯一のメイジらしいウンディーネのシーエンは、僧侶ふうの白と濃紺の法衣と、ブリオッシュのように丸くふくらんだ帽子を身につけ、右手に細い銀色のスタッフを下げていた。全体としてはバランスが取れたパーティーだが、強いて言えば補助回復役が少し弱い。 「ってことは、わたしはヒーラーに回ったほうがいいみたいだね」 腰のレイピアを剣帯ごと外しながらアスナが言うと、ユウキがすまなそうに首を縮めた。 「ごめんねーアスナ。あれだけ剣が使えるのに、後ろに回ってもらっちゃって」 「ううん、わたしじゃ盾役はできないし。そのかわり、ジュンとテッチにはばしばし叩かれてもらうから、覚悟してねー」 にやにや笑いを浮かべ、重装備の二人を見る。猛烈な体格差のあるサラマンダーとノームのコンビは一瞬顔を見合わせたあと、同時にがしゃんとアーマーの胸を叩いた。 「お、おう、まかせとけ!」 威勢はいいものの引き攣ったジュンの台詞に、全員が愉快そうな笑い声を上げる。 アスナはアイテムウインドウを開くと、外したレイピアをその中に格納し、替わりに魔力増幅効果のあるねじれた杖を取り出した。生木そのままの、先端に葉っぱが残る一見貧相なアイテムだが、実は世界樹のいちばん天辺の枝を切ったものだ。入手するには巨大な守護竜の猛攻撃をかいくぐる必要がある。 「さて、と」 杖でとん、と床を突き、アスナは言った。 「じゃあ、ちょいとボス部屋を覗きに行きますか」
連れ立ってロンバールの宿屋を出て、常夜の空に飛び立った。 予想したとおり全員がスティックなしの随意飛行で、その滑らかな飛びっぷりにアスナはあらためて感嘆する。とても、ALOにコンバートして間もない者たちとは思えない。これはもう、VRMMOゲームに対する慣れというよりも、その根幹を成すNERDLES技術そのものへの適応力が高いと言わざるを得ない。稀にそのようなプレイヤーがいるのは確かだが、アスナの長いゲームプレイ経験のなかでも、直接知っているのはキリトやリーファといったごくわずかな数に留まっている。 それが六人も集まっているとは、一体どのような経緯で結成されたギルドなのだろうか。よくよく考えてみると、今日は一月八日であり、世間一般では仕事始め学期始めである。アスナの学校は万事余裕のあるカリキュラムのせいでまだ数日の休みが残っているが、ギルドメンバー六人全員をこんな昼間に集めるのは普通ではなかなか困難なのではないだろうか。 単純に考えれば、突出した強さのことも含め、ゲームに実生活のすべてを費やす超コアプレイヤーの集団である、と判断するのが妥当だろう。しかしアスナは、それも違うと感じていた。スリーピングナイツの面々からは、その手のギルドにありがちな我執の強さが見て取れない。皆が皆、どこか清流のような透明感を身にまとっている。 いったい、生身のプレイヤーはどのような人たちなのだろう、とアスナがいつもなら殆ど気にしないことを考えていたその時、前方を飛ぶユウキが相変わらず元気な声で叫んだ。 「見えたよ、迷宮区!」 はっとして眼を凝らすと、連なる岩山の向こうに、一際巨大な塔が見えた。円筒形のそれは地上から上層部の底までまっすぐに伸びている。根元からは、ひとつが小さな家ほどもありそうな水晶の六角柱がいくつも突き出し、放つ青い燐光で闇のなかの塔をぼんやりと照らし出している。迷宮への入り口は、塔の下部にぽっかりと黒く開いていた。 しばしホバリングし、入り口の周囲にモンスターや他パーティーの姿がないのを確認してから、ゆっくり降下する。最後尾のアスナは、地に足がつくと、六人に続いて巨大な塔を見上げた。空中から眺めるのとはまた異なる、まさしく威容と言うべきその姿に、しばし圧倒される。 「……じゃあ、打ち合わせどおり、通常モンスターとの戦闘は極力回避で行きましょう」 アスナが言うと、さすがに顔を引き締めたユウキたちは無言で頷いた。それぞれ腰や背中に手をやり、じゃりんと音高く得物を抜く。 シーエンが銀のスタッフを掲げ、立て続けにいくつもの補助スペルを詠唱した。七人のパーティーメンバーの体をライトエフェクトが包み、視界の右端、HPバーの下部に複数のアイコンが点灯する。つづいてノリがキャスティングを行い、全員に暗視魔法を掛けていく。 準備が完了したところで、もういちど顔を見合わせて頷きあい、前衛のユウキから迷宮区に踏み込んだ。入り口からしばらく続いた天然の洞窟が、石畳を組み合わせた人工の迷宮に変わると、明らかに周囲の温度が下がり、湿った冷気がアスナの肌を撫でた。 SAO時代に散々苦労させられたとおり、迷宮区内部はうんざりするほど広く、また出現モンスターのレベルもフィールドとは比較にならない。その上、アルヴヘイム地上に存在するダンジョン群と同じく、中ではまったく飛行できない。マップデータはあらかじめ購入しておいたが、それでもボス部屋までは最短でも三時間はかかるだろう。 ――と、事前に予想していたのだったが。 わずか一時間と少しで、目の前に幅広の回廊とその奥の巨大な扉が出現したとき、アスナはあらためてユウキたちの実力に舌を巻く思いだった。個々の戦闘能力はそれなりに把握していたつもりだったが、更に見事と言うべきは六人の連携技術だ。言葉もなしに、小さな身振り手振りだけで立ち止まるべきところは立ち止まり、突っ切るところは突っ切っていく。アスナはほとんど、パーティーの最後尾をただ付いていけばよかった。モンスターと戦闘になったのはたったの三回であり、それすらも、アスナの指示に従って瞬時にリーダーの個体を屠ったため敵群が混乱したところを簡単に振り切ることができた。 ボス部屋への回廊を前進しながら、アスナは少々ぼやきたい気分で傍らのシーエンに囁きかけた。 「なんだか……わたし、本当に必要だったのかなあ? あなたたちを手助けできる余地なんて、ほとんどないような気がするんだけど……」 すると、シーエンは目を丸くして、ふるふるとかぶりを振る。 「いえ、とんでもない。アスナさんの指示があったからトラップも一度も踏みませんでしたし、戦闘もすごく少なくてすみましたし。前の二回では、遭遇する敵ぜんぶと正面から戦っちゃったので、ボス部屋につく頃には随分消耗しちゃって……」 「……それはそれで凄いけどね……――っと、ユウキ、止まって」 アスナが少し高めた声で言うと、前衛三人はぴたりと足を止めた。 すでに、ボス部屋へと続く長い回廊も半ば以上を踏破し、突き当たりの、おどろおどろしい装飾を施された石扉の細部までが見て取れる。回廊の両脇には一定間隔で円柱が立っているが、その陰を含めて、モンスターの姿はない。 訝しそうな顔で振り向くユウキやジュンに向かって、唇に人差し指をあててみせてから、アスナは大扉の左側、最後の円柱の向こう側に視線を凝らした。 回廊の照明は、円柱上部の壁龕に据えられた火皿の青白い炎だけだ。ノリの暗視魔法の補助があっても、ゆらゆら揺れる石壁の影の微細な動きは捉え難い。が、直感的に、アスナは視界の一部分に違和感を覚えたのだった。 手振りでユウキたちを退がらせて、アスナは右手の杖を掲げた。早口で少し長めのスペルワードを組み立てながら、左手の平を胸の前で上向ける。 詠唱が完了すると、手の平のうえに、胸ヒレを長く伸ばした小さな魚が五匹出現した。青く透き通るその魚たちに顔を寄せ、目指す方向に向かって軽く息を吹きかける。 途端、魚たちはぴちちっと跳ねてから、空中を一直線に泳ぎはじめた。対隠蔽呪文用精霊『サーチャー』を召還したのだ。五匹はわずかな角度をつけて放射状に泳いでいき、うち二匹が、アスナの眼に止まった空気の揺らぎの中に突入した。 ぱあっと青い光が広がった。サーチャーが消滅し、その奥で、一瞬だけ緑色の膜が出現してから、たちまち溶け崩れるように消えた。 「あっ!」 ユウキが驚いたような声を上げた。さっきまで何もなかった円柱の向こうに、忽然と三人のプレイヤーが姿を現したのだ。 アスナは素早く視線を走らせた。インプ二人、シルフ一人、全員が短剣装備の軽装だ。と言っても、武装のグレードはかなり高い。知った顔はなかったが、カーソル横に表示されたギルドタグには見覚えがあった。中盤以降、アインクラッドの迷宮区を立て続けに攻略している大規模ギルドのエンブレムだ。 迷宮区で、周囲にモンスターもいないのにハイドしているとは穏やかではない。一般的にはPKの手口だ。アスナは向こうの遠距離攻撃に備えて再び杖を掲げ、傍らでユウキたちもがしゃりと武器を構えなおす。 だが、予想に反して、三人組のひとりが慌てた様子で片手を上げて叫んだ。 「ストップストップ! 戦う気はない!」 焦った声の調子は演技とは思えなかったが、アスナは警戒を解かずに叫び返した。 「なら、剣を仕舞いなさい!」 すると、三人は顔を見合わせ、すぐにそれぞれの短剣を腰の鞘に収めた。アスナはちらりとシーエンを振り返り、囁いた。 「連中がもう一度抜剣するそぶりを見せたら、すぐにアクアバインドを掛けて」 「わかりました。うわあ、対人戦ははじめてですよ。どきどきしますね」 どきどきというよりもワクワクしているかのように目を輝かせるシーエン及び仲間たちの様子に、わずかに苦笑してから、アスナは三人組に向き直った。ゆっくりと数歩近寄り、言う。 「PKじゃないなら……何が目的でハイドしてたの?」 再びちらりと視線を交わしてから、リーダーとおぼしきインプが答えた。 「待ち合わせなんだ。仲間が来るまでにMobに襲われたら面倒なんで、隠れてたんだよ」 「…………」 もっともらしく聞こえるが、どこか怪しい。隠蔽呪文使用中は馬鹿にならない速度でマナが消費されるため、数分ごとに高価なポーションを飲み続ける必要がある。そもそもこんな迷宮の最奥まで辿り付けるなら、そこまでしてモンスターとの戦闘を避ける必要は無いはずなのだ。 しかし、これ以上こちらから難癖をつけることもできそうになかった。万難を排するならこちらからキルするという手もあるが、大規模ギルドとトラブルになると後々色々面倒なのも確かだ。 アスナは疑問を飲み込んで、軽く頷いた。 「わかったわ。――わたし達、ボスに挑戦に来たんだけど、そっちの準備がまだなら先にやらせてもらってもいいわね?」 「ああ、もちろん」 ことによると、更に巧言を重ねてボスモンスターへの挑戦を妨害してくるかも、と予想したのだが、あにはからんや痩身のインプは短く即答した。そのまま、二人の仲間を手振りで下がらせ、自らも大扉の脇へと退く。 「俺たちはここで仲間を待つから、まあ、がんばってくれや。じゃあな」 わずかな笑みを頬に浮かべ、インプは仲間のシルフのほうにあごをしゃくった。頷くと、シルフは両手を掲げ、慣れた口調でスペルワードの詠唱を開始する。 たちまち、術者の足元から緑色の空気の膜が沸きあがり、三人の体を覆い包んだ。すぐに膜の色がすうっと薄れ、揺らぐように消えたときには、そこにはもう誰の姿も見えなかった。 「…………」 アスナはしばらく口もとを引き締めたまま、再びハイドした男達のほうを見つめていたが、やがて肩をすくめるとユウキのほうに向き直った。絶剣の異名を持つ少女は、いまの不穏なやり取りにもまったく気分を害した様子は無いようで、大きな紫の瞳をきらきらさせたまま、アスナに向かって軽く首をかしげてみせる。 「……とりあえず、予定どおり一度中の様子を見てみましょう」 アスナが言うと、ユウキはにいっと笑いながら大きく頷いた。 「ん、いよいよだね! がんばろ、アスナ!」 「様子見と言わず、ぶっつけでぶっ倒しちゃうくらいの気合で行こうぜ」 威勢のいいジュンの言葉には、アスナも笑いを返すしかない。 「まあ、それが理想だけどね。でも、無理して高いアイテム使ってまで回復しなくていいからね。あくまで、わたしとシーエンがヒールできる範囲内でがんばるってことで、いいわね」 「はい、先生!」 茶目っ気たっぷりに答えるジュンのおでこを指で突いておいて、アスナは他の五人を順繰りに見ながら続けた。 「死んでも、すぐには街に戻らないで、ボスの攻撃パターンをしっかり見ておいてね。全滅したら、いっしょにロンバールのセーブポイントに戻るってことで。――フォーメーションは、ジュンとテッチが最前面でひたすら耐える。タルケンとノリはその両翼から攻撃。ユウキは自由に遊撃、可能ならボスの背面に回ってみて。で、わたしとシーエンが後方で補助回復、と」 「了解」 一同を代表して巨漢のテッチが重々しい声で言う。左手のタワーシールドをがしゃりと掲げ、右手のメイスを肩に担ぎ、大扉のすぐ前にジュンと並んで立つと、ちらりとアスナを振り向いた。 アスナがぐいっと頷き返すと、ジュンが空いている左手を扉に掛けた。肩を怒らせ、ぐいっと力を込める。 黒光りする岩でできた二枚扉は、一瞬抵抗するかのように軋み声を上げたあと、ごろごろと雷鳴に似た音を回廊全体に響かせながらゆっくりと左右に割れはじめた。内部は完全な闇―― と思ったのも束の間、ドアのすぐ前で、青白いかがり火が二つ、ぼうっと吹き上がった。続いて、さらに左右に二つ。わずかな時間差を置いて、無数の炎が輪を描くように立ち上っていく。 ボス部屋は完全な円形だった。床面は磨かれたような黒石、広さも相当なものだ。いちばん奥の壁に、上層へと繋がる階段を隠す扉が見える。 「――いくわよ!」 アスナが叫ぶと同時に、ジュンとテッチが思い切りよく部屋の内部に走り込んだ。残る五人もすぐに後を追う。 全員が、決めたとおりのフォーメーションにつき、それぞれの武器を音高く構えた、次の瞬間。部屋の中央に、荒削りの巨大なポリゴンが湧出した。黒いキューブ状のそれは、たちまち幾つも組み合わさり、角が面取りされ、みるみるうちに情報量を増していく。 最後に、ばしゃーんと無数の破片を宙に散らして、ボスモンスターが実体化した。身の丈4メートルはあろうかという黒い巨人だ。見上げるほどでかい上に、頭が二つ、腕が四本あり、それぞれの手に凶悪な形をした鈍器を握っている。 地震のごとく床を揺らして、巨人は着地した。下半身に対して上半身のボリュームが異様に大きく、体をかなり前傾させているが、それでも二つの頭ははるか上空に位置している。 赤く光る四つの眼で、アスナたちをしばし睥睨したあと、巨人は轟くような咆哮を上げた。上側の二つの手に握られた破城槌並みのハンマーを高く振り上げ、下側の二本の腕で、錨も吊るせそうな太い鎖を床に打ち付けて――。
「だああああ、負けた負けた!!」 最後に転移してきたノリが、ばんばんタルケンの背中を叩きながら、愉快そうに喚いた。 ロンバール中央広場に面した、ドーム状の建物の中。部屋の真ん中、一段低くなった床に立つ位置セーブクリスタルの周囲に、アスナたち七人は転送されていた。無論、67層ボスである黒巨人の猛攻の前にあえなく全滅したからである。 「ううー、がんばったのになあー」 無念そうに肩を落とすユウキの襟首を、アスナはがっしと掴んだ。 「ふえ?」 いぶかしい顔をするユウキを引っ張り、そのまま部屋の隅へと走り出す。 「みんなも、早くこっちきて!」 とりあえず宿屋に戻って休憩兼残念会、などと言っていたジュンたちも、ぽかんと顔を見合わせたあと、すぐに後を駆けてくる。 建物の中には誰の姿もなかったが、念を入れて入口まで声の届かない場所に全員を集めると、アスナは早口で捲し立てた。 「のんびりしてる余裕はないわよ。ボス部屋の前にいた三人、覚えてるでしょ?」 「ええ、はい」 シーエンがこくりと頷く。 「あれは、ボス攻略専門ギルドの偵察隊だわ。同盟ギルド以外のプレイヤーがボスに挑戦するのを監視してるのよ。多分、前の層も、その前も、ユウキたちがボスと戦ってるところをハイドして見てたはずよ」 「えっ……わあ、ぜんぜん気付かなかった!」 「恐らく、わたし達の人数から、攻略に成功する可能性は無いと判断したのね。だから、妨害よりもボスと戦わせて攻撃パターンの情報収集することに作戦を切り替えたのよ」 「ううー、もしかして今までボクたちが全滅したあと、すぐに攻略されちゃったのはそのせいなの……?」 「間違いないわね。ユウキたちががんばりすぎて、ボスの手の内を最終段階まで丸裸にしたから、彼らも攻略に踏み切れたんだと思う」 「と、いうことはつまり……」 シーエンが柳眉をひそめて呟く。 「今回も、噛ませ犬役を演じてしまったということですか……?」 「……なんてこった」 タルケンの嘆き声に、五人もがっくりと肩を落とそうとしたが、その前にアスナはばしんとユウキの肩を叩いた。 「ううん、そうと決まったわけじゃないわ!」 「え……? どういうことなの、アスナ?」 「まだ現実では昼の二時半、こんな時間に何十人も集めるのは、いくら大規模ギルドでも大変なはずだわ。少なく見積もっても二時間くらいはかかると思う。その間隙を突くのよ。――いい、あと五分でミーティングを終えて、三十分でボス部屋まで戻る!」 「ええー!?」 さすがのスリーピングナイツ達も、今度こそは驚愕の声を上げた。それに向かって、アスナはにこっと笑いかける。 「わたし達ならできるわ。それに――ボスもきっと倒せる」 「ほ、ほんと!?」 「きっちり冷静に、弱点を突ければね。作戦はこうよ。ボスは巨人型、多腕なのが厄介だけど、正面をきっちり作れる分、非定型クリーチャータイプよりマシだわ。攻撃パターンは、ハンマーの振り下ろし、鎖の薙ぎ払い、頭を下げての突進。HPが半減してからは、プラス広範囲ブレス攻撃。さらにHPが減ると、武器四つでの八連撃ソードスキル……」 アスナは床にホロパネルを広げると、手早くボスの攻撃パターンを列挙した。次に、それぞれに対する詳細な防御方法を指示していく。 「……だから、ジュンとテッチは鎖は無視していいわ。ひたすらハンマーに集中して。次に弱点だけど、ハンマーの振り下ろし攻撃を、武器や盾で受けないで空振らせて、床を叩かせるとコンマ7秒くらい硬直時間があるわ。その隙を逃さずに、ノリとタルケンはきっちり強攻撃を入れて。あと、背中側にもかなりの隙がある。ユウキはひたすらバックを取って、突進系のソードスキルで攻めていいわ。鎖は真後ろまで届くから気をつけてね。で、ブレスへの対応だけど……」 作戦会議でこんなに喋ったのは、間違いなく血盟騎士団時代以来だ、と心の隅で思いながら、アスナは思い切り口を回転させた。六人は真剣な顔でこくこくと頷きつづけている。 まるで学校の先生にでもなったかのような感慨をおぼえつつ、アスナはぴたり4分でレクチャーを終えた。次にアイテム欄を開くと、預かっていた攻略予算で買い込んだ大量の回復ポーション類を、まとめて実体化させる。 がしゃがしゃんと音を立て、床の上に色とりどりのガラス瓶の山が出来た。それを、先刻の挑戦で皆が受けたダメージ量に従って次々に分配していく。最後に、青い瓶に入ったマナ回復薬を自分とシーエンのポーチに放り込み、すべての準備が完了した。 アスナは背筋をぴしっと伸ばすと、全員の顔を見回して、微笑みながら力強く頷いた。 「もう一度言うけど、あなた達……ううん、わたし達なら、あのボスに勝てる。ずーっと前からここで戦ってるわたしが保証するわ」 すると、ユウキもいつもの邪気の無い笑みを浮かべ、言った。 「ボクの勘は間違ってなかったよ。アスナに頼んでよかった。もし攻略がうまくいかなくても、ボクの気持ちは変わらないからね。――ありがとう、アスナ」 「……その言葉は、祝勝会の時までとっておいてね。じゃ……もう一度、がんばろう!」
再びロンバールを飛び立った六人は、掛け値なしの全速飛行で迷宮区を目指した。最短距離をまっすぐ飛んだので、フィールドモンスターに何度かターゲットされたが、ノリの幻惑魔法で眼をくらませて一気に突っ切る。 巨塔まではほんの五分で辿り付いた。立ち止まらずに入り口に飛び込み、今度は足を使って最上階へと駆け抜ける。さすがに狭いダンジョンの中では、モンスター群の真ん中を突破するわけには行かなかったが、かわりに絶剣ユウキがその本領を発揮し、リーダー個体をほとんど一息に斬り倒した。 設定したタイマーが28分を経過したとき、ついに目の前にボス部屋へと続く回廊が現われた。広い通路は、ゆるく右に湾曲しながら、螺旋状に塔の中央部まで伸びている。 「おっしゃあと2分ッ!!」 ジュンが叫ぶと、ユウキの前に立ってスプリントを始めた。 「あっ、こらまてー!」 それをユウキが追っていく。 このぶんなら、どうにか例のギルドの鼻を明かせそうだ、と思いながら、アスナも懸命に走った。ぐるぐると円を描きながら一行はたちまち回廊を走破し、ついに例の大扉が目の前に―― 「!?」 扉の前に広がる光景に、アスナは驚愕しながら両足でブレーキを掛けた。ユウキとジュンも、ブーツで床をがりがり擦りながら急停止する。 「な……なんだい、これ……!?」 アスナの傍らで、ノリが呆然と囁いた。 ボス部屋の扉へと至る、長さ十メートルほどの回廊は、およそ二十人ほどのプレイヤーでぎっしりと埋まっていた。 種族はまったくバラバラだが、唯一共通しているものがあった。全員のカーソル横のギルドエンブレムだ。さきほど、扉の前でハイドしていた三人と同じものである。 遅かった!? まさかこんなに早く――、と内心で歯噛みしてから、アスナはおや、と思った。ボス攻略にしては、人数が少ない。二十人、つまり三パーティーというのは、噂に聞くこのギルドの攻略チームのおよそ三分の一程度である。 つまりまだ全員が集まっているわけではないのだ。こんな迷宮の最奥部を集合場所にするとは大胆な話だが、その分連中も焦っているということか。 アスナは流石に眉をしかめているユウキの隣に歩み寄ると、濃紺のロングヘアに隠された耳に口を寄せた。 「大丈夫、一回は挑戦できる余裕はありそうだわ」 「……ほんと?」 ほっとしたような顔を見せるユウキの肩をぽんと叩き、アスナはつかつかと集団へ歩み寄った。全員がまっすぐ視線を注いでくるが、何故か口もとに妙なにやにや笑いを浮かべている者が多い。 それを無視して、アスナは集団のいちばん前に立つ、一際ハイランクの武装をまとったノームに話し掛けた。 「ごめんなさい、わたし達ボスに挑戦したいの。そこを通してくれる?」 だが、太い腕を見せつけるように前に組んだノームは、アスナの予想の及ばないことを口にした。 「悪いな、ここは今閉鎖中だ」 「閉鎖……って、どういうこと……?」 唖然としながら訊き返す。ノームは大げさに眉を上下させると、何気ない口調で続けた。 「これからうちのギルドがボスに挑戦するんでね。今、その準備中なんだ。しばらくそこで待っててくれ」 「しばらくって……どのくらい?」 「ま、一時間てとこだな」 ここに至って、ようやくアスナは男達の魂胆を理解した。彼らは、ボス部屋前に偵察隊を配置して情報収集に当たらせるだけでなく、攻略に成功しそうな他集団が現われたときには更に多人数の部隊で通路を物理的に封鎖するという作戦を取っているのだ。 このところ、一部の高レベルギルドによる狩場の独占が問題になっているという噂は聞いていた。だがよもや、中立域においてこんな露骨な占領行為がまかり通っているとはまるで知らなかった。 自然に声が尖ろうとするのをどうにか堪えながら、アスナは言った。 「そんなに待っている暇はないわ。そっちがすぐに挑戦するっていうなら別だけど、それが出来ないなら先にやらせて頂戴」 「そう言われてもね」 しかしノームはまったく動じる様子もない。 「こっちは先に来て並んでるんだ。順番は守ってもらわないと」 「それなら、準備が終わってから来てよ。わたし達はいつでも行けるのに、一時間も待たされるなんて理不尽よ」 「だから、そう言われても、俺にはどうにもできないんだよ。上からの命令なんでね、文句があるならギルド本部まで行って交渉してくれよ。16層にあるからさ」 「そんなとこまで行ってたらそれこそ一時間経っちゃうわよ!」 つい大声で言い返してしまってから、アスナは唇を噛み、自分を落ち着かせるために大きく深呼吸した。 どう交渉しても、彼らに道を空ける気はないらしい。ならばどうするか。 ボスがドロップする金品をすべて提供するという取引を申し出るというのはどうだろう。いや、ボス攻略の魅力はアイテムだけではない。莫大なスキルアップポイントと、剣士の碑に名を残す名誉という実体のない付随物もある。とても連中が飲むとは思えない。 あるいは、不当行為としてGMに訴え出るという手段もあるにはある。しかし、基本的に運営サイドはプレイヤー間のトラブルには干渉したがらないし、双方の言い分を申し立てて裁量を待っているうちにも時間はどんどん過ぎていく。 八方塞りで立ち尽くすアスナを高いところから一瞥して、ノームは交渉終了と見たか身を翻し、仲間のほうに戻ろうとした。 その背中に向かって、アスナの斜め後ろにいたユウキが声を投げかけた。 「ね、君」 立ち止まり、肩越しにひょいと振り返るノームに、いつもの笑顔のままのユウキは元気な声で訊ねる。 「つまり、ボクたちがこれ以上どうお願いしても、そこをどいてくれる気はないってことなんだね?」 「――ぶっちゃければ、そういうことだな」 直截なユウキの物言いに、ノームもさすがに鼻白んだ様子だったが、すぐに倣岸な態度を取り戻して頷いた。それに向かって、ユウキはにっこりと笑いかけると、短く言った。 「そっか。じゃあ、仕方ないね。戦おう」 「な……なに!?」 「ええ……?」 ノームの男と同時に、アスナも驚いて声を漏らした。 中立域ではプレイヤー・キルが可能なALOではあるが、実際にプレイヤーを襲う行為にはルールに明文化されている以上のしがらみが色々と付随する。相手が、大規模なギルドの所属員であるとなれば尚更だ。たとえその場では勝利しても、事後にギルドあげての報復があるかもしれないし、恨みをゲーム外にまで持ち出されることだって無いとは言えない。最初からPKをプレイスタイルとしている者以外は、大ギルド相手に戦闘を吹っかけることはほとんどできないのが実情なのだ。 「ゆ……ユウキ、それは……」 そのへんのことをどう説明したものか、アスナは口を開いたものの言葉に詰まった。そんなアスナの背中を、ユウキは笑みを消さないまま、ぽん、と叩く。 「アスナ。ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ。例えば、自分がどれくらい真剣なのか、とかね」 「ま、そういうことだな」 背後でジュンが相槌を打つ。振り返ると、五人とも平然とした態度でそれぞれの武器を握りなおしている。 「みんな……」 「封鎖してる彼らだって、覚悟はしているはずだよ。最後のひとりになっても、この場所を守りつづける、ってね」 ユウキは再びノームに視線を投げかけると、小さく首を傾け、言った。 「ね、そうだよね、君」 「あ……お、俺たちは……」 まだ驚きから醒めやらぬ様子の男に向かって、腰の剣を音高く抜き、ぴたりと剣尖を据える。ふっ、と口もとの笑みを薄れさせ―― 「さあ、武器を取って」 ユウキのペースに飲まれたように、ノームは腰から大ぶりのバトルアックスを外すと、ふらりと構えた。 次の瞬間、小柄なインプの少女は、一陣の突風となって回廊を駆けた。 「ぬあっ……」 ようやく事態を理解したとでもいうように、ノームは目を丸くして唸り声を上げると、大きく斧を振りかぶる。だが、その動きはいかにも遅すぎた。ユウキの黒曜石の剣は、闇色の軌跡を残して低い位置から跳ね上がり、男の胸の真ん中を捉えた。 「ぐっ!」 ユウキの1.5倍近い身長のノームは、その一撃だけでぐらりと体勢を崩した。そこに、真っ向正面の上段斬りが襲い掛かる。どすっ、と重い音を立ててノームの肩口に剣が食い込み、HPバーを大幅に削り取る。 「ぬおおおお!!」 ついに男は怒りの雄叫びを上げ、目の前の少女に向かって思い切り斧を振り下ろした。さすがに有名ギルドでパーティーリーダーを張るだけあって、そのスピードは中々のものだったが、"絶剣"ユウキの相手はいかにも荷が重すぎた。 バキィン、と甲高い音がして、斧はユウキに触れるはるか以前に大きく弾かれた。体を泳がせるノームの眼前で、ユウキはぐうっと弓を絞るように右手の剣を大きく引いた。同時に、刀身が血のような赤い光を放つ。キリトが得意としていた片手剣用単発ソードスキル、『ヴォーパル・ストライク』だ。 爆発じみた衝撃音が回廊を突き抜け、壁を震動させた。ユウキの放った突き技はノームの胸の中央を深く貫き、そのHPバーをあっけなく吹き散らした。周囲を染めた真紅のライトエフェクトが消えると同時に、男の巨体を黄色い炎が包み、直後、その姿は溶け崩れるように消滅した。あとには、小さな残り火がひとつ漂うだけだ。 ボス攻略専門ギルドと銘打つだけあって、突然の襲撃には慣れていなかったのであろう残りの者たちは、ここに至ってようやく事態を呑みこんだようだった。 「て、てめえええっ!!」 一人のサラマンダーが腰から大ぶりの曲刀を抜き放つと、怒号を発した。それを合図に、全員がみるみる殺気立ち、それぞれの武器を高く掲げる。 「さて、私たちも行きますか」 シーエンがあくまで落ち着いた声で言うと、アスナの肩をぽんと叩いて微笑んだ。 「えー……っと……」 どういう顔をするべきか咄嗟に判断できず、とりあえず強張った笑みを浮かべてみたアスナのすぐ隣を、どりゃあああと威勢のいい声を上げながらジュンが駆け抜けていく。そのすぐ後ろにヘビーメイスを担いだテッチが続き、更に槍と鉄棍をプロペラのように回しながらノリとタルケンが追従する。 いまや明確に敵となった相手集団も、一戦交えると決まってからの動きは速かった。前面に重装甲のノームやサラマンダーが並び、鉄の壁と化して、一人突出しているユウキ目掛けて殺到してくる。 ユウキには、後退する気はさらさら無いようだった。いきなりソードスキルで迎撃するつもりらしく、大上段に高く振りかぶった剣がまばゆい紫に発光する。その右翼にジュンとタルケン、左翼にテッチとノリが突入し、くさび型のフォーメーションを作る。 双方が激突した瞬間、ががぁん!! という大音響が炸裂し、立て続けに幾つものライトエフェクトが弾けた。たちまち秩序なき混戦が始まり、広い回廊は剣戟の音に満ち溢れた。 ユウキが対人戦闘に熟達しているのは、アスナが自分の剣で確かめているが、彼女以外のメンバーも、戦う相手がモンスターからプレイヤーになったところでまるで臆することなく得物を振り回した。ジュンの大剣とテッチの戦槌は、その重量を活かして真正面から敵の防御を崩し、出来た隙をタルケンの長槍とノリの鉄棍が的確に捉えていく。ユウキのほうはと言えば、持ち前の超絶回避力を存分に発揮し、殺到する複数の武器をひょいひょいと掻い潜っては敵の懐に密着して、必殺のカウンターを叩き込んでいく。 数倍の人数相手に、まさに獅子奮迅と言うべきスリーピングナイツの戦いっぷりだったが、しかし敵集団も容易には倒れなかった。後方に控えたメイジ隊が途切れることなく回復魔法を詠唱しているせいだ。 あまりの乱戦による偶発的ヒットで、ユウキ以外のメンバーのHPも徐々に減り始めたようだった。アスナの隣でシーエンがヒール呪文の詠唱を始める。 と、集団からするりと抜け出し、アスナとシーエンに向かってダッシュしてくる影が二つあった。レザー系の軽鎧、手には鈍く光るダガーを装備したアサシンタイプだ。 その連中が、数十分前にボス部屋の前でハイドしていたプレイヤーだと気付いたとき、ようやくアスナも肚を決める気になった。長い杖を両手で構えると、頭上で風車のようにぶんぶん回転させ始める。 「ふんっ!!」 気合とともに体ごと振り回すと、黄色い光の帯を引きながら、世界樹の枝は飛び掛ってきたアサシン二人を真横から薙ぎ払った。コンコーン! と薪を割るような音を立てて二人は跳ね飛ばされ、床に叩きつけられる。 攻撃者たちは、まさかウンディーネのメイジから棒術系ソードスキルによる反撃を受けるとは思ってもいなかったようで、床に転がったまま一瞬目を丸くした。その隙を逃さず、アスナはダッシュで距離を詰めると、一人を回転系三連撃、もう一人を突き技四連撃で仕留める。 倒した相手が紫と緑の炎に包まれて消滅するのに目もくれず、アスナは振り返ると、シーエンに向かって言った。 「ヒールは一人で大丈夫?」 さすがに驚いたような顔をしながらも、シーエンはこくりと頷いた。 「ええ、多分間に合うと思います」 「じゃあ、わたしは敵のヒーラーを排除してくるわ」 にっ、と唇の端で笑ってみせて、アスナは手早くウインドウを出すと杖をアイテム欄に放り込み、かわりに愛用のレイピアを装備した。たちまち、腰の周囲を銀色の光が取り巻き、ミスリル糸を編んだ剣帯と、それにぶら下がる同素材の鞘が実体化する。 しゃらんと音を立てて細く長い剣を引き抜き、アスナは前方の混戦地帯を睨んだ。双方入り乱れた戦士たちはほぼ回廊の幅いっぱいに広がっているが、強いて言えば右側の層が薄い。 すーはー、と一回呼吸を整えて、アスナは思い切り石畳を蹴った。右手のレイピアを腰溜めに構え、全力でダッシュする。速度が充分乗ったところで、進行方向でこちらに背を見せて戦っているユウキに向かって大声で叫ぶ。 「ユウキ!! 避けて!!」 「へ……? ――わあ!?」 ひょいっと振り向いたユウキは、突進するアスナを視認するや慌てて飛び退った。そのむこうで、剣を振りかぶったまま硬直するサラマンダー目掛けて、アスナは姿勢を低くしてまっすぐ剣を突き出した。 ばっ、と剣先から純白の光が幾筋も迸り、たなびくようにアスナを包んだ。直後、ふわりと体が浮き上がる感覚。アスナは彗星のように長く光の尾を引きながら、猛烈なスピードで突進していく。 「うわああっ!!」 ようやく我に返ったサラマンダーは、左手の盾を体の前にかざそうとした。だがギリギリ間に合わず、その体の中央にレイピアの先端が触れた。 途端、まるで暴走する巨獣に轢かれでもしたかのように、サラマンダーは宙高く弾き飛ばされた。ユウキの剣によってHPをほとんど削られていたらしく、その体は空中にあるうちに真紅の炎を噴き上げて四散する。 彗星と化したアスナは、一人を屠ってもまったく勢いを削がれることなく、更に後方の敵本隊に向かって一直線に突入した。たちまち三、四人が同じように吹き飛ばされ、ある者は空を舞い、ある者は地面に叩きつけられる。細剣カテゴリの長距離突進系ソードスキル、『フラッシング・ペネトレイター』なる技だ。発動するためには充分な助走が必要なため、一対一の戦闘では使える場面はほとんど無いが、このように敵集団を突破するためには非常に有効な手段となる。 一瞬のうちに鎧と盾の鉄壁を貫通し、更に十メートル近くも飛翔してから、アスナはようやく迷宮の床に着地した。靴底でがりがりと火花を散らしながらブレーキをかけて停止し、うずくまったまま顔を上げる。目の前では六人ほどのローブをまとったメイジたちが固まり、呆然とアスナを見下ろしていた。 「どーも」 アスナはにこっと笑いかけると、立ち上がりながら右手のレイピアをぎゅん、と後ろに引き絞った。
集団戦になにより重要なのは、実は前面に立つ近接戦闘要員の能力よりも、後方のバックアップ態勢である。そんなわけで、回復要員を排除された敵集団は、ユウキたちの猛攻撃の前にあっけなく潰滅した。 アスナが再びレイピアを仕舞い、杖を取り出していると、近寄ってきたユウキがばしんと背中を叩いた。 「やるねえアスナ! ボクでもなかなかあんな無鉄砲な突撃はしないよー」 あはは、と笑われ、アスナもやや複雑な笑みを返す。 「そ、その言われ方は心外だなあ。先に彼らをぶっとばしちゃったのはユウキじゃない」 「うーん、まずかったかなあ……?」 今更のように首を傾げられると、アスナも笑いながら否定するしかない。 「ううん、そりゃちょっと驚いたけど、終わってみればこうするしかなかったって感じだし。それに……」 じっ、とユウキの大きなアメジストの瞳を見る。 「なんだか、忘れてたことを思い出させてもらった感じ。ぶつからなければ、伝わらないこともある……。ほんと、そうだよね」 「ぼ、ボク、そんな深い意味で言ったわけじゃないよ」 照れたように肩をすくめるユウキに向かって、アスナはもう一度微笑みかけた。 「わたしも、ずーっと昔は知ってたはずなんだ。本音を飲み込んじゃダメな時だってある……」 「……?」 「……ねえ、ユウキ」 不思議そうに目をしばたかせるユウキに向かって、アスナは口を開きかけたが、思い直して首を振った。 「ううん、ごめん、後にする。それより、さっきの人たちがまた押しかけてくる前にボスを倒しちゃわないと」 先刻まで床に漂っていた二十幾つのリメインライトは全て消え去っていた。恐らくロンバールのセーブポイントで蘇生し、攻略ギルドの本隊と合流したあとは、数倍の勢力になって殺到してくるだろう。 アスナは振り向くと、五人の仲間たちに声を掛けた。 「みんな、だいじょぶ? 疲れてない?」 「へーきへーき! これくらいで消耗するような鍛え方はしてないって!」 肩に鉄棍を担いだノリが、がっはっはと笑いながら隣のタルケンの背中をばしばしと叩く。のっぽのレプラホーンは、眼鏡をずり下げながらわざとらしくゴホゴホ咳き込んでみせるが、激戦に疲労した様子はまるで無い。 あはは、と笑いながら、アスナは視界の端のHP、MPバーを確認した。戦闘直後に飲んでおいたポーションの効果で、ちょうどフル回復したところだった。 皆が全快したのを確認したユウキがぱちんと両手を叩き、元気な声で言った。 「じゃ、もいっちょ行こっか!」 おー、と唱和しつつ、アスナたち六人はそれぞれの武器を高く掲げる。手早く打ち合わせどおりの隊列に並びなおし、アスナとシーエンの補助スペル詠唱が終わったところで、ユウキが右手を回廊どんつきの大扉に掛けた。一瞬ぐっとためてから、思い切り開け放つ。 今度は青いかがり火がすべて点灯するのを待つことなく、全員が内部に駆け込んだ。この照明の演出は全フロアで共通しており、最初のひとつが灯ってからボス湧出が終わるまでが、攻略参加の猶予時間となる。 重低音を響かせながら、四角い岩のようなポリゴンが出現した。みるみるディティールが増加し、黒巨人がその姿をほとんど完成させたころ、背後の回廊から遠く無数の靴音とときの声が響いてきたが、アスナはもうほとんど注意を払わなかった。 雷鳴のような雄叫びを轟かせ、ボスモンスターがずしんと着地するのと同時に、両扉が重く震動しながら動き出し、数秒でぴたりと閉ざされた。
小瓶の栓を親指で弾き飛ばし、中の青い液体を一息に呷りながら、アスナはマナ回復薬の残存数をちらりと確認した。腰のポーチにぎっしりと詰まっていたはずのポーションだが、四十分を超える激戦のあいだにみるみる消費され、残すところあと三本だけとなってしまった。一緒にヒーラー役を受け持っているシーエンのほうも似たような状況だろう。 前衛攻撃役の面々も限界まで頑張ってはいるのだ。黒巨人の攻撃パターンのうち、回避可能なものは全て避けている。しかし、巨人のふたつの口から時折放たれる毒属性の広範囲ブレスと、二本の鉄鎖で周囲を狂ったように薙ぎ払う全方位攻撃だけはいかんともし難い。その二つが飛び出すたびに、アスナとシーエンは最上級の全体回復スペルの詠唱を余儀なくされるため、マナポイントがいくらあっても追いつかない。 こちらの攻撃も、ノリの棍とタルケンの槍、ユウキの剣がもう無数にクリーンヒットしているのだが、まるで耐久力無限の鉄壁を叩いているような嫌な手応えだ。ボスは時折四本の腕を体の前で交差させて防御姿勢を取り、そうなると実際に鉄のように硬くなってすべての攻撃を弾くため、徒労感もいや増していく。 喉元までせり上がってくる焦燥感を、ポーションと一緒にむりやり飲み下して、アスナは声を張り上げた。 「みんな、もうちょっとだよ! もうちょっとだけ、頑張ろう!」 ――と言ってはみたものの、五分前にも同じことを叫んでいるのだ。ボスモンスターはHPバーを確認することができないため、残りHPはその挙動から推測するしかない。戦闘開始時にはのろのろと動いていた黒巨人が、今は恐慌状態とでも言うべきおお暴れっぷりなので、体力が残り少ないのは確かなはずだが、それすらも希望的観測の域を出ていない。 こういう先の見えない長期戦では、後方でバックアップするプレイヤーはマナポイントが減少していくだけだが、前線で敵の猛攻に晒されるフォワードは実際に精神力、集中力を消耗させていくことになる。通常のボス攻略戦では、最前面に立つプレイヤーはおよそ十分で控えと交替するのがセオリーなので、それを考えればスリーピングナイツの面々の頑張りは驚異的と言える。 しかしさすがに疲労は隠し切れないようで、アスナの呼びかけに、おう! と元気な声で応えたのはユウキだけだった。小柄なインプの少女だけは何十分経っても憔悴の色ひとつ見せず、軽快なステップで巨人の槌と鎖をかいくぐっては右手の剣で的確にダメージを入れていく。 いままで、ユウキの強さを超絶的な反射速度としてとらえていたアスナだが、ここにきてまたひとつ認識を新たにさせられる思いだった。集中を途切れさせることなく剣を振るい続ける意思の強靭さは、これもかつてのキリトに匹敵するかもしれない。 ふと、アスナは、何度目ともしれない回復スペルを詠唱しながら、眼前の光景を遠い記憶に重ね合わせていた。 まえのアインクラッドの、七十何層だったかのボス攻略戦で、キリトも似たような巨人タイプ相手にたった一人で奮闘したものだ。敵の猛攻を避けに避けまくり、両手の剣を機関銃のようなスピードで振り回して、ボスの弱点らしき脇腹へと―― 「あっ……」 アスナは、不意に訪れた電撃的な閃きに、思わず短い声を漏らした。途端、詠唱中だったスペルをファンブルしてしまい、ぼふん! と周囲に黒煙が立ち込める。 しまった、と首を縮めたが、アスナに続いてキャスティングしていたシーエンの魔法が危ないところで間に合った。前方で毒ブレスに包まれていたテッチたちのHPバーが、たちまち安全圏まで回復する。 ちらりと視線を向けてきたシーエンに、アスナはごめん、というように左手を立ててから、早口で言った。 「シーエン、ちょっと思いついたことあるの。30秒だけヒール任せていい?」 「ええ、大丈夫です。私はまだマナに余裕ありますから」 頷くシーエンに向かってもういちど手を上げてから、アスナは右手の杖を掲げた。大きく息を吸ってから、限界のスピードで新たな呪文の詠唱を開始する。 スペルワードが組み立てられるに従い、アスナの前にきらきらと氷の粒が出現し、それはたちまち凝集して、四つの鋭い氷柱を作り出した。氷のナイフが出来上がると同時に、アスナの視界に青い光の点が表示される。非追尾型攻撃スペル用の照準点だ。 アスナは慎重に左手を動かし、青い光点の位置を微調整して、黒巨人の二つの頭のすぐ下、喉もとへとあわせた。巨人がどすんどすんと前進し、上側の二本の手でハンマーを大きく振り上げたその瞬間―― 「えいっ!!」 アスナは右手の杖をぶんと振った。たちまち、四本の氷柱は青い軌跡を引きながら飛翔し、狙い違わず巨人の二本の首のつけねに命中した。 「グオオォォォォ!!」 途端に黒巨人はどこか悲鳴じみた声をもらし、ハンマー攻撃を中止して、四本の腕を首の前でしっかりと交差させて体を丸めた。そのまま五秒ほど防御姿勢を取ってから、ふたたび腕を振り上げて、戦槌を思い切り石畳に叩きつける。 ずどどーんという大音響とともに床が地震のように揺れ、アスナは転ばないように両足を踏ん張りながら、小さく呟いた。 「やっぱり……」 再び訝しそうに首を傾げるシーエンに、簡単に説明する。 「あの防御行動、ランダムかと思ってたけどそうじゃなかった。首元にウィークポイントが設定されてるんだわ。弱点探してる余裕なかったから、はなっからアテにしてなかったんだけど……」 「じゃあ、そこを攻めれば倒せるんですか?」 「少なくとも、効率は良くなる……と思うけど、ちょっと場所が高いな……」 巨人の身長はおよそ四メートル、首筋を狙おうにも、タルケンの長槍でもぎりぎり届かない。フィールドでならいくらでも飛んで攻撃できるが、迷宮区ではそれができない。 「カウンター覚悟でソードスキルを使うしかないかもですね」 シーエンの言葉に、アスナもあごを引く。飛行不可圏ですこしでも滞空しようと思ったら、突進系のソードスキルを使うか、あるいはジャンプして連撃系の技を繰り出すしかない。当然、使ったあとには硬直時間が待っており、無防備に落下していくところを狙い撃ちにされるのは必至だ。無論、スペルで蘇生を試みることはできるが、成功率は100%ではなく、また詠唱も気が遠くなるほど長いためにがたがたとパーティー全体が崩壊することにもなりかねない。 しかし――、ユウキなら、一も二もなくやってみようと言うに違いない。そう思いながらシーエンの顔を見ると、華奢な外見とはうらはらに肝っ玉の据わっているウンディーネも、ぐっと力強く首肯した。 「わたし、前に出て作戦を伝えてくる。もう少しだけヒール役お願い」 「任せてください!」 アスナはポーチから残りのポーションのうち二つをつかみ出し、シーエンに渡すと、くるりと踵を返して走りはじめた。 十メートルほどの距離を一瞬で駆け抜け、黒巨人に近づいた途端、真横からうなりを上げて鉄鎖が襲い掛かってきた。慌てて首を縮めて回避するが、肩ぐちを先端の錘がかすめて、たちまちHPが減少する。 それに構わず走りつづけ、ユウキのすぐ後ろに達すると、アスナは叫んだ。 「ユウキ!!」 剣を振りながらくるっと振り向いたユウキは、目を大きく見開いた。 「アスナ! どうしたの?」 「聞いて、あいつには弱点があるの。二本の首のまんなかを狙えば大ダメージを与えられるはずだわ」 「弱点!?」 ユウキは再びくるっと振り向くと、食い入るように巨人の頭を見上げた。途端、遥か上空から大樽のようなハンマーが降ってきて、二人はあわてて飛びのく。続いて発生する震動波を垂直跳びで回避しながら、ユウキは叫んだ。 「高い……ボクじゃ、ジャンプしても届かないよ!」 「ちょうどいい踏み台があるじゃない」 アスナはにっと笑うと、少し離れたところで戸板のような盾を掲げ、鎖の乱舞からノリを守っているテッチに視線を向けた。すぐに、ユウキも納得したかのようににかっと笑い返してくる。 二人は同時にダッシュすると、テッチの後ろ三メートルほどの位置に回りこんだ。ユウキが口に両手をあて、この体のどこから、と思うような大声を出す。 「テッチ! 次にハンマー攻撃がきたらすぐにしゃがんで!!」 巨漢ノームは、振り向くと豆つぶのような目を見開いたが、すぐにこくこくと頷いた。 黒巨人はひとしきり鎖を振り回したあと、大岩のような上半身を反らせて空気を吸い込み、一瞬溜めてから二つの口を大きく開いて、ごばぁぁー! と黒いガスを吐き出した。たちまち周囲は硫黄のような悪臭に包まれ、前面にいる皆のHPがみるみる減少する。 が、ブレス攻撃が終わった瞬間、見事なタイミングで青い光が降り注ぎ、体力を回復させていく。巨人は続けて、上側の腕に握った二本のハンマーを高く振り上げた。 ユウキが腰を落とし、ダッシュの用意をする。アスナはその小さな背中に向けて、早口で言った。 「最後のチャンスよ! がんばれ、ユウキ!」 ユウキは背を向けたまま応えた。 「まかして、姉ちゃん!!」 ねえ……ちゃん? 思わぬ呼び方をされ、アスナがぱちくりと瞬きをしたその時にはもう、少女は猛然と地を蹴っていた。 前方では、巨人が床をぶち抜く勢いで二つのハンマーを叩きつけた。ででーん! と衝撃音が響き渡り、放射状に発生する震動波を、テッチがしゃがみこんでやり過ごす。 直後ユウキも跳んだ。左足をテッチの広い肩に掛け、右足で分厚いヘルメットの天辺を踏みつけて―― 「うりゃああああ!!」 鋭い掛け声とともに、ユウキはまるで見えない翅をはばたかせたかのように、高く飛翔した。一直線に巨人の胸元に迫ると同時に、右手の剣を大きく引き絞り、 「やーっ!!」 再度の気合を迸らせながら、二つの首の接合部目掛けて、凄まじいスピードで突き込んだ。青紫色のエフェクトフラッシュが迸り、円形の部屋中をまばゆく照らし出した。 空中においてソードスキルを発動させた場合、たとえそこが飛行不可圏内であったとしても、技が出終わるまでは使用者が落下することはない。ユウキは黒巨人の正面に滞空したまま、電光のように右手を閃かせつづけた。右上から左下に向かって突きを五発。そのラインと交差する軌道でもう五発。重い音とともに剣先が急所を抉るたび、巨人は四本の腕を捻じ曲げて悲鳴じみた絶叫を上げる。 バツの字を描くように十発の突き技を叩き込んだあと、ユウキは再び体を大きくひねり、右手の剣の刀身に左手をあてがった。 瞬間、刃から放たれた閃光の、あまりの眩しさにアスナは思わず目を細めた。ユウキの黒曜石の剣が、今だけは金剛石に変わったように見えた。白く輝く剣は、ジェット戦闘機じみた衝撃音を響かせながら、バツ字の交差点、巨人の首元の中心に突き刺さると、そのまま刀身の根元まで深く深く貫いた。 巨人が絶叫を止めて凍りついた。アスナも、ジュンやテッチ達も、そして右手をいっぱいに伸ばしたユウキも、時間が停止したかのような静寂のなかで、ぴたりと動くことをやめた。 やがて、埋まり込んだ剣を中心に、巨人の黒光りする肌に蜘蛛の巣のような白い亀裂が発生した。罅割れは、その内部から放たれる白光の圧力に耐えかねるように、ぴしぴしと長さと太さを増していく。それはみるみるうちに巨体の四肢すべてに広がり―― 立ち木が裂けるような鋭い音とともに、二つの首の接合部から、黒巨人は真っ二つに断ち割れた。直後、ガラスの像が圧潰するかのように、四メートルの巨体すべてが大小無数の塊となって砕け散った。ほとばしった純白の光が、物理的な圧力をともなって押し寄せ、アスナの髪を激しく揺らした。重低音と高音が入り混じったエフェクトサウンドがドーム中に荒れ狂い、十数秒後、鈴を鳴らすような硬質の音色を高く引きながら薄れ、消えて行った。 円周部からドームの薄闇を照らしていた青いかがり火が、激しく揺れ、一瞬薄れて、なんの変哲もない橙色へと変わった。同時にボス部屋全体が明るい光で満たされ、漂っていた妖気の残滓を追い払った。 気付くと、すべてが終わっていた。 「……はは……やっ……たぁ……」 アスナは掠れた笑いを漏らすと、その場にぺたんとへたり込んだ。顔をめぐらせると、ボスが消滅した場所にポカンとした表情で立ち尽くしていたユウキと、目が合った。 小柄な少女は、数秒間も訝しそうに瞬きを続けていたが、やがてその口もとに薄っすらと微笑みがにじみ出て来た。それはたちまち、いつもの、輝くような満面の笑みへと変化する。 右手の剣を鞘に戻すのももどかしく、ユウキはだっとアスナに駆け寄ってきた。2.5メートルほども手前で、両手をいっぱいに広げて地を蹴り、そのままどすーんとアスナの胸に飛び込んでくる。 「ぐはっ!」 アスナは大げさな悲鳴を上げてみせると、ユウキと一緒に床に倒れ込んだ。そのまま、至近距離で互いの目を覗き込んでから、同時に爆発するように笑い出す。 「あははは……やった、勝った……勝ったよ、アスナ!」 「うん、やったね! あ――……疲れた――!!」 上にユウキを乗っけたまま、手足を大の字に広げてばったりと床に伸びる。周囲では、同じくへたり込んでいた仲間たち五人が、それぞれの格好でガッツポーズをし、歓声を上げていた。 と、アスナは、頭の上のほうからギギギ……と重い音が響いてきたのに気付いた。視線を向けると、さかさまの視界のなかで、入り口の大扉がゆっくりと開いていく。 突然、その扉が左右に激しく叩きつけられた。奥から、無数のプレイヤー達がときの声とともに突入してきた――が、すぐに内部の異変に気付いて立ち止まると、戸惑ったようにきょろきょろと周囲を見回す。 ボス攻略ギルドの面々の先頭に立つ、一際高級な装備にびっちりと身を固めたサラマンダーの大男と、アスナの目が合った。大男の顔に、じわじわと理解と屈辱の色が浮かぶのを、アスナは少々痛快な気分で眺めた。 「へへ……」 にんまりと笑みを浮かべてみせたあと、アスナとユウキは、床に転がったまま同時にVサインを作って、男達に突きつけた。
数十通りの捨て台詞を残して攻略ギルドが引き上げたあと、アスナとスリーピングナイツの面々は、ボスモンスターがドロップした鍵を使って、部屋の奥の扉を開けた。長い螺旋階段をひたすら登り、東屋ふうの小さな建物の床から飛び出すと、そこはもう前人未到の68層だった。すぐ近くに見えた主街区まで一息に飛び、中央広場の転移門をユウキがアクティベートしたところで、ボス攻略クエストは全て終了となった。 さっそく、青く光るゲートを使ってロンバールの街まで戻ってきた七人は、広場の片隅で輪になると、あらためてばしんばしんとハイタッチを交わした。 「みんな、おつかれさま! ついに終わったねえー」 笑みとともに言いながら、アスナはそこはかとない寂しさを感じていた。あくまで傭兵である身としては、契約の終了はすなわちひとまずの別れを意味する。 ううん、これから友達になればいい、時間はたっぷりあるのだ――と思い直していると、不意にアスナの肩をぽん、とシーエンが叩いた。見ると、整った顔にはいつになく真剣な色が浮かんでいる。 「いいえ、アスナさん。まだ終わっていません」 「……え?」 「大切なことが残っていますよ。――打ち上げ、しましょう」 がくっと膝から崩れ、もうっ! と拳を振り上げてから、アスナは両手を腰に当てた。 「うん、やろう! どーんと盛大にやろう」 言うと、ジュンがにやっと笑みを浮かべた。 「なんせ予算はたっぷりあるしな! 場所はどうする? どっか大きい街のレストランでも貸し切りにすっか」 「あ……」 アスナはふと思い立つと、両手の指先を組み合わせながら、皆の顔を見回した。 「えっと、そういうことなら……わたしの家にこない? ちっちゃいとこだけど」 それを聞いたユウキが、ぱっと顔を輝かせる。だが、どうしたことか、その笑顔は雪が溶けるようにたちまち消え去ってしまった。そのまま、軽く唇を噛んで俯いてしまう。 「ゆ……ユウキ? どうしたの?」 戸惑いながらアスナが声をかけても、いつも元気だった少女は顔を上げようとしなかった。代弁するかのように、シーエンが口を開いた。 「……あの……ごめんなさい、アスナさん。気を悪くしないで頂きたいんですけど……私たちは……」 だが、言葉は最後まで続かなかった。ずっと下を向いていたユウキが、突然鋭く息を吸い込むと、右手でシーエンの手をぐっと掴んだのだ。 ユウキはぎゅっと唇を引き結び、ゆがめた眉のしたで大きな瞳に切々とした光を浮かべて、じっとシーエンを見つめた。何かを言いかけるように二、三度唇が小さく動いたが、音が発せられることはなかった。 だが、シーエンにはユウキが言いたいことがわかったようだった。口もとに、ごくごくかすかな微笑を浮かべると、右手でユウキの頭をぽんと撫で、アスナに向き直った。 「アスナさん、ありがとう。お気持ちに甘えて、お邪魔させて頂きますね」 いまの一幕の意味が理解できず、アスナは首を傾げた。しかしすぐに、その場の空気を吹き散らすようにノリがいつもの豪快な声で言った。 「そうと決まったら、まず酒だな! 樽で買おう、樽で!」 「ここには、ノリさんの好きな芋焼酎は無いですよ」 眼鏡を押し上げながらぼそぼそとタルケンが口を挟むと、たちまち厳しい突っ込みが背中に飛んだ。 「なんだとこら! いつアタシが芋焼酎好きなんて言ったか! アタシが好きなのは泡盛なんだぞ!」 「色気の無さじゃ一緒じゃんかよ」 ジュンの更なる突っ込みに、皆の笑いが続く。一緒に笑いながら、アスナはユウキに再び視線を向けた。ユウキの顔にもようやく笑みが戻りつつあったが、その瞳に揺れるどこか切なそうな色は、まだ完全には消えていなかった。 まず、連れ立って現時点では最大であるアルゲードの街のマーケットに赴き、大量の酒と食料を買い込んでから、一行は22層に転移した。 小さな村の広場から飛び立ち、深い雪に埋もれた森を眼下に見ながら南を目指す。氷の張った湖を一息に越えると、木立の中にぽかりと開けた空き地と、そこに立つ小さなログハウスが見えた。 「あっ、あそこ!?」 ユウキのはしゃぎ声に、こくこく頷く。 「そうだよー……あっ」 アスナが答えるや否や、ユウキは両手を広げると、一気に加速した。そのまま、まっすぐ家の前庭目指して落ちていく。直後、ぼふーんと盛大な雪煙が上がり、近くの森から驚いた鳥の群が飛び立った。 「……まったく」 シーエンと顔を見合わせて笑ってから、アスナも翅を一打ちして着陸体勢に入った。しばし滑空してからすとんと庭に降り立つと、待ちきれないように足踏みしていたユウキに引っ張られるようにしてドアに向かう。 家に、仲間たちの誰かがいたらさっそく紹介しようと思っていたのだが、残念ながら部屋は無人だった。 「へえー、ふうーん、ここがアスナのおうちかあ!」 ユウキは嬉しそうに、床から生えたテーブルや、赤々と火が燃えさかる暖炉、壁に掛けられた剣などと見てまわっている。残り六人はテーブルの周りに集まると、それぞれのアイテム欄から買い込んできたご馳走を取り出した。たちまち謎の酒肴が山のように積み重なる。 ノリの希望どおり大樽で仕入れたワインの栓を抜き、黄金色の液体をなみなみと注いだグラスが並ぶと、それでもう宴席の準備は完了した。キッチンでアスナの調味料コレクションに見入っていたユウキをジュンが掴まえてリビングに引っ張ってきて、七人そろってテーブルにつく。 乾杯の音頭をアスナが辞退したので、ユウキが握ったグラスを掲げて、満面の笑顔で叫んだ。 「それでは、ボス攻略成功を祝して……かんぱーい!」 乾杯! の唱和と、かちんかちんとグラスがぶつかり合う音が続き、全員が一気にワインを干す。あとは、たちまち秩序無きどんちゃん騒ぎへと移行した。 ジュンとテッチが先刻倒したボスの話、ノリとタルケンがALOに存在する酒の話で盛り上がっている隣で、アスナはユウキとシーエンから、今までコンバートしたVRMMO世界の話を聞いていた。 「間違いなく最悪だったのはねえ、アメリカの『インセクサイト』っていうやつだよー」 ユウキは両手で体を抱くような素振りをしながら、顔をしかめた。 「ああ……あれはねえ」 シーエンも苦笑いしながら首を縮める。 「へえ……どんなやつ?」 「虫! 虫ばっか! モンスターが虫なのはともかく、自分も虫なんだよぉー。それでも、ボクはまだ二足歩行のアリンコになったんだけど、シーエンなんか……」 「だめ、いわないでー」 「でっかいイモムシでさ! 口から、い、糸をぴゅーって……」 そこで我慢しきれないように、ユウキはけたけたと笑った。シーエンの、憤慨したような幻滅したような顔に、アスナも一緒になって笑う。 「いいなあー、みんなでほんとに色んなところに行ってるんだねえ」 「アスナは? VRMMO歴、かなり長そうだけど」 「わたしは、えーと、ここだけなんだ。この家を買うお金を貯めるのに、随分時間が掛かっちゃって……」 「そっかー」 ユウキは顔を上げると、もう一度、目を細めてリビングを見渡した。 「でも、ほんと、すっごく居心地いいよ、このお家。なんだか……昔を思い出すって感じ」 「そうですね。ここにいると、本当にほっとします」 シーエンもこっくりと深く頷く。 と、不意に、その小さな口がアッというふうに開かれた。 「ど、どうしたの、シーエン?」 「しまった、忘れてました! お金と言えば……私達、アスナさんにお手伝いをお願いするときに、ボスから出たものを全部お渡しするって約束してましたよね。どうしましょう、こんなに色々買い込んじゃって」 「うわ、ボクもすっかり忘れてた!」 申し訳無さそうに肩をすぼめる二人に、笑いながら手を振ってから、アスナは口を開いた。 「いいよ、いいよ。少しだけ、何かもらえれば。あ、ううん――やっぱり……」 そこで口をつぐみ、すうっと息を吸う。 ボス攻略戦の前から、ぼんやりと考えていたことを言葉にするチャンスだ、そう思って、アスナは真剣な顔でユウキを見た。 「やっぱり、何もいらない。その代わり、お願いがあるんだ」 「え……?」 「あのね……契約はこれで終わりなんだけど……でも、わたし、ユウキともっと話したい。訊きたいことが、いっぱいあるの」 どうすれば、ユウキのように強くなれるのか――それを、教えてほしい。胸の奥でつぶやきながら、アスナは続けた。 「わたしを、スリーピングナイツに入れてくれないかな」 「…………」 ユウキは、すぐには答えず、きゅっと唇を噛んだ。見開かれた大きな目に、再びもどかしそうな光がたゆたう。 いつのまにか、シーエンも、そして他の四人も、話を止めてじっとユウキとアスナを見ていた。訪れた静寂のなか、ユウキは長いあいだ無言でじっとアスナを見つめていた。やがて動いた唇から、そっと発せられた声は、いつに無く弱々しく揺れていた。 「あのね……あのね、アスナ。ボクたち……スリーピングナイツは、もうすぐ……たぶん、春までに解散しちゃうんだ。それからは、みんな、なかなかゲームには入れないと思うから……」 「うん、わかってる。それまででいいの。わたし、ユウキと……みんなと、友達になりたい。それくらいの時間はあるよね……?」 アスナは身を乗り出し、じっとユウキの紫色の瞳を覗き込んだ。だが、初めてのことだったが、ユウキはすぐに視線をそらしてしまった。そのまま、小さく左右に首を振る。 「ごめん……ごめんね、アスナ。ほんとに……ごめん」 何度もごめん、とつぶやくユウキの声はいつになく辛そうで、アスナはそれ以上言い募ることができなかった。 「そっか……。ううん、わたしの方こそ、無理なお願いしてごめんね、ユウキ」 「あの……アスナさん、私……私たちは……」 傍らで、シーエンがユウキの言葉を補おうとするかのように言いかけたが、珍しく彼女も言うべき言葉が見つからないようだった。 アスナは、揃ってつらそうな顔をしている皆をぐるりと見渡すと、場をとりなすようにぱたんと手をたたき、意識して元気な声を出した。 「ごめんねー、急に変なこと言って、困らせちゃって。景気づけに、アレ、見にいこう!」 「アレ……?」 首を傾げるシーエンと、俯いたままのユウキの肩を同時にぽんと叩く。 「肝心なことを忘れてるね! そろそろ更新が反映されるころだよ、アレ……『剣士の碑』!」 「おっ、そうか!」 ジュンが大声とともに立ち上がった。 「いこういこう! 写真撮ろうぜ!!」 「ね、いこ?」 アスナがもう一度言うと、ようやくユウキは顔を上げ、小さく笑った。
まだどこか元気のないユウキの手を引き、転移門から飛び出すと、アスナは『はじまりの街』の中央広場を見渡した。 「ふわー、やっぱここは広いなあ! さ、こっちだよ、みんな!」 巨大な王宮に背を向け、花壇の間を縫うように早足で歩くと、すぐに前方に四角い『黒鉄宮』の姿が見えた。アインクラッドでも最も有名な観光スポットのひとつなので、初心者からベテランまで、多くのプレイヤーが出入りしている。 高いメインゲートをくぐり、建物の中に踏み込むと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。異常に高い天井に、プレイヤーのブーツが鉄の床を叩く音が無数に反響している。 かんかんと高い足音を立てて、アスナとユウキたちは奥の大広間に向かった。二つの内門を抜けると、一際静謐な感じの空間が広がり、その中央に巨大なモノリスが鎮座していた。 「あれか!」 せっかちらしいジュンとノリが、アスナとユウキの両側を抜けて走っていく。数秒遅れで剣士の碑の足元まで達すると、アスナも顔を上げ、びっしりと並ぶ文字列の末尾を探した。 「あ……あった」 不意に、ユウキが呟いた。アスナと繋いだ手に、きゅっと力がこもった。同時に、アスナも見つけた。黒光りする鉄碑のほぼ中央、『Braves of 67th floor』の表示のあとに、日本語で七人の名前が深々と刻み込まれていた。 「あった……ボクたちの、名前だ……」 どこか呆然としたようにユウキが呟く。その瞳がかすかに潤んでいるのを見て、アスナも胸が詰まるような気がした。 「おーい、写真撮るぞ!」 ジュンの声が後ろから響いて、アスナはユウキの肩を掴むと、くるんと半回転させた。 「ほら、笑わないと」 アスナの言葉に、ようやくユウキもにこっと笑顔を見せる。六人が碑の前に並ぶと、ジュンは握っていた記録クリスタルのポップアップウインドウを操作し、タイマーを設定して手を離した。クリスタルはそのまま空中に留まり、上部にカウントダウン表示が瞬く。 駆け寄ってきたジュンがユウキとテッチの間に収まり、全員が笑顔を浮かべた瞬間、ぱしゃっと音がしてクリスタルが光った。 「おっけー!」 再びジュンが駆け戻っていく。アスナとユウキは、もう一度振り返って鉄碑を見上げた。 「やったね、ユウキ」 アスナは手を離すと、ユウキの頭をそっと撫でた。ユウキはこくんと頷いたあとは、長いあいだずっと七人の名前を見つめていたが、やがてかすかな声で呟いた。 「うん……やった、ついにやったよ、姉ちゃん」 「ふふふ」 それを聞いて、アスナはつい笑みをこぼした。 「ユウキ、また言ってる」 「え……?」 何のことだかわからない、というふうにユウキはアスナの顔を見た。 「わたしのこと、姉ちゃん、だって。ボス部屋でも言ってたよー。ううん、わたしは嬉しいけど……――!?」 何気なく言いかけた言葉を、アスナは途中で飲み込んだ。 ユウキが、両目を限界まで見開いて、口もとを手で覆っていた。その紫色の大きな目に、みるみるうちに大きな雫が盛り上がり、こぼれると、頬を伝って次々に滴った。 「ゆ……ユウキ……!?」 息を飲んで手を伸ばそうとしたアスナから、ユウキは二歩、三歩と後ずさった。その唇が動き、掠れた声が流れた。 「アスナ……ぼ、ボク……」 不意にユウキは俯くと、溢れる涙をぐいっと拭って、左手を振った。出現したウインドウを、震える指で叩く。たちまち、その小さな体を、白い光の柱が包み――
それを最後に、"絶剣"ユウキは、アインクラッドから姿を消したのだった。
|
|