葦敷重頼
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葦敷 重頼(あじき しげより、生年未詳 - 安元2年2月11日(1176年))は、平安時代末期の武将。清和源氏満政流。浦野信濃守源重遠の次男[1]。兄弟に重直、重房、重弘らがあり、子に重助、重隆、重義(重能)、重信らがある。号は葦敷二郎。
一族の本拠地である尾張国山田郡山田荘(名古屋市東区)の北に隣接する同春日井郡安食荘(名古屋市北部から春日井市にかかる地域)の荘司となり、晩年は出家し常観房と号した。また安食荘内に聖徳寺[2]を建立したと伝えられるほか、同荘内には葦敷・山田一族の菩提寺で重頼の法名にちなんだ常観寺[3]があった。
脚注
- ^ 『尊卑分脈』。同系図では源重実(重遠の父)の子としても重頼の名を挙げる。
- ^ 同寺に伝わる文書によれば官位は従六位下、右衛門少尉で安元2年(1176年)に65歳で没したという。
- ^ 現在の成願寺。後に一族の山田重忠が再建した際に名を改めたと伝わる(「成願寺」名古屋市教育委員会)。
関連項目
- 尾張源氏