東京駅では列車到着2時間前から大勢のファンや野次馬が詰め寄せ、チャップリンは、やっとの思いで帝国ホテルの宿泊部屋に入った。
過密スケジュールの彼は、2日後に犬養毅首相と会う約束をしていた。
チャップリンが来日した5月14日の夜、大地社の開祖である古賀清志(後に”不二人”と改名)海軍中尉と同志の三上卓海軍中尉たちは、命を懸けた決意を固めていた。
―― 政財界の腐敗を廃し、
「国家革新」の思想のもと、決起行動を起こす――
郷里の農村は貧困に苦しんでいた。
しかし、そうした地方の苦しみなど全く考えずにチャップリン、チャップリンと浮かれているミーハーな都市生活者や政財界人たちの姿…。
同じ日本国民でありながら、余りの格差に怒り心頭。
彼らは立ち上がったのである。
【牧野伸顕内大臣邸襲撃】
5月15日、夕刻。
牧野内大臣宅前に古賀中尉ら5名が自動車で乗りつけた。
手榴弾を玄関に投げつけ、出て来た警官をピストルで撃った。
【 首相官邸襲撃 】
同じく5月15日、夕刻。
三上中尉などの海軍将校4人と陸軍士官学校生5人が首相官邸に自動車で乗りつけた。
彼らは犬養首相に面会を申し込むが、応接した官邸職員が拒絶したため、9人は官邸内部へ乱入。
制止する警官2人に向けて銃を撃ち、さらには最大の標的であった犬養毅首相を撃った。
この他、政友会本部・日本銀行・三菱銀行・警視庁を襲った。
これらの決起行動の総称名が「5・15事件」である。
決起行動の最終目標は、要人を襲撃して東京を戒厳令下におき、一挙に国家を改造することだった。
その理想は成し遂げられなかったものの、彼らの志は多くの国民に受け入れられることになる。
行動の良し悪しよりも「憂国の士」的な同情論が大勢を占め、助命嘆願が相次いだ。
結局、死刑を科される者は皆無となる。
首相の暗殺という重罪にも関わらず、厳罰に処されなかったという事実は多くの憂国者たちを勇気付けた。
5・15事件から8年後の昭和15年。一人の志士が獄中から解き放たれた。
大地社の開祖・古賀不二人氏である。
古賀氏は5・15事件により懲役15年の刑に処されて入獄するも、皇紀2600年記念(昭和15年)の恩赦により釈放された。
以後、終戦までは、海軍の急進派の下で大事な役割を果たしたり、民間の会社で海軍精神の注入役を果たしたり…と憂国の志士として懸命に活動した。
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北京五輪開始前日の8月7日、東京の渋谷宮下公園で、大地社主催による北京五輪ボイコット運動が行われた。
デモ行進前の集会において、集まった同志たちに挨拶を述べる水谷代表。
大地社の街宣車がデモ隊を先導。
中国に対する平野氏の怒号が響き渡る。
渋谷の中心街。
デモ隊は北京五輪反対を訴えた。
大地社の有志たち
大地社の大石氏は第2行進隊の先頭
「日中国交を断絶せよ~!!」雨の中、大地社の有志たちが発するシュプレヒコールが天を揺るがす
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