「日本人」の誇りを込めた熱き血潮のメッセージ
充実した内容のニューアルバム「日本人」はどのように生まれたのか。中心人物である綾小路 翔がロングインタビューに応え、その裏側を語ってくれた。
取材・文 / 宇野維正 撮影 / 井出眞諭
──ニューアルバム「日本人」は、現在の氣志團のバンドとして充実ぶりが伝わってくる、エネルギーに満ちた開かれた作品になってますね。2009年の活動再開以来、ついに氣志團がアクセルを思いっきり踏み込んだというか。
2009年に活動を再開してからしばらくは、ちょっと勝負を避けていた感じがあったんです。それは自分たちもそうだし、スタッフもそうだったし。今の時代って、ただアルバムを作って出したところで、コアなファンが「アルバム出るんだ!」って言ってくれるだけで、テレビに出たり、CDショップでバーンと面出ししてもらって、それで多くの人に知ってもらえるって時代ではないから。もう僕ら10年以上やってますからね。知ってるだけだったらみんな知ってくれてるわけで。例えばAmazonにしてもそうだし、Twitterにしてもそうだけど、自分のお気に入りの中だけから情報を取り出すっていうふうになってきてる時代の中で、攻めあぐねているところがあったんですね。
──コンスタントに活動しているアーティストでもそうなのに、氣志團の場合はその前に活動のブランクもあったからなおさらですよね。
そう。本当に自分たちは必要とされてるのか。みんな続けることが大事だって言うけど、本当にそうなのかなって。燃えてもいないのにタラタラ続けていくことに意味があるのかって。そうかと思えば、やたらと燃え上がってるメンバーもいたりして、要はバンドの中でも足並みがバラバラな時期だったんですね。そんな思いが、昨年の“THE対バンスタイル”シリーズGIG「極東ROCK’N’ROLL HIGH SCHOOL」につながっていって。メンバーはほとんど中学生の頃からの仲間ですけど、中学のときも学校の中で誰が一番強いのかってことでモメてバラバラになりかかったんですよ。そんなときに、よその中学からうちの中学にケンカを仕掛けられて、それでまとまったんですよね(笑)。それを思い出して、初めてバンドの外に敵を作ってみたんです。今まで僕らって、ちょっとでっかく構えすぎてたんですよ。対・世間とか、対・時代とか。気が付いたら相手が大きくなりすぎてて、最終的には天に向かって、「どうやってこの雨を止めたらいいんだ?」みたいなところまでいっちゃってて。
──嫌な言葉ですけど、ある時期の氣志團には世の中的に“オワコン”感があったと思うんですね。でも去年くらいから、その頭上の雨雲のようなものがふわーって晴れてきたなっていう確かな感覚があって。だから、このタイミングでこういう力作が世に出ることは、すごく重要だと思います。
まさにそうで、僕らってデビューしてから2005年くらいまでの4年間って本当にただ突っ走って。僕自身、メンバーから見ても不安になるような突っ走り方をしてて。もう中坊がなんでもいいから事件起こして少年院に行けばハクがつくみたいなのに近かったんですよ(笑)。とにかくやれるうちにやっておかなきゃいけないっていうのがあって。僕は中学生の頃から「あのときなんでやんなかったんだろう」「あのときやってれば全然違う未来が待ってたな」って思ってたし、逆にデビューしてから10年経って、今まさに感じてますけど、あの頃やってたことって目に見えない何かにちゃんとなってて。その頃は本当に神風に乗っているっていう感覚を持っていたので、こんなものはいつまでも続くわけないけど、ここで躊躇していてはいけないって思ったんです。とにかくこれを乗りこなせるまで乗っていこうって。だから、その神風が消えたのか、それとも自分たちから下りたのかはすごく曖昧なところですけど、2006年のツアーが終わったところで、メンバーたちは音楽をもっとじっくりやりたいって考えて、僕はまだ少し余力があるならもうちょっと先まで行きたいと考えて、そこで一回止まってしまったんですね。
──そこからDJ OZMAをはじめとするサブプロジェクトでの活動が盛んになっていった。
あの頃は、僕からすると「ほら! みんながもたもたしてる間になくなっちゃったよ、氣志團に吹いてた神風が!」っていう気分だったんですけど。その後の氣志團の位置って、風が完全に凪いでるという、凪の状態で。なので追い風はゼロなんですけど、向かい風もゼロだったんですよね。良く言えばフラット、悪く言えば誰も注目してないっていうところで、ここでジタバタもがくべきなのか、それとも少しでも風が来るまで待つべきなのかっていうことは常に考えていて。2009年と2010年は大きく動かなかったんですけど、2011年に関しては自分たちで手で掻きながら風を作りだそうっていうのがあって。その風っていうのは、世間に大きな風を吹かせようっていうよりは、自分たちが次の場所に行くための跳躍力を取り戻そうというもので。
──そして今、取り戻すことができた。
本当に10年間、みんなからすると「あいつ大丈夫か?」っていうくらい、あっちにもこっちにもそっちにも顔を出して、でかいアリーナでライブやった翌日に新宿のアンチノックにライブを観に行ったりするっていう、そんな自分の行動原理みたいなのが全部無駄にはならずに、じわじわと少しずつ芽吹き始めたりしてきて。なので、今はニュースになるようなことは何もないですけど、自分の中で、こんなところやあんなところに道がまたひとつ増えたなとか、何かあったときにちょっと押してくれる人が増えたなとか、それって10年間やってきたことがやっぱりムダじゃなかったんだなってことで。ここから風がどうなるかわからないですけど、ようやくまたジタバタしてもいいところにきてるんだなって。とりあえず自分たちの上にある雨雲みたいなものだけは飛ばせたのかなって。だから今、心はすごく晴れやかなんですよ。これまでは俺1人でがんばってるような気持ちになる瞬間もあったんですけど、今はそこをメンバーが支えてくれてるし、何よりもバンドを楽しんでる人たちに対して「俺たちのほうが楽しんでるんだぜ」っていう変なライバル意識があるんです。対バンをやらせてもらった吉川晃司さんに「俺なんか2人でも無理だったからバンドなんか絶対無理だったし、バンドやってる奴って何が楽しいのかなってずっと思ってたけど、お前ら見てるといいよね」「お前ら絶対続けたほうがいいよ」って言われて。同じようなことは(藤井)フミヤさんにも言われたり。先輩たちからもそう言ってもらえる何かが今の俺たちにはあるのかなって。
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千葉県木更津市でカリスマ的人気を得ていた綾小路 翔を中心に1997年に結成。メンバーは綾小路 翔(Dragon Voice)、早乙女 光(Dance & Scream)、西園寺 瞳(G)、星グランマニエ(G)、白鳥松竹梅(B)、白鳥雪之丞(Drums & Drunk)の6名。「ヤンクロック」をキーワードに、学ランにリーゼントというスタイルでライブを行い、2001年12月から3カ月連続で発売されたVHSビデオで“メイジャーデビュー”を果たす。その後「One Night Carnival」「スウィンギン・ニッポン」などヒット曲を連発。2004年には東京ドームでワンマンライブを行い、2004年、2005年にはNHK紅白歌合戦にも出演。2006年には結成10年目を記念して、富士急ハイランドにてイベント「氣志團万博2006“極東NEVER LAND”」を開催し大成功に収めた。2011年には計30公演におよぶ対バンギグシリーズ「極東ロックンロール・ハイスクール」を実施するなど精力的なライブ活動を継続。結成15周年を迎える2012年は「氣志團 完璧年間行事(パーフェクトイヤーズ)」と銘打ち、さらに幅広い活動を展開中。