水俣病研究の第一人者で、半世紀を超える研究や被害者の診療にあたり、有機水銀が胎盤を通じて子どもに伝わる胎児性水俣病を突き止めた元熊本学園大教授で医師の原田正純(はらだ・まさずみ)さんが11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため死去した。77歳だった。葬儀の日取り、喪主は未定。
1934年生まれ、鹿児島県育ち。熊本大で医師免許を取った翌年の61年、熊本県水俣市で水俣病の調査を開始。「胎盤は毒物を通さない」という当時の常識を覆し、母親の胎内で有機水銀に侵されて起こる胎児性水俣病を突きとめた。
周辺の不知火海一帯を歩いて診察し、被害の広がりの解明にも貢献。全国の水俣病裁判では、一貫して被害者の立場に寄り添って証言を続けた。
また、戦後最悪の炭鉱事故で、458人の命が奪われた63年の三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)の炭じん爆発では、一酸化炭素中毒患者を40年間追跡し、「後遺症はほぼない」とする教科書の誤りを正した。