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十六夜書房 (@izayoishobo)

Posted Friday 22nd June 2012 from Twitlonger

tori kudo's meltdown1
原発事故以降に封切られた映画では、園子温の「ヒミズ」と大林監督の「この空の花」を観ました。前者は地震による被害とDVの苦しみを同列に置くことで、後者は戦争の歴史の中に原発事故を置いてみせることで、いのちを全体の状況に結びつけて現前化させようとしていました。

見えているものと見えていないものは異なっていますが、それでも両者は共に原発事故以降のリアルを定着させようとしています。7月2日のテーマもそこにあります。

話し声によって進んでいくようなものを考えています。

いまいくつかのまとまりを考えました。
1 原発事故に関するリアルな声
2 ホームレスや避難民としての生活者のリアルな声
3 外人居留者のリアルな声
4 DV、モラハラ被害者その他の人前で話しにくい人々の言葉
5 それと同一平面上に立とうとする音
6 それぞれのセクションと観客とのインタラクティブな領域

演奏で参加する人は、このうちの5について自分にできることはないか、ということを考えます。

6については 店との合意が必要ですが、
a 「スナック・メルトダウン」に見立てたカウンターで隣の人に喋る声をマイクで拾う案、
b チェーン店並に高い線量の汚染野菜(要測定器)を使って料理して売り、客が食べた食べないで揉めるところにマイクを立てておく、いう案が勝手に出ています。

ミキサーに一人張り付いて付いて話し声の出し入れをしている必要があります。
明日までに詳細を決めるように言われているのでやれそうなら連絡ください


tori kudo's meltdown2
企画をするというのは晴れがましくもおこがましいもので、自分がよく見えてきます。ぼくの企画は本当は企画ではなくて、当日までの過程を見せる一連の演劇のようなものだと思えてきました。以下はこれまでの経緯です。

高円寺のshowboatから店の19周年の企画の依頼がありました。Dさんという目利きの(ぼくや生悦住Iさんにとっての、ですけど)ブッキング・マネージャーが去ったという話は聞いていたので、ちょうどベアーズから三沢さん、道下さんが抜けた後のような感じで、一回は遺言のようなものの効力で余勢を駆って誘われるが、それ以降は呼ばれない、というお定まりのケースかと思いました。新しいブッキング・マネージャーはAOさんという女の人でした。きっと、店が経営上の苦肉の策として誰かに企画を丸投げして利益の半分を渡すという挙に出たのではないか、と勘繰りました。演奏が下手でPA受けが悪く客も来ないということでよく出入り禁止になってきた経緯があるのでいじけているだけなんですが、他の日を見るとプリズムとか出ていて、みなローソンチケットとかだし、ゴージャスな感じで、CD業界と違ってライブ業界は普通に儲けているのかなとも思いました。

企画を誰かに任されるというのは初めてです。タイトルのmeltdownというのは、ロンドンにいた頃ロイヤル・フェスティバル・ホールで毎年行われていた人目を引く企画で、毎年一人キュレーターが選出され、その人に好きな出演者を選ばせる、というものでした。ロバート・ワイアットの回では、パレスチナ・イスラエルの人やストリートのジャグバンドなどが呼ばれ、部分的に意表をついた選択だったので印象に残っていて、その影響で、10年くらい前に、当時は小金井にあったartlandでの個展のついでに「夜稲派メルトダウン」という企画を打ったことがあります。その時出たのは主に川手さんの知り合いで、リトルテンポの人とか、MSさんとか、山我静さんとか、トリ公とか、波夫とかでした。喜納亜里抄さんもいたかもしれません。ちょうど「夜の稲」というアルバムを出した頃で、その頃はmeltdownという言葉がまだ普通に使えました。ぼくが企画すると、大抵人が来なくて失敗します。たまたま知り合いになった、自分を売り込むことが下手で地味な人を呼ぶ癖があります。

ぼくが選ぶとしたら、当然昔から親しくしているユンボとか関さんとかテニスとか、夕食、ジョンのサン、テレーズやダルガリーズや井岡さん関係、あとは喉笛とか震える舌とかだと思われるだろうから、そういうのを外して意外性を出そうと思いました。地方のバンドばかりを自腹で来させるのも何とかジャンボリーみたいで申し訳ないし、女性の弾き語りみたいなのを呼ぶのもjojo君みたいだから(笑)やめようと思いました。

で、まず思いついたのが大分のclavinotesでした。ぼくは大人しそうなギターの竹田君が曲の途中急にキレて壁を蹴ったりする演奏が好きで、地方からは彼らを呼ぼうと思ったのです。でも彼らは迷った末、仕事でやはり来れないと言ってきました。道後のイベントで知り合った高知の感応力のあるシンガー、ジャコバン西田さんにも電話してみましたが、やはり出られないということでした。これで知られていない地方の人を紹介するという路線はなくなりました。

次に思い浮かんだのはバトミントン選手のF君でした。かれは不安障害と双極性障害を抱えてしょっちゅう死にたいと電話をかけてきますが、バトミントンではトップクラスのプレーヤーなので、瞬発力が凄くて、よく二人でギターをラケットにしてバトミントンをしていました。かれは喜んで、出ますと言ってくれたので、これで一人目が決まりました。その時点でK君と三人でやるような予感がしていました。三人ともギターで、それぞれが入れ替わりつつドラム、ベース、ギターのつもりで演奏する、というのを考えました。

その後、高円寺のカラオケボックスでマヘルのライブをしたんですが、客は一人しか来なくて、それが札幌時代から知り合いのH君で、かれにマイクを渡したらフリースタイルのラップを披露してくれ、それがとても良かったので、7月2日の企画の話をしたら、かれのやっていたサーフィンズの話になりました。サーフィンズというのはその場で歌を作ろうとする、という困難なコンセプトのバンドでしたが、メンバーのO君は今東京に出てきて工員をしているから7月2日に誘ったら喜びますよ、とH君が言うので、本当にその場で歌を作るなら呼ぶ、とtwitterで連絡してみると、「H君が何を伝えたかは分かりませんが、今後何かがあるのなら万全の体勢で伺いたいと思います。おかげさまで、札幌から上京して墨田区在住3年目になりました。歌は、36年間生きてきて、作れた事は全く無いです。」という骨太なDMが来たので、安心して頼もうと思いました。プロフィールはO、墨田区在住工員、ということにしてください、ということでした。サーフィンズはもう解散しているみたいなので、どんな形態かわからないけれど、H君のフリースタイルがとても良かったので、その場で歌を作ろうとして出来ない、というのを一歩進めて、もしO君さえよければ、H君と二人で、何が見えているかをはっきりさせてほしいと願っています。

そのうちに、ブッキング・マネージャーのAOさんから、早く出演者を決めてくださいという催促が入りました。それで、次のような参加呼びかけ文をブログに載せました。

“参加者募集中です。資格は、ホームレス、避難民、外人居留者、プレカリアート、ひきこもり、またはそれに準ずると思う人。交通費が皆の分は出せないと思いますが、なるべく分けるようにします。”

ぼくとしては、知り合いを誘うのはもういいから、誰かのリアルな声を聞きたいと思ったのです。そうじゃないと、折角振ってくれた企画の意味がないし、普通のコンサートになってしまう。
でもブログのメールボックスには何の反応もありません。数日が過ぎた頃、大林監督の「この空の花」という映画を観たのですが、前に観た園子温の「ヒミズ」と比較せずにはいられませんでした。共に原発事故後の情況を捉えようとした映画ですが、「この空の花」の中では、空襲で死んだ子の声が聞こえているか、というテーマが繰り返されていて、そのことを考えているうちに、マヘルで前回やった、「墓川雪夫のロック史」というコンサートの反省点が浮かび上がってきました。

前回の「ロック史」は、事故で障害者になったロックの、当たり前と思っていた動きが出来なくなるという、いわば引き算による演奏でした。ロックから重力を、右左を、数を、空気を抜いたわけです。それはそれで成功したとは思いますが、「この空の花」が長岡市の花火を江戸末期からの戦争状態の日本の歴史の中に置いたように、ロックを花火の代わりに原発事故に至る歴史性の中に置かねばならなかった、ということなのではないか、と思ったのです。具体的に言うと、鈴木さんは体をぐるぐる巻きにされて演奏しなければならず、血豆を作っていましたが、翌日彼女の指を見た時に、それが皆に伝わる仕組みが欠けていたのではないか、と思ったのです。マヘルの人たちは田尾君とのシナリオ作成には関与
せず、当日ぎりぎりに集合して、架空のロック史のために縛られたり飛んだり息を止めたりしながら演奏してくれたのですが、自分たちの歴史性とリンクする部分が与えられておらず、それがないがためにリアルなものに触れられなかった。だから今回は準備段階から原発事故後の歴史性を共有しよう。そうするとやっと鈴木さんの血豆が見えてくるかもしれない。それで、当初はやらないつもりだったマヘルの個々の人たちにも、個人として参加するように呼びかけることにし、思いつく人々に次のような最終的な呼びかけ文を送って反応を見ることにしました。

「原発事故以降に封切られた映画では、園子温の「ヒミズ」と大林監督の「この空の花」を観ました。前者は地震による被害とDVの苦しみを同列に置くことで、後者は戦争の歴史の中に原発事故を置いてみせることで、いのちを全体の状況に結びつけて現前化させようとしていました。
見えているものと見えていないものは異なっていますが、それでも両者は共に原発事故以降のリアルを定着させようとしています。7月2日のテーマもそこにあります。

声によって進んでいくようなものを考えています。

いまいくつかのまとまりを考えました。
1 原発事故に関するリアルな声
2 ホームレスや避難民としての生活者のリアルな声
3 外人居留者のリアルな声
4 DV、モラハラ被害者その他の人前で話しにくい人々の言葉
5 それと同一平面上に立とうとする音
6 それぞれのセクションと観客とのインタラクティブな領域

参加する人は、このうちのどれかについて自分にできることはないか、ということを考えます。」

1については、まず石川雷太の呪詛のような反原発ノイズがありますが、同じノイズ系でも、結局RAさんが独自に行ってきた朗読の試みの最新部分で、目覚めさせられたウランになりきって呻いているヴォーカリゼーションが表現として優れていると思い誘うことにしました。

2については、神保町のXXというスペースで演奏した後、スタッフのJHさんが、反原発デモで楽隊をやったりしている人で、素人の乱や246表現者会議と繋がりがあることが分かり、7月2日の企画のことを話すと、ホームレスの運動をやっている小川てつオさんに声をかけてみる、と言ってくれたので、その可能性に賭けることにしました。もしかれが来られない場合でも、かれの声を録音しておいたものをJHさんが紹介するという形をとれないだろうか、と思いました。ただ、JHさん自身も昔話の朗読をしたりしているということなので、任せることにしましたが、そのうちに、いろんな人が誰かの声を連れてくる、というテーマのようなものが湧いてきました。

3については岐阜のシーンに居るCさんを通して、日系ブラジル人のコミュニティーからラッパーを何人か紹介してもらい、最終的にブルーノがやることになりました。
「ブル-ノ(BRU)はBCCというクルーの一員で「日系兄弟」というユニットの兄の方です。いまブラジルに居る弟はARCと言います。同じような顔なので動画見るときなどに参考にしてください。動画はWHOLE NINE TVで検索すると紹介されています。名前を載せる時は、BRU from,日系兄弟,B.C.C.」
甲府の「サウダージ」では田我流がブラジル人ラッパーを刺してしまいますが、岐阜では日系兄弟がシーンを引っ張っているのだそうです。本番ではブラジルからスカイプで弟も参加できるようにする、という案が浮上しています。

4については、DV被害者が仲間の外で自分を晒すのは問題があり、話すのは難しいと思うので、他の方法を考えています。人を見世物のように扱う表現がどうしてまかり通ってしまうのか、ということ自体を問題にするべきだと考えます。

5に関しては、F君とO君の時間帯に加えて、路地と人に来てくれたAHaさんが初めてメールボックスを通して参加を表明しました。ユーフォニウムを吹くというので楽しみにしています。もし参加する人が集まれば、楽隊のような楽譜を用意します。

6に関しては、客席にマイクを数本立て、ミキサーが話し声を出し入れしていく、という、ジェイコブ・ウレンとやった時に使った手法を考えています。

マヘル系でリアクションがあったのは、今のところバイオリンのESさんだけですが、呼びかけ文に対して、「リアリティを持つ人が何かを表現に結びつけることができるとは、率直に言ってあまり思えません…」というコメントをくれました。それに対しては、「それぞれの話し手のリアルはカメラワークのようなミキサーの使い方次第で表現になるはずだと思いますがどうでしょうか」と返してみましたが、まだ返事はありません。いろんな人が誰かの声を連れてくる、というコンセプトで企画は進んでいきます。参加する人は、自分に聞こえている声を持って来なくてはなりません。


AO(showboat booking manager) to TK
お世話になっております。
7/2のテーマについて確認いたしました。
ありがとうございます!

そして大変申し訳ないのですが、
ご提案いただいた料理を出すということについては、営業的にご希望に添うことが難しいかもしれません。

その変わり、「スナック・メルトダウン」については、
店内に「スナック・メルトダウン」に見立てたテーブルを作り、
そこにマイクを置くということはでしたら大丈夫なのですが、
このような形で大丈夫でしょうか?

また、頂いた参加希望者の皆様と出演されるという認識で合っておりますでしょうか?
急ぎでフライヤーを作成して告知をしたいと思います。

ありがとうございます!!

よろしくお願いします。

H(モラハラ被害者) to TK
私は、頭が悪いし柔軟でもないので "講演会や討論会ではない" ということを、どう解釈?すれば良いか が解らなくて……

それで、(DV,モラハラに関する)資料のようなものを冬里さんに お送りすれば良いかと思ったところなのですが……

検討違い ですか..?



JH(反原発デモ参加者)
TK to JH
(tori kudo's meltdown1)
この前話していて、このうちの1と2をお願いしたかったということです。


JH to TK
工藤さん、
とてもよく解りました。
わたしは「ヒミズ」はみていませんが、「この空の花」観ました。
あの映画の衝撃はいまでも残っていて、ずっと考えています。
あれは声による劇みたいでした。

1、2、どなたか反応ありましたか?
ホームレスで野宿者問題に関わっている、
246表現者会議(http://kaigi246.exblog.jp/)の
小川てつオさんなら出てくれるかもしれません。
声かけてみましょうか。

TK to JH
お願いします。
小川てつオさん名前は知っています
声をくれるだけでいいんです。

JH to TK
小川さんに声かけてみました。
工藤さんの文章を添えて。
伝えたいことがあったら来てほしいと。

2日、わたしは何しようかな、、
考えちゅうです。

TK to JH
小川さん来てくれたらいいですね。原田さんは小川さんとなにか話し合うのでもいいし、小川さんが来れない場合彼の電話の声を録音してそれを紹介しながら何かを語る係をやってくれたら嬉しいと思っていましたが、全く別のことでも勿論いいです。

「この空の花」には、花さんという「私には聞こえる」と断言する巫女めいた存在が必要でしたが、アンポの時もきみみたいなショートボブのローザが居たことでしょう。

JH to TK
小川さん、まだ連絡ないですが、もし参加するのでしたら話し合うのでもいいし、録音しながら語るのでもいいです。ほんとのこと言うと、わたしは声にコンプレックスありますし、人前で話すのは緊張するので苦手なんですけど、よい訓練になるかなと思いました。わたし、数年前から昔話を勉強していて、なぜか最近語ることも始めたので。声が詰まったら、、鈴でも鳴らそうかな、、。


TK to JH
(tori kudo's meltdown2)
今日は関係者に送る文章を書いてみました。だれかの声を連れてくる、というのはわれながらわかりやすいコンセプトだと思い、その線で、お願いしたいのです。

JH to TK
小川さんから連絡ないので、
会いにいこうかなと思っていたら、
さっき、連絡ありました。

小川さんも工藤さんのことはアートランド経由で知っていて、
音楽家として、敬意を持っていますとのこと。
ただ企画について、いくつかの不安があり、
悩んでいるようです。

“扱うテーマも、場合によっては、
話す人が相当しんどいと思うのですが、
逆に話しすぎてしまう人もいるかもしれません。
リアルな声、とかは本来安全な状況でないと出すことは出来ないものだし、
この設定でリアルな声が出るともとりあえずはあまり思えないですが、
出すぎたら本人にとっては危険かもしれないです。
ぼく自身が参加するとしたら、
ここで想定されているだろう話になるかどうかは分かりません。
ぼくは、野宿の生活については、
基本的には肯定感を持って話すと思うし、
それはぼく個人のリアルなところはあっても、
野宿生活者総体としてのものでは当然ありませんし、
かなり偏ったものかもしれません。”
(小川さん弁要約)

話される状況や見せ方によっては、
もしかしたら参加しないかもしれませんが、
当日来るそうです。
工藤さんにくれぐれもよろしく、とのことでした。

小川さんとわたしはどんなふうに話したらよいだろう、ってまだわかりません。
わたしも考えてみます。

いままでXXでしかしてなかったんですけど、
3.11を経て、今年は外に出ようと思いました。
ギター(ちゃんと弾けません)を持って、
昔ばなしの流しみたいなことをしようと思っています。

TK to JH
いろんな人が意見を言ってくれて、焦点がはっきりしてきたので、参加者全員が共有しなければ勿体無いようなことになっています。
固有名を出す問題に気を付ければ、まとまった形で皆に紹介できると思っています。

JH to TK
いま わたしと小川さんで対話が始まっています。
当日、彼が来るか、わたしと何するか、
もしかしたら彼は来ず、
来てもひとりで全く違うことをするかもしれず、
まだ解りませんが、
外に声を出すこととは?
リアルってなんだ?
とか話しをしています。
この作業、過程に意味があると思いました。
彼が当日来なくても、
彼との会話は残るような気がします。

この空の花は、劇を作る、声を集めるまでの劇でしたよね。

MS(ギター奏者、DV被害者)
TK to MS
(tori kudo's meltdown1,2)

MS to TK
もしできることあれば、お手伝いできたらと思います。
しかし、話しても面白くないかもしれません。
4番については思うところありです。
ラップできたら良いのですが、口が回らないです。。。


AHa(反原発デモ参加者、ドラマー)
TK to AHa
(tori kudo's meltdown1)

AHa to TK
「この空の花」はまだ見ていないのですが とても気になっています。
都内の上映は終わってしまったので、7月28日からの川越はぜひ行ってみたいと思います。

さて いくつかのまとまりについてなのですが、自分が参加させてもらえるなら
5 それと同一平面上に立とうとする音
これかしらと思っています。言葉になる前の言葉、みたいなものをイメージしますね。
ユーフォニウムが適しているのかは、やってみないと分からないです。
今のところ、わたしが考えたのはこんな風ですが…どうでしょうか。

TK to AHa
ユーフォニウムだったら何か楽譜を書きますよ
「この空の花」では坂田明とパスカルズが演奏していたんですが、坂田さんは片手のない役で、サックスを吹いていて、その即興がよかったです。パスカルズは知り合いでもあるし、頑張っていたんですが、音がいちばん底までは降りていってないように思いました。

AHa to TK
呼びかけ文について、のメールにあった
「たまたま知り合いになった、自分を売り込むことが下手で地味な人を呼ぶ癖があります。」
これ 私もそうだなあと思って笑いました。
私は女性3人のバンドを2000年ごろからやっています。
パートはドラムです。
メンバーが留学中で、ここ2年くらい活動を休んでいた中、3月11日が来ました。
音楽でなにかできることはあるんだろうか?という疑問を持ちながら、
なんとなく脱原発のデモへいくようになり、ドラム隊のメンバーと知り合いました。
JHさんとは、そこで出会いました。
ユーフォニウムも、ドラム隊に入ってから覚えました。
まだ2ヶ月くらいで 正直うまくないのですが いま一番好きな楽器ですね。

工藤さんの曲、もし吹けるならとてもうれしいです。
メンバーが集まれば…と書かれてありましたが、音楽仲間に声をかけることは出来ると思います。
でも 演劇的なひとで、音の雰囲気も合っている…となると そう多くはなさそうです。
楽器の編成など、なにかイメージしていることはありますか?

AS(東京から避難した人)
TK to SA
(tori kudo's meltdown)

SA to TK
返信が遅くなり、申し訳ありません。
7/2は参加できません。
東京という土地は私の中では無くなってしまいました。
私は2011年3月15日に東京から大阪に逃げてきました。自分の世界の中では、原発事故は起こるべくして起こり、それとリンクした自分の絶望の弾性限界点が3/11でした。
避難民とは言っても、私には東京に置き去りにした生活はありませんが、もやもやした頃の自分の想念の切れ端が残っているような気がして、それが放射性物質の形をとって放射線を出し続けているようなイメージとなっていて、足を踏み入れられないと思っています。
東京に憧れや期待を抱いた自分ごと、東京の地を捨て去りました。脳内地図から消えていきました。
だから無くなってしまったわけです。

TK to SA
その文面を携帯にでもいいから録音してK君がきみの声を持ってくる、というようにはできませんか

SA to TK
わかりました!
録って持っていってもらいます。


RA(ノイジャン)
TK to RA
そういえば、
7月2日にshowboatで企画を頼まれたんです
タイトルは tori kudo's meltdown で、テーマはいろんな人が誰かの声を連れてくる、というものです。
おもに原発の事故に関する声、ホームレスの声(小川てつオさんからの連絡待ち)、外人居留者の声(これは日系ブラジル人のラッパーが来ます)、DVあるいはモラハラ被害者に関するもの(これは知り合いはいるが声は難しいので考え中)、をとりあげています。演奏する人もいます。ガセネタ好きで境界性障害のバトミントン選手とかですけど
あの、ウランが起こされて不機嫌になってるやつ、やってくれないかなと思って
ギャラは少しですが
どうかな



RA to TK
いいよ~。ってか、お誘いどうもありがとうございます。
でも、それはあのアルバムみたいに、ウランになりきる必要があるの? 
それとも、ああいうふうにギャーピー言ってるのだったら、ウラン以外のキャラでもいいの? 

TK to RA
(tori kudo's meltdown2)
ありがとうございます。
いきなり来てくれて大丈夫です。

原発事故が主題で、いろいろ考えていて思いついたのがきみの声なので、ウランでなくても、米野菜でもいいですから。



RA to TK
この間送ってきてくれた長文の「経緯」に書かれていたことは、
このliveの告知を書く時に、参考にさせてもらっていいのですか?
あれは、どこか(ホームページとか)に公表している文章なんでしょか?

ちなみに、私がJohn Peel`s meltdownに出演した年(98年)には、
ロイヤル・フェスティヴァル・ホールだったから、
あれは、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでやっていたのではないか? と思ったのだが。
その時にもロンドンで会いませんでしたっけ?
ジザメリのギターだったかがliveの途中でくず折れて泣き出したりしたんだけど、
その理由が「メロディメーカーは1度も僕たちのことを取り上げてくれたことがない!」
だったんです。
そばにいた人になんて言ってるのか聞いて教えてもらったんですけど。
なんかみんな、苦笑してました。
私にもその気持ちはよくわからなかったんだけど、
そんな気持ちもわかってあげられるぐらいになりたいかな。

入場料が若干高めですが、お客さんがいっぱい来るといいですね。


TK to RA
直しました。


ES (親戚が福島の農家)
TK to ES
(tori kudo’s meltdown1)

ES to TK
こんばんは
頂いたメール、なんでしょうか。全然わかりません。
汚染野菜にガイガーカウンター(これはロシア製の割といいやつを持ってますが)、DV…辛すぎます。
リアリティを持つ人が何かを表現に結びつけることができるとは、率直に言ってあまり思えません…
いやもっと、何か深い意図や工藤さんの中に個人的な思いがあるとは思うのですが、それがどの文脈にあるのかが私のような外縁にいる人間にはわからないのです。(この前の、田尾さんと渚さんの関係と企画の意図のように)
わからない人は参加すべきでないのかもしれませんが…
自分にとっては、原発問題やDVは、看過できない問題なので伺ってみました。
失礼でしたら申し訳ありません。


TK to ES
(tori kudo’s meltdown2)


ES to TK
・・・詳しいメールをありがとうございました。
立ち上がりの経緯について理解することができました。
決まっている出演者の方々の立ち位置もだいたいわかりました。
本当に理解できているかということについては、呑込みの悪い自分にとっては難しい所ですが、何度も読み返しております。

確かに、メルトダウンという言葉は、原発事故後に急に危険でリアルになった言葉だと思いました。
言葉のシニフィアンは何もかわらないのに、シニフィエの部分がこんなにも劇的に変わっていく、という世界に立ち会うのは、実は初めてなのかもしれません。

原発問題などの、今回の「素材」に関しては
多分、工藤さんや他の方々とは、根本的に考え方が違うのではないかと思っています。
「素材」となっている問題に対しては、非常にセンシティブになっており(これは事故以降、誰もがそうであるような気がしますが)それを人前でやってのけることについては非常に嫌悪感や抵抗があることは事実です。
頂いた第2便のメール(decablistyにも書いてあった)には、あまり具体的な事は書いてありませんでしたが、観客からリアルを引き出すために「汚染野菜」を供するというアイディアなどは伏せられているかもしれませんが、そのあたりはどうなったのでしょうか。
それは今回のパフォーマンスに関して、もしかしたら些末なものかもしれませんが
たとえば、汚染野菜、というものが出てきます。どこでそれを入手されるのでしょうか。
本当にそういうものをそれとして意義づけて用意するのであれば、然るべき機関できちんと測って、そうでない野菜との区別をつける必要が絶対にあると思うし(NDはあっても、ゼロはあり得ませんので)
どこかで福島かそれに近い産地の野菜を、測りもせずに汚染野菜などとして提示することがあれば問題だと考えます。大ざっぱなイメージで汚染と非汚染を分けるやり方には心から組したくありません。
これが親戚に福島の農家がいる人間のリアルというのなら、そうなのかもしれませんが、これを考え方の違う人の前で言う事のリスクも承知しており、できれば沈黙したいと思います。

それぞれの当事者を引き出すことについても
姉は福祉関係の仕事でつねに生活保護者、精神障害者やホームレスと向き合っていますが、どこでもあまり具体的な声が出ないと言うのが現場の悩みのようです。
出せないから、こういう状況になったとも言えるような、悪循環がそこにはあると言っています。
その現状に立った上で、彼らからパフォーマンスによって何かを引き出したりするということなのでしょうか。
私が参加するとしたら、当事者の方々から何かを引き出すための装置の一部(6にあたる?)としてなのかな、と思いますので、上記の点についてなどはとくに伺っておく必要があるかな、と思いました。

その上で、「何がパフォーマンスを成立させるのか」ということ(本来の、この企画のテーマと受け取りました)に関してのみ考えた時
素材に対する自分の立場や考え方をそのまま表現に載せるのではなく
別を生きてみる、というか、見立てで身振りしてみる、などとということであれば、逆に、何か糸口があるのかな、と思います。
個人的な考えとして、今の自分には、違う立場になりきることによって冷や水を浴びせられるような体験が必要だと感じており、その契機になるのならば、実は大変に興味があるのですが・・・。
他方、見る人、観客としてはどうかというと
パフォーマンスされることに触れて、すぐに呼応して出てくる反応にリアルがあるかというと、あまりそうは思えないのです。
多分、何も知らない状態で見れば、私は全く何が起こっているのか理解できないと思いますし、わかった所でとても嫌な気持ちになって怒るだろうけど、その場では怒りは出せないでへらへら笑って何となくやり過ごすと思います。縦んばその場で怒ったとしても、その中に自分の本当の気持ちを出さないように徹するでしょう。その逆もあると思います。徹底的に出していくという身振りをすること。それは、今の時代の観客にはよくあることだと思いますし、その身振りまでが計算された仮面のようなものであると思います。それは出さないのと同じことかな、と思うのです。
それがこの時代のリアルであるのかもしれず
そのことを観察しあうのであれば、パフォーマンスとして成立するかもしれないなあ、とぼんやりと思いました。
(しかし、ツイッターなどで世に放たれた言葉群と変わらなくて、あまり面白いものとは思えませんが・・・)

とにかく、パフォーマンスとして、ということが
素材やみなさんと乖離していると感じている私の場合
どんなリアリティを持っていけば良いのかをいちばん懸念しています。
本当の所を出す事を拒否したいという場合、それでも、こぼれ落ちてしまうのがリアルなのかもしれませんし
他の方のリアルを引き出す装置としてならば、そこまで考える必要はないのかもしれませんし



TK to ES
・・・・・兎に角本番まで何がパフォーマンスを成立させるかだけを考えていきます。それぞれの話し手のリアルはカメラワークのようなミキサーの使用で表現になるはずだと思いますがどうでしょうか。「ロック史」には田尾君と僕以外の参加者の話し合いがなかったことや、ぼく自身の演奏がなかったことも反省材料としてあります。
・・・固有名詞は気を遣いますが、前日まで過程を晒し、当日は演奏をするつもり
フードの話はなしになりました。消えた汚染米の行方とかの話は出るかもしれません
きみが連れてくる声はもう十分伝わって来るので、あとはそれを晒す晒せないということについての話でいいのにと思います
ASさんは、東京は自分のなかでは死んだ、と病的な反応を示しますが、彼女の声は久保田くんが携帯で録音して持ってくることになっています


Ahi(アーティスト)
AH to TK
物体と大切なことは等しくない。はずだから。
わかっていて
ためらいつつも踏み込んだ訳を引き戻しも露わに浮き彫りにしていくしかありません。

TK to AH
(tori kudo's meltdown1,続いて2)

AH to TK
一番最初にもらったメールだけみて、わたしはこれとあれで参加しよう、挑戦してみよう。と、更にがんばるだけじゃなく、それをよりとらえようによっては、理屈を超えたところでのおもしろいと思ってしまうくらいのリアルな馴染ませる方法まで考えていました。一歩まちがえれば危うすぎるので、見せないところで勝手計画していました。

が、
昨夜のいち音楽家として痛切なところの文をみて、わたしよりだいぶんと上の層に居ながらのメッセージなんだなと、うつりました。

今の段階で上手く伝えれないからこそのライブであったり、表現があるのだとわたしは考えていて、当日までわからないからこそやりがいもあるというか。インパクト意外すぎるあまりにおもしろくするしかないというか。

あなたのいう捨て身文を読めば読むほど、あ、わたしが出る必要性がないなと、正直思いました。

なぜなら、
言葉でみると逆効果になり、わたしからみると、やっぱり立派な工藤冬里さんであり、培われてきた音楽家内部てき意見を感じたので。

それに対して、わたしはしてもらうことはありません。
わたしはまだまだ深層下にいて、気付かれなかったとしても、自力で作品なり浮き彫りにするしかないんだといまなっていますやっぱり。いまのわたしのリアルにぶち当たっています。
こうなったら、
わたしは自分でなんとかしないとこのままだと(ここだけの秘密)犯罪者になってしまうので、それの(エゴになってしまわないための引き戻しをし、やはりたいせつなことをあらわにする。と、個人と公との現実になじませるちょうじりを作るのに集中したいと思います。

やっぱりそれぞれがやるべなきところでの危険にみまわれながらでもやっていくしかないんだな。って、痛感しています。

TK to AH
・・・とてもいい手紙でした。
ちゃんとやっていますね。
参加を打診するために送ったのではなくて、自分のいる場所を知っておいてもらいたいから送ったのです。

もしきみが留守電でさっきの文章を読んでくれたらそれも使わせてもらいたいです。

AH on twitter
これからくる誰しもが避けては通れない、今では想像を絶するリアルが知らない人人にこそ、まだまだ私も今までしらなかった中傷、抽象としてただよっていることを、昨日まのあたりにしました。
なじませるしかなく。どうしてもかなわない、負ってしまったなかしみをかなしみにしては絶対にいけないの。絶対はないけど、これだけは絶対と。しよう。理性理屈辻褄さえ届かない層でのであいであり、その辺りでしかできないことがある。と、いうことみたいな現状で。。
まったく異なる色?の波動が無数有数?にあり、それの、偶然のように交じり合ったところにのみ、あり得ることができる(かもしれない)。 辻褄が合う限りそれは不可能ともいえてしまいました。
と、いう気になっている。
しかたがないこと。

TK to AH
そこらへん一番考えているところなんですが
どうしても送りたかったので
関係ないから送らないほうがよかったですか

AH to TK
どうしてたのしい
音楽しないの
なかなかないのにね
いい音楽とか

それができなくなったから、つながってるいろんな辛いことをとことん見て、
自分さえはいって引き抜きあげて露わにして、
で、その先にはまたちがうかもしれないけど、いい音楽できるときがくる。
ん、だよね。だよね?

人間さんは音楽を風に混ぜなじませて、そしたら波になって、

まだ胎内にいる子や虫や木や葉や土も石も光も空も雲も犬も猫も象もキリンも狼もライオンもカバもバクもしまうまもハイエナもナマケモノもコアラもラッコも鯨もイルカもウーパールーパーもおたまじゃくしも蛙もめだかもナマズも深海珊瑚も鳥も燃える星も太陽も照らされる月も屑たちみんな

『 次はどんな波が届くかなァ、一緒に波乗りどぅやってしょーかなー、ずっとたのしみにしてるんだけどね、いっこうにちっともこないんだょ。。
おもしろいこともめったになくて、好きな実ももぅ食べれないし、それはそれはもぅ退屈で死にそうだよ、、最近。。』

って、いろんなんが言っている。

( どうご行きたくたって人間の形してるから行けないやん> そこらへん一番考えているところなんですが )

TK to AH
24日にパフォーマンスをします。その時は赤ちゃんになって空襲にあって死にます。そのあとまた生まれます。ひとりで両親の役もします。マリオネットが口パクして、あと二人は壁に絵を描きます

AH to TK
えがおになれるのんがすき

SS(在日コリアン)
TK to SS
(tori kudo’s meltdown2)

SS to TK
人のことなんかどうでもいい。きみにメールしてるのに、きみのこと以外が書かれているメールはメールではないと思う。

TK to SSそうね

SS to TK
届くならいいや。ごめんね。

SS to TK
苦手な計算してるからだよ。
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