鬱陵島掃討官の地図を考える
総論
鬱陵島が四角形に描かれている四枚の地図はすべて鬱陵島掃討官が国王の命令で鬱陵島を巡察した際に作られたものと推定されています。これら四枚の地図と現代の鬱陵島の地図の形状を比較してみました。
この画像をみれば一目瞭然、奎章閣の鬱陵島圖形に記載されている于山島は竹嶼の位置にある島、すなわち竹嶼であるのは明らかです。そしてこれは今回検証してみて初めてわかったことですが、四枚のうち三枚の地図に観音島が記載されているようです。在日の竹島問題研究家である半月城氏の『石島と観音島』には、
なお、観音島と鬱陵島との間の 100m たらずの狭い水域は Seom mok すなわち「島の喉」と呼ばれています。これはその水域に両島の崖がせまって喉のような景観をなすことから命名されました。つまり、観音島は鬱陵島とほとんど一体同然に見なされていたわけです。こうしたことから勅令41号ではことさら観音島の名を明記せずに「鬱陵島全島」という表現に含めたとみられます。以上のように、地理的な考察からも石島を観音島とすることが困難なので、塚本孝氏は石島の比定を避けたのではないかと思われます。http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.695
とあり、独島本部の『竹島研究会の最終報告書提出意味 』には、
鬱陵島の属島である観音島は鬱陵島と事実上付いている状態でどんな理由でも石島と記録される島ではない。.
http://dokdocenter.org/dokdo_news/index.cgi?action=detail&number=7050&thread=15r02(韓国語)
とあり観音島は島とは見なすことは出来ないので勅令41号の石島は観音島ではなく竹島(独島)であると主張しています。実際、これまでよく知られていた円形や楕円形の鬱陵島の古地図には観音島が記載されておらず、竹島問題研究所の最終報告書にも、
観音島については、明治16年(1883)「鬱陵島図」(国立公文書館所蔵「朝鮮国蔚陵島出張桧垣内務少書記官復命ノ件」所収)によれば、「観音崎」としていることから、当時岬として認識され.ていたと考えられる。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/(1.韓国側作製の絵図の分析)
とあたかも韓国側の論者の主張を受け入れているかのごとき記述がありますが、朝鮮王朝の時代一般人の往来を禁止していた鬱陵島周辺の地理認識に決定的役割を果たしたと思われる鬱陵島検察使の地図に観音島が記載されていることは大変注目されます。もっとも、現代の韓国人が「観音島」と島であるかのごとく呼んでいるものを島とは見なすことは出来ないと主張すること自体に無理があるわけですが。
各地図解説
1・ソウル大学 鬱陵島図形
ソウル大学奎章閣サイトの解説ページ(韓国語)http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/HEJ/HEJ_NODEVIEW.jsp?setid=10238&pos=0&type=HEJ&ptype=list&subtype=jg&lclass=10&cn=GK12166_00
ソウル大学奎章閣 鬱陵島圖形 1711年 朴錫昌作
この地図は一七一一年、鬱陵島検察使の朴錫昌らが鬱陵島に渡った際に作成した地図です。拓殖大学の下條正男教授の説明には、
この地図で重要なのは、次の識語が存在することである。とあります。
この地図は鬱陵島の東側に『海長竹田所謂(いわゆる)于山島』と書かれた島が存在することに特長があります。
ほとんどの鬱陵島の古地図には鬱陵島の東側に于山島が描かれていますが、この地図には『海長竹田』と于山島がどのような状態の島なのか判断できる記述があるのが目を引きます。これによって私たちは于山島が竹島(独島)なのか竹嶼なのかをはっきりと見分けることが出来ます。『海長竹』とは日本では女竹と呼ばれる竹の一種で、一般的には海蔵竹と表記します。『田』とはここでは草木が密集して生えている状態を指します。したがって、『海長竹田』とは『海長竹が密集して生えている場所』もしくは『海長竹の竹林』といった意味です。竹嶼が竹嶼と呼ばれるようになったのは竹嶼に竹が生えているからであるというのが韓国の専門家の一致した見解であり、江戸時代に日本人が描いた鬱陵島の地図である『小谷兵衛より差出候竹嶋之絵図』にも現在の竹嶼にあたる「まの嶋」には竹林が絵で描かれています。実際今でも竹嶼にには竹が密集して生えています。一方1876年の『日本海内竹島他一島地籍編纂方伺』に「樹竹稀なり」とあるように竹島(独島)に竹が生えていないとする記録が複数存在し、なおかつ現在の竹島(独島)に竹が生えていないことは韓国人も認めています。したがってこの地図に描かれている于山島が竹嶼であることに疑いの余地はありません。
2・韓国国立中央図書館 古地図 鬱陵島図形
国立図書館のサイトの"鬱陵島図形"の画像はまず古地図一覧http://www.dlibrary.go.kr/Map/main.jspをクリックし、次に "11 古2702-2 ???(古地圖)"をクリックして、右上の [1] [2] [3]I> の"I>"を2回クリックして、[8] をクリックして最後に"2 ???(鬱陵島)"をクリックすると閲覧できます。
国立中央図書館 古地図、鬱陵島圖形 年代不明 作者不明
「12方位を使って製作されており、1882年鬱陵島を調査した李奎遠以前に描かれた地図だと判断される。これは邸尾という名称が使われているという点と奉納された物品に鬱陵島土産品が書かれているという点が重要だ。」(独島博物館の解説より)
3・三陟市立博物館 鬱陵島図形
三陟市立博物館 鬱陵島圖形 年代不明 作者不明
「この地図は朝廷に奉げるために描かれた地図として1882年以前に描かれた地図と判断される。国立中央図書館鬱陵島圖形と先後関係に置かれた地図だ。」(独島博物館の解説より)
4・ソウル大学 鬱陵島外図
ソウル大学奎章閣サイトの解説ページ(韓国語)http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/HEJ/HEJ_NODEVIEW.jsp?setid=65494&pos=0&type=HEJ&ptype=list&subtype=jg&lclass=10&cn=GK10339_00
capricon1氏のサイト”Toron Talker” の該当ページ
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/utsugaizu.html