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原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れる法改正が成立した。核兵器開発の意図を疑われかねない表現であり、次の国会で削除すべきである。原子力政策の憲法と[記事全文]
東京電力による福島原発事故の調査報告書が公表された。結論を一言でまとめるなら、「原因は想定を超えた津波にある。東電の事後対応に問題はなかった。官邸の介入が混乱を広げた」[記事全文]
原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れる法改正が成立した。核兵器開発の意図を疑われかねない表現であり、次の国会で削除すべきである。
原子力政策の憲法ともいえる基本法は、1955年に定められた。原子力の「平和利用」を旗印に「民主、自主、公開」の原則を掲げている。
そこには被爆国日本の体験を踏まえ、核兵器開発だけには手を染めないという戦後の決意があった。
その変更が衆議院では議案を提出した日に可決、5日後に参議院でも決まってしまった。
それも、民主、自民、公明3党の合意をもとに原子力規制委員会設置法を成立させたとき、その後ろにある付則のなかで、上位法である基本法を改めるというやり方である。
「安全保障」という言葉は、日本語でも英語でも「国家の防衛」という意味がある。そして原子力発電の技術は、核兵器と密接な関係にある。
核兵器を決して開発しないという日本の信用を傷つけぬように努めなくてはならない。
参院環境委員会で、推進した議員は、「安全保障」は核物質の不正転用を防ぐ国際原子力機関(IAEA)の保障措置などを指す、と説明した。
もしそうなら「保障措置」と書けば済む。それをなぜ「安全保障」としたのか。
この言葉が加わった第2条には、原子力の利用は「平和の目的に限り」という文言がある。
だが、日本が核兵器の材料になるプルトニウムの保有国であり、それをさらに生む核燃料再処理にこだわっている現状を見れば、国際的には別の意味合いを帯びる。
日本には核兵器開発能力があり、潜在的な核抑止力を持つという一部の考え方を後押ししかねない。そのような発想から離れない限り、世界から核の危険はなくならない。
我が国の安全保障に資する、という文言は08年にできた宇宙基本法にもあった。今回、これに沿って宇宙航空研究開発機構(JAXA)法も、駆け込みで改正された。JAXAの仕事を「平和の目的」に限るという条件を緩めたのである。
福島第一原発事故で科学技術に対する信頼が弱まるなかで、その暴走を食いとめる必要を多くの人々が感じている。
それなのに、原子力、宇宙開発といった国策に直結する科学技術に枠をはめる法律が、国民的な議論をせずに、変えられていく。見過ごせぬ事態である。
東京電力による福島原発事故の調査報告書が公表された。
結論を一言でまとめるなら、「原因は想定を超えた津波にある。東電の事後対応に問題はなかった。官邸の介入が混乱を広げた」というものだ。
半ば予想されていた主張とはいえ、これだけの大事故を起こしながら、自己弁護と責任転嫁に終始する姿勢にはあきれるほかない。
こんな会社に、原発の再稼働など許されない。
報告書は、東電社内でも津波が15メートル以上になるケースを試算していながら、対策を講じなかったことについて、「国が統一した見解を示していなかったため」とする。
事故後の対応で、冷却作業などの遅れが指摘されている点には、与えられた条件下で最善を尽くしたと主張する。
東電が官邸に「全面撤退」を申し入れたとされる問題は、官邸側の勘違いとしている。
そもそもの発端は、当時の清水正孝社長からの電話である。電話を受けた一人である枝野官房長官(当時)が会話の内容を詳しく証言しているのに対し、清水氏は「記憶にない」としており、報告書ではこの電話には一切触れていない。
外からの批判に細かく反論する一方、都合の悪いことは避けているとしか思えない。
報告書は、責任を逃れるため東電が情報を都合よく扱っている疑いも残る。
事故後の対応は、東電本社と原発を結ぶテレビ会議システムの情報を公表すればわかる。
しかし、東電は「プライバシー」を理由に公表を拒む。「例えば作業員がどんな姿勢で映っているかわからないから」などの理由をあげる。
東電のもつデータをすべて公開させなければ、福島事故が解明できないことは明白だ。
東電が自らの責任にほとんど言及しないのは、今後の賠償、除染、廃炉費用の負担や株主代表訴訟などを考えて、有利な立場に立ちたいからだろう。
しかし、原因を突き止め、発生後の対応の問題点を洗い出して、今後の教訓を引き出さないのでは、何のための事故調査だろうか。
報告書が示しているのは、事故の真相ではなく、東電という会社の体質である。事故の詳細や責任の所在などを後世に残すという歴史的使命に向き合うよりも、会社を守ることを優先させる企業の実相だ。
原発はこういう会社が運転していたという事実を改めて肝に銘じておこう。