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2009年3月

2009年3月31日 (火)

Nさんからの電話 その1 嬉しいサプライズ

 寝て起きると、やはり良いことがありました。

 K町の議会事務局長のNさんから、朝8時過ぎに電話をいただきました。

Nさん:(ダンディな低い声で)K町のNです。庭山さんですか?

 このような時間には、母からの電話と油断しきって出た私は、
庭山:えーっと。・・・はぁ?!Nさんですか!すみません。おはようございます。

Nさん:この間、新聞にでてたね。阿久根の市長さんの記事のところに。見たよ。

庭山:(テレビを見ながら踊っている娘と、のんびり朝食を食べている息子に、テレビの音を小さくして、静かにしてとジェスチャーを送りながら)ありがとうございます。

Nさん:私は今日で退職なんだよ。なんだい、2月に来るって言ってて、こなかったじゃない。

庭山:すみません。インフルエンザとか、百条委員会とか、いろいろありまして。

Nさん:なに?百条?なんかまたやられてるのか?

庭山:いえ、私じゃないんですが。

Nさん:まぁ、元気があって、良いことだよ。

庭山:はぁ。でも、Nさんが書かれた本を仲間と読んでますが、K町の議会改革の話はまるで雲上の世界のようで、うちのまちでは、どうしたらいいか。もう、本当に。議会は結果的に多数決で決まってしまうので、議員を変えるしかないっんじゃないかって話しています。そうでないと、議会基本条例も議会改革もどうにもならないんじゃないかって。

Nさん:まぁ。そうだろうね。ところで、私は4月からある財団の研究員になるんだよ。だから、月に2回くらいは東京に行くことになったよ。

庭山:東京までなら、2時間くらいでいけますので、是非いらっしゃるときは連絡下さい。いろいろ教えていただきたいことがあるんです!

Nさん:そうだね。私も明日からはフリーの身だからね。

(わお!きっと、今までお立場で言えなかった話も聞けるに違いない!と、大きな期待。)

 まさに、サプライズ!寝てしまって良かった!

Nさんからの電話 その2 感謝

 Nさんに初めてお会いしたのは、一昨年の夏。全国若手市会議員の会の講師でいらした方でした。議会に入ったばかりで、ものすごい違和感を感じながらも、何がこの違和感の発生源か分からず、悶々としていた頃に、Nさんの話を聞く機会に恵まれたのは本当に嬉しかった。

 この講演会の後、質疑応答の時間があったが、その時
「本来、地方議会は二元制なのに、そうなっていないところがほとんどのはずだ。本当は、市長を支えるなんていう会派があることだって、どうかと思う。なのに、うちの議会は二元代表制になっていないとか、そういう質問が出ないと言うのは、どうしたことか?」と100人を超えていたであろう若手議員を叱咤した姿が印象深い。

 私は頭の回転は、早いほうではない。Nさんの話にうなずきながら、目からまさに鱗がはがれたような爽快感にひたりながら、Nさんの言葉を頭の中でモグモグ反芻していました。質疑の時間が終わるとすぐにNさんのところへ行き、名刺をいただき、以来、何かある度に、アドバイスをいただいています。

 ありがとうございます。Nさん。Nさんのアドバイスがなかったら、この2年間は乗り切れませんでした。

Nさんからの電話 その3 忘れられないこと

 遠距離であるし、他市でもある議員の愚痴のような質問のような話を聞いてくださり、アドバイスを下さったNさん。あまりにいろいろ電話で聞くものだから、
「そんなにいろいろあるなら、K町においでよ」と言ってくださった。その4ヶ月後、ひとりで行きました。

 はじめはひとりで行こうと思っていました。しかし、ある市民の方から、
「今年の一期の議員はいろいろ勉強会なんかしたり、一般質問も頑張っているらしいね」と褒めていただいたので、一期の議員には集まっていただき、
「議会改革の勉強にK町に行ってみませんか」と声をかけてみました。すると、「1月は寒い」「政務調査費はもうほとんどないから行けない」ということでした。

 しかしたったひとりの議員が
「オレは議会改革が必要だと思う。オレは行くよ」と言ってくれました。
 そして、
「でも、二人で行ったらあらぬ噂を立てられかねないから、別々に行こう」とお気遣いくださり、福島議員は私より一週間先に出かけました。もうひとりの先輩議員・幾井議員と一緒に。

 私が出かける直前に、K町から帰ったばかりの福島議員に議会の廊下ですれ違いました。

庭山:K町はどうでしたか?
福島議員:いやー。寒かったよ。でも、すごく勉強になったよ。特に反問権は良かったよ。しっかり、勉強してきなよ。

 一週間後、K町の視察に行きました。K町の議会改革の視察は全国から視察が殺到しているので、月に何度かまとめて行われていました。大きな部屋に全国から勉強に来た議員や研究者や記者などが集められました。その熱気は、大変なものでした。
 しかし、

「そういえば、先週来た桐生市の議員は、勉強会の途中で帰ったよ。」

 こう言われた時、髪の毛が逆立つような感覚になり、「顔から火が出る思い」とはこういう状態を言うのかと思いました。

その後も、いろいろあり、問責もあり、その後もいろいろあり、この2月中には、もう一度、Nさんに会いたかったのです。

 東京でお会いできることを楽しみにしています。

『しがらみ』を理由に?

 山田勝議員さんのブログを拝見しました。きっと、すごく盛り上がったんだろうなぁと、想像します。うーん。傍聴したかったです(ひとり会派なので、傍聴は得意ですからね)。また、予定になかったアンケート調査をした「発想豊かな議員」がいると言うことも分かりました。

 しかし、気になるのは、『全員協議会での新人議員の対話集会に前向きな発言に新しい議会になることを期待したいが新人議員も夫々のしがらみにとらわれなくてはならない事が残念な事である。』という部分です。選挙が終わって、議員になって数日で、もう・・・ですか?

 約2年前、私が当選した当初、大きくなるであろう会派から「会派入会のお誘い」もありましたが、状況がよく分からない中で会派に入るより、一期の議員だけで会派を組もうか、という動きもありました。しかし、『しがらみ』を理由に、一人抜け、二人抜け・・・。結局は「キャスティングボードを握れない」と訳の分からないことを言って抜け、皆さんそれぞれ会派に入って行かれました。

 『しがらみ』を理由にする議員は、ずっと『しがらみ』にとらわれているように見えます。そして、議会の中での発言や賛否に至るまで『しがらみ』に囚われ続けます。

 『しがらみ』のない人が存在するとは思えません。『しがらみ』があっても、それ以上の「おもい」があって、立候補したと思います。選挙は自分を応援してくれる身近な人に、身近になればなるほど、応援してくれればしてくれる人ほどに、心労と迷惑と苦労と・・・本当に申し訳ないくらい苦労をかけてしまうモノです。そういうことをしてまで、選挙を戦ったのに、『しがらみ』があると他人のせいにして、発言や行動ができなくなるのは、応援してくれた方々、身近な方々、そして自分自身への背信行為だと思います。

 なんだか、とても悲しい気持ちになったので・・・寝ます。(4:35am)

2009年3月30日 (月)

竹原市長の『情報』伝達とこれに共感した市民の成果

 南日本新聞のニュースをインターネットで拝見しました。16人の全議員と市民700人での「語る会」の開催は、本当にすばらしいことだと思います。やりたいと思っても、なかなかできないことですし、こんなにたくさんの市民が参加するのは、なかなか難しいことです。

 内部情報を市民の皆様に伝達し続ける竹原市長と、その情報を受け取った市民が共感し、行動し、実現できたことだと思います。その現実に、感動します。これこそまさに、『情報』であり「情けに報いる」ものです。すばらしいです。

 さて、反市長派から「改革は必要だが、進め方がルールを逸脱している」という発言があったという一文がありました。「ルールを逸脱している」とは何をさしているのでしょうか?そもそも、反市長派のいうところの「ルール」とは何でしょうか?誰のためのルールなんでしょうか?

 市長も、議会も、職員も、市民のためのルール、市民のためのお仕事をすればいいだけではないでしょうか?

 現在の阿久根市の竹原市長と、反市長派と、どちらが市民のためのお仕事をしているか。判断は、この一点ではないでしょうか?

はーい!ガンバリマス!

 竹原市長さん、ありがとうございます。がんばりまーす。

 「時節柄 コメントは、、やめておきましょう」ということは、やはり?!

 昨日の、議員と市民との対話集会は、いかがだったのでしょうか?・・・めちゃめちゃ気になります。

予算決算審議について

 議会に入って初めて知ったことですが、予算決算審議は、議員全員では行われていません。資料も最も膨大で、お預かりした税金の使途であり、その年の政策の方向を決定する最も重要なのに。

 昨年の9月議会では、ひとり会派であっても、自分が審議に参加できればいいと考え「ひとり会派でも予算決算審議をしたい」と考えていました。が、問責やらいろいろあって、いろいろ勉強した結果、今は『予算決算審議は議員全員でするべき』と考えています。

 以前は、全員でやってましたし、最も重要な審議です。当然のことと考えます。

 以前というのは、昭和42年の決算審議より前です。なぜ、こうなってしまったのでしょうか?議事録をひっくり返しても新聞を探しても、明確なものは出てきませんでした。あきらめ書けたその時、当時議員をしていた方、そして現在もご存命の方を見つけました。そして、その方のところを訪ねました。

庭山:どうして、最も重要な予算決算審議が議員全員で行われなくなったのですか?
A氏:なんとなくだね。決めてはないよ。
庭山:なぜですか?理由が知りたいです。
A氏:今もそうだろうけど、議会で発言する議員と発言しない議員がいるだろ?発言しない議員は飽きちゃうんだよ。飽きちゃって、何度もトイレに行くようなんじゃ、みっとがねえだろ。だからだよ。
庭山:人の話も聞けない人がどうして議員になるのでしょうか?
A氏:雇用対策だよね。
庭山:・・・。

 40年以上、最も重要な審議が約半数の議員でしか審議されてこなかったという事実。しかも、理由がこれですか?

 当時、財政的にゆとりがあったとして、失業事業対策だったとしても、現在の桐生市はそんな余裕のある財政状況ではありません。

 『予算決算審議は議員全員でするべき』という要望書も3月議会前に提出しました。が、議長は各派代表者会議の中でも取り上げようとしませんでした。(私は傍聴)。が、私のお姉さん的存在である石井秀子議員が、「こういう要望書が出ているが、扱いは?」と聞いてくれました。(ありがとう!おねえさん!)と思ったのもつかの間、
「これは、受け取ったけど、受け付けません」と議長。

 議会とは、こういう謎めいた言葉で、進んでいくところ・・・なんでしょうか?

2009年3月29日 (日)

議員をチェンジ その1

 29日に阿久根で対話集会があるようですが、傍聴にいけなくて残念!

 さて、「職員の退職金よりも、まずは議員年金や議員報酬、ボーナスを受け取らないとか、減額の提案をするとか、議員削減のための市民運動をするとか、そういうことをした上で行政改革をする立場ではないか?」というメールをいただきました。

 うーん。どこから書こうかしらん。

 まず、議員年金や議員報酬、ボーナスを受け取らないことは、可能なんでしょうか?
 というのは、例えば視察に行くと、視察費から交通費実費(実費と言いながら乗りもしないグリーン料金で「実費」計算する。「実費」という言葉の定義さえ、理解できないです。)や宿泊代(視察に行くと平均6000円から8000円のビジネスホテルに宿泊しますが、1泊すると15700円の宿泊代が支給されます)、日当(1日につき3300円)などなどが引かれ、その上で『残金』が約1万円から2万円くらい発生します。それを返金しようとしたことがありますが、「寄付行為」になると止められたことがあります。議員年金や議員報酬、ボーナスとなると、どうなるのでしょうか?何か情報がございましたら、教えてください。

 減額については、発言させていただいていますが、多勢に無勢といいますか・・・、実は、私は「ひとり会派」です。さらにきっと私へのいやがらせでしょう。次の4月からは「ひとり会派は会派じゃない。無会派だ」と内規を変更されました。かわいそうな私は、ひとり会派であるこの2年間でさえ、議会運営委員会や各派代表者会議、予算決算審議には、「ひとり会派は会派じゃない」とはじめから除外されていましたし、委員外発言も認められないこともしばしば。今後は先輩方の動向から想像すると、現在私が使わせてもらっている3畳くらいの会派の部屋や、部屋に1ずつ設置されているコンピューターを取り上げるとか。そこら辺が目標でしょうか?まぁ、どうしましょう。ますます、かわいそうな私。

議員をチェンジ その2

 会派については、言いたいことが山のようにありますので、また後日に記述するとして、議員定数削減については、1年半前の9月議会で先輩議員の提案に便乗させていただき、現在31人のところ、条例改正しなければ次期選挙から26人でしたが、「ふたり分」減らして『24人』になりました。たったふたり分を減らすだけで、それはもう大騒ぎ。大変な事だったんですね、定数を削減するということは。

 この時、議員定数を減らして、報酬を上げる、もしくは政務調査費を上げるというウワサを耳にしましたが、ご冗談ですよね?

 議員定数については、私は16人で良いと思っています。なぜなら、現在31人いる議員のうち、最も重要な予算決算審議が16人で行われているからです。資料も最も膨大で、市民からお預かりしているお金の使途で、その年の市の方針が決定する最も重要な審議が、この人数で済むのですから、これで十分ではないでしょうか?

 市民の中からは、「会派ごとに賛否が一致しているならば、会派の数だけの議員定数で十分ではないか」というお声も聞きますが、確かに一理あります。現在、市長を支える最大会派「愛・桐生」、「クラブ21」、「日本共産党」、「公明クラブ」、「友和会」、そしてあと数日の命の「薫風会」の6会派がありますので、6人?と言うことでしょうか。議長と副議長が会派に所属しない公平・公正な立場とすれば、これに2を足して、8人ですか・・・。それも良いかも知れませんね。

 議員が率先して・・・という趣旨はよく分かりますが、率先する議員が大多数を占めないと、みーんな否決されてしまいます。特に、自分の生活に直結する報酬の削減や議員定数の削減などは、もう、大変です。

 やはり、阿久根のように、実態を市民の方に分かっていただき、「市民目線の改革をしなくては大変なことになる!」という人に是非立候補していただき、また地縁血縁ではない一票をそのような方に投票していただき、『議員をチェンジ』していくしかないのではないかと思っています。

2009年3月27日 (金)

「退職金」の情報を分かりやすく公開してください

「退職債」については、もうひとつ言わせていただきます。

ある日、阿久根市のホームページで『退職金』の明細が一覧表になって公開されていたのを見て、その分かりやすさに感動し、「うちのまちでも是非やってほしい」と人事課に行きました。担当は、「上司に相談してみます」とのこと。数時間後に連絡が来て、再度人事課へ行きました。

すると、「どうしてこのようなものが公開されたのか・・・。個人情報に関わりますので、ちょっと・・・」と言うことでした。粘ってみましたが、「だめなものはダメ」の一点張り。

翌日、阿久根市の『給与明細』の一覧をもって、「こんなのも、ありますので、是非参考にしてほしいです」とお願いに行きましたが、二人の担当は、目を丸くしてアイ・コンタクトでなにやら交信し、「いや~・・・これは・・・」。言葉も出ないほど、驚いていました。

この3月議会の一般質問でも質問しましたが、「検討しますが、ご理解ください」ということで、あまりやる気はないようでした。

一万歩引いて、給与明細は今後の検討(前向きな!)でも良いけれど、桐生市は退職職員のために「退職債」組むんです!(私は反対だけど!!)借金の内容について、市民に情報を分かりやすく伝達するのは、当たり前でしょ?!・・・とワタクシは思います。

2009年3月26日 (木)

退職債について

 私は財政に詳しくないので、いくつかの勉強会へ行ってみたりしています。そこで、いろいろ教えてもらって計算すると、安心できない数字が出てきます。そんな時、「財政破綻」という言葉が頭をよぎります。

 しかし、先輩議員の中には大きな施設(市民文化会館と清掃センター)の借金償還が平成23年には終わるから、夕張みたいにはならないと言い切る人もいます。また議員になりたてのころ、「桐生市の財政は大丈夫なんでしょうか」と聞きまわる私に、ある幹部職員が「大丈夫だよ。庭山さんがそんなに心配しなくても桐生市の財政が悪くなったのは、今に始まったことじゃないし、みんな知っているから大丈夫だよ」と言われました。

 ちなみに、桐生の経常収支比率は100を超えています。これは、家庭でたとえれば、家に入ってくるお給料よりも、必ずかかる出費(食料費とか家賃などなど)のほうが多い状態です。幹部職員が言った「大丈夫だよ」とは何を意味するのでしょうか?自分が在職中のあと数年は、給料は数パーセント引かれてもそんな大変なことにはならないし、自分の退職金には影響しないから、「大丈夫」という意味?

 そして桐生市は市の職員に退職金を支払うために、「退職債」を組んでいます。これは『国』が、団塊の世代の退職者数は一時的に多くなるので、この10年間は特例で「退職債」を組んでも良いですよ・・・というものです。しかし、『国』が「借金しても良いですよ」と言っても、その借金を『国』が払ってくれるわけではありません。結局は『市民の負担』、市民がその借金を返済することになります。「退職債」に対して市民の理解は得られているとは思えませんが、議会答弁では「ご理解ください」ということでした。これに反対しているのは、31人議員がいるうち、私ひとり。まるで、私ひとりが「わからずや」。

 また、今回の議会で当局は良く分からない資料を出してきた。平成17年度から行財政改革をして毎年35人ずつ職員を減らし、10年後には累積効果額が14822500000円になるので、大丈夫です・・・といいたいものらしい。が、行政は「単年度主義」なんでしょ?単年度で全部使っちゃっているでしょ?実際には累積しないのに、どうして累積するのでしょう?

「ご理解できません」。

10年くらい前の審議会の記憶

この4月で5年生になる息子が生まれて間もないころ、桐生市が「第4次総合計画審議会」の委員を公募していたことを知り、審議委員になってみたことがあります。

審議会は月に1度、たぶん6,7回くらい行われたと思います。審議会では、毎回誤字を探すような作業を繰り返し、委員から出された目次の組み替えさえかなわず、当局が作成したものがそのまま計画となりました。出席のたびに一人の委員につき約8000円が支給されました(税金分を引いたおよその金額。正確な金額は明日市役所で確かめてみます)。1回の審議時間は2時間程度。つまり時給約4000円。

「誤字訂正ばかりでこんなにお金をもらうのは申し訳ない」と言うと
「もらってもらわないと困りますので」と金庫番(?)の職員。
「バブルの時代に東京にいましたが、こんなに高い自給のバイトはしたことがないです」と言うと、
「フツウ、審議会にはお医者さんとかがなるので」と言われた。つまり、審議会は一般ピープルの来るところではないと言うこと?・・・と一瞬カラミたくなったことを覚えています。

 また最終会前の審議会で、隣に座っていたおじさんが、
「次回は最終会だから、車で来ちゃダメだよ。飲み会だからね」と嬉しそうに耳打ちしてきました。

 最終日。私は車で出かけました。基本的にアルコールは好きだけれど、不可解な酒はご遠慮したい。夕方から始まった懇親会には、紅茶とケーキが出されました。徒歩で来たらしいおじさんは、ちょっとがっかりしていたような。・・・ということは、以前は審議会の後は宴会が付きモノだったの?

 審議会って何のためにやってるんだろう。市役所は何をやってるんだろう・・・と疑問を持ちつつ、そんなこんなで時が流れ、10年たった今、思いがけず桐生市の議員をしています。

「議会は魑魅魍魎な世界なんでしょう?」とあるご婦人に聞かれたことがあります。
「あー。そんなことを言ったら問責決議されちゃいますよぉ。」

 議会の中にいると、楽しくまちのビジョンを想像することさえ、悲しくなることもあります。せめて、かわいい子どもたちには・・・。

2009年3月25日 (水)

阿久根の改革を見つめる理由 その1

新聞が取り上げてくれるかどうかは分からないけれど、以下の文章を投稿してみました。

 市民の意識が変わらなければ議会改革は出来ないと言われていますが、まさに市民の意識改革によって、変わろうとしている自治体があります。それは鹿児島県の阿久根市です。
 ある日、市役所に行ったT氏は職員の対応の悪さに疑問を持ち市議になりました。市議になったら、議会がもっと酷いことを知ります。議会の酷さとは、おそらく自治体や市民の問題解決よりも、議員同士の足の引っ張り合いに関心が高く、自分たちの既得権益を守ることに必死な大多数の議員達が束になり、直接市民の生活に関わることを議論もせずに、民主主義は多数決だと条例や予算を当局が提出してきたとおりに可決する状態ではないかと推測します。私がこう推測するのは、自分がそういう議会の中にいるからです。

 T氏はビラ配りやブログによって議会の内情を市民に伝えました。議会の中では孤立を極めたに違いありません。そして慰安旅行的な意味合いの強い視察を拒否した結果、問責決議を食らいました。そして、どうにもならないと判断したT氏は市長選に出馬し、当選しました。

 市長になったT氏は厳しい財政状況を鑑み、行財政改革に積極的に取り組みました。が、既得権益を守りたい議会はそれを容認せず、市長対議会の対立が顕著化しました。T氏は多くの市民の関心を引くべく、内情を伝達すると同時に、ブログを使ったアンケートなどの手法を駆使しました。ますます激化する対立の中で、議会は市長不信任案を提出。T氏は議会を解散し、3月22日に市議会選挙が行われました。

阿久根の改革を見つめる理由 その2

 定数16人のところ23人の立候補がありました。そのうち市長の改革に賛意を示していた現職一人と、同じく市民のための改革を訴えて当選した新人4人が上位を独占しました。地縁・血縁の濃いであろう約24000人のまちでの出来事です。

 特筆すべきはT氏の情報の伝達によって、市民4人が立候補し、それを多くの市民が支えたことです。まさに、T氏の情報伝達とそれに反応した市民の意識改革による結果です。このことを市議会は真摯に受け止め、市民が求める改革を遂行すべきでしょう。

この対立に疲労を感じる市民も少なからず存在するようです。しかし、市民の意識改革による議会や自治体の改革が途中で頓挫すれば、以前の酷い議会・自治体に戻ってしまいます。そして累積する負債は、ご自身の子どもや孫に付託されていくことになります。途中でやめれば、疲労を感じるに至るまでの悩みや努力が水泡と化してしまいます。

 改革の手法なら、栗山町をはじめとする先進地がいくつもあります。しかし、手法がいくらあってもそれを実行できるかどうかは、選挙で選ばれる首長と議会を構成する議員の質にかかってきます。市民の意識が変わって、地縁・血縁を超えた目線で自治体や議会を見ることができるかどうかが重要と思います。だから私は、阿久根の市民を見つめているのです。市民の意識がどこまで変わることができるのかを。そして同時に他市の一議員である私も、できる限りの努力をしていきたいと思っています。

のるかな~?のらないかな~?載っても、載らなくても、なぜかドキドキ。ほほほ。

はじまりはじまり~

2年前の4月22日に行われた選挙で、市議会議員になった。議員になれば、生活に関わる直接的な問題の解決に積極的に関われる、議論できる場にいきたいと思っていたからだ。しかし、議員になって思ったことは「よくもこのようなシステムで私たちの生活に関わることを決めてきてくれたな」ということだった。このように思ったことの詳細は忘れないうちにこのノートに書き留めていこうと思うし、これからも起こるであろう出来事の数々を書いていこうと思う。議会改革をしたくて議員になったわけじゃない。しかし、ここから関わらないと、時代錯誤的な独特の議会という社会は、その役割を果たさない。それどころか、市民に「害」を及ぼす。・・・このような事を書いても、議会の事実を知らされていない多くの方々は「?」と思われるだろう。その「?」が「!!!!!!!!」になると、議会は変われるかもしれません。そうすれば、私たちの生活は身の丈にあったゆとりあるもの、私たちのかわいい子どもや孫たちに負債を押しつけない、自立したものになっていくかも・・・。そうなることを、願いつつ・・・。

2009年3月24日 (火)

由紀日記 オープン

由紀日記 がオープンしました

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