「波瀾万丈伝」 1994.11.3放送  
K=KIEYO、F=福留功男、N=野際陽子、H=間寛平、T=遠野舞子.

「また逢う日まで」イントロ
彫りの深い顔(目元のアップ)、群を抜いた歌唱力(口元のアップ)、そしてこのモミアゲ(モミアゲのアップ)、(歌謡大賞の
時の「また逢う日まで」のVTR)。
そう、今回のお客様は尾崎紀世彦さん。パワフルな歌声を引っさげ、彗星の如く現れた歌手は嘗て「キーヨ」の愛称で親
しまれた。が、今は?「キョッキョ・・」(ヒッパレのKIEYOのVTR)。

バレエの演出家であった父と、ダンサーであった母、幸せな一家を襲った不慮の事故。
いじめられっこであった小学校時代。サーファー少年のライバルはあの加山雄三であった。
尾崎紀世彦が原因で解散したコーラスグループとは。運命を変えた衝突事故から「また逢う日まで」の誕生秘話まで、偉
大な名曲と出会ってしまった歌手の栄光と挫折。
(ライブの映像+ヒッパレのライブで「また逢う日まで」を美川憲一達とヘソマイクで歌っているVTR)今日は、甦った「キョ
ッキョ」の意外な素顔に迫ります。

F:おはよう御座います。「いつみても波瀾万丈」 ついついね、見惚れてましたよ。
3オクターブって結構大変なもんでしょうね。これは・・。
N:たいへんでしょうね。
F:日本人じゃまあでないと思う。出せます?
H:3オクターブ?ええ、すいません。何でしょう?
F:あの、なんでしょう、って。(Nが教えて、Hが「ドレミファ・・」とやってみる)
N:ねえ、2オクターブでも苦しいですよね。
F:でも、モミアゲも然る事ながら・・
H:誰がサルやねん。(Fに絡む)(笑)
F:引っかかりますねぇ。住んでる所からお帰りになった・・いやあしかしねぇ、モミアゲはビックリしましたねえ。
T:ねぇ、如何して生えてるんでしょうね。
F:カッコよかったですよ、あれ。
N:生えてるって言うか、あれ剃らないとああなるんじゃないんですか。
T:でも、きっとカットなさってるんでしょうね。
F:いや、勿論そうでしたよね。尾崎紀世彦さんです。どうぞお入りください。しばらくで御座います。
モミアゲは少し短くなりましたね。
([また逢う日まで」をBGMに、カウボーイハットをかぶった、ウエスタンスタイルのKIEYO登場)

K:はい。その代わり、こっちが・・。
T:お髭が・・。
N:そう、何とも言えませんね。その髭は。
H:立ってますね、その髭がねぇ。
K:はッ?(笑)
H:元気いいですねぇ。
K:ここが、元気がなくなりましたね。(笑)
F:でも、若い人から見るともう今はね「夜もヒッパレ」でね、「キョッキョ、キョッキョ」って言う。
T:そうですね。「キョッキョ」ってビックリしちゃいましたけど。
F:ねぇ。
K:「キョッキョ」で〜す。(カメラに向かってVサイン)
F:信じらんないなぁ、僕ね尾崎紀世彦さんそういうことなさるってのはぇね。なんかね、昔はこう正統派の真正面からこう
歌を歌う方だったからそのイメージがなんか。ピンと来ないんですが。
K:結構、楽屋裏では・・ええ、とぼけてました。

N:あたしねえ、昔ねえある旅を周ってまして、
K:沖縄まで行ったりですね。
N:ええそうなんですよ、そいでね、肩こったって言ったら、いきなりこうやってあの、整体みたいにこうやって「こうやると
いいんだ」て「カ−ン」なんて言って・・言ってらしたことある。
K:今もやってもらってたんですよ。バキバキバキって・・。
F:ああ、そうですか。今日は楽しいお話を聞かせて戴きます。子供の頃からご覧頂きます。波瀾万丈のパート1です。

(テーマソング)
尾崎紀世彦は、昭和18年元旦東京渋谷生まれ彼ゆえに産声もかなりの豪快さであった事が推測される。(父と母のダ
ンスシーンの再現フイルム)クラシックバレエのダンサーであった母は、演出家であった父と師弟関係にあった。いつしか
二人は恋に落ちそして結ばれた。尾崎夫妻は評判のおしどり夫婦であったという。しかし、不幸は突然やってきた。
ある日いつものようにレッスンをしている時の事、(リフトの失敗で母が転倒するシーン)この事故が原因で母は脊髄カリ
エスと言う病気を病み寝たきりの生活を余儀なくされた。紀世彦は美しい母の踊る姿を知らない。

F:今朝は尾崎紀世彦さんにおいでを頂いております。土佐の高知のねえ、お猿さん同士じゃだいぶ違いますね。道玄坂
とは違いますよ。波瀾万丈伝パートT続きです。

(テーマソング)
(再現VTR)不慮の事故で寝たきりの身となってしまった母。父がバレエの公演で留守にする時は紀世彦がいつも母を
見守っているのであった。そんな心優しい紀世彦も一方では近所の悪ガキを束ねるガキ大将だったという。

N:あの、別け方が何とも言えない。

(再現VTR)しかし、小学校へ上がると茶色い髪と彫りの深い髪からいじめのターゲットになってしまう。紀世彦は一時登
校拒否になりかけるが、やはり、やられたまま黙っているわけには行かない。いじめっ子達を力でねじ伏せ楽しい小学校
生活をつかみとるのであった。
(観客席で「白鳥の湖」を見るシーンの再現VTR)小学校時代、時折父の公演を見に行っていたという紀世彦はここでそ
の才能の片鱗を垣間見せている。客席から夢中になってみた白鳥の湖。紀世彦はこの長い曲のメロディを1度聞いただ
けで完全にマスターしてしまった。彼は歌い手に必要な耳の良さを生まれながらにして持ち合わせていたのである。

F:お父様とお母様は先生と生徒の間柄だったんですね。
K:うん、そうみたいだったですね。僕は生まれる前ですから。
N:お父様はまだバレエやってらっしゃったんですか。
K:ええ、死ぬ直前まで。
N:ああ、そうなんですか。おうちにお稽古場が・・。
K:いえ、あのね、昔は茅ヶ崎にあったんですけど、あの、うちの親父ってどっちかって言うと職人肌だんたんですよ。
で、あんまり、教えたがらない仕事したがらない。いつも貧乏でした。

F:お父様って、どんな方でした?
K:えーっとね、坊主になるとね、ユル・ブリンナーみたいな感じでね。そんな感じでしたね。
F:お母様の方は。
K:お袋はね、けっこう昔飛んでたみたいですよ。ええ、あのねどっかの化粧品会社のコマーシャルに出てたとか出てな
いとか。なんとか言ってたみたいですから。

H:じゃあ、べっぴんさんなんですよね。
K:その気になるんじゃないですよ。
N:どちらも全く純粋の日本人でらっしゃるんですか。
K:どっかで混ざってるかもしれませんけどね。どっちかが浮気したとかですね。
F:でも、そのお母様が寝たきりだった。物心ついたときには。
K:ああ、あのそれはもう。そうですね、僕らが小学校の頃にはもう寝ねてましたかね。はい。
N:いや、あの舞台には立ってらっしゃらないけどもお稽古はなさってて事故に遭われたていうんですか。
K:お袋ですか。お袋は、だから僕等が生まれる前ですよ。
N:あ、前に・・。お怪我をなさった?
K:ええ。それで、脊髄カリエスになったらしいんですけどもね。だから、もうまずかったんですね。弟を生む時にはもう危
ないですよって言われてたらしいですから。

F:そして、音楽の才能って言いますか。耳で聞くことが達者だったんです。
K:たまにつれてってくれる訳です。茅ヶ崎から東京へ行くのが嬉しくてね。小さい時でしたけども。それで、はじめて新橋
の駅でね日比谷公会堂のときは新橋で降りるんですよ。そこで、烏森のきったないラーメン屋でね、初めて餃子を食べさ
してくれた時は世の中こんな上手いもんがあるのかと思った時があるんですけどね。あ、音楽の話でしたね。(笑)それで
、食べて、それで白鳥湖を見終わって、帰りに電車の中で全景はどうだったか僕は覚えてませんが、だいたい憶えて帰
ってきましたね。

N:だって、あれ2時間何分の全部。
K:はい。
N:は〜。
F:ヤッパリ違うんだ。
N:一曲だけなら分りますけどね。
H:才能ですか。
N:だから、耳が良いだけじゃなくて憶えも良くなきゃ。
F:そうですね。
K:ところが、今は脳細胞が減って減って全然憶えられなくなって。なるべく、ほんとにヒッパレの資料を早くください。(笑)
F:当時音楽って一番こう馴染みだったのはやっぱりラジオからだったのですか?
K:ええ。あの頃はラジオしかありませんから。あのう、よくFENを聞いてましたね。昔は何ていうんですか。(Nに聞く)
N:もっと昔は、WVTR。
T:今で言う。
N:いまもFEN
K:FEN(フェン)って言うんですね。
F:と言うことは英語の歌をきいてらっしゃった。。
K:良くジャズとかカントリー聴いてましたね。
F:おいくつ位ですかそれは?一番最初聴いた頃ってのは。
K:小学生です。
皆:へぇー。
F:と言うことは、ひょっとしたら歌ってたとか。
K:ああ、歌ってましたよ。「♪Come on a my house、my ・・・」なんてのは。
F:小学校の頃に。
K:はい。そいでね、面白い事があったんですよ。小学校の5,6年の話なんですが、丁度春日八郎さんの「お富さん」が
流行ってる頃ですよ多分。その頃みんなが「粋なくろべえ・・」って歌ってたんですよ。そしたら、確か図工の先生だったと
思うんですが、女性の先生なんですけどね。その人が「おまえら、そんな歌歌うんじゃなくって尾崎みたいな歌うたえ!」
つって言ってるのを憶えてた事が・・憶えてたですね、今でも。

F:はぁー、やっぱり、垢抜けした歌を歌ってたんですね。
K:だから、僕はその時は僕は、
N:「Come on a my house・・」の方がいいと、
K:ええ、だから僕はそうやって歌ってたんでしょうね。
N:作りながらね・・作りながらじゃないか。
K:何を作りながらですか?
N:図工の時間だからですよ。(笑)いやだなもう。
F:え、コマーシャルの後、波瀾万丈伝パート2ご覧頂きます。

CMの後は名曲「また逢う日まで」の誕生秘話です

F:いつ見ても波瀾万丈、尾崎紀世彦さんなんですが。やっぱり、ねえCMの間キリスト様みたい・・なんて。言われますで
しょう。でも・・。
K:でも、キリスト様の顔誰か見た事ある人いるのかなあ、と思ったりですねえ。
F:写真で見てますよ。
H:写真では見てますけど、こういう顔立ちですよねえ。
F:ですよねえ。その方の波瀾万丈伝パートUです。

(テーマソング)
紀世彦の小学校時代、一家は住まいを神奈川県茅ヶ崎市に移していた。(再現VTR)中学校の頃、紀世彦は父の友人
からアメリカ製のビュウマスターと言う立体写真を貰った。「なんだろう、これ」その中に見える写真で、彼の目を釘付けに
したのは本場アメリカのサーファー達。サーフィンに興味を持った紀世彦は、早速板切れでのサーフボード作りを試みる。
当時の写真を見る限り、サーフボードと言うより洗濯板と言った方が通りは良い感じである。だが、紀世彦とその仲間達
はいっぱしのサーファー気取り。「よーし、みんな行くぞ」(Kの「寒そう・・」の声)真冬以外は毎日のように波乗りをして遊
んだ。

ある日の事、彼らの前に本物のサーフボードを持つ青年が現れた。紀世彦はその青年を見て思った。「ぼんぼんの癖に
カッコつけやがって・・」実はこの青年大学生時代の加山雄三であった。洗濯板に満足できなくなった紀世彦、本格的に
サーフボード作りを始める。完成寸前仕上げの一塗りで、突然煙を上げボードは解けてしまった。尾崎紀世彦は若大将
にはなれなかった。
(再現VTR)当時、紀世彦はサーフィンの他にもTVの西部劇に夢中になっていた。家でTVを見てはインディアンやカウ
ボーイのまねをしてはしゃぐ。そしてそれが高じて乗馬まで始めてしまうのだった。もしかすると加山雄三以上にお金持ち
のぼんぼんだったのかもしれない。
(KIEYOの「ハワイアン・ウエディング・ソング」)また一方では、大好きな音楽も続ける毎日。昭和33年、YMCA国際ホ
テル学校へ入学するが、友人達が結成したハワイアンバンドに参加し、学校へはあまり行かなかった。そして、この頃か
ら、紀世彦の中に歌手を心指す気持ちが芽生え始めるのであった。

F:でも、なんやかんや言って、私と尾崎さんとも一つ違い位ですから、あんまり物のない時代だったですよ。僕達子供の
頃。やっぱし、湘南じゃあサーフボードがもうあっ・・ねえ。のようなことをもうなさってた。まあ、第一号・・。
K:結構昔からやってたみたいですよ。昔はね、あの着物を洗い張りする板ありますよね、あれで乗ってた人がいたらし
いですよ。湘南では。

F:湘南の方で。 
K:だから僕等よりも大分上ですよね。
N:何処の家にもありましたもんね、あれならねえ。
K:あったらしいですから。
F:洗い張りののありましたもんね。それで、こんなあったの憶えてます?ビューマスターっての。あれ、カチャカチャって
立体になってんですよね。たしか・・。
K:そうです。あの、2枚同じ写真がこう並行にあるんですよ。そいで、こうずっと付いてて何枚  かでワンセットになって
ますけど。

F:写ってたわけだ。
K:それにね、ワイキキビーチで乗ってるのがあったんですよ。僕等は洗濯板みたいなヤツで、僕等洗濯板って言ってた
んですけが、あれで根っころがってこう乗ってたんですよね。もう、こら、立って乗らねば・・と。(笑)

F:それでお作りになった。
K:それから、考えましたよ。で、大体作り方は解ったもんですから、発泡スチロールの長いの買ってきまして、クロスファ
イバー巻いて。

F:手間かかってますね。
K:そうですよ。作り方は全く今のボードの作り方と同じですから。それで、今度はプラスチックを流したんですよ。そしたら
、シュワ〜っと煙が出て解けちゃったんですよ。

F:そんな時苦労してるのに、その前をちゃんとした本物持って歩いてる若者が、ねえ。若大将は、ビックリしたでしょうね
え。やっぱり、年はいくつ位、3つか4つ上ですか?
K:いやあもっと上ですよ。もっと上じゃあないですか。
N:加山さん、私より一つ下ですから。昭和12年。
H:えっ、そんなにいってるんですか?!
N:なにいってんの!
F:加山さんの話でしょ。お姉さんの話じゃないでしょ。
H:加山雄三さんがそんなにいってるのかと。
F:いや、両方共いってますよ。
N:ですよ、12年ですよね。
F:ビックリしたでしょう。でも、そんなに驚かなかった?
K:いや、それはあの写真見てますから。
N:あっ、日本にもあるんだっていう。。
K:あの人は持っててあたりまえだなって言う感じですからね。
H:有名やったんですか。
K:もう、みんな良く知ってますから。誰の息子さんだって事くらいは。
N:上原謙さんのお坊ちゃんって事はね。
F:小学校から中学校に言ってその頃は何になろうと思ってました?
K:なぁ〜んにも考えてなかったんじゃないんですか。意外と、でも出来ればガイドって言うか通訳みたいなをやりたいな
とは思ってました。

F:だから、YMCAのホテル学校にいったんですか?
K:そいでね、その頃は。僕はもう音楽やり始めの頃ですから。で、休みの時は皆と一緒に茅ヶ崎のダンスホールだとか
ちょっとしたパーティの時にやってたんですね。そのうちに、箱根の小涌園っていう所がありますけど、あそこでバンド募
集してるって言うんでオーディション受けに行ったんですよ、そしたら通っちゃったんですよ。

N:何をやってらしたんですか。ウクレレさっきやってましたけど。。
K:僕はギター弾いてたですね。ウクレレも引いてますし。けども、たまには荷車も引いたりなんかして。(笑)
H:なんや、笑い取ろうと思てからに。
K:いええ、いえ。プロの方の前でそんな事は思ってませんよ。
H:僕よりおもろい事ゆうやんか。(笑)
F:バンドの名前なんて名前つけたんですか?
K:ヒロ・ハワイアンズっていう。
F:確かそれの司会なさってた方は?
K:へへ・・。どっかの局のねえ。アナウンス部の部長やってらっしゃるんですよ。
F:もう間も無く役員になるんじゃないかって言われる方ですよ。
K:ああ、そうでしょうね。
F:露木茂さんですよ。
N:ああ、露木さんあちこちでそういう事やってらしたんですよね。
F:あの方は放送研究会ですよね。
K:放研、で来てたんですよ。でね、あの人は真面目でね、そいで、ばらしちゃおうかな。あの人は、増田キートンさんに凄
く良く似てたんですよ。ま、今でもたまに・・。
F:いま、益々似てきてますからね。
K:そうですね。で、あだな僕等はキートンってつけたんですよ。そしたら、学校でもやっぱりキートンって言われてたらし
いですよ。

F:別に新鮮じゃなかった、彼にとっては。
K:そうなんですよ。それでね。いろんな風呂を覗きにつれてったりですね。
N:小脇園で。
K:色々やりましたよ。楽しかったですね、あの頃は・・。
F:小脇園は結構覗けるんですよ。(笑) 私もね、あそこは何度も御世話になってましてね。
H:覗いてたんですか?
F:いえ、たまたま見えたって言う話ですけどもね。つぎ行きましょう。でもそのヒロ・ハワイアンズってバンドはあんまり長
く続かなかった、ですか。
K:いや、結構やったんじゃないですかね。
F:何年ぐらい続いたんですか。
K:十年近くはやったと思いますよ。僕等、日劇まで出ましたから。
F:うわぁ、こら完璧ですね。
N:じゃあ、有名なんだ。やっぱり。
F:有名なんですよ。やっぱり。
K:最初はもう東京のジャズ喫茶出ればいい、とかね。でも、日劇まで行っちゃいましたから。で、何かのきっかけで解散
して。僕だけはこれだけじゃちょっとつまんねぇな、折角ここまで来て、やるんだったらもうチョット。その時に同じ事務所に
あのう、今は無きジミー時田、あ、まだ生きてますが。(笑)。ジミー時田とマウンテンプレイボーイズっていうとこに入って。

F:いよいよプロ。本格的なプロになっていくんですね。
K:まだまだ、続きます。(笑)

(テーマソング)
プロダクションに所属した紀世彦は、カントリー&ウエスタンの草分け的存在である、ジミー時田と出会い、バンドに参加
そして、その2年後には、ヴォーカルだけのコーラスグループ、ザ・ワンダースを結成する。ワンダースの美しいハーモニ
ーは高い評価を受けTV番組から声が掛かる事も少なくなかった。だが、紀世彦はこのグループで大きな悩みを抱えた
(再現VTR、ワンダースの「霧と恋」)美しいハーモニーと引き換えに持ち前の声量をセーブしなければ無かった。
思いっきり歌う為には、やはり一人で無ければダメだ。これが原因でワンダースは解散。クラブなどでの弾き語りを始め
た紀世彦、インディアンや浴衣などユニークないでたちで客の人気者となる。が、外では挙動不審による職務質問、たし
かにこの再現VTRが事実に忠実であるならいたしかたないことである。彼は、この弾き語り時代にレコード会社からスカ
ウトされるのである。
昭和45年、「別れの夜明け」でソロデビュー。しかし、ようやく思いっきり歌えると思った矢先の9月12日に事件は起こっ
た。タクシーに乗っていた紀世彦は思いもよらぬ事故に巻き込まれてしまう。玉突きの6重衝突。重度のむち打ち症で4
ヶ月の入院。デビュー曲はヒットする間も無く過去の歌となってしまうのであった。

F:う〜ん、なるほどね。でも、ハワイアンからカントリー&ウエスタンっていうのはチョット又  感じが違うような気がする
んですけど。
K:そうですね。でも、小さい時からカントリーっていうか結構聴いてましたんで。結構ジミーさんがメインで歌ってましたか
ら。僕は彼が遅れてくる間の時間繋ぎとかですね。そういう時だけ歌ってた様な気がするんですが。
F:結構あんまりね。上手くいってなかったのかもしれないな・・。何てことないか。
(笑) でも、その頃もう、そうとう有名になる為にって言いますかね、次のステップを踏まなければいけなかったでしょう。
その、ジミー時田さんとこから次へ。
K:コーラスグループをつくろうって、言ったのはさっきの朝光太郎と小栗って栗なんですが。その頃は、丁度グループサ
ウンズがもうギンギンの頃ですよね。

F:その当時の有名な曲を確かレコーディングなさってるはずなんですが。ご自分の口から聴きたいですね。
K:あ〜、ああ、はぁはぁはぁ。あのねぇ。ウルトラセブンの主題歌。
H:えっ。ウルトラセブン?
F:気が付きませんか?
K:ウルトラセブン、最初どういう出だしだか覚えてます?
H:セブン、セブン、セブン〜。
K:(3回でHを指差して)そう、それが僕。3回目が僕。(笑) 最初はあのう朝光太郎って光太郎が歌って一番低い音で「
セブン〜」、「セブ〜ン」って言うのが小栗ね。「セブ〜ン」ってのが僕なの。で、皆で「セブ〜ン」。って子供達が「セブン、
セブン、セブン。」って皆で歌うんです。

F:聴いてもらいましょう。
(ウルトラセブンの出だしがかかる)
N:結構ソフトな声で、やってらっしゃいますね。
K:そうですか。たしか、グループの名前も変えてやってたと思いますよ。はい。ワンダースじゃなくって、他のグループの
名前にしてたと思います。

皆:へぇ〜。
H:ビックリした。
N:今もまたウルトラセブンなんて。やってますからね。
F:その頃、もうさっきの再現VTRじゃないですが、声量か違うからやっぱりマイクからこう逃げて歌わないと・・・。
K:はい、もうホンとに。あれは、やらないとダメなんですよ。バランスが取れないんです。だから、二人はどっちかって言う
とマイクにバッと付いて、僕はヒョッと横向かないと。

F:こう、キリュウな歌い方してるっていうか。マイクをスーッとこう・・
K:ええ、それは普段の時じゃなくってやっぱり、一番トップでワァーッと張るときですよね。そのときは、外さないと僕の声
ばっかりが強く入っちゃいますから。メロディーが聴こえなくなっちゃうですからね。

F:そして、こういう体験もなさったけど、ソロとしての本格的なやっぱり、勝負をかけようと思った。
K:いや、そうじゃなくってね。僕、もういやんなっちゃったんですよ。
F:どうしてですか。
K:あの、この芸能界っていうか。なんか、いやんなっちゃって。今で言う煮つまりだと僕は思うんですが。それで、グルー
プ辞めて。で、ナイトクラブみたいなその地下に潜っちゃったんですね。弾き語り。

F:でも、面白いカッコしてお巡りさんの御世話になってたんですね。
K:いや、お世話にはならないですよ。
F:大きなお世話ですか。
K:大きなお世話ですよ。(笑) でも、しょっちゅう職務質問にはあってましたね。
F:どうして、あんなカッコして。浴衣がけで。
K:あれは、嘘ですよ。あんなカッコはしませんよ。
F:あそこまではいかなかったですか。
K:あそこまではいかないですよ。あれに近い・・、あ・・・。(笑) あのね。その当時からかなり稼げるようになりましたから
あの、弾き語りでね。で、丁度馬乗りに御殿場によく行ってたんですよ。そいで、早いもう朝もやがボーっとなってるところ
を馬で富士山の方ずぅーっと駆けて行くと気持ちいいんです、これまた。

N:朝駆けね。
K:はい、すんごい、気持ちいいんですよ。そいで、帰ってくるわけですよ。で、家に帰らずにそのまんま銀座へ行くんです
と、銀座の隣が湯屋だったんですよ。で、その湯屋で入ってサッパリして、浴衣を着てそいで店に上がっていく訳です。
そいで、浴衣のまんまギター弾いて帰ろうとすると、「帰っちゃダメ〜」とかなんとか言いながら、そいで、お客さん入ってく
ると「いらっしゃいませ〜」ってやってるうちにここに(自分の前を指して)こう自分のビンからついでくれたヤツが十杯くら
い並ぶんですよ。それを片っ端から飲みながらこうやってやって。(飲みながらギター弾く格好) で、常に8パイはここに
ありましたからね。で、僕は氷入れると薄まるからそういう事しないでくれって。

F:バーボンストレート風の感じで・・。
H:強かったですね。
K:あ、強かったですね。ハッキリ言って強かったですねえ。普通の人はガサついて来ちゃうんですよね、声が。
F:荒れちゃうんですか。
K:荒れちゃって、声帯がピンク色になってくると荒れるじゃないですか。それはないですね。
N:特殊な体質なんですね。
K:そうなんです。異常体質なんです。普通の身体じゃない。(笑)
F:もうチョット早く言ってくださいよ、それを。でも、生まれながらに声帯が強いんですか、その声量を使って毎日お仕事な
さってて、その上毎日飲んでらっしゃるんでしょう。
K:あの、咽喉科のお医者さんに言わせると強いって言いますね。何千人に一人だって言われましたね。はい。
H:違うんですね。
F:並じゃないんだ、やっぱり。それから、いよいよ本当のデビューきますね。
K:あの、ワンダースの時の出版会社のディレクターが、も一回やらないかってしょっちゅうその、クラブに遊びにきてたん
ですよ。誘いに。そいで、いやだーいやだーって言ってたんです。が、どうしてもや
ろうよ。って、それでさっきの「別れの
夜明け」って言うのをやったんですが。
F:そして、あの事故ですか。
K:そうです。四谷の信号で。僕が「どっちの道が近いですかね、運転手さん」って言ったら、ドーンと来られたんですよ。
F:痛かったですね。その4ヶ月は。
K:痛いの通り越してましたから。で、あのチョット嫌な表現のしかたをしますとね、注射を首に刺すんですよ。で、グーって
いうとグッグッグッって入ってく音が聞こえて、でコッツンって骨に当たるんです。
H:痛いやん。
K:それで、グーッと少し液を入れて、チョット抜いて液を入れて、チョット抜いて液を入れて。また違う所へ、グッグッグッグ
ッ、コッツンっと。それ、毎日ですよ。

H:痛いでしょ。
K:痛いです。
N:痛いわよ。そりゃ。
F:私は言ってるのはね。その痛さと、デビューのその時の4ヶ月のその人生の痛さと両方あったでしょ。チャンスが痛い
、つぶれたって言う。
K:ええ、売れる訳ないですもんね。何にも行けないんですから。
N:鞭打ちでしょう。ようするに。
K:鞭打ちですね。
N:骨がこうずれちゃったん、ですか。
K:つぶれてます。3番と4番がもう。
H:いまでも。
K:だから、僕少し背が低くなってるんです。(笑)
F:一センチぐらい。(笑)・・そして、いよいよ皆さんよくご存知の曲へと繋がってきます。波瀾万丈伝のパート4です。

(テーマソング)
(再現VTR)退院した紀世彦は、直ぐにソロ2曲目をレコーディング。この歌との出会いが彼の後の人生を大きく変えてい
くのであった。(「また逢う日まで」のイントロ)「また逢う日まで」である。だが、その直後前回の場所とほぼ同じ場所でま
たしても交通事故。悪い予感が走る。この曲もまた同じ道を辿るのか?しかし、不運はここまでであった。「また逢う日ま
で」は大ヒット曲となり、その年の日本歌用大賞受賞、(歌謡大賞のVTR、「尾崎紀世彦さん」と言う声)正しく彗星の如く
に現れた歌手に人々は熱狂した。
(歌謡大賞の「また逢う日まで」VTR)会場には母も駆けつけた。(Kの「若いわぁ」)の声歌謡大賞に続き日本レコード大
賞も受賞、そして紅白へも出場。昭和46年は、紀世彦にとって生涯忘れ得ぬ年となった。

F:このときは、やはり親孝行をできた、って言う感じがありました?
K:いや、そういう事は僕全く思わない人だから。
F:あんまり考えないですか。
K:あんまり考えないです。
F:でも、お母さん喜んでらっしゃったじゃないですか。
K:あ、喜んではくれてますけどね。別に僕の仕事だと思ってますから。
F:ははぁ〜。
H:だからねえ。普通だったら涙流すのに、涙も流してなかったですよね。
N:ちょっと、ウルウルしてた?
K:いや、・・はしないです。
N:・・じゃないの。自然に。
K:絶対しないです。
H:なんで、泣かないんですか?
K:泣いてたら、歌えないですもん。
H:は〜、それもそうですね。
N:ああ、今この場面では歌うのが仕事だって。
K:仕事ですもん。
N:はぁ〜、プロフェッショナルなんですね。
K:大体、歌えなくなっちゃうって言うのは、僕等お金もらえませんからね。歌手って自分で一応言っている以上は。
・・と思います。はい。

N:どんな場面だろうと。
F:歌謡大賞とレコード大賞を一緒に取るってことは普通、なかなか出来ない事なんですよね。
H:いままででは?ないんですか。
F:第一号じゃないかしら。
K:僕が初めてです。
F:第一号ですよね。
K:はい、その後何人か。
F:でも、やはり尾崎さんご自身も歌謡大賞とってらっしゃったからレコ大の尾崎紀世彦は無い、と当時言われてましたよ
ね。
K:マネージャーが、「お、貰えないから帰るぞ〜」って言うから「お、帰ろう」て帰ろうとしたんですよ。そしたら、スタッフの
人たちがもうチョット待ってください。で、もうチョットいたんですけども、で「おい、もうそろそろ買えろうや」って、であの時
はおトキさん(加藤登紀子)と五木君だったんですよね、候補が。で、どっちかが絶対取るって言う噂が、ぽっと入ってき
たんですよ。もう。「じゃ、帰ろう」って、また帰ろうとしたんですよ。で、そしたら、また居てくれって言われたら、呼ばれた
んですよ。で、もう取れるわけ無いと思ってましたから僕等は、だからサラ〜ッとしてたところに僕の名前呼ばれたから。
飛び上がってVサインしちゃったんですよ。

H:Vサインして涙は流さなかった。
K:はい。
F:それどころか。目いっぱい歌ったでしょう。
K:そうですね。あのときはね、確かねぇ。マイクの振動版がくっついっちゃったんじゃないかな。
F:ほら。(笑)
N:なんですか、それ。
F:つまり、声がでか過ぎて・・。
N:マイクの中に、こう振動盤が・・
F:リボンがあるんですね。
K:それがね。
N:どっかにべチャットくっついちゃった?
K:こう、奥の方にペタッとくっついちゃった・・らしいですよ。
N:つまり、あの喉チンコがペチャとくっついちゃったみたいな・・あ、違うか、全然・・。
K:振るえなくなっちゃったんですよ、振動盤が。そしたらね、目の前で音声さんがこうやって(ヘソマイクの格好)やってる
んですよ。

F:離せって?
K:離せって・・で、離すと入るんですよ、僕もホラ、興奮してるから結構マイクが近かったらしいですよ。この辺だったらし
いですよ。いつもだったらこの位になるのが、ワーッと歌ったらし  いですよ。たら、ホンの何分の一秒か消えたらしいで
す。

F:こんな歌手はいませんよ。そうは・・。
K:それとね、あの。その46年の年ですよ。仙台のネ、どっかの放送局の録音って言いますかね、その時はねブレーカー
を7回ぐらい落としましたよ。(笑)

N:え?あの、電源のブレーカー?どうして、大きい声だすと電気沢山食うんですか?(笑)
K:そーれは、違うとは思うんだけど。ワーって僕が歌うと、ドン・・。(笑)
N:振るえるのかな。
F:振動かもしれないですよ。
K:あの、音声さんどういう・・・ありえるんですかね。
N:こんなことが、あり得るんですかね。音声さん、そんな事あります?ね。
K:緞帳がバァーッとあがってね、僕が出てってっからワッって歌うとドン。7回ぐらい。
H:また、ブレーカーあげに行っては。
F:でも、歌うと消えるって事は何か関連性はあったんですよね。
K:あるんしょうね。
F:ほ、安普請であるとか・・。
N:急に電流がワァーって流れるのかしらね。電流、送り込んでたんじゃないんですか?
K:いやね、それが電力会社の方なんですよ。(笑)
N:仙台の?(笑)
K:そういう事もありましたね。
F:「また逢う日まで」はオリジナルの曲では、尾崎さんの曲では無かったって事聴いてるんですが。これはね。
K:ああ、そうです。はい。
F:何方か他の方が。
K:あのね、ズーニ−ブーの町田さんが歌ってたんです。確か、町田さんでしたよね。ええ。
F:それ、聴いたんですか。
K:いやあのね、出版会社へ行ったらこう、投げてあったんですよ。投げてあったっていうか、テーブルの上にポンと置い
てあったんですよ。それを、聴いてたんですね。で、B面で「あれ、これ面白い曲だな、で「これB面だからリバイバルでも
なんでもいいから僕に頂戴」って言ってたんですよ。

F:へぇ〜。
K:で、このまんま出すんじゃつまらないから、じゃ阿久悠さんにまた書き直してもらおう、と言う事であの曲になったんで
す。

N:あ、詩を変えて。
K:あの歌詞になったんです。
F:じゃその、あの、ズーニーブーの曲を聴いていただきましょうか。
K:あ、あります?あしーたがーみえるー、今日の終わりにー、って言うんですよ。

(KIEYOの「また逢う日まで」と同じイントロが流れる。)
H:あ、一緒や。
(「また逢う・・」のメロディーで「♪あしたが見える、今日の終わりに〜」と言う歌詞の曲が流れる)
H:へぇ〜。
(「♪背伸びをしてみても、何も〜見えない(別れのその訳は・・の所)」と続く)
F:これは、知らなかったなぁ。
N:珍しいケースですね。
H:これを変えたわけですか。
K:そう、これをまた阿久さんに書き直してもらって・・。
F:歌詞だけ作り直して。そうですかぁ〜、でも舞子ちゃんなんかはその曲がヒットした後で生まれてるけども、この曲は
日本の昭和の名曲ですもんね。
T:そうですね。今歌っても新しい感じしますよね。
F:そうだものね。でも、この歌が果たして尾崎さんにとって良かったのかどうかですが。波瀾万丈伝パート5行きましょう。

(テーマソング)
(「愛する人はひとり」)
「また逢う日まで」以降も次々とヒットを出す尾崎紀世彦であったが、いずれも曲はスマッシュヒットに留まった。そして、
苦悩の日々が始まる。(再現VTR)彼に持ちかけられるTV出演の話は、いつも「また逢う日まで」であった。尾崎紀世彦
にとってあの曲はあまりにも大きすぎる財産だったのである。
(「Geogia On My Mind」を歌うVTR)これだけの歌唱力を持ちながら何故他の曲ではいけないのか。苦悩の日々は続
く。その後は、ディナーショウの活動の傍らバラエティ番組にも出演。(VTR−バラエティー、ヒッパレのトークシーン、ヒッ
パレのライブで「プゥプゥ・ヒヌヒヌ」を歌うシーン)歌を愛しそして、それ以上に歌うことを愛してきた歌手尾崎紀世彦、彼は
紛れも無く歌う事のプロフェッショナルなのである。

F:なんか楽しみになってきたな。尾崎さん今のキョッキョ・・やってらっしゃるって言うか。尾崎さん見ましたら、な〜んか。
いいなぁ。
N:あれは、地なんですか。それとも、照れて。
K:結構、地っぽいですよ。
N:地っぽいの?
K:もう、楽屋ではもう昔っからそうです。
F:どっかから、ふっと切れた時になんか違う魅力が又どーんと広がってきたって言いますかね。だから、「また逢う日ま
では」名曲であるがゆえにいつもお客さんに求められ続けテレビでいて求められたでしょう。
K:ええ。未だにそうですけどね。
F:でも、それを求められる事にはやはり抵抗があった?
K:はい。僕には他の曲もたくさんあるんで、その、レコード出して売れた曲がね。「さよならをもう一度」も結構売れてます
し、「しのび逢い」なんて良い曲もありますし。沢山あるんですが。そっちは絶対歌わしてくれないですね。他の人たちは、
皆新曲なんか歌わしてくれるんですけど。

F:それは、やっぱり、曲があまりにも良い歌で余りにも見事な曲だったから。
K:それだったら、その曲を歌って、もう一曲歌わしてくんなきゃと僕は思うんですけどね。
H:そうですよね。
H:だから、あの間平さんみたいなプロデューサーとかディレクターだったら僕は直ぐ歌えますけれどもね。一つ宜しくお願
いします。
F:若い方にキョッキョって言われるのはどうです?今。
K:まだ、今の所は言われてませんけどね。
F:自分でいって、もう、これでちゃんとキョッキョになっちゃったじゃ無いですか。
K:ところがね、それ言ってくれる方がもう大変なんですよ。もう、人妻になって早数十年って方ばっかりなんですよ。
F:はー、25年前のファンって言う事ですか。
K:そうですね。そういう方達が、「見ましたよ、キョッキョ・・」かなんか言って。(笑)
F:ディナーショウとかなんかなさる時に言われたりするんでしょう。
K:そうなんですよ。で、大変なんですよ、後ろの方から「キョッキョ〜」(笑)もう大変ですよ。
F:・・お嬢ちゃんや息子さんがたがご一緒に観てるお母さん方が・・・。
N:でも、本当こんなに歌の上手な方いないんですもんね。なかなかね。
F:もう一人、声量が強いっての松崎だとか知ってますけどね。
K:松崎だとか、ジョウだとかね。上条恒彦さんだとかね。あれは、半端じゃないでっかい声ですよ。(笑)
F:尾崎さんに言われたくないですよ。
K:あのね、昔、音あわせやっていてね。てね、朝早〜くに入ったんですよ。そしたら、クソでっかい声でギャーギャ−朝か
ら騒いでるやつがいるんですよ。歌って、誰かと思ったら上条恒彦だったんですよ。で、「おまえ、朝からうるさいよ」って
僕の番になってっから、むこうも「お前朝からうるさいよ」って。二人で言って。

H:僕あのね、僕初めてグランド・・いやプラザホテルで会うたですよ大阪の。その時見たとき怖そうなひとやなぁって思っ
てましたからね。笑い顔一つせずにムッとして歩いてるから、怖い人やねんなあの人・・と、こんな気さくな人とは思いま
せんでしたな。
K:あ、そうですか。だけど、一人出歩いてる時にヘラヘラって、カイ〜の(Hの真似?)とは言いませんよ。
H:知らん知らん。もう。(あっち向いてしまう)
F:どうぞ、これからも頑張って。夜の番組も頑張ってください。
H:バラエティも是非出てもらいたいですね。いろいろ。
K:あ、もう是非だしてください。お口添えのほうを。
H:僕は今出てないほうですから。
K:なに、気取ってんですかねぇ。(笑)
F:夜もヒッパレの裏側を私が生で放送したら・・。このあたりにしまして、どうも有り難う御座いました。。ええ、来週のゲス
トは、ジミ−大西さんとコウノケイコさんです。どうぞ、お楽しみに。

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