ANAおトク情報【PR】

自分の性的嗜好について日頃、考えていることや世界の同性愛文化の比較、世界の男色習俗の紹介、旅行記、大好きなアフリカ大陸や映画の話
by jack4africa
XML | ATOM

skin by excite
フランス人の見た日本人の切腹

切腹は日本特有の自殺方法ですが、初めて切腹自殺をしたのは、平安時代末期の武士で、保元の乱で勇名を轟かせた弓の名手、鎮西八郎為朝こと源為朝(みなもとのためとも)であるといわれています。

この頃は、切腹は敵に捕縛され、斬首されることを避けるために行う自決の一種に過ぎなかったそうですが、

その後、時代が下がるにつれて、武士にとって名誉ある自殺方法であると考えられるようになります。

その理由を『武士道』の著者、新渡戸稲造は、

「腹部には人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされた」

と解説しています。

切腹は、室町時代からは自殺のほかに、処刑(死刑)の方法としても採用されるようになるのですが、切腹は自分で自分の腹を切ることから、

同じ死刑でも、斬首(ざんしゅ)や磔(はりつけ)よりも名誉ある死とみなされたそうです。

また江戸時代初期には、主君が亡くなった場合に家臣が後を追って殉死することが流行し、この場合の切腹を追腹(おいばら)と呼んだといいます。




その後、幕府の命令によって殉死は禁止されるようになり、また刑罰としての切腹も明治になってから絞首刑に取って替わられます。

それでも太平洋戦争の敗戦に際しては多くの軍人が責任を取って割腹自殺をしましたし、1975年には作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊本部で割腹自殺を行って話題になりました。

私ははっきりいって、切腹は嫌いです。

切腹ほど残酷でグロテスクな自殺方法はほかにないと思うし、日本人の過去の切腹の習慣が誇張して伝えられることで、日本人が残酷でクレイジーな国民であるとのイメージが世界に広まっているように感じるからです。

若い頃、フランスのパリに住んでいたとき、フランスに「HARAKIRI」というタイトルのエログロ・ナンセンス雑誌があって、

街角のキオスクで、下品な裸の男女の写真が表紙になっているこの雑誌を見かけるたびに憂鬱な気分になったものです。

ちょうど同じ頃、パリのシネマテークで小林正樹監督の切腹(1962)という映画を観たのですが、主人公に真剣ではない、竹を削って刀身にみせかけた竹光(たけみつ)で無理やり腹を切らせるという残酷なシーンが延々と続き、観ていてうんざりしました。

私が不愉快になったのは、ただ単に切腹シーンが残酷であっただけでなく、ことさら残酷な切腹シーンを似せることで、フランス人をはじめとする西洋人が抱く日本人=ハラキリのステレオタイプのイメージに迎合しているようにみえたからです。

実際、この作品は1963年のカンヌ映画祭に出品されていて、作り手の側に最初からフランス人を含む西洋人が日本の切腹に対して抱く悪趣味な好奇心に訴える意図があったことが窺えます。

実は日本人がフランス人の観客向けに切腹ショーを演じてみせたのはこれが初めてではなく、1900年のパリ万博のときに渡仏して日本の芝居を上演した川上音二郎一座が、フランス人の興行主に頼まれて切腹シーンを演じています。

その頃からすでにフランス人の間では日本人の切腹の習慣が有名だったということらしいですが、フランス人が日本人の切腹を初めて目にしたのは、慶応4年(1868年)に起きた堺事件のときであったと思われます。

堺事件というのは、堺に上陸したフランス海軍のコルベット艦、デュプレクスのフランス人水兵11人が攘夷を叫ぶ土佐藩士に斬殺された事件で、この事件を受けて、駐日フランス公使、ロシュは幕府に厳重に抗議し、賠償金の支払いと犯人の逮捕、処刑を要求します。

彼我の武力の差を知っていた幕府は、フランス側の要求を全面的に飲み、莫大な賠償金を支払うとともに事件に関係した土佐藩士20名に切腹を命じます。

切腹はロシュ公使、トゥアール艦長以下フランス人将校の立ち会いの下に行われましたが、切腹した土佐藩士が次々に自分のはらわたを引きちぎって見物していたフランス人に投げつけたために、

ショックで嘔吐、失神するフランス人が続出し、その凄惨な光景に耐えかねたロシュ公使がフランス人の死者数と同じ11人が切腹したところで中止を要請したといわれています。

残りの9人の土佐藩士は後日、別のところで切腹したそうですが、この切腹事件が見物のフランス人に激しいカルチャーショックを与えたであろうことは想像に難くありません。

お蔭で、日本人=ハラキリをする残酷でクレイジーな国民というイメージがフランスだけでなく世界中に広まったのですが、

戦後、いったんは収まっていた切腹を再演してみせて日本人=ハラキリのイメージを補強したのがあの三島由紀夫です。

三島の割腹自殺の報を聞いたとき真っ先に私の脳裏に浮かんだのは、あのフランスのエログロ・ナンセンス雑誌「HARAKIRI」でした。

三島の側にも切腹を実行するに際して西洋人に自分の切腹する姿を見せつけてやりたいという露悪的な気持ちがあったことは事実で(「夏目漱石の『こころ』の先生の自殺と三島由紀夫の自殺」を参照)、

本当に悪趣味で、はた迷惑な自殺をしてくれたものです。

三島由紀夫の友人であった劇作家の堂本正樹によると、三島由紀夫は元々、切腹プレイを好み、若い頃、よく一緒に切腹ごっこをして遊んだといいます。

具体的にどのようなプレイをしていたのかよくわかりませんが、切腹というのは究極の被虐行為ともいえるわけで、

マゾヒスティックな性向を持つ人間は、その行為を真似ることで性的快感が得られるみたいで、昔からホモ雑誌にはその手の写真や絵がよく掲載されています。

先日、偶々、テレビでフランス人の振付家、モーリス・ベジャールが東京バレエ団のために振付けした忠臣蔵を題材にしたバレエ「ザ・カブキ」を観ましたが、ラストシーンはやっぱり四十七士が切腹するシーンでした。

モーリス・ベジャールはこの「ザ・カブキ」のほかに、三島由紀夫を主人公にした「M」というバレエも振付けていて、このバレエもやはり最後は三島由紀夫の切腹シーンで終わるそうです。

モーリス・ベジャールは三島由紀夫と同様、同性愛者だったから、切腹という行為に独特のエロチシズムを見出したのかもしれませんが、

これって一種のオリエンタリズムじゃないでしょうか。


「昔の日本人」の目次に戻る
by jack4africa | 2012-05-15 00:36
<< 女を必要としない男性 男歌・女歌 >>