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by jack4africa
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昔の日本人の性生活(1)

フリードリッヒ・S・クラウス著、「日本人の性生活」という本を図書館から借りてきて読みました。

著者のフリードリッヒ・S・クラウス(1859-1938)は、オーストリーの民俗学者で、日本を訪れた経験はないものの、日本に滞在した欧米人の見聞録や日本の文献に基づいて日本の性習俗を研究し、1907年(明治40年)にこの本を出版しました。

この本には、日本人には混浴の習慣があり、女性は男性の見ているところで裸になることに抵抗がないこと。日本では離婚が非常に簡単であるため、離婚率は高いものの、離婚に対する偏見はなく、再婚は容易であること。

農村部では夜這いが盛んで、子供ができてから初めて夫婦になるデキちゃった婚が主流であること。売春は悪徳とはみなされず、売春婦は自分の職業を恥じていないこと。

未婚、既婚を問わず、男性の間には同性愛が蔓延していることなど、幕末の遺風を色濃く残す明治初期の日本人の性風俗が詳しく紹介されています。

日本人にとって、売春と結婚の境界は限りなく曖昧である」などという文章を発見すると嬉しくなります(笑)

この本がヨーロッパで出版されるとベストセラーになり、ヨーロッパ人の間で「性の楽園」である日本に対する憧れが高まったそうです。

キリスト教的道徳観にがんじがらめに縛られていた当時のヨーロッパ人には、この本に書かれている日本人の性に対する罪の意識の無さとその自由な性行動は羨ましく映ったに違いありません。

しかし、当然のことながら、日本在住の欧米人キリスト教宣教師たちは、このような日本人のおおらかな性習俗を不道徳であると激しく非難しました。

宣教師たちは特に夜這い混浴男色売春など日本人の好む性習俗を槍玉にあげたといわれています。



日本政府は、欧米列強から押し付けられた不平等条約を改正するために、欧米から近代国家として認知される必要に迫られていたことから、欧米人宣教師たちの非難する自由な性風俗の取り締まりに乗り出します。

その結果、夜這いや混浴が禁止され、明治六年には同性愛を禁じる鶏姦罪が刑法に導入されます。鶏姦とはアナルセックスを意味する言葉です。

この鶏姦罪は、イギリスやアメリカのソドミー法に相当するもので、違反者は懲役90日の刑に処せられたそうです。

しかし、明治13年に鶏姦罪は廃止され、16歳未満の少年・少女との淫行を禁じる猥褻罪に取って代わられます。

これは、来日したフランスの法律学者の助言によるものといわれています。

当時、フランスはナポレオン法典を採用していましたが、ナポレオン法典では、同性愛は、道徳的に恥ずべき行為とみなされても、犯罪とはみなされなかったため、刑罰の対象にはならなかったのです。

明治政府が英米法のソドミー法に習った鶏姦罪を廃止して、同性愛を罪とせず、少年少女に対する淫行だけを罰するフランス法を採用することになった経緯は詳しくはわかりませんが、当時の政府高官に薩摩出身者が多かったことと関係があるような気がします。

明治維新の実体は、薩摩藩と長州藩が連合を組んで徳川幕府を倒したクーデターですが、薩摩藩は昔から男色が盛んな土地として知られていました。

明治に入ってから東京の学生の間で男色が流行したのは、新政府の役人として上京した薩摩の人間が男色の習慣を広めたせいだといわれています。

青少年時代に陣中と呼ばれた若衆宿で、先輩や後輩との男色関係を通じて人間形成を行なった薩摩出身の明治政府の高官にとって、男色を罪とすることにはやはり抵抗があり、フランス法では罪にならないと聞いて、そっちの方に乗り換えたのではないでしょうか。

薩摩出身者だけでなく、一般の日本人にも、同性愛が罪だという意識は薄かったでしょうし。

そんなわけで日本は、同性愛を罪とする英米法の考え方を早々と棄ててしまうのですが、イギリスは植民地にした世界の多くの国や地域にこのソドミー法を押し付けます。

その結果、現在でもまだ、アメリカをはじめとして、インドやケニア、フィジー、シンガポールなど旧イギリス植民地では、植民地時代に制定されたソドミー法が残っています。

一方、同性愛を罪とみなさないフランス法=ナポレオン法典を採用している旧フランス植民地では、ソドミー法のような同性愛を禁じる法律は存在しません。

たとえば、同じカリブ海の島国でも、イギリスの植民地だったジャマイカではいまだにソドミー法が存在し、国民のホモフォビアも強いそうですが、フランスの植民地だったハイチでは、同性愛を禁止する法律は存在せず、ホモフォビアも弱いそうです。

今年の5月、イギリスによるアメリカの植民地開始400年を記念して、イギリスのエリザベス女王がアメリカを訪問したそうですが、アメリカでは、女王の訪米に合わせて、イギリス人入植者による過去の先住民虐殺や黒人奴隷貿易をあらためて非難する動きがあったといいます。

しかし、イギリスが世界中を植民地にして、同性愛を含む土着の寛容な性文化を破壊し、ソドミー法に代表されるビクトリア朝の偏狭な性道徳を先住民に押し付け、同性愛=悪という考え方を世界に広めたことも、先住民虐殺や黒人奴隷貿易に勝るとも劣らない、イギリスが過去に犯した大きな罪ではないでしょうか?

ところが、イギリスはもとより、アメリカのゲイリブが自分たちを今なお苦しめているソドミー法の産みの親であるイギリスを非難したという話を聞いたことがありません。

イスラム国家における「同性愛者の弾圧」に対してはあれだけヒステリックにギャーギャー喚いて非難するくせに、イギリスの罪は問おうとはしないのです。

不思議です。

いずれにせよ、日本では、その長い歴史を通じて、同性愛を禁止する法律がたった7年半しか存在しなかったという事実は十分、自慢できることだと思いますね。

フランスだって、ナポレオン法典ができるまでは同性愛は罪だったのですから。


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by jack4africa | 2007-07-20 00:10
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