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by jack4africa
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夜這いの話(1)

先日、赤松啓介著「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」(ちくま学芸文庫)を読みました。

夜這いというのは結婚前の若い男が夜中にこっそり女性の家に忍んでいってセックスする古くから日本の農村に伝わる習慣です。

著者の赤松啓介は、明治42年(1909年)、播州(兵庫県西部)に生まれ、戦前、非合法化されていた共産党の活動家になり、治安維持法で検挙され、足掛け6年、正味4年間の刑務所暮らしをします。

その後、特高警察に追われて、故郷の播州に戻るのですが、戦時下の弾圧の中で活動を続けるのは不可能と悟って、生活のために化粧品や雑貨を売る行商を始め、昭和9年(1934)から14年(1939年)まで播州や淡路島、摂津や河内の農村を回ります。

そのとき、元々興味があった民俗学の研究のために農村の風俗、習慣についての聞き取り調査を行なうのですが、彼が特に熱心に調べたのは、柳田國男のような体制派の民俗学者が無視していた夜這いなどの農村の性にまつわる風俗・習慣で、

彼は夜這いの話を村人から訊くだけでなく、知り合いになった農村の若者たちに誘われて、彼らと一緒に夜這いまでするのです。

これぞ本当のフィールドワークといった感じですが、赤松氏がそこまで村の若者たちに溶け込むことができたのは、彼自身、農村の生まれで子供のときから夜這いを経験しながら育っていたからです。

赤松氏の育った播磨の農村では、男の子が13歳になるとオバかそれに近い女性からフンドシを贈られ、それを「フンドシ祝い」と呼んだそうです。

それまではパッチを履いていたのが、フンドシを締めるようになると一人前ということになり、フンドシを贈ってくれた女性を相手にその晩、性交する習慣があったといいます。



ただし、可愛い男の子は「フンドシ祝い」をする前に村の女たちに誘われて「筆下し」を済ませてしまうことも多く、赤松氏も10歳のときに近所のオバハンに誘われて初体験を済ませたそうです。

実際に射精したのは11歳になってからだといいますから、精通が始まる前に女性とセックスしていたことになります。

中には13歳になってもまだ筆下しの相手が見つからない男の子もいて、心配した母親が知り合いの女性に息子の筆下しを頼むこともあったそうです。

女の子の場合は、やはり13歳でコシマキを贈られる「コシマキ祝い」という習慣があり、コシマキを締めるようになると一人前ということになって、親が知り合いの信用できる男に頼んで、娘を「」にしてもらったそうです。

親に頼まれた男は、女の子に苦痛を与えないように、2、3日かけてゆっくりと処女を破ったといいます。

これでわかるように、戦前の農村では処女性はまったく価値がなかったそうです。

フンドシ祝いをして筆下しを済ませた男の子は15歳(数え年)で「若衆宿」に入り、先輩の指導を受けながら夜這いを始めます。

コシマキ祝いをして初体験を済ませた女の子は13歳で「娘宿」に入り、娘宿のリーダーの娘が女の子の発育状態をみて、夜這いを受け入れられるかどうか判断します。

大体、初潮があればOKということになったそうですが、村によっては陰毛が生えるまではセックスできないというところもあったそうです。

夜這いの相手ができる女性は、結婚前の娘と後家さんに限られるところや、人妻も含めて子供を除く村の女性全員が対象になるところや、村によって様々で、同じ村の若い衆には夜這いを認めても、よその村の若い衆には認めないなどの制限もあったそうです。

夜這いには通常、相手の娘の了解を事前にとってから行ったそうですが、娘の兄弟が連絡役を務めることもあったそうです。

男色もけっこう行なわれていて、男の家へ夜這いすることもあったそうです!

娘の家に忍んで行って娘とヤッたあと、ついでに隣の部屋で寝ている娘の母親とヤったりすることもあったといいます。

そういうとき、隣に寝ている亭主は気がつかないフリをしたそうです。自分も若い頃、夜這いをしているので、お互い様ということだったらしいです。

村の若者たちが集ると「お前、ゆうべ、俺の母ちゃんとヤッたやろ、味はどうやった?」とか、「うちの姉ちゃんがいっぺん来てくれいうてたで」とか大っぴらに夜這いの話をして盛り上がったそうです。

女房が夜這いに来た男の子供を身ごもることも当然、あったそうですが、亭主はそうして生まれてきた子供を黙って育てたといいます。

当時の農民には、子供は村の共有物という観念があったそうで、「この子供、俺にちっとも似てへんやろ」などと笑っていたそうです。

昭和の初めまでは農村や一般庶民の間では一夫一婦制も完全に浸透しておらず、夫婦になっても籍など入れず、別れるのも簡単で、生涯に3度も4度も結婚する女性はザラにいたそうです。

赤松氏によると、筆下しをしてくれた親戚の女性や、夜這いの相手をしてくれた村の後家さんたちは、売春婦なんかとは較べものにならないくらいに懇切丁寧に性の手ほどきをしてくれたとのことです。

赤松氏は91歳まで長生きして2000年に亡くなるのですが、彼にいわせると、神戸の酒鬼薔薇事件のようなオカシナ事件を少年が起こすのは、性教育と称して子供たちに性の知識だけを与え、実際にセックスするのを禁じるからだそうです。

男の子も女の子も11歳か12歳になったら、ちゃんとしたオトナが「本物の性教育」を行なってセックスのやり方を教え、子供たちが存分にセックスを楽しめるようにしたら、ああいう事件は起らないというのですが、これって相当、過激な意見ですよね(笑)


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by jack4africa | 2006-06-29 23:12
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