ANAおトク情報【PR】

自分の性的嗜好について日頃、考えていることや世界の同性愛文化の比較、世界の男色習俗の紹介、旅行記、大好きなアフリカ大陸や映画の話
by jack4africa
XML | ATOM

skin by excite
夜這いの話(2)

前回に続いて、民族学者の赤松啓介氏の話です。

農村の地主、豪農クラスになると、娘を知り合いの家に「行儀見習い」に出したそうですが、この「行儀見習い」は性教育を兼ねていたそうです。

つまり、行儀見習いに住み込んだ家の主人に性の手ほどきをしてもらうのだそうです。

男の子の場合は中学に行くようになると、よその家の奥さんに茶の湯、生け花、習字などを習いに行かされて、やはり奥さんから性の手ほどきを受けたといいます。

この性教育は、双方の親の了解の下に行なわれたそうで、母親同士が相談して「あんたのムスコはうちがオトコにするから、うちのムスコはあんたがオトコにしてやって」というような具合に話が決まることもあったそうです。

また女性が33歳の厄年になると神社仏閣にお参りして、参詣客相手に売春し、男から受け取った金を賽銭として納めて厄払いをするという習慣もあったそうです。

こういう女性には当然、夫も子供もいるのですが、厄払いをしないで、夫や子供が病気になったりしたら困るということでやったそうです。

もちろん、厄払いを口実に自分もちゃっかり楽しんだでしょうが。

大阪方面では摂津、丹波、播磨の三国の国境にある清水寺が厄落としのために参詣する寺として有名で、この清水寺の名月会式には、摂津、丹波、播磨の三国からの老若男女が集り、各国ごとの盆踊り大会が開かれたそうです。

盆踊りで意気投合した男女は近くの山林に入ってアオカンしたそうで、この清水寺の名月会式は、三国の盆踊りが見られて、三国の女が味わえると評判だったそうです。


この清水寺は山の上にあって、お参りするためには参道を登っていかなければならないのですが、若者たちが参道を行く娘を襲ってレイプする習慣もあって、これを「娘かつぎ」と呼んだそうです。

娘を「かつぐ」ために、若い男3人くらいでグループを組んで、やはり2、3人のグループで歩いている娘たちを見つけて近づいていって「一緒に登ろう」と誘うのだそうです。

娘たちは、「イヤッ」とかいって逃げるので、それを追いかけて行って、逃げ遅れた娘を一人、捕まえて、2人が娘の上半身を抱え、もう1人が下半身を抱えて山林の中まで運んでいってレイプしたそうですが、最初のうちは暴れていても胸や下半身を触られると大抵、おとなしくなったといいます。

娘を輪姦したあとは、先に逃げた娘たちが待っているところまで送ってやったそうですが、よくあることなので、逃げた娘たちも派手に騒ぎ立てることはなかったそうです。

このほかに若者たちが集団で少年をもてあそぶ「稚児かつぎ」というのもあったそうですが、これは大正時代までは盛んに行なわれていたものの、昭和に入ってからはほとんど見られなくなったそうです。

赤松氏自身は男色の体験はなかったそうですが、「稚児かつぎ」は3度か4度、目撃したことがあるといっています。

「娘かつぎ」の場合は、殆ど処女がいないので強姦も楽だったそうですが、「稚児かつぎ」の場合は、強姦される少年にアナル・セックスの経験がないと随分と痛い思いをして泣き叫ぶので、犯す方も大変だったそうです。

あと中年の女性たちが若い男を誘ってセックスする「若い衆かつぎ」というのもあったそうです。

なんか、相手かまわず手当たり次第、ヤリまくってるって感じですが・・・

あと戦前の農村では男の客が家に泊まると自分の女房や娘を客の夜伽に差し出す習慣があったそうです。

自分の女房を客に提供する場合は、亭主は寝室を明け渡し、納屋で寝たそうですが、山間の僻地の村なんかではどうしても近親婚が多くなるので、よその土地からきた男は歓迎されたそうです。

つまり、よその男に女房や娘に種付けしてもらい、そうして生まれた子供を自分たち夫婦の子として育てたということらしいです。


夜這いの話(3)へ

「昔の日本人」の目次に戻る
by jack4africa | 2006-07-03 23:49
<< 夜這いの話(3) 夜這いの話(1) >>