NPOキズキの代表・安田さんは、詩のような美しい筆致で印象的な文章を書かれます。最新の記事は、とても考えさせられる内容だったのでご共有したいと思います。
「彼らも僕らと同じ人間だ」
一年ぐらい前、児童養護施設で学習支援のボランティアをしている方がボソッと、「みんな、勉強したくてしょうがないのかと思っていた」と僕に話してくれたことがあった。
実際にボランティアで行ってみたものの、そもそも勉強に興味がない子たちがほとんどだったと。
学習習慣がない子が多い以上、勉強に対するモチベーションが低いのはしょうがない。
だから「モチベーションをどう高めるか」が、困難な状況にある子たちの学習支援では重要な課題となる。
でも、そこまで想像力が働かせるのはなかなか難しい。
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「ドン底の状態にある誰かを助けたい」と願う時、僕らはその対象者に一定の振る舞いを要求しがちだ。そしてその期待が裏切られた時、「怠け者」「支援なんて必要としていない」などのレッテルを貼ってしまうこともある。
そこには、「彼らも僕らと同じ人間だ」という当たり前の視線が、抜け落ちてしまっている。
ちょっと長めの引用ですが、非常に的確な指摘だと思います(ぜひ原文を)。この手の話は僕自身もしばしばやってしまいます。
「模範的な弱者」はあり得ない
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思うに、誰かへの支援というのは「変化への期待」へと紐づいているのでしょう。自分が支援することによって、その人が、良い方向へ変化することを期待しているということです。
とはいえ、安田さんの書かれる通り、「彼らも僕らと同じ人間」であり、「模範的な弱者」であることを求めるのはナンセンスです。必ずしも思うように変化していくわけではありません。もし支援対象者(受益者)が模範的に見えているのなら、それは自分が無知である証左とすらいえるかもしれません。
例えば、メンターをしている部下が模範的に見えたら、それは疑ってみる価値があります。本当に模範的であればそれでOKですが、人間は大抵「怠け」と取られかねない側面を持っているはずです(休日はゲーム・パチンコ三昧だったり。上司としては読書をしてほしい)。そうした側面までも容認できたとき、支援(メンタリング)の質は高まるはずです。
その支援方法は最適か?
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様々なNPO活動に触れていて感じるのは、「今取っている支援方法」が、必ずしも問題解決に対して効果的ではない可能性があるということです。問題に対する無知、支援者のエゴ、取り巻く市場環境、組織のリソース不足などが、その要因だと思います。
例えば僕自身も「NPOのマーケティング支援」という活動を行っています。マンツーマンの無償コンサルティングを行っており、年間で延べ100団体程度のサポートを手がけています。
さて、これは僕のエゴで、大きな変化を起こしていないのしょうか。それとも「多くのNPOがマーケティングをできていない」という問題に対する、真に効率的な解決策でしょうか。
僕はまだまだ「エゴ」の範囲を出ないと自覚しています。もっともっと効率の良い問題解決方法はあり得ます。マンツーマンのアドバイスだけでは、世界は変わりません。
いかんせんお金にならないので、本腰を入れられていませんが、メンバーも増えたので、年内にはより問題解決に繫がる支援を行っていきます。
教科書のようなことを書きますが、支援というのは、支援者のエゴではなく、問題に対する長期的、合理的、効率的な観点から行っていくものでしょう。
・その支援はエゴかもしれない
・模範的弱者はありえない
美しくないかもしれませんが、このような疑念・諦念は持ち続けていたいと僕は思います。
関連本。マイケル・サンデルの議論は繫がるものがあります(書評)。
支援とは何だろうか、という観点からも問題提起をしてくれる一冊(書評)。