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2012-06-20 21:18:19

生還

テーマ:シシャパンマ【2012春】


 無事に帰ってきて、毎日が新鮮な日々です。帰国後、都内の病院で検査と治療をしました。胸と肩の軟骨損傷、右手親指はアイスバイルが骨まで刺さり、骨折しているのが分かりました。骨に菌が入っていれば何度も手術が必要になるそうですが、今のところは抗生物質で様子を見るそうです。


 それでも日本に着いた時、今まで見ていた何気ない景色が色鮮やかに感じられ、不思議なくらい爽やかでした。「死」を感じることは同時に「生」も感じることかもしれません。生を感じ、景色が少し違うのだなと。

 今、僕は部屋で安静にしながらシシャパンマ南西壁のことを振り返っています。正直、動画を見てあの落下の瞬間を思い出すと少し恐怖も蘇ってきますが、今、自分がこのようにしていられるのは本当に奇跡的な落下だったと思います。不幸中の幸いと言うのは簡単ですが、死んでもおかしくない状況で、意識もはっきりして自ら立って下りることができたこと、そして、持っている力全てを発揮したこと、登頂というものからかなり離れてしまっていましたが、登頂よりも尊い経験をし、何か得体の知れない力を手に入れた不思議な感じがします。

 山の面白さは、自分の中で眠っている力を呼び覚ます瞬間です。「生還」はまさに「登頂」とは違う力が必要でした。不謹慎な表現かもしれませんが、それを体験でき、このくらいの怪我で済んだのは本当に幸せ者であり、山の神様からのプレゼントだと感じています。だから、落ちたことの反省はあっても後悔はないですし、再び、ヒマラヤに戻る気持ちでいっぱいです。


 6月5日夕方。6200m地点のキャンプ1。たたみ2畳しかないテラス(岩のちょっと平らな所)から、湿った空気の積乱雲が来ないかどうかテントを開けて見張っていた。もうすぐ「モンスーン」というヒマラヤ独特の悪天候シーズンが始まる。その前の最後のアタックになりそうだ。

 それまで天候は、幸い深い雪になることはなく、逆に心配になるぐらいの好天気だった。エベレスト方面ではあまりの好天気と気温の高さで落石やアイスフォールの崩壊。ダウラギリ、マナスル方面は大雪だと聞いた。南西壁も頭上にある氷河の崩壊や落石もあるが、それが直接当たるという予感はない。今いるテラスの左右に、綺麗にスノーシャワーが落ちていく。

 キャンプ1はもう少し上部で張る予定だったが、ガレ場で人生初の膝を痛め、右膝をかばうように身体全体に負担がかかり、思うように高度が稼げなかった。その分さらに軽量化して、風が吹けば飛ばされるんじゃないかと思うような小さなヒマラヤビューホテルで日が暮れるのを待っていた。

 18時30分、これから一気に6200mから8027mに向かう。気持ちは不安よりもワクワクしてたまらなかった。1年ぶりの南西壁。そして、このルートは昔ある登山隊が1日で上がったルート。途中下山でビバークとなったが、それだけの長い距離を登れるルート。技術的にはそんなに難しくはない。ただ膝を考えれば確実にこの長い距離はビバーク(テントなしの簡易的な泊まり)になる。それでも「登れる」ということが本当に幸せで登頂もしてないのに自分におめでとうと言いたくなる。ここまでの長くて大きかった壁(資金の問題や準備)を考えるとキリはないが、今、僕は山を登っている。

 予定通り18時30分。夕暮れの南西壁に再び取り付く。心臓の鼓動が聞こえてくるぐらい、集中している。この山は自分と向き合う山。だから余裕がある時だけカメラを構え撮影しようと思っていた。

 最小限の装備と行動食をバックに入れて、一発目のカリカリのルンゼ(岩溝)を登る。傾斜は90度近くもあり、前回、自分がロープを張った場所だ。昔はロープなしで行けるところだったが、今は雪がなく、青い氷となっていた。双眼鏡で見た時は小さな氷に見ていたが、近くに行くとかなり傾斜があり大きく、同じルートの下山を考えるとロープが必要と考えた。16mのロープを持って行き、ギリギリ15mちょうどだった。

 夕暮れの南西壁。太陽が沈みかけていくが南西壁を小麦色に変えていく。高度を上げていくと、ほとんど雪がないことがわかってきた。遠くから双眼鏡で見ていると真っ白だった部分が、実際には少し雪がかかっているだけでほとんどが氷になっていた。傾斜は徐々に厳しくなり、ストックからカーボン制のアイスバイルに変える。ここからいよいよ氷の世界に入っていく。

 縦にのびて行く氷の壁は約400m、そこから左の氷河地帯に入って休憩、さらに氷河を左にトラバース(横に移動)して、あとは縦にのびるクーロワール(雪のある岩溝)を登って行けば山頂近くのコルに到達。イメージはできていた。そして、イメージ通りに登っていた。21時46分氷河地帯で休養する。

 ABCのガスランタンの光が星粒のように見えていた。「ガスランタンの光が見えて安心します」初めてそこでアタック中の一回目の無線交信をした。あと2日間であの場所に戻れる。まるで遠くから暖かい村が見えているようだった。

 再び腰を上げて、クレバス沿いに移動していく。パックリ大きな口を開けた長いクレバス。渡れるところがあれば作戦通りだった。だが上から見るとクレバスの幅は広く、渡れるところが見当たらない。月の光が僕の向かう方向を上手く照らしてくれている。下からでは見えなかった氷河の全容が見えていた。今のヒマラヤは温暖化の影響で氷河後退が激しく、昔の登山隊が登った時とは別の世界だった。仕方なく来た道を戻り、右側から再びカリカリに凍ったブルーアイスを登っていくことにした。だが、難しいのは縦に登ることではない。難しいのは長い氷のトラバースだった。両手両足を横に出し、氷に刺すというは縦に比べても力が入りづらい。それでも集中力を出し、地道にトラバースを開始する。傾斜は60度ぐらい。まるで月面かのように丸くボコボコとした氷が月に反射して見えていた。100mぐらい進んでも、また100m進まないといけない。厳密には、斜め横を攻めていく感じだった。

 これほど長い氷のトラバースは初めてだった。本来、2人で登っていればお互いロープを出し合っているかもしれない。だが、僕は一人だ。自分で選んだ登山だから文句はないが、雪が降らなかった好天気が別の南西壁の表情を作っていたことを知った。天候も良く、雪も降っていない。だがこの黒く輝いている氷がどこまでも横に続いて行く中、僕は危険を感じた。

 もしここを抜けたとしても下山で同じところを戻るとしたら、登頂後の体力を考えて危険だと判断した。

 無線で状況を伝える。「出発してからずっとブルーアイスです。かなり危険と思っていて下山するべきかも。今のこの壁の状況は危険です。」

 下山に対する後悔はなかった。いくら悔しくても、ヒマラヤは昨年と同じ状況ということはない。今の南西壁と自分の答えだった。

 その後、下山をすべくトラバースしてきたルートを見返すが、もっと安全な下山ルートを探そうと思い、左上にあるピラミッド型の氷河に入れば少しは平らなところがあるかもしれない。考えてみるともう3時間、かかとが地についていなかった。

 ピラミッドの氷河に入り、かかとが着き始めた瞬間だった。突然、背中から誰かが僕の身体を一瞬で引っ張っていく。呼吸ができず、あまりのスピードに身体を動かすことはできなかった。「落ちた」と思った瞬間、僕は空に浮いていた。偶然、下が見えた。巨大な氷河が見える。まるで高層ビルから下の街を見下ろしているかのようだった。「終わった、、、」正直、そう思った。

 次の瞬間、真っ暗闇の狭い世界で目が覚めた。両肩が挟まっていて動かすことはできない。少しでも身体を動かそうとすると、全身に激痛が走る。錆びた鉄のような血の匂いがする。ここはどこなのか。それはすぐに分かった。一瞬のできごと、まさか自分がクレバスに落下しているなんて。でもここにいるのは自分。両手の肘から下が、かろうじて動いた。胸に入れていた無線に手をかけた「滑落した!」

 山での恐怖は一瞬でやってくる。自分の置かれている状況が徐々に受け入れられるようになり、さらに恐怖が増してきた。単独でクレバスに落ちればどうなるか。それは山の先輩かも聞いていたし、隠れたヒドンクレバスに何度も落ちかけたことがあるから良くわかっていた。

 今、僕は日本から遠く離れた地。誰もいないこの氷河の穴の中で動けないで生きている。

 身体が、小刻みに震え出す。「寒い、、、」今まで感じたことの無かった寒さだった。見上げると暗闇のクレバスの隙間から、月に反射して輝く氷河が見えていた。「あそこから落ちたのか。かなりの距離だな。」身体の震えが止まり始めた。ヘッドランプも帽子も装備も、落ちた衝撃で無くなっていた。暗闇に目が慣れ始めたのか、氷の中でも目が見えてきた。血の匂いは何だろう。どこが出血しているのか調べる必要があった。左手で顔を触ると、おでこや口、鼻から出血していた。でも尋常じゃない血の匂いと、右手があまりにも温かいので手袋を取ってみると何かがタラタラと沸き出していた。右手親指から出血していたのだ。

 だが、今は出血よりも身体が寒く、呼吸がまともにできない程、胸に激痛があった。

 そして、ここから自力での脱出を考えた時、「難しい」と思った。何をしても胸に激痛が走り、足には力が入らない。仮に撮影をサポートしているシェルパ4名が救助に来ても、この南西壁と彼らが持っている装備を考えると現実的に難しいというのが僕の判断だった。

 このクレバスに長くは居られない。自力で脱出できなかった場合、それは「死」終わりを意味していた。

 恐怖はもう既になくなっていた。「虚しい」という感覚に近いかもしれない。

 血の臭いはしても、痛みの感覚はなかった。そして寒さも感じなくなろうとしていた。門谷君が、「胸の骨が折れても死なないし、寝て少し休め」と僕を落ち着かせようとするが、寝たら起きられないじゃないかと思う。

 ビバーク用のシュラフインナーに手が届き、それを頭から両手まですっぽり被った。目の前が氷ではなく、まるでテントの中にいるようだった。いつもと変わらない。今、僕は寝袋の中で寝ているだけ。と思いたいが、現実はテントの中ではなくクレバスの中。心の中で自分が自分に話かけている。何を言っているのかわからないが、息が苦しくなったところで目が覚めた。シュラフのインナーが息で凍って、呼吸ができなくなっていたのだ。僕はどうやら本当に少し寝ていたようだった。

 空が少し明るくなってきたように見える。クレバスの中がどんな風になっているか、更にわかるようになってきた。ちょうど僕は落下したときに車の運転座席のように両手両足が前に出て腰から落ちたようだ。奇跡だった。鼻血は出ていても頭部を強打した感じはない。意識もハッキリしている。あれだけの高さから落ちて。「まだこれからだよ」と言われているような気がした。ABCから、撮影サポートのシェルパが向かっているそうだ。頭は問題ない。両手膝から下と、両足首はまだ動く。まだ本当に終わってないのかもしれない。

 僕は、右手のグローブとウールの手袋を外してみた。ウールの手袋は血で真っ赤に染まっていた。親指は完全に動かない。見た事がないぐらい指が腫れ、何かが刺さり、花びらの様にぱっくりと裂け、肉が少しはみ出していた。出血を止めるために、予備で持っていたホッカイロを左手でポケットから取り出し、ガーゼの変わりに押し付け、再び真っ赤にそまったウールの手袋を被せた。右肘下に血が付いたアイスバイルがある。こいつに刺さったのだ。

 何か食べたいとか飲みたいという欲求は、まだ湧いてこなかった。ただ身体が寒く、今ある身体のエネルギー全てを節電モードにして、来るべき時に全てを使おうと思っていた。

 それはこのクレバスに太陽が差し込む瞬間。このクレバスから生きて脱出することだった。今この暗い時間帯に無駄に動いたとしても、寒さで身体は思うように動かない。そして、動けば動くほど余計なエネルギーを使う事になる。僕はクレバスの中で明るくなるのを待った。どんなに寒くても手足だけを動かし続けていた。午前4時頃(おそらく)、空が徐々に青色がかって来た。「朝だ」。このクレバスから自力での脱出を試み始めた。身体を後ろや左右に動かす事はできない。空間は狭く、自由が利かない。右肘下にあるアイスバイルに手をかけてテコの原理で右腕を上げてみた。激痛が走るが、少し空間が空いた。アイスバイルを取り出し、左手で目の前にある氷を少しずつ左右に割って削っていく。胸に激痛が伴うため、何度か呼吸をしてから一つ叩く。力はほとんど入らないが、その作業を繰り返していった。幸い、中がツルツルの氷ではなく、ボコボコボしており、足がかけられそうだ。肘をかけ顔を氷にぶつけながら、ようやく身体を山側の方に向けた。肺に穴が空いてるんじゃないかと思うぐらい、胸の激痛は本物だった。更に肺水腫(高山病の一種。肺に水が溜まる。)になり、咳をし始めたら本当におしまいだ。水分補給ができていない状況を考えると、ここに留まるのはやはり危険だ。道は自力で下山するしかない。

 再び身体を氷に押し付けて芋虫のようにクレバスに張り付く。気付いたらごろんと横たわっていた。目の前には、朝の濃い空が広がっていた。立つ事は到底できなかった。寝転がって空だけを見つめていた。6時52分、「自力でクレバスから出ました」と無線で言った。自分の背丈ほどのクレバスから出るのに、3時間近くも掛かった。それからずっと、再び空を眺めていた。また身体の震えが始まり、身体が思うように動かなかった。目と口をパクパクするしかなかった。そして、身体が自分に何かを伝えようとしていた。自分でも何なのかわからない身体と、自分自身からくるメッセージを聞こうとした。寒いだけの身体の震えではなかった。恐怖からくる震えでもなかった。これほど自分と対話したのは初めての経験かもしれない。自分の中にいる別の自分の意識を確かに感じていた。

 脱出してから3時間、僕は全く動けなかった。近くに帽子が落ちているのがわかった。どんな落ち方をしたのかわからないが、激しさだけはわかった。

 胸にiPhoneがあることがわかっていた。今の状況を自分撮りすればすごい映像になるかもしれない。だが、自分の死まで共有をしようとは思わなかった。それはクレバスから脱出しても、自力でABCまで下山できなければ終わりだからだ。iPhoneで何か遺言を残すことも考えたが、映像で遺言は恥ずかしいし、最後の最後は無線で言おうと考えていた。

 一羽のカラスの声が聞こえてくる。目の前の空を飛び回っている感じがした。僕を食べようとしているのか、助けを呼んでいるのかわからなかったが、カラスが僕の存在を気にしているのは確かだった。

 空は真っ青に透き通り、昨日と変わらない静かなヒマラヤの空だった。

 13時27分。助けにきたシェルパ(4名中1名だけが氷河地帯に入る)と合流。そして、13時間かけて氷河末端まで下りていった。

 下山後、テント内では身体の力が抜けたように、着替えも一人で出来ないぐらい身体が動かなかった。下山では動いていた足も腕も腫れて、疲労と全身打撲の痛みと共にしていた。

 自分の登山を振り返っていた。きっと知らない人は「登れなかったじゃん」と言っているのかもしれないが、登頂よりも今、目の前にある何気ない景色が自分には新鮮で、達成感とは違うが何とも言えない充実感があった。

 ベースキャンプに到着後、僕は「暖かかった」と言った。今回の出来事は、客観的に見れば死んでいてもおかしくなかった。あと数mズレていれば更に下の氷河に落ちていたし、自分が落ちたクレバスも浅く、ちょっとズレていたら真っ暗な底に落ちていた。何よりも頭は強打しないで意識があり、また標高も7000m以下だったので酸素はまだ濃かった。そして、シェルパが助けに向かうことのできるギリギリの標高であり、無線で励まし続けてくれた仲間の声があった。

 20m垂直に落下し、さらにクレバスに落ちるというのはヒマラヤ登山でもなかなか経験のできることではない。その体験は、今生きている世界を鮮やかに見せ、自分の中のもう一人の大切な自分の存在に気付かせ、更にヒマラヤを受け止める身体と心が出来たようだった。

 クレバスに落ちたことのあるヒマラヤの先輩の話を聞くと「なぜこの人は楽しそうに話すのだろう」と思っていたが、それが今では理解できるようになった。「生還」とは何度も経験できるものではない。これから何度も行うヒマラヤ登山において、今回の経験が大きな糧になるのは間違いない。これはただの「下山」ではない。「生還」はもう一度命を授かり、見えない世界を見る旅だったのかもしれない。そして僕は恐れる事なく、再びここに戻ってくる。エベレストの後に。



写真1
カトマンズの病院にて。日本で治療するということで、入院は1日だけにしてもらいました。点滴何十本も打たれたのですが、血が薄くならないか心配でした。帰国後に都内の病院で治療し、通院しながら様子をみるそうです。今のところ普通の生活はできていますので大丈夫です。もう少し良くなればトレーニング再開します。



写真2
ABCから撮影した、僕が落ちたアイスフォールです。高さ約20mです。下からの撮影なのでクレバスは見えません。左下にいるのが、合流したシェルパのカミシンゲさんです。


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