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笹山登生の政策データベース
水俣病関西訴訟判決後の新聞論調関連記事一覧
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東京新聞 2001/04/27
■対応遅れで被害拡大
熊本、鹿児島両県の不知火海(八代海)沿岸から関西に移住した水俣病未認定患者三十八人と死亡した二十人の遺族が、国と熊本県、原因企業のチッソ(東京)に総額約十九億円の損害賠償を求めた「関西水俣病訴訟」の控訴審判決が二十七日、大阪高裁であった。
岡部崇明裁判長は「国・県はチッソの工場排水が汚染原因と特定できたのに、排水規制などをせず被害を拡大させた過失がある」として、チッソの責任だけを認め同社に約二億八千万円の賠償を命じた一審・大阪地裁判決を変更、チッソ、国、県に総額約三億二千万円の支払いを命じた。
一九八二年の提訴から約十九年ぶり。未認定患者への一時金支払いを柱とする村山内閣当時の「政治決着」(九五年)で同種訴訟はすべて取り下げられており、行政責任を認めた初の高裁判断。
岡部裁判長は判決理由で、五九年末当時の状況について「熊本大の研究などから水俣病の原因物質は有機水銀で、排出源はチッソ水俣工場以外にあり得ないことを国は特定、認識できた」と指摘。
その上で「前代未聞の被害の拡大防止のためには一刻の猶予も許されない状況で、国・県が水質防止法などを使って工場排水を規制していれば、被害拡大を防止できた」と述べ、「国・県の対応遅れは行政裁量の範囲を超え違法」と結論付けた。
「原告が水俣病とは断定できない。損害賠償請求権が消滅する除斥期間(二十年)が経過している」とする国・県の主張に対して、岡部裁判長は「有機水銀中毒かどうか判断するのは難しいが、複合的な感覚障害があれば、水俣病と認定できる。除斥期間の起算点は水俣地域を離れてから四年後」と判断。
原告患者の一部について、請求権の消滅などを認め、賠償対象を五十一人とした。
■極めて厳しい判決
川口順子環境相の話
詳細はまだ承知していないが、国の賠償責任を認めているなど国の主張が理解されなかったことは、極めて厳しい判決と受け止めている。今後の対応は判決内容を検討し、関係の省と相談の上決定したい。環境省としては水俣病問題政治解決の閣議了解に基づき、総合対策医療事業の継続や地域の再生などの取り組みを進める所存だ。
■主張認められず残念
潮谷義子熊本県知事の話
判決の詳細は分からないが、水俣病の発生、拡大防止などに関する国、県の行政責任について、当方の主張が認められなかったことは残念だ。今後の対応は国とも協議し判断したい。
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時事通信 2001/04/27
水俣病の未認定患者が各地で裁判という手段に訴えたのは、勝訴判決を勝ち取るしか救済の道がなかったためだ。しかし、裁判闘争は長期化、患者らの高齢化が進んだ。 このため、関西訴訟を除く各地の患者計約1万人は95年に示された政府解決策を受け入れ、裁判や認定申請の取り下げと引き換えに、原因企業から一時金(1人当たり260万円)を受け取る道を選んだ。 関西訴訟の松本健男弁護団長は「一時金を受け取ると、1審判決が認めた賠償金を返還しなければならず、これが一時金を上回る被害者もいる。救済には程遠い内容」と話す。また、政治決着では患者と認定されることもなく、割り切れなさを残した。 関西訴訟の生存原告38人の平均年齢も70歳に達している。川上敏行原告団長(76)は「国と県の責任を明確にさせるため、最後まで闘い続ける」と決意を語っていた。 |
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2001/04/28
関西水俣病/国の基本責務を果たせ
チッソ付属病院が水俣保健所に「原因不明の奇病発生」と報告したのが、水俣病の公式発見だ。
それから四十五年たつ。国の公害病認定からでも三十年以上の歳月が流れている。「公害の原点」といわれる悲惨な被害は長く放置され、拡大した。
その原因のひとつは、国、熊本県が適切な行政措置を怠ったためだとして、関西在住の未認定患者、遺族五十八人(兵庫県内の原告五人)が争ってきた関西水俣病控訴審で、大阪高裁は一審判決を変更し、国、熊本県の責任を認めた。
「国、県には水質二法、県漁業調整規則に定められた権限を行使しなかった違法がある」
判決はきわめて明快だ。水俣病訴訟は関西訴訟を含め、全国で六件提訴されたが、一審段階での行政責任の判断は真っ二つに割れていた。村山内閣での「政治決着」で関西を除く五つの訴訟は取り下げられており、控訴審判決は初めてになる。それだけに、この判決が持つ意味は大きい。
「当時は原因物質が特定できず、規制できなかった」とする行政の主張を退けた判決は、国民の生命、健康を守ることが国や県など、行政の責務だと指摘した点を、まず重く受け止めるべきだ。
繰り返し起こった薬害や道路公害などでも見られるように、原因が特定できないことを理由に、対策を遅らせてきたことが取り返しのつかない被害にむすびついた例は少なくない。あらゆる情報を把握して、被害が生じる危険があれば、機敏に対策を取る。これが行政の基本的な責務であることを、もう一度確認する必要がある。
なぜ関西訴訟だけが、裁判を継続したかを考えることも重要だ。
原告は不知火海沿岸から移住した人たちで、水俣病への差別に苦しみ、新しい土地に生活や仕事を求めた。しかし、移住先でも出身地を明かすことができずに、家族だけで苦しんできた人が多い。このため、公害病認定の申請すらできなかった人が多数いるとみられる。
この日の原告も、熊本、鹿児島、新潟県の二千九百五十五人の認定患者(三月末現在)も、被害者のうちの一部とされる。こうした点から考えても、水俣病は決して過去の出来事になっていない。
患者、被害者には高齢者も多い。国、熊本県は、これ以上争うことはやめ、埋もれた患者の掘り起こしを含め、対策に乗り出すべきだろう。前世紀の「負の遺産」を、いつまでも引きずるべきでない。
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2001年5月8日
加藤学(西部報道部)
今年2月、熊本県水俣市に住む水俣病 の女性患者が55年の人生を自ら絶った。彼女は、国と熊本県の責任を認める患者側勝訴の判決が出た関西訴訟 控訴審(大阪高裁・4月27日)をよく傍聴していた。水俣病 は、95年の政府解決策でほとんどの裁判が取り下げられ、被害を放置・拡大した国と県の責任はあいまいなまま幕引きが図られた。だが、彼女は「水俣病 は終わっていない」と、唯一残った裁判を聞くため何度も大阪へ足を運んだという。1年前に転勤で水俣を離れ、知らず知らずのうちに幕引きを受け入れていた私は、彼女の死によって、改めて水俣病 の罪深さと患者の厳しい現実を思い知らされた。 女性の死を知ったのは、4月中旬。関西訴訟 の取材で、彼女と30年来のつきあいがあった医師の原田正純さん(66)と会った時だ。4年間の水俣勤務時代、数回、彼女と会った。1次訴訟(69年提訴)を闘った患者や支援者が設けた作業所に顔を出していた。何度か言葉を交わしたが、内容は記憶にない。いつも柔和な笑顔を浮かべていたのが印象に残っている。 原田さんは苦笑しながら「まだらぼけ(時折、痴呆が現れる)というのかなあ。電話してきて、『明日、入院したい』っちゅうから、待っていると来なかったりねえ」。懐かしむように振り返る。 水俣病 が公式に確認されたのは56年5月。彼女はその11年前に不知火海沿岸の漁村で生まれた。60年代当時、「水俣病 は昭和28(1953)年から同35(60)年までの間にしか発症しない」との誤った医学認識がまかり通り、水俣病 の典型的な症状があったにもかかわらず、患者と認定されなかった。 70年に潜在患者の掘り起こしに取り組む患者運動のリーダー、故川本輝夫さんの紹介で初めて原田さんの診察を受けた。1年後に水俣病 と認定されたが、彼女は未認定患者の救済闘争に身を投じた。全身のしびれとだるさ、頭痛、失神発作など水俣病 特有の症状と闘いながら集会などに参加した。原田さんや知人に夜中、度々電話が入るようになるのは、支え合ってきた水俣病 患者の母親が亡くなり、独り暮らしを始めた8年ほど前からだ。 「心が研ぎ澄まされている人でね。それだけに苦しみは多かった」。入退院を繰り返し「死にたい」と漏らすこともあった。「結局、支えきれなかった。誤解されちゃ困るけど、頑張ったから、このへんで解放してやりたいとの思いはあった」。原田さんの言葉には優しさがにじんでいた。 彼女は補償金による蓄えもあり、十分な治療も受けることができた。それでも自ら命を絶った。原田さんは言う。「金も薬も彼女の心をいやせなかった」。そんな悲劇が今も続いていたことに衝撃を受けた。患者の深い苦悩も知らず、水俣病 を理解したつもりでいた自分が恥ずかしくなった。 水俣病 被害を山に例えれば、頂上部は劇症型で亡くなった人。症状の重さによって中腹、すそ野へ広がり患者数も増える。国は「すそ野」を把握する調査をしなかった。その結果、どんな症状があれば「メチル水銀中毒」といえるのか。不知火海沿岸でどれだけの人が「メチル水銀中毒」になったのか。そんな根本的なことさえ分かっていない。 調査をしない理由は明白だ。救済範囲を広げたくないのだ。以前、認定審査会委員だった複数の医師は患者側関係者にこう明かしたという。「救済対象者を広げたらチッソがつぶれ、既に認定された患者の補償が完遂できなくなる」 関西訴訟 控訴審の判決は「水俣病 に対する認識及び判断を誤り、対応措置が遅れたことは違法」と国、県の責任を厳しく指摘。「中枢神経の損傷」による感覚障害があれば、メチル水銀中毒であるとの新説を採用し、潜在患者救済に道を開く可能性がある画期的な判決だった。 1日で水俣病 公式確認から丸45年。1年ぶりに訪れた水俣の海は穏やかだった。だが、美しい景色の陰に水俣病 が残した傷跡は今も深く残る。亡くなった女性の友人は「彼女が関西訴訟 を応援したのは(健康や人生など)水俣病 で多くのものを奪われ、その無念さの表現だった」と振り返る。 水俣病 は、彼女の人生を狂わせ、多くの人に苦しみを与えた。悲劇を二度と繰り返さないためにも国、熊本県は高裁判決を真摯(しんし)に受け止め、上告せずに患者救済と被害実態の調査に全力を尽くすべきだと思う。 メールアドレス kishanome@mbx.mainichi.co.jp (毎日新聞2001年5月8日東京朝刊から) |
水俣病関西訴訟控訴審の大阪高裁判決は、水俣病の被害拡大を放置した国や熊本県の行政責任を厳しく断じ、患者側の逆転勝訴となった。行政責任をあいまいにしたまま決着を図った1995年の政府最終解決策がはたして妥当だったのか、疑問がわく。
水俣病関西訴訟は熊本、鹿児島県から関西に移り住んだ水俣病の未認定患者が国、県、チッソに損害賠償を求めた最初の県外訴訟で、唯一続いてきた裁判である。
大阪高裁判決は「国と熊本県には水質2法(当時の水質保全法と工場排水規制法)などに定められた権限を行使しなかった違法がある」として行政の法的賠償責任を認めた。
重要な権限を持ちながらそれを行使しなかった不作為責任を問い、役人の責務の重さを指摘した今回の判決を、広く行政全体が真剣に受け止めるべきであろう。
政府最終解決策を示した村山富市首相(当時)は「水俣病の原因の確定や企業に対する的確な対応をするまでに、結果として長期間を要したことを素直に反省しなければならない」と談話を発表したが、国の責任をあいまいにしてきた。やむなく和解に応じた患者らが、今回の高裁判決をどう受け止めるだろうか。
高裁判決は水俣病と認定する症状について、メチル水銀による大脳皮質の損傷説を採用した。熊本大学などの新たな研究成果を評価しており、末梢(まっしょう)神経が損傷するとした従来の認定基準の変更を迫る判断と言える。
熊本、鹿児島両県で今年3月までに約1万7000人が水俣病の認定申請をしたが、2265人しか認められていない。これまでの認定基準は、手足の感覚障害に加え、難聴など複数の症状が条件になっていたが、大脳皮質の損傷説をとれば、新たな患者認定につながるはずである。
水俣病が確認されて45年になるが、ここ2年間で、新たに3人の患者が認定された。依然患者が潜在し、まだ救済は終わっていないのが現状である。
水俣病はほとんど実態調査がなされなかった、という専門家の指摘もある。本人の申請を受けて審査会が判定するシステムも問題点が多い。
判決を機に、国や熊本県は認定基準を見直し、新たな患者掘り起こしに向けて、可能な限り早急に実態調査を始め、救済の道を広げるべきだろう。
水俣病関西訴訟に加わった原告のうち3分の1の人々が今回の勝訴判決を聞けずに死亡した。一連の水俣病訴訟を含め、裁判が長期化する背景には、裁判官が国の政策や方針をおもんぱかって、政治的な配慮をしすぎることがあるのではないか。
類似の水銀汚染は中国など世界各地に広がっている。日本の悲劇の教訓を生かそうと、今も水俣病は世界から注目されている。
国や熊本県は高年齢化している患者の立場を考えて、判決を重く受け止め、メンツにこだわって、長期裁判につながる道を選択すべきではない。
(毎日新聞 04-28-23:21)
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2001年04月30日
【水俣病訴訟】新内閣の姿勢を問う
公害の原点、水俣病の訴訟で画期的な司法の判断があった。
関西に移住した水俣病の未認定患者と遺族が、国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めた「関西水俣病訴訟」の控訴審判決は、国、県の行政責任を明確に認め、原告側の全面勝訴となった。
水俣病をめぐり行政、企業の責任が問われた訴訟は、大阪のほか熊本、東京など全国六地裁で起こされた。一審判決では行政責任の有無について、認定と否定が三件ずつで、判断が真っ二つに分かれた。
今回の大阪高裁の判決は、唯一の二審判決である。他の五件は、一審判決後の一九九五年、当時の村山内閣が、未認定患者への一時金支給などを決めた「政治決着」で、訴訟を取り下げている。
その政治決着は、原告側に今後、国家賠償訴訟や認定申請をしないことを求め、行政責任には言及せずじまいだった。五件は渋々取り下げに応じ、関西訴訟だけが継続した。
判決は、水俣病被害を放置、拡大させた行政の責任を明確に断じた。そうである以上、行政責任を棚上げした九五年の政治決着も、厳しく批判されたと言える。
ただ、政治決着は、厳しい認定基準の壁に泣き、訴訟も長期化するなかで、死亡、高齢化する患者たちの救済を目指したものだ。それまで国は、法律論とメンツにこだわり、裁判所の和解勧告にも、独り抵抗してきた。
そうしたかたくなな国の姿勢を、ようやく転換した政治決着の意味まで、否定されるものではないだろう。救済の道が開かれなかったら、他の五件の患者、遺族は、関西訴訟と同じように、長期裁判を闘うしかなかったと思われる。
大阪高裁判決は、認定基準についても原告側の主張を認めた。国の厳しすぎる基準も、批判されたのである。判決は、村山内閣の政治決着がやり残したことも含め、水俣病対策の基本に立ち返った見直しを迫っている。
裁判と前例にこだわる国の姿勢からは、官僚の論理が強く感じられる。患者や国民の立場から政治がそれをただし、政治主導の決着を目指すことには意義がある。
発足したばかりの小泉新内閣はどうだろう。患者、国民の立場に立つなら、国は責任を認めて上告を断念し、患者の救済に全力を尽くすべきだ。それとも、これ以上、裁判を長引かせるだけだろうか。
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熊本日日新聞2001/04/28
<社説> 水俣病判決 高裁が認めた行政の責任
二十七日に言い渡された水俣病関西訴訟の控訴審判決は、今年五月一日で公式確認から四十五年を迎える水俣病事件史の中でも、二つの点で大きな意味を持っている。
一つは、高裁としては初めて国と熊本県の国家賠償法上の責任を認めたことであり、もう一つは水俣病像に新たな判断を示したことだ。
熊本の水俣病事件での国、県の責任についてはこれまで、「責任あり」が三つ、「責任なし」が二つで、地裁レベルでの司法判断が分かれていた。
国、県の責任を判断するにあたって高裁判決が中心にすえたのは、水俣病が公式に確認されて以降の水俣の状況である。当時、水俣で何が起きていたのか。患者数で言えば、昭和三十一年末までに五十四人の患者が確認され、うち十七人が死亡していた。「被害拡大の防止には一刻の猶予も許されない、非常事態ともいうべき危機」「前代未聞の重大な公衆衛生上の被害」。判決は繰り返し、悲惨な水俣の状況を語る。
こうした状況に対して、行政は何をすべきなのか。(1)国は水質二法を発動してチッソ水俣工場の排水を規制すべきだった(2)県は漁業調整規則を適用して有害物を流さないようにすべきだった―と指摘する。いずれも国、県が怠ったものだ。
国は、当時メチル水銀の分析技術が確立されておらず、総水銀で規制すれば過剰規制になるとしていたが、判決は「国の主張はこの状況を放置することを是認せよということで採用できない」と強い調子で批判している。ここにあるのは、本来、行政は何のために、だれのためにあるか、という根源的な問い掛けである。判決のこの姿勢は率直に評価したいと思う。
もう一点は水俣病像についてである。判決は、ここでも国の主張を退け、四肢末端優位の感覚障害が末しょう神経障害ではなく、大脳皮質の損傷(中枢説)との原告主張をほぼ採用、独自に判断基準を示した。
原告主張の病像は、行政がこれまでかたくなに維持してきた水俣病の診断基準の変更を迫るものだ。実際、国の診断基準には、判決が幾つか例示して指摘したように現実の被害者の症状と矛盾する点があった。
もっとも判決は、被害者から「切り捨ての基準」と批判の強い、現行の認定基準「五十二年判断条件」について、「患者群のうち、補償金額を受領するに適する症状のボーダーラインを定めたもの」とのみ示し、当否についての言及を避けた。また賠償額は、これまでの水俣病訴訟とほぼ同じ水準で、これらには原告側に大きな不満も残ろう。政府解決策も拒否して国、県の責任を異郷の地で問い続けた原告たち。被害者が声を上げなければ、救済の手立てが講じられないという構図は今も変わらない。
国、県はその責任をどう総括して教訓化しているのか。水俣病とはどんな病気なのか。今なお、明確な答えがない。判決は、政府解決策の対象となった一万人について水俣病患者と指摘している、と読むこともできる。判決は水俣病像を考える上で、貴重な手掛かりになるものだ。
ある時、環境省の幹部が「水俣病事件を前に、これでよかったと言える者はいないだろう」と語ったことがある。今、問われているのはそれぞれの立場で、きちんと総括することだ。水俣周辺では今も、胎児性水俣病患者が認定されるということが起きている。行政は今一度、事件の原点に立ち返って自省すべきだ。それが、悲惨な「負の遺産」を今後に生かす唯一の道だと思う。
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南日本新聞2001/04/28
【水俣病】行政責任を諭した関西控訴審判決 |
国と熊本県の責任が問われた「関西水俣病訴訟」の控訴審判決が大阪高裁で言い渡された。結果は国と熊本県の完敗だった。だが、勝った原告側も複雑だ。なにしろ提訴から19年がたっている。 原告は鹿児島、熊本両県の不知火海沿岸から関西に移住した水俣病未認定患者38人と、死亡した20人の遺族。うち鹿児島県関係は未認定患者12人と死亡した7人の遺族が含まれている。 チッソの責任だけを認め、国と県の法的責任を否定した一審の大阪地裁判決を不服とし、国と熊本県、原因企業のチッソに総額約19億円の損害賠償を求めて控訴していた。 最大の争点は、国と県の法的責任だった。行政の法的責任については、この日の判決が高裁での初判断となる。しかし、判決は水俣病被害を放置、拡大させた国と県の責任をはっきり認めた。 「当時の水質保全法と工場排水規制法(水質二法)などに定められた権限を行使しなかった違法があった」と指摘し、一審判決を変更した。水俣病かどうかの判断も「複合的な感覚障害があれば、水俣病と認められる」とした。そのうえでチッソと国、県に総額約3億2000万円の支払いを命じた。 水俣病の被害状況については「死亡者を含む多数の患者が発生していて、被害拡大の防止には一刻の猶予も許されない非常事態ともいうべき危機だった」と言い切っている。 つまり、国民の生命、健康を守るという基本的で重要な責務を確実に実行することを怠った、と言っているのだ。 過度の規制措置は行政権の乱用につながりかねない。だが、ことが生命、健康といった場合は話は別だ。把握した状況に基づいた決断と対処が求められる。 責務を怠った結果、何が起こったか。水俣病しかり、輸入非加熱製剤による血友病患者のエイズウイルス(HIV)感染などの薬害またしかりだった。 それにしても、司法は行政の責任をもっと早く明らかにできなかったのか。そのために原告患者や遺族らは激しい頭痛や、いわれのない差別に苦しんだことを重く受け止めるべきである。 村山内閣の政府解決案を受けて、1996年5月までにチッソなど加害企業と和解が成立し、行政に対する訴えを取り下げた人々の思いも複雑だろう。 水俣病裁判は大阪高裁判決でひとつの区切りを迎えたといえる。この司法判断が今後、定着することを期待したい。国と熊本県は判決を厳粛に受け止め、上告すべきではない。考えるべきは患者の救済だ。埋もれた患者もいるはずだ。 |
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北海道新聞2001/04/29
水俣病関西訴訟の控訴審で、大阪高裁が一審判決を破棄し、国や熊本県の行政責任を明確に認める逆転判決をくだした。
高裁レベルで水俣病の行政責任に触れた初の判断。水俣病の苦悩の歴史からすると遅すぎた感はあるが、やっと勝ち得た画期的な内容だ。
水俣病は公害病の原点に位置する。わが国の高度経済成長が生み出した「負」の象徴である。それは、行政が「国民の生命と健康」を守るより、産業側に傾斜してきた表れといえよう。
大阪高裁の判断はごく常識的だ。行政の基本原則は国民を守ることで、そのための施策は何より優先することを行政全体に再確認するよう求めたといえる。
国や県は謙虚に受け止め、上告すべきではない。むしろ、この事態に至った過程を総括し、住民の声が反映しやすいシステムづくりに努めてほしい。
原告は熊本と鹿児島両県出身の未認定患者で、一九五〇年代から七〇年代にかけ、水銀汚染された不知火海沿岸から関西へ移り住んだ。
患者の救済策としては、一九九五年当時の村山内閣による、いわゆる「政治決着」があった。
チッソが一時金を支払う代わりに、患者は「水俣病でないこと」に同意する内容だった。約一万人が受け入れ、国家賠償請求訴訟を取り下げた。
関西訴訟はこの決着に同調せず、「責任回避を許さぬ」と国、熊本県の姿勢を厳しく追及してきた。
判決は、最大焦点の行政責任に対し、極めて明快だった。
水俣病は一九五六年に公式確認され、三年後の五九年には当時の厚生大臣が食品衛生調査会から有機水銀が原因とする答申を受けた。
その水銀はチッソ水俣工場から出る排水に含まれると疑われていたのに、行政機関は六八年まで公害と認定せず、排水は海に流され続けた。
判決はこうした経緯を踏まえ、五九年時点で行政に判断材料はあったとし、「国と県には水質安全法、工場排水規制法などに定められた権限を行使しなかった違法がある」と指摘した。
「原因が特定できなかった」と責任逃れする行政を、判決は「被害防止のためには一刻の猶予も許されない状況だった」と怠慢ぶりをも断罪した。
判決は、水俣病と認定する際の症状についても新たに踏み込んだ。
感覚障害に運動失調などの症状を組み合わせて判断するという国の主張に対し、判決は感覚障害のみでも家族内に認定患者がいれば患者に認めるとした。これで基準は緩やかになる。
行政責任、症状認定のいずれも、市民なら理解しやすい見方だ。
半世紀に及ぶ水俣病問題の根っこには、市民の常識に目をくれず、住民の声に耳をふさいだ行政がある。
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2001年4月28日(土) 社説
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