水俣病研究の第一人者で、患者の支援に尽力した元熊本学園大教授の医師、原田正純(はらだ・まさずみ)氏が11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市の自宅で死去した。77歳だった。連絡先は同大水俣学研究センター。お別れ会は14日正午から、熊本市東区月出8の1の5の玉泉院月出会館。喪主は妻、寿美子さん。
鹿児島県出身。熊本大医学部の大学院生だった1961年に水俣病の研究を始めた。「胎盤は毒物を通さない」という当時の定説を覆し、母親の胎内で有機水銀中毒になる胎児性水俣病を確認。62年の胎児性患者の水俣病認定につなげた。
患者らが起こした数多くの訴訟に原告側の証人として立つなど、支援活動にも尽力。患者の認定については複数の症状を組み合わせる国の基準を批判し、幅広く認定するよう主張した。カナダやアマゾンの水銀汚染など、世界各地の公害も精力的に調査してきた。
熊本大助教授から熊本学園大に移り、水俣病問題を医学だけでなく社会や文化の領域にまで広げて包括的に研究する「水俣学」の講座を2002年に開講。05年には同大に水俣学研究センターを設立し、センター長を務めた。
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