第二章 バアル崇拝と日本神道
まず知らなければならないのは、日本神話の神々がいったい他のどの神々と似ているのか、
と言うことである。日本神話がオセアニア神話など多様な神話の影響を受けているのは言うまでもないが、ここ
で問題となるのはアマテラス、スサノヲ、オホクニヌシなど日本神話の主題となる神話の大元である。
敗戦後、解散したスメル学会、バビロニア学会を引き継ぎ1954年皇族である三笠宮殿下は「皇室の祖先はオリエ
ントにある」と考えて、
日本オリエント学会を設立した。アッシリア学などの発展を見てさまざまな研究が発表されたが原田、三島説以上に全体を俯瞰(ふかん)しうる論文は発表されていない。
この「バアル崇拝と日本神道」においてはメソポタミヤ文明の古代宗教と日本神話の関係を探ってみよう。
1、ギリシァ神話と日本神話
比較神話学の成果
戦後、大林太良、
吉田敦彦など複数の神話学者によって「日本神話とギリシァ神話」の密
接な関係が研究されるようになった。吉田敦彦著
『神話の考古学』によると、日本神話のイザナキ、イザナミ、ア
マテラス、オホクニヌシの神話はそれぞれギリシァ神話のオルペウス、ペルセポネ、デメテル、アドニス神話によ
く似ているという。そこでここではオホクニヌシとアドニスの類似点について調べてみよう。
オホクニヌシとアドニス
オホクニヌシとアドニスはどちらも非常な美男子で、人目見た女神は恋に落ちずにはおれない。
冥府におりてはまた地上に帰り、死んではまた生き返る事を何度も繰り返すという点でも両者は明らかによく似ているのである。
@
『古事記』によればオホクニヌシは八十神によって殺されるが、その原因は八十神が稲羽(いなば)のヤガミ
ヒメに求婚した際に、ヤガミヒメがオホクニヌシを夫に選んだのである。怒った八十神はオホクニヌシを猪狩りに連れ出
し、猪とそっくりの焼け石を彼に向けて転がして、焼き殺したのである、と言う。
一方、ギリシァ神話のアドニスも狩りの最中猪によって殺されるのだが、その猪はアドニスにアフロディーテの愛人の座を奪われ
た戦いの神アレスが差し向けたものである、と言う。
* 共にしっと嫉妬に怒った男神によって猪を使って殺されるという点で瓜二つの神話である。さらに見てみよう。
A
『古事記』によれば、オホクニヌシは母親のサシクニワカヒメに生き返させてもらうが、
八十神はまたオホクニヌシを木の幹に埋めて殺す。再びサシクニワカヒメは木から取り出し生き返させるが、
今度はオホクニヌシを地下の根の国に住むスサノヲの命のところに送った。するとスサノヲの娘スセリビメが一目惚れし、
その場で夫婦の契りを結んだ。
一方アドニスも生後すぐ木の幹に埋められたがその後とりだされ、愛人であり母親でもあるアフロディーテに冥界に
送られたが、そこでアドニスを見たペルセポネは彼に一目惚れし、彼を地上に帰さなかったと言う。
* 共に美男であり、地上でも冥界でも女神達をたちまち恋に落とし、何度も死んでは生き返ると言う点と【猪】や
【木の幹】の話など細部においても共通点が見られるのである。
さらに吉田敦彦の『神話の考古学』においてはデメテル神話とアマテラス神話の驚くほどの類似をあげている。
では日本神話とギリシァ神話のこうした類似はいったい何を意味しているのか?
こうした神話の類似はすなわち日本神話とギリシァ神話が同じ源をもっていることを示しているのである。
その源とはメソポタミヤ文明の神話であり、その神話が地中海地方やギリシァまで広範囲に伝播し拡散したの
である。そして時代と場所によって少しずつ話の内容を変えながら伝わったのであろう。
メソポタミヤの神話とギリシァ神話
紀元前5000年頃メソポタミヤに文明を築いたシュメール人はたくさんの神々を崇拝していた。天の神アヌ、その妻アントム、
性愛と闘いの神イナンナ、アヌの息子エンリル、その妻ミリッタとムリルトウ、魔法の知識の主エンキ、その息子マルドウク、
月の神シン、太陽神ウトウ、牧神ドウムジ、雷神アダト,冥界の神アヌンナキなど八百万の神々がいた。これらの神々はその後、
フェニキア地方やバビロニア地方に少しずつ神話の形を変えて継承されたのであった。性愛の神イナンナはその後イシュタルとも呼ばれ、
フェニキアではアシタロテと呼ばれ、さらにギリシァ
では
アフロディテ、地中海地方ではビーナスと呼ばれた。21世紀の今日にいたって
もセックス・シンボル的女性をビーナスと呼ぶのは、そこからきている。
バアル神話の展開
どこの国の神々もそうなのだが、ある地方ではこんなストーリーでも別の地域では少し違ったり、他の神の話が吸収されていたり、
イロイロである。しかしその神の基本的な性質は変わらない。
イナンナは小悪魔的浮気者であり、それは多少神話の異なるアシタロテもアフロディーテも同じであり、小悪魔的浮気者である。
性愛の神イナンナの恋人、夫の神は120もいるが、その中でも配偶神とされたのがタンムズとドウムジであり、これらの神話が折り重なっ
て後のフェニキアのバアル神話となったのである。そしてバアルはギリシァではアドニスと呼ばれた。バアルはアシュタロテの配偶神であり、
アドニスはアフロディーテの配偶神である。
ドウムジ、タンムズ、バアル、アドニスと言う名前はそれぞれ、その地域の言葉で
「土地の主」と言う意味である。
そしてこのアドニス神話が日本のオオクニヌシの神話とよく似ており、両者が同源であると言う事は、日本のオホ
クニヌシはバアルである事を示している。
日本のオホヌニヌシの名前も又「大国主」であり、
土地の主と言う意味である。
どうやって日本に伝わったか?
吉田敦彦は「ギリシァ神話の影響は、黄金の騎馬民族として名高いスキタイ人の活動によって、遠く日本までもたらされたと思われる」
と書いている。しかしこれに根拠があるわけではなく、すでに江上波夫の
『騎馬民族征服王朝説』が発表された後なので、これに乗ったの
であろう。確かに騎馬民族の影響は朝鮮半島にも見られるが、半島には日本に今日までも残っているアマテラスやオホクニヌシなどの神話と
それにまつわる習俗の痕跡は見られないのである。(スサノヲ崇拝の痕跡は見られるが、これが近年まで続いた形跡はなく、日本民族の先祖が半
島を後にした時から衰退したものと思われる)
それよりも、ギリシァ神話に近い神話体系を持った一個の民族が、朝鮮半島を経由して日本に上陸したと考えるほうが整合性がとれている。
信仰的観点から見るならば
その民族はバアルを始めとする神々の崇拝を呪いとして縛り付けられた民族だったのである。
2、習俗から見た古代日本と古代オリエントの関係
神殿淫行(しんでんいんこう)―神々の館はまさにギルガメッシュ
古代オリエントにはたくさんの神々がいたがこれらの神々の神殿では、
神殿淫行――
神殿売春がなされていた。そのようすを
歴史学の父ヘロドトスの
『歴史』から抜粋してみよう。ヘロドトスは起源前5世紀、
オリエント各地を旅して
アッシリアの神殿売春を次のように記録している。
「・・・・この国の女は誰でも一生に一度はアプロディテの社内に座って、見知らぬ男と交わらねばならぬことになっている。
・・・・・女たちはアプロディテの神域の中に、頭のまわりにひも紐を冠のように巻いて座っている。・・・・・女たちの間を
ぬってあらゆる方向に通ずる通路が仕切ってあり、よそから来た男たちは、この通路をたどりながら女を物色するのである。
女はいったんここに座った以上は、だれか見知らぬ男が金を女の膝に投げてきて、社の外でその男と交わらぬかぎり、家に帰
らないのである。金を投げた男は「ミュリッタ様のみ名にかけて、お相手願いたい」とだけいえばよい。アッシリア人はアプロディ
テのことを
ミュリッタと呼んでいるのである。金の額はいくらでもよい。決してつき返される恐れはないからである。この金は神聖
なものになるので、突き返してはならぬ掟なのである。女は金を投げた最初の男に従い、決して拒むことはない。男と交われ
ば女は女神に対する奉仕を果たしたことになり家に帰れるが、それからはどれほど大金を積んでもその女を自由にすることはできない。
容姿に恵まれた女はすぐに帰ることができるが、器量の悪い女は長い間勤めを果たせずに待ちつづけなければならない。三年も四年
も居残る女も幾人かいるのである。
キプロスでも幾箇所かに、これと似た風習がある。」
ミュリッタ女神――『世界の名著ヘロドトス』村川堅太郎編集、注)によると「原語ではベリトでベル(バアル)の妃とされる」と書かれている。
ミュリッタは、これよりはるかに古い時代のシュメ−ル神話ではエンリルの配偶神として、ニップ−ルで祀られた。その後バアルとアシタロテの
神話に習合された。アシタロテの事を、古代シュメ−ル人はイナンナ、アッシリア人はミュリッタ、アラビア人はアリラト、ペルシァ人はアナヒタ、
ギリシア人はアプロディテ、ロ−マ人はビ−ナスと呼んだ。
キプロス――フレイザ−と婚姻儀礼学派によると「神殿淫行」の本拠地はキプロス諸島の古代都市パポスであったと言う。
ヘロドトスが世界を旅行したのは前5Cだから、北イスラエル王国の滅亡から200年くらい後の話である。このような迷信的風習がオリエントの
一民族、一国家、一文明全体に蔓延していたのが紀元前のオリエント世界であり、それゆえにイスラエルの神は
「イスラエルの女子
は一人も神殿娼婦になってはならない。男子は一人も神殿男娼になってはならない」(申命23/18)と厳しく諌められたのである。
しかし北イスラエル10部族はこの戒めを守らず、彼らの先祖であるアブラハム・イサク・ヤコブの神を捨て、バアルとアシタロテの祭壇を立てた時、
この悪習に染まり始めたのである。
それゆえにその血統下にある古代日本においても
神殿淫行、神殿売春はいたる所でなされていたのであった。

日本の神殿淫行
その様子を
民
俗学者中山太郎はその著
『愛欲3000年史』『日本巫女史』などで次のように書いている。
「・・・・徳島県那賀郡宮濱村の東尾神社の祭礼には、下の病気のある女子は、全快するまで何人の男を取ると願込めし・・・それを行う女子は、
誰でも分かるように、腰に白地の手拭を挟んで目印とする。それで腰の手拭を目当に言い寄れば、誰彼の差別なく神に誓っただけの男に許す。・・・・」
「・・・・さらに露骨なる貞操の提供は大分県臼柄町の近村に行われた8月15日の**祭である。これは祭りの夜になると、その村の全ての婦女子は、
必ず三人の男子と関係せねばならぬ義務が掟となっていた。それがために若くて美しい女は掟通りの義務を容易に果たす事ができるも、老いて醜い女は
一人の男すら得られずして、夜を明かしてしまうような悲しい喜劇が繰り返されたという事である。(郷土趣味十二)」
まるでミュリッタ神殿のようではないか?
さらに見てみよう。
「・・・・茨城県北相馬郡文間村大字立木の咬網神社の祭礼は、毎年筑波凪が肌寒く吹き始める10月の13、14日の両日に行われる。
・・・・・行事が終わるとこの祭礼の名物となっている
性の解放が公然と展開される。そしてこの事は参詣者各自の信仰から出た事なの
で、風紀の上からは苦々しい事ではあるが、警察でも厳重に取り締まることができず、現在でもさかんに行われている。
・・・・既婚の女ばかりか未婚の娘までが、良い婿が得られるという迷信から、惜し気もなくその肌を未知の男の前に投げ出すのである。
・・・・・昭和の現代にこうした行事が残っているとは、民俗の永遠性が窺われて面白い話である。由来、茨城県には筑波山のカガイと称する、
有名な
性の解放祭が存じただけに、こうした祭礼が今にのこった・・・・」
「・・・・東京に近い府中町の国魂神社で行う闇祭も、かなり
露骨な性の取引があった事・・・・京都に遠から
ぬ
宇治町の闇祭にあっては、異名を
種貰い祭と言われただけに、
極端なる
性の解放が行われたものである。・・・・」
ようするに日本中の神社で行われて来た「秋祭り」「闇祭り」は元々「性の祭り」だったの
だという事である。そして日本の神社が遊女の活躍の場であったことはよく知られている。
以上の事から日本民族が北イスラエル10部族の子孫である事は立証されたものと思う。21世紀今日、今だにバアル崇拝が残っているよう
な国が10部族の子孫で無いはずが無い。本当の意味で仏教徒にもなれず、キリスト教徒にもなれず、初詣を宗教行為だと思わないまま神々に
自己中な祈りをささげ献金する人々は、神を捨てた北イスラエル10部族の子孫にピッタリである。真の神への信仰から目をそむけバアルの祭壇
を築き、木や石を御神体とする神々に賽銭を投げる人々こそ10部族の子孫であると言える。
しかし今日においてはすでに神殿淫行・神殿売春は神社の祭礼として生き残っていない。オホクニヌシを祭る神社においても、この悪習は絶えて久しい。
すなわち日本民族にかけられた
罪の呪いは解かれる時を迎えているのである。
では次の項では聖書におけるバアル崇拝を調べてみよう。
3、聖書の中のバアル崇拝
日本民族が北イスラエル10部族の子孫である決定的な証拠は、カナンのバアル崇拝が今日の日本にも残っていると言う事実である。日本では「
大国主命」と呼ばれている神がすなわちバアルである。大国主命は全国の神社約20万社で分祀され、毎年年始には約2000万人がこれを参拝し
ている。本元のメソポタミヤでは滅んだバアル崇拝がまだわが国では生きているのである。ではそのバアルとはいったいどんな神だったのだろう
か?すこし聖書から抜粋してみよう。
1、聖書の中のバアル邪神
『旧約聖書』を読んでいると「バアル」という言葉が100箇所以上登場する。
新共同約聖書註によると
「バアル」とはアシェラやアシタロテと
並んで、古代パレスチナの住民が礼拝した神の名。本来は「主」「所有者」などの意味であったが、土地の所有者、豊作をもたらす神の固有名詞となった。
エリヤをはじめ旧約の預言者は、バアルの宗教と絶えず戦わねばならなかった。(列王上18〜19、ロマ11/4)と解説されている。
士師奮迅(ししふんじん)とはこの事
『旧約聖書』によると「モーセの十戒」の第一の戒めは「あなたには、私の他に神があってはならない」(他の神々を崇拝するなかれ)
であった。(出エジプト20/3)
わざわざこのような戒めを与えたのは当時のイスラエルの環境には他の神々がたくさんいたからである。イスラエル民族が約束の地であるカ
ナンに入った時、カナンにはすでに住民がいて、バアルを始めとする神々を崇拝していたのである。このカナン七族に影響を受けたイスラエ
ル民族はしばしば律法に背いて、バアルの象徴である子牛像を造り、祭壇を築いて神の怒りと悲しみに触れたのである。神は多くの預言者を遣わ
しバアルの祭壇を壊して民を連れ戻そうとされたのであった。
およそ紀元前1300年、最初にバアル崇拝と直接戦ったと記録されている士師はギデオンであった。(士師6/25〜32)神は若いギデオンに
「・・・バアルの祭壇を壊し、その傍らのアシュラの像を切り倒せ。・・・」と命じてこれを壊させ、後に士師としてその地を治めさせた。
しかしギデオンが死ぬとイスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫し、バアル・べリトを自分達の神とした。(士師8/33)
士師とは地方領主と預言者の権能を合わせて持った人物たちで、この時代のイスラエル民族を指導したのである。全部で15人の士師が約400年
の間に活動したが、ギデオン達がいくら奮戦してもイスラエルの人達はしばしばバアルとアシタロテ
(これは配偶神である)、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテの神々に仕えた。(士師10/6)
ではなぜイスラエルの人々は何度もイスラエルの神を捨て他の神々にうつつをぬかしたのであろうか?
律法を守るのはつらい?
それは第一にこれらの神々には守るべき戒律が無いからである。
当時イスラエル以外の人々にとって、たくさんの神々を崇拝し、あるいは近親相姦や同性愛などはあたりまえであり、隣人に力が無
ければ隣人の妻や財産を奪う事もよくある事だった。他国を蹂躙・侵略するなど当たり前であり、これを我々は地上地獄と呼ぶのである。
しかしイスラエルの神はこれを少なくとも民族内では禁止したので、それだけ自由ではなかったのである。
ところで世の中には「悪を為す自由」を求める人も今日においても多くいるのである。ましてや法律も整っていない古代においては
「悪を為す自由」を求めて、イスラエルの神を捨てようとしたイスラエルの人々も多くいたのである。
他の神々はイスラエルの神のように律法を守る事を要求しないからである。
神殿淫行はたのしい?
第二にこれらの神々の圏内では、イスラエルの神が嫌う習俗がまんえん蔓延していたのだが、それを好む者も多くいたのである。
すなわち神殿売春である。これに関してはすでに述べたので詳しくはのべないが、イスラエル民族の中にはこの風習を好み、たん
でき耽溺した者も多くいたであろう。
彼らはかかる悪徳を望んだがゆえに、[アブラハム・イサク・ヤコブの神であり、またモ−セを導いてイスラエルをカナンの地へ
と導き入れた神]を捨て、神々への崇拝に走ったのである。そしてそのつど手痛い罰を受けたのであった。
イスラエル統一王国時代のバアル崇拝
統一王国時代、サウル王、ダビデ王、ソロモン王はおおむね神々を退ける事に成功していた。しかし栄華を誇ったソロモンは
1000人の妻達に誘惑され、神々の高台を築き、シドン人の神アシタロテ、アンモン人の神ミルコムとモレク、モアブ人の神ケ
モシュに妻達が香をたき、犠牲を捧げるのを許した。これは神の前に罪となり、神は2度ソロモンの前に現れ、「他の神々に従って
はならない」と戒められたが、3度目王国の分離を告げる。「・・・・私があなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、私はあ
なたから王国を引き裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。・・・・」こうして王国は分離されたのである。(列王上11/1〜13)
南北王朝時代のバアル邪神崇拝
すでに第一章に述べたように、王国が分離されると神は北イスラエルの王ヤラベアムに「私の定めと戒めを守れ」と命じるが、ヤラベアムはこれを守らず
、むしろ金の子牛像を造り、バアルの祭壇を築いて北イスラエルの民を罪へと誘導したのである。(列王12/28〜33)
列王記と歴代誌に記録される北イスラエル王国260年の歴史の中で19人の王が立ったが、彼らの中に善良な王は一人も無く、
皆ヤラベアムの罪を踏襲してバアルを崇拝して悔い改めず、互いに殺し合ったのであった。
神はエリヤをはじめ、エリシャ、ホセア、アモスなど多くの預言者をつか遣わされて、命がけで伝道されるように摂理
されたのだが、彼らは悔い改める事がなかった。
一方で南ユダ王国もまた北イスラエル同様にバアルを始めとする神々を崇拝して神の怒りをかう事も多かったが、ダビデ王の
一統を続け、その王達の中には善良なものも多くいたのである。しかしソロモン王の跡を継いだレハブアムは善良ではなかった。「聖
なる高台を築き、
石柱、アシェラ像を立てた。その地にはしんでん
神殿男娼さえいた。・・・・」(列王上14/23)のであった。
レハブエムの跡を継いだアビヤムも同じようにしたが、その子アサは「
神殿男娼をその地から追放し、先祖達が造った偶像を全て取り除
いた。」(列王上15/24)
このようにイスラエル民族は、生ける神と周辺の神々との間を揺れ動いたのであった。
しかし北イスラエル王国は代を重ねる毎に悪くなり、絶望的なまでに神々の崇拝とその悪習を続けたので260年後
にアッシリアの侵略を受け滅ぼされたのであった。
一方では南ユダ王国もヨシヤ王以来悪王が続出し、偶像崇拝を続けたので394年後にバビロニアの侵略を受けほりょ捕虜となってしまったのである。
石柱――アシェラを象徴しており、日本語の「はしら」と言う言葉の語源である。
ではこのバアル邪神とはそもそも何者なのか?
2、バアルの正体
中学生の頃、初めて聖書を読んだ私の疑問は「なぜ、神様はこれほどバアル神を嫌われたのであろうか?」と言うものだった。
大人になった頃には、バアルが古代フェニキア地方一帯で崇拝された邪神の名前であることを知るようになった。邪神――これ
は言葉の遊びではなく、アニメの主題でもない。バアル崇拝下ではこの宇宙の主体者に反する多くの悪徳が栄え誇る。
売春、男色、殺戮・・・などである。
聖書に関する疑問は聖書の別の箇所に答えを見つける事ができる。
『旧約聖書』を読んで感じたこの疑問は『新約聖書』に答えがある。
パウロはこう述べている。
「・・・偶像礼拝を避けなさい。・・・・彼らがいけにえとしてささげるものは、神に対してではなく
悪魔に対してささげられているのだ・・・・・」(コリント10/14~23)
つまりパウロはここで
偶像崇拝の背後に[悪魔]が潜んでいる、と言っているのである。
イエスを直接に試練したと言う悪魔ベルゼブルの名前は「高い家のバアル」と言う意味である。そのバアルを始めと
する神々を祀る日本の神社は悪魔を神々として祀っているのである。
すなわち日本民族は長く
サタニズム(悪魔崇拝)を行ってきたのである。
これでは幸福になれる訳が無い。
これに対して仏教が伝来して救いの道を開き、さらにキリスト教が来臨して救いの摂理を切り開いて来たのである。その様子は次の章で詳しく述べよう。
我が国日本の霊的事情
日本では悪魔を神として祀(まつ)っている。
そのため日本民族の精神は測り知れない影響を受けているのである。
日本民族の能力は高い水準にある。
また日本民族は道徳的にも優れた側面を多く持っているのである。
しかし日本の国内には悪魔の礼拝所がたくさんあり、そこで礼拝行為をするのが先祖伝来の風習であるがゆえに、ただそれだけ
の理由で悪魔を神として礼拝している。ゆえにこの国は霊的に狂わされている。
@ 外国に行くとよく分かるが日本人は暗い。
世界には戦争をしている国や餓え死ぬ人が多くいる国もあるが、彼らよりも、戦争もなく、餓え死ぬ人も少ないのに日本人の表情の方がはるかに暗い。
すでに10年連続で年間3万人もの人が自殺している。これは民族的になされて来た悪魔崇拝の悪業の中で、出口が見えない霊的な暗がりに落ち込む
人々が多いからである。
前章で紹介した
小石 豊牧師は
『・・・世界が恐れる理由』の中でその日本人の救われがたい心を「墓場にいる日本人」と表現している。
また遠藤周作氏はその著
『沈黙』の中で日本の心を「沼地」と表現している。
A 成田に降り立つと「スピチァル・アポレーション(悪霊の圧迫感)」を感じる。
霊的に成長した人がしばらく日本を留守にして、帰って来ると強烈な「悪霊の圧迫感」を感じるのである。
B 敗戦により、新たに生まれ変わる以前の日本と敗戦後の祝福
第二次大戦前の日本は国家神道が憲法によって保障された神道国家であったと言える。ゆえに神社は盛況であり、大日
本帝国末期には国内と植民地の全ての人に神社参拝を強制し、これに従わない人達を投獄、
殺傷したのであった。そのような悪魔の所業はまさに悪魔崇拝から生まれているのである。
その大日本帝国の性質は今日の北朝鮮とよく似ていたのである。
その大日本帝国が敗戦によって崩壊し、日本国として生まれ変ったのである。
そこで日本人に祝福現象が現れてきた。これが戦後の経済復興であった。しかしいまだに神社を参拝する人も多く、ためにこの国はまだ霊的に暗いのである。
日本人に祝福現象――10部族はアブラハムによる祝福を受けていた。とりわけエフライムは豊穣の祝福を受けていたの
であった。その子孫である日本民族にそれが現れたのが大戦後の復興であった。それが第二次大戦後のイスラエル建国と同時であったことは注目に価する
C クリスチャンが全国民の1%弱しかいない。
キリスト教が霊的に受け入れられていないと言う事を意味している。キリスト教が入れないと言う事はキリスト・イエスがこの国には入れないと
言う事である。日本人の心にイエスが住まわれていない――と言う事実は悲しい。
しかし今すでに再臨の時を迎えているのである。
日本民族よ 偶像の民族よ
いつまであなたは木や石を拝むのだろうか
その木は語らず その石は答えない
いつまであなたはその暗い墓に留まるのか
帰りなさい エフライム
あなたはかつて最も愛された者ではないか
帰りなさい エフライム
あなたに用意されていた祝福に
悔い改めて
心を入れ替え
生ける神の元に帰りなさい
今しばらくの猶予がある
『聖書』を読めば分かる事だが本来エフライムは最も神に愛された一族であった。だからこそサタンはこれを付け狙い、堕落させたのであった。しかしもし信仰を保つならば
400年の後には南ユダ王国と合流し、やがてイエスを迎えるはずであった。けれども彼らは[信仰貞操]を立てる事ができず、堕落したので神に大きな悲しみ
をもたらしたのである。しかしその罪の歴史も今終わりを告げるのである。
帰りなさい エフライム あなたはかつて神の民であった。
