└千町周辺の民話
銀納事件/千町周辺の民話15
<銀納事件>
寛文4年(1664)
中奥山庄屋・工藤冶兵衛が、
血のにじむような、銀納嘆願書を携え、
西條藩役所に訴え出ました。
昔は米納であったが、中奥山は米はできません。
それで氷見まで出て、米を買い納めていたのです。
すると足元をみられ、
米の値が、どんどん値上がりするのです。
それで銀納(昔は銀が価値がありました)に
してくれと村の代表して願いでたのです。
ところが、或る朝早く、
冶兵衛の家に役人が来て、
幼い子供たちをはじめ、家族全部に
縄を打ち連れていきました。
そして、なぎの木さんで、
一人一人惨殺されたのです。
なかでも、あわれなかったのは幼子です。
役人は幼子に蜜柑を投げ与えると、
幼子は喜んで食べはじめました。
首切り役人は、
そのうしろから幼子の首をはねたのです。
すると、真赤な血潮が吹き上がり、
蜜柑の房が
血と共に飛び散ったといわれております。
藩主のこのような悪政は、
幕府の知るところとなり、領地は没収され、
身は加賀藩に預けられました。
民衆のために、
命を投げ打った義人たちに対する
追慕の心はいつまでも消えることなく、
奥山には冶兵衛一家を祀るお堂が建てられ、
毎年8月20日には極楽寺で、
義人鎮魂の盆踊りが行われております。
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