2012年06月20日

「牟佐志国」とは 今、日本の歴史を変える本を書いています。

御田八幡神社
ウィキペディアより
和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。寛弘7年(1011年)、武蔵国御田郷久保三田に遷座し、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。延喜式神名帳には「武蔵国荏原郡 稗田神社(ひえだじんじゃ)」として記載されている。ただし、「延喜式内稗田神社」は、大田区蒲田の稗田神社・東六郷の六郷神社も論社となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE

牟佐志.JPG


この写真は港区で撮影したものではありません。埼玉県の旧武蔵町内で撮影したものです。

本の題名は未定ですが、時代は鎌倉時代であり、鎌倉幕府と「牟佐志国」の関わりを明らかにしていきます。この本により、いつか必ず教科書の日本史内容が大きく変わる日がくるに違いない、筆者はそう確信しています。

書きかけの「はじめに」を記しておきます。
はじめに
スタジオジブリというより宮崎アニメの大ファンです。数多い作品の中でも映画「もののけ姫」は日本人の遺伝子が組み込まれていない人間には絶対に理解できない作品であり、日本中で行われている欧米人と学者がつくった学校教育を受けるより、この作品を鑑賞させたほうがはるかに効率的です。効率的というとすぐに西洋方式のベルトコンベアー的効率と考えてしまう人が多いのですが、その考えは間違っていることに気がつかなくてはなりません。

15世紀初頭にアメリカに自由を求めて移住した清教徒は、ピューリタンの思想を土台にすることにより、共同体建設の理念を明確にしました。その理念を現実にするために、決めごとをつくり、その決めごとを一族全員が守ることにより「効率(efficiency)」が得られるということを知っていました。
ディズニーランドの考え方も同じです。ゲストやキャストの安全を第一に考え、自分以外の者への思いやりを欠かさず、最高のおもてなし(英語でエンターテイメント)を提供する、こうすることによりゲストのリピートという最大の「効率」が得られるのです。

宮崎駿監督は映画「もののけ姫」のパンフレットのなかで以下のように語っています。
「最近の歴史学、民俗学、考古学によって一般に流布されているイメージより、この国はずっと豊かで多様な歴史を持っていたことが判っている。」
「武士と百姓の区別は定かでなく、女達も職人尽くしの絵にあるように、より大らかに自由であった。」
「タタラ者と呼ばれた製鉄集団の、技術者、労務者、鍛冶、砂鉄採り、炭焼き。馬宿あるいは牛飼いの運送人達。彼らは武装もし、工場制手工業ともいえる独自の組織をつくりあげている。」

この本を読むことにより、映画「もののけ姫」に登場するタタラ集団を率いるエボシ御前とは何者か、どうしてこのような集団ができ、日本の国づくりの歴史に加わってきたのかが手に取るように判ってきます。そして、これまで教え込まれてきた歴史と常識は、そのほとんどが時の支配者の手で書き換えられた「にせもの」であったことに容易に気がつくでしょう。

目からうろこが落ちるに違いありません。なぜならば、神話という作り話と違い確たる証拠が残っているからです。筆者が集めた情報は、今日のビジネス上の思惑だけで宣伝されている「狭山茶」の常識を一変させるに違いありません。いや、全国民のお茶に対する価値観そのものを大きく変えてしまうことになるでしょう。
夏目漱石が「西洋の猿まね」と評した和魂洋才という欧米人による日本人愚民化作戦は功を奏し、今や日本人には組み込まれていないソフトウエアを強制的に使わされているため、ほとんどの日本人は誤作動による健康被害、精神被害を受け続けています。

この本で主張したいことは一つです。「故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)」のです。新しい歴史は子どもたちだけでなく、日本人にとって大きな希望につながります。荒廃した今の社会、私たちはもう迷っている時ではありません。新しい歴史は私たち市民がつくっていくしかないのですから。



posted by M.NAKAMURA at 13:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする