2011年3月13日3時1分
ゴーという音を立てて流れ込む津波。あちこちであがる炎と爆発音。11日、大津波と火の海におそわれた宮城県気仙沼市。一夜明けた12日朝、朝日新聞仙台総局の記者が入った。町中に潮に油が混ざった悪臭が漂い、高台では少女が母親を捜して泣き叫んでいた。
この日朝、町を歩くと、ヘドロが地面に5センチほどたまっていた。道路には、魚市場から流れてきたのか、サメやマグロの巨大な切り身が落ちている。道路にたまった泥水のなかでは、生きた魚が泳いでいた。
午前9時、ガソリンスタンドに並ぶ渋滞で車はピクリとも動かない。市内で迷っていたところ、前夜9時半ごろ、一帯の様子を伝えてくれたのを最後に連絡がとれなくなっていた気仙沼支局長に遭遇した。思わず握手した。
気仙沼支局長は前夜、緊急避難した住民70人とともに、港にある海鮮市場3階の会議室で一夜を明かしていた。
頻繁に起きる余震のたびに「また来た」と震え、みんなでなんとか家族と連絡をとろうと携帯電話をにらんだという。漁協の職員らが用意してくれた毛布にくるまり、ストーブにあたって暖をとった。お年寄りが「いつも飲む薬を忘れてきた」と訴えた。
会議室の窓からは、魚市場の水揚げ岸壁を越え、市街地に流れ込む津波が見えた。当時、造船所の重油タンクが倒れて出た火が燃え移り、港一帯は火の海。午前5時ごろまで、町のあちこちで炎が上がり、「燃え移ったらどうしよう」と怖かった。だが、徐々に火勢が弱まり、午前8時ごろには水が引き始めた。道路が姿を現したため、情報を求めて市役所に向かったところだった。
一緒に、気仙沼支局の様子を見に行った。壊滅的な状態で、床から約2メートルの高さに水の跡があった。近くはまだひざ下までの水が残る。
海岸に近い被災の中心部を目指す。川には家が数軒流され、橋の上に屋根があった。橋に自衛隊が到着。住宅に閉じ込められた男性が救助されたが、左足にけがを負い、座る時に悲鳴をあげていた。
中心部に近づくにつれ、道路に家の柱や屋根、バスなどが積み重なる悲惨な状態に。屋根の高さまで廃材などが積み上がっていた。電線には車が引っ掛かっている。
町の惨状を見下ろせる高台で、「お母さんを捜して下さい」と泣き叫ぶ小学生の女の子がいた。自衛官は「落ち着いて待っていなさい」と拡声機でなだめた。自衛官は、がれきに向かって「誰かいますか」などと大きな声を出していた。(一色涼、気仙沼支局長・掛園勝二郎)