陰謀の一端を担っていると疑われた少女は、その頃バスでドイツの国境を越えようとしていた。彼女が陸路で移動していたのは、母国に空港が無いからに他ならない。軍事基地すらないため、空路という意味では非常に不便な場所となっていたのだ。だから陸路、しかも車で移動しなければならなくなっていた。そのせいもあって、相当長い距離を移動することが強いられていた。
 もっとも時間を除けば、移動自体は快適な状況に分類されただろう。何しろ長距離用の大型バスが、ただ一人を運ぶためだけに改造されていたのだ。リムジンとは比べものにならない居住空間が確保されていたのである。もちろん道路状況・運転状況にしたがって揺れるから、全てが完璧とまでは言えなかった。

 トランスポーターの主となったシャルロットは、シンジに見せるのとは全く違う、鋭い眼差しを取り巻きに向けていた。世の中の動静、特にニーヴァに関わる一切は、彼女たちの思惑通りに運んでいる。だがこれからのことに関しては、まだ不確定要素が大きすぎた。その第一は、碇シンジの身柄に関することだろう。プロジェクトから碇シンジを切り離すことには成功したが、身柄の確保には至っていないのがその証拠だった。
 シャルロットの隣には、似た年頃の女性が座っていた。ショートの栗色の髪は、尖ったあごと相まって彼女の表情を怜悧に見せていた。そして髪と同じ栗色の瞳は、感情を全く映し出していなかった。少女はただ淡々と、祖国の情況をシャルロットに伝えていた。

「ニーヴァの準備が進んでいるのは理解しました。
 ただ、パイロットの選抜が思わしくないようね?
 やはりティーゲル式を使わないことは、ハードルを高くしているのね?」
「開発部からは、そのように報告を受けています。
 代替方式の研究を進めていますが、類似の危険性が除去しきれておりません」
「分かったわ、その辺は私が戻ってから協議することにいたしましょう。
 それで碇シンジの身柄確保については、何か進展はありましたか?」
「それはこちらに……」

 そう言ってシャルロットに説明していた女性、シルビア・バスカビルは一冊のファイルを手渡した。それを見たシャルロットは、あまりの手際の悪さに小さく鼻を鳴らした。

「帆掛を通して、碇本家と連絡が取れただけ?
 これじゃあ、何も進展していないのと同じじゃないの」
「申し訳ありません、どうやら足下を見透かされてしまったようです」

 頭を下げたシルビアに、生意気なとシャルロットは碇家の対応に腹を立てた。

「高く売る先を捜している……と言うところかしら?
 今にも倒れそうな家のくせに、生意気としか言いようがないわね」
「それもありますが、彼らは家の再興を第一にしています。
 友綱への切り札として、碇シンジを考えているようです」

 言いたいことは分かるが、世界としては極めて狭いとしか言いようがない。それを鼻で笑ったシャルロットは、国王の考えを問題とした。

「表舞台に、我が国を登場させると伺っていますが……」
「それで、日本と国交を結ぼうというのね。
 私が日本に行くのは、いつ頃になる予定なのかしら?」
「早くて1ヶ月後、遅くとも2ヶ月後と言うところかと。
 シャルロット様には、友好の印として日本のハイスクールに入学して貰います。
 ただお一人でと言うわけにはまいりませんので、私もお供する形になるのですが……」

 少し口ごもったシルビアに、シャルロットは初めて表情を変えた。もっとも少し口元が歪んでいるところを見ると、格好のからかいネタだと考えたのかも知れない。

「シルビーは、私と一緒なのがいやなの?」
「け、けして、そのようなことを考えているわけではありません!!
 ただ、シャルロット様がそのような猥雑な世界に身を置かれるのはいかがなものかと……」
「シンジ以外は居ない物と思えば問題はないわ。
 にこにこと周りに合わせるのは、今までと変わっていないでしょう?」

 大したことじゃないと笑うシャルロットに、シルビアはお恐れながらと碇シンジの存在を問題とした。

「シャルロット様は、陛下に繋がる御血筋にあらせます。
 何故碇シンジのような物に拘られるのか、それが私には理解できないのです。
 アルテリーベに東洋人の血を入れるなど、本当にそんなことをして良いのかと考えてしまいます」
「だったら、シルビーが私の代わりに碇シンジとくっつく?
 国としては、誰が碇シンジの首に縄を掛けても構わないのよ。
 私じゃだめというのなら、シルビーが積極的にその役目を果たしてくれるのかしら?」

 どうといたずらな眼差しを向けられたシルビアは、それが役目ならと固い口調で返したのだった。その答えを、シャルロットは「だめだめ」と笑い飛ばした。

「女として、そんなことを私が許すと思うの?
 シルビーを受け入れるってことは、私よりシルビーの方が魅力的ってことでしょう?
 もしもそんな結果になったら、私が二人とも殺してあげるわよ!」

 口調は軽い物だが、瞳は少しも笑っていなかった。その眼差しに震えたシルビアに、役目を譲るつもりはないとシャルロットは追い打ちを掛けた。

「アルテリーベは、常に優れた血を受け入れてきたわ。
 歴史を紐解けば、ありとあらゆる血が混じり合っているのよ。
 それを今更、東洋人云々なんてばかげたことを口にしないで。
 1年間間近で評価して、碇シンジには十分な資質があるのを確認したわ。
 ニーヴァに関係なく、彼を取り込むことはアルテリーベの未来に役立つと私は思ってる。
 陛下も同じ考えだから、表舞台に出られる決断をされたのでしょう?」
「別に、碇シンジのために表舞台に出る訳では……」
「でもニーヴァの為だけなら、別にこれまで通りでも構わなかったのよ。
 人脈と資本と技術で世界の裏から影響力を持ち続ける。
 大きな変革が求められるほど、アルテリーベは問題を抱えていないわ。
 もちろん、だけってことはないと思うけど、理由の一つにはなっていると思うわよ。
 それに、そうじゃないと私がおもしろくないでしょう?」

 うっと大きくのびをしたシャルロットは、初めて年相応の可愛らしい笑みを浮かべて見せた。先ほどまでのきつい表情から比べれば、別人かと思うほどの変わりようでもあった。

「それにねシルビー、彼ってとっても凄いのよ。
 正確なところまでは分かっていなくても、私の正体にも気づいているわよ。
 ティーゲル式を使わなかったからいけないだけで、それ以外はパイロットの中でも能力は一番だもの。
 それに東洋人と思えないほど、綺麗な顔をしているんだから……」

 そう言って頬を染めたシャルロットに、「本気なのですか?」とシルビアは繰り返した。現アルテリーベ王とは従妹の関係になるこの女性は、国内では非常に高い人気を誇っていた。その分プライドは高く、選り好みも激しいと評判だったのだ。そんな女性を本気にさせたのが、一介の東洋人というのがシルビアには信じられなかった。だから「本気なのか?」と言う問いになるのだが、「大まじめ!」とシャルロットは返した。

「たぶんシルビーも彼のことを好きになると思うわよ。
 もしもそんなことになったら、すぐに私に相談するように。
 ひょっとしたら、お零れぐらいは分けてあげられるかも知れないじゃない!」
「私は……男は好きません……」

 そう言って目をそらしたシルビアを、シャルロットは逃がさなかった。細く尖ったあごを捕まえ、ぐいっと自分の方へ振り向かせた。

「写真を見て、大したことはないと思っているんでしょう?
 本人に会ってみれば、それが勘違いだってすぐに分かるから。
 見た目が良くて頭脳も優秀、それにパイロットとしてもとても優秀なのよ。
 絵に描いたような完璧な人間っていうのは、まさしく彼のことを言っているわ!」
「シャルロット様、碇シンジとはそれほどの人間なのでしょうか?
 私には、とても信じられないのですが……」
「あらシルビーは、私の評価を疑うの?」

 笑いながらも、その瞳には鋭い光が浮かんでいた。それに気づいたシルビアは、滅相もないと慌てて否定した。

「シャルロット様の言葉を疑っているのではありません。
 ただ私自身、そのような存在に想像が付かないというのが正直なところです……
 それに碇シンジの、ネルフ時代の評価報告書も目を通しています。
 その評価との違いに、ついて行けていないと言うのが正直な気持ちでしょうか」
「でも私が接していたのは、碇シンジ本人に違いないわよ。
 それは国連やプロジェクト関係者も保証してくれているわ。
 確かにシルビーの言うとおり、評価報告書との乖離が激しいのは事実よ……
 別人だと言いたくなるのも理解出来ないことではないわ。
 もしも何等かの秘密があるのなら、なおさら私達の国に連れて帰る必要があるとは思わない?」
「それは、確かに仰有るとおりなのでしょう……」

 シルビアの耳にも、祖国の科学者達の熱狂は届いている。シンジが指摘したティーゲル式搭乗の欠点、ようやくその事実にたどり着いたとき、彼らはオリジナルチルドレンが特別であるのことに気が付いたのだ。そしてシャルロットから与えられたデータを解析したとき、彼らは碇シンジをアカデミーに迎えるべきだと確信することになった。それは碇シンジの放った警告が、感性からだけではないことに気が付いたからに他ならない。

「これでシルビーも、少しはシンジの凄さが分かったんじゃないの?
 ってことでぇ、私が一日でも早く日本に行けるようあなたも努力してちょうだい!」
「はっ、その役目確かに承りました……」
「それまでは、近衛を鍛えて暇つぶしでもするわ」

 待ち遠しいと漏らすシャルロットに、神妙な顔でシルビアは頭を下げた。ただこれからが、楽観できる状況にないことを彼女も理解していた。それは碇シンジとの関係だけではなく、シャルロットを待ち受ける情勢も関係していたのである。そこにはシャルロットの父、前アルテリーベ王が犯した罪が関わっていたのである。



 アルテリーベ王国は、ドイツ西部に位置し、その大きさが日本の地方都市程度しかない小国だった。しかも山岳部に位置し、目立った鉱物資源も持っていなかった。さらに観光の面でも、特に見るべき物がないというのが正直なところだ。それだけを取り上げれば、なぜ国として存在することができるのか疑問をもたれる国家だろう。だから「忘れ去られた国家」と言うのがアルテリーベを語るのに相応しい言葉とされていた。
 そのアルテリーベを語るとき、成り立ちとは別に疑問とされるのは、なぜ歴史に登場してこないのかと言うことだった。いくら小国とは言え、オーストリアにも接するという位置条件がある。それが山岳部だとしても、一度もその存在が語られないというのは不自然なことと考えられた。そしてその不自然さこそ、アルテリーベの成り立ちでもあったのだ。

 自然の厳しい山岳部にあることから、アルテリーベの農業はほとんど発達していなかった。そして他の産業にしても、ほとんど見るべきところがないというのが実態だった。王族がいて、国民がいることから、一応国家としての体裁はなしていた。だが国土を見る限り、文明から取り残されたとしか言いようのない国家だったのだ。敢えて語る価値のない存在、表に見える部分だけで語ればそんな存在だった。

 だが世界中の国々は、特に欧米諸国は、この実態の見えない国家を常に意識していた。そしてその小国の持つ力を、常に恐れ続けていた。それは国家の面積、主要産業を考えれば不思議きわまりないことだろう。だが天然資源に恵まれないアルテリーベは、唯一“人”と言う資源を持って世界に打って出ていた。そして主要産業が“人”と言われるほど、多くの人材を輩出したのだ。
 事実アルテリーベ出身者は、主要先進国内部に食い込み、非常に重要な位置を占めていたのである。さらにそこでもたらされた富を運用することで、世界の金融市場にも大きな影響力を勝ち取っていた。人という側面で、世界の政治経済に大きな影響力を有していたのである。そしてアルテリーベ出身者の結束は、岩よりも硬いと言われていたのである。

 そのアルテリーベを治める王は、王族という意味ではとても質素な、さらには影響力という意味でも質素な生活を送っていた。王国に付きものの城も有していたが、中世以降に現れた華美な城郭などそこにはなく、初期によく見られた城砦のような姿をしていたのである。国土に目を転じてみても、近代的なビルなど一つもなく、良く言えば歴史を感じる、正直に言えば貧乏くさい建物が並んでいるだけだった。“外見”を見る限りにおいて、アルテリーベは貧乏な小国でしかなかったのである。

 その国王であるルドルフ25世は、即位して2年と言う年若い青年だった。肌の色は、少し褐色がかり、黒い髪と黒い瞳の色と合わせて欧州系には見えない顔立ちをしていた。また体つきもがっしりとして、格闘家と言っても通用する逞しさがあった。
 その国王を中心に、性別も年齢も見た目も異なる男女7人が円卓を囲んでいた。それがアルテリーベを統治する、王族9家の全てだった。出席した全員がカジュアルウエアというのは、会議の重みに比べてアンバランスだと言えただろう。そして不足している1人は、現在王国への帰途にあった。

「では、日本との国交樹立は正式に承認されたと考えていいのだな?」

 その日の会議を締めくくるように、ルドルフは決定事項を繰り返した。これまで表舞台に一度も現れなかったことは、国を守るという意味も持っていた。従って他国と正式に国交を結ぶことは、彼らにとって一大決心が必要なこととなっていた。それをただ一つの目的の為に推し進めたルドルフに対し、他の王族の反発は小さな物ではなかった。人材確保の必要性は認めるが、その方法が不確か且つ行きすぎているというのである。目的を果たすだけなら、今まで通り裏で動いても構わないと反対されたのだ。

 国王の問いかけに、全員が沈黙を持って肯定の意思を表した。その必要性は、要不要双方の立場から何度も議論が行われた。将来を見据えたとき、これをきっかけに表の世界に出るべきと言う合意が形成されたのである。ただ表の世界に出ると言っても、その正体を明かすというわけではない。小国という外見そのままの現れ方をする事に落ち着いたのだ。政治的に不安定な立場にあることを理由に、中立的な第三者が鎖国を解く仲介人となると言うのが作られたストーリーである。資源を持たない小国が、日本から援助を受けるという実態とかけ離れたストーリーも作られていた。国家として表には出るが、そこで見せるのはあくまで表の顔だけに留めると言うことである。貧乏くさい見た目は、本質を隠すのに役に立っていた。

「皆が同意してくれたことに感謝する。
 では堅苦しい円卓会議は仕舞いにして、歓談の場とすることにする」

 ルドルフの合図と同時に、記録係が広間から退出した。そして入れ替わるように、給仕の男達がワゴンを押して現れた。その中身は、鴨のソテーや根菜という、伝統に沿った物となっていた。穀物も育ちにくいと言うことで、茹でたジャガイモがパンの代わりに添えられていた。まだ昼中と言うこともあり、酒の代わりに天然水が供されていた。それが円卓の中心にどんと置かれるのである。受け取りようによっては、伝統など何もない、砕けすぎた席と言うことになる。
 最後に皿とフォークナイフが揃えられたところで、給仕は広間から出て行った。それを王族の一人が確認し、入口に重々しい錠を掛けた。これで広間の中で交わされる会話は、公式の記録に残ることはない。そして王族以外の誰一人として知ることのできない物となる。この広間を中心に、30mほどの範囲に電気製品はない。そして定期的に、盗聴盗視への対策が行われていた。歓談というくせに、正式な会議よりも会話が厳重に管理されていたのである。

「さて、新造人間研究所に行っていたシャルロットが明日にも到着することになる。
 予定通り、シンジ碇は忌々しい鎖から解き放たれることとなった。
 後はいかにして、我が国に招聘するのかと言うことが問題となる」

 大振りのジャガイモをつまんだルドルフは、それをチーズもバターも、塩さえつけずに無造作にぱくついた。その行儀の悪さを見とがめるどころか、他の王族も思い思いに食事に手をつけた。

「シャルロット姉様が、誘惑に失敗されたというのは本当ですか?」

 その中で一番年若い少女、ミナ・アルテリーベが遠いところにある皿に苦労しながら手を伸ばした。金色の髪を両側でお下げにした、少し丸顔の可愛い少女だった。10歳を超えたか超えないかぐらいの年齢に見えるが、他の大人に混じって王族会議に出席していた。
 そのミナの疑問に、少し年配の銀色の髪に赤い瞳をした男が答えを返した。

「信じがたいことだが、何の進展も無かったという報告を受けている」
「ウラジミール叔父様、いったいお姉様の何がいけなかったのでしょう?」
「さあ、東洋人の考えることは私には分からん」

 素っ気なく答えたウラジミールは、皿に盛られた鴨の一つをフォークで突き刺した。

「そうなると、日本に送り込むのはシャルロットで良かったのかな?」

 黒い髪に白い肌、緑色の瞳をしたアイザックと言う、ルドルフより少し年上の男がさらなる疑問を呈した。1年以上時間を与えたにもかかわらず、個人的な進展が無かったことを問題としたのである。身分を隠していたこともあり、むしろ人選に問題があるのではとさらなる疑問を呈した。

「そのために、シルビアを連れて行くのではないの?
 シャルロットのように媚びを売る女より、シルビアのような堅物の方がうまくいくのではなくて?」

 40がらみの女性、カテリナは嘲るように少し口元を歪めた。その言い方を聞く限り、シャルロットに対して良い感情は抱いていないようだった。

「俺は、国王陛下の温情だと思っているんだが?」

 少し揶揄するように、ルドルフと同じ年に見える男は言った。しかも国王陛下と口にしたくせに、フォークでルドルフを示すという不遜な態度をとっていた。

「リンホフ、陛下にフォークを向けるのはスマートではないわ」

 その男の態度を、年若い女性が注意した。黒髪に黒い瞳、そして白い肌をした美しい女性だった。

「なにオリビア、ルドルフは全く気にしていないよ。
 なあルドルフ、それで本当のところはどうなのだ?」
「リンホフ、ルドルフがそのように寛容な心を持っていると思っているのか?」

 すかさず口を挟んだのは、集まった中では一番の年配、ウィリアムだった。茶色の髪も、齢を経たせいか白い物が多く混じっていた。

「ウィリアム小父、それでは俺が血も涙もない男に聞こえるではありませんか」

 すかさず苦情を言ったルドルフに、そのものずばりだろうとウィリアムは言い返した。

「おまえは、シャルロットが成功するなどと少しも思っていないだろう。
 それどころか、失敗したらそれを理由に家を断絶させるつもりではないのか?
 フリードリヒのせいで、おまえは意に沿わぬ国王などになってしまったのだからな」

 ルドルフに言いながら、ウィリアムの視線は一番年若いミナに向けられていた。

「蒸し返すようで悪いが、次はミナの予定だったからな。
 王になるのは、おまえではなく、おまえの子の予定だっただろう」
「別に、そのことでシャルロットに冷たくあたるつもりはないよ。
 フリードリヒと親子であっても、シャルロットは全く別の人間だからな。
 親の罪を子にかぶせるのはかわいそうという物だ」
「ならば、なぜこのように勝算のない仕事をシャルロットに申し渡した?
 あれは汚名を雪ぐため、なりふり構わずシンジ碇と関係しようとするだろう。
 それがむしろ、勝算を低くしているのではないか
 シンジ碇は、礼を尽くして我が国に招聘すれば事が足りたはずだ」

 ジャガイモを突き刺したフォークを向けたウィリアムに、言い過ぎだとルドルフは苦笑を返した。

「俺は小父が言うほど冷血でも、リンホフが言うほど寛容ではないつもりだ。
 別に失敗したからと言って、シャルロットに責任をとらせるつもりはないさ。
 確かに小父の言うとおり、シンジ碇の血は取り込めれば好ましい程度にしか思っていない。
 そして今のままでは、シャルロットは彼の血を取り込むことはできないと思っている。
 それはカテリナ小母の言うように、シャルロットが媚びを売るからでも無いと思っている」
「だったら、何がいけないとルドルフは考えているの?」

 碇シンジに交際相手がいないのは、すでに調査で確認されている。かつてその候補がいるにはいたが、二人とも鬼籍に入ってシンジの前から姿を消していた。

「オリビア、そこに理由を求めることが間違いだとは思わないか?
 人の恋愛感情に、理屈を持ち込むこと自体意味のないことだよ」
「ええ、あなたがそんな純粋なことを言うはずがないと思っているわ。
 それに今問題にしているのは、シャルロットがシンジ碇の血を取り込めるのかと言うこと。
 別に恋愛をして結ばれることなど前提にしていないわよ」

 はっきりと言い切ったオリビアに、ルドルフはわざとらしく頷いて見せた。

「つまりは、そう言うことだよ。
 シャルロットのプライドが邪魔をしているんだ。
 ただこれは、本筋の前のお遊びにしか過ぎないと思っている」
「今更議論を蒸し返すつもりもないのだが……」

 少し口ごもったリンホフは、ルドルフの言う「本筋」へと話を向けた。

「新造人間研究所での言動を見る限り、シンジ・碇のとる行動は予見することができる。
 非公式に接触し、その意味を説明すれば我が国に招くことは難しくなかっただろう。
 ニーヴァの問題を解決しようという意志があるのなら、我が国に来る他は無いはずだ」
「目的、危機を明確にしないためと説明したと思ったのだが?」
「だがシャルロットでは彼を捕まえることはできないのだろう?
 お前も、そのことを認めたはずだ。
 そうなると、国王陛下はまだ我々に説明していない事があると言うことだ」
「でも小父様、敢えて大事にしたことで生まれてくることもあるのでは?」

 可愛く小首を傾げたミナは、そうですよねとルドルフの顔を見た。

「ミナには、分析できているというのかな?」
「ええ、陛下はとてもいたずら好きなんですね。
 でも本当によろしいのですか?」
「彼の正体を暴くのに、必要なことだと思っているよ」

 ミナと交わされた会話に、他の王族の理解は追いついていないようだった。

「悪いが、分かるように説明して貰えないか?」

 代表して口を挟んだウイリアムに、ルドルフは答える代わりに少し口元を歪めた。

「なんだ、私たちには隠しておくのか?」
「きっと陛下は、子供っぽい考えを恥ずかしがっておられるのでしょう」
「ならばミナ、お前が教えてくれるのか?」

 ウイリアムの視線を受けたミナは、どうしましょうと口元を隠した。その行為に何かひらめく物があったのか、「そう言う事ね」とオリビアは呆れて見せた。

「オリビア、お前はルドルフが何をしようとしているのか分かったのか?」
「ええ、とても子供っぽくて残酷なことだと分かりましたわ。
 陛下、この話はどこまで伝わっているのかしら?」
「どこまで伝わっているのかではなく、どこまで広めるのかだと思って欲しいのだがね」

 ルドルフの答えは、オリビアの考えが正しいことを証明していた。それで理解できたのか、なるほどとばかりにリンホフが膝を打った。

「シャルロットの手伝いというより、陛下の趣味と言った方が良いのかな?」
「ロマンティストなのか子供っぽいと言えばいいのか……微妙なところではありますね」
「だが危険ではないのかな?」

 こちらも理解できたのだろう、アイザックは別の疑問を呈した。

「それに、正体を暴くと言うが、陛下は何を疑っているのだ?」
「言ってみれば、全てと言っていいだろう。
 サードインパクトが失敗した理由、そして彼があそこまでの才能を示した理由。
 更に言えば、今見えている才能で全てなのかと言うこともある」
「まだ他にも、才能を隠していると疑っているのか……」

 そこで絶句したのは、何もアイザックだけではなかった。他の王族達も、ルドルフの言葉に息を呑んだのである。それはルドルフにそこまで言わせる、碇シンジという存在に対する驚きだった。

「今示しているのが、彼の実力の片鱗だというのか?」
「あくまで、パイロットとして求められる働き……にしては度を過ぎているとも思うがね。
 パイロットとしてニーヴァに乗り、そこから推測される問題を提起した。
 そしてアンノウンの能力に対する推測の上申……まあ前線に居るパイロットとしての勤めに違いない。
 だが彼の経歴を見る限り、今までそこまでの能力は示されていなかったはずだ。
 教育にしたところで、そこまでの高等教育を受けた記録は残っていない。
 天賦の才を認めたとしても、必要な情報の入力が行われていないのだよ」
「そこまでならば、不確かな方法は採るべきではないと思うのだが?」
「リンホフが言ったとおり、彼は我が国に来るしかないのだよ。
 そのための口実を付けやすくする……外向けの理由を作ること以外の意味はないかな」
「そうやって、シャルロットお姉様で遊ばれるのですね?」

 ちくりと嫌みを言ったミナに、少しだけルドルフは口元を歪めて見せた。それを肯定と受け取ったリンホフは、やっぱりかと頷いて見せた。

「なんだ、やっぱり意趣返しか?」
「まあ、国王にされた鬱憤晴らしだと思ってくれればいいよ。
 それに、これぐらいの楽しみは認めてくれても良いんじゃないのかな?
 ただでさえ、退屈な毎日が続いているんだからね」
「俺たちも観客にして貰えるのなら、まあ許容範囲ではあるのだがな」

 口元を歪めたリンホフに同調するよう、他の者たちも小さく頷いて見せた。その反応をみる限り、誰もシャルロットのことを心配していないのだろう。嫌みを言ったミナにしても、自分に累が及ばないよう釘を刺す以上の意味を持っていなかったのだ。

「それで、どこまでシャルロットに教えますの?」
「カテリナ、教えたら面白くないと思わないか?」
「バカ正直に教えたのならそうでしょうね」

 自分の言葉を認めたカテリナに、そこそことルドルフは手を叩いた。

「だから、危機感を煽ることぐらいは考えているよ」

 楽しそうに言うルドルフに、リンホフが追撃の言葉を発した。

「カテリナ、陛下に任せておくのが一番確かだ。
 何しろこいつは、俺たちの中で一番いい性格をしているんだからな」
「リンホフ、そうやって私のことを貶めるのをやめてくれないか?
 こう見えても、世界が平和であるよう常に心がけているんだからね」

 心外だという顔をしたルドルフに、リンホフは小さく首を振った。

「世界に対してはそうだろうが、個人に対してそうだとは限らない。
 むしろ世界に影響のない範囲では、趣味を前面に出していると思っているのだが?」
「可能性を作ってやる。
 それはそれで、個人のことを思っていることにはならないのかな?
 シャルロットも、名誉挽回の機会を願っているんだよ」
「だが、趣味を否定はしていないよな?」

 そう言って畳みかけたところを見る限り、リンホフは自説を曲げるつもりはないようだ。そして他の王族もまた、彼の意見を支持したのだった。その空気を察したルドルフは、大きく肩をすくめてその通りだと認めて見せた。

「双方の利害が一致するところで押さえておくつもりだ……
 それに一言言わせて貰えば、君たちはシャルロットほど隙を見せていない」
「まあつけいられるような隙を作る方が悪いと言えば悪いんだがな。
 ここらで許してやるが……誰が踊らされることになるのだ?
 フランスかそれともイギリスか」
「たぶん、オランダかイタリアあたりになると思っているよ。
 君たちの考えているあたりは、様子を見ることになるんだろうね」
「イタリア?」

 ルドルフの挙げた両国のうち、リンホフにはイタリアが踊らされる理由が分からなかった。感情的な問題を挙げるのなら、一番摩擦が起きにくいと想定したところがあった。そしてリンホフの疑問に、ルドルフは「微妙に違う」と両国の違いを口にした。

「オランダは嫉妬が理由だが、イタリアは別の理由がこれからできると予想しているんだ。
 もっとも国家挙げてと言うより、一部勢力の反感を買うというのが正確な表現なのだがね。
 まるで仕組まれたような偶然が、ちょっとした騒動の引き金となるんだよ」
「確か、碇シンジは南……イタリアに向かっていたんだな?
 ルドルフ、おまえ、何か仕掛けをしたのか?」

 偶然を信じろと言われても、目の前の相手がそんな物に頼っていないのは知り尽くしていた。何かが起きるというのであれば、そこに何らかの関与があってしかるべきだとリンホフは考えたのだ。
 だがルドルフは、そんなリンホフの疑問を苦笑とともに否定した。

「そっちは、俺が用意した物ではないんだよ。
 白状するなら、いくつかの仕掛けは用意していたんだ。
 だがその仕掛け以上におもしろいことが起きそうなことが分かったんだ。
 それが分かったから、仕掛けは取り下げ、タイミングだけに関与することにしたんだ」

 ルドルフの言葉を受ける形で、オリビアはイタリアに友綱マドイが訪れる予定を持ち出した。そしてウラジミールは、友綱マドイが意味を持つ「資産家」と言うキーワードを口にした。そこまで条件を持ち出せば、次に何が起きるのかは想像が付いてくる。当事者にとっては冗談ごとではないのだろうが、筋書き通りにいけば事件としては適当な物となるだろう。そしてその後に起こる問題にしても、コントロールがしやすいという利点もあった。自分で用意した仕掛けではないが、確かにおもしろいことになってくれるのだろう。
 ただシャルロットにとって問題があるとすれば、人間関係がさらに複雑になることだろう。それを計算したリンホフは、「やっぱり性格が悪い」とルドルフを糾弾した。

「ただでさえ難易度が高いのに、さらに難しい人間関係を作り上げてやるのか?
 さすがの俺も、シャルロットがかわいそうになってきたぞ」
「複雑にした方が、むしろあっけないほどスムーズにいくこともあるんだよ。
 それに、うまく巻き込まれてくれれば彼の考え方、実力を知ることができる。
 いろいろと都合がいいのは確かなんだよ。
 それに、赤い霧が目障りなのも確かだからね。
 そろそろ始末しどきかとも思っていたんだよ」
「それに碇シンジを利用するのか?」

 たった一つの手が、いくつもの結果を生み出すことになる。それをあっさりと仕掛けるのも、重要な才能な一つなのだろう。それを認めたリンホフは、彼としては最大級の賛辞をルドルフに送った。

「フリードリヒの失態は偶然だが、おまえが王位に就いたのは必然に思えてきたよ。
 何しろおまえは、一族の中で一番性格が捻くれているのだからな」
「いくら親戚でも、王に対する侮蔑は断罪されるべき物だと思うのだがね」

 すかさず異議を唱えたルドルフに、断罪ではなく賞賛されるべき発言だとウィリアムは大げさに言った。

「アルテリーベ王に求められる資質を的確に表現したのだ。
 それを一番兼ね備えていると褒めたのだから、素直に喜んでおけばいいのだ」
「ルドルフ叔父様、やはりミナには王位はふさわしくなかったようですね」
「自分たちの性格が捻くれているからと言って、俺まで同類にして欲しくはないのだがな?」

 やだやだと零したルドルフだったが、残念なことに誰も彼の愚痴に取り合ってくれなかった。分かりきったことを今更議論する必要もないし、認めさせたところで何の意味もないことが分かっていたからだ。そしてこの先の出来事を楽しむためには、国王に差配を任せておけばいいのも分かっていた。それに必要な行動は、すでに彼らの頭に入っていた。その取りかかりは、明日には帰ってくるおもちゃを持ち上げてやることだろう。しらふで行われた食事会は、正常な狂気に包まれて進んでいったのである。

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