その事件の始まりは、特に取り立てて言う迄もない、日常の小さな会話からだった。その日の碇家は、いつもの通りにユウガオの作った夕食に舌鼓を打ち、そしてナデシコの見立てたグレープフルーツのジュレがデザートとして供された。次は「シェロのクリームプリンがいい」とコハクが言ったのも、特に珍しい事のない普段の会話だった。

 「そう言えば……」と別に何かを思い出した事も、関連する話をしていたわけではない中、シンジは多層空間の事を話の種に持ち出した。

「普段から、3界って言っているけど、多層空間って言うぐらいだから、沢山の世界が見つかっているんだよね?」

 その話は、夕食の後に語られるには、適度な知的情報と好奇心をそそられる物に違いなかった。うむと肯いたコハクは、質問の意味が曖昧だと指摘してきた。

「ぬしも知っての通り、すでに我らは多層世界で区切られた幾つかの空間を利用しておる。あれですべてだと言うつもりもないし、実際数限りない多層空間が存在しているのも確認されておる。だがシンジよ、ぬしはそんな事を聞きたいのでは無かろう?」

 共通認識を持ち出し、シンジの質問に含まれる不備をコハクは指摘した。確かにそうだと認めたシンジは、茶飲み話に相応しい、“夢のある”、“壮大な”質問を口にした。

「それだけ沢山の世界があるのだったら、他にも人間の生きている世界があるんじゃないのかなって」

 調査されていないという事は、分かっていないという事と同義なのだ。シンジの持ちだした疑問に、難しい事をとコハクは口元を歪めた。

「それは、この宇宙に宇宙人が居るのか? と聞くのと同じ意味の質問なのだ。居る事を証明するには、どこかから探し出してくればいいのだが、最も近い恒星に行くのでも、光の速度で4年は掛かるのだぞ。何千万、何千億の星々から生物を探し出すのが、どれほど難しい事か、そして時間の掛かる事か分かるであろう?」
「つまり、多層空間でも同じ事だと?」

 然りと、コハクは肯いた。

「我らが調査の手を入れた空間は、すでに1千を超えておる。だが調べれば調べるほど、新たな空間が見つかってくるのだ。安全を考えれば、むやみに調査をする事も出来ぬ。従って、一つ一つの調査に嫌になるほどの時間が掛かってくるのだ。新たな文明を探し出すのは、非常に時間と労力の掛かる事なのだ」
「つまり、無いとは言えないけど、僕たちの世代で関わり合う事はないだろうと言うんだね?」
「普通に考えれば、そう言う事になるだろう」

 新しい世界との出会いがない事に、少しシンジは残念な気持ちになっていた。新しい世界の友人が増えるのは、今の3界の関係を見る限り、とても新鮮でエキサイトする出来事だったのだ。嫌になるほどの混乱を乗り越えたくせに、また厄介を背負い込みたいのかと突っ込みが入るのかも知れない。だが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言われるとおり、過去の苦労などすでに思い出の中にしまい込まれている。新しい刺激を求めるのも、仕方のない事なのかも知れなかった。

「それで、今までに見つかっている世界ってどんななの?」

 それでも自分の知らない世界があるというのは、非常に興味がそそられる事でもあった。新しい出会いがないならないで、違った空間に興味を向けても良いのだろう。

「あまり代わり映えしないと言うのが正解だな。
 文明こそ発生しておらぬが、多くの生物が生息している世界もあるのだ。
 その中で興味深い事があるとすれば、空間的に離れるほど我らの世界との類似性が薄れる事だろうか」
「類似性が薄れるって……例えば?」

 面白い方向に向かってきたと、シンジは身を乗り出して話の先を求めた。

「そうだな、例えば大気の組成とか変わってくる。
 地上に於ける陸地の面積も違えば、見えている星空も微妙に違っているのだ。
 今まで観測した中で一番違いが大きかったのは、木星の衛星の数が違っていた事だろうか?」
「へえっ、そんなことまで、違いが出てくるのね」

 二人の話が面白い方向に向かっている事もあり、アスカも二人の会話に割り込んできた。確かに多層空間で隔てられた世界の話は、非常に興味深い物に違いない。

「よく調べれば、他にも違いがあるのかも知れぬ。
 だが一つ一つを調べるのに、かなりの時間が掛かるのは確かなのだ。
 それ故、新しい世界の調査が進まない理由ともなっておる。
 そして話が厄介な事は、感覚的に“遠い”世界ほど違いが顕著に表れる事だ。
 遠い世界に調査の手を伸ばせば伸ばすほど、調査に掛かる時間も増えてしまうのだ」
「でも、それって面白そうな話ね」

 うんうんと肯いたアスカに、自分もそう思うとコハクは同意した。

「従って、新たな発見がないかと、調査を続けさせておるのだ」

 その辺りの余裕は、さすがエデンと言って良いだろう。戦争に汲々としていたパーガトリでは、異世界の調査など行う事は出来なかったのだ。そして多層空間を移動できないリリンでは、そもそも異世界を探検する事は出来ないと言う物だ。

「その辺り、リリンの学者も参加させてあげたいわね」
「多層空間の移動が絡む故、彼ら単独では許可する事は出来ぬがな。
 共同研究という形でなら、認める事は吝かではないぞ」

 コハクが良いと言えば、最高評議会は誰も反対しないだろう。つまり家族の茶飲み話が、新しい探検の機会をリリンに与える決定を下した事になる。面白い事になりそうだと口元を歪めたアスカは、新しい“餌”の使い道を考える事にした。多少の制限には関係なく、多くの国が乗ってくる事だろう。

「もしかしたら、ドラゴンとかも見つかるかな?」
「明日の映画ネタか?
 その可能性を否定するだけの物を、われは持っておらぬ。
 ただ生物として、かなり成り立ちが異なっておるからな。
 見つかったとしても、かなり“遠い”世界になるのは間違いないだろうな」
「つまり、当分は駄目って事か」

 苦笑とも言える笑みを浮かべたシンジは、傍らに立っていたヒスイへと顔を向けた。いつの間に着替えたのか、だぶっとしたTシャツから身体にぴったりのハーフパンツスタイルに変わっていた。スタイルのいいヒスイだから、とても似合っているのは確かなのだが、逆にそのスタイルを強調するだけに、目のやり場に困る格好でもあった。

「シンジ様、明日の格好をしてみたのですがいかがでしょうか?」

 反応を伺うように、上目遣いでヒスイはシンジを見た。その仕草がとても可愛らしく、そして格好が刺激的で、シンジは軽い目眩を感じていたりした。

「あ、ああ、とてもよく似合っていると思うよ……
 でも、ちょっと刺激的じゃないかな?
 あまり、他の人に見せたくないって言うか……
 その、もうちょっとゆったりとした格好の方が良いんじゃないかな?」
「似合ってないと言うわけではないのですね?」

 そんな事はないと、シンジは思いっきり首を振って答えた。

「似合いすぎているって言うか、格好良すぎるぐらいだよ。
 ただちょっとね、僕以外の人に見せるのはもったいないって言うか……」
「でしたら、この上にもう一枚羽織っていく事にします。
 そうすれば、二人きりの時にはじっくりと見ていただけますから……」

 「二人きり」とか「じっくり見る」とか、一体どう言うシチュエーションを考えているのだろう。もっとも、それを持ち出すのは野暮なことには違いない。だが敢えて空気を読まないコハクは、ヒスイの言葉尻にかじりついてきた。

「ヒスイ殿、明日は映画を見に行くだけのはずだと思ったが?」
「いえコハク様、明日はデートをするのが目的です。
 映画というのは、その中の一要素に過ぎません。
 明日は暑くなりそうですから、涼しいところに居る事になりそうですよ」

 一体どんなシチュエーション……というのは、今更考えるだけ野暮だろう。そしてコハクも、それ以上問いつめる事の無意味さを理解していた。

「ヒスイ殿、われから一つだけお願いする事がある」
「なんでしょう、コハク様?」

 にこりと笑ったヒスイに、真面目な顔をしてコハクはとんでもない事を口にした。

「明日の夜の分を残しておいてくれないか」
「シンジ様ですから、心配は不要かと思いますよ」

 しかしヒスイの答えも、どうしようもないものだった。当然隣で聞いていたシンジの顔も、盛大に引きつっていた。

「僕って何?」
「あたしの口から、それを言わせたい?」

 にやりと口元を歪めたアスカを見たシンジは、問いかける事の無意味さを悟った。このあたりの認識は、どうも自分とアスカ達では大きなずれがあるようだった。だがそれを口にすることは、余計に自分を傷つける事になるのをシンジは理解していた。だからシンジは、ごめんなさいとアスカに謝ったのだった。



 そしてその翌日、今更口にするのも嫌になる晴天の下をシンジは歩いていた。もちろん一人歩きが許されるはずもなく、隣にはパーガトリ王女であるヒスイがくっついていた。暑いから嫌だと抵抗したのだが、シンジはぴったりとしたジーンズと、黒いTシャツを着させられていた。スタイルだけは誇れるシンジだから、まあ遠く目にはとても格好良く見えただろう。ちなみにヒスイは、暑いからと言って長い髪はうなじが出るように結い上げられていた。

「居ないということは分かっているのですが……」

 そう前置きをしたヒスイは、映画に出てきたドラゴンのことを持ち出した。ずんぐりとした胴体に、申し訳程度の翼が背中に付いていた。そしておきまりとでも言うのか、それなりに長い首と、生物的にどうかと思える口から炎を吐くという特技を持っていた。

「確かに、ああいう生物は夢があって良いですね。
 とても人から遠い存在のくせに、人と同じように知性を持っています。
 シンジ様が、昨夜コハク様に尋ねられたのも分かる気がします」
「いたら面白いなとは思うけどね……
 ただ、あれは本当に人の創作だから。
 さすがにあんな翼で空を飛ぶことはできないし、英語を話すのはどうかと思うよ。
 それでも、物語としては面白かったかな?」

 ちなみに二人の見た映画は、年老いたドラゴンスレイヤーが、一匹のドラゴンを追い続けるという話である。長い時間追い掛け合っている間に、老人とドラゴンの間に奇妙な友情が芽生えるという定番とも言える話だった。

「ですが、やはりこれだけ種族が違うと共存出来ないものなのでしょうか?」
「できないかと言われたら、難しいというのが本当だろうね。
 ただ共存できない相手との間に友情を芽生えさせることで、
 物語の悲劇性を高める演出というのもあるんだけどね」

 共存できない存在同志の友情…… そのときシンジが思い出したのは、赤い目をした大好きな人のことだった。その人を殺さなければ、人類はサードインパクトに襲われるという話だった。いずれにしても死ぬしかない運命だから、シンジの心に残る形での死を迎えたいと彼は望んだのだった。

(確かに、君のことは絶対に忘れられないよ……)

 自分の手のひらを見たシンジに、どうかしたのかとヒスイは聞いてきた。映画の話をしていたはずなのに、なぜかシンジが悲しい顔をしているように見えたのだ。

「なにか、私が言いましたでしょうか?」

 とたんに萎れるヒスイに、何でもないとシンジは肩を抱き寄せた。冗談抜きで暑いのだが、大切なヒスイを落ち込ませるわけにはいかない。それも夫の務めと、汗ばんだ手のひらに力を込めた。

「シンジ様、暑いのに申し訳ありません……」
「いやっ、僕が余計なことを考えていたのが悪いんだ。
 だからヒスイは、何も悪くない……んだけど」

 はいっと首を傾げたヒスイに、シンジは「やっぱり暑い」と本音を吐いた。ヒスイが大切なことは本当だし、抱き寄せたヒスイが可愛いのも本当のことだった。だがどう頑張っても、自然現象に勝てるはずがない。あっさりと太陽に降参したシンジは、涼しいところに行かないかと提案した。

「でしたら、町外れのお城というのはどうでしょう?」

 もうヒスイも、誰かの居城などと勘違いはしていない。どういうところか、しっかりと理解した上の提案である。と言うか、すでに何回か利用していたりしたりする。

「……あそこ……ねぇ」

 しっかりと顔を覚えられているのが気に掛かる……と考えたシンジだったが、すでにシンジは世界的有名人なのだ。どこに行こうと面が割れるのは同じことだった。だったら、気安いところの方が良いかと、ヒスイお気に入りの“お城”に行くことにした。

「どうやって、お城まで行く?」
「このままシンジ様と一緒に歩くのも悪くはありませんが、
 やはり暑いですし、時間も惜しいとは思いませんか?
 ですから、空間移動を使うのが宜しいかと思います。
 シンジ様には、是非私の姿をゆっくりと見て欲しいと思っていますから」

 暑さにのぼせ、ヒスイにのぼせたシンジは一も二もなくヒスイの提案に乗っていた。じゃあ早速と空間に意識を集中したシンジは、目の前に開けたお城に向かって一歩を踏み出した。これで、時間と距離を大幅に稼げるはずなのだ。そしてシンジに続いて、ヒスイも新しい空間へと踏み出した。二人とも自分で移動できるため、手はつないでいなかった。
 だがヒスイがお城の前に現れたとき、近くにシンジの姿は見えなかった。いつものお城なのだから、どちらかが行き先を間違えることなどあり得ない。シンジがヒスイをすっぽかすことは、行き先を間違えること以上にあり得ないことだった。

 誰かが干渉したのかと、すぐにヒスイは護衛に声をかけた。どこか別の場所に、シンジが現れていないかと。だが少し時間が経って帰ってきたのは、半径100km以内にシンジの反応を見つけられないという答えだった。

「兄上の仕業ではないのですね?」
「そんな恐ろしい真似ができるとは思いません」

 すかさず返ってきた答えに、それもそうかとヒスイは頷いた。その手の邪魔をしたとき、ヒスイ以上にシンジが怖い人に変身するのだ。その恐怖を叩き込まれた者ならば、絶対に邪魔をしようなどと考えないだろう。

「では、対象は限られますね」
「……確認はとれていませんが」

 構わない。そう答えたヒスイを見て、護衛は相手の不幸を思わずにいられなかった。パーガトリの宝石とたたえられるほどの美貌を誇るヒスイなのだが、今のヒスイは羅刹その者だったのだ。腕に自信のある護衛でも、今のヒスイに逆らおうなどと誰も考えないだろう。

「ならば、問いただせば済むことです」
「くれぐれも、失礼の無いようにお願いいたします……」

 下手をしたら全面戦争になる。何でこんなことになったのかと、ヒスイの相手をした護衛は世界の不条理を呪ったのだった。

 そして護衛達が世界の不条理を呪ってから10分後、ヒスイは碇家に戻っていた。コハクがどこに行っているのかは分からないが、まず探すのは自宅からだと思っていた。それに自宅ならば、本宅に繋がる通路が開けているはずなのだ。それに通路が塞がれていたのなら、コハクがクロだという証拠になる。

「んっ、何か忘れ物でも……」

 ヒスイの姿を認めたコハクは、おかしなことをと首を捻った。ヒスイが戻っているのなら、もれなくシンジもそばにいなければならないはずだ。だが肝心のシンジは、家に帰ってきた様子がない。従って忘れ物でもしたのかと、ヒスイに聞いてみようと思ったのだが……だがコハクの目の前にいたのは、初めて見る羅刹となったヒスイだった。剛胆を絵に描いたコハクだったが、さすがにこれだけは恐ろしかった。振り返ったヒスイの視線に、ヒッと言う短い悲鳴を上げてコハクは壁に張り付いた。

「コハク様、なぜ逃げられるのですか?」

 ゆらりと近寄ってくるヒスイに怯え、コハクは必死に逃げようとした。だがいくら頑張っても、足が言うことを聞いてくれない。ずるずると壁をこすりながら逃げたコハクは、あっという間にヒスイに追い詰められていた。その間コハクは、自分が何かしたのか、何もしていないはずだと朝からの行動を思い返していた。

「まままままつのだ、わ、わ、われは何もしておらぬぞ!!
 たたたたたたのむ、後生だ、何故ヒスイ殿がそのように怒られているのか教えてくれないか。
 だだだから、われの命を奪うのはその後にしてくれないか」

 なんとか命乞いにまで持って行ったコハクに、地の底から響くような声で「本当ですね」とヒスイは尋ねた。かくかくと何とか頷いたコハクは、とにかく話してからだと涙と鼻水を垂らしながら嘆願した。殺戮の美姫などと冗談交じりに話をしたことはあったが、目の前にいるのはそんな生やさしい存在ではなかったのである。

「本当に、心当たりはないんですね」
「ちちちちちち誓うぞ、なななんにでもわれは誓えるぞ。
 ほほほほ本当だ、約束を違えたら、1ヶ月間われはシンジの見えないところに謹慎する」
「そこまで仰有るのなら……」

 ゆらりと陽炎のように立ち上っていた恐怖は、たちまち霧散してくれた。それでもヒスイの顔に、いつもの魅力的な笑みは戻っていない。コハクが生きた心地がしないのは、何も変わっていなかった。
 ちなみにヒスイと同様に、コハクの周りにも護衛が付いていた。本来ならコハクの危機には、体を張って守るのが彼らの役目のはずだった。だが肝心の護衛は、このときだけは役には立たなかった。別にパーガトリの護衛が、忠義を果たして彼らを止めたわけではない。ヒスイの恐怖に足がすくみ、一歩も動けなかったというのが事実だったのだ。

「私の目の前で、シンジ様が攫われました。
 空間移動中に干渉できるのは、エデンでも限られたお方だけです」
「な、ななな、ならばサードニクス様を疑うのが筋ではないのかっ。
 なななな、何故、お、同じ妻であるわれなのだっ!」

 ちなみにこの騒ぎ、当然アスカ達の耳にも届いていた。だが誰一人として、コハクを救出に向かおうとはしなかった。身近にいて護衛の役目を担っているはずのユウガオですら、ドアノブに手をかけることができなかったのだ。
 疑うのならサードニクスだと主張したコハクに、すでに締め上げているとヒスイは口元を歪めた。そのたびに恐怖に気が遠くなりかけるのだが、気絶したら終わりとコハクは気を引き締めた。

「泣いて鼻水を垂らして、自分ではないと繰り返されました。
 自白用の針も使って確認しましたが、サードニクス様の仕業ではないようです」
「だだだ、だだからと言って、われが何かしたと考えるのは早計ではないのか!」
「ですから、まず確認に参ったのです。
 同じ妻のよしみとして、拷問するのは控えました。
 本当に、コハク様は何もしていないのですね」

 かくかくと何度も頷いたコハクは、2ヶ月賭けても良いと繰り返した。

「いな、一生分賭けてもいい。
 お願いだヒスイ殿、副議長であるわれを信じてはくれないか!!」
「コハク様で無いとしたら……他に、シンジ様の移動に干渉できる者がおりますでしょうか?」
「な、ならば、シンジの航跡を調べてみればよい。
 すぐさま本宅に戻り、調査班を編成することにしよう」
「大がかりな仕掛け……と言うことは、ありませんよね」
「……そんな恐ろしい真似ができるはずが無かろう」

 とにかく信用して欲しい。顔をぐしゃぐしゃにしたコハクに、ようやくヒスイは追及の矛先を収めた。ここまで脅して、白を切り通せるとは思えない。もしも演技だとしても、漏らすのはさすがにないだろうとヒスイは考えた。

(コハク様が白ならば……)

 もしかして、自分はとんでもないことをしたのではないか。コハクの足下に溜まった液体を見たヒスイは、気の遠くなるのを感じていた。議長に副議長、3界で最高の地位にある二人を、徹底的に脅してしまったのだ。この二人の逆鱗に触れようものなら、祖国など簡単に吹き飛んでしまう。

「こ、コハク様、私の勘違いだったようです。
 どのような責めも負います故、兄たちには責めのない様お願いいたします」

 いつもの姿にヒスイは戻ったのだが、コハクの体に染みついた恐怖は抜けてくれなかった。よくショックで死ななかったものだと、自分を褒めてやりたい気持ちにコハクはなっていた。

「あ、ああ、われは気にしてはおらぬぞ。
 だ、誰にでも、間違いはあるものだからな。
 そ、そ、それより、シンジの行方を捜す方が先決であろう」
「仰有るとおりです。
 では、すぐに本宅に戻って調査隊を編成いたしましょう……
 コハク様、急がないと手遅れになってしまいますよ?」

 善は急げと行動に移そうとしたヒスイだったが、肝心要のコハクが一歩も動かないのだ。これでは調査隊の編成もままならない。

「コハク様……?」
「す、すまぬヒスイ殿、われを背負ってはくれまいか?
 こここ、腰が抜けて、一歩も動けないのだ」

 そう言ってコハクは、その場にへたり込みそうになった。だが間一髪のところで、ヒスイがコハクを支えた。何しろコハクの下には、小さくない水たまりができていたのだ。いくら暑いとはいえ、水遊びをしている気持ちにはなれないだろう。

「では、早速飛びましょうか?」

 コハクを抱きかかえたヒスイは、すぐに本宅の位置を座標としてとらえた。左手が湿っぽいが、とりあえず今は先を急ぐときだ。

「ま、待つのだ、われに着替えとシャワーの時間を与えてくれ!」
「今は急ぎますので、少し我慢してください」

 勘弁して欲しい。コハクの瞳からは、大粒の涙がこぼれようとしていた。



***



 「使い魔を持たれてはどうでしょう」

 それは、国王である自分のことを心配しての言葉に違いない、違いないはずなのだ。それを疑うことは、大切なお友達や家臣を傷つけることになる。だから疑ってはいけないのだと、アンリエッタは何度も自分に言い聞かせた。だがどうしても、被害妄想とか僻みとか言うハエに似たものが、頭の中をぶんぶんと飛び回って仕方がないのだ。そのハエ達は、アンリエッタの頭の中で、

「ばかにしてんのよ、ばかにしてんのよ」

と、とっても煩わしく飛び回ってくれる。

 ちっちゃなときからの親友で、可愛らしいルイズは、本当に自分のことを心配してくれていると思う。色々と迷惑をかけたし、彼女に叩かれたこともあった。確かにちっちゃなルイズの使い魔のことでは、恋心を抱く親友にいっぱい迷惑をかけたのは間違いない。それでもちっちゃなルイズは、自分の事を大切に思ってくれる。それは、きっと疑ってはいけない事に違いない。だけどルイズの可愛らしい唇から、

「姫様も、使い魔を持たれればいいのです」

と言われると、どうしても

「そうすれば、私のサイトにちょっかいをかけなくなるわね」

と言われている気がしてならないのだ。その囁きに、なんと罪深い事かとアンリエッタは神様に許しを何度も請うたのだった。でも頭の中のハエ達は、「ばかにしてんのよ」と繰り返し騒いでくれる。同じく忠義に厚いアニエスの言葉にしても、

「欲求不満ならば、使い魔で解消されるのが良いでしょう」

と言われている気がしてならない。それが自分の考えすぎであることは、今更考えなくても分かっていることなのだ。だけど、そんなことを考えては駄目と、いくら頭の中で飛び回っているハエを追い払っても、「ばかにしてんのよ」という羽音を立てるハエはいなくなってくれない。

「そりゃあ、私は寂しくないとは言いませんけど……」

 頭の中を飛び回るハエを追い払いながら、いくら何でもお節介に過ぎるとアンリエッタは鏡に向かってさんざん不満をまき散らした。そしてその不満は、鏡に映る女王であるアンリエッタに向かうのだった。

「だいたい貴方が、物欲しそうにするからいけないのです」

と。だが鏡の中にいる自分もさる者で、同じように自分に向かってくどくどと説教を垂れてくれるのだ。自分で言っているから、さすがにこれは堪えてしまう。その小言の一つ一つが、とても正確で、そして自覚している事ばかりなのだ。

「ええ、そうよ、私は寂しいわよ。
 認めます、認めますわ。
 でも私も、女王である前に一人の女なのです。
 優しいぬくもりを求める事の、どこに罪があるのでしょう。
 ウェールズ様もサイトさんも、私の手の届かないところに居るじゃないですか!」

 開き直ったところで、誰も、そんな自分の気持ちを分かってくれない。いや、分かっているから、使い魔召還を勧めてくれたのだろう、きっとそうに違いない。でも今自分が欲しいのは、ペットやパートナーとしての使い魔では絶対にない。優しく抱きしめて、そのちょっと先の世界を見せてくれる優しい殿方なのだ。簡単にお星様になってしまうような、子供のルイズとは自分は違っているのだ。

「だいたい、私は虚無の使い手ではないのですよ。
 使い魔を召還したとしても、サイトさんの様な方が現れるわけがないじゃないですか」

 いつの間にか、ハエ達の羽音は「欲求不満なのよ、欲求不満なのよ」に変わっていた。五月蠅いと手をばたばた振っても、頭の中のハエは居なくなるどころか却って増えているようだ。

「みんなして、私を虐めなくても良いじゃないですか」

 本当なら、髪がぐしゃぐしゃになるし、顔も腫れぼったくなってしまうので、枕にベッドにうつぶせになる事はしないのだが、五月蠅く騒ぎ立てるハエ達に、アンリエッタは柔らかな羽枕を頭に抱えてベッドへと横たわった。心の中の声なのだから、いくら耳を塞いでも聞こえなくなるはずはない。それでもアンリエッタは、荒れ狂う嵐から逃れるように、体を硬くしてベッドの中で夜が明けるのを待ち続けたのだった。



 どうしていつも酒盛りになるのかなぁと、二つの月が明るく照らす空を眺めながらサイトは一人呟いた。明日姫様が使い魔を召還するという噂は、瞬く間に王宮内に広まっていた。水のトライアングルメイジの姫様なのだから、召還されるのは立派な水竜と言うのが大方の予想だった。愛すべき隊長殿は、前祝いを口実に今日も酒飲みの宴会を開いてくれたのだ。ちょっと頭を左右に振れば、泥酔した仲間達が地面に転がっていた。

「なあデルフ」

 月を見て、ちょっぴりセンチな気分になったサイトは、どう見ても伝説とは思えない相棒のデルフリンガーに声を掛けた。この相棒の助言は、ほとんど役に立った事はないのだが、それでも寂しい気分を紛らわせる役ぐらいには立ってくれた。

「なんだ相棒」

 そしていつもの通りの答えが返ってくれば、なぜかほっとしてしまうのに気づいていたりする。いくら学院の中にいても、日ごとにサイトの回りは物騒になっていく。だから相棒のデルフリンガーとは、ひとときも離れていられない状況になっていた。

「あれ、本当に良かったのかなぁ?」
「あれって、あれかぁ?
 そんなもの、俺に分かるわけがねえだろう」
「そうだよなぁ、お前に分かるわけがないなぁ……」

 もう酒は良いと、サイトは立ち上がって水を取りに行った。少しだけ足下がふらつくのは、しつこく酒を勧められたせいに違いない。きっとそうだと自己弁護を完了したサイトは、水差しから直接なま暖かい水を喉に流し込んだ。

「姫様は、どんな使い魔を召還するんだろうな?」

 少し喉の渇きが収まったところで、こういう時には少しだけ頼りになる相棒に声を掛けた。

「そんなものが、俺に分かるわけがないだろうって。
 ただ姫様は、伝説には全く関係のない普通のメイジだ。
 きっと姫様の属性にそった、一番いい使い魔が召還されるだろうよ」
「一番いい、使い魔かぁ……」
「おうよ、だから相棒も安心して良いんだぞ」
「安心してねぇ……」
「おうよ、娘っこの目を盗んで、女王様のお相手をすれば良いんだよ。
 お前さん、シュバリエなんだろう?
 女王様に仕える、誇り高い騎士なんだろう?
 そのお前さんが、女王様に会いに行くのに何の不都合があるって言うんだよ」

 無責任な事をべらべらとまくし立てる相棒に、サイトは小さくため息を吐いた。そんな事で解決するぐらいなら、ご主人様の折檻が怖いが、冒険するぐらいは大したことじゃない。だけど女王様は、もう自分の前では女にならないとはっきり言ったのだ。もしもバカなマネを自分がしたら、女王様の決心を無駄にしてしまう事にもなりかねない。ルイズは大切なご主人様なのだが、女王様だってご主人様の大切な人なのだ。だったら、女王様も大切にするのが使い魔の役目という物だろう。

「デルフ、お前いい加減な事を言い過ぎだぞ。
 ルイズがお前を溶かす前に、俺が井戸の底に投げ込んでやろうか?」
「そそそそんなマネをされたら、デルフ錆びて無くなっちゃう!」

 だから勘弁してくれと、デルフリンガーが刀身を震わせて懇願した。一瞬で溶けるのも願い下げだが、じわじわと朽ちていくのも恐ろしくて仕方がない。恐怖という意味なら、朽ちていく方が上だろう。

 おバカな相棒を震えさせたサイトは、バカなやりとりをする自分に呆れて小さくため息を吐いた。だんだんとこの世界に馴染んでいく自分、今の環境が普通だと思っている自分がここにいる。だいたい以前の自分なら、しゃべる剣などと仲良く話をする事があり得るだろうか。それ以上に、自分が英雄なんて言われる事自体おかしな事なのだ。

「だいたい、英雄様って言うのは……」

 ティファニアに忘却の魔法を掛けて貰ったおかげで、自分の世界の事を思い出すようになっていた。その分帰りたいという気持ちは強くなったのだが、同じくらい帰れないと言う気持ちも強くなっていた。なんのかんの言って、すでに1年以上の時間が過ぎている。残してきた家族の事も気になるけれど、こちらにも“家族”みたいな物もできてしまっているのだ。もう、どちらかを捨ててなんて事は出来ないと思うようになっていた。

「なんだ相棒、お前さんには英雄の心当たりがあるのか?」

 サイトのつぶやきに、デルフリンガーが反応した。話すと辛くなるからだろうか、最近のサイトは元の世界の事を話さなくなっていた。

「ああ、ちょっと前に大きな事件があったんだ。
 その事件を無事解決したのが、俺と同い年の人なんだ。
 異世界の女の子と婚約したって聞いたけど、俺にとっては英雄って言うのはその人が一番近いんだ」
「そいつぁ、強いのか?
 例えば、もの凄い魔法を使うとか?」
「俺たちの世界には、魔法なんて物を使う奴は居ないよ。
 ただ技術には優れているから、ヒトガタをした機動兵器って奴を使って戦ったんだ」
「ヒトガタの兵器……ゴーレムみたいな奴か?」

 分かりやすいたとえに、どんな物かとサイトはネットで見た情報を思い出していた。

「もっと大きくて、もっと強い奴だと思う……
 ほら、破壊の杖ってあったじゃないか。
 あんな物をいくつ使っても、その機動兵器は疵一つ付かないんだ。
 ルイズのエクスプロージョンでも、たぶん駄目だろうな」
「お前の世界には、そんな凄い兵器があったって事か。
 女王様の家臣達が聞いたら、きっと欲しがるだろうな」
「戦争なんて、あっという間におわっちまうだろうなぁ……
 あの人が来てくれたら、それはそれで良い事なんだがなぁ」

 そんな事があり得ないのは、サイトだって分かっている。それに、英雄様を召還したところで、兵器ごと連れてこなければ意味がない事なのだ。結局、英雄様召還なんて、虫の良すぎる、自分勝手な空想にしか過ぎないのだとサイトは自分を笑った。

「サモンサーバント……か」
「女王様の事か?」
「っていうか、その魔法自体の事だよ。
 ルイズだって使えたんだから、別に難しい魔法じゃないんだろう?」
「まあ、魔法の初歩の初歩っていわれちゃあいるな。
 何しろひよっこのメイジが使えるぐらいだから」
「なんでそんな初歩の魔法で、遠く離れた俺が召還されたんだ?
 考えてみると、それってもの凄い事じゃないのか?」
「そりゃあおめえ、凄い事に決まっているだろうよ。
 だいたい召還されるのは、この世界に住んでいる奴だけなんだからな。
 あの嬢ちゃんが、特別だと思うしかないんでないのか?」
「ルイズが特別……ねぇ」

 そりゃあ、伝説の虚無の使い手なのだから、特別って言えば特別なんだろうな。だがその特別な能力を元に召還したとしたら、自分を選んだのはいい加減に過ぎるとしか思えない。初めて逢った時の顔を思い出せば、予想外だったのは簡単に分かる事だ。だったらどうして自分が召還されたのだろうか?もっとも、そんな答えを出せる存在がいるはずがない。

「さあな、そんな事が俺に分かるわけ無いだろう?」
「お前に、答えなんか望んじゃいないよ。
 ただ、どうしてかなぁと不思議に思っただけだ」
「そりゃあ、不思議以外の何物でもないがな」

 しんみりと二人が押し黙ってしまったと思ったら、突然デルフリンガーは、金具をがちゃがちゃ言わせて良い事を思いついたとまくし立てた。

「なんだよ、その良いことって?」
「今の事を説明する良い言葉って奴だよ。
 相棒、それは「運命だ」で片づけりゃあ良いんだ」

 最高だろうと笑うデルフリンガーを、黙ってサイトは地面から持ち上げた。そして真っ直ぐ、井戸を目指して歩き始めた。

「ま、待て、場を和ます軽い冗談って奴じゃないか。
 ほら、しんみりとした空気は俺には耐えられないんだ。
 だからだ、ほら、謝るから井戸に投げ込まないで。
 俺がさび付いたら、嬢ちゃんの手助けだって出来ないだろう。
 ほら、だから、謝るって、謝るから、お願いだから井戸に投げ込まないで。
 暗いのも冷たいのも嫌なんだよぉ〜一度錆びたら、手入れがとっても大変なんだぞぉ!」

 だからお願いと、涙声でデルフリンガーは騒ぎ立てた。いい加減鬱陶しくなったサイトは、もう良いと投げ捨てた。

「井戸に放り込まなかった事には感謝するが、もうちっと優しくしてくれてもいいんでねぇの?」
「次からはそうするよ。俺はここで寝るから、こっから先は静かにしてくれないか?」
「嬢ちゃんの所に戻らなくても良いのか?」
「一人で、いろいろと考えたい事もあるんだよ。
 どうもあそこは、俺には騒がしすぎるんだ」

 そう言ってサイトは、地面にごろりと寝転がった。少し肌寒い気もしないではないが、風邪を引くほどでもないだろう。固いところで寝慣れたせいで、地面でも大丈夫と思える自分が怖かった。

「結局、慣れてしまってるんだよなぁ〜」

 そう思うと、だんだんせつない気分になってくるサイトだった。



 その翌日は、まるで狙ったかのように晴れ渡った青空が広がっていた。おかげでサイトは、いつかの授業で習った「放射冷却」という現象を身をもって味わうことになった。簡単に言えば、寒くなって明け方に目が覚めたのである。だったらルイズのベッドに潜り込めばいいのだが、今更それもないかと明けていく空をじっと眺めて時間を過ごした。

「お腹が、空いたかも?」

 他の奴らはと見渡してみると、いつの間にか自分のねぐらに戻ったらしい。昨夜のらんちきの証拠も、きれいさっぱりと消え失せていた。残り物を漁ろうにも、もう何も残っていないと言うのが現実だった。

「みんな、結構冷たいな」

 せっかく寝ているのだから、起こさないようにと言う優しい心遣いがあったのかも知れない。そこは空腹を感じた者のわがままで、サイトは見捨てられた事への愚痴を口にした。だけど腹を立てると余計にお腹が空く事に気が付き、サイトはじっと空けていく星空を眺めていたのだった。

「無事、終われば良いんですけど」

 何が起きても、厄介事だけは自分に押しつけられている気がする。それに加えて、理不尽なご主人様の怒りまで買う事になったのなら……というか、ご主人様の怒りはいつも理不尽でしかない気がするが。まあ、今更分かり切った自分の境遇はさておき、アンリエッタ様がどんな使い魔を召還するのかをサイトは考えた。やっぱりみんなが言うように、立派な水の竜なのだろうか。それともモンモランシーのように、小さな水の生き物なのだろうか。美しい女王様なのだから、厳つい竜は少しに会わない気がする。だけどタバサの使い魔は、とても彼女に似合っている。人間に化けられる竜というのも不思議な存在だと思うが、ここはそう言うところだとサイトは達観する事に決めていた。そうしないと、とてもではないけれど神経が持たないのだ。いくらネットでファンタジーを漁っていても、我が身に降りかかってくれば、話は全くの別物になってしまう。

 そうしてじっとしていたら、シエスタが朝食を運んできてくれた。彼女の言葉を信じるのなら、ご主人様はいつもの通りご立腹らしい。それを思うと、こうしてシエスタの料理を食べているのも、寿命を縮める行為の気がしてならない。

「サイトさん、どうかなさいましたか?」

 下から覗き込むようにして自分を見るシエスタに、なんて可愛いんだろうとサイトは感動していた。多少ずれたところもあるのだけど、世界が違うのだからそれも仕方がない事だと考える事にしていた。ご主人様に無い物を持っている、かつその詳細についてかなりの所まで知っている自分としては、こうも無防備に覗き込まれると恥ずかしくもなってしまう。だからサイトは、顔を赤らめて

「な、なんでも無いんだよ」

と答えるのだった。ちょっと説得力に欠けるのは、今更指摘されなくてもサイト自身よく分かっていた。だけどシエスタは、それ以上何も言ってこなかった。ほっとしたサイトに向かって、シエスタは今日の召還の話を持ち出した。

「アンリエッタ様は、どのような使い魔を召還されるのでしょうか?」

 サイトの態度をいつもの事と喜んだシエスタは、共通の話題である王様のサモンサーバントを持ち出した。この手の話ならば、いつミス・バリエールに踏み込まれても言い逃れが利く。もっともサイトさんには、問答無用だろうから意味がないのかも知れないけれど。とっても理不尽だと思うけれど、貴族様は理不尽が服を着て歩いているのだから仕方がないと諦めていた。

「俺も、いろいろと考えてみたんだけど……やっぱり、想像が付かないな」
「アンリエッタ様好みの殿方だと良いですね」

 そうすれば、女王様がサイトさんを構う事が無くなるから。サモンサーバントの意味も考えず、シエスタは「男の人」と心の中で「ネンブツ」を唱えた。

 あの犬ったら、またメイド風情に手を出しているわ。いつもの嫉妬という名の、本人が否定する感情に身を任せて、ルイズは学院の石階段を歩いていた。せっかく待っていたのに、あの犬と来たら暖かいベッドに戻ってこなかったのだ。そのうち寒くなって帰ってくるかと捨てておいたら、結局朝になっても帰って来なかった。

「あたしのこと、好きって言ったくせに」

 そりゃあ、その言葉に一度も応えなかった事は自覚しているし、その感情が使い魔として植え付けられた事も分かっている。でもティファニアに忘れさせたのだから、今の感情はサイト自身物のはずなのだ。

「ぎゅっとしてくれたのに、ききききキスしてくれたのに」

 それなのに、目を離すとすぐにどこかに飛んでいってしまう。今だって、きっとメイドの雌犬にしっぽを振っているのに違いないのだわ。そう考えると、けして長くない導火線が、みるみるうちに危険領域まで燃えてしまうのだ。こんな事じゃいけないわ、大人の女性はもっと寛容じゃなくちゃ。私は、子供のルイズを卒業して、大人の魅力を備えたレディーになるのよ。
 魔法の呪文を唱えて導火線を継ぎ足し、なんとか危険領域からは脱する事が出来た。今日は姫様にとって大切な日。そんな一日を、犬の悲鳴で始めるわけにはいかないんだから。

「大人の女性、大人の女性……」

 導火線の長さに不安を感じ、ルイズはもう少しだけ魔法の呪文を唱える事にした。ちょっとやそっとの長さだと、あっという間に燃え尽きてしまう気がしてならなかった。

「ぜぇ〜んぶ、あの犬が悪いのよ」

 所構わずしっぽを振って、そこら中で可愛い女の子と知り合いになってくれる。どうしてこんなに可愛らしいご主人様が居るのに、他の女の子に目が行くのかしら。

「むむむ、胸……が理由じゃないわよね」

 でも、自分以外は全部立派な胸をしているのだ。タバサという例外はあるが、あれは彼女の機転でキスをしただけなんだから。犯罪としか思えないティファニアを持ち出さなくても、あのメイドにしたところで豊かな……だんだん腹が立ってきた。

「大人の女性、大人の女性……」

 あっという間に導火線が短くなってしまったので、ルイズはもう一度魔法の呪文を唱える事にした。それにしてもこの呪文、よくよく考えてみるととっても恥ずかしい。誰かが聞いているわけではないけれど、もしも聞かれでもしたら、どこに逃げ出せばいいのだろう。

「これも、全部あの犬が悪いんだわ!」

 すべての責任をサイトに押しつけたルイズは、朝食を食べに食堂に行く事にした。大切な儀式の間にお腹が鳴るようでは、立派なレディーは失格なのだ。



 トリスティン女王が行うサモンサーバントの儀式は、昼食の1時間前という微妙なタイミングで行われた。誰かが気を利かしたのだが、すぐにお披露目のパーティーが行われるそうである。

「確かに、失敗するような魔法じゃないけど……」

 どうしてここまでするのだろうかと、ルイズの隣に立ったサイトは、二日酔いで痛む頭を押さえていた。

「ここのところ、良くない事件ばかり起こっているからでしょう。
 国を明るくするには、ばからしいと思える儀式も盛大に行う必要があるのよ。
 姫様の使い魔を召還する儀式なら、きっと目出度いことに間違いないもの」
「その割に、裏に回れば警戒が厳重だな。
 サモンサーバントなんてのは、基礎も基礎の魔法なんだろう?」

 辺りを見渡してみると、重武装の騎士達が遠巻きに囲んでいる。その最前列には、女王様の信がもっと厚い銃士隊隊長のアニエスが陣取っている。一瞬たりとも油断しないと身構えている姿は、とてもではないがおめでたい席とは思えない。

「初歩の魔法には違いないけど、何が召還されるかはそのときになってみなければ分からないわ。
 間違って巨大な竜でも召還されたら、儀式が終わる前に大変な惨事になってしまうのよ」
「だから、俺もデルフを持って待っているんだけどな」

 本来王室の儀式に、帯剣して出席するようなことはない。それを考えれば、異様な警戒態勢だと言えるのかもしれない。もっともサイト達は、召還されるものだけが厳重な警備の理由でないことも知っていた。もしもこの前のような巨大なゴーレムが襲ってきたら、これだけの警備を敷いても大打撃を受けることになるだろう。

「あれって、誰の仕業か調べが付いたのか?」

 小声で聞いてきたサイトに、まったくとルイズは首を振った。

「でもね、事件が起きた場所や、鎧に使われた鉄の量を考えたら、
 首謀者は相当絞られるらしいのよ。
 だけど、そのせいで話がややこしくなっているそうよ」
「つまり、ガ……」

 サイトがその国の名を出そうとしたとき、ルイズは慌ててその口を塞いだ。どこに耳があるか分からない状態で、迂闊なことは言うことはできないのだ。

「その名前は出しちゃ駄目。
 でも一つだけ分かっているのは、敵があたし達のことをよく見ているってことよ。
 そうじゃなきゃ、あんな田舎で襲われるなんてあり得ないもの」

 ああご主人様は、よく考えているのだなあ。サイトは不覚にも、珍しくまともなことを言うルイズに感心していた。考えてみれば、どこかで覗かれているのではないかと思うぐらいに、おかしな事件に遭遇しているのだ。それを考えれば、用心するのに越したことはないだろう。

「しかしだ、姫様……気合いが入っているな」

 やけに真剣な顔をしたアンリエッタに、サイトは感心するやら、不思議に思うやら複雑な気分だった。確かに使い魔は、一生の友人ともなる存在なのだろう。その友人を迎える儀式なのだから、気合いが入るのも無理もないと言えたかもしれない。しかしその割には、アンリエッタの表情が硬く、しかも顔色の悪さを化粧で隠しているようにも見えるのだ。

「だって、とっても大切な儀式なのよ。
 そりゃあ、緊張するのも無理もないってものよ」

 ルイズの解説に、そんなものかねぇとサイトはアンリエッタの顔を見た。表情が硬いだけではなく、どこかムキになっているような、不思議な顔つきだった。その表情をどこかで見た気がしたサイトは、無事終わってくれればと、儀式の平穏無事を願ったのだった。

 結局五月蠅いハエは、朝になってもアンリエッタを解放してくれなかった。何しろ儀式に臨む今でも、頭の中でぶんぶんと……「横恋慕、横恋慕」と飛び回ってくれている。何をしてもいなくなってくれないハエたちに、ほとほとアンリエッタも困り果てていたのである。
 しかしそこは一国の女王様。儀式の場では、弱音を吐くわけにはいかないのである。だからアンリエッタは、「略奪愛、略奪愛」と飛び回るハエたちを無視して、中庭に設けられた儀式の場へと現れた。

「トリスティン女王アンリエッタの名において命じる……」

 一呼吸おいたアンリエッタは、サモンサーバントの呪文を唱え始めた。いくら考えても、いくら悩んでも結果などしれている。だったらさっさと終わらせて、頭の中のハエ退治をした方が意味があるだろう。あろう事かこのハエたちは、「好き者、好き者」と言って飛び回ってくれているのだ。
 確かに、私は殿方が好きですよ。でも、誰でも良いって訳じゃないのです。これと思った殿方に、一生を捧げようと思っていましたのに……
 ちらりと辺りを見渡すと、サイトがちっちゃなルイズと並んで立っている。立会人兼護衛という役目を負っているのだが、どうしても見せつけられているように思えてならない。真剣なルイズの眼差しにしても、「早く厄介払いしたい」と考えているように思えてしまうのだ。

 ええ、どうせ、厄介者ですよ。半ばやけになりながら、アンリエッタは呪文を唱え続けた。本当は神聖な儀式のはずなのに、アンリエッタの頭の中は、「男よ男」と言って飛び回るハエ達と、ちっちゃな親友に対する僻みが渦巻いていた。

「絶対に、素敵な殿方を召還して見せます!!」

 変な決意を固めたアンリエッタの前に、召還の扉が形をなし始めた。後はこの扉をくぐって、彼女の使い魔が現れれば儀式の大半も終わりとなる。

「中途半端な大きさね?」

 その扉は、竜が通るには小さく、そして蛙のような生き物が通るには大きすぎるものだった。ルイズの言うとおり、「中途半端」な大きさなのである。だがその扉の大きさを見たサイトは、どうしようもない悪い予感に囚われたのだった。

「人、一人通れる大きさだな……」

 そしてそのつぶやきがルイズの耳に届いたとき、扉の中から何かがこぼれ落ちてきた。悲鳴のような声を聞いたサイトは、悪い予感があったのを知ったのだった。

「……冗談だろ?」

 そう呟いたサイトの視線の先には、ぴったりとしたジーンズに黒いTシャツを着た青年が立っていた。



 アンリエッタ女王の行為は、結果的にトリスティン王国に多大な被害を与える結果となった。アンリエッタとしては賭に勝ったのだが、相手が想像を遙かに超えたところにいたせいである。

黒髪の青年が現れたときには、勝負に勝ったとばかりに右拳を握りしめたアンリエッタだった。だがいざ契約の儀式を行おうとしたところで、自分が呼び出した使い魔の反抗にあったのだ。精一杯の思いを込めたキスをかわされただけではなく、あろう事か後ろ手に押さえつけられてしまったのだ。そこから先は、大混乱である。女王様の一大事とばかりに騎士団が鎮圧に入ったのだが、逆にたった一人の平民の前に、壊滅的な打撃を受けてしまったのだ。騎士団の放つ魔法は、男に届く前にことごとく消滅した。まるで先住魔法でも使ったような出来事は、騎士団から戦う力を奪い取ってくれたのだ。そうなると数を頼みに腕力で制圧することになるのだが、それが全くの見込み違いとなってしまった。その結果、騎士団はもろくも壊滅してしまったのだ。
 そして壊滅的な打撃を受けたのは、サイト達水精霊騎士隊も例外ではなかった。遠巻きで掛けた魔法は、届く前にことごとく消滅し、不用意に近づいた者達はあっという間に気絶させられていた。

「ルイズ、お前のエクスプロージョンで気絶させられないのか?」
「だ、だめよ、さっきからやってるけど、全然爆発してくれないの」

 泣きそうな顔をしたルイズを背中に隠し、サイトは暴れている青年を観察した。すべての魔法は、彼の直前で消滅している。それだけでも脅威なのに、非常識とも言える身のこなしで騎士達を倒してくれているのだ。見事と言うしか他にないのだが、虚無の魔法まで通用しないというのは、どう考えても異常としか思えない。

「ってことは、魔法じゃ駄目ってことか?」

 かといって肉弾戦でも駄目なのは、全滅したアニエス隊を見れば想像が付く。いくらガンダールフのサイトでも、こんなにあっさりと彼女たちを倒すことはできないだろう。

「でも、俺しか残っていないんだよな」

 後ろで怯えているルイズをちらりと見て、サイトは自分が戦うことを覚悟した。どういう事情があったとしても、ここまでの乱暴を許すことはできない。それに、大切なご主人様を怯えさせるのは、使い魔として見逃すわけにはいかないだろう。だけど、はっきり言って勝ち目など無い。それに、いくら勇気を振り絞っても怖くて仕方がないのだ。

「いいか、俺が時間を稼ぐから、何でもいい、役に立つ呪文を唱えてくれ!」

 そう言い残すと、サイトは何度も死線をくぐり抜けてきた相棒に手を掛けた。こう言うときには、伝説の剣なのだから、一つぐらい知恵を出してくれても良いだろうと。

「デルフ、いったいあいつは何なんだ?」
「相棒、それは俺の台詞だぜ。
 始祖ブリミルだって、あんな非常識には強くなかったさ」
「ってことは、俺に勝ち目は無いってことか?
 それで、何か利きそうな魔法はあるのか?」
「逃げる以外に役に立つものがあるのなら、俺にも教えてくれると嬉しいな」

 さしものデルフリンガーにも、全く打つ手がないと言うことだ。絶望的な気持ちになりながら、サイトはデルフリンガーを両手で握りしめて前に進み出た。少しへっぴり腰になっているのは、彼の勇気に免じて勘弁して欲しい。



 7万の兵士を相手にするのよりも怖かった。その夜のサイトは、破壊の限りを尽くした相手に向かって文句を言った。勇気を振り絞ったサイトだったが、簡単に返り討ちになってしまった。危うく星になりかけたサイトだったが、「日本語が通じるの?」と相手に驚かれ、何とか命拾いをしたのが結末だったのだ。

「でも、碇さんが魔法を使えるなんて聞いていませんよ」
「僕だって、そんなものが使えるなんて思っても見なかったよ。
 だけど、この世界ってかなり変わってるね。
 前の世界では感じられない力の流れが充満しているんだよ。
 魔法に見えたやつは、その力の流れを制御しただけのことなんだ」
「い、いきなり科学になっちゃいましたね……」

 メルヘンの世界から、いきなり超科学の世界へと突入したのである。しかしそんなことができる人間がいるとは、ネットには載っていなかったはずだ。

「たぶんね、こんな真似ができるのは僕とコハクぐらいだろうね」
「コハクさんって、あの天使のコハクさんですか?」
「あれっ、平賀君は天使を知っているの?」
「俺がこっちに来て、1年とちょっとですから……」
「それは、ずいぶんと災難だったんだねぇ」

 自分を同情したシンジに、同じ立場だろうとサイトは言い返した。訳の分からない力で連れてこられた以上、どうやって帰ればいいのか分からないのだ。いかに英雄様でも、元の世界に帰る方法は分からないだろう。

「でも、宇宙の外れとかという訳じゃないんだよ。
 多層空間って言葉を聞いたことがあるだろう?
 ここはずいぶんと離れた多層空間に位置しているんだよ。
 移動しながら数えたんだけど、結局は千を超えたところで数えるのをやめたよ。
 ざっと見積もって、2、30万ぐらい離れているんじゃないのかな?」
「それって、間接的に帰れないって言っていません?」

 少しふくらんだ希望が、前以上に萎んでしまった気がした。がっくりと肩を落としたサイトに、そう言うところもあるかもしれないとシンジは笑った。

「コハクが言うには、調査が終わっているのは2、3千らしいからね。
 普通に調査したら、何世代か後にならないと見つからないだろうね」
「その割に、心配していませんね?」
「鈍感な英雄様ってことで有名だからだよ」

 そう言ってシンジが笑うものだから、鈍感と言うより神経が太いのだなとサイトは感心していた。だからあっさりと契約を承諾したのかと、その後のシンジの行動理由の一つを見つけた気持ちになっていた。

「でも、よく使い魔になるのを承諾しましたね」
「すぐには帰れそうにもなかったからね。
 だったら、この世界で生きていく方法を考えなくちゃいけないだろう。
 女王様の使い魔なら、生活に不自由することはないと思ったんだよ。
 それに、女王様は結構美人じゃないか」

 なにかとんでもない理由を聞いた気がしたが、敢えてサイトはそれを忘れる事にした。それでも思い出したのは、「鬼畜」という英雄様に対する噂だった。

「でも、体に変な刻印が表れませんでしたか?」
「おかげで、言葉も通じるようになったし。
 その刻印だって、いざとなれば消すこともできるからね」
「まったく、何でもありなんですね……」

 なんて非常識なと、サイトは目の前の英雄様に呆れていた。この世界自体非常識の固まりだと思っていたのに、自分の世界から現れた代表者の方がもっと非常識だったのだ。契約の刻印まで無効にできるなんて、神様かと言いたくなってしまう。

「それで、平賀君のご主人様は、あのちっちゃな女の子なのかな?」
「まあ、そう言う事になっていますよ」

 ふ〜んと口元を歪めたシンジに、サイトはちょっと引いていた。そんなサイトに向かって、シンジは「平賀君って、ロリ趣味なんだね」などととんでもない事を言ってくれた。ちょっと待ってと身を乗り出したサイトは、「こっちに選択権がないのは知っているだろう、でしょう?」と抗弁した。それでもちょっとどきどきしたのは、自分の気持ちが見透かされているのかと思ったからだ。

「僕に対して、敬語は必要ないよ。同い年なんだし、ここでは平賀君の方が先輩だろう?」
「でも碇さんは、姫様の使い魔ですし……」

 しかも城中での上下関係を、実力でしっかりと構築してしまっている。目をハートにした女王様は別にしても、力で屈服した騎士達は、完全にシンジに対して頭が上がらなくなっている。文官達にしても、「始祖ブリミルの再来だ」なんて噂を飛ばしているぐらいだ。今更シュバリエなんて称号が無くとも、誰もシンジの事を平民などと見る事はないだろう。

「だったら、君は伝説の人なんだろう?」
「伝説は、俺のご主人様……まあ、俺もガンダールフなんて言われちゃいますけど。
 でも、さっきの碇さんには、逆立ちしたって敵いませんよ」
「まあ、それなりにこっちも苦労してきたからねぇ……肉体的鍛錬なんて、嫌ってほどしてきたよ」
「その辺りの武勇伝を聞かせて貰いたいんですけど?」
「だったら、平賀君の女性関係も教えてくれると嬉しいな?」
「な、なんで、女性関係なんですかぁ!!」

 叫び声を上げたサイトに、観察の結果だとシンジは嘯いた。

「見た限りに於いて、銃騎士隊の隊長さんとか、メイドさんとか、胸のおっきなエルフの女の子とか……
 まだまだ他にも、君の事が好きな人が居そうだけど?」

 そんな事を言われても、俺には責任ありません。そう強く主張したいサイトだったが、あいにく素直な相手ではなかった。それでもシンジの口から出たのは、意外にも優しい言葉だった。

「たぶん、平賀君の1年間の冒険が理由になっているんだろう?
 だったら、何があったのかを教えてくれれば、この世界の事がよく分かるんじゃないのかな?」
「だったら、素直にそう言う聞き方をして下さいよ!」
「それじゃあ、面白くないと思わない?」
「だったら、碇さんも天使との事を教えて下さいよ!」
「平賀君は知らないようだけど、魔族ってのも加わって居るんだよ。
 ついでだから、そっちも教えてあげようか?」

 はあっと目を見開いたサイトは、まったくとばかりに右手で顔を覆った。

「英雄色を好むって、本当だったんですね?」
「だったら、ガンダールフの君も色を好んでいるんだね」
「なんで、俺に打ち返します?」
「そこに、打ち返すべき玉があるからだよ」

 決まっているだろうと笑うシンジに、サイトも釣られたように笑い出したのだった。



 楽しそうに笑うサイトに、遠くから様子を窺っていたルイズの胸は切なさで痛くなっていた。自分が無理矢理召還したために、サイトは故郷から遠く離れたトリスティンに連れてこられたのだ。しかも帰る方法が分からないのだから、サイトにしては迷惑この上ない話だったのだろう。だから同じ世界から来た姫様の使い魔に対して、あんなに嬉しそうに話をしているのだと思っていた。

「申し訳ないとは思っているわよ……」

 でも、本人を前にしてしまうと、どうしても素直に言う事が出来なくなってしまう。その半分以上はサイトの責任だと、ルイズは心の中で自己弁護を繰り返していた。

「でも、あれは一体何なのよ!!」

 曲がりなりにも、自分は伝説の存在のはずなのだ。そしてその使い魔であるサイトにしても、同じく伝説の存在でなければいけないはずだ。その伝説コンビが、一人の平民……サイトには、あちらの世界の英雄と紹介されたけど……に、手も足も出なかったというのはどう言う事なのか。自分が一番でなければいけないなどと言うつもりは、一応ルイズは無いつもり……だったらしいのだが、サイトが全く敵わないのは気にくわない。それにいくら無理矢理連れてきたからと言って、ここまでお城を壊さなくても良いだろうと文句も言いたいのだ。だけど、さすがのルイズも、シンジの前では文句を言う事が出来なかった。サイトが側にいても、魔法が効かなかった時の恐怖が頭をもたげてしまうのだ。

「城が壊れたのは、ほとんど私たちの魔法が暴発したせいなのです」
「姫様……」

 突然現れたアンリエッタに、ルイズは一歩下がって頭を下げた。そんなルイズに、堅苦しいマネは不要ですと言って、城のベランダから談笑する二人の青年に視線を向けた。

「姫様、良かったのですか?」

 持って回った聞き方をしてきたルイズに、「とっても」とアンリエッタは笑顔で答えた。

「打ち倒された騎士達は、ほとんど誰も怪我をしていませんでした。
 誇りは大きく傷ついたかも知れませんが、あの場合仕方のない事だと思いますよ」
「ですが、やりすぎだと思います!」

 その辺りは譲れないと言うルイズに、仕方がないとアンリエッタはシンジを弁護した。

「いきなり違う世界に連れてこられ、しかもおかしな儀式の生け贄になりかけたのです。
 抗う力のある者なら、力の限り抗うのも仕方がないとは思いませんか?
 サイトさんにしてもそうですが、私たちの常識を押しつけてはいけないのかも知れません」
「ですが、サイトは私の使い魔です!!
 サイトは、私の使い魔になるのを認めて扉をくぐりました!!」
「2回目はそうでしょうけど、1度目はどうでした?
 訳の分からない内に、勝手に使い魔にしたのではありませんか?」

 そう言われれば、確かにそうでしかない。でもと言いつのろうとしたルイズに、分かっているのだとアンリエッタはその言葉を遮った。

「私たちは、私たちの常識に従って行動しただけです。
 サモンサーバントで召還した者は、召還者の使い魔になるのが決まりだという常識にです。
 でもサイトさんも、自分の世界での生活がありました。
 向こうには、待っている家族もいらっしゃいます。
 シンジ様は、奥様と歩かれている途中だったと教えていただきました。
 どちらが悪いかと言われれば、私たちとしか言いようがないと思いませんか?」
「ですが、もう済んでしまった事です!」
「そうです、私たちは取り返しの付かない事をしてしまいました。
 それなのに、シンジ様は私を許して下さいました。
 そんな優しいお方を、私たちが恨んだり、怖がったりするのは筋違いだとは思いませんか?」

 ほっと頬を染めるアンリエッタに、そう言う事かとルイズは事情が理解できた気がした。そうなると今までサイトに言い寄っていたのは何なのかと言いたくもなる。とっても理不尽な怒りなのだが、それを理不尽と感じないところに、今のルイズの精神状態があったと言う事になる。「サイトに言い寄っていたくせに、ちょっと良さそうなのが現れたら、さっさと乗り換えるのね?」という具合にである。

 そしてもう一つ気に入らないのは、大臣や騎士達まで、あの男に大きな期待を寄せている事だった。今までさんざん伝説とか言って頼ってきたくせに、強そうなのが現れた途端、手のひらを返すのかと言いたいのだ。それが僻みである事を、ルイズは理解できていなかった。

「シンジ様は、多くの経験と知識をお持ちです。
 3つの世界を治めていたと聞いていますので、
 是非ともいろいろと教えていただきたいと思っています。
 きっと、これからのトリスティンに役立つ事でしょう」
「そうでしょうか、私にはそこまで信用して良いのか分かりません。
 賢明な姫様の事ですから、甘言に惑わされる事は無いと信じておりますが」
「ですが、サイトさんは信用されているようですよ?」
「あの使い魔は、世間の恐ろしさを知らないからです。
 敵というのは、何も刀や魔法で攻めて来るとは限らないのですよ!」
「ですがルイズ、疑心暗鬼な心もまた私たちの敵ではないのでしょうか?
 無条件に受け入れろとは申しませんが、もう少し冷静な目で見た方が宜しくはありませんか?」
「私は、いつも冷静な目で見守っております!!」

 そりゃあ、犬の事では冷静でない事があっても、国の大事には冷静に考え、行動してきたはずなのだ。そんな事を言うのなら、むしろ姫様の方が感情で動いて迷惑を掛けてくれたと言いたいところだった。少なくとも、自分の事を棚に上げて欲しくはない。それに、あの男を見る姫様の目が、怪しすぎるのも気になって仕方がない。またおかしな間違いをするのではないかと、ついルイズは不安になってしまうのだ。

「それで姫様、あの男をどこに住まわせるのですか?」

 だからルイズも、こんな事を聞かなければいけなくなる。だがこの問いかけは、アンリエッタにとって意外でしかなかった。自分の使い魔の住むところなど、どうして今更聞かれなければいけないのだろうか? だから、「私の部屋ですけど、なにか?」と言う答えになってしまう。だがアンリエッタにしてみれば当然の答えに、ルイズは激しく反発した。

「なななななりません、姫様!
 ああああ、あの様な男と一緒の部屋に寝起きされるのは」
「ですがルイズ、貴方もサイトさんと同じ部屋で寝起きをしているのですよ。
 シンジ様もサイトさんと同じ使い魔なのです。
 どうして貴方が良くて、私がいけないのでしょうか?」

 もっともな姫様の反論なのだが、ルイズも引き下がる訳にはいかなかった。顔を真っ赤にしたルイズは、自分と姫様では立場が違いすぎると主張した。

「姫様は、トリスティンの主なのです。
 将来夫となる方をお迎えするのに、いくら使い魔とは言え、
 男と同衾するのは宜しくないかと思います」
「ルイズ・フランソワーズ。
 貴方も貴族の娘なのですよ。
 しかも私の遠縁でもあります。
 ならばあなたも、将来の夫のためにサイトさんを他の部屋に移しますか?」
「わ、私と姫様は違います!!」
「違いません、ルイズ・フランソワーズ。
 貴方の言っている事は、自分の我が儘を私に押しつけているだけの事ですよ。
 シンジ様は、私を守って下さると約束して下さいました。
 ならば私も、それに答えるのが礼儀ではないのでしょうか?」

 敢えてフルネームで呼びかけた女王に、ルイズは大きく目を見開いた。優しい言葉ではあるが、その裏には不機嫌さがにじみ出ているのだ。冷水を浴びせられた気になったルイズは、確かに自分が冷静ではなかった事に気が付いた。だが気が付いても、気に入らないことには変わりなかった。

「ですが、ルイズの言うことも分かります。
 それに、シンジ様も今日一日でお疲れでしょう。
 別に部屋を設けて、ゆっくりとお休みいただこうかと思います」

 これでは、使い魔というより、大切な客人に対する態度である。使い魔など、わら敷きの寝床で寝させればいいのにと、ルイズは過去の悪行を思い出していた。

「明日には……」

 アンリエッタは、まだ談笑している二人の青年に視線を向けた。その姿を見る限り、王国を壊滅させ掛けた化け物の面影は見て取れない。

「あしたは、色々な意味を持つ一日になるでしょう。
 まず第一に、臣民に対してシンジ様を紹介する必要があります。
 どう紹介するかは、後でシンジ様に尋ねることにします」
「姫様の使い魔で宜しいのでは?」

 それ以外に紹介の仕方があるかと、ルイズは可愛らしく首を捻った。契約の儀式を済ませているのだから、いくら化け物でも立派な使い魔なのである。だがアンリエッタは、そう言うわけにはいかないだろうと答えた。

「シンジ様は、私よりも高貴な身分なのですよ。
 この世界で生きていくため契約したと言われましたが、
 あのままトリスティンを征服することもできたのです」
「そんな、一人でトリスティンを征服するだなんて……」

 冗談に過ぎると反駁したルイズだったが、ならば止めることができるのかとアンリエッタは聞き返した。

「ありとあらゆる魔法が通じなかったのですよ。
 それはルイズ、貴方も例外ではなかったはずです。
 もしも本気でシンジ様が反撃したのなら、私や貴方の命など簡単に消えていたでしょうね。
 そもそも、虚無を打ち消すことができるのですから、私たちには手出しできないと思いませんか?」
「あ、あれは、たまたま調子が悪かっただけです……
 その、いきなりのことで驚いてしまって……」

 ルイズの負け惜しみに、そうですかとアンリエッタは微笑んだ。負け惜しみが言えるほど、ルイズに調子が戻ったという意味になるのだから。そしてアンリエッタは、小さなルイズをその胸に抱き寄せた。

「姫様……!?」
「ありがとう、ルイズ。貴方はいつも私のことを気遣ってくれています。
 今度のことにしても、貴方の勧めに従って良かったと思っています。
 おかげで、私は素晴らしい伴侶に出会うことができました」
「伴侶って……姫様??」

 急に話が飛んだことに戸惑ったルイズは、抱き寄せられたままアンリエッタの顔を見上げた。だがそんな真似をしない方が良かったと、すぐに後悔することになってしまった。

「……姫様」
「私は、賭に勝つことができたのですよ。
 ルイズ、貴方もサイトさんを帰そうだなんて考えては駄目。
 過去の失敗をいつまでも悔やんではいけないのですよ。
 召還してしまったのも運命なのですから、しっかりと捕まえて放さないようにしないといけません」

 口元を邪悪に歪めたアンリエッタは、逃がさないための方策を口にした。

「殿方は、情が移りやすいと聞いています。
 そのためには、すぐにでも子を作るのが得策でしょう。
 ルイズ、貴方もすぐにサイトさんとの子供を作りなさい。
 そうすれば、サイトさんも元の世界に帰ることを諦めるでしょう。
 物の本には、「今日は大丈夫だから」と言うのが有効だと書いてありました」
「ここここ、子供ですって〜」

 さ、サイトとの子供。男の子と女の子一人ずつで、男の子がサイト似で、女の子はカトレア姉様似だと良いわ。私のように気が短くなく、素敵なレディーに育ってくれるの。でも弟のサイト似の男の子を、色々と世話を焼いてあげて……と、子供という言葉で、ルイズの頭の中では妄想が爆発した。そこまで考えたところで、ルイズは一つの難問に突き当たった。いったい、子供を作るにはどうしたらいいのだろうか。「結婚」すれば、サイトとの子供ができるのかしら? 今度帰ったとき、カトレア姉様に聞いてみましょう。
 おかしな方向で自己完結したルイズは、アンリエッタ同様にやりと口元を歪めていた。ただ引き留めるだけなら罪悪感があるが、子供ができてしまえば話は別となる。優しいサイトのことだから、きっと子供のために残ると言ってくれるだろう。

「では、姫様……」

 早速取りかかるのか。その意味を込めたルイズの呼びかけに、確かな決意を持ってアンリエッタは頷いた。

「もう、目の前の幸せを逃がすような真似は致しません。
 きっとシンジ様も、異世界で心細いに違いありません。
 ですから私が、今宵慰めて差し上げようと考えています」
「では、私は望郷の念に襲われたサイトを慰めましょう。
 サイトはすでに貴族になっています。父も母も、後から承諾を貰えば済むことですので」
「そのときは、私も必ず口添えいたしましょう」
「姫様!」
「ルイズ!!」

 一瞬で妥協点に達した二人は、同盟を確認するようにしっかりと抱き合った。



***



 エデン、パーガトリ、リリンの3界には、最高評議会を凌ぐ最高決定機関が存在していた。その存在を知る人々は、畏怖の念を込めて「碇家」とその機関を呼んでいた。本来碇家の長は、3界最高の勇者であるシンジが努めていたのだが、そのシンジが不在のため、妻筆頭であるアスカが代行することになった。

「私とシンジ様は、映画館「角座」を出た後、
 ホテル・ホワイトキャッスルに移動するため、空間跳躍を行いました。
 そして跳躍後、私はシンジ様を見失いました。
 おそらく、誰かがシンジ様の跳躍に干渉したものと思います」

 アスカを前に、第一目撃者のヒスイが状況を説明した。ちなみにそのときの出席者は、妻筆頭であるアスカに、第二位のコハク、第三位のヒスイに、第四位のスピネル、そして第六位のクレシアだった。第五位のエリカは、アメリカ大統領との会見をキャンセルし、碇家に向かっているところだった。

「その誰かの心当たりは?」
「一番疑わしそうなサードニクス様はシロでした。
 その他思いつく限り調べてみましたが、いずれも該当者はいませんでした」

 ちなみに真っ先に疑われたサードニクスは、未だにショックから抜け出せていなかった。その辺りの事情はコハクも同じだったが、シンジを見つけることを支えに、何とか頑張っているというのが現実だった。
 ヒスイの報告に頷いたアスカは、次と言ってコハクの報告を促した。

「あ、ああ、我の調査だが……」

 微妙にヒスイから顔をそらしながら、一応進展があったとコハクは答えた。

「シンジを拉致した者の痕跡を発見した。
 現在技術士を総動員して、痕跡の分析に当たらせておる」
「でかしたわ、コハク。
 その愚か者のしっぽを、けして逃さないようにしなさい!」
「当然だ!
 馬鹿者には、われが味わった屈辱の数々、それを倍にして味合わせてやろう!」

 相変わらずヒスイから顔を背けながら、コハクは口元を歪めて「ふふふ」と笑った。コハクがどんな屈辱を受けたのか、全員知っていたが、誰も口に出すことの出来ないものでもあった。

 ちょうどそのとき、遅れていたエリカが「悪い!」と言って駆け込んできた。

「遅いわよ、エリカ!」
「今帰られると、大統領選に負けるって引き留められたのよ。
 あんまりしつこいから、袋にたたんで帰ってきたの」

 それでと、聞けなかった分の報告をエリカは聞き返した。

「疑わしそうな奴は、全部ヒスイが締め上げたわ。
 その結果、シンジを拉致した該当者はなし。
 その代わり、コハクの方で拉致の痕跡を確認したわ」
「さすがはエデンの科学力ね!
 で、シンジクンの行き先は特定できたの?」

 そう言って自分の顔を見るエリカに、コハクはゆっくりと首を振った。

「そこまでは至っておらぬ。
 どういう了見か知らぬが、かなり外の世界に出て行っておる。
 従って、調査隊も派遣して、痕跡のトレースを継続しているところだ」
「つまり、計画的犯行ってこと?」
「おそらくそうであろうな……」

 全員が出そろったところで、アスカはこれからのことだとシンジ不在の影響を取り上げた。

「ヒスイが各方面を締め上げてくれたおかげで、当分五月蠅く行ってくる奴は居ないと思うわ。
 でも、時間が経てばその事情も変わってくるのよ。
 私たちがしなければいけないのは、すぐにでもシンジを連れ帰ること。
 そしてシンジを拉致した犯人に、生きているのを諦めたくなるほどの制裁を加えること。
 最後に、3界の秩序維持を図ることよ」

 それは良いかと尋ねられ、残りの全員はしっかりと頷いた。3界の秩序維持が最後に来るのには疑問が残るが、碇家の存在理由を考えれば納得のいく優先順位でもある。

「コハクは、引き続きシンジの航跡を追ってちょうだい。
 だけど、その航跡はカムフラージュの可能性もあるわ。
 そっちの方は、ヒスイとスピネルでつぶしてちょうだい。
 クレシアは、リリンの中でおかしな情報が無いかを調べて。
 エリカは、各国首脳を黙らせて!
 みんな、自分の役割を理解した?」

 もちろんと頷く妻達に、ならばとアスカは解散を告げた。一刻も早くシンジを見つけるため、会議などで時間を使っているわけにはいかないのだ。

「それからコハク、ルシファーには注意を払って。
 多分、シンジは初号機かルシファーを呼ぶかもしれないから」
「すでに、高性能のトレーサーを仕掛けてある。
 これならば、たとえ億の空間を重ねても、追いかけることが可能だぞ!」

 ナイスと親指を立て、アスカはいすに座り直した。必要な準備が整ったのだから、後は馬鹿者を追い詰めれば終わりだ。3界最高の英知を結集したのだから、捕捉するのは時間の問題だとアスカは考えていたのだ。



***



 前夜のアンリエッタとルイズの計略は、二人の顔を見る限り失敗に終わったようだった。はっきりと不満を顔に出したルイズもそうだが、立場上不満を隠す必要のあるアンリエッタからも、どろどろとした怨念に似た感情を読み取ることができたのだ。そして顔を合わせた二人は、昨夜の首尾を報告し合った。

「逃げられました……」
「軽く、あしらわれたわ」

 二人の言葉が確かなら、方法はそれぞれ違ったようである。ただお互いのパートナーの受けた被害は、それぞれで大きく異なっていたようだ。

「……酷い顔だね」
「ヒャイ、いつものことです……」

 顔に青丹を作ったサイトに、大変だったねとシンジはねぎらいの言葉を掛けた。同じ失敗でも、この辺りは力関係の差があったのである。とぼとぼと歩くサイトに、どうしてとシンジは疑問を投げかけた。

「彼女も、期待していたんだろう?
 だったら、どうして応えてあげなかったんだい?」

 それはと、顔を上げたサイトは、苦しそうに心の内を吐き出した。

「おれは、いつか元の世界に帰ろうと思っています。
 だからルイズを傷つける真似なんてできないんです」

 その割には、過去には色々とあったように思える。だがそのことは棚に上げ、サイトは今の気持ちを吐き出したのだった。

「置いていってしまうことになるからかな?」

 サイトはうんと頷き、

「俺はまだ、帰ることを諦めていませんから」

と答えた。そんなサイトに微笑み、シンジは自分も諦めてなどいないと答えた。

「試していないけど、色々と奥の手が残っているんだよ。
 多分コハク達が、色々と準備しているだろうから、
 それが整うだけの時間を待っていると言うのが正解かな?」
「帰れるんですか!!」

 昨夜とは違い、シンジは帰る方法が残っていると言ってくれたのだ。ぱっと光が差し込んだ気になったサイトは、嬉しそうに何度も頷いた。だが頷きながら、ふと疑問に感じることがあった。

「だから、碇さんも何もしなかったんですか?」

 ふと見かけた女王様は、体全体から「欲求不満です」と言う感情がにじみ出ていたのだ。「鬼畜な」英雄様だと言う気持ちがあっただけに、アンリエッタの様子にサイトは首を捻っていたのだ。

「ああ、女王様のことかな?
 確かに昨夜は忍んできたけど、疲れているからとお引き取り願ったよ」
「やっぱり、俺たちは別世界の人間だからですよね……」

 ルイズの誘惑を拒みはしたが、ルイズのことをサイトは大好きだった。シンジのように時間が短ければいいが、ずっ一緒に過ごしてきたサイトにとって、誘惑を拒むことも苦しいことだったのだ。だからご主人様の癇癪にも、大人しくなすがままになっていたのだ。だがシンジから返ってきた答えは、少しサイトの想像したものとは違っていた。

「僕の場合、そんなことは理由になっていないよ。
 僕は行きずりの女性に手を出すほど飢えてはいないし、
 都合の良い道具になるつもりもないんだよ。
 平賀君と彼女の関係は、そんなものではないんだろう?」

 シンジの問いかけに、サイトはしっかりと頷いた。この1年間一緒に暮らし、そして一緒に多くの困難を乗り越えてきた。色々とご主人様の良いところも悪いところも……悪いところの方が多い気もしないでもないが……見てきたとサイトは思っている。そしてその上で、サイトはご主人様のことが大好きだった。

「ルイズのことを好きだって言うのは本当です。
 でも好きだからこそ、無責任なことはできなくて……」

 そりゃあ、頭に血が上ってバカをしたことは何度もありますよ。でも今は、大切にしなくてはと思っているんです。と言うか、大切にしています。そこのところを、サイトは強く主張したかった。

「でもね平賀君、何もしないのも彼女を傷つけることにならないのかな?
 君が帰りたいと思っているのは、彼女だって知って居るんだろう。
 それを知った上で彼女は、君と一つになりたいと願ったのじゃないのかな?
 いつか別れが来ることを知りながら、それでも君との時間を大切にしたいんだろう。
 そんな彼女の願いを、君は冷たく撥ね付けるって言うのかな?」
「ルイズが、俺との時間を大切にしたい……」
「固い絆で結ばれた、主人と使い魔なんだろう……君たちは?」

 答えを求められた気がしたサイトは、「そうなのかもしれません」と自信のない答えを返した。

「でも俺は、そんなルイズを残してでも帰りたいと考えているんですよ。
 碇さんから帰れそうだなんて聞いたら、余計に何もできなくなっちゃうじゃないですか……」
「帰ったら、二度と逢うことが出来なくなるから?」
「ルイズも、二度と俺を召還しようなんて考えないと思います」

 サイトの答えを聞いたシンジは、だったらと新しい事実を持ち出した。

「自由に行き来できるんだったら、その考えは変わるのかな?」
「……今、なんて言いました?」

 予想外の言葉は、サイトの中ではっきりとした形にならなかった。「自由に行き来」と聞こえた気もしたのだが、それが可能だとは思えなかったのだ。と言うか、そんなことを考えたこともなかった。

「向こうから、僕のことを迎えに来るんだよ。
 つまり、二つの世界の間に道ができることになるんだ。
 自由というのは言い過ぎかもしれないけど、今生の別れになる訳じゃないんだよ」
「……本当ですか?」

 もしもそれが本当なら、どれだけ素敵なことだろうか。残してきた母さんにも会えるし、ルイズを見捨てなくても済むと言うことなのだ。だったらルイズの誘惑に、我慢する理由もなくなる。もっとも、考えてみれば先に進めないのは自分だけが理由ではないのだが。
 シンジの言葉に喜んだサイトだったが、もしかしたら担がれているのかもしれないという不安が頭をよぎった。いくら非常識な英雄様の言葉とはいえ、その英雄様にしても拉致られた結果がこれなのだ。だとしたら、帰れるという保証ですら怪しくないのだろうか。

「でも、もしも帰れなかったら……」
「だったら、もっと悩む理由が無くなるんじゃないのかな?
 僕たちは、一生この世界で生きていくしか無くなるんだからね。
 そしてもしも帰れたときは、二つの世界の間に道ができるんだよ」

 これでも悩むことがあるのかいと、シンジは優しい眼差しをサイトに向けた。お互いが相手のことを大切に思い、一緒にいたいと考えているのなら、いくらでも解決策は出てくるというものだ。相手のためと偽って我慢するのは、その中で最悪に近い答えに違いない。
 人に言われたから、はいそうですかと割り切れるような問題ではないことぐらい、短い時間でもシンジにも理解できた。だからシンジは、これ以上ルイズとの関係を口にしないようにした。サイトの顔を見れば、これ以上の言葉が必要ないのが分かるのだ。

(君は、良い出会いをしたんだね)

 彼らが幸せになる手伝いなら、少しぐらいしても良いだろうとシンジは考えたのだった。



 トリスティンに現れたシンジのことは、意外なほど他国に伝わっていなかった。まあ、一人召還された平民が、素手で王国の騎士達を壊滅させたなどと聞かされれば、常識を持った者達ならば、すぐに眉唾だと考えてしまうだろう。トリスティン自体、大国というわけではないが、そこには伝説の虚無とガンダールフが居るという噂も伝わっているのだ。その伝説ごと敗北したと言われれば、よほどのバカでも大言壮語、絵空事と考えるだろう。さしもの「無能王」にしても、その噂を一笑に付したほどだったのだ。

「アンリエッタ女王が、サモンサーバントの儀式を行ったのは間違いないようです」

 どこからか現れた女性は、フードを被ったまま無能王ことジョゼフに深々と頭を下げた。

「おお、余のミューズか。
 おそらく、小娘に権威付けをしようとでも考えたのであろう。
 愚かしくも滑稽なことではないか。
 余の兄弟(虚無)すら敵わぬ英雄を使役したと言うのは、笑い話にすらならないものだ」

 憤慨したようにまくし立てるジョゼフに、ミューズと呼ばれた女性は大きく頷いた。

「ジョゼフ様のお力は、始祖ブリミルの力を受け継いだものです。
 あの小娘にしても、同じ虚無の力を持っているのです。
 その力を超える力を得たなどと嘯くのは、ジョゼフ様への冒涜かと思います」

 怒っているのだろうか、ミューズの口調はいつもに比べてきつかった。それを感じ取ったジョゼフは、

「余のミューズよ、お前は余の代わりに怒ってくれているのか。
 だがミューズよ、お前はもっと大きなことのために怒らなければならぬのだ。
 何しろあの小娘は、ハルケギニアの王族としてはいけないことをしてしまった。
 よりにもよって、始祖ブリミルの力を愚弄してくれたのだ。
 これには、ロマリアの教皇もお嘆きのことだろう。
 何しろ一国の女王たる者が、始祖を愚弄してくれたのだからな」
「では、正義の鉄槌を下すことにいたしましょう」

 そう言って頭を下げたミューズに、ジョゼフは満足そうに頷いて見せた。そして鎧(ヨルムガント)を使えと、彼女に命じた。

「いかほど連れて参りましょう?」
「余の兄弟(虚無)は、1体ならば倒すことができたのだったな。
 ならば今度は、もう1体連れて行ってやれ。
 噂の真偽を確かめる必要があるし、もしも偽りならば相応の罰を与えなければならぬのでな」
「数も揃って参りました故、実戦のテストにはちょうど良いかと……」

 深々と頭を下げたミューズは、かき消すようにその場から消え失せた。口元を歪めて見送ったジョゼフは、

「2体ぐらい倒して貰わねば、後の楽しみがなくなるというものだ。
 余の兄弟(虚無)は、どのような戦いをしてくれるのだろうな」

と呟いた。もとから、噂など信じてはいないジョゼフは、ルイズ達にちょっかいを掛ける口実を求めていただけだった。彼らが、友情と努力で勝利を勝ち取ったと喜ぶところを、横から滑稽だと笑うために。

「余の兄弟(虚無)は、この退屈な余をどこまで楽しませてくれるのか……」

 ジョゼフは、坊主達が騒ぐほど聖地に対して興味を持っていなかった。もともとこの世界、信教に対する貢献など、少しも考えてなどいなかったのだ。予想外に与えられた力にしても、退屈を紛らわすための道具にしか過ぎなかった。人の命が掛かる戦争にしても、ボードの上のゲームと何ら変わらない。ただ退屈を紛らわすのに、適当な遊びだったと言うだけだ。



 臣民に対するお披露目は、シンジの希望に添う形で行われた。もともと派手なことの嫌いなシンジなのだから、「地味に」「目立たず」「特別なことにしない」こととアンリエッタに注文を付けたのだ。そのためシンジのことも、「使い魔に召還された平民」とすることで決着がついていた。そのため昨日の出来事も、魔法の暴発という、首を捻りたくなる理由がこじつけられた。そして居もしない犯人がでっち上げられ、処刑されたことにまでなっていた。
 一人になりたいと周りに主張したアンリエッタは、使い魔のシンジを連れて自室に戻ってしまった。いかがなものかとと言う忠言には、

「使い魔は、主人と一心同体なのです」

と言う建前を通して、「だから、一人なのです」と無理を押し通してしまった。

 ようやく実現した二人きりの状況に、アンリエッタは最初に女王としての顔をシンジに見せた。当然その後には、女の顔が続くのだが、いきなりではまた逃げられてしまうと考えたのだ。その辺り、アンリエッタも知恵を働かせたと言うところなのだが……

「シンジ様、我が国の民達はいかがでしょうか?」

 そうですねと考えたシンジは、トリスティン国民への心にもない賛辞を送った。

「皆純朴で裏表が無く、ご主人様のことを敬愛しています。
 とても働き者で、得難い民では無いでしょうか」

 褒め殺しとか、バカにしているとしか思えないシンジの答えに、アンリエッタは少し顔を引きつらせた。

「まさか、シンジ様の口から、そのような嘘で固めた言葉が聞けるとは思いませんでした」
「僕は、王女様の望んだ答えを口にしただけだと思っていますよ。
 それとも、王女様がご存じのことを繰り返すのがお好みですか?」
「では私が知っているというのは、どういうことを言っているのですか?」

 むっとしたアンリエッタは、少し挑戦的な口調でシンジに問い返した。

「純朴さは残っていますし、女王様への尊敬も少しはあるでしょう。
 ただどこにでも居る普通の民達で、特に働き者とか、正直者とか言うことはないと思います。
 そして女王様に対しては、尊敬以上に冷ややかに見ているところがあります。
 今回のお披露目にしても、愚かな女王の遊びとしか見ていません。
 サイト君に似た僕を連れていることで、また悪い遊びをしていると思われているのではないですか?」

 シンジの言葉に、アンリエッタははっきりと顔を歪めた。民達に小馬鹿にされていることは自覚していたが、シンジの言葉はそれ以上に辛辣だったのだ。

「戦争に勝ったことで、一時的な気分の高揚はあったのでしょう。
 ですが、そんなものは現実の前に長続きするものではありません。
 この国の現実は、大切な人を亡くし、戦いに疲れ、それでも何とか頑張っているというものです。
 女王の遊びに付き合っていられないというのが、民達の心の声でしょうね」
「私の、遊びだと仰有るのですか……」
「新しいおもちゃを手に入れて喜んでいれば、そう言われても仕方がないと思いませんか?」
「私はっ!」

 あまりにも失礼な言いように、アンリエッタは珍しく声を荒げた。

「シンジ様のことを、おもちゃだなどと考えていません!」
「では、寂しさを紛らわせるための都合の良い道具ですか?
 だったら、昨夜女王様の望んだことをしてあげることもできますよ。
 それなら、帰るときに罪悪感を感じなくても済みますからね」
「私は、そんなことを思ってはいません……
 えっ、帰るとき? 帰る方法が分かっているのですか?」
「方法は分かっていますよ。
 ただ帰り道がまだ分かっていないだけのことです。
 残してきた妻達が調べているはずですので、そんなに待たなくても大丈夫だと思っています」

 顔を青くしたアンリエッタに、そうそうとシンジは手を叩いた。

「そのときは、サイト君も連れて帰りますよ。
 彼は、元々この国の人間じゃない。
 ただ彼のご主人様が望んだら、一緒に連れて帰って上げても良いですけどね」
「ルイズが、私を捨てていなくなるはずがありません。
 そしてサイトさんも、ルイズを見捨てることはあり得ません」

 そう口にしたアンリエッタだったが、それがどれだけ都合の良い言葉であるかを思い知らされていた。生まれ故郷に帰ることができるという誘惑は、ルイズとの関係よりも強いものかもしれないのだ。もしも二人の心が、もっと強く結びついているのなら、ルイズは自分を見捨ててサイトについて行ってしまうだろう。その方が、戦いに明け暮れ、命を狙われるこの国にいるのよりも幸せなことなのだから。

「自分でも、言い切れる自信はないのでしょう?」

 突きつけられた事実に、アンリエッタはうちひしがれ、そして力なく頷いた。

「仰有るとおり、私は一人だと思います。
 あるのは王という肩書きだけで、皆が跪くのはその肩書きに対してだけなのです。
 私自身は、皆に慕われるようなことをしておりません」

 アンリエッタから懺悔の言葉が吐き出されたとき、シンジはちらりと窓際のカーテンを見た。不自然に盛り上がったカーテンは、風もないのにゆらゆらと揺れていた。そしてカーテンの反対側に目を転じると、立派な調度品の陰に人の気配がしている。カーテンの陰からは怒りが、そして調度品の陰からは殺気を感じることができた。
 少なくとも、二人は女王ではないアンリエッタことのことを本気で心配している。そして彼女をいじめる自分に、本気で怒ってくれているのだ。敵う敵わないに関係なく、これ以上自分が女王を侮辱したのなら、“彼女達”は命がけで挑んでくるだろう。

「女王様自身が、慕われることはないと思っているんですね?」

 ゆっくりと確認したシンジに、アンリエッタは苦しそうに頷いた。そして、

「私には、そのような価値はありません」

とはっきり言い切った。その言葉を合図にしたように、カーテンと調度品(後から聞いたところ、巨大な壺と言うことだった)から、二つの影が飛び出してきた。一人は剣で突くように、そしてもう一人は体ごとシンジにぶつかってきた。シンジは剣先を蹴飛ばして跳ね上げると、二人の突進を体で受け止めた。幸い二人とも体が軽かったので、受け止めること自体は大したことではなかった。

「ルイズ、それにアニエス!!」

 どうしてと言いかけたアンリエッタを手で制し、シンジはカーテンに視線を向けた。そして、

「君は来ないのか?」

とそこに居るであろうサイトに問いかけた。
 シンジの呼びかけに答えるように、デルフリンガーを構えたサイトが現れた。そしてサイトは、なぜだと逆にシンジに問いかけた。

「まあ、これだけ殺気を振りまいてくれれば、嫌でも気づくってものだよ」
「そうじゃなくて、どうして姫様にあんな酷いことを言ったんです!
 碇さんは、理由もなくそんなことを言う人じゃないと思っています……
 そう、信じたいんです。だから、理由を教えてください」

 剣を構えたままのサイトに、それは脅しなのかとシンジは聞き返した。

「お、俺は、そんなつもりはないけど……」

 気まずさからほんの少しだけ視線をそらした瞬間、シンジの体がぶれたように二重になって消えた。そして次にシンジが現れたとき、サイトは剣を構えたまま床に崩れ落ちた。

「サイトから離れなさい!!」

 自失しかけたルイズだったが、すぐに気を取り直すと魔法の杖をシンジへと向けようとした。今日も役に立たないのかもしれないけれど、ルイズにはこれしか残されていなかったのだ。だが杖を出そうとしたルイズに、「止めろ」とシンジが命令した。

「武器を向けると言うことは、負ければ殺されることを意味しているんだよ。
 次は誰にも手加減はしない、呪文を唱える前に殺して上げるよ。
 銃騎士隊長、君も同じだからね」

 視線も向けず、シンジは言葉だけでアニエスの行動を縛った。

「死にたくなかったら、杖から手を放すんだ。
 サイト君のご主人様だから、僕としては手荒なことをしたくないんだよ」

 さあと促されても、ルイズは杖から手を放さなかった。いや、恐怖で手を放すことができなくなっていた。

「僕は、ちゃんと忠告したからね」

 そう言ってシンジは、一歩だけルイズの方へ踏み出した。その迫力に恐怖したルイズは、重い空気に押されるように、その場に尻餅をついた。そしてその反動で、杖を引き抜いてしまっていた。

「止めろって、忠告したのに……」

 尻餅をついた反動で、短いスカートはまくれ上がっていた。そこに見える白い下着は、失禁でもしたのかぐっしょりと濡れて透き通っていた。もう一歩ルイズに近づいたとき、その間にアンリエッタが割り込んできた。
 両手を広げて立ち塞がったアンリエッタは、震えながら責任なら自分にあるとシンジに言った。そして自分は、民を守る義務があるのだと。

「こ、この者達を傷つけることを私は許しません。どうしてもというのなら、まず私を殺してからになさい!」

 身を捨てて自分たちをかばったアンリエッタの姿に、アニエスは再び剣を取った。そして、

「アンリエッタ様を殺させはしない!」

 と叫んで、再びシンジに斬りかかってきた。今まで以上に鋭い踏み込みだったが、残念なことにシンジを捉えることはできなかった。結局シンジに剣を取り上げられ、アニエスは後ろ手に捕まえられてしまった。

「アンリエッタ女王、この二人は貴方のために命がけで挑んできたんですよ。
 昨日のことで、僕には勝てないことが分かっていたのに。
 それが、どういうことか分かりますか?」
「私のために……でしょうか?」

 そうですとシンジは頷いた。

「貴方のことを大切に思っている人が、少なくとも二人いると言うことですよ。
 この二人のためにも、「価値がない」などと言ってはいけません。
 それから、僕に媚びるのもよくありません。
 そんなことをすると、この国の人の自尊心が損なわれ、
 その結果、貴方のことを人々がバカにすることになるんです」

 アニエスを解放したシンジは、ゆっくりと気絶しているサイトに近づいた。そしてサイトの体を起こすと、柔道で行う気付をしてサイトを起こした。

「あれっ、お、俺、気絶していたんですか?」

 頭を振って立ち上がったサイトに、ごめんとシンジは謝った。そして尻餅をついたままのルイズを指さし、後のことは頼むと頭を下げた。

「後のことって……」

 指を指された先を見たサイトは、そう言うことですかとがっくりと頭を垂れた。誇り高いルイズが、お漏らしまでしているのだ。この後ご機嫌を取るのは、並大抵の苦労では済まないだろう。

「……勘弁してくださいよ」
「君が弱いからいけないんだよ」

 伝説のガンダールフが弱いというのはどうかと思うが、敢えなく気絶させられたのだから反論は難しいだろう。これが負けた罰かと、サイトはせつなくなりながら後始末という名の罰を受け入れることにした。と言うか、今のサイトにシンジに抵抗できるはずがなかったのだ。
 化け物だよ……多分、アルビオンの兵士達も同じことをサイトに感じただろう。どう頑張っても手も足も出ない相手に、恐怖を通り越して尊敬の念さえサイトは抱いていた。



***



 痕跡を捕まえた以上、自分から逃げ切れるはずはないとコハクは考えていた。何しろエデンは、3界で一の技術力を誇り、そしてその技術はすべて自分の自由になるところにあったのだ。どこかでおかしな研究をしていたとしても、絶対にしっぽが捕まらないはずなど無かったのだ。
 だがコハクは、技術士からあげられた報告に、自分の耳を疑うことになってしまった。痕跡を途中まで追跡したところで、完全にロストしてしまったというのだ。だが単にロストしただけであれば、敵の手際を褒めて終わっていただろう。だが事件は、そんなに簡単なものではなかったのである。

「それでコハク、途中経過を教えてくれる?」

 シンジの拉致から三日後、報告したいことがあるというコハクの言葉に従って、碇家の全員が集合した。さすがに緊急体勢をとっているだけに、今度は誰一人として欠けていなかった。

「うむ、ここまでの追跡調査の結果なのだが……」

 三日経っても、コハクはヒスイと目を合わすことができなかった。そのため、微妙に首をねじって、良くない状況なのだと言葉を続けた。

「まずは、落ち着いてわれの報告すべてを聞いて欲しい。
 シンジを拉致した者の痕跡を追跡し、1万を超える空間をトレースした。
 この事件が起こる前までに、我らが調査した空間はおよそ1千なのだ。
 これだけでも、一桁違っておるのだが、話はそんなに簡単ではないのだ」
「つまり、直線で1万と、立体で千の違いがあるってことでしょう?」

 的確なアスカの指摘に、その通りとコハクは頷いた。

「たとえてみれば、月軌道しか行ったことのない物が、
 いきなり木星あたりまで行ってしまったことになる。
 だがそこまで追いかけたところで、シンジの痕跡をロストしたのだ」

 ロストしたという報告は、とても重く全員に受け止められた。そしてもう一つ、シンジが連れ去られた空間の遠さもまた、絶望的な状況として全員が認識した。

「それだけ広くなると、闇雲に探すわけにもいかなくなるわね」
「うむ、すでに候補となる空間は星の数ほど多くなっておる。
 しらみつぶしに捜索していては、太陽系が無くなっても終わらないだろう」
「つまりコハク様、打つ手がないと言われるのですね?」

 けしてヒスイは責めているわけではないのだが、低く沈んだ、「迫力」のある声を聞かされると、コハクのトラウマを刺激してしまう。いすに座っていたコハクは、膝ががくがくと震えだしているのに気がついた。多分鏡を見れば、顔からは血の気が引いているのだろう。
 そんなコハクの様子にため息を吐き、アスカは考えられる可能性を口にした。

「これで、3界の誰かが犯人だという可能性は消えた訳ね。
 そうなると、この世界には、まだ他に人類が存在していると言うことになるわ。
 シンジのことが絡んでいなければ、画期的な発見と喜ぶところね」
「するとアスカ様、その者達はエデンを超える科学力を持っていることになりますね」
「本当に、シンジを狙ったのならそうなるでしょうね。
 今のところ、それを判断するだけの物証に欠けているわ」

 それからと、アスカはさらに相手の分析を行った。

「もしも相手が、優れた科学を誇っているとしたら、
 シンジを拉致する必要性に乏しいと考えられるのよ。
 って言うか、次のアクションが無い理由が考えられないといった方が良いかしら?
 考えても見てよ、そこらにいる一般人と違って、シンジを拉致すると目立ちすぎるのよ。
 自分たちの存在を誇示するためならいざ知らず、そうでなければもっと隠れてるのが普通でしょう?
 色々とあたし達を警戒させることになるし、これから動きにくくなると考えない?
 そしてそんなことを考え無くても良いほど優位に立っているのなら、
 敢えてシンジなんて拉致する必要が無いのよ」
「つまりアスカは、シンジが攫われたのは偶然だというのか?」

 その推測から導き出される結果に、アスカはうんと頷いた。

「何かの手違いとか事故とかを考えた方が正解に近そうね。
 ただそうなると問題なのは、その方がシンジの行方を捜しにくいってことよ。
 コハクのところで見失ったってことは、今のところ手がかりがないってことでしょう?
 新たな動きがない限り、あたし達には何もできることがないのよ」
「つまり、私たちは待たなければならないと言うことですね?」

 落胆の色を濃くしたヒスイに、そう言うことになるとアスカは答えた。

「ただ、何もしないで待っているわけにはいかないわ。
 シンジの働きかけがあるとしたら、初号機とかルシファーだもの。
 その監視や、トレーサーの準備は必要だわ。
 それに、シンジが帰ってきたときのことも考えなくちゃだめよ。
 また3界が荒れていたら、疲れて帰ってくるシンジに悪いでしょう」
「その点の締め付けは、ちゃんと手を打っております」

 まず最初に、クレシアがリリンの状況を口にした。クレシアは、エリカの顔を見て手抜かりがないと説明したのだ。

「最高評議会は、われが黙らせておる。
 それにサードニクス様も、今はちょっかいを出す気力はないであろう」
「兄たちは、とても協力的です。
 必要ならば、いつでも機動兵器を派遣すると申しておりました」
「だったら、後はシンジを探し出して連れて帰ってくるだけね。
 じゃあ、今日の場は解散するわ。
 各自新しい動きがあったら、すぐに知らせること」

 良いわねと、確認して。アスカは、仲間の妻達を解放したのだった。



***



 アンリエッタにルイズ、それにアニエス、サイトからトリスティンやハルケギニアのことを教えられたシンジは、困ったなと考え込んでしまった。事情を知れば知るほど、自分が現れたのは余計なことに思えてしまうのだ。女王様達の抱えている問題のほとんどは、ルシファーを呼び寄せるだけで解決できてしまうだろう。ハルケギニア内の戦争にしても、ルシファーの持つ圧倒的火力を用いさえすれば、数日で簡単に片が付いてしまうのだ。それに問題となっている聖地を巡るエルフとの戦いにしても、相手を壊滅させるのは難しくはないだろう。それは、子供の騎馬戦の中に、戦車で乗り込むのと同じことなのだ。だからシンジは、

「僕は、できるだけ争いに関わりたくない」

と、自分の考えをはっきりと口にした。

「しかし、シンジ様のお力があれば、我が国の民達は争いから解放されることになります
 教皇様が仰有るには、
 聖地を目指すことでハルケギニアでの身内の戦いは無くすことができるとのことです。
 シンジ様が先頭に立てば、エルフ達も戦う愚かしさを知るのではありませんか?」

その結果、戦いを回避することができるとアンリエッタは主張したのだった。

「平賀君、君もその考えには賛成なのかい?」
「お、俺っすか? 俺は、そんなこと考えたこともなかった……
 ただ、ルイズを守ることが精一杯で……」
「じゃあミス・ヴァリエール。
 貴方は、女王様の考えに賛成かな?」
「あ、あたしは……」

 そう言われて、ルイズは聖地を目指す意味を考えた。
 小さな頃から、始祖ブリミルの偉大さは刷り込み続けられてきた。英雄として君臨し、多くの大地を解放していったと聞かされたのだ。そのブリミルが亡くなってから、東の聖地はエルフに不当にも奪われたと教えられた。だからハルケギニアの王達は、何とかして聖地を取り戻そうと何度も聖戦を続けているのだと。しかし、その意味となると更に難しくなってくる。

「ミス・ヴァリエールは、エルフが恐ろしいと思っているかい?」

 答えが返ってこないので、シンジは考えをまとめるための助言をした。

「はい、とても恐ろしいと思っています。
 彼らの使う先住魔法は、私たちの使う魔法よりもずっと強力です」
「でも君たちは、そんな恐ろしい、敵わない相手に挑み続けているんだろう?」
「それは、奪われた聖地を取り返すと言う私たちの義務のためです!」

 それを考えれば、女王様の言っていることは正しいのだとルイズは思った。虚無の力だけでは不安だったが、それを超える力を得たのだから、義務を果たすことができるのだと。しかも聖地を奪還すれば、サイトを故郷に帰してあげることができるのかもしれない。それなら、考えるまでもないじゃないとルイズは思った。

「私は、姫様の考えに賛成です!」

 堂々と胸を張って答えるルイズに、サイトは少し誇らしい気持ちになっていた。そして誇りを失っていないルイズに、少し安堵も感じていたりする。自分のご主人様は、少しぐらいお漏らしをしたぐらいではへこたれないのだと。
 だが女王様達の話を聞いているうちに、銃騎士隊長のアニエスは、戦いの意味自体に疑問を感じ始めていた。それは、シンジがエルフの恐怖をあおり立てたことで、彼女の中ではっきりとした違和感に育っていた。自分たちは、エルフが恐ろしいと感じているにも関わらず、戦いを止めようとしていないではないか。ならばいくら大きな力を得たとしても、本当にエルフを従えることができるのだろうか。“滅ぼしてしまえば”、後のことを考える必要もなくなるのだろう。だがそこまでする権利が、今の自分たちにあるとは思えない。

「ではアニエスさん、貴方の思ったことを言ってくれませんか?」

 まるでアニエスの葛藤を知っていたかのように、シンジは突然彼女に声を掛けた。驚いたアニエスは、

「アンリエッタ様のお言葉が、私の意見となります」

と、とっさに答えを返した。それが女王に仕える騎士としての務め、シュバリエとしての貴族の務めなのだと心の中で言い訳をしていた。
 なるほどと頷いたシンジは、少し厳しい視線をアンリエッタに向けた。そして、トリスティンの問題が分かった気がすると告げた。

「この国では、正しいと思ったことも口にできないんだね。
 女王を守ろうという気持ちは分かるけど、必ずしもいつも言っていることが正しいとは限らないんだよ。
 アンリエッタ女王、ここにいるのは、貴方にとって、もっとも信頼のおける部下なんですよね?」
「私の、大切なお友達だと思っています!」

 はっきりと言い切ったアンリエッタの言葉に、シンジはもう一度アニエスを見た。そして、もう一度どう思うかを聞き直した。
 もう一度聞かれたアニエスは、シンジから視線をそらした。サイトの目から見ても、アニエスが迷っているのははっきりと分かった。つまり、先ほどの答えはアニエスの思いとは別のところから出ていることになる。迷いに迷ったアニエスは、もう一度シンジの顔色を伺った。そして見抜かれているのかと諦め、小さなため息を吐いたのだった。

「力だけでは、戦いを終わらせることはできないと思います。
 聖地が彼らにとっても大切な地なら、いつかまた戦いの理由となることでしょう。
 碇様の力、ミス・ヴァリエールの力、いずれもいつかは失われる物です。
 始祖ブリミルの力が失われたときと同じく、
 そのとき聖地は、エルフの手に落ちることになるでしょう」

 そしてアニエスの言葉を引き継ぎ、シンジは恐ろしい方法を口にした。

「エルフを、最後の一人まで殺し尽くせば、二度と戦いが起こることはなくなりますね。
 貴方は、そこまで考えて力を使おうと考えているんですか?」
「私は……っ」

 絶対に逃げることは許さない。そう訴えるシンジの眼差しに、アンリエッタは正面から対峙した。力を持って戦いを終わらせる意味、それを考えろと言う問いかけを与えられたのだとアンリエッタは理解した。

「私の願いは、ただ争いごとのない世界であって欲しいということだけです」
「だけど、エルフを滅ぼしても戦争は無くなりませんよ。
 貴方は肝心なことを見落としているし、教皇はそれを敢えて隠している」
「教皇聖下がですか?」

 驚いたアンリエッタに向かって、一番質が悪いとシンジは言い切った。

「もしも聖地を奪還できたとして、
 その後あなたたちハルケギニアの王国は仲良くすることができますか?
 誰の手柄か、聖地は誰の者か、必ず報償を争うことになりませんか?
 もしも僕の力を使ったのなら、貴方はトリスティンの手柄だと主張することができるでしょう。
 多分、他の王達は渋々それに従うのでしょうね。
 しかし嫉妬というか、そのことは必ず不満の種を捲きます。
 そうなると、今度はハルケギニアの王国同志で戦争をすることになるんですよ」
「私が、報償を求めなければ良いのではありませんか?」
「貴方の立場で、それが許されますか?
 一番役に立ったトリスティンが、何の見返りも得ることができない。
 そうなれば、この国の貴族達は貴方の弱腰を責めることになりませんか?
 それは、トリスティンの中での争いごとを招くことになりませんか?」

 それからと、シンジはもっと危険なことを口にした。

「そしてそうなると、一番最初に狙われるのはこの僕でしょうね。
 いくら僕でも、すべての食べ物に気を遣うこと何てできませんよ。
 毒殺するつもりになれば、できないことじゃないってことです。
 必ず僕の力を疎ましく思う人たちがいることでしょう。
 そうなれば、誰かにそそのかされれば、
 そうですね、トリスティンの国王にしてやるとか、使い切れないほどのお金を与えるとか。
 貴方が我慢すれば、そう言う誘惑に掛かりやすくなる」
「でしたら、私はどうすればいいのでしょうか?」

 答えを求めるアンリエッタに、それが難しいのだとシンジは答えた。

「平賀君も、今のハルケギニアがどういう状態か分かるだろう?
 ちょうど僕たちの世界の十字軍のことを思い出せば良いんだよ」
「すんません、俺、高校の途中でこっちに来ちゃったんです。
 それに、世界史は得意じゃなくて……」

 申し訳ないと頭を掻くサイトに、難しいことを聞いていないのにとシンジは呆れた。

「十字軍を派遣したのは、西欧のキリスト教徒。
 そして十字軍に狙われたのは、聖地エルサレム。
 つまりその戦いの相手は、イスラム教徒なんだよ。
 キリスト教徒から見れば、十字軍は正義なのかもしれないけど、
 イスラム教徒から見れば十字軍は侵略者なんだ。
 その程度の理解でも、僕が何を言いたいのか分かるだろう?」

 そしてその後の歴史を見れば、いかに多くの戦いが行われたのかを知ることができるのだ。ハルケギニアが同じ道を辿るとは言い切れないが、確かに自分たちの歴史をなぞりそうな兆候はそこかしこにある。そして10世紀も前に行われた十字軍の遠征は、未だにイスラム教徒からは「悪」として嫌われているのだ。

「……やっぱり、俺には難しすぎて分かりません」

 シンジの言いたいことはそれなりに理解できたが、それを纏まった言葉で説明する力をサイトは持っていなかった。もっとまじめに授業を受ければ良かったと後悔しても、もう完全に手遅れなのだが。

「正直言えば、僕にだって難しいよ。
 それぐらい戦争の原因は、数限りなく転がっているってことだよ。
 そして人の意識が変わらない限り、結果的に戦争になだれ込むことも往々にしてあるんだ。
 結局、最後は力で従えれば良いんだってね」
「シンジ様でも、どうにもならないと言われるのですか?」
「力ではなく、誠意、言葉で相手にぶつからなくてはいけないんですけどね……
 この国、ハルケギニアの中でもそれは難しいのではありませんか?
 どこから来たのか分からない異教徒の言葉より、教皇の言葉の方が人々に重く受け止められませんか?
 それに、僕の言葉は彼らの信仰を否定することになります。
 それを我慢できるほど、貴方たちが成熟しているとはとても思えない」
「ですが、教皇聖下とお話しすることはできると思います。
 あのお方を味方に付ければ、ハルケギニアの王達も碇様の言葉に耳を傾けるのではないでしょうか?」
「女王様は、どうやって僕を教皇に会わせるおつもりですか?
 異教徒と話をさせるのですから、非常に大きな大義名分が必要となります。
 下手をすれば、邪教と手を結んだと言って、トリスティンが攻められる理由にもなるのですよ。
 僕が関わりたくないという理由を分かって貰えますか?」

 教皇の立場は、諸国の王よりも上に存在している。その教皇に向かって、異教徒の話を聞いて欲しいと頼むことが、どれだけ危険なことなのか。シンジに指摘され、アンリエッタはその困難さを理解した。そしてその難しさは、二人を引き合わせた後にも残ってくる。唯一単純な結末は、シンジが教皇に帰依することだろう。だがその可能性は、話を聞いている限りあり得ないように思える。すると考えられるのが、二人の話が決定的に物別れに終わることと、教皇がシンジの言葉に耳を傾け、これまでの方針を変えることだろう。いずれにしても、それは新たな戦争の種を捲くことになる。物別れに終われば、異教徒を引き合わせた自分への責任追及、そして教皇が考えを変えた場合には、異教徒が怪しげな術を使って教皇を操ったという疑いを掛けられて……

「だけど、碇さんは関わってしまいましたよね?」

 それを考えれば、何もしないという答えは無いはずだ。そう言ったサイトに、確かにそうだとシンジは頷いた。どんな理由があったにしても、シンジはすでにトリスティンに関わってしまっている。今更いなかったことにはできないし、それでは何の解決にもなっていないのだ。

「平賀君の言うとおり、僕はもう関わってしまったんだよね。
 だから、何もしないって訳にはいかないとは思っているよ。
 でも、何かをするにしても、準備ってものが必要だと思わないか?」
「それはそうですけど……」

 準備不足は、遠足だって上手くいかないものである。準備が必要というシンジの言葉に理解できても、だったらどんな準備が必要かまではサイトには分からなかった。だから、どんな準備が必要なのかという質問になるのだが、

「内緒!」

とシンジにかわされてしまった。見た目に似合わない可愛らしポーズ……頬に人差し指を当てたりするものだから、鏡を見ろとサイトは言いたくなった。それは絶対に可愛いではなく、不気味と言うのだと強く主張したいのだ。
 そんな不満を感じているサイトに構わず、シンジはアンリエッタに自由にする許しを貰うことにした。

「準備が整うまで、僕は何もしないことにします。
 ただ何もしないと言っても、女王様の安全は守りますし、降りかかる火の粉は払いのけます」
「私の安全は守ってくださるのですね?」
「それが、お世話になっている使い魔の役目でしょうから」
「できれば、この国の安全も守っていただきたいのですけど……」

 助けを求める様な眼差しを向けられ、困ったなぁとシンジは頭を掻いた。

「そのことは、しばらくの間平賀君に任せようと思っているんですけどね。
 ただ、手に負えないことが起きたら、手伝うことは吝かじゃありませんよ」
「でしたら、自由にする許可を与えることにします。
 しかし、何の制約も付けないというわけには参りませんので、
 夜には私の部屋に帰ってくることを条件とします」
「じょ、女王様の部屋にですか……」
「サイトさんも、ルイズの部屋で寝起きしているのですよ。
 洗い物をしろなどとは言いませんので、それぐらいは受け入れて欲しいのですが?」
「平賀君は、洗い物をしているの?」

 本当と好奇の目を向けられ、サイトは小さくなって頷いた。

「ほ、本当です……」
「君は、ずいぶんと忍耐力があったんだねぇ〜」
「幻想なんて、いきなりぶち壊されましたから……あれは、単なる布なんです」

 忍耐力の意味を、サイトは正しく理解したようだった。そんなサイトの答えに、分かる分かるとシンジは大きく頷いた。

「ところでミス・ヴァリエール。しばらく、サイト君をお借りしたいのですが?」
「姫様の使い魔の頼みなら、聞かないことも無いんだけど……
 貸したら、どうするって言うのよ?」

 未だにシンジに対して気後れしているルイズは、負けるものかと精一杯シンジを睨み付けた。今更サイトに何かをするとは思えないのだが、同じ故郷を持つ者同士、どんな話をするのかが気になってならないのだ。それに、どさくさ紛れにサイトを連れて帰ると聞いた気がしないでもないのだ。
 だがルイズに睨まれたシンジは、心配する必要はないと笑って見せた。そして、

「街を案内して欲しいのですよ」

とサイトを連れ出す理由を説明した。

「馬車なんかで回っていたら、どんな街なのか分からないじゃないですか。
 サイト君なら、この辺りのことをよく知っているんでしょう。
 同郷のよしみで、案内して欲しいなってだけですよ」
「……本当に、それだけなのね?」
「いきなり、連れて帰ったりはしませんよ。
 そのときには、ミス・ヴァリエールにも付いてこないかってお誘いしますから」
「あ、あたしが、サイトについて……
 ばばばば、バカなことをいってんじゃないわよ!!
 どうして貴族のあたしが、犬の後をついて行かなくちゃいけないのよ!!
 かかかか、勘違いしないでよね、ああああ、あたしは、飼い犬を大事にしているだけなんだからね!!」

 真っ赤になったルイズに優しい眼差しを向け、シンジは街に出ようかとサイトを呼び寄せた。そんなシンジを、ちょっととアンリエッタが呼び止めた。

「お金が無ければ、遊ぶこともできないでしょう。
 私の使い魔なのですから、遊ぶ費用も私が差し上げます」
「ああ、ちょうど平賀君にたかろうとかと思っていたところなんですよね。
 平賀君も貴族らしいから、しっかり持っているかなぁって」
「お、俺、もしかしたらそのために誘われたんですかぁ?」

 逆らえない立場もあり、サイトは完全にかつ揚げの対象になっていたという事だ。勘弁して下さいと、サイトはシンジに懇願した。

「僕は、ここの貨幣価値を知らないからね。
 だから、問題を起こさないためにも案内役が必要なんじゃないかな?
 支払いの話は、そのついでだと思ってくれればいいよ」
「ついででたからないでくださいよ……それに、俺だってそんなに持っていないし……」
「まあ女王様に貰ったから、とりあえず今日は僕が“奢る”ことにするよ」

 偉そうにするシンジに、サイトは思いっきり不満をぶつけた。

「普通は、案内される方が持つものでしょ。
 そんなに恩着せがましく言わないでくださいよ」
「普通は、お客さんが接待されるものだろう?
 それは良いけど、お城からのこのこ出て行くと目立ちまくるね」
「裏門から出れば良いんじゃないですか?」

 “非常識”が服を着て歩いているのだから、空ぐらい飛べるだろうなと想像していた。それも目立つ方法かと考えてサイトは常識的なお出かけ方法を提示した。だがシンジは、もっと目立たない方法があるとサイトの右手をぐっと握った。

「い、い碇さん、俺にはそんな趣味ありませんよ!」
「大丈夫、僕にもそんな趣味はないよ。
 魔法じゃない、面白い移動方法を見せてあげるんだよ」

 そう言ったシンジは、アンリエッタとルイズに向かってお辞儀をした。

「では、ちょっと行ってきます」

 その言葉が二人の耳に届いた時には、その目の前からシンジとサイトの姿は消え失せていた。



 どこかに連れて行けと言われても、サイトだってそんなに街の中を知っているわけではない。一応潜入調査を体験してはいたが、行ったところと言えば女王様と泊まったボロ宿と「魅惑の妖精亭」ぐらいなのだ。どちらを案内するにしても、曰くがありすぎて困る場所に違いない。それにいくらサイトでも、シンジと二人で安宿に行くのはまっぴらごめんなのだ。そうなると、自動的にに行き先は「魅惑の妖精亭」になってしまう。もっとも、「魅惑の妖精亭」にしても、多大なる問題は存在している。ただサイトの運が悪かったのは、迷っている内に「多大なる問題」と遭遇してしまった事だ。

「あらまぁサイトさん、最近ご無沙汰ねぇ〜」

とおねえ言葉で近寄ってくる主人……スカロンを見ると、やっぱりこれは問題だよなとサイトは考えてしまった。ちなみにこの場合の問題は、言葉に似合わない……と言うか、この手の言葉遣いをする人物に共通した、女性とは似ても似つかぬごつい風貌が問題なのではなく、またトリスティンの街に、この手のお店がある事でもない。なれなれしいスカロンの態度に、自分がこういった店の常連と思われるのがいやなのだ。現に自分の隣では、シンジが「呆れた」と言う目で自分を見ているのが分かるのだ。

「あ、あのですね、これにはいろいろと事情があって……
 その、シエスタの親戚のお店なんです」

 とりあえずの弁明として、シンジも知っている女性の名前を出す事にしたのだが、はっきり言って成功したとは言い難い言い訳だったようだ。それは、シンジの言葉を聞くまでも分かっていた事だった。

「シエスタって、あのメイドの女の子の事かな?
 なるほど、着々と手を打っているんだねぇ……」

 どうしてそう言う話になるのかと嘆いたサイトは、真剣に店を代えようと悩んだのだった。だがそれは、すでに遅きに失した考えだった。がっちりとスカロンに捕まれては、今更逃げ出すわけにも行かない。しかもシンジには、「そう言う趣味なの?」と聞かれる始末なのだから、サイトには「ははは」と引きつった笑いで誤魔化す事しかできなかった。

「おかまバー?」

 後ろを付いてきたシンジに、「滅相もない」とサイトは首を思いっきり横に振った。

「ご主人以外は、全部可愛らしい女の子なんです!」
「平賀君、それって命知らずな発言だと思うよ」

 シンジの言葉を待つまでもなく、サイトを捕まえるスカロンの手に力が込められた気がした。ぐえっとカエルが潰れたような声を出したサイトは、なすすべもなく「魅惑の妖精亭」へと連れ込まれる事になってしまった。そこで、そう言う事かとシンジは肯いた。

「おかまバーじゃなくて、ランパブだったんだねぇ〜」

 そうしみじみと言われると、何か自分がどうしようもない駄目人間に思えてしまう。いろいろな誤解と事情がそこには横たわっているのだが、ご主人様の事を持ち出すと、更に話がややこしくなりそうな気がしていた。だがこちらに近づいてくる少女の顔を見て、自分だけではどうしようもないのだとサイトは諦めた。

「サイトさ〜ん、ジェシカ寂しかったのぉ〜」

といきなり抱きつかれ、サイトは更に顔を引きつらせた。これだけ引きつると、元に戻るのかも疑わしいぐらいだ。しかも隣では、更にシンジがしっかりと呆れてくれている。弁解しようにも、今更サイトが言っても説得力はご主人様の胸ぐらいの大きさしかないだろう。

「……君が、見境が無いのはよく分かったよ」

 そんな事をぼそっと言われると、何か自分がとんでもなく酷い人間になった気がする。シンジの事を良く知る者なら、どの口でそんな事を言えるのだと反論できるところなのだが、あいにくサイトが連れてこられたのは、芙蓉学園が始まってすぐの事だった。従って、その後のシンジの状況を知るよしもなかったのだ。

「そりゃあ、君のご主人様があれだからね。
 そう言うのを、外で求める気持ちも分からないではないよ……」
「変な理由を作って、勝手に納得しないで下さい!!
 それからジェシカさん、いい加減放して下さいよ!」
「ごめん、ごめん。
 それでサイトさん、こちらの方はどなたなの?」

 お約束を終えたところで、ジェシカは笑いながらサイトを解放した。そして、次の話題として同行してきたシンジに触れた。普通に考えれば、順番が違っているとしか言いようがない。だが放っておかれたシンジは、そのことを問題としなかった。順番を変えたら面白くなくなるのだから、シンジ的に言えば「ジェシカGJ!]と言うところなのだ。ゆっくりと立ち上がったシンジは、

「このたび、アンリエッタ女王様に使い魔として使役される事になったシンジです。
 サイト君とは同郷なので、先輩にいろいろと教えて貰っている所なんですよ」

と説明した。本人としては魅力的な笑みを浮かべたつもりなのだろうが、はっきり言ってシンジの笑顔は似合っていなかった。それは、シンジの事を知らないジェシカにも同じようだった。だがそこは客商売、「ごひいきに」と見事な営業スマイルを浮かべジェシカはお辞儀した。

「ごひいきにと言われても、僕はまだ、ここがどう言うお店なのかよく分かっていないんだよ」
「こういう格好をした……」

 そう言ってジェシカは、自分の着ているビスチェを指さした。まあ室内だから薄暗くはなっているが、それでも昼日中に人前に出るような格好ではないだろう。
 そしてジェシカは、豊かな胸を押しつけるようにしてシンジの耳元で、

「女の子が沢山居るのよ。ここから先、どうするかは殿方次第じゃないんですか?」

と熱の篭もった声で囁いた。なるほどとお店の目的を理解したシンジは、

「やっぱり、生活が乱れているんじゃないの?
 それに、こんな事をしているから、君のご主人様との関係が進まないんだよ」

風俗遊びはいかがなものかとサイトを責めた。クラス委員長に叱られた気分のサイトは、勘弁して下さいとジェシカに助けを求めようとしたが、だが相手が悪かった事を思い出した。そして思い出した時には、すでに手遅れになっていたのだ。

「サイトさん、まだルイズちゃんと進展していないの?
 お姉さん、とっても心配だわぁ!!」
「いえ、だから、その、二人して俺の事をからかってない?」

 もう一度勘弁してと降参したサイトに、本当のところどうなのだとシンジは迫った。

「進展しない理由は、やっぱり胸かい?」

 シンジがジェシカの胸元に視線を向けたので、サイトは思いっきり首を振って否定した。

「そんな事をルイズの前で言ったら、俺が黒こげにされちゃいます!」
「やっぱ、姫様の使い魔を黒こげにすることはできないもんねぇ」
「その辺りは、先輩の教育が悪かったと言う事にして下さい」
「大変ねぇ、先輩!!」

 サイトががっくりと肩を落としたところで、ジェシカはようやくオモチャを手放してくれた。そしてシンジに向かってお辞儀をすると、昨日のお披露目でお顔は拝見していると言った。

「アンリエッタ様の使い魔として、どうか女王様をお守り下さい。
 アンリエッタ様は、とてもお優しいお方です。
 あのお方は、戦争で多くの民が死んだ事でとても心を痛めていらっしゃいました。
 是非ともシンジ様のお力で、アンリエッタ様をお慰め下さい」
「まあ、僕に出来る事をするだけだよ」
「それでは、わずかではありますが、私たちの気持ちをお受け取り下さい」

 ジェシカが合図をしたのだろう。女給達が肉や魚、そして酒を持って集まってきた。何しろ相手は、女王の使い魔、そしてサイトと同郷というのだ。聞きたい事など、それこそ山のようにあるのだ。ただ彼女たちは、サイトが別の世界から来た事は知らなかったのだが。



 突然シンジ達の姿が消えた事に、アンリエッタ達一同はあっけにとられてしまった。彼女たちの知るどんな魔法でも、突然その場から消え失せる真似など出来ないのだ。似たような効果を出す方法はあるにはあるが、自分の身代わりを送り込む方法なのである。初めからそこにいたサイトを連れ去るのは、完璧に理解の外にあったのである。

「凄いのですね……」

 うっとりとして危機感の無いアンリエッタの言葉に、ルイズははっと我に返った。そして、猛烈な勢いで危ないとまくし立てた。

「あの男の考え方は、この国のためにも危なすぎます!!
 始祖ブリミルを否定するのは、私たちへの挑戦でもあります。
 姫様、すぐにあの男を放り出すべきです!!」

 ルイズにしてみれば、ようやく確立したアイデンティティーの危機でもある。しかもサイトまで丸め込まれているとなれば、危機感を募らせるのも仕方の無い事だった。だがルイズの感じた危機感を、どうもアンリエッタは共有していないようだ。まあアンリエッタの頭の中を見てみれば「大当たり!」と鐘が鳴り続けている状態なのだから仕方がない。この世界で天使がどう言う姿をしているのか分からないが、「おめでとう」と言って花をばらまいていると言えばいいのだろうか。

「姫様!!」

 反応のないアンリエッタにじれたルイズは、大きな声を上げて「しっかりして下さい」と肩を揺すった。ようやく現実に復帰したアンリエッタは、ちゃんと聞こえていると、極めて疑わしい答えを返した。

「私には、シンジ様の言っていることが正しいように聞こえます。
 戦争を止めさせるのに、さらに大きな力で戦争を起こす。
 その結果得られた平和は、長続きするものでしょうか?」
「ですが、聖地回復は貴族達も認める大義です。
 それを否定されれば、トリスティンの貴族達の造反を招きます」

 その可能性自体、すでにシンジが指摘していることでもあった。だがルイズは、それを忘れてシンジの考えが危険だとまくし立てた。

「ではルイズ、貴方のお父様も同じ考えなのでしょうか?
 貴方のお父様は、レコンキスタとの戦いを、無益と称して出兵なさらなかったのですよ」
「父も……あの男のことを危険に思うはずです!」

 急ブレーキの掛かったルイズに、そうですかとアンリエッタは頷いた。そして、黙って話を聞いてたアニエスに、「貴方はどうですか?」と意見を求めた。

「私も、シンジ様の言われていることは理解できます。
 仰有るとおり、聖地を回復したらしたで、次にはハルケギニア内での戦いが起こるでしょう。
 さらには、聖地を奪還しようとするエルフどもとの長い戦いが続くと思われます。
 それを否定するのは、ミス・ヴァリエールでも難しいのではないでしょうか?」

 それはどうかと尋ねられ、うっとルイズは言葉に詰まった。感情にまかせれば、シンジの言ったことすべてを否定することができる。だがアニエスのように、一つ一つの事象を持ち出されると、考えて答えなければならなくなる。そうなると、簡単に否定もできないのだ。

「た、確かに、新しい戦いの種を捲くことになるのかもしれません……」

 それでもと、ルイズはシンジ自身の存在が戦いを招く可能性があると主張した。

「あのように大きな力は、危険としか言いようがありません。
 しかも姫様に対する忠誠のカケラもないとなれば、
 いつどのような形でトリスティンの災いにならないとも限りません」
「ですが、忠誠心があっても、危険な真似をした貴族も居たと思いますよ。
 何もなかったから良かったものの、一つ間違っていればガリア王国と戦争になっていました。
 ルイズ、貴方はその貴族のしたことをどう思いますか?」

 それが、誰の、どの行為を言っているのかは明白なのだ。確かにアンリエッタの言うとおり、他国の領土に侵入し、幽閉されていた王女を連れ出したのである。それが彼女の親友という事実は、二国間の関係には大きな意味を持たなかった。普通に解釈すれば、現王であるジョゼフの存在を否定し、その王女を支持するとトリスティンが表明した事になる。戦争の理由として、これほど明確なものは無いと言えるだろう。何しろトリスティンは、他国の王位継承に口を挟んでしまったのだから。当然ルイズが、「正しい」などと言う答えを出せるはずがない。
 そう言ってルイズを黙らせたアンリエッタは、色々と考えているのだと言葉を続けた。

「私自身、シンジ様の仰有ることすべてを理解しているわけではありません。
 そしてあの方ように大きな力を持つことが、これからのトリスティンにどう影響を及ぼすのか。
 それも、今の私には想像も付いていません。
 ですが、私たちは虚無を超える力があるのを知ってしまったのです。
 ならばその正しい使い方を考えるのも、私たち責任のある者の務めではないでしょうか」

 そうでしょうと、アンリエッタは、まずアニエスに確認した。当然、

「姫様の仰有る通りかと」

と言う答えが返ってくるのを期待してのものだ。そしてその通りの答えが返ってきたことに満足し、今度はルイズに同じ問いかけをした。

「ルイズは、それでも駄目だというのですか?」
「……駄目と言っているわけではないのですが……」

 それでも釈然としないものをルイズは感じていた。だがそれを言葉にするほど、その気持ちはルイズの中でもはっきりとしていなかったのである。ひとまず「虚無の使い手」と言う自分の立場を忘れれば、と言うか、忘れる事が出来ると考えれば、とても頼もしい味方が出来たと考える事は出来る。だが本当に安心できる味方かというと、ルイズはあまりにもシンジの事を知らなさすぎた。しかも第一印象が悪すぎたし、サイトが懐いているのも気に入らなかった。サイトと一緒にいると、確実にそわそわしているのが分かるのだ。
 それが他の女の子の事なら、かんしゃくを起こしたりすねたりといろいろ出来るのだが、故郷への思いとなると、ルイズにはどうする事も出来ないのだ。ルイズにしてみれば、いろんな問題を解決して、ゆっくりと時間と心の準備をして取り組む問題が、サイトを送り帰す事だったのだ。それをいきなり目の前に突きつけられては、まともに考える事も出来なくなってしまう。そのせいもあって、帰してあげたいと帰したくないと言う拮抗していた思いも、今は帰したくないと言う思いが勝ってしまっていた。

「私には、まだ考えの整理が出来ていません……」

 その答えは、今のルイズに精一杯と言うか、最大限に譲歩したものでもあった。相手がアンリエッタでなければ、癇癪を起こして無理を押しつけていた事だろう。
 そしてルイズの答えを聞いたアンリエッタも、

「偉そうな事を言っていますが、私もどうしたらいいのかは全く分かっていません。
 そもそも、レコンキスタとの戦い以降、戦争の兆候は現れていないのです」

と答えた。当然ルイズからは一言あるところなのだが、アンリエッタは分かっていると、先に言葉を続けた。

「それが、目に見えるところだけの話であるのも理解しています。
 貴方が遭遇したという、巨大なゴーレムにしても、
 ミョズニトニルンを操る虚無の使い手にしても、それが戦いの兆候でないと言うつもりはありません。
 そしてこれまでの話を聞く限り、敵はこちらをよく知っているように思えます」

 明らかに後手を踏んでいることで、遊ばれているのが実情だとアンリエッタは説明した。

「その中で、貴方とサイトさん、それに貴方のお友達はよく頑張っていると言えるでしょう。
 おかげで、相手の実態もおぼろげとはいえ見えてきたと思います。
 一つ一つの小さな戦いは、相手にこちらの戦力を教えることに繋がっているのでしょうが、
 同時に貴方たちも鍛えられています。
 その成長が、相手の思惑を超えていれば、土壇場での逆転も可能なのではないでしょうか」

 ルイズは、アンリエッタの言葉に心の中の霧が少しだけ晴れたような気がした。それはシンジの存在に対してのものではなく、これまで掛けられてきた、必死とは思えないちょっかいの理由に繋がるものだった。だが同時に、その理由は、ルイズの背筋を凍らせるものだった。
 まさか、私たちは誰かの暇つぶしに付き合わされている? そう考えれば、相手の詰めが甘いことの理由も理解できる。そのときは勝利の余韻に酔い、そして幸運を感謝していたのだが、よくよく考えればほんの少し相手が知恵を使うだけで、自分の命など何度もなくなっていたのだ。現にゴーレムに捕まえられたとき、わざわざ反撃を待ってくれていたのだ。
 急に恐ろしくなったルイズは、顔色を悪くして震えだした。それほど、相手の手のひらの上で弄ばれていると言う考えは、ルイズから気丈さを奪っていった。しかも隣には、頼りになるサイトも居てくれない。
 自分を抱きしめて震えているルイズに、だからだとアンリエッタは力強く言った。

「正体の分からない相手は、貴方とサイトさんに注意を向けています。
 二人の力に頼らなければならない事情は変わりませんが、
 私たちは奥の手を得ることができたと思いませんか?
 まさか、始祖の力を超える物があるなどと、いったい誰が考えることでしょう。
 貴方が信じられないというシンジ様から、私は邪悪なものを感じていません。
 戦いを好まないとシンジ様が言われたのは、本心からのお言葉でしょう」
「ですが、あの男の正体が掴めません!」

 安心できるだけのものを見せて貰ってない。だから信じられないのだと、ルイズはシンジを嫌う理由を強調した。そりゃあ犬が頼っているのは気に入らないけれど、そんな狭量な理由からじゃないのよと自分を納得させるためにも。
 一方アンリエッタはと言うと、立派なことを言いながらも、頭の中は「それを確かめようとしているのよ」と、別のことを考えていた。だからもっともっと親密になることを考えているのに、ルイズったらどうして反対するのかしら? と。それにサイトさんに手を出さないことにも繋がるのだから、もっと応援してくれても良いでしょうと。どうもこの辺り、個人の事情が先に立つ女王様らしい。

「シンジ様のことを信じられなくても、サイトさんのことは信じられるのでしょう?
 ではルイズ、こう考えてみてはどうでしょう。
 貴方の大切なサイトさんを信用して見守ってみると」
「ひひひひ、姫様!!」

 青くなっていたと思ったら、今度はルイズは真っ赤になってしまった。貴方の大切なサイトさん……大切なサイトさん……確かに大切な犬だけど、でも、犬って言うのは可哀想かもしれないわね。ききき、きキスだって何度もしているし、もっと危ないことに何度もなりかけたわね。で、でも、あれは、犬へのご褒美のつもりだし、たたた、大切なものはちゃんと守っているわよ。でも、たたた、確かに、サイトは大切な犬よね。そう言えば、カトレア姉様も、大切にしないさいって言っていたような。そうよ、姉様は間違ったことは言わないわ。それに大きい姉様みたいに、振られて落ち込むのは嫌だもの。ちょっとまって、この私が誰に振られて落ち込むって言うの? あああ、あいつは、あたしにベタ惚れなのよ。で、でも、最近また、言い寄ってくる女が増えたような。この前だって、どさくさ紛れでタバサがキスしていたし。いつキュルケが戻ってくるかもしれないし、それにそれに、あのメイドだって妾じゃいやって言うかもしれないじゃない。ややや、やっぱり、早くキセイジジツを作る必要があるのかしら。でも、結婚しても、しばらくは許しちゃいけないって言う話だし。ああ、私はどうしたらいいのでしょう。
 ……なんて妄想が、一瞬のうちでルイズの頭の中を駆けめぐった。この辺り、アンリエッタの狡猾なところだろう、サイトに絡めさえすれば、ルイズの思考が一時的に麻痺してしまうのだ。上手くいったとほくそ笑みながらも、その一方で「いいわね、貴方たち」と妬む気持ちもむくむくとわいて出てくる。

「嫉妬よ嫉妬!」

 いなくなったはずのハエたちが、また頭の中で飛び回っているのが分かる。そして別の種類のハエたちが、

「欲求不満、欲求不満よ」

と騒ぎ立てているのも分かる。さらにさらに、小さな蛙たちが、

「略奪愛、略奪愛」

と呪文まで唱えてくれるのだ。いい加減にしろと、頭の上で手をばたばたさせても、そんなものがいなくなってくれるはずがない。自分の世界に入ったルイズは良いのだが、忠実なアニエスは、どうかしたのかとおかしなものを見る目でアンリエッタのことを見てくれるのだ。

「アンリエッタ様……どうかなされましたか?」

 主人のおかしな行動に、忠実なアニエスはその意味を尋ねた。大丈夫ですかと聞かないところは、彼女の優しさなのかもしれない。その言葉で我に返ったアンリエッタは、両手を後ろに隠して「別に何もないのよ」と取り繕うように笑って見せた。そしてアニエスの問いに答える代わりに、

「ルイズ、サイトさんを信用しますよね?」
「そ、そ、そうですね姫様。
 あんな犬でも、一緒に戦ってきた使い魔ですから。
 たまには、少しぐらい信用してあげても良いですわね……」

 ほほほほと、引きつった口元を隠してルイズは笑った。笑った……笑うしかなかった。

「ではルイズ、私はシンジ様から本心を聞き出す努力をすることに致します。
 あのお方のお力は、貴方たちの助けに必ずなることでしょう。
 そのためにも、私はできる限りの努力を致します」

 ありとあらゆる手管で誘惑します。アニエスには、アンリエッタの言葉がそう聞こえていた。ただそれを口に出さないだけの分別と忠誠心。それに、無駄な努力だろうなと言う醒めた考えをアニエスはしていた。年の頃なら同じぐらいに見えるのだが、どう考えても相手の方がずっと大人に感じられるのだ。そんな大人が、お子様の背伸びに惑わされることはないだろう……ないわよね、無いと言って。と考えたところで、別に惑わされても構わないかと、アニエスは考え直した。化け物のように強く、そしてありとあらゆる魔法に通じる力を持っていて、なおかつ深い思慮をしているのだ。冷静に考えれば、国王としてこれほど相応しい人物がいるのだろうか、いやいない。
 そう納得したアニエスは、決意を固めた主のために、一肌脱ぐことにした。正攻法で駄目ならば、反則を使うのも時には必要なのだ。なに、一服盛ってしまえば、男などケダモノに変わってしまうものだ。

「たしか、学院でその手のものを作ったのが生徒がいたな……」

 ストックがあるとは思えないが、脅しを掛ければ作らせることなど困難ではない。早速乗り込んで、さっさと入手しようとアニエスは考えた。



***



 シンジが消えてから、すでに1週間が経過しようとしていた。エデンの力を最大限利用して捜索網を広げたにも関わらず、一度ロストした痕跡を再度捕まえることはできなかった。こうなると、新たな動きがない限り、手詰まりになってしまう。コハクの報告にため息を吐いたアスカは、少しの息抜きにと芙蓉学園にやってきた。

「まあ、ここは別世界か……」

 学園を見ている限り、表面上は何の変化も見て取ることはできない。それだけ生徒会を含めて、在校生達が頑張っていると言うことになるのだが、少しだけアスカは安堵するものも感じていたりする。ここに来ると、校舎の影から「ヒョッコリ」とシンジが現れそうな気もする。それだけ、シンジとの思い出が染みついた場所でもある。

「あれだけ非常識を絵に描いて、額に飾った男なんだから、
 こんなことぐらいで危ない目に遭っていないとは思うけど……」

 安堵すると、悲しい気持ちもわき起こってきてしまう。なぜシンジは、遠くの世界にまで連れ去られてしまったのだろうかと。

「あんたがいないと、家族が上手く纏まらないのよ……」

 責任者なんだから、早く帰ってきて家族をまとめなさい。花壇の花に向かって、アスカは「帰ってきて」と囁いた。家族をまとめる以上に、早く自分を安心させて欲しい。この三日ほど、何の進展も無いことに、アスカは焦燥すら感じていた。たかが三日なのだが、一生にも等しい時間に感じられてしまう。それだけ、アスカにとってシンジの意味が大きいと言うことなのだ。

「頭を整理して……も、無駄か……
 結局、シンジを信じて待つしかないのかし……ら?」

 今視界の中に、どこかで見たような姿が横切ったのが見えた。残念ながらシンジではないのだが、ある意味重要な関係者であるのは違いない。早速アスカは、こそこそと隠れた“議長様”に声を掛けた。

「あら、最高評議会議長が、こんな所で何をしているのかしら?」

 声を掛けられた瞬間、サードニクスの背筋はぴんと伸びた。そして直立不動の姿勢のまま、ぎこぎこと音を立てるようなぎこちなさで、アスカの方へと振り返った。

「い、いやぁ……アスカじゃないか、こんな所で奇遇だね」

 そう言って笑みを浮かべているのだが、はっきり言って引きつりまくった笑みだった。しかも急に脂汗をかき始め、足下が微妙に震えている気がしないではない。アスカにしてみれば、そこまで怖がられる理由はないと思っている。よほどヒスイの脅しが強烈だったのかと、ほんの少しだけサードニクスに同情していたりする。

「あんた、もともと威厳なんて無いと思っていたけど……」

 ため息混じりに、「もっと無くなった」とアスカは零した。今のサードニクスの顔を見て、誰が3界最高の権力者だと思うだろうか。それほど怖かったのかと考え直して、余計なことをするものじゃないとアスカは後悔した。コハクに詰め寄っていたときのヒスイは、掛け値無しに恐ろしかったのだ。

「それで、シンジの捜索はどうなってるの?」
「ば、万全の体制をしいているさ!!
 か、彼に帰ってきて貰わないと、3、3界が恐怖で崩壊しかねないからね!」
「つまり、あんたなりに必死になって捜索しているって訳ね?」
「む、むろん、最優先事項だ!!」

 どこかで聞いた気のするフレーズなのだが、敢えてアスカは触れないことにした。3界に等しく恐怖を振りまいてくれたヒスイのおかげで、指導者達が「心から」シンジの帰還を願っているのが分かるのだ。これならば、怠けようなどと言う気が起こるはずもないだろう。それでもアスカは、日頃の恨みとちょっとだけ、もっともサードニクスにしてみればしゃれにならないいたずらをした。それは別に難しいことではなく、サードニクスの後ろを見て「あら、ヒスイ」と声を掛けるだけのことだった。だがこのいたずらに、アスカはすぐに後悔することになった。ちょっとのつもりのいたずらだったが、突然サードニクスが泡を吹いて倒れてしまったのだ。

「……いったい、何をされたのよ」

 別に知りたいわけではないし、見たいと思ってもいないのだが、あの“議長様”がここまで恐れる折檻を、アスカは少しだけ興味を持ったのだった。



***



 毎日快眠なのは良いけれど……顔色が良いですねと臣下に言われ、アンリエッタは複雑な気持ちになっていた。毎晩毎晩シンジを待ちかまえているつもりなのだが、どういう訳か眠くなって、シンジが帰ってくる頃には夢の世界に旅立っているのだ。おかげで快眠できるのは良いけれど、何も起きないというのは女としてのプライドが傷つく。しかも臣下達は、

「やはり、頼りになるお方がいると心が休まるのですね」

などと、曲解したことを口にしてくれるのだ。確かに安心してはいるが、自分の求めているものとはちょっと違っている。自分としては、快眠よりも、朝まで濃厚というシチュエーションを求めているのに。

「今晩こそ、今晩こそ!」

 頭の中を飛び回るハエたちも、アンリエッタの決意を後押ししてくれる。そうよ、今晩こそは眠らないでと力こぶを入れれば、周りからは「充実しているのだな」と間違った見方をされている。ちなみに事情を知ってるサイトは、相手が悪すぎるとアンリエッタに同情さえしていたりした。本人は気づいていないようだが、しっかりとシンジの術中にはまっているのだ。まさか毎晩無理矢理眠らされているなどとは、魔法使いのアンリエッタでも気づくことができないのだろう。

「……犬、何か知っているのね?」

 シンジを見ても分からないかもしれないが、ルイズから見ればサイトが何か隠しているのは一目瞭然なのだ。それだけサイトのことが気になっているのだが、意地っ張りのルイズなのだから、絶対にそんなことを認めたりしないのだ。しかし、言うに事欠いて「犬」ですかとサイトは肩を落とした。

「何かって、何をだよ……」

 少し視線をそらし気味にしたサイトに、ルイズはぴんと来るものがあった。だがその勘が正しいとすれば、ルイズとしても口を出す理由はない。もともとルイズは、アンリエッタの計略に反対していたのだ。一国の女王たるもの、どこの馬の骨とも分からない使い魔に身を許すなど有ってはいけない。……ちなみにこの件に関して、ルイズは自分の身を省みることができていないようだった。シンジが馬の骨と言うのなら、同じ世界から来たサイトも、十分な馬の骨に違いない。

「べ、別にどうでもいいけど……ところであんた達、毎日遊び歩いているじゃない。
 いったいどこをほっつき歩いているのよ!」

 大切なご主人様を放っておいて……まあ、そのことを口に出せるほど、ルイズが素直であるはずがない。しかも意外なものを見る目のサイトに、

「か、勘違いしないでよね。
 べ、別にあんたのことを心配している訳じゃないんだから。
 そ、そうよ、あの不審な男を野放しにしておく訳にはいかないのよ!」
「不信な男って……仮にも、姫様の使い魔だろう。
 お前、そんなことを言って良いのか?」
「姫様の使い魔だから、余計に心配なんじゃない!
 い、犬の分際で、ご主人様に口答えをする気!!」

 それで何をしているのだと詰め寄ったルイズに、サイトはそのものずばり、ルイズにしてみればバカにされているような答えを返した。

「お前が言ったとおり、遊び歩いているんだけど?」

 そう答えた瞬間、サイトはルイズの靴の裏を見た。その向こうにはお宝があるはずなのだが、それを鑑賞する前に、サイトはドロップキックで壁に飛ばされた。

「あ、あたしは、使い魔にバカにされるのは我慢ならないのよ!」

 しかも追撃とばかりに切ないところにやくざキックをしてくれるのだから、サイトは思わず気が遠くなってしまう。どうして俺のご主人様は、こうも乱暴なのだろうか。しかも俺はどうして、こんなご主人様を慕っているのだろう。

「平賀君って、マゾ?」

 どういう訳か、一歩引いているシンジの顔が浮かんでしまった。「俺はマゾなんかじゃないのでしゅよ!」と抗議しても、またまたと笑って、信じて貰えないのだ。シクシクと泣きたくなったサイトは、ぽつりと言ってはいけないことを口にしてしまった……

「本当に、帰りたくなったよ……」

 別に大きな声で言ったわけではなく、むしろ蚊の鳴くような小さな声だったのだが、サイトのつぶやきはしっかりとルイズに届いていた。そしてその言葉を聞いたとたん、自分がとんでもないことをしているのに気づいてしまった。こんな乱暴で、理不尽なことをする女の子じゃ、カトレア姉様の言うとおり、サイトに嫌われてしまうのだわ。今までは、サイトはどこにも行くことはできなかったのだけど、今は同じ世界から来た仲間もいる。それに、帰り方ももうすぐ見つかりそうだと聞いている。今のままだと、サイトはさっさと元の世界に帰ってしまうだろう。

「……ご主人様?」

 急に蹴りが止まり、俯いてしまったルイズに、何事かとサイトは心配になってしまった。当然サイトは、自分の口走ったことの影響力など知らない。もしかしたら、もっと酷いことを考えているのかもしれない。だがルイズの足下に水滴が落ちたとき、サイトはどうしようもない勘違いをしていたのに気がついた。

「……だ」

 どうして急に泣かれなくちゃいけないのか。おろおろしたサイトは、どうして良いのか分からず、ルイズに触れることもできなかった。

「な、なあ、ルイズ、急にどうしたんだよ!」
「……やだ、やだ、帰っちゃいやだ」
「ルイズ、お前……」

 泣きながらそんなことを言われると、サイトの胸は別の意味で切なくなってしまう。あの気の強いルイズが、帰っちゃ嫌だと泣きじゃくってくれるのだ。ちっちゃくて可愛い体が、目の前で「寂しい」と震えている。あまりにも切なくなったサイトは、思わずルイズの体を抱きしめていた。

「やだ、や、なんだからね……」

 抱きしめられるのがいやなのか、それとも自分が帰ることがいやなのか。自分を押しのけようとしていないところを見ると、どうも前者じゃないらしい。だったらもっとして良いのかと、サイトは手を短いスカートの中に忍ばせた。胸と同じで肉付きは薄いのだが、それでも少女の柔らかさは感じられる。今なら大丈夫かと、サイトは小さなパンティーの中に手を忍ばせた。普段なら猛烈な抵抗と駆け引きのあるところなのだが、今日に限ってルイズはなすがままにされていた。つるんとした手触りに、喜ぶどころか逆に心配になってしった。

「い、いいのか?」
「だって、いやだっていったら、サイトがいなくなっちゃうもの……」

 潤んだ瞳で、見上げるようにしてこう言ってくれるのだ。こんちくしょう、可愛いじゃないかと、サイトの理性はタンポポの種のように簡単に吹き飛んだ……のだが、残念ながら、二人の睦ごとには邪魔が入るのがお約束のようだった。扉を叩かれるぐらいでは二人の耳には届かなかったのだろうが、目の前に顔を出されるとさすがに気づかないわけにはいかない。どこから入ってきたのか……まあ、神出鬼没なのは今更言われなくてても分かっていたが、苦笑を浮かべたシンジが「おじゃまして悪いねぇ……」と頭を掻きながら現れてくれた。

「どうも西地区に、君たちが相手をしたゴーレムが現れたようなんだよ。
 君たちしか敵わないようだから、すぐに討伐に向かって欲しいと女王様からのご命令だ」

 良いところを邪魔されるのは、別に今日が始めてではない。たまたまそれが、シエスタやキュルケじゃなくて、シンジだっただけのことなのだ。だけどたったそれだけの違いが、どうしてもルイズには許せなかった。あれだけ圧倒的な力を見せてくれたのだから、ゴーレムぐらい自分で始末を付ければ良いではないか。

「こ、ここの中で、あんたが一番強いんでしょう。
 だったら、あんたが行ってやっつけてくればいいじゃない!!」

 それがルイズの本音なのは間違いないけれど、口にして言ってはいけないことでもあった。討伐を命令したのは、目の前のシンジではない。トリスティン女王としての、アンリエッタの命令なのだ。そしてシンジも、当然そのことを問題とした。

「つまりミス・ヴァリエールは、アンリエッタ女王の命令に従わないと言うことだね?」

 なるほどと頷いたシンジは、気まずそうにしているサイトの顔を見た。

「平賀君は、当然ご主人様の命令に従うんだよね?」
「俺は、ご主人様を守るのが使命です!!」
「つまり、二人して女王陛下の命令に逆らうと言うことだね。
 水精霊騎士隊副隊長、そしてルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 これは、僕の発案ではない。君たちを信頼しての、女王様の命令なんだよ?」

 優しい言葉で言ってはいたが、シンジの言葉は最後通牒になっていた。そして今回に限れば、シンジの言葉に一つの間違いもない。だが一度口に出したことは引っ込めることはできず、ルイズは「お前が出れば!」と冷ややかに言い返した。少し困った顔をしたシンジは、緊張を始めたサイトに話を振った。それは、サイトにとって究極の選択になるかもしれないものだった。

「君たちは、一度女王様の命令に反して、トリスティンに戦争の危機を与えたね。
 そして二度目の反抗は、実際に敵に攻められている状態でのものだ。
 それが正しい行為だと思ってのことなら、僕は君たちを処刑しなければならなくなる。
 そして僕に対する反発からの言葉なら……」

 そこまで口にしたシンジは、にやりと口元を歪めた。

「どちらの立場が上なのか、もう一度思い知らせてあげないといけないね」

 どうかなと迫るシンジに、ルイズは精一杯の虚勢を張った。あの鎧が出てきたのなら、結局自分に頼らなければいけなくなるに違いない。自分で倒せないから、こうしてこの男は脅しを掛けてくるのだろう。だったらここで弱みを見せてはいけないと、精一杯シンジをにらみ返した。

「サイト、剣を構えなさい!」

 その命令は、後者だと答えていることになる。そう言うことかと腕を組んだシンジは、サイトが戸惑いながら剣を構えるのを待った。

「平賀君、今日は手加減をしないからね。
 本気で僕を止めないと、君は二度とご主人様に逢えなくなるからね。
 女王の命令に反し、命令を伝えに来た使者に対して剣を向けたんだ。
 それがどういうことを意味するのか、いくら平賀君でも分かるだろう?」
「俺は、ルイズの使い魔ですから。ご主人様を守るために、命を賭けていますよ!」
「いい覚悟だと言ってあげたいんだけどね……」

 その瞬間、シンジの体がぶれて消えたようにサイトには見えた。必死でその姿を見極めようとしたサイトだったが、反応することもできずに鳩尾に手痛い一撃を食らってしまった。だが攻撃を予測できていたおかげか、失神することだけは何とか免れた。そして現れたシンジに向かって、デルフを横凪になぎ払った。だがシンジの姿はすでに無く、サイトの攻撃はむなしく空を切っていた。

「僕は、本気で来いって言っているんだけど?
 すぐそこまで敵が来ているんだから、あまり時間を掛けるわけにはいかないんだよ。
 こうしている間にも、多くの人たちが被害に遭っているんだからね……」

 シンジとサイトのやりとりの間に、ルイズは慣れ親しんだ短い呪文を完成していた。そしてサイトの陰から、シンジに向かって“エキスプロージョン”を発動した。シンジに油断があったのか、初めてシンジに魔法が届いた。それは小さな爆発だったが、ダメージを与えるには十分な威力を持っていたはずだった。そして爆発が起こったのと同時に、サイトは思いっきりシンジに斬りかかった。一歩間違えれば、否、普通の相手なら間違いなく殺してしまう攻撃だろう。だがサイトは、シンジ相手にはこれぐらいしないと止められないと考えていた。
 だが必殺の気持ちで打ち込んだ剣は、予想もしない何か固い物に止められた。何とか剣を取り落とすのは避けられたが、岩を叩いたような感触に、サイトの両手はしびれていた。そしてエクスプロージョンが起こした煙が消えたとき、ルイズとサイトは信じられない物をそこに見た。確実に魔法が届き、そしてサイトが必殺の剣を打ち込んだにも関わらず、何事もなかったようにシンジが腕組みをして立っていたのだ。

「なんでだよぉ!」

 サイトの叫びは、ルイズの気持ちも表していた。虚無の使い手とガンダールフ。それぞれが自分の力を発揮したにも関わらず、目の前に相手に一矢を報いることすらできないのだ。危ないと飛び下がったサイトだったが、シンジの方が遙かに速かった。サイトの手からデルフをたたき落とすと、面白い物を見るようにそれを拾い上げた。

「この剣はもう要らないことになるんだけど……
 おい、折ったりしたら君はどうなるんだ?」
「ばばばば、ばか、そんなことをしたら、俺だって死んじまう!
 死んじゃったら、二度と元に戻せないんだぞ。
 お、お願いだから、折らないでぇ〜」

 シンジに話しかけられたデルフは、鍔をがちゃがちゃ言わせて命乞いをした。サイトがガンダールフの力を出しても子供扱いにされ、虚無の魔法も届かないとなれば、デルフにもどうすることもできない。自分を受け止めた壁にしても、デルフは初めて見る“魔法”だったのだ。いや、それが本当に魔法なのかも疑わしいと思っていた。

「喋る剣ってのも面白いから、おみやげに持って帰るかな?」
「そ、それがいい、なんだったら、おれっちが芸を見せてやるぞ。
 だから、折らないでくれるとデルフ、嬉しいなぁ〜」
「……面白い剣だね」

 シンジはそう言うと、サイトに向かって剣を投げつけた。あまり力を込めていなかったのか、傷ついたサイトでも簡単にデルフを受け止められた。

「まあ僕が持っていても、宝の持ち腐れだからね。
 それは平賀君に返しておくよ。
 それから窓の外の君たち、使い魔をけしかけるのは勘弁してくれないかな?
 僕は、動物虐待するのは好きじゃないんだ」

 ルイズを呼びに来ていたのだろう、シンジの声に答える形で白いドラゴンが窓の外に現れた。そこにはルイズよりもさらに幼く見える少女と、ずっと大人っぽい少女の二人が乗っていた。同時に扉が吹き飛ぶと、ちょろちょろと口から火を吐くトカゲが現れた。

「友情に厚い君たちに免じて、一度だけ忠告をしておくよ。
 使い魔を失いたくなければ、余計な口出しをしないこと。
 いい加減我が儘にも愛想が尽きたから、今日はきついお仕置きをするつもりなんだ。
 一緒にお仕置きを受けたいというのなら、一緒に掛かってきても構わないけどね」

 どうするのかと言うシンジに、赤い髪をした女性……キュルケが二人を代表した。キュルケは肩を少しすくめると、

「まさかっ! 頭に血が上って、後先を考えないバカを連れに来たのよ」

と答えた。色々と気に入らないことはあるし、そもそも余所の国のことでもある。だがとりあえず友人が絡んでいるのだから、仲裁する必要があった。それに冷静に考えれば、明らかにルイズが間違っている。

「この前の奴がまた出たのよ。
 早くやっつけないと、街に大きな被害が出るわ。
 ルイズ、あんたはそれでも良いって言っているの?」
「良いなんて……言ってないわよ」

でもと言いつのろうとしたルイズを、それよりも早くキュルケが諫めた。今は議論しているときではなく、行動の遅延が被害の拡大を招くのだと。言いたいこと、やり合いたいことがあるのなら、片付けてから続きをすればいいだろうと。

「そんときは、あたしも手伝ってあげるから。
 今は困っている人を助けることを優先しましょう」

 そしてキュルケは、「タバサ」と友達の名を呼んだ。ルイズが納得したのなら、いち早く現場に駆けつける必要がある。シルフィードの速さならば、被害の拡大を防ぐことができるだろう。
 タバサにルイズ達を預けたキュルケは、まだ話があると一人残った。敵が一体ならば、苦戦することはないだろう。ルイズが伝説というのは癪に障るけれど、サイトやデルフリンガーが付いていれば心配はない。それに今のルイズは、エネルギーがフル充電されて溢れそうな状態になっている。どこの誰かは知らないけれど、悪い日を選んだわねとキュルケは苦笑を浮かべていたりした。

「それで、どんな話が残っているんだい?」

 シンジから話を振ったのは、その中身に興味があったわけではない。むしろ、話よりも早く帰らなければと考えていた。そんなシンジに、キュルケは燃えるような怒りの眼差しを向けてきた。

「こう見えても、あたしは友達を大切にしているの。
 ルイズはあんな子だけど、それでもあたしには大切なお友達なのよ。
 だから、ルイズに対するあんたの態度。ちょっと腹に据えかねているのよね」
「それは、話をして解決することなのかい?」
「その前に、あたしの熱いベーゼを受けて貰おうかしら?」

 キュルケは素早く杖を振ると、小さなファイヤーボールを何個もシンジに飛ばした。だがそのいずれも、シンジの前に届く前に火が消えてしまっていた。

「魔法が通じないってのは本当のようね」
「で、どうする? 君の使い魔をけしかけるのかな?」
「あたしは、可愛い使い魔に無駄なことはさせないわ。
 いくらフレイムでも、あんたには触れることもできないでしょう?」
「もしも手に余るようだったら、しっぽぐらいは切り落としてあげるかな?」

 その答えに、キュルケはふっと息を吐き出した。

「そう言う怖いことを、平然と言わないで欲しいわね。
 トカゲだからって、しっぽが切れても生えてくるなんて思わないでね」
「だったら、お友達を大切にしてくれると嬉しいな。
 あまりトカゲを間近で見た記憶がないんだ。
 これでも、結構びびっていたりするんだよ」

 だから手加減を失敗する可能性がある。シンジの答えに、よく分かったとキュルケは肩をすくめた。

「あんた、サイトと違ってずいぶんと大人ね。
 ただ、ルイズはお子ちゃまだから、あまり計算して動かそうだなんて考えないように。
 特にサイトとのことになると、あの子、冷静じゃなくなるから」
「忠告は、よく覚えておくよ」

 それからと、シンジは少し空気を読むように辺りを見回した。

「敵がバカじゃないとしたら、のこのこ1体派遣して終わりってことはないだろうね。
 そもそもどういう意図で攻撃してきたのか? 別の攻撃が有るかもしれないね」
「だったら、あんたが何とかするの?
 あんた、女王様の使い魔なんでしょ?」
「それは、ただいま思案中ってところかな。
 向こうがこちらの力を測ろうとしているのなら、できるだけ手の内は隠した方が良いだろう?」
「隠せるような手の内があるのなら良いけどね。
 あの子の戦っているゴーレムは、そこいらの騎士やメイジとは違うのよ」
「だから、こちらも相手の出方を見ようかなって。
 まあ、格闘戦ぐらいならしてあげても良いのかなと……」

 気負いも恐れもないシンジに、ふ〜んとキュルケは目を細めた。

「アンリエッタ様のためにも、それがはったりじゃないことを願うわ」
「僕も、そう思っているよ……っと、そろそろ城に帰らなくちゃいけないね」

 そう言うことだからと、シンジはキュルケに手を振った。だがキュルケが手を振り替えそうとしたときには、すでにシンジの姿は彼女の目の前から消えていたのだ。

「ほんと、ルイズが敵視するのが分かる気がするわ……」

 キュルケにも、相手の実力が桁違いなのが分かるのだ。つい数日前まで「伝説」とまで言われていた身からすれば、その力を理不尽と考えても仕方がないだろう。面白くなってきたのは違いないが、本当に楽しめるのかどうか、キュルケは少しだけ心配になっていた。



 エキスプロージョンで壊せるのだから、ゴーレムなど難しい相手じゃないとルイズは思っていた。ちょうど良いことに、タバサの使い魔も一緒にいてくれる。だったら相手の手の届かないところから攻撃すれば、あっという間に片付いてしまうわよと。

「サイト、あんたの出番はないわ。
 今日の私は、魔力が有り余っているようだから!!」

 ルイズの魔力の元が、怒りや嫉妬ならば、間違いなくそうだろうとサイトも思っていた。あれだけシンジにこけにされたのだから、多分腸(はらわた)は煮えくりかえっているのだろう。

 イサ・ナウシド・ウンジュー・セラ……
 少し呪文を唱えるだけで、体の中を大きな魔力が駆けめぐっているのが分かる気がする。この前タバサが機転を利かせたときよりも……あれが本当に機転だったのかは、未だにルイズの中で疑問なのだが……ずっと大きく、そして早く上がっていくのが分かる。このまま呪文を完成させれば終わりと、ルイズが杖を構えたとき、暴れていたゴーレムが突然ルイズ達の方を見た。そして手に持っていた大きな岩を、シルフィードめがけて投げつけてきた。何しろ全長30メイルも有る巨人が投げつけるのだ、岩の大きさもそれなりのものとなる。間違って当たってしまおうものなら、とても全員無事では済まないだろう。とっさにタバサがシルフィードに回避させたおかげで事なきは得たが、落ちないように捕まったため、とてもではないが呪文どころではなくなってしまった。ルイズの中で行き場を失ったエネルギーは、そのままどこかに霧消してしまった。
 悪い事にゴーレムは、次々と岩を投げつけてくれるのだ。逃げるのが精一杯で、とてもではないが呪文を詠唱している暇もない。さすがのサイトも、あのゴーレム相手では時間を稼ぐこともできない。

「タバサ、あんたの使い魔を安定させて!」
「無理、逃げなければ絶対に当たる……」

 援護しようとタバサも魔法を振るうのだが、“カウンター”が効いている状態では、タバサの魔法は通用しない。結局ルイズ達は、ゴーレムの投げる岩から逃げ続けることしかできなかった。しかも悪いことに、どこからかもう一体ゴーレムが現れた。そのゴーレムまで岩を投げてくれるのだから、もう呪文の詠唱どころではない。このままでは、逃げ損なってしまうのも時間の問題なのだ。
 更に悪いことをあげるなら、岩を投げるためにゴーレムが山を崩してくれるのだ。そして投げた岩は、当然重力に引かれて地面に落ちることになる。そのせいで、ルイズ達が逃げ続ける限り、辺りに岩の雨が降り続けることになる。これでは家や田畑は溜まった物ではない。

「一度、退却する?」

 このままでは埒があかないというタバサに、

「逃げたからって、何かいい手が有るって言うの?
 このままお城まで攻め込まれたら、
 たった二体のゴーレムにトリスティンが滅ぼされることになるわよ」
「でも、呪文が完成しなければ意味がない」
「完成させるわよ、完成させてみせるわよ!!」

 イサ・ナウシド・ウンジュー・セラ……

「喋ってると、舌を噛むわ……」
「ありがとう、ちょうど今噛んだところよ……」

 口を押さえたルイズは、もう一度呪文を唱えようとしたが、またまたゴーレムの投げた石のおかげで、しこたま舌を噛んでしまった。

「勘弁してよ……これじゃ、手も足も出ないじゃない!!
 サイト、あんたも何かいい手がないか考えなさい!!」
「いい手って言われても……あいつには、デルフも歯が立たないんだぞ。
 俺が降りても、相手にもされないんじゃないか?」

 打つ手無しと降参したサイトを、ルイズはう〜と唸って睨み付けた。せっかく手柄を立てて、あのいけ好かない奴を見返してやろうとしたのに。このまま逃げて帰っては、さらにバカにされることになってしまう。とっても気に入らないのよと、ルイズは心の中で地団駄を踏んでいた。そのとき突然、全員の耳に

「手こずっているようだね」

と言う声が聞こえてきた。一体どこからときょろきょろと見回すと、3人の真後ろにシンジが座っていた。

「い、いつの間に……それにどうやって」

 震える指で指さしたルイズは、どういうつもりだと天敵を睨み付けた。

「どういうつもりって、苦戦しているようだから手助けに来たんだけど?」
「あ、あんな奴、これからちょちょいのちょいでやっつけてあげるわよ!
 予想もしない攻撃をしてきたから、ちょっと驚いただけのことよ!!」
「じゃあ、手助けは要らない?」
「そんな物、こちらからお断……ふがふが」

 シンジの助力を断ろうとしたルイズの口を、慌ててサイトが手で塞いだ。今のままでは、こちらの方が先に力尽きるのは目に見えている。しかも打つ手が全くないと来ているのだから、手助けをしてくれるというのは渡りに船だった。しかもわざわざ現れてくれたのだから、何か手があると言う事だろう。
 じたばたと暴れているルイズに蹴飛ばされながら、どういう手があるのだとサイトは聞いた。もしも一人でゴーレムを倒すというのなら、隠すという行為自体無駄になってしまうだろう。それなら最初から、一人で出撃すれば良かっただけのことになる。

「ちょっと君のご主人様を借りていくんだよ。
 ああ、君たちはそのまま逃げ続けてくれないかな?」
「でも、大きな魔力が溜まると、相手にばれますよ」

 自分たちがおとりになるというのはそれでいい。だがたとえおとりになっても、ルイズが魔力をためれば気づかれることになる。

「少しぐらいの時間なら、僕が稼いであげるよ。
 もちろん、君のご主人様が協力してくれるのならね」

 どうかと聞かれたルイズは、口を塞いでいたサイトの手を払いのけた。そしてシンジを睨み付けると、

「本当に、時間を稼いでくれるのね」

と聞いた。相変わらず険はあるし、不信が表に出まくった言葉なのだが、それでも試してみようというルイズの意志だけは感じられた。

「君が、あいつを倒すことだけ考えてくれたらね」
「それぐらい、私だって割り切るわよ。
 だったら、早くその時間稼ぎの方法を教えなさい!」
「それは、とっても簡単だよ。
 僕と君の二人で、ゴーレムの後ろ側の地面に降りるんだ。
 その後はサイト君達がおとりになって、敵から目をそらしてくれるんだよ」

 その答えに、期待して損したとばかりにルイズはため息を吐いた。

「あいつらが、黙って私たちを下ろしてくれると思う?
 それに、そんな方法でおとりが役に立つと思うの!」

 どうやって降りるのかと言うところから問題が始まるのだ。それだけでも難しい事なのに、せっかく降りても相手には丸見えなのだ。それではサイト達も、おとりになりようがないと言うものだ。少しは期待した事もあり、ルイズの落胆は大きかった。だがシンジは、そんなルイズの反応にも堪えた様子は見せなかった。

「まあ、論より証拠ってやつだね。平賀君、ちょっと君のご主人様を借りるよ」
「……ちゃんと返してくださいよ」
「それは、君たちのがんばり次第ってところかな」

 それじゃあ失礼と、シンジはルイズを抱き上げた。コハクより少し背は高いが、もっとやせているおかげでルイズはとっても軽かった。おかげでじたばた暴れられても、シンジの足下は全く揺らがなかった。。

「じゃあ、飛ぶからね」
「飛ぶって……何よ!!」

 不穏な物を感じたルイズは、身を守るように目をつぶってシンジの服をぎゅっと握りしめた。だが恐れいていた浮遊感は、ほんの一瞬しか襲ってこなかった。すぐに地面に下ろされたルイズは、驚いて青く澄んだ空を見上げた。

「……どうやったの?」
「そんなことより、早く呪文を詠唱してくれないかな?
 サイト君とお友達が、このままだと危ないんだ」
「わ、分かっているわよ……」

 シンジに促され、すぐにルイズは呪文の詠唱を始めた。これが最後の手段なのだから、失敗することは許されないのだ。

 イサ・ナウシド・ウンジュー・セラ……
 エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……

 完全に呪文を唱え終わっていないのに、ルイズは今まで以上の力が体の中に蓄えられたのに気がついた。だが大きな魔力は諸刃の剣、ルイズの存在に気づいたゴーレム達が振り返った。だがそれは、遅すぎる行動でしかなかった。すでに魔力を貯め終わっていたルイズは、迷わず2体のゴーレムに向かって“エキスプロージョン”を放ったのだ。その瞬間、2体のゴーレムの胸に白い光の点が現れた。そしてその光は、瞬く間に広がって2体のゴーレムを包み込んだ。同時にふくれあがったゴーレムは、耳をつんざくような爆発音と供に四散した。
 その光景を、ルイズは不思議な物を見るように見ていた。確かに自分の魔法で、相手を倒したことには違いない。魔力が溜まったからエキスプロージョンを放ったのだが、あんなに早く溜まるはずがないのだ。しかも放たれたエキスプロージョンは、以前に比べて威力も段違いに大きかった。おかげで攻撃を二つに分けても、ゴーレムを完全に破壊することができた……

「よくやったね、それでこそ伝説の使い手だよ」

 シンジはそう言うと、ルイズの頭をよしよしとばかりに撫でた。当然反発が有ることを予想しての行動だったが、不思議なことにルイズは食ってかかってこなかった。その代わりに、「どうして」と言う問いかけをシンジにしてきた。

「……あなた、私に何をしたのよ!
 だって、あんなに早く魔力が溜まるはずがないんだもの!
 貴方が何かしたとしか思えないじゃない!!」
「あいつらをやっつけたのは、君の力に違いないよ。
 僕は、ほんの少しだけその手伝いをしただけのことだよ」
「だから、何をしたのか教えなさいって言っているの!!
 言わないと、残っている魔力をあなたにぶつけるわよ!」

 あれだけ大きな魔力を使ったのに、まだルイズの中には魔力が残っていた。おかげで失神することもなく、シンジを追求することができた。びしっと杖を突きつけられ、シンジは降参とばかりに両手を挙げた。その魔力ですら、消してやること自体少しも難しくない。だがせっかく目の前の少女が自信を取り戻したのだから、もう少し遊んだ方が面白いだろう。

「魔力を、僕にぶつけるのかな?」
「人一人ぐらい壊すのに、十分な魔力が残っているわよ。
 時々犬にぶつけているけど、それよりは相当大きいわね」
「う〜ん、そんなことをされたら、僕はとてもからだが持たないだろうね……
 うん仕方がないか! じゃあ、ちょっと耳を貸してくれるかな?
 誰かに聞かれると困るからね」
「……辺りに、誰もいないと思うけど?」

 きょろきょろと辺りを見ても、人影一つ目に入らなかった。声を潜める必要がないと言うルイズに、そこはそれとシンジは譲らなかった。

「壁に耳あり障子に目ありって言うだろう?」
「……ここじゃ、そんなことを言っても意味が分からないわよ」
「まあ、それはそれってことで……」

 仕方がないわねと、ルイズは杖を下ろしてシンジに近づいた。

「それで、さっさと教えなさい!!」
「せっかちだなぁ、そんなことだから、サイト君との仲が進展しないんだよ」
「余計なお世話!!」

 がるると唸ったルイズは、さっさとしろとシンジに命令した。はいはいと頷いたシンジは、口をルイズの耳元に近づけた。

「君が呪文の詠唱を始めたとき……」
「私が、詠唱を始めたとき?」

 シンジの声が思ったよりも小さかったため、ルイズは耳に神経を集中した。そんなルイズの耳に、シンジは「ふっ」と息を吹きかけた。

「ひ、ひゃあ! な、何をするのよ!!」

 ぶんと拳を振るっては見たが、残念なことにそこにシンジの姿は無かった。からかうのが終わったと、さっさと城に帰ることにしたのだ。残されたのは、シンジのいたずらに顔を赤くして怒っているルイズ一人だった。この後、サイトにどんな運命が待ち受けているのか、それは誰もが知っていて、そして口に出して言えない性格の物だった。



 戦いの結果は、単純に説明するなら、ルイズの虚無によって決着が付いた。あらゆる攻撃が通じなかったゴーレムも、さすがに伝説の力には敵わなかったと言う結論である。そのこと自体、どこにも間違いなど存在していない。ルイズが放ったエキスプロージョンは、間違いなく虚無の系統だし、それを放ったのもルイズ自身だったのである。その意味では、ルイズがゴーレムを倒したという説明に間違いはない。
 だからといって、全員がそれを認められるかというと話は別物となる。そしてそのことを一番の問題にしたのは、誰有ろうルイズその人だった。今まで何度もエキスプロージョンを放っては来たが、今までにない威力の魔法が、今までにない短い時間で練り上げることに成功したのだ。あのまま最後まで詠唱を続けていたら、どんな事態が起こるのか恐ろしいほどだ。

「犬っ、ちょっと待ちなさい!!」

 一通りの儀式という名の騒ぎが終わったところで、ルイズはこっそりと抜け出そうとするサイトを捕まえた。すでに天敵の姿がないところを見ると、どこかで落ち合う約束でもしていたのだろう。そう考えたルイズは、自分も連れて行けとサイトに命じた。

「連れていけって……」
「あいつのところに行くんでしょう!!
 聞きたいことがあるから、私を連れて行けって言っているの!!
 いやというのなら、ちょっと痛い目に遭って貰うけど、それでも構わない?」

 そう言って杖を取り出す物だから、サイトは分かりましたと答えるしかない。自分に何一つ落ち度がないのに、そうそう黒こげにされたくはないのだ。もっとも、これまで黒こげにされたとき、必ずしもサイトに落ち度があったわけではないのだが。
 それでもサイトは、最後に一つだけ念押しをすることにした。どこと言って連れて行かないと、結局黒こげにされてしまう気がしたのだ。

「お前、本当に付いてきて良いのか?
 俺たちの行く店って、スカロンさんのところだぞ」
「スカロンって……うぇっ!!」

 どういうところか思い出し、ルイズはあからさまに嫌な顔をした。スカロンの気色悪さは慣れては来たが、会いたくない天敵があそこにもいたのだ。

「まさか犬、それが目的であそこに通っているの?
 だったらお仕置きが必要ね」

 しまっていた杖を取り出したルイズに、誤解だとサイトは必死に弁明した。

「碇さんに、どこかに遊びに連れていけって言われたんだ。
 でも、俺が知っているお店って、あそこぐらいしかないんだよ。
 って言うか、街でスカロンさんに遭って、そのまま連れ込まれたんだよぉ」

 信じてくださいご主人様。痛いのも熱いのもごめんですと、サイトは両手をこすり併せてルイズに慈悲を求めた。あまりにも真剣にお願いされた物だから、仕方がないとルイズも杖を収めた。

「で、本当に行くのか?」
「き、き、客として行くんだからね。
 ぜ、絶対に恥ずかしい格好はしないんだから」

 潜入調査のことを思い出したのだろう、ルイズの顔は真っ赤にゆであがった。最後は勢いだったが、あのときのことは今思い出しても顔から火が出てくる。どどどどうして、貴族の私が、あんな真似をしなくちゃ行けなかったのよと。多分もう少しだけ時間を遡って思い出せば、自業自得だと理解できたのだろうが。
 ルイズが何を思いだしているのかなど、心の中を覗かなくても想像ぐらい付く。なんだかなぁと呆れながらも、結構良かったのかもしれないとビスチェ姿のルイズを思い出したりしてもいた。カーテンのようなベビードールより、アッチの方が可愛らしかった。もっとも、そんなことを口にしよう物なら、誤解されて消し炭にされるのは火を見るよりも明らかなのだが。

「で、行くのか?」

 くどく聞き直してきたサイトに、もちろんだと、ルイズは絶壁の胸を反らした。

「ゴーレムを倒したとき、絶対にあいつが何かしたはずなのよ。
 それを確かめるのは、姫様に仕える貴族としての義務に違いないのよ。
 そう、私は義務を遂行するために、変なお店にも出入りするのよ!!」

 決意を固めたルイズは、四の五の言わずに連れて行けとサイトに命令した。これ以上何か言うのなら、消し炭にするという脅し付きである。

「そこまで言うのなら、反対しないけどな……」

 天敵二人が揃っているところに足を踏み入れるなんて、よほどの怖い物知らずなんだとサイトはルイズの行動にため息を漏らした。後先を考えないところは、一体誰に似たのだろうと、ヴァリエール一家を思い出したりもしていた。だがそんなことをすると、思い出すのは憧れのカトレアである。そして当然、その思いが口を突いて出てくることになる。

「大きくなったらカトレアさんみたいに……って思ったけど、絶対に無理だな……」
「犬っ、聞こえているわよ!!」

 余計な一言のせいで、結局消し炭にされるサイトだった。



 そしてちょっかいを仕掛けた方もまた、今回の結果には驚いていた。この程度で勝つことは無いだろうと考えていたところはあるが、それでも決着の付き方が予想外だったのだ。楽しく追い回していたはずのルイズが、いつの間にか遠く離れた場所に現れたこと。そして邪魔をするのよりも早く、虚無の魔法を発動させたこと。これまでの戦いが、虚無(ゼロ)を育てたことは認めていても、今回の結果はその延長線上にも無いものなのだ。
 それを問題にしたミューズに、ジョゼフ王は大したことではないと笑い飛ばした。

「余のミューズよ、案ずることはないのだぞ。
 我らはヨルムンガントで騎士団を作ろうとしているのだ。
 今のままでは、1騎では確かに兄弟に敵うまい。
 だが数の力をバカにする物ではない、10、20揃うだけで、世界はわれの足下にひれ伏すことになる」

 そう言って恍惚の表情を浮かべたジョセフは、元々の目的だとミューズに告げた。

「小娘の使い魔とやらが、どのような者かを見定めるのが目的だったはずだ。
 噂によると、城の中から一歩も外に出なかったと言うではないか。
 そんな臆病者が、どうして始祖を超える者であろうか。
 噂は噂、目くじらを立てるほどのこともなかったと言うことだ」
「ジョゼフ様の仰有る通りかと思いますが……」

 ミューズの言葉に含まれたためらいに気づき、ジョゼフはどうかしたのかと問いただした。

「確かに、虚無の使い手はドラゴンの背中に乗っておりました。
 それがいつの間にか、ヨルムガントの後ろに現れたのです。
 あの場に居合わせた者に、そのような能力を持つものは居りませんでした。
 ならば、突如場所を変えたのは、ゼロの力と言うことになるのでしょうか?」
「ミューズは、あの者が始祖の書を読み進んだと考えているのか?」
「そうでなければ、あのような力が突然現れるはずがないのです。
 そしてもう一つ気がかりなのは、エキスプロージョンの呪文の完成が、急に早くなったことです。
 しかも時間が短くなったのに、その威力は2騎のヨルムンガントを完全に破壊しました。
 これもまた、予想もしていないことでした」

 ミューズの言葉に、ふむとジョゼフは腕を組んで考えた。遊びというのは、相手が期待に添えるだけの力を持っていなければ面白くない。その点で、今までのルイズ達は、ジョゼフの期待に十分応える活躍をして見せてくれたのだ。不格好にも勝利を掴む様を、見事なものだとジョゼフは賞賛さえしていたのだ。その理由に、恐れるほどではないという余裕があったのは間違いない。だがミューズの懸念が確かなら、ジョゼフの余裕も少なくなったと言うことになる。いくら退屈しのぎだと言っても、追い詰められ、討ち取られたりしたら面白くない。ジョゼフは、まだまだ楽しむことが有るはずだと考えていたのだ。

「ミューズよ、お前は余の兄弟を生かしておくべきではないというのだな?」
「ジョゼフ様がお楽しみなのは分かっております。
 そしてそれが、差し出がましいことだというのも理解しています。
 ですが私は、ジョゼフ様のためにも危険の芽をつみ取るべきだと思っています」
「だがなミューズよ、戦争というものは一人二人でする物ではないのだ。
 いくら大きな力を持つメイジがいたとしても、戦力となるには必要な数という物がある。
 数を頼らなくても良いのは、神と呼ばれる物だけであろう。
 そして始祖ブリミルの力にしても、4つに分けられてしまっているのだ。
 4つが揃わねば、誰も絶対の力など得ることはできぬ」

 それはハルケギニアの中で、真理として伝えられてきた教え。始祖ブリミルは、死に際して己の力を4つに分け、それを4つの指輪に閉じこめたという。その指輪こそが、ハルケギニア王家に伝わる指輪なのだ。しかも伝説を裏付けるように、資格のある物が嵌めることで、始祖の力を使うことができるようになる。その力を持つものが、虚無の使い手と呼ばれている。そしてガリア王ジョゼフもまた、その使い手の一人なのだ。

「指輪の二つが、小娘のところにあるのは分かっておる。
 退屈しのぎが終わったら、そうそうに取り上げることを考えておる」
「あまり時間を与えすぎますと、トリスティンといえど手強くなるのかと……」
「そのためのヨルムンガントだと思っておるのだがな。
 始祖と先住の力を併せ持つ鋼鉄の騎士達なのだ、その進軍を止めるのは容易なことではないのだぞ。
 余の兄弟を押さえれば、トリスティンなど砂上の楼閣、何もせずにあっさりと崩れ落ちることだろう」

 結局、ジョゼフの持ち駒に抗えるのは、虚無の力を持つルイズだけなのだ。そのことを正しく理解したジョゼフは、恐れることはないのだとミューズに言った。

「虚無と虚無が戦うことになった場合、勝負を決めるのはその能力の差ではない。
 虚無を支える者達の力、最後はその力の差が勝負を決めることになる。
 余のガリアと小娘のトリスティン、ゲルマニアが加勢したところで、勝負など目に見えておるだろう」

 戦に勝つ秘訣は、一つだけの強大な力を持つことではなく、その力を適切な戦略で生かすことだとジョゼフは笑った。そしてその戦略が、トリスティンの小娘には全くないのだと。それが自分の過信でないことを、ジョゼフは正しく理解していたのだ。そしてそのことは、トリスティンの小娘と言われた、アンリエッタ自身も認めていたことなのだ。

「だから余のミューズよ、小娘の使い魔など恐れる必要はないのだ。
 いかに大きな力と言っても、お前達兄弟に敵う物ではないのだろう。
 それに先ほども申したが、戦に勝つには戦略が必要となる。
 使い魔ごときに、戦略を預かることなど出来るものではないのだ」

 心配は不要だと断言したジョゼフに、ミューズは頬を少し染めて、その通りだと頷いたのだった。



***



 3界の総力を挙げたシンジの捜索も、今は完全に行き詰まりの状況を示していた。多層空間を超えたシンジの航跡も、1万を超えたところで見失ったままなのだ。そうなると、目の前に横たわる無限の可能性が恨めしくなる。当てずっぽうで行き先が見つかるほど、可能性の数は少なくない。痕跡を探そうにも、その痕跡自体時間と供に薄れていく物なのだ。それは、時間の経過と供に、捜索が困難になるという事実を示す物だった。

「つまり、シンジの捜索は完全に手詰まり。
 新しい手を考えようにも、時間が掛かりすぎて手の打ちようがないと……」

 困ったわねとため息を吐いたアスカに、碇家一同合わせたようにため息を吐いた。ここまでの捜索で、コハクやサードニクスの冗談でないのは明らかになっている。ましてやパーガトリ王家が手を出せるほど、シンジやコハクは安全な存在ではないのだ。

『コハク様、今ならすべて許して差し上げます。
 ですから、大人しくシンジ様を返していただけませんか?』

 そうヒスイが“冗談”で言ったのは、コハクを含めて全員の希望だったのだ。コハクにしても、返せる物ならすぐにでも返したいというのが本音だった。

「やっぱり、シンジからの働きかけを待つしかないのかしら?」
「ですがアスカ様、いくらシンジ様でも遠くの世界から何かできるのでしょうか?」

 そう疑問を呈したヒスイに、常識的には駄目だろうとアスカは白状した。

「でも、シンジに常識を求めるのって、間違いだと思わない?」
「確かに、仰有るとおりシンジ様には非常識なところが多々ありますが……」

 ヒスイのみならず、全員が全く疑問を挟まないのだ。そう考えると、シンジはどうしようもない非常識と言うことになる。このこと自体本人が聞いたのなら、精一杯否定しているところだろう。ただ当のご本人は、遠くの世界で遊びほうけているのだ。そんなところを見れば、妻達に“非常識”と言われても仕方のないことかもしれない。

 シンジを非常識な存在にして、実りのない報告会は終わりを迎えるかと思われた。脱力した妻達を代表して、アスカが解散を告げようとしたまさにそのとき、コハクの元に急の知らせが入ってきた。

「ふむ、そうか、確かにルシファーが動いたのだな!」

 ぱっと顔を明るくしたコハクは、よしよしと何度も頷いて見せた。ルシファーに現れた変化は、シンジがコンタクトしたことに他ならない。そしてその事実は、シンジが無事だということにも繋がるのだ。そしてコハクが頷きながら報告を聞いているのを見ていた妻達は、話が終わったところでどうなったのだとコハクに詰め寄ったのだった。

「うむ、ルシファーに明確な動きが見られたという。
 どこからというのを辿ることはできぬが、シンジがルシファーを動かせるのは分かったのだ。
 後は空間を超えて呼び寄せてくれれば、必ずしや我らが不届き者のしっぽを捕まえてやろう!」
「シンジは、ルシファーが動いたのを知っているのかしら?」

 いい話なのだが、それが認識できていなければそれ以上の動きを見せることはない。そこは……とコハクが詰まったとき、新たな知らせがコハクの元に届けられた。

「ふむ、そうか、ルシファーがそのような真似をしたのか」

 うんうんと先ほどよりも嬉しそうに答えるコハクに、どういうことだと全員が詰め寄った。コハクの顔を見る限り、良い知らせなのは間違いない。だったらその知らせが、どんな良い知らせなのかを早く知りたいというのだ。

「どうも、技術士によると、ルシファーが妙な動きをしたというのだ。
 そしてよくよく観察してみると、何かを伝えようとしているのが分かったと言うことだ。
 技術士が読み取った限りでは、シンジは無事であることを伝えようとしているらしい」
「それ以上に、何か無いの? 今どこにいるのかとか、どんなところにいるのかとか?」
「さすがに、それを伝えるには遠く離れすぎておるのだろう。
 前夜にシンジにも話したのだが、世界は遠く離れるほど違いが大きくなる。
 それに我らにしても、1万までは後を追ったのだぞ。
 いくら己の身に関わることとはいえ、そこまで数えられるとは考えられぬ。
 それに、空間の方向は、絶対的な座標が分からぬ限り教えようがない」

 論理的に不可能というコハクに、そうなのかと全員が落胆した。だがすぐに、「元気だったら何とかなる!」と言うアスカの言葉に勇気を取り戻し、新たな動きを待つことにした。拉致されてから、初めてシンジからコンタクトがあったのだ。おかげで、アスカ達妻の抱えていた心配のほとんどが解消されたのだ。



***



 何とか念願を叶えようと足掻いてみたが、アンリエッタがどう頑張ってもシンジを出し抜けなかった。それこそ「眠れなくなる」と言う怪しげなクスリまで使ってみたのだが、気が付いたら「さわやかな」朝を迎えてしまうのだ。小間使いに「起こしに来るように」と命じておいても、どう言う訳か成功していない。小間使いがさぼったわけではなく、いくら起こしても目を覚ましてくれなかったらしい。そんなに寝付きがいい訳でも、深すぎる眠りをしているつもりもないのだけれど、現実にアンリエッタは念願を叶えてはいない。しかもアンリエッタが目を覚ました時には、シンジのベッドはもぬけの殻になっているのだ。一応使用した形跡があるのだから、言いつけ通りこの部屋で寝ているのだろう。

「姫様、私にそれを求めますか?」

 従ってルイズに助けを求めたアンリエッタだったが、返ってきた答えはこの通りなのである。「魅惑の妖精亭」で話をしたおかげで、多少はシンジに対する嫌悪感は軽くなっていた。だからと言って、失禁までさせられた事を許せるはずがない。しかも落ち着いてくると、手も足も出ない事への恐怖も頭をもたげてくるのだ。

「これは幼馴染みとしての忠告だとお考え下さい」

 そしてルイズは、アンリエッタのためと、言いたくもない忠告をする事になった。意外にもそれは、今までに比べてシンジの立場はぐっと向上していた。

「あの男のことは、諦められた方が良いかと思います。
 サイトとは違い、コントラクトの魔法が効いているとは思えません。
 ハルケギニアの宝石と讃えられる姫様でも、あの男の気を引く事は出来ないのではないでしょうか?」
「ルイズがそう考える、理由を教えてもらえませんか?」

 はいと肯いたルイズは、「魅惑の妖精亭」での事を説明した。

「そこであの男は、妻を残してきたと教えてくれました。
 そして、『写真』なる姿を写し取る物を見せてくれました。
 『写真』で見せられたあの男の妻達は、姫様に勝るとも劣らない美しさを持っていました」
「ですが、この世界ではお一人のはずですよ……」

 どこの馬の骨とも知れぬと言われて反対された方が、アンリエッタにしてみればよほど気が楽だった。だがルイズの説明は、もっとアンリエッタの心に重くのしかかるものだった。

「いつまでも、ここにいるつもりはないと言っていました」

 ルイズは、その時にはどうするかとも聞かれていたのだが、敢えてそのことは口にしなかった。

「それは、帰れるという事でしょうか?」
「私には、時間の問題だと言っていましたが……」

 自分で言い出しておきながら、まずい展開だわと、ルイズはこの後言われる事に身構えた。あの男が帰れるという事は、当然サイトも帰れるという事に繋がってくる。そうなると、ルイズはどうするのかという話に繋がってくる。そしてルイズが構えたとおり、アンリエッタはサイトの事を持ち出した。

「シンジ様が帰られるという事は、サイトさんはどうなるのですか?
 サイトさんが帰ってしまって、貴方はそれで良いのですか?」

 本当に思ったとおりの問いかけに、ルイズは、

「それはサイトが決める事だと思っています」

と答えた。少し冷たい答えに聞こえるが、それはルイズにとって嘘偽りのない答えでもあった。サイトには、元の世界に家族が居るのだ。しかも突然居なくなったのだから、どれだけ家族が心配しているのだろう。それを考えれば、ルイズは「残れ」と命令するわけにもいかないのだ。

「私は、元の世界に帰してあげるのが自分の責任だと思っていました。
 ただその時期が、私の考えていたのよりも早くなったと言うだけの事です」
「ですが、シンジ様やサイトさんが居なくなっては……」

 今となっては、そのことを考えるのも恐ろしくなっていた。シンジが具体的な貢献をした事はないのだが、サイトの存在は今やトリスティンには欠かせないものになっていたのだ。未だ戦争の脅威が去っていない事を考えれば、サイトが居なくなると言うのは祖国の存亡にも関わる事だろう。
 少し呆然としたアンリエッタに、「姫様」とルイズは少し声を荒げた。「魅惑の妖精亭」でシンジに言われた事を、今まさに目の当たりにしていたのだ。

「姫様は、この世界がどうなればいいとお考えなのですか?
 戦争のない平和な世界というのは、願望を口にしただけの事で、なんら具体的なものはないのです。
 姫様は、それがどのような世界で、どう言った道筋でその世界に至るのか、
 それを私たち臣民にお示しになる責任があると思っています」

 「魅惑の妖精亭」でシンジは、同じ事をルイズに語っていた。願望を口にするのをいけないと言うつもりはないが、立場に応じた責任が付いてくるのを忘れてはいけないと。どのような世界を目指し、自分がそれにどう関わっていくのか、そして国民に、何を期待するのか。一国の王は、それを示して臣民を導いていく必要がある。それがなければ、ただ単にその立場に座っているだけのお飾りでしかないのだと。

『だけど、それが間違った方向だったらどうするのよ!』

と、すかさずルイズが言い返したのだが、逆にシンジに反撃されてしまった。

『それを正すのは、君たちの役目じゃないのかな?』

と。あまりの正論に、さすがのルイズもそれを認めないわけにはいかなかった。そしてそのために、自分はアンリエッタの側にいるのだから。そしてそれを認めたからこそ、ルイズはアンリエッタに厳しい事を言わなければならなかった。

「私たち貴族は、この世界の行く末を語る義務があります。
 戦いのない平和な世界というのは、耳障りが良く、民の受けも良いのでしょう。
 ですが、そこに至る方法が示されなければ、現実に目を向けない愚か者と笑われることになります。
 すべてを姫様に押しつけるつもりはありませんが、まずお考えを示して頂かなければと思っています」
「それが、私の務めであるのは理解しています……」

 アンリエッタにしても、そのことを考えていないわけではなかった。ただ「戦争のない平和な世界」を実現する方法は、数限りなくあり、それぞれに大きな問題を抱えているのだ。ロマリア教皇の口にした、聖地回復というのもその方策の一つだろう。確かにハルケギニアにとって、聖地回復は大きな目標となる。それがなされるまでは、ハルケギニア内の戦争は無くなってくれるだろう。だがそれは、聖地を占領するエルフとの戦争を行う意味に繋がる。遙か遠地への兵士達の出征ともなれば、多額の費用負担に、民草の負担も大きくなる。そして戦いが長引けば、逆に領地が荒廃する事になるだろう。そうなれば、新たな戦いの種を蒔く事になる。
 無抵抗を貫く事も、戦争を無くす方法の一つになるだろう。こちらがが戦わなければ、戦争になどなりようはないのだ。だが無抵抗の先に何が訪れるのか、無抵抗を決めた途端に、先の展望を語る資格を持たなくなる。略奪・陵辱を受けようとも、それを責めるのは侵略者内部の問題となり、侵略を受けた側はただ黙って耐えるしか無くなるのだから。下手をすれば、虐殺される事もあり得るのだ。

「ですが、とても難しい問題だと思っています。
 貴方という力はあっても、トリスティンは小国なのです。
 ガリアの様な大国には、ゲルマニアの力を借りても敵わないでしょう。
 そしてロマリアは、聖地回復という方針を打ち立てています。
 その方針に逆らえば、私たちは逆に諸国に攻め入る口実を与えることになります。
 このように、私たちの選べる方法は驚くほど限られているのです。
 そして選べる方法のほとんどが、今の状態を守る事ぐらいしか出来ないのが現実でしょう」
「でしたら姫様は、今の各国の状態を維持することが、方針だと仰有りますか?」
「それが、民達にも大きな犠牲を強いなくてもすむ方法ではないかと思っています」

 もちろん、一言“維持”と言っても、それは容易いことではない。だがそれは、自分からは何もせず、ただ受け身になる危険性を孕んだ決定でもある。周りが変わらなければ、自分も何も変わらなくて済むのだから。
 しかしトリスティンには、ルイズの“虚無”と言う力がある。すでにちょっかいが掛けられているように、この力のせいで争いを呼び寄せる可能性もある。しかもロマリア教皇は、虚無の力を聖地奪還に使おうと考えている。これもまた、今のままの状態を保つことを、極めて困難にする理由となっていた。

「姫様、世の中はすでに動き始めているのです。
 その動きの中で、“今のままで居たい”と何もしないのは、
 逆に動きをせき止めようとすることになります。
 それがけして穏やかな方法でないことは、姫様なら理解していると思っているのですが……」

 まず最初にぶつかるのが、ロマリアと言うことになる。そうなれば、屈服する以外は戦争するしか方法が無くなる。しかもガリアは、継続してちょっかいを掛けてくれるのだ。その対策がおろそかになれば、たちまちトリスティンは滅亡してしまうだろう。始まりは、聖地奪還を名目にしたレコンキスタの起こした反乱なのだが、それをきっかけとして世界は大きく動き出してしまった。その鍵の一つに、ルイズが虚無の使い手として加わってしまったのだ。

「しかし、先ほども言いましたとおり、私たちが選ぶことのできる道は少ないのです。
 そしていずれの道も、大きな争いを起こすことになります」

 たとえばとアンリエッタが上げたのは、ロマリア教皇の勧めに従うというものだった。そうすれば、ハルケギニアの中で戦いになることはなく、戦地は遠く離れたエルフの国となるだろう。

「ですが、その戦いのために、領民達には多くの負担を強いることになります。
 そうなれば、国が荒廃することになるでしょう。
 ではロマリア教皇の勧めに反した場合、
 私たちはロマリア、ガリアの両国を相手にしなければなりません。
 そうなれば、トリスティンは火の海になるでしょう。
 ゲルマニアとの協力関係を強化するという道もあります。
 それならば私が嫁ぐか、ゲルマニア王家の誰かを夫として迎えれば済むでしょうね。
 ですが、それはトリスティンがゲルマニアの属国になる一歩となるでしょう。
 しかも先の問題に対する答えを、ゲルマニアに委ねることになります」

 道を考えることなら、嫌と言うほどアンリエッタは続けてきたのだ。そしてその中で見つからないからこそ、悩み、心細くなっていたのである。だから不要と思っていた使い魔の召還儀式も、渋々することにしたのだ。
 そんなアンリエッタに、ルイズは厳しい言葉をぶつけた。それはアンリエッタやこの国のことを考えてのことなのだが、ルイズにしてみればいささか不本意なものでもあった。よりにもよって、一番頼りたくない男を頼れと言うのだから。

「姫様、あの男に姫様が求めるべきは、男と女の関係ではありません。
 嘘か誠か知りませんが、あの男は大きな動乱を収めた英雄だと聞いています。
 そして異なる考え方、そして戦争を続けていた3界を統治しているそうです。
 姫様は、あの男をベッドに引き込むことではなく、この国の行く末を考えてはいただけないでしょうか?
 そうすれば、私たちでは考えも付かない道を示してくれるのではありませんか?」
「シンジ様に、ですか」

 とても失礼なことを言われていたのだが、話の重大さを優先したアンリエッタは、敢えてそのことには触れなかった。確かに自分の使い魔は、ハルケギニアよりも広い3界に君臨していたらしい。だったらその過程を教えて貰うだけでも、トリスティンの進むべき道を示す役に立つのではないだろうか。

「確かにそうね、ありがとうルイズ。
 是非ともシンジ様に相談してみたいと思いますが……」

 だがアンリエッタには、越えなければならない壁が存在していた。こんな話、公務の合間にできることではない。ならば公務から解放されてからと言うことになるのだが、あいにくシンジが現れるまで起きていたことがないの。
 そんなアンリエッタの懸念に、ルイズは優しく微笑んで見せた。そして主と使い魔の不思議な関係を説明した。

「主と使い魔は、視覚や聴覚を共有すると言われています。
 サイトも、私の目を通して危険を知ったことがあると言っています。
 あの男ほどになれば、姫様のお気持ちも感じ取るのではないでしょうか。
 姫様が真剣に相談をしたいと考えたのなら、必ずあの男も答えてくれるのではありませんか?」
「シンジ様に避けられているのは、すべて私の気持ちが理由だというのですね?」

 これまたとても失礼なことなのだが、ルイズの言葉は正鵠を射ていた。そのせいもあって、アンリエッタは反発する代わりに俯いてしまったのだ。

「……ルイズ、貴方はシンジ様のことを私よりも理解しているのですね」
「別に、理解しようと思ったわけではありません。
 サイトを問い詰めたら、あの男と遊び歩いていると言うではありませんか。
 色々と聞きたいこともありましたので、連れて行けとサイトに命じたのです。
 私自身、あの男と一緒にいたいなどと考えたことはありません!!」

 恥を掻かされたことは、未だにふかぁく根に持っているルイズなのだ。しかもサイトと良い雰囲気になったところを邪魔されたのだから、恨み骨髄に徹すと言うところなのだ。

「それでもルイズ、貴方の方が私よりもシンジ様を理解しています。
 これで主と使いまだなんて、恥ずかしくて口にできませんね。
 一緒の部屋で寝起きしていても、心が通じ合うことなど無いのです……」

 そう答えたとき、アンリエッタの瞳には涙が浮かんでいた。ルイズに告白しているうちに、どうしようもなく自分が情けなくなってきたのだ。ハルケギニアの宝石などとちやほやされても、結局誰もそばにいてくれないではないか。しかも異世界から連れてきた殿方に、恥も外聞もなくしっぽを振っている。それで思いが叶うならまだしも、徹底的に避けられるという屈辱を受けている。これが一国を治める女王というのだからお笑いだ。

「このようなことを申し上げるのは、姫様に失礼だとは承知しています。
 ですが敢えて言わせていただければ、理解というのは一方通行で進む物ではありません。
 姫様は、あの男が何を考えているか、どうして姫様を避けるのか考えたことがありますか?
 私には、元の世界に残してきた妻達だけが理由とはどうしても思えないのです。
 そしてもう一つ失礼ついでに言わせていただければ、
 今の姫様は私の目から見ても魅力的ではありません」

 耳の痛い言葉に、やはりそうですかとアンリエッタはさらに俯いた。そして床には、アンリエッタの流した涙がシミを作っていた。
 徹底的に落ち込んだアンリエッタを前に、仕方がないとルイズは一つ提案をすることにした。それはルイズとしては気が進まない、シンジともう一度話をしようと言うことだった。ただ今度は、「魅惑の妖精亭」にアンリエッタも連れて行く。

「姫様、今宵私と一緒に城を抜け出しましょう。
 あの男が居るところは分かっています。
 そこで、一度しっかりと話をしてみるのはいかがでしょうか?」
「今夜、城を……ですか?」

 ルイズはその通りと頷いて、ベッドなど有るからいけないのだと、舞台装置の悪さを断じた。

「そうすれば、姫様がお話をしに来たのだと証明できます。
 それに姫様も、余計なことを考えなくても済むのではありませんか?」
「余計なこと……そう、そうなんでしょうね……」

 ちっとも余計なことじゃないと言いたい気持ちはあったが、今はそんなことを言ってはいけないわとアンリエッタは自重した。こんな所でルイズの機嫌を損ねたら、シンジ様のいらっしゃるところに連れて行って貰えない。

「ではルイズ、私はどのような格好で行けばいいのでしょうか?」
「平民も訪れる酒場ですから、目立たない質素な格好が宜しいかと。
 できれば、アンリエッタ様と分からない方が良いと思います」
「私と分からないようにですね……」

 このことをルイズ以外が言っていたら、おそらく大変なことになっていただろう。一国の女王に城を抜け出し、平民が出入りする酒場に行くことを勧めているのだ。しかも女王と分からないようにしたのなら、どんな無礼な真似をされるのか分かったものではない。それにトリスティンを狙う者の耳に入ろう者なら、すぐに一大事となってしまうようなことなのだ。
 そのことに気づいたのか、ルイズは少しだけ方向性を修正することを言った。それは、

「一応銃士隊隊長の協力を仰いだ方が良いのではないでしょうか?」
「アニエスのですか……」
「あの人の方が、私たちよりも“世間”をよく知っているでしょうから」

 あまり認めたくないことなのだが、今は仕方がないとルイズはアニエスを頼ることにした。彼女なら、きっとアンリエッタの安全を考えてくれるだろう。ひょっとしたら止められるのかもしれないが、そのときはそのときで仕方がないとルイズは考えていたのだ。



 シンジは『ランパブ?』と言ったのだが、「魅惑の妖精亭」はれっきとした酒場である。まだ準備をしているところに連れ込まれたせいで、半分下着姿だっただけのことなのだ。しかもやってきたのがサイトだったため、ジェシカも悪のりしたのが実態だった。従ってルイズに連れられてアンリエッタが訪れた時には、“多少”きわどい程度の衣装を彼女たちは纏っていたのである。それでもアンリエッタには、相当刺激的だったようだ。

「このようなお店に、シンジ様は出入りしているのですね?」

 初めて見る喧噪に、アンリエッタは目を丸くして驚いた。そしてもう一つ驚いたのは、働く女性のなれなれしさである。もっともルイズ達のところに寄ってくるわけではなく、お金を持っていそうな殿方への密着度が凄かったのだ。

「ルイズ……貴方は、このようなところで働いていたのですか?」
「ひ、いえアン、これも姫様のお役に立つため。
 街の評判を聞くには、酒場というのが一番好都合なのです」

 さすがにアンリエッタの正体をばらすわけにはいかない。そのためどこから探してきたのかと言いたくなるような質素な服を着させて、髪もぞんざいにまとめられていた。そして敢えて貧相に見えるように、頬に少し墨を入れたりした。そして呼び名も、「アン」と呼び捨てることにしたのだ。ちなみにこの店では、ルイズのことを知らない者は居ない。だから偽名も変装もしないで、そのまま「ルイズ」で通していた。

「ルイズも、あんなことをしたのですね……」
「ですから、潜入調査の為ですから……」

 アンリエッタがきょろきょろと辺りを見回すものだから、せっかく隅に引きこもっていたのに目立ってしょうがなかった。そもそもアンリエッタの美貌は、ハルケギニアの宝石とまでたたえられた物なのだ。多少メイクで見た目を悪くしても、男達の目をしっかりと引きつけていた。
 そうなるとお約束とでも言えばいいのか、アンリエッタと一緒に飲みたいという男達が現れた。もちろん、ただ一緒に飲むだけで話が終わるわけではなく、あんなことやこんなこと、商売女相手でも問題だと言いたくなることをしようと企んでいるのである。この辺りまでは、ルイズも覚悟をしていたことなのだが、一つだけ情けないことが有るとしたら、声を掛けてきた相手が騎士達だったと言うことだろうか。あんたたち、自分の仕えるご主人様の顔ぐらい覚えておきなさい! ルイズとしては、その辺りを強く主張したいところだった。

「これはこれは、見目麗しきご婦人方。
 見たところお二人きりのようですが、是非とも私たちと一緒に夜を楽しみませんか?
 このような場所は、賑やかに遊んで、日頃の辛さを忘れるものですよ」

 あごひげを生やした冴えない男が、代表して声を掛けてきた。灯りのせいで分からないのだが、呂律からするとずいぶんと酒を飲んでいるらしい。要は酔っぱらいなのだが、そんな酔っぱらい相手にアンリエッタは礼儀正しくお断りの言葉を返した。

「お誘いいただいて光栄なのですが、私たちは連れを待っております。
 間もなく参ると思いますので、お誘いはお断りさせていただきます」
「連れっ? そいつぁ残念だなぁ。
 多分その連れは、いつまで経っても現れないと思いますよ」

 なあと仲間に同意を求め、だから一緒に飲もうと男は絡んできた。ルイズが入り口に目を向けると、そこには仲間とおぼしき男達が立っていた。これが貴族なのだから、なんて情けないこととルイズは頭を抱えてしまった。ちなみにルイズの魔力は十分に足りているので、いつかのような無様なことは起きないと思っていた。

「いえ、約束は必ず守ってくれるお方ですから。
 ですから、もうすぐ現れると思います」

 女王という身分を明かせば、この程度の問題なら簡単に解決できるのは分かっていた。だがそれでは、せっかくアニエスが手引きしてくれた意味がない。だからアンリエッタは、大きく構えて「お構いなく」と繰り返した。

「俺たちは、お構いしたいんですけどね」
「私は、お構いなくと申し上げました。
 これ以上の強引なお誘いは、女性に対して失礼だと思いませんか?」
「こういう店に来て居るんだから、男をあさりに来ているんだろう!
 売女のくせに、すました顔をするんじゃない!!」

 相手にされないことに切れたのか、男は荒々しくアンリエッタの手を掴んだ。さすがにここまでされると、ルイズも大人しくしているわけにはいかない。痛い目に遭わせてやろうと、忍ばせておいた杖に手を掛けた。だが相手もさる者、ルイズが杖を抜く前に3人が杖を向けてくれた。こうなると、魔法しか攻撃方法を持たないルイズには、何もできなくなってしまう。

「このような場所で魔法とは、無粋な真似をしてくれなさるな。
 暇な貴族の男あさりってのはお見通しなんだよ。
 一緒に暇を潰してあげようという優しい気持ちが分かりませんかね?」
「残念ながら、分かりませんわ。
 それよりも連れが来たようですので、お引き取り願いたいのですが?」
「連れ?」

 男がアンリエッタの視線を追うと、そこには「いかにも平民」と言う青年が二人立っていた。なるほどと頷いた男は、「悪い趣味だ」と口元をにやけさせた。

「せっかく貴族の家に生まれたんだ、平民はやめておいた方が良いですよ。
 もしも表沙汰になったら、家の名前に傷が付くことになる」

 つまり、断ったら表沙汰にするという脅しである。安っぽい脅しだと思いながら、何とかしないサイトルイズはサイトを睨み付けた。だがいつもは背中にあるはずの物がないのに気がつき、盛大に心の中で「ドジ」と毒づいていた。いくらガンダールフでも、武器を持たなければ「ただの人」でしかない。ざっと見ただけで相手は10人居るのだから、サイト一人でどうにかなる物じゃない。そうなると、あのいけ好かない男に頼らなければならなくなる。
 だが気丈なアンリエッタは、

「お気遣い頂いてありがとうございます。
 ですが、それは私たちの問題ですから、
 これ以上立ち入らないで欲しいものです」

と言い返した。それなりに立派な態度なのだが、この程度で男達は引き下がってはくれるはずがない。

「これは、貴族全体の沽券に関わるんだよ。
 あなた達みたいな若い女性が、平民の相手をしているとなると、
 貴族全体の評判が落ちるのでね」

 その言葉が合図になったのだろう、シンジとサイトの回りを、男達が取り囲んだ。正確な人数を数えると、11人の貴族達だった。しかも全員が、攻撃用に杖を構えていた。少しでもおかしな真似をしたら、容赦なく攻撃されるのだろう。

「なんで、こんなベタな話をしてくれるのかな……」

 突然取り囲まれ、いきなり武器を向けられたのである。さすがにシンジも驚くかと思ったのだが、驚いたのはどうもサイトだけだったようだ。離れたところにいる女性二人に目をとめたシンジは、お約束過ぎると文句を言った。

「平賀君、僕はこういう時どうしたら良いんだろうね?」
「い、碇さん、余裕っすね」

 少しビビっているサイトに、そりゃあとシンジは呆れたという顔をした。

「あんなものが武器だろう?
 よっぽど銃で取り囲まれた方が怖いと思うんだよ」
「い、いえ、この場でそんな事を言うのも無謀かなって」

 魔法なんて銃以下だと言っているのだから、貴族にとって最大の侮辱でしかないのだ。それをこれ見よがしに言われれば、火に油を注ぐようなものだろう。もともと酒のせいで赤かった顔が、更に怒りで赤くなっているのがサイトからもよく分かった。

「あっちゃー、どうするんです!?」
「とりあえず、平賀君は地面に伏せてくれるかな?
 それを合図に、全員を片づけるよ」
「ほほう、お前一人で我らを相手にするというのか!」

 一人で十分と言われ、男達の怒りは更に激しくなったようだ。今にも血管が切れそうなほど顔を赤くした男を前に、「連れは弱いから」とシンジは嘯いた。素手で強いと言うつもりはないけれど、弱いと言われるとどうも情けなくなる。これでも7万人の軍団に突入した勇気は持っているのだけど……
 とサイトがいくら考えても、今はシンジの方が強いのは確かだ。確かに足手まといが居なければ、この程度の人数なら問題にしないだろう。相手を挑発したのは、そう言う目的かとサイトは感心した。これで生産性のない誘惑ではなく、痛い目に遭うだろうけんかに全員がモードチェンジをしてくれたのだ。

「僕一人でお相手をしますから、一度外に出ませんか?
 ここで暴れると、次から遊ぶ場所が無くなりますから」
「そう言って、逃げるんじゃないだろうな」
「ご婦人を人質に取っているでしょう?」
「平民風情を相手に、人質を取る?
 冗談を言って貰っては困るなぁ。
 貴公が逃げなければ、ご婦人方に危害は加えないさ」

 なるほどと口元を歪めたシンジは、これで全員なのかと男に聞き返した。

「これで全員だが、それがどうかしたのか?」

 人数を見てビビら無いシンジに、じれたように男は吐き出した。自分たち全員がメイジで、相手は魔法も使えない平民なのだ。常識で考えれば、勝負など一瞬で付いてしまう。こう言うときに平民がするのは、「命ばかりはお助けを」と言う命乞いでなければならないはずだ。
 だが全員と言った男に向かって、シンジはさらに挑発する言葉をぶつけてきた。

「少なすぎて、相手にもならないなって思ったんだよ」

 いくら何でも言いすぎだと、サイトは「遊んでいる」英雄様の言葉に頭痛を感じていた。確かに素手で騎士団を壊滅させたのだから、この程度の数など物の数ではないだろう。それならそれで、あまり大きな騒ぎになる前に片付けてしまえばいいのだ。それなのに、どうしてこう、もったい付けてくれるのだろうか。

「平賀君、ちょっとだけ二人を見ていてくれるかな?」
「それはいいですけど、本当にやるんですか?」
「そうしないと、収まりが付かないだろう?」

 ぞろぞろと全員を引き連れ、シンジは店の外に出て行った。さすがにここまで来ると酔いも醒めるのか、男達は皆真剣な……と言うか、殺気だった顔をして後をついて出て行った。もちろん、彼らに一分の油断も見つけることはできなかった。
 杖を構える12人対素手の1人。どこをどう見ても勝負になるはずがない。特にシンジの素性を知らなければ、気の触れた平民と見られるだろう。サイトにしたところで、未だに信じられないところがあったのだ。だったら、今までちやほやされてきた貴族がどう考えるか、それを今更口にする必要もないだろう。

「命乞いをするのなら、今のうちだぞ!」

 一人が代表してそう言ったのも、彼らの常識にしてみれば当然のことだった。貴族と平民、1対1でも勝負など明らかなのに、12対1では、勝っても少しも自慢にならないのだ。だが助けてやろうかという男の言葉に、準備は良いのかとシンジは聞き返した。

「ああ、つぶての一つも我らに届くことはないであろう!」
「だったら、遠慮無く」

 シンジが首をコキリと傾けたと思ったら、サイトを含めて全員がシンジの姿を見失った。相手の姿が見えなければ、いくら魔法でも攻撃することはできない。腕の一本でもへし折って謝らせようと考えていた男達は、面食らってきょろきょろと辺りを見渡した。だがどこをどう見ても、シンジの姿を見つけることができない。「逃げた!」と言いたいところなのだが、誰も逃げるところすら見ていないのだ。

「さて、これからどうします?」

 どこだと首を振っていた男達は、後ろから突然声を掛けられ、がちりと固まってしまった。誰一人として油断などしていない。どう間違っても、後ろを取られるはずなど無いのだ。だが相手の声は、間違いなく後ろから聞こえてきた。

「お、おのれ、どんな手品を使ったのだ!!」

 男達が振り返ったときには、すでにそこにシンジの姿はなかった。そして元の方向から、バカにしたような声が聞こえてきた。

「手品って言うか……貴方たちが遅すぎるだけのことですよ」

 それからと言ってシンジが放り投げた物を見た観衆達は、一斉にどよめきを漏らした。地面に落ちたのは、きっかり12本の杖、それは男達が構えていた物に他ならなかった。

「い、いつの間に……」
「それも分からない人が、僕の相手になると思います?
 今度は、手加減をしませんよ」

 地面に落ちた自分の杖を見て、男達から酔いは吹き飛んだ。どんな魔法を使ったとしても、自分たちに気づかれることなく杖を取り上げることなど不可能なのだ。それにいくら酔っていたとしても、相手の姿を見失うことなどあり得なかった。それを簡単にやられたのだから、相手の恐ろしさが分かるという物だ。

「い、いや、大勢で大人げなかったと思っている。
 ち、ちようど、よ、酔いも醒めたところだから、別のところで飲み直してこよう」

 男達は顔を見合わせると、なっなっと頷きあった。こんな奴を相手にしていたら、命なんていくつあっても足りる物ではない。せっかく見逃してくれると言っているのだから、これ以上ことを荒立てるのは自分のためにもならないだろう。

「それが良いですよ。
 次からは、平民だからって甘く見ないことをお勧めします!」
「わ、我らは誇り有る貴族なのだ!
 平民達と同じレベルで争いごとなどするはずがないだろう!!」

 男達は、ぎこちない笑みを浮かべて、顔を見合わせた。そしてシンジに、面倒を掛けたと謝り、すごすごとしっぽを巻いて逃げていった。その後ろ姿に、観客となっていた平民達は大きな歓声を上げた。



 噂以上に凄いと感心したスカロンは、シンジ達のテーブルに山盛りの料理と酒を運んできた。久しぶりに気分の晴れる思いをしたのと、良いものを見せて貰ったという礼からである。当然女性達も、シンジ達のテーブルに来たがったのだが、先客2名が居るからと、涙をのんでそれは我慢していた。何しろ一人は、貴族のルイズだし、もう一人も正体はしれないが、きっと貴族に違いないと感じていたのだ。

「なにも、わざわざ面倒を起こしに来なくても良いのに……」

 喉が渇いたと葡萄酒を飲み干したシンジは、開口一番ルイズに文句を言った。何故アンリエッタではないかというと、この場所を知っているのがルイズだけだからである。余計な気を回して連れてきたのだろうと、当たりを付けたのだ。

「それは、あんたが義務を果たさないからいけないのよ。
 だいたい使い魔のくせに、ご主人様を放って遊び回るってのはどういう了見?」

 ルイズにしてみれば、衣食住を提供しているのだから、もう少し遠慮があるべきだと考えている。それに元の世界でどれだけ英雄だったのかは知らないけれど、この世界ではそんな肩書きは通用しない。トリスティンで暮らす以上は、女王であるアンリエッタ様を敬うのが当然なのよと。

「そうは言うけどね。
 特に何をして欲しいとの命令も受けていないんだよ。
 だったら、今日みたいに用が有るまで遊んでいるのも仕方がないだろう?」
「それが、ご主人様への義務を果たしていないって言うのよ!
 あんた、元の世界じゃ英雄だったんでしょう!
 その英雄が、毎日遊びほうけていて良いって思ってるの!!」
「別に、遊びほうけていた訳じゃないんだけどねぇ……」

 シンジは苦笑を浮かべると、色々な準備をしていたのだと白状した。だがその準備は、ルイズにしてみれば思いも寄らない、そして聞きたくもないものだった。

「そろそろ帰り道を造ろうと思ってね、乗り物を少しずつ呼び寄せていたんだよ。
 そう言うことをするときには、あまり目立たないところの方が良いだろう」
「帰り道を造るって……」

 絶句したルイズに代わって、アンリエッタが「それは本当?」と聞いてきた。このまま帰られたら、何のために召還したのか分からない。それに、まだ思いを少しも遂げていないのだ。頭の中で「絶対阻止」を叫んでいる蛙たちの加勢を受け、アンリエッタは「それは困る!」と主張した。

「困るって言われても、僕も来たくてここに来た訳じゃないからね。
 一宿一飯の恩義って言っても、拉致した人にそれを言われるのは腹が立つし……」

 シンジの言うことももっともなため、アンリエッタはそれ以上引き留める言葉を持たなかった。「男よ!」と言う個人的なことをさしおきたくないけれど、今はとりあえずさしおいたとしても、今シンジに居なくなられるのははっきり言って困る、大いに困る。言ってみれば、トリスティン存亡の危機なのかもしれない。

「碇さん、もう少し丁寧に説明した方が……」

 言葉に詰まった二人を見かね、横からサイトが助け船を出してきた。一緒に遊び歩きながら、サイトは色々とシンジに計画を聞かされていた。

「サイト、丁寧にって、何かあるの?」

 おっかなびっくり、恐る恐る聞いてきたルイズに、可愛いなぁとサイトは感動していたりする。いつもこうなら本当に良いのにと思いながら、サイトはシンジに聞かされた計画を説明した。

「碇さんは、俺が居た世界とこの世界の間に道を造ろうって考えているんだ。
 そうすれば、少し不便はあっても、二つの世界を行き来することができる。
 それに、争いごとを仲裁するだけの力を持つことができるらしいんだ」
「……良いことずくめに聞こえるけど、信用して良いのかしら?」

 侵略するのが、ガリアからサイトの居た世界に代わるだけと言うこともあり得る。目を細めて不審そうに自分を見るルイズに、多分大丈夫だろうとシンジは保証した。

「今のところ、人が住んでいる世界は、ここを併せて4つしか無いんだ。
 どうも独特の文化を持っているみたいだから、あまり干渉しない方が良いんじゃないかな?」

 歴史研究家が喜びそうだと、シンジは頭の中で考えていた。何しろリリンの世界における中世が、現実の世界として目の前に広がっているのだ。しかも魔法が使える世界だと言うから、ファンタジー系も黙ってはいないだろう。間違いなく、貴重な世界を保存すべきだという結論に達するだろう。

「実は、もう少しでルシファーが隣の世界にまで到達するんだ。
 帰るだけなら、ルシファーを使えばサイト君と一緒に帰れるんだよ。
 ただそれだけじゃ無責任だと思ったからね、少しだけお節介を焼こうと思ったんだ」
「そのお節介とは、どういう物なのでしょうか?」
「この国に、誰からも侵略されないだけの力をあげることだよ。
 これで女王様の望んだ、誰も傷つかない平和を与えてあげられる」

 エデンやパーガトリから機動兵器を持ち込めば、望みさえすれば世界を従えることができるだろう。それに比べれば、一国の平和を守るだけなら造作もないことだった。周りからの侵略を退け、必要な物資を供給する。確かにトリスティンだけは、平和になることは間違いない。

「ですがシンジ様、それはトリスティンだけの平和ではありませんか?」
「女王様、あまり欲を掻かないことをお勧めします。
 まずトリスティンだけの平和を実現した方が良いのではありませんか?
 それに、貴方の力が及ぶのは、せいぜいトリスティンが限界だ」
「……確かに、仰有るとおりなのかもしれませんが」

 トリスティンの女王なのだから、この国の平和が保証されればそれで良いはずだ。そしてシンジは、それを保証してくれると言ってくれたのだ。だったら何も反対することはないはずだ。はずなのだ。それでもアンリエッタは、釈然としない物を感じていた。本当にトリスティン“だけ”が平和になればいいのかしら。楽園の外が地獄となっても、それが本当に良いことなのかしらと。

「私には、それが良いことなのかよく分かりません。
 確かにトリスティンの女王として、この国の平和を守る義務があります。
 ですが、トリスティンさえ良ければという考えは、結局戦争をする者と同じではないでしょうか。
 もしもお力をお貸しいただけるのなら、ハルケギニア……
 いえ、この世界が平和になる道にお貸し願いたいと思います。
 それが虫の良い考えだというのは、重々承知しているのですが……」
「確かに、虫の良すぎる考えだと思いますよ」

 にっこりと笑ったシンジは、その口から恐ろしい言葉を吐き出した。

「それを実現するためには、先ほどミス・ヴァリエールが懸念した事をすれば良いんですよ。
 技術・武力に優れた僕たちが、この世界を平定すればそれでお仕舞い。
 争いの元になっている貴族を滅ぼせば、戦争なんて無くなるでしょうね。
 女王様は、それを望まれますか?」
「それ以外に答えがないと言うのなら……」
「その滅ぼされる貴族の中には、あなた達が含まれて居るんですよ?」

 これまた言い過ぎだとサイトは思っていたのだが、きっと何かの考えがあるのだろうと黙っている事にした。と言うか、サイト自身どう突っ込んで良いのか分かっていないのだ。

「私は、それ以外に答えが無ければと申し上げました。
 その場合、私達が滅ぼされるのも仕方がない事でしょう。
 ですが逆にシンジ様に問いたいのです。
 それほどまでに、この私たちに見込みはないのでしょうか?
 諸悪の根元と言われるほど、どうしようもない存在なのでしょうか?」
「僕は、その答えが出せるほどあなた達の事を知りませんよ。
 だから僕に出せるのは、さっきのようなお手軽な答えなんです」
「つまり、私がシンジ様に示す必要があると言う事ですね……」

 分かりましたと、アンリエッタははっきりと肯いた。そしてシンジに向かって、少しだけ時間が欲しいと懇願した。

「あまり時間を掛けてはいけないのでしょうが、1週間だけでも時間を頂けませんか?
 その間に、私がどうしたいのか、世界をどうするのか考えます」
「1週間で良いのですね?」
「……本当なら、もう少し時間を頂きたいところですが。
 先延ばしにすると、いつまでも何も決められなくなりそうなのです」

 だから1週間だと、アンリエッタは繰り返した。そんなアンリエッタの言葉は、ルイズにしてみれば無謀なものでしかなかった。この男が何を用意してくれるのか分かってもいないのに、答えなど出せるはずがない。それに枢機卿達に相談するにしても、1週間という時間は少なすぎる。急ぎすぎとルイズは反論しようとしたのだが、それよりも早くシンジが承諾してしまった。そうなると、今更無かった事には出来なくなる。

「だったら、1週間後にお話を伺います。
 そうですね、その時には何が出来るのかを見せてあげますよ」

 それからと言って、シンジはサイトを呼び寄せた。

「平賀君は、君の知っている事すべてを伝えてあげてくれないかな?
 そうする事が、女王様達の検討に役に立つと思うから」
「お、俺がですか?」
「1年とちょっと、この国に関わってきたんだろう?
 だったらトリスティンの将来にも、責任を持ってあげてくれないかな?」
「そ、そりゃあ、責任は有ると思いますけど……」

 ちらりとルイズを見たのだが、にらみ返されたのでサイトは慌てて顔を背けた。勘弁して欲しいという気持ちは強かったが、どう見ても逃がしてもらえそうになかったのである。だからサイトは、

「分かりました」

と自信なさげに答えたのだった。だがそれでもシンジには十分のようで、後は任せるとにっこりと笑ったのだった。

「僕の方にも準備があるので、しばらく顔を出しませんので宜しく!」

 シンジはそう言い残すと、止めるまもなくその場から消えてくれた。

「……普通、どこに行くとか言っておくものでしょう。
 それに、支払を残していくなんて、全くなんて使い魔なのかしら!!」

 憤慨するルイズを見ながら、どうしてこうも面倒を残していくのか、サイトはシンジを恨みたい気持ちになっていた。



***



 何度も予備動作があったおかげで、シンジ捜索の手順は完全に確立していた。ルシファーに取り付けられたトレーサーの動作確認も行われ、かつ捜索隊の編成も完了していた。ただ捜索隊の指揮に関しては、碇家の中でちょっとした意見の相違が起きていた。要は誰が現地指揮を執るのかという事なのだが、妻達全員「自分が!」と言って譲らなかったのである。まあ現地指揮を執った者が、最初にシンジに逢えるわけだから、全員が主張するのも当然と言えば当然なのだが……
 そして現地指揮権争いは、最終的にヒスイが勝利を収める事になった。この点で一番権力のあったのはコハクだったのだが、残念な事にヒスイに対する恐怖が消えていなかった。だからちょっときつい目で見られただけで、簡単に降参してしまったという事情がある。そうなると、シンジ不在中の役割分担とか、自分の身を守るすべとか、諸々の理由からヒスイが有利になったのだ。そして同じような理由で、スピネルが副官として付いていく事になった。

「ヒスイ殿、バカ者への制裁、宜しくお願いするぞ!」

 ヒスイから目を背けながら、コハクは忌々しい相手への制裁をヒスイに依頼した。コハクにとっては、シンジを取り上げられただけではなく、一生晴らすことの出来ない屈辱を味合わされたのだ。出来る事なら、自分の手で八つ裂きにしてやりたいところなのだ。それでも少しだけ心が晴れる事があるとしたら、ヒスイの方が自分よりも“恐ろしい”制裁ができると言う事だった。

「コハク様、それは今更のお願いだと思います……
 私が、慈悲を掛けるほど、優しいとお思いでしょうか?」

 そう言って口元を歪める者だから、事情を知らないエリカまで背筋を凍らせてしまった。なまじ美しいだけに、恐怖が嫌がおうにもましてしまうのだ。
 そうやってヒスイが全員を震え上がらせた時、ついにルシファーが空間を跳躍したとの知らせが入った。こうなると、跳躍箇所毎にトレーサーを置いて、ひたすら追跡作業を繰り返す事になる。

「では、急ぎますから!」
「かならず、碇様を連れて帰るのです!!」

 ヒスイとスピネルの二人は、そう言い残して、捜索隊の待つ空間へと跳躍を行ったのだった。



***



 トリスティンの方針を決めるにあたり、アンリエッタは相談相手を可能な限り絞り込んだ。あまり相談相手が増えると、意見をまとめるのに時間が掛かりすぎるというのがその理由だった。そしてもう一つ重要なのは、この話を絶対に外に漏らしてはいけないという事だ。そのためには、秘密を知る者が少ないのに超した事はない。だからアンリエッタは、初めから関わっていたルイズにアニエス、それにアンリエッタを補佐するマザリーニ枢機卿、そして貴族の代表としてルイズの父親を招聘した。ルイズの父ならば、ルイズを危険な目に遭わせないだろうとの考えもあったのだ。そしてシンジの代理人のサイトを含め、6人で連夜の会議を行ったのだった。

「女王様の目指される世界は理解できます。
 しかしながら、あくまで机上の空論、理想論でしかありません。
 しかもトリスティンは、ガリア、ゲルマニアに話を聞かせるだけの力を持っていません。
 そのシンジ・碇なる者の力にしても、当てにして良いのかどうか私には図りかねます」

 会議の中で、ラ・ヴァリエール候は、当然解決されるべき問題を並べ上げた。もちろん揚げ足を取るためではなく、彼自身超えるべき問題として認識していたのだ。

「そのお答をいただく前に、私自身の考えを述べさせて頂くなら、
 戦のない平和な世界を作りたいという女王様の考えには賛同致します。
 そのためにこの命を差し出せと言われるのなら、喜んで差し出す覚悟も出来ております。
 ただその実現に、多くの者の血が流れるのであれば、私は賛同致しかねます」
「ラ・ヴァリエール候の仰有る事はもっともだと思っています。
 シンジ様の言われる、巨大な力は確かにあるのでしょう。
 しかし、その力を背景に平和を迫るのでは、今までと何も変わらないと思っています」
「ならば、どのようになさると言われるのか?」

 うんうんと頷きながら、ラ・ヴァリエール候はアンリエッタの考えを質した。

「そのためには、私が私の言葉で各王と話をしなくてはと考えています。
 そこで必要なのは、武力による脅しではなく、将来への展望ではないでしょうか。
 戦などすることに意味がないと分かって頂けるまで、私はお話しをしようと思っています」
「そのお覚悟、それだけをとればご立派という他はないでしょう。
 ですが、そこでどのような展望を語られるのか?
 人の欲には、限りがないものと思っております。
 その欲を満足させる事が出来るほどの展望を示す事が出来ますでしょうか?
 そしてもう一つ、聖地の扱いが問題となります。
 我々が大きな力を手に入れたのなら、必ず聖地回復の声が大きくなりましょう。
 それは、1千年以上続いた我々の中の正義なのです。
 女王様は、その“正義”という名分をどのようにかわされるのですか?」

 ラ・ヴァリエール候の上げたのは、問題として一番大きいと考えられていたことだ。聖地回復というハルケギニアにとっての正義をないがしろにしては、誰もアンリエッタの話に耳を傾けないだろう。いな、耳を傾けない口実が付けられる。

「我らが聖地は、恐ろしいエルフどもに支配されております。
 始祖ブリミルの聖地を回復するのは、ハルケギニアに生きる民の義務だ!
 などと主張されたとき、女王様はどのように対処なされるのか?」
「ラ・ヴァリエール候も、聖地を回復すべきだとお考えですか?」

 疑問に疑問で返したアンリエッタに、難しい問題だとラ・ヴァリエール候は答えた。このハルケギニアの地に生きる限り、始祖ブリミルへの信仰は絶対のものになる。その信仰に逆らうことは、たとえ貴族でも難しいことなのだと。

「私も、聖地は回復すべきだと考えております……」
「つまり、聖地に至る道を示さぬ限り、トリスティンを中心とした和平は難しいというのですね」
「正直、不可能と言えるでしょう」
「でしたら、話し合いをする相手をエルフまで広げてはどうでしょう?」

 予想外の言葉に、ラ・ヴァリエール候は盛大に驚いた。これまで誰が、エルフと交渉しようなどと考えただろうか。

「じ、女王様、今、なんと仰有りました!?」
「私は、エルフと話し合う用意があると申し上げました。
 私たちが、聖地を回復したいと考え、エルフ達が悪魔の地として封印を続ける限り、
 この地上から戦が無いとは思いませんか?
 でしたら、私たちからエルフに歩み寄り、話し合いによる解決を求めてはどうでしょう?」
「それで解決するのなら……」

 いやいやとラ・ヴァリエール候は頭を振った。確かに素晴らしい考えに聞こえるのだが、どう考えても実現の可能性が見えてこないのだ。そもそも話し合いで解決が付くのなら、長い時を掛けて戦争などしてこないだろう。それにエルフと話し合いをすると言って、誰がまともに受け入れてくれるというのか。

「それこそ、私には夢物語に聞こえてしまいます」
「ではラ・ヴァリエール候は、このままで良いと仰有るのですか?」
「そうは申しておりません、ですが人にはできることとできないことがあります。
 大きな夢を見ることを悪いとはもうしませんが、その夢のために民を犠牲にするのはいかがなものかと」
「ではマザリーニ枢機卿、貴方の考えはいかがですか?」
「ロマリアから派遣された私に、その是非を問いますか?」

 微苦笑を浮かべたマザリーニは、志には大いに賛同すると答えた。

「しかし志だけでは国は治まりません。
 ラ・ヴァリエール候の仰有るとおり、己の分という物を考える必要があります。
 誠に申し上げにくいのですが、アンリエッタ様では難しいのではないでしょうか」
「……ずいぶんとはっきり言ってくれましたね」

 苦笑で口元を歪めたアンリエッタは、あなたはどうとルイズに尋ねた。自分には荷の重い話だと思っていたルイズだったが、この場に居る以上、自分の意見を言わなければならない。それでも父のいる場所というのは、ルイズには大きなプレッシャーとなる。思わず助けを求めようとサイトの方を見かけたところで、「だめだ」とサイトが先に言葉を発した。

「俺は、シュバリエとしてお前の後に意見を言う。
 ルイズ、お前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールなんだろう。
 だったら、貴族としてお前の意見を言うべきだ!」

 珍しくも男らしいサイトの言葉に、ラ・ヴァリエール候は「ほう」と感嘆の息を漏らした。今のやりとりを見る限り、娘の選んだ男は見所があるようだ。もちろん、仲を許すかどうかは全くの別物なのだが。
 サイトの励まし(?)に、ルイズは一度大きく深呼吸をした。そして自信をもって、大きな声ではっきりと自分の意見を口にした。

「私は、姫様の意見に賛成です。
 力で従えるのでは、多くの血が流されることになります。
 戦いに勝利したとしても、国が疲弊するのは間違い有りません。
 それを考えれば、話し合いで解決するというのが一番良いと思います。
 それが現実を見ない理想の話だと言われても、だからどうしたのだと言い返したいと思います。
 だったら現実を見た方法で、この世界に平和を与えて見せろと言ってやります。
 それができないのであれば、姫様の意見に異を唱えるべきではないと思います!」

 堂々と言い切ったルイズに、ラ・ヴァリエール候は口元をぎゅっと締めて頷いた。

「ルイズ、それですべてですか?」
「はい、これが私の意見です!」

 そうと頷いたアンリエッタは、自分だと待ちかまえているサイトを飛ばし、近衛師団長のアニエスの意見を求めた。

「私の立場は、女王様の決定を実現する役目を負っています。
 ですがその立場を棚上げにして言わせていただけば……
 その、理想として素晴らしいと思いました。
 戦いの先には戦いしか残らない。
 私たちは、これまでの戦いでそれを学んできたはずです。
 平和のためと始めた戦いは、必ず次の戦いの種を捲くのではないでしょうか?」
「だが、理想を実現するのは限りなく不可能に近いのだぞ。
 安易な賛成は、女王様の身を危険にさらすことになる。
 それは、近衛の騎士として許されることとお考えか?」

 ラ・ヴァリエール候の追求に、アニエスは少しも怯まず、女王の安全は自分が守ると言い切った。

「戦いは戦いの種を捲くことになると言いましたが、
 話し合いだから、一滴の血も流れないなどとは考えていません。
 女王様のお考えが気に入らない者は、お命を奪おうと襲ってくるでしょう。
 私は、女王様の盾となり、必ずしや守り抜いてみせると申し上げます」
「うむ、その意気込みやよし!」

 アニエスを褒めたラ・ヴァリエール候は、最後に残ったサイトの顔を見た。娘の使い魔として、そして王国の貴族として、そして異世界からの使者として、ルイズの見込んだ男の意見を見極めようとしたのである。その視線を正面から受け止め、サイトは全員の顔をゆっくりと見渡した。

「俺の意見を言う前に、皆さんの意見をまとめさせて貰って良いかな?
 話し合いで解決すると言うのは賛成だけど、それを実現できるかははなはだ疑問だと。
 それって裏を返せば、実現できるのなら話し合いで解決したいと言うことだよな?」
「それが、この場の総意と考えていただいて結構です」

 アンリエッタの答えに、誰も否定の言葉を上げなかった。それを確認したサイトは、自分には三つの立場があると最初に口にした。

「水精霊騎士団の副団長の立場の俺は、姫様の命令に従うことを誓います。
 そしてルイズの使い魔の俺は、ご主人様の考えを守ります。
 最後に碇さんから、見極めを託された立場から言わせて貰えば……」

 そこで話を切ったサイトは、緊張からごくりとつばを飲み込んだ。自分の一言が、ご主人様や女王様の運命を決めるのだ。幸いシンジの言う最悪の事態にならずに済んだのが、救いと言えば救いだろう。何しろ決定によっては、シンジはトリスティンを見捨てると言っていたのだから。

「アンリエッタ女王様の勇気に全力で応えようと思っています」
「それは、碇様のお考えでもあるのですか?」

 すかさず質問してきたアンリエッタに、サイトは少し表情を緩め、その通りだと答えを返した。

「武力に頼らず話し合いの解決を求めたら、全面的に応援すると言っていました」
「もしも、私たちが武力での解決を求めていたら……?」

 シンジが保証した力があれば、その可能性も大いにあったのだ。アンリエッタの問いかけに、サイトとは反対側から答えが返ってきた。

「一切の干渉を行わず、傍観者となっていたでしょうね」

 慌てて全員が振り返った先に、茶色のズボンに刺繍の入ったYシャツ、そしてエンジのネクタイを締めたシンジが立っていた。その見慣れない、そして噂に聞いた格好に、サイトは捜索隊と接触できたことを知った。何しろその格好は、有名な芙蓉学園の制服なのだ。

「アンリエッタ女王、それにラ・ヴァリエール候、ミス・ヴァリエールにアニエス隊長。
 ええっと、マザリーニ枢機卿……でしたね。
 僕の妻、二人を紹介しますよ」

 シンジがそう口にした瞬間、その隣に二人の女性が現れた。あまりに唐突な出現に、全員が己の目を疑ったのだが、それは夢や幻などではなかった。茶色のプリーツの入った短めのスカートに、同じく刺繍の入ったブラウスに紐のリボン、芙蓉学園女子制服を着た二人がそこに立っていたのだ。

「二人とも、パーガトリという王国の王女をしていました。
 こちらがヒスイ、そしてこちらがスピネルです」

 シンジの紹介に、初めましてと二人は優雅にお辞儀をした。初めて見る異世界の女性、その美しさにラ・ヴァリエール候は息をのみ、アンリエッタはぎゅっと唇をかみしめた。女としての競争相手と考えると、二人、特にヒスイは強敵すぎるのだ。重要な話をしているのにもかかわらず、頭の中では「負けないわ、負けないわ」とネズミたちが走り回っていた。他にもカエルやハエ達が騒ぎ立てている。そんな雑念を、ぱたぱたと手を振って追い払おうとしたアンリエッタなのだが、その行動は誰の目にも奇異としか映らない。事実シンジは、アンリエッタを不思議な物を見る目で見ていた。どう考えても、アンリエッタの行動に思い当たる節がないのだ。

「女王様、どうかしましたか?」

 従って、こういう問いかけを発することになるのだが、もちろんまともな答えなど返ってくるはずがない、返せるはずがない。何でもありませんと口元を隠したアンリエッタに、スピネルは小声で、

「危ない人?」

とシンジに囁いた。さあと少しだけ肩をすくめたシンジは、話をトリスティンの進む道にと切り替えた。

「僕は、皆さんの決定を尊重しますよ。
 あくまで話し合いで解決を図ろうと考えたことに敬意を払います」
「では、私たちに協力していただけるのでしょうか?」
「貴方の使い魔として、そして遙か遠くの世界から来た者として、最大限の努力を致しましょう!」

 うやうやしく頭を下げたシンジに、どうしてこんなに芝居がかった真似をするのかと、隣でスピネルが呆れていたりする。ヒスイはと言うと、にこにことしているだけで何を考えているのか全く分からなかった。

「まず努力として、ロマリア皇国、ガリア王国、ゲルマニア王国に監視の目を入れました。
 これで、トリスティンに対して侵略を行おうという決定は、すべて事前に知ることができます。
 それから、いざというときのためにそれなりの兵力を用意してきました。
 はっきり言って反則なぐらい強力ですから、使わないに越したことはないでしょう」
「強力な戦力、と言われたのか?」

 ラ・ヴァリエール候の疑問に、その通りとシンジは頷いた。

「この世界ぐらいなら、1日も有れば滅ぼすことのできる戦力です。
 反則という理由をおわかりいただけると思いますが?」
「それが、はったりでないのならそうであろうな」

 あまりに突飛な話に、明らかにラ・ヴァリエール候は気分を害したようだった。1日で世界を滅ぼす力など、大言壮語で片付けられる代物ではない。女王の使い魔とはいえ、気が触れているとしか言いようのない言葉なのだ。まともに受け取れと言う方が、どうかしているたぐいの話だった。
 そんなラ・ヴァリエール候の気持ちを理解したのだろう。シンジは証拠を見てみるかと、ラ・ヴァリエール候に持ちかけた。

「ほほう、ホラではないと言われるのだな」
「まあ、信じられないという気持ちはよく分かりますよ。
 だから、皆さんには一度見ておいて欲しいと思います。
 ただここに持ち込むには問題が大きいので、皆さんを別の場所にお連れしますけどね」
「別の場所、とな?」

 その通りと、シンジは頷いた。

「サイト君が、別の世界から来たというのはご存じかと思います。
 そして僕もまた、サイト君と同様に別の世界から来たのですが、
 僕の妻二人は、僕とは違った世界で生まれています。
 信じられないかもしれませんが、こことは違う空間が多数存在しているんですよ。
 ちなみにこの世界は、僕たちの世界と1億2千万離れていました。
 ちょうど隣の空間に、運んできた兵器が格納してあります。
 みなさんを、そこにお連れしようと言うのですよ」
「ほほう、話をずいぶんと広げてくれたものだな」

 それでどうするのかと、ラ・ヴァリエール候は腕を組んで仁王立ちをした。どこかに連れて行くというのなら、さっさと連れて行って貰おうと言うのである。

「ヒスイ、座標の固定はできている?」
「すでに、すべての調整を終わっています」

 じゃあと言って、シンジは小さなスイッチを取り出した。そしてわざとらしく「ぽちっとな」と言って、そのスイッチを押して見せた。その瞬間、王宮の一室にいた一行は、どこか知らない平原に現れていた。そのことだけでも驚くことなのだが、アンリエッタ達はそれ以上の驚きに、言葉を発することができなかった。何しろそこには、50メイルを超す巨人が、数え切れないほど並んでいたのだ。

「……ゴーレム、なのか?」

 何とか言葉を絞り出したラ・ヴァリエール候に、全く違ったものだとシンジは答えた。

「これを動かすのに、魔法は必要有りません。
 人が中に乗り込んで、その意志を持って動作させます」
「人が、操るというのか……」
「その通りです。
 そして、こんな力を持っていたりするんです」

 そう言ってシンジが合図したとたん、空を業火が覆い尽くした。一面に広がる赤い炎の熱にあぶられ、一行はこれが現実なのだと理解した。そして居並ぶ巨人が、張り子なのではないのだと知ったのである。

「このすべてが、碇様に従っているのでしょうか?」

 顔を少し青くして、アンリエッタはシンジの力なのかと聞いてきた。その答えを横取りしたスピネルは、

「この、倍以上機動兵器はあるのです!
 しかも碇様の乗るルシファーは、全部合わせたのよりも強いのですよ!」

と自慢げに答えた。その答えに一行が恐れおののいたところで、サイトは小さな、そして重要なことに気がついた。自分やシンジは、使い魔になっているから言葉が分かる、通じるのだが、シンジの妻と紹介された二人も、何の問題もなく会話を交わしているのだ。どんなからくりがと疑問に思ったサイトに、それはと言ってスピネルが二の腕を差し出した。

「私たちは、碇様の使い魔とか言う物になったのです。
 これで、身も心ももっと近づいたのですよ!!」
「コントラクトサーバントをしたんですかぁ! しかも二人と!!」

 非常識だとは思っていたし、多少のことには驚かないとサイトも覚悟を決めていた。だが自分の妻を使い魔にしたというシンジに、そこまでするのかとサイトは呆れてしまった。

「その方が便利だと思ったからね。
 まあ、必要が無くなったら解除すればいいことだし」
「そんなことができるのですか?」

 今度はアンリエッタが、本当なのかと聞いてきた。彼女たちの常識では、一度結んだ使い魔の契約は解除できるものではない。解除される事があるとすれば、それはどちらかが死んだ時だけなのだ。

「一応原理とか作用とかは理解しましたから。
 だからサイト君の契約も、解除しようと思えば簡単にできますよ」

 それは、自分もまたアンリエッタの使い魔から逃れられるというのである。それ以上のつながりを持たないアンリエッタは、喪失の恐怖からさらに顔色を悪くした。そしてそれは、ルイズも同じだった。

「ひ、人の使い魔に勝手な真似をしないでよね!!」

 こちらは顔を真っ赤にして抗議してきたのだが、心配は要らないとシンジは笑いとばした。

「その辺りは、二人で納得のいくまで話し合うのが良いよ。
 僕が勝手に、サイト君の契約を解除したりしないよ」
「ほ、本当ね!!」

 ルイズが納得したところで、そこでとシンジは話を切り替えた。

「僕が反則だと言った理由をおわかりいただけたかと思います。
 だから、できるだけこの力を使わないで話し合いをすることにしましょう。
 もちろん、女王様の使い魔ですから、僕も話し合いには着いていきますよ」
「着いてきてくださるんですね!!」

 ぱっと顔を明るくしたアンリエッタに、そう言うことかとスピネルはヒスイに耳打ちをした。

「碇様って、攫われたんじゃなくて、女を探しに来たんじゃないの?」
「スピネル、思っていてもそう言うことを言ってはいけませんよ」
「でもさぁ、この調子で新しい世界を見つけたりしたら、
 そのたびに奥さんが増えていくんじゃないの!」
「シンジ様ですから、貴方のことをおざなりにはしませんよ。
 だから、夜の心配は不要ですよ」
「そりゃあ、昨夜は凄かったけど……」

 問題が違うのではないかと、スピネルは反論した。世界が見つかるたびに奥さんが増えたりしたら、本当に収まりが付かなくなってしまうのだ。

「いくら碇様だって、時間は有限なのですよ」
「私は、シンジ様に不可能はないと思っています」

と本人達は声を潜めているのだが、二人の会話はしっかりとシンジの耳に届いていた。そこまで言うかと顔を引きつらせたシンジは、「聞こえているんだけど」と声を掛けた。だがスピネルから返ってきた答えは、シンジの顔をさらに引きつらせるものだった。

「聞こえるように言っているのです!
 これぐらい言っておかないと、また同じことを繰り返しますから!」

 僕のことをなんだと思っている? そう聞いてみたい欲求を感じたシンジだったが、それを口にするのを何とか思いとどまった。それを聞いたとたん、スピネルからさらに酷いことを言われそうな気がしたのだ。自分は無実なのにと叫びたい所だったが、回りから向けられた視線にそれを思いとどまったのだった。



 「あくまで話し合いで決着を付ける」と言うのが、アンリエッタの望みだった。そのための難関と考えられたのは、継続的にちょっかいを掛けてくるガリア王国だった。周囲を固めてはと言う臣下の言もあったが、ガリアを納得させない限り、最後は戦争になってしまうのである。だからアンリエッタは、最初の交渉相手としてガリアを選択した。

「なるほど、トリスティン女王は、聖地回復を話し合いで行おうというのか?」
「はい、私は誰の血も流さない解決を願っております」

 不適な笑みを浮かべるジョゼフ王に、アンリエッタは真摯な態度で臨んだ。アンリエッタは、畳みかけるようにして“将来の展望”を口にした。

「私は、ハルケギニアよりも、エルフの地よりも、東方を含めた世界よりも、
 もっと大きな世界がある事を知りました。
 そのような世界が存在する今、私たちが争う事は大きな損失だと考えています」
「ほほう、大きな世界というのか?」

 そう言って、ジョゼフ王は随伴してきたシンジの顔を見た。それ以外の随伴者、ルイズやサイトのことは、ミョズニトニルンを通じて知っていた。最近女王が使い魔として平民を召還したと聞いている事を考えれば、この平民に見える男が使い魔なのだろう。急に小娘が大きな事を言い出した事を考えれば、この男は外の世界から来たのに違いない。

「はい、大きな世界です。
 その世界は、私たちと違い魔法を使用しない世界です。
 その分、加工技術に優れ、私たちが魔法でする以上の事を為し遂げています。
 そのような世界と交流する道が開けているのです。
 身内で争い事をしている時ではないと思います」
「身内の争い事とは、エルフとの事を言われているのか?」
「アルビオンでの戦いを含めて、私たちの争い事もその一つだと思います」

 なるほどなるほどとわざとらしく肯いたジョゼフは、「立派な主張」だとアンリエッタの言葉を褒めた。

「それでトリスティン女王は、余に何を求められておられるのか?
 ハルケギニアの平和というのは、余も望んでいる事なのだ。
 そのための協力なら、労を厭わない覚悟はあるのだが……」

 そこで言葉を切ったジョゼフ王は、にやりと口元を歪めてルイズの顔を見た。そこに秘められた残虐な光に、ルイズは小さく身を震わせた。

「だが、現実は平和を求める女王の気持ちとは逆方向に動いている」
「それは、目に見えるもののことでしょうか?」

 うむと頷いたジョゼフは、急に顔を曇らせて見せた。

「余には、大切な姪御が一人おるのだが。
 賊が我が領土に侵入し、その姪御を誘拐してくれたのだ。
 こともあろうに、王族を誘拐したのだぞ。
 これが平和を求める余達の敵と言わずして何であろう!」

 それが何を言おうとしているのか、当然アンリエッタは承知していた。知っていて、ジョゼフ王に調子を合わせ、平和の敵を糾弾した。

「ジョゼフ様の仰有るとおり、まさしく平和の敵でしょう。
 お優しいジョゼフ様のことですから、さぞかしお心を痛められているのでしょう」
「おお、シャルロットは大切な弟の忘れ形見なのだ。
 余の生涯で、弟ほど余の事を理解し、愛してくれた者は居らぬのだ。
 シャルロットが攫われたと聞いた時には、心が張り裂けそうになったものだ」

 その愛する姪の心を、毒を使って殺そうとしたのがジョゼフなのである。その口から「大切な姪」などと言う言葉が出たものだから、それを聞いていたルイズやサイトの腑は煮えくりかえるようだった。だが大切な交渉の場と、二人はなんとか気持ちを抑え込んでいた。

「私にも、賊を掴まえる手助けをさせていただけないでしょうか」
「おおっ、慈悲深きアンリエッタ女王よ。
 そのお心遣いには、深く感謝を致しますぞ。
 ですが、アンリエッタ女王の手を借りずとも、賊ならば捕らえられそうなのだ」

 口元を歪めたジョゼフは、小さく右手を挙げた。それを合図にするように、会談を行っていた広間に、各花壇騎士達がなだれ込んできた。しかも用意が良い事に、その中には銃を持った兵士も紛れていた。おびただしい数の兵士達に動じることなく、アンリエッタはどう言う事かとジョゼフに問い質した。

「私たちへの歓迎にしては、いささか仰々しいのではありませんか?」
「なに、賊とその賊をかくまっていた者を捕らえるためなのだ。
 そこに居る虚無の使い手と使い魔が賊である事はすでに明らかとなっている。
 その賊を伴って現れたのだから、アンリエッタ女王もお仲間と言う事ではないのか?」
「二人は、私の女官とシュバリエです。
 誰かとお間違いではないでしょうか?」

 少しも動じないアンリエッタに、ルイズはさすがだわと関心していた。もっともアンリエッタにしてみれば、事前に教え込まれていたことが幸いになっている。しかも隣には、魔法も銃も通じない主が座っていてくれるのだ。ならば何を心配する必要があるだろうか。

「アンリエッタ女王、残念な事に間違いなどではないのだよ。
 余の忠実なる部下達が、その二人の顔をしっかりと見ておるのだ。
 よもや、余の部下達が偽りを申しておるなどと申し開きをするつもりではないであろう?」
「偽りではなく、勘違いをなされているのではありませんか?
 この二人は、高い身分を持つ者なのです。
 むやみに国境を越えて、余所様の姫を拐かすような真似はいたしません。
 潔白を証明するため、私たちは武器を持たずに謁見させて頂いております」

 なるほどと、ジョゼフ王は少しも怯まないアンリエッタに感心していた。以前アルビオン戦役の直後に会った時に比べれば、比較にならないほど手強くなっていた。
 ここで有無を言わさず捕らえるという方法もあるのだが、せっかく手強くなってくれたのだ。ジョゼフ王は、もう少しアンリエッタの“悪あがき”を愉しむことにした。

「アンリエッタ女王がそこまで言われるのなら、きっと部下の勘違いなのであろう。
 いや、女王は腹が据わられておられる。
 余の精鋭を前に、眉一つ動かされなかった」
「私には、賊の心当たりがありませんので」

 ジョゼフ王が合図をすると、なだれ込んできた騎士達は、礼儀正しく小広間から退出していった。それを横目で見送ったジョゼフ王は、秘密にしていた話があるのだと切り出した。

「余も武力による聖地回復は害の多い事と考えておったのだ。
 アンリエッタ女王も同じ志とは、いや心強いことだ。
 実は貴国にも内密に、独自にエルフと交渉を行っていた。
 アンリエッタ女王を信用して、今からその者に会わせましょう」

 ジョゼフ王がもう一度合図すると、おもむろに先ほどとは別の扉が開いた。そしてそこから、フードを目深に被った男が現れた。

「紹介致しましょう、ビダーシャル卿だ。
 今は、余の部下として働いて貰っておる」

 名を呼ばれた男は、深々と被っていたフードを下ろした。その下から現れた長い耳に、アンリエッタは単純に驚いたのだが、ルイズ達はとっさに身構えてしまった。何しろタバサを救い出す時、正面から戦ったエルフがそこに居るのだ。これでは、女王が白を切り通しことが無意味になってしまう。

「なにやら、女官とシュバリエ殿が殺気だっておられるが?」
「恐らく、エルフの存在に驚いたのでしょう。
 私たちは、耳が長いという身体的特徴以外にエルフを知りません。
 それに加えて知っているのは、10倍の数で当たらなければ勝負にならないと言う事です。
 私たちが、エルフを目の当たりにして驚く理由にご理解頂けたでしょうか?」

 それでもアンリエッタは、素知らぬ顔をして白を切り通した。迂闊な事を口にしようものなら、直ちに会議が決裂するだけではなく、自分たちの身も危うくなってしまう。

「つまりアンリエッタ女王は、
 特徴しか知らず、しかも恐ろしいと聞いているエルフ相手に、
 話し合いで聖地への道を造ろうと考えられておられるという事か?」
「はい、エルフが野蛮で、領土欲があったのなら、
 何故豊かなハルケギニアの地が無事でいられたでしょう。
 その事実から、私は話し合いの通じる相手だと確信しております」

 アンリエッタの言葉に、どうやらビダーシャルは驚いたようだった。彼らの西に住む蛮族は、シャイターンの導きで力ずくで聖地に近づこうとしていると考えていたのだ。まさか話し合いなどと言う言葉が聞けるなどとは、みじんも想像していなかったところがあった。だが穏便な方法と言われても、簡単に納得するわけにはいかない。封じられた力を解放するのは、彼らの中で禁忌と考えられていたのだ。

「お前達を、シャイターンの門に近づけるわけにはいかない。
 特にお前、お前はシャイターンの力を使っている。
 いかなる理由があっても、忌まわしき力を解放するわけには行かぬ」
「それも含めて、話し合いだと思っていますが?」
「それを、我らが信じられると思っておるのか?
 シャイターンの力で、我が術を破った者がそこにいるのに」
「失礼な!! あれは始祖ブリミルの力よ!!」

 勢い余ってルイズが反論したものだから、隣で黙っていたサイトは頭を抱えてしまった。これでは、自分たちが賊だと白状したようなものなのだ。

「はてアンリエッタ女王、そなたの部下は、余の部下と会って居らぬはずだが?」
「確かに不思議なお話ですね。
 我が国に留学している御国のシュバリエが攫われたのは聞いております。
 そこで私の部下が、誘拐犯の一味と戦い、攫われたシュバリエを救出しております。
 確かにその中にエルフが一人いたと聞いておりますが、
 よもや、その誘拐犯の一味が、国王陛下の部下などとは言われませんでしょう?」

 万事休すかと思われたところで、アンリエッタは機転を利かせ、タバサの表向きの立場を利用した。その時の彼女は、トリスティンの魔法学園に居たのだから、保護責任はトリスティンにあると主張することが出来た。

「私の国も、賊には厳しく当たることにしております。
 頼もしい部下達は、親友でもある御国の騎士を、無事取り戻したと聞いておりますが?
 証拠が必要でしたら、その者をこれから呼び寄せても構いません」

 いかがなさいますかと問い返したアンリエッタに、その必要はないとジョゼフ王は即答した。まさか切り替えされると思っていなかったこともあり、その言葉には少し不機嫌さが滲んでいた。

「その騎士は、すでに余の配下が奪い返して保護していたのだよ」
「でしたら、それは不幸な行き違いと言うものです。
 友情に厚い部下達の行い、どうかお許し願えますようお願い申し上げます」

 これで先ほどの話は、単に行き違いが原因と言うことになってしまった。いくら二国間の問題とはいえ、その“騎士”が無事でいると言われたのだから、もはやジョゼフ王も責任を追及することが出来なくなってしまった。ますます不機嫌さを増したジョゼフ王に、アンリエッタは話を戻そうと持ちかけた。

「こちらにエルフのビダーシャル卿がいらしたのは、これこそ始祖のお導きでしょう。
 是非ともエルフの王に、私どもの言葉を取り次いで頂きたいと思います。
 私たちが争いを望まないこと、ただ聖地を自由に訪れたいだけなのだと」
「それを、信じられると思うのか?」
「私たちの過去を省みれば、ビダーシャル卿が疑われるのも仕方がないと思います。
 それを含めて、私は話し合いで解決できるのではないかと思っています。
 お許しがいただけるのなら、私が直にお願いに参りたいと考えています」

 予想外の話に、エルフの男は頭の中が混乱してしまった。これまで蛮族は、バカの一つ覚えのように力押しを続けてくれたのだ。シャイターンの力を復活させたのなら、まず間違いなくそれを使って攻めてくるだろうと彼らは考えていたのだ。だがその予想に反して、話し合いをしたいと言ってくれた。本気なのかと、エルフの男は大きな瞳でアンリエッタの顔をまじまじと見つめた。

「私は、大きな災いを防ぐためにこの地に使わされた。
 そしてその手伝いをしてくれると言うから、この男に仕えておるのだ。
 私の今の主は、ガリア王なのだ。
 全ての許しは、ガリア王からなされなければならない」
「ではジョゼフ陛下、ビダーシャル卿に仲立ちをお願いしても宜しいでしょうか?」

 アンリエッタの言葉に、ジョゼフ王は猛烈な勢いで計算を始めた。彼の好きなチェスで例えれば、王女誘拐の件で、チェックメイトしていたのだ。だが愚かだと思っていた女王は、とっさの機転でこちらの攻撃をかわし、逆にエルフへの仲介役を引き受けさせようとしている。ここまでの話で、話し合いによる解決を認めてきただけに、今更だめだなどと言えるはずがない。丸腰の4人が相手なのだから、無理矢理謀殺することは難しくはない。だが自分から始めたゲームを壊しては、負けを認めてしまったことになる。
 それならばと、ジョゼフ王は一つだけ混乱の種を蒔くことにした。アンリエッタ女王の強気が、召還した使い魔にあるのなら、それを取り上げた時、この小娘はどのようにあわてふためくのかと。ちょうど良いことに、彼の姪に使うはずだった秘薬が手つかずで残っていたのだ。

「なるほど、確かにビダーシャル卿を使えばエルフとの話し合いが出来る。
 余らハルケギニアの王族の望みは、エルフを排除することではなく、
 始祖ブリミルの聖地に至る道を開くことだけなのだ。
 アンリエッタ女王の言うとおり、話し合いで解決するのならそれが一番良いのであろう」

 そう答えたジョゼフ王は、「ビダーシャル卿」とエルフの男に声を掛けた。

「トリスティン女王と、そなたの族長との会談を設けてくれないか」
「それが命令というのなら、大人しく従いましょう」
「アンリエッタ女王、これで宜しいかな?」
「ジョゼフ陛下のご高配に、感謝致します」

 頭を下げたアンリエッタに、礼を言うには及ばないとジョゼフは笑った。

「聖地回復は我らの悲願。
 それを思いもよらぬ方法で成し遂げようとしてくれるのだ。
 むしろ礼を言うのは余の方であろう。
 そこでと言っては何なのだが、アンリエッタ女王を持て成したいのだ。
 急ぎ支度をさせる故、今しばしガリアに留まって貰えるだろうか?」
「喜んでご招待をお受け致します。
 この者達も、ガリアの豪華な晩餐を愉しむことでしょう」

 招待を快諾したアンリエッタに、ジョゼフ王は一つお願いがあると切り出した。それは、彼の姪も晩餐に招けないかというものだった。

「トリスティンで保護をして頂いているのなら、是非とも元気な顔を見てみたいのだ。
 叶うのならば、今宵の晩餐に呼んで頂けないであろうか?」
「その者は、足の速い風竜を使い魔にしております。
 近くまで呼び寄せておりますので、晩餐には間に合うことでしょう」
「さすがはアンリエッタ女王、細やかなお心遣いですな。
 では今宵は、エルフの地より取り寄せた逸品も振る舞いましょうぞ。
 なかなか手に入らぬ逸品故、きっと女王のお口にも合うことかと思いますぞ」
「まあ、名高いガリアの料理だけではなく、エルフの逸品まで振る舞って頂けるとは。
 私、ジョゼフ陛下のお心遣いに深く感謝致します!!」

 深く頭を下げて感謝したアンリエッタに、それほどではないとジョゼフ王は口元を隠して笑った。そしてまだ時間があるからと、宮廷内を散策してはと提案した。

「ちょうど薔薇の花も美しく咲き誇っておる。
 余の騎士隊の由来にもなった花壇なのだ。
 是非とも女王にも、ごらんになって頂きたい」
「ジョゼフ様のお心遣いには、重ねてお礼を申し上げます。
 きっと美しい薔薇の花が咲き誇っているのでしょう。
 早速拝見させて頂きたいと思います」

 アンリエッタの目配せで、ルイズ達一行は立ち上がった。ルイズやサイトの顔に安堵が浮かんでいるのは、自分が壊し掛けた交渉がまとまったことへの安堵なのだろう。それに比べて、シンジの表情は全く変化がなかった。

「ではジョゼフ陛下、しばらくの間お暇致します」
「うむ、用意が調いましたら、誰か使いにやろう」

 シンジに差し出された手を取って、アンリエッタは優雅に立ち上がった。そして微笑みを浮かべているジョゼフ王に一礼して、会談が行われた小広間から退出していった。

「まさか、あの小娘がここまで手強くなるとはな……」

 アンリエッタ達の姿が消えたところで、ジョゼフの浮かべていた笑みは邪悪な物へと変質していた。そしてアンリエッタの変貌を喜んだその口で、ビダーシャルに秘薬の準備を命じた。

「我らが族長に会わせるのではないのか?」

 疑問を口にしたビダーシャルに、ジョゼフは「会わせるさ」と平然と答えた。

「だが余は、全員と言った覚えはないのだぞ。
 しかし余の兄弟との決着は、毒などと言う無粋な物で付けるつもりはない。
 あの小娘が召還したという使い魔の男に、特製の飲み物を振る舞ってやるのだ。
 あの男を失った時、小娘がどのように振る舞うのかが興味あってな」
「それが命令というのなら、従うまでだ」

 すぐに準備をすると、ビダーシャルは踵を返して広間を出て行った。
 一人広間に残ったジョゼフは、珍しくも満面の笑みを浮かべていた。それは、新しいオモチャを見つけた喜びからだった。短いやりとりの中で、アンリエッタはジョゼフの予想を超えた受け答えをしてくれたのだ。

「シャルルよ、お前以外にも余の相手になる者がおるとは思わなんだ。
 あの小娘は、お前ほどではないが余を楽しませてくれている。
 ならば余は、あの娘に少し試練を与えてみようと思う。
 あの小娘の強気の理由が使い魔にあるのなら、それを奪ってみるのだ。
 もしもそれであの小娘がつぶれたのなら、お前の時ほどではなくとも、
 余は後悔というものをすることが出来るのかも知れないな」

 その時のジョゼフは、純粋に瞳を輝かせて喜んでいたのだった。



 ジョゼフの前では気丈に振る舞っていたアンリエッタだったが、使いのフクロウを飛ばしたところで、とうとう緊張に耐えられなくなってしまった。花壇の花を見ようとしたとき、つまずいて倒れ掛けたのをシンジに支えられた。ただそれだけの事で、それまで被っていた仮面がはげ落ちてしまったのだ。

「シンジ様、私はうまくやれましたでしょうか?」

 不安そうに見上げたアンリエッタに、シンジは少しだけ口元を緩め、「上出来だった」とねぎらいの言葉を掛けた。

「アンリエッタが頑張ったから、彼の次の行動が読めるようになったよ」
「ジョゼフ王の次の行動がですか?」

 シンジに身を預けたまま、アンリエッタはそれがなんなのか尋ねた。

「晩餐の席で、僕に毒を飲ませるつもりでしょう」
「私たちじゃなくて?」

 すかさず口を挟んだルイズに、「君たちはとりあえず安全だ」とシンジは答えた。

「君とサイト君とは、毒なんかで決着を付けないよ。
 虚無の力……だったかな、それで決着を付けようとするだろうね。
 そしてアンリエッタには、僕が倒れた時にどう振る舞うかが求められているんだ。
 君の強気の理由が僕にあると睨んでいるようだから、僕を取り除いてみようとね」
「それで、あんたはどうするつもりなのよ!!」
「僕も命は惜しいからね。
 万全の対策を打って対応させて貰うよ」

 その方法は内緒と、シンジは自分の唇に人差し指を当てた。

「ただ、晩餐では、それ以上何も起こらないよ。
 起こるとしたら、トリスティンへの帰り道だろうね。
 ガリアの兵と、なんだっけ、変な鎧がトリスティンとの国境に移動しているよ」
「ヨルムガントなら、怖くはないけど……」
「それが、30ぐらいあるんだけど?」

 さすがに30と言う数は多すぎる。本当ですかと詰め寄った二人に、冗談を言うところではないとシンジは言い返した。

「それだけ、君たちの実力を認めているんだよ。
 それから、兵士の方は3千ぐらいだね。
 これもまた厄介と言えば厄介なんだけど……」
「まだ、他にもあるって言うの!?」
「虚無の使い魔……ミョズニトニルンだっけ?
 どうやら彼女も待ち伏せに加わってくれているみたいだよ」

 なんてことをと、サイトは顔に手を当ててうんざりとしてみせた。あの女が関わると、どう考えてもろくなことにならないのだ。それに加え3千の兵とヨルムガントと来れば、普通に考えれば生きて帰ることは出来ないだろう。

「それで碇さんは、どう解決するつもりでいるんですか?」
「そうだねぇ……」

 そう言ってしゃがんだシンジは、黄色い薔薇の花にそっと触れた。

「こう言う時は、王様に退位して貰うのが一番良いかな?
 せっかく君の友人に、この国の王女様がいるんだろう?
 どうやらジョゼフ王は民に好かれてないようだから、この際王様を変わって貰おうか」
「……ずいぶんと、簡単に言ってくれますね。
 それに、どう考えても穏便な方法には思えないんですけど」
「僕としては、穏便に済ますためにアンリエッタに頑張って貰ったんだけど?
 でもあちらが、それじゃ面白くないって言うんだから仕方が無いじゃないか」
「でも、タバサでうまくガリアが纏まりますか……」

 サイトが問題にしたのは、ガリア内の内部抗争のことだった。

「だから、君たちに頑張って貰う必要があるんだよ。
 始祖ブリミルの力を引き継いだメイジとその使い魔。
 その二人が後見人として控えていれば、しばらくは黙らせることが出来るんじゃないのかな?
 それに人望なら、亡くなられた弟君の方が有ったようだしね」
「……碇さんは、手伝ってくれないんですか?」
「やれっていうのなら、王宮の周りに機動兵器を並べるけど?
 それとも、僕一人で敵を全滅させようか?」

 やりすぎだよねと笑うシンジに、サイトは深々とため息を返して見せた。非常識だと常々思っていたが、今改めてその非常識さを実感させられたのだ。どこの誰が、30体のゴーレムと3千の兵士、それにミョズニトリルを一人で全滅させるなどと考えるだろう。それを当たり前のように口にしてくれる方もおかしいが、できちゃうんだろうなと考える自分もおかしいのに違いない。

「ただね、ガリア王国の人々を納得させるには、君たちの方が都合が良いんだよ。
 虚無の使い手ってのは、君たちの言う始祖の力を引き継いだものなのだろう?
 始祖の威光をバックにした方が、大人しくさせるには良いと思うんだよ」
「そりゃあ、そうなんだろうけど……」
「な、なによ……」

 サイトに疑問のこもった眼差しを向けられたルイズは、空元気を発揮してにらみ返した。サイトが何を言いいたいのかは薄々分かるのだが、少なくとも自分の使い魔にそんな眼差しを向けられたくなかった。確かに、自分にそれだけの威光が有るとは思えないのだが……
 気に入らないから蹴飛ばそうとしたルイズだったが、頭にぽんと手を置かれてその勢いも萎んでしまった。なによと見上げたら、シンジがにこにこ笑って自分のことを見ていたのだ。

「な、なに、人の頭を勝手に撫でてんのよ!!」

 なぜかどきっとしてしまったルイズは、それを隠すように慌ててシンジの手を払いのけた。少し乱暴だったのだが、払いのけられたシンジは少しも気にしていないようだった。そしてシンジは、大丈夫だとルイズの目を見て保証した。

「大丈夫だよ、ミス・ヴァエールは気品に溢れているよ。
 それにサイト君と二人合わされば、伝説の使い手の登場となる。
 その始祖の力を示せば、皆、君の言うことを聞きたくなるよ」
「あ、あたしが気品溢れるなんて、当然のことを言わないでよね!!」

 少し頬を染めて、ルイズはぷいと顔を背けた。さんざん嫌ってきたはずなのに、褒められるとなぜか嬉しいのだ。「どうせおべんちゃらよ」と心の中で悪態を吐いていても、もっと褒めて欲しいなどと思ってもいた。

「そ、それで、あたし達に何をさせようって言うのよ!」
「晩餐会では、特に何も。
 あちらが仕掛けてきたら、そのときには派手に暴れて貰おうかな」
「派手に暴れるって……魔力には限界があるのよ!!
 30体のヨルムガントやミョズニトニルンの相手なんてしきれないわ!!」

 この前は、2体でも余裕で倒すことができた。それでも30体と言うのは多すぎだろう。いくらエキスプロージョンでも、途中で力尽きて気を失ってしまうと言うものだ。それに加えて、ミョズニトニルンまで相手にするとなれば、呪文を最後まで唱えられるのかも疑わしくなってくる。
 だがシンジは、それでも大丈夫だと保証した。

「魔力の供給は、僕が責任をもって保証するよ。
 そして時間稼ぎなら、サイト君が頑張ってくれるはずだよ」
「お。俺っすかぁ!?」

 ご主人様を守ることは吝かではないのだが、3千の兵士とかミョズニトニルンとか、しかもヨルムガントも黙ってやられてはくれないだろう。時間稼ぎをする気は満々なのだが、世の中にはできることとできないことが存在しているのだ。そしてこれは、一人でするには不可能と言って良いことなのだろう。

「さすがに、きついかい?」
「どれ一つ取っても、無理に聞こえるんですけど……」

 そうかと考えたシンジは、少しだけ手を貸すと提案を変更した。

「ミョズニトニルンと3千の兵士は、ヒスイ達に相手をさせよう。
 サイト君は、ミス・ヴァリエールと二人でヨルムガントを撃破してくれないかな?
 たぶん、あっちが一番目立つから」
「ヒスイさん達って……碇さんの奥さんのことですよね……」

 どうみても、きれいな女性にしか見えないのがヒスイ達なのだ。その女性二人に、3千人からの兵士の相手をさせるという。そう考えること自体、真っ当なものとは言えないだろう。だがシンジは、さほど難しいことじゃないだろうと言ってのけた。

「本当に3千人相手にするのだったら、とてもじゃないけど無理だろうね。
 でも、上手くやれば数十人倒したところで総崩れになると思うよ。
 まあさすがにそこまでは無理させられないと思うから、そっちは僕が行くことになるだろうけどね。
 その代わりと言っては何だけど、
 ヨルムガントとか言うおもちゃは、君たち二人で相手にしてくれないかな?」
「そう言う無茶、言います?」
「無茶と言われてもね……僕が来なかったら、君たちが相手にしていたはずなんだよ。
 やりにくい兵士とかは面倒見てあげるから、そっちやちゃっちゃっと片付けてくれないかな?」

 それができるぐらいなら、今まで何の苦労もしていない。簡単そうに言うシンジに、サイトは思いっきり文句をぶつけていた。だがシンジは、その文句を取り合うどころか、簡単に片付けているだろうと言い返した。

「ミス・ヴァリエールの攻撃を凌いだ奴は居ないんだろう?
 だったら、簡単と言っていいんじゃないのかな。
 それに、30体と言うと多そうだけど、
 君たちみたいな人間相手に、まとめて掛かっては来られないよ。
 前の方を何とかすれば、その残骸が上手く邪魔をしてくれる。
 それに、魔力の供給なら僕が手伝うからね」
「手伝うって……簡単に言いますけど、どうするんですか?」

 ついつい敬語になってしまうサイトに、どういうのが好みかとシンジは聞き返した。

「一番効果的なのは、アンリエッタみたいにすることなんだけどね。
 そうすれば、離れていても自動的に僕から“魔力”を供給することができるんだ」

 つまり、使い魔の契約を結ぶと言うことである。誇り高いルイズが承諾するかという前に、その契約方法自体をサイトは却下した。少なくとも、ルイズの唇は自分のものなのだ。

「そう言われるとは思っていたけどね。
 だったら、手の甲にでも印を付けようか?
 騎士がお姫様にする方法だから、サイト君にも抵抗が少ないだろう?」
「引き寄せて、唇を奪ったりはしないですよね?」
「するつもりはないけど、何でそんなことを考えるんだい?」

 分からないと首を捻ったシンジの横で、アンリエッタとルイズが顔を赤くしていた。ちなみに、二人が顔を赤くした理由は大きく違っているのだが。

「……それぐらいなら、まあ、仕方がないですけど」

 渋々認めたサイトに、独占欲が強いんだねとシンジは笑った。

「だったら、ヒスイさんに同じことをするって言ったらどうしますか!!」
「僕よりも先に、ヒスイに殺されるんじゃないかな?。
 あれでヒスイは、全然容赦がないから」

 そのときは助けない。元々の話がどこかに飛んでしまい、サイトはそれ以上拘ることを諦めた。この人の非常識に付き合っていたら、自分までおかしくなってしまう。もうすぐ元の世界に帰れるんだから、これ以上おかしな常識を身につけない方がいい。

「サイト君も納得しましたから……」

 そう言ってシンジは、ルイズに手の甲にキスをする許しを請うた。

「て、手の甲よね……」

 それでもとても恥ずかしくなったルイズは、真っ赤になって右手を差し出した。その手を恭しく取ったシンジは、少し跡が付くくらいにルイズの手を吸った。

「あっ……」

 ルイズは、甘い電気が背筋を通り抜けた気がした。そのせいもあって、少し悩ましい声を上げてしまった。それをアンリエッタに目で咎められ、慌てて驚いただけだと言い訳をした。

「慌てなくても良いよ。
 魔力供給のパイプを作ったから、ちょっと刺激が大きかったんだよ」
「魔力供給のパイプ?」

 何だというルイズに、そこに付いている印だとシンジは手の甲を指さした。確かにシンジの唇が当たった場所が、少し赤く変色していた。

「これが、パイプなのね……」

 そう思うと、なぜか手の甲が熱く感じられてしまう。それに全身もほてってきてる様な気もしている。これはまずいと考えたルイズは、「本当に大丈夫なのね!」と居丈高に聞き返した。

「さあ、僕は出来るだけの事をしただけだよ。
 あとは君とサイト君が、どこまでしっかりとやれるかかな?」
「ふん、言われなくたってちゃんと仕留めるわよ!!」
「だったら、これで打合せは終わりだね。
 シャルロット王女が合流するまで、別行動としようか?
 杖もデルフリンガーもあるから、暴漢対策は万全だろう?」
「シンジ様と二人きり……でしょうか」

 シンジの胸の中に抱き留められたまま、アンリエッタは熱っぽい眼差しを向けてきた。すでに主と使い魔の立場も逆転しているため、アンリエッタの心の中はほとんどがシンジで占められていた。おかげでと言うか、うるさかったハエ達も駆除されたようだ。

「サイト君とミス・ヴァリエールに気を遣ってあげないとね。
 せっかくきれいな花畑があるんだから、楽しまないのは損だと思わないか?」
「そうですね。
 緊張を続けてばかりではいけませんから、息抜きをしないといけませんね」

 誰のためであろうと、シンジと二人きりになれるのだから文句があるはずがない。諸手をあげて賛成したアンリエッタは、自由にして良いと二人に命じた。その命令の中に含まれる、「お互い邪魔をしない事」は、しっかりとルイズに伝わっていた。分かりましたと二人が立ち去ろうとした時、ちょっと待ったとシンジが声を掛けた。

「危なくなったら助けにはいるから、あまり無理はしないようにね」
「それって、立場から言ったら俺の台詞なんですけど……」

 と言っても、確実にシンジの方が強いのだ。しかも元の世界から軍団を呼び寄せているのだから、シンジの言う事が正しいのだろう。それでも伝説の使い魔「ガンダールフ」なのだから、武器を持った状態で心配されるのもおかしな気がしてならない。何かここ数日で、雑魚キャラに落ちてしまった気がしてならない。
 だがよくよく考えてみれば、自分は普通の高校生だったのだ。元に戻ったと考えれば、別におかしなことではないだろう。

「じゃあ碇さん、危なくなったら『きゃあ!』って悲鳴を上げれば良いんですか?」
「男の悲鳴が、僕に聞こえると思うかい?」
「多分違うだろうと思っていましたよ」

 それじゃあと、サイトはご主人様の手を引っ張った。このままぐずぐずしていると、大切なご主人様が取られそうな気がしてならなかった。

「か、勝手に人の手を引っ張らないでよ!!」

とたんに暴れ出したルイズに、なんだかなぁとサイトはため息を吐いた。せっかく二人きりになったのだから、もっと雰囲気を考えてくれても良いのではないかと。それでも自分は男の子と、サイトはシンジをまねてルイズの頭を撫でた。そして、

「お前は絶対に俺が守る!」

とまじめな顔をして言い切った。その男らしい顔にきゅんとしたルイズは、「本当?」と頬を染めて俯いた。

「俺を信用しろよ! これまで、一緒に戦ってきただろう!」
「そりゃあ、そうだけど……」

 でも、今度の相手は、今まで以上に手強いのよ。それに、前の戦いでは役に立たなかったじゃない。そう言い返そうとしたルイズだったが、真剣なサイトの顔に再び胸がきゅんとしてしまった。いつもこんななら良いのにと、「守ってね」とサイトの胸に頭を預けた。

「お、おうっ、任せておけ!!」

 やっぱりルイズは可愛いよなぁと感動しながら、大きく出すぎたかとサイトは後悔も始めていた。



 ルイズ達が何をしているのか、アンリエッタには当然想像が付いていた。だから自分もと張り切ったのだが、残念ながらシンジは優しくなかった。アンリエッタとは違う方を見て、「聞こえているか?」と声を出した。そのときのシンジの表情に、アンリエッタはその相手が誰かを理解した。そしたら、また頭の中で駆除したはずのハエが騒ぎ出した。

「負けてるわ、負けてるわ!!」

 ええ、見た目もスタイルもしっかり負けているし、それにシテ貰っているかどうかかも差を付けられているわよ。でも妻は一人じゃないと言うのだから、まだチャンスがない訳じゃないわ!!
 固い決意を秘めたアンリエッタは、猫を被って「どういうお話でしょう」とシンジに尋ねた。こう言うときには、絶対に嫉妬しているのを見せてはいけない。顔が引きつらないよう、アンリエッタは気をつけていた。

「ああ、これからの仕掛けの話だよ。
 さすがに平賀君には、30体相手の時間稼ぎが難しいからね。
 だからちょっとした道具を渡してあげようと思ったんだ」
「ちょっとした道具……ですか?」

 ちょっとした道具ぐらいで、時間が稼げるものだろうか。疑問に思ったアンリエッタに、見たことがあるはずだと「零戦」の名前をシンジは上げた。

「零戦……でしょうか?」
「ええっと、君たちの呼び方だと『竜の羽衣』だったっけ?
 壊れていたのを回収して、修理と補給をしてあげたんだ。
 これで平賀君も、ご主人様に良いところを見せられるだろう?」
「そんなこともできるのですか!!」

 凄いと驚いたアンリエッタに、大したことじゃないとシンジは笑った。

「もっと凄いのも持ってこられるんだけどね。
 あまり僕たちの文明を持ち込むべきじゃないと思ったんだよ。
 だから一回使っている零戦なら適当かなってね」
「シンジ様の世界は、そこまで進んでいるのですか……
 私にも、是非ともその世界を見せていただけないでしょうか」

 野望を叶えるためには、いつも一緒にいなくてはいけない。そのためには、シンジの世界にもついていく必要がある。しつこいと言われようが、絶対に離れるわけにはいかないのだ。それに、一度離れてしまうと、二度と顔を見せてくれなくなる可能性もある。

「アンリエッタを連れて行くのかぁ……
 なにか、トラブルの種を連れて行く気がしてならないんだけど」

 スピネルの言葉が確かなら、今回の事件を起こした者を、絶対に許さないとコハクが息巻いているというのだ。そこまで怒る理由に心当たりはないが、コハクをなだめてからでないと一大事になりかねない。

「すぐには無理かもしれないけど、多分そのうちに連れて行ってあげられると思うよ」
「……そのうち……ですか?」
「今のところは、そうとしか答えられないなぁ。
 この世界はちょっと特殊だからね、慎重に扱わないといけないんだ」
「そうなんですか……」

 はっきり駄目と言われたわけではないけれど、道のりはずいぶんと遠くなった気がする。激しく失望したアンリエッタは、どうすればいいのでしょうとシンジに迫った。

「どうすればって……なんのこと?」
「私の瞳には、シンジ様以外の殿方は映っていません。
 今さら私一人だけなどとは言いません。
 お願いですから、私も妻の一人として愛してください!
 愛してくださるのなら、私は国を捨てても構いません!!」

 単刀直入、ずばりと切り込んできたアンリエッタに、さすがのシンジもたじろいでしまった。一国を預かる女王が、国を捨てるとまで口にしたのだ。その意味の重さは、さすがに認めないわけにはいかない。

「さすがに、アンリエッタに国を捨てさせるわけにはいかないよ。
 それにね、妻にして欲しいなんて軽々しく言うものじゃない。
 何しろ僕は、回りから“鬼畜”と言われているぐらいだからね」
「“鬼畜”とは、どう言う意味なのでしょうか?」

 熱の篭もった瞳で、アンリエッタは“鬼畜”の意味を尋ねてきた。さすがのシンジも、その説明には詰まってしまった。まさか通じないとは思ってもいなかったのだ。そうなると、自分の悪しき言われざまを説明するのは、ちょっとどころではなく嫌な事柄に類していた。

「あまり……説明したい言葉じゃないんだよね。
 絶対に褒め言葉じゃない事は覚えておいて欲しいんだ」
「はあ、そうなのですか……」

 曖昧な相づちを打ったアンリエッタは、自分の希望への答えを求めた。せっかく心の内をさらけ出したのだから、今更答えを聞き損なうわけにはいかない。当然、この仕事が終わってからなどという逃げを許してはいけないのだ。

「その、そう言う話は二人きりの時にしないか?」

 だがシンジから返ってきたのは、予想から遠く離れたものだった。「二人きり?」と首を捻ったアンリエッタに、シンジはちょいと背中の方を指さした。そこにはシルフィードを飛ばして、ようやく到着したタバサの姿があった。

「今日は、シャルロット様と呼んだ方が良いね」
「別に、タバサで構わない……」

 トリスティン魔法学院の制服を着て、いつものようにちょこんとメガネを掛けている。だがその顔は、いつもになく緊張を孕んでいた。一度殺されそうになった相手の所に乗り込むのだから、緊張するなと言う方が無理な話なのだが。

「君の安全は、サイト君と僕が保証するよ。
 それに、今日は君に手を出している暇はないと思うからね」
「……何をしようとしているの?」
「神経戦って奴かな?
 アンリエッタが、ジョゼフ王と腹のさぐり合いをしていたんだよ。
 とりあえずの第一回戦は、アンリエッタの勝利と言うところだよ」
「違う、これから先の事」

 ああと肯いたシンジは、ジョゼフ王次第だと答えた。もともと他国の王位に関わるつもりはなく、ただ降りかかる火の粉を払うだけのつもりというのだ。

「そんなに生やさしい相手ではない。
 油断していると、足下を掬われる事になるわ」
「油断はしていないつもりだけどね。
 どちらかというと、ジョゼフ王の方が油断しているんじゃないのかな?」
「でも……」

 それでも危ないと言いつのろうとしたタバサの頭を、大丈夫とばかりにシンジはくしゃりとなでた。王位継承権を持つ王女相手と考えると、冗談抜きで失礼な行為には違いない。だがタバサは、サイトになでられたのと同じ安心感を味わっていた。

「君たちの言う先住魔法でも、僕達を傷つける事は出来ないよ。
 それに、いざという事がないよう、人も配置しているよ」
「人、配置、どこに?」
「君の目にも見えないところだよ。
 だから絶対に気づかれる事はないんだ」
「貴方の目には見えるというの?」
「もちろん、そうじゃないと安心できないだろう?」

 だから大丈夫。そう繰り返したところで、そろそろ時間だとシンジは散策を切り上げる事にした。まだ誰も呼びに来てはいないのだが、晩餐と言うからには準備が必要となる。タバサにしても、学院の制服では場にそぐわないと言うものだ。

「シンジ様も、礼服を着て頂けるのですか?」
「まあ、晩餐に出るのですから仕方がないでしょうね」

 また衣装に着られる事になるのか。王室の礼服を思い出したシンジは、失敗だったと方策の誤りを実感したのだった。



***



「とてもとても酷い目にあったのだぞ」

 コハクはベッドの中で、シンジが居なくなってからの我が身に降りかかった災難を訴えた。それがいかに理不尽で、いかに屈辱的だったのかを訴えたのである。それでも、ヒスイの恐怖に震えた事は、さすがに口にする事は出来なかった。やはり夫を前に、恐怖に漏らしたなどと告白する事は出来ないのだ。それにヒスイから、謝罪として5回分の権利が譲られた事から、終わった事としてこれ以上触れない事にもしていた。そうするのが、自分にとっても一番優しい決定なのだと信じて。
 ちなみに今日の権利は、全員一致でコハクに譲られたものだった。まあ、この事件が発生して以来、一番の迷惑が降りかかったのはコハクなのだ。そして、解決に一番尽力したのもコハクなのである。これで誰かに先を越されようものなら、さすがに哀れとしか言いようがないだろう。それを理解したアスカは、他の妻達にも遠慮するようにと提案したのだった。そして、表向きには誰からも反対は出なかった。

「寂しかったかい?」
「そのような当たり前の事を聞くのではない!
 われは、半身を失ったような喪失感を味わったのだ。
 それがどれだけ大きなものだったのか、今しみじみと感じておるのだ」

 そう言ってコハクは、シンジに身体を預け、胸に耳を当てた。どくどくと聞こえてくる心臓の音が、確かな生の実感を与えてくれる。直接触れ合う肌からは、確かなぬくもりが伝わってくる。失うことで、その大きさ、大切さを再度実感したコハクは、全身でシンジを確かめていた。

「ところでシンジよ、その使い魔とかの契約だが、ヒスイ殿とスッピーにしたと聞いたぞ。
 何故われに、その印を刻まぬのだ?
 いつも言っておると思うのだが、われは魂に至るまでシンジのものなのだぞ!」

 さあ刻めと、コハクは笑いながらシンジに迫った。

「聞くところによると、その女王とやらにも刻んだのであろう!
 ならばわれを仲間はずれにする意味はないと思うのだが?
 いっそのこと、妻達全員に印を刻むのはどうであろう」
「いや、使い魔ってのは響きが良くないから……」
「ならば、妻の証とでもすればよいだろう。
 心が繋がるというのは、便利なものだと聞いておるぞ」

 アンリエッタを使い魔にしたおかげで、シンジはハルケギニアで言葉に困っていない。そしてシンジを媒介にして、ヒスイやスピネルもハルケギニアの言葉を理解できるようになってる。それを考えれば、便利だという言葉に説得力もあるのだろうが……
 ただシンジとしての問題は、まだ繋がり方の調整がうまくいっていない事だった。目とか耳とかの情報を共有してしまうと、秘密の行動も筒抜けになってしまうのだ。いくらなんでも、これは都合が悪いだろう。

「僕としては、全員の使い魔契約を解除したいんだけど……
 それにコハクには、ちゃんと指輪があるだろう?」
「それはそれ、これはこれと言うものだ。
 シンジとの繋がりを示すものなら、何でも欲しいと願うのが女心のなのだ。
 それぐらい理解しろ!!」

 そう言われれば、そうですかとしか言いようがない。それでも最後の抵抗は、ハルケギニアとの空間の違いだった。

「向こうと違って、こっちだと“魔法”とか言うのが使いにくいんだ。
 コントラクトサーバント自体は、大した魔法じゃないんだけどね、
 それでもこっちに戻ってくると、準備に時間が掛かるんだよ」
「ならば、われがあちらに出向けばよいのであろう!
 新しく加わった仲間故、訪問するのは吝かではないぞ」

 笑いながらではあったが、どうもコハクは譲るつもりはないようだ。やはりコハクとしては、自分以上の繋がりを持つ妻が居るのが気に入らないのだろう。ずりっと身体の上を滑って、コハクは正面からシンジの顔を見据えた。その顔が笑っているのだから、深刻と言うほどの事はないのかも知れない。

「正直なところ、われも連れて行けと言いたいだけなのだ。
 それもそうであろう、新たな人の住む世界が見つかったのだ。
 これがどれだけの発見なのか、シンジにもその意味は分かるであろう。
 おかげで、最高評議会の中で、更にシンジの評判が高まったのだぞ」

 1億と2千万の隔たりがあると言う事は、エデンを中心にした球を描けば、10の24乗個の空間が存在する事になるのだ。その気も遠くなるような場所から、新たな仲間を見つけたのである。その功績たるや、3界をまとめた以上ではないかと言われるほどだった。

「僕の場合、今回は巻き込まれただけなんだけどね……」
「それでもだ、新たな世界との通路を作った最大の功労者なのだ」
「それだったら、先にハルケギニアに渡って、信頼を得た平賀君の功績も大だね」

 むろんだと、コハクはシンジの言葉を認めた。

「故にその者の芙蓉学園入学を認め、名誉大使の役を与えたのだろう。
 ぬしが手を掛けられぬ故、その世界との交流は平賀サイトなる者の役割が大きくなる。
 ただな、実務を任せるには心許ないところが多々あるがな」
「まあ、本当に普通の高校生だったからね……」

 いきなり外交を任されたのでは、どうしようもないと言うのが正直なところなのだ。しかもハルケギニアとの交流には、なかなか難しい事情も絡んでいたりする。

 その難しい事情の一つが、明らかに異なる文明の進み方だった。“魔法”と言う特殊技能があったせいで、科学技術という面で、遙かにハルケギニアは遅れていたのだ。そんな国に、現代の技術をつぎ込んだりしたら、いったいどんな副作用が起こる事だろう。技術の発達は、精神の発達に合わせて行われる必要があり、それを蔑ろにすると使う側の精神が付いてこなくなり、それだけで争いの原因ともなり得るのだ。従って3界は、ハルケギニアに対して、不干渉の方針を打ち出したのだ。貴重な文化が、干渉によって破壊されるのを防ごうというのである。そして、この事に対して不満を口にしたのは、ハルケギニアの代表達だった。彼らにしてみれば、進んだ文明を供与されれば、生活が一気に楽になるのだ。それをしないと言うのだから、どうしてという不満が出るのも仕方がないだろう。
 そしてもう一つの難しさは、ハルケギニアを含む世界が、極めてリリンの中世に似ていた事だった。シンジが一度言った事なのだが、十字軍が派遣された・侵略した時代背景と重なっていたのだ。そのためキリスト教圏とイスラム教圏が、それぞれハルケギニアとエルフの支援を打ち出してくれたのだ。いわば時空を超えた代理戦争と言えばいいのか、過去の因縁を、新たな世界に持ち越そうとしたのである。その動きに対して、碇家は明確にノーを突きつけた。先ほどの不干渉にも関わる事なのだが、リリンの事情を持ち込むのではないと、厳しく制限を掛けたのだ。もともとリリン単独で渡航する事が出来ないため、碇家が渡航禁止を掛ければ、誰もハルケギニアに渡る事は出来なくなる。そこで一番不満が出たのは、リリンの文化・歴史研究家達からだった。文化汚染をしてはいけないと言う説明は分かるのだが、細心の注意をすれば問題ないというのが彼らの主張だったのである。その主張を、シンジは強権を発動して封殺した。

 そんなしがらみを、サイトが仕切れるはずがない。それが分かっているだけに、ほとんどの仕切りはエデンが行うことになっていた。

「それで、少数の留学生を受け入れるという話はどうなったのだ?」
「あちらで、希望者を選抜して貰っているよ。
 彼らには、世界をつなぐ架け橋になって貰いたいからね」
「その留学生は、責任が重大だな。
 彼らがどのような文化、文明を持ち帰るかで、世界の将来が変わってくる」

 そうだねと同意して、シンジは体を入れ替えるようにしてコハクの上になった。新しい世界のことを話し始めると、どれだけ話をしてもつきることはないだろう。会話をすることが悪いとは言わないが、二人だけなら、他にもしなければいけないことがあったのだ。

「お話は、これでおしまいだよ。
 続きは、明日にでもみんなとしようよ」
「あ、ああっ、そ、それもそうだな……」

 正面から瞳を覗き込まれ、コハクの顔はみるみるうちに赤くなっていった。ずいぶんと久しぶりと言うこともあり、どうも恥ずかしくてならなかったのだ。

「や、優しくしてくれるか!」
「それが、コハクの希望ならね」

 シンジの言葉に応えるように、コハクはその瞳をそっと閉じた。



***



 文化的には、ガリアを超える国はない。ジョゼフ王が常々口にしていたように、開かれた晩餐会は盛大なものだった。そしてその晩餐会に花を添える女性もまた、豪華に咲き誇っていた。特にガリアにとって大事だったのは、亡きシャルル候の息女が晩餐会に加わった事だった。それまでの虐げられた境遇を考えれば、末席とは言え公式の場に顔を出したのは大きな進歩だったのである。

「今宵の宴は、ガリアの名物を取りそろえた。
 トリーフにブレスの鶏や鴨の肝臓、それに鼻魚の卵はいかがだったろう。
 そして今宵の宴は、トリスティンよりハルケギニアの宝石とまで謳われた
 アンリエッタ女王にまでお越しいただいておる。
 さぞかし皆も、満足のいく宴となった事と余は信じておる」

 そこでと、ジョゼフ王はひときわ声を張り上げた。

「珍品逸品を取りそろえたが、ここでシメとして東方より取り寄せたサッケを振る舞おう。
 なかなか手に入らぬもの故、是非とも皆に味わって欲しいのだ」

 ジョゼフ王の合図に、一斉に給仕が現れテーブルにグラスをおいていった。そしてそこに、一升瓶ほどの酒瓶から、透明な液体を注いでいった。

「東方では、長寿のクスリと言われておるサッケである。
 このサッケを飲み干し、長寿を願おうではないか!」

 国王自らの酌なのなのだから、飲まないと言うことが許されるだろうか。だが本能で危険を感じたタバサは、今にも口を付けようとしているシンジを止めようとした。自分の勘が間違いなければ、その中には母の正気を奪った薬が入れられている。もしもそれを飲んだのなら、トリスティンの、いやハルケギニアの希望が失われてしまう。
 だがいけないと叫ぼうとしたときにはすでに遅く、シンジはくいっと一息でサッケを飲み干していた。その瞬間ジョゼフ王の顔を見たタバサは、彼の顔が勝利を確信しているのを見つけたのだった。タバサが感じたとおり、シンジの飲んだ酒にはエルフの秘薬が入れられていたのである。
 だがタバサが絶望を感じ、そしてジョゼフ王が勝利を喜んだ次の瞬間、二人の目は信じられないものを見たとばかりに大きく見開かれた。二人の目の前で、シンジがお代わりに手を伸ばしているのである。
 シンジに飲ませたのは、即効性の精神毒なのだ。一口飲み干そうものなら、たちどころに効果が発揮され、飲んだものの正気を奪うという代物である。ハルケギニアでは手に入らないエルフの秘薬まで含まれているのだから、毒消しなどと言う物も存在していないのだ。誰かの手違いでもない限り、アンリエッタ女王の使い魔は役立たずになっていたはずだ。

「皆様、どうかなされましたか?」

 ジョゼフ王とタバサの変化に気づいたアンリエッタは、口元を隠しながら何かあったのかと尋ねてきた。もちろん事前に知らされているのだから、彼らが何に驚いているのかは承知の上である。

「い、いや、なに、なかなか見事な飲みっぷりに感心しておったのだ」

 何とか気持ちを落ち着けたジョゼフ王は、料理はいかがかと尋ねてきた。こんな所でぼろを出しては、せっかくの余興が台無しになってしまう。

「みな素晴らしく、感激しております。
 トリスティンの田舎におりますと、このような素晴らしい食材が手に入りません。
 ジョゼフ陛下のもてなしに、このアンリエッタ深く感謝しております」
「あ、ああ、今日は実りある話し合いができたのでな。
 これは余からの礼だと思ってくれればいい」

 そんなことよりもと、ジョゼフは自分の興味を優先することにした。それは、いくら探っても正体の掴めない、アンリエッタの使い魔のことだった。

「女王が使い魔召還の儀式をしたという評判は来ているのだが、
 もしかしたら、あの男が女王の使い魔なのか?」
「シンジ様のことでしょうか?」

 一瞬大きく目を見開き、そしてアンリエッタは恥ずかしげに目を伏せた。そしていきさつは間違っていないが、関係は大きく違っているのだと説明した。

「私は、使い魔を召還するつもりで異世界の王を呼び寄せてしまいました。
 シンジ様は、大局を見通す広い視野と深い洞察力をお持ちです。
 とてもではありませんが、私のようなものの使い魔に収まる方ではありませんでした」
「ほほう、異世界と言われるのか?」
「私には、それがどのような世界かは分かりません。
 ですがシンジ様が仰有るには、先日どこからか現れたゴーレムなど、
 シンジ様の世界では、おもちゃのようなものだと言うことです」

 自慢のヨルムガントをおもちゃと言われたのだから、ジョゼフ王の心は平穏というわけにはいかなかった。だがあれを自分のものと言うわけにも行かず、ジョゼフ王は「頼もしいことだ」と取り繕って見せた。その言葉を聞いたアンリエッタは、追い打ちを掛けるようにジョゼフ王の神経を逆なでして見せた。

「はい、あのようなおもちゃをいくら集めても、何も怖くはないのだと仰有りました。
 それどころか、万の兵に攻められたところで、自分一人で退けてみせると仰有ってくれました」
「まさか女王は、その言葉を真に受けておられるのか?」

 はっきり言って世迷い言にしか聞こえない話を、アンリエッタはまじめな顔で話してくれるのだ。ジョゼフ王が担がれていると感じたのも、あながち無理もない話と言えるだろう。だが「真に受けているのか?」と聞かれたアンリエッタは、

「私は、それでも控えめなお話だと思っています」

などと、肯定してくれた。絶対的に優位に立っていると確信していたジョゼフ王は、アンリエッタの言葉にいらだち感じてしまった。

「そ、そのような力があるのなら、聖地奪還も容易いことではないのかな?」
「私たちも、そう考えました。
 ですが力での解決は、真の解決ではないと教えられました。
 ですから私は、困難でも話し合いによる解決を選んだのです」
「それは、立派なお考えと賞賛されるべきものでしょうな……」

 それでと、ジョゼフ王は、顔色一つ変えずに食事をつまんでいるシンジの顔を見た。今更エルフの毒の効力に、疑問を挟む余地はない。そしてその毒は、確実に“使い魔”の杯に忍ばせておいたのだ。取り違えがなかった事は、他の誰も毒を飲んでいないのだから確かなのだろう。そうなると、なぜこの男が毒を飲んでも平気だったのかと言う事になる。異世界の王などと言うとってつけた理由を、その原因にする事は出来ない。

「そのような立派な方であれば、是非ともゆっくりとお話ししてみたいのだが?
 近いうちに、別の席を設けようと思うのだが、いかがであろう?」
「それは結構なお話だと思います。
 是非ともジョゼフ陛下も、シンジ様のお話に耳を傾けて頂きたいと思います」
「うむ、万の兵をものともしないと言うその力、是非とも見せてもらいたいものだな」
「シンジ様が力を振るわれるという事は、私たちが争いに巻き込まれるという事です。
 私は、そのような機会はない方が良いと思っています」
「確かに、女王の言うとおりなのだろう。
 つまらぬ事を言ってしまったことを許して欲しい」

 横柄な態度で許せと言われて、謝られた気持ちになれるだろうか。それでもアンリエッタは、「気になどしていない」と答えた。大きな力に憧れるのは、誰もが持つ当然の感情なのだからと。

「シンジ様は、力に溺れれば逆に自分が滅ぶ事になると戒めて下さいました。
 そのことを肝に銘じ、私は国を治めていきたいと思っております」
「ますます立派な心がけと賞賛致しますぞ!
 確かに今宵の宴は、実り多きものになりましたな。
 今後とも、我がガリア王国、トリスティン王国が共に発展するようにしましょう!」

 もう一度乾杯をすると言うジョゼフ王の呼びかけに、全員が一斉に立ち上がった。そしてその音頭に従い、ガリア、トリスティン両王国の繁栄に全員が乾杯をしたのだった。そして緊張を孕んだ晩餐会は、シンジが予想したとおり新たな仕掛けは行われなかった。



 もう少し良いのではと言う誘いを断り、アンリエッタ達一向は陸路トリスティンを目指した。話しが付いた以上、あまり国を空けておくわけには行かないと言う、いかにもとってつけた理由をこしらえた。夜に移動するのは危険だと言う理由で引き留められたのも、十分な備えがあるから大丈夫と振り切った。これ以上の滞在は、別の思惑を生み、相手に仕掛けを作る時間を与える事になる。いくら準備を整えてあるからと言っても、不確定要素は排除すべきと考えたのだ。

 アンリエッタの乗った馬車は、アニエス率いる銃士隊に守られいた。だがそれでは、備えが十分と言うには不足な陣容である。そしてそれを補うため、シンジは呼び寄せた戦士達に周辺を監視させた。これで、シンジ達を襲おうという試みは、発動したと同時に知らされる手はずになっていた。

「疲れたろうから、眠っていても良いですよ」

 隣に座るアンリエッタに、声を掛けたシンジは、同じようにルイズ達にも休んで良いと声を掛けた。

「いざというときには、僕が起こしてあげるよ」
「お、襲われるのが分かっているのに、眠っていられると思う!!」

 そうするのが習慣のように反論したルイズに、だから休む必要があるとシンジは答えた。

「楽しくもない晩餐会で疲れただろう。
 だから、この後の為に体力を回復しておくんだよ。
 何しろ二人には、活躍して貰わなければいけないからね」
「そう言うプレッシャーを掛けられると、余計に眠れなくなるんですが……」
「だったら、アンリエッタに眠りの魔法を掛けて貰おうか?」
「そ、そうして貰えると……」

 うんうんと肯いたサイトに、アンリエッタはクスリと小さく吹き出した。そして短い呪文を唱え、タバサを含めた三人に眠りの魔法を掛けた。そのおかげか、ぶつぶつ言っていたルイズも、サイトに寄りかかって寝息を立て始めた。その反対側では、タバサがサイトに寄りかかっていた。

「結構、便利なんだね」
「はい、水魔法の一つなんです。
 でもシンジ様、シンジ様も同じ事が出来るのではありませんか?」
「うまく加減が出来るかどうか難しいんだよ。
 それでアンリエッタ、君も休んだ方が良いよ。
 ジョゼフ王相手に頑張ったから、かなり疲れたのじゃないかな?」
「はい……その、疲れたと言えば疲れたのですが……
 こうして、シンジ様と二人でいられるのが嬉しくて。
 ですから、その、目が冴えてしまっているのです」
「二人って、目の前に三人いると思うけど?」
「眠っているのですから、数の内に入りません。
 それに、ここでして欲しいなどと我が儘を言うつもりもありません。
 ですから、もう少しシンジ様の側に寄る事をお許し願えないでしょうか?」

 わずかな明かりが、アンリエッタの美しい顔を照らし出した。夜というのは女性を美しく見せると言われるとおり、暗さと小さな明かりがアンリエッタの美貌を際だたせていた。美しい女性なら見慣れているシンジも、今のアンリエッタは掛け値なしに美しいと感心してしまった。

「ああ、もっと近くにおいで」
「……はい」

 そう言われて、アンリエッタはお尻がくっつくぐらいにシンジに近寄った。それでも不安なのか、アンリエッタの瞳が揺れていた。

「大丈夫だよ。
 僕が必ず君を守るからね」

 そんなアンリエッタに、大丈夫だとシンジは声を掛け、その肩を自分の方へ抱き寄せた。
 初めは驚いたアンリエッタだったが、すぐにその顔は歓喜に彩られた。これまで契約に絡んで口づけをした事はあっても、それ以上の触れ合いがシンジとはなかったのだ。ただ肩を抱かれただけなのだが、それでも今のアンリエッタには十分だった。だから、

「……嬉しい」

と言うアンリエッタの言葉に繋がる。そんなアンリエッタから顔を背け、誰もいない所に向かって「覗かないように」とシンジは注意をした。

「シンジ様……!?」
「ああ、スピネルが覗いていたんだよ。
 だから見ないようにって釘を刺したんだよ」
「スピネル様……あの、胸が無いけどとてもきれいな方……」

 アンリエッタの言葉が聞こえたスピネルは、文句を言って良いのかどうか悩んでいた。「とてもきれい」と褒められたのだが、その前に付いていた「胸がない」という言葉は気に掛かったのだ。せめて「小さい」ぐらいにしてくれれば、素直に応援できたのにと小さな声でスピネルは文句を言っていた。当然シンジの耳には届いているが、アンリエッタには届いていない。苦笑を浮かべるシンジに、アンリエッタは

「どうかなさいましたか?」

と聞いてきた。

「スピネルがね、ちょっと悩んでいたんだよ。
 そんなことより、アンリエッタにはまじめな話があるんだ」
「なんでしょう、シンジ様……」

 じっと見つめるアンリエッタに、シンジも同じように見つめ返した。

「僕は、この世界にとどまることはできない。
 そして君を、僕の世界に連れて行くわけにもいかないんだ。
 君は、トリスティンを、ハルケギニアを導く役割がある」
「私を、置いて居なくなると仰有るのですか?」

 大きく目を見開いたアンリエッタに、居なくなるわけではないとシンジは答えた。

「ただ、滅多に顔を出すことはないだろうと思うんだよ。
 今の問題が解決したら、この世界のことは平賀君に任せようと思う。
 ただ彼では経験が不足しているから、補佐に何人か付けるつもりだけどね」
「だからシンジ様は去られると……」
「元の世界で、しなくてはいけないことが沢山あるからね」

 だからもうすぐお別れになる。シンジははっきりとアンリエッタに告げた。

「この世界は、僕の住んでいた世界と違いが大きすぎるんだよ。
 だからあまり大きな力で干渉してはいけないんだ。
 僕の居た世界との通路は作ったけど、できるだけ使用しないのが良いと思うんだ。
 そうしないと、この世界の持っている良いものが、すべて失われてしまうことになる」
「私たちの世界を守るため、シンジ様は去られると仰有るのですか?
 シンジ様を愛してしまった私は、一体どうすれば良いんですか!!」
「思いが実らないことなんて、珍しいことじゃないよ」
「私にっ!! 私にまた悲しい思いをしろと仰有るのですか!!
 ウェールズ様は、私を置いて亡くなられ、
 サイトさんには、ルイズという女性が居ます。
 ようやく巡り会えたと思った理想の男性にも去られたら、
 私はこれ以上どうすればいいと言うのですか!!
 シンジ様は、もう私に人を愛するなと仰有りたいのですか!!」

 酷いと言って、アンリエッタはシンジを突き飛ばした。そして顔を手で覆って、さめざめと泣き出した。

「僕を恨むのなら、いくらでも恨めばいい。
 だけど僕と平賀君では事情が違う。
 彼はミス・ヴァリエールと一緒になることはできるけれど、
 僕は君を妻に迎えるわけにはいかないんだ。
 一国の女王が、異世界に嫁ぐわけにはいかないんだよ。
 しかもハルケギニアは、ますますアンリエッタを必要とするんだ」
「……私に、女の幸せを求めるなと仰有るのですね」
「僕以外の相手で求めて欲しい」

 そう言って、シンジはアンリエッタを冷たく突き放した。だがそれぐらいではアンリエッタも引き下がらない、そしてシンジもそのことは予想していた。だから納得いかないとアンリエッタが食い下がろうとしたところで、覚え立ての水の魔法をアンリエッタに掛けた。それは3人を眠らせるときに使った魔法、何の備えもなかったアンリエッタはシンジの胸に崩れ落ちた。

「君が目覚めるときには、ガリア王国の問題は片付いているよ。
 大丈夫、僕の記憶は最後には消していってあげるからね」

 背もたれにもたれかからせ、シンジは風邪を引かないようにと毛布をアンリエッタに掛けた。そして反対側に現れたヒスイに、「どうなっている」と状況の確認をした。

「あと30分ほど行ったところで、4千の兵が待ち伏せをしています。
 竜と言う生物も上空に居ますので、兵の数はもっと多いのではないでしょうか。
 そしてそれを抜けたところで、30体ほどの機動兵器が待ちかまえています。
 おそらくシンジ様を挟み撃ちにするのではないかと思います」
「じゃあ、そろそろ平賀君達を起こした方が良いかな?
 それで、平賀君の武器はどうなっている?」
「いつでも使えるよう、整備して待機しています。
 それから、ミョズニトニルンと言う者の所在も押さえています。
 こちらは戦闘開始と同時に、スピネルに押さえさせます。
 ところで、ジョゼフ王はどういたしましょうか?」
「どうもしなくても良いよ。
 ミョズニトニルンの契約を解除してやれば、もう何もできなくなる。
 そのために、シャルロット王女を巻き込んだんだからね」

 王位にはとどまれなくなるだろうと、シンジはこの先の流れを予想した。ミョズニトニルンを失うことも大きいが、兵を動かしたことが決定的な失敗なのだ。もはや関係ないと白を切ることはできなくなる。

「そのためには、少人数で派手に撃破する必要があるんだけどね」
「あの二人で大丈夫でしょうか?」

 肩を寄せ合って眠る二人に、ヒスイは少し不安を顔に表した。この世界の常識では、いずれも大兵力なのである。いくら伝説の魔法使いとその使い魔だとしても、相手にするのは無謀と言うものだ。

「そのために、武器まで用意したんだよ。
 厄介な奴らを僕らが面倒を見るから、そんなに手こずることはないと思うよ。
 向こうの決着が早ければ、僕たちも楽できそうだしね」
「シンジ様がそう仰有るのなら、きっとそうなのでしょう。
 では私は、向こうの空間で待機しております」

 その言葉を残し、ヒスイの姿は馬車から消え失せた。ヒスイを見送ったシンジは、次の行動として警護をしているアニエスに声を掛けた。

「アニエスさん、聞こえていますか?」
「はい、はっきりと聞こえています!」

 シンジが窓を開いたので、アニエスはすぐさま近づいてきた。そのアニエスに、そろそろ戦いが始まるとシンジは告げた。

「僕たちは、前後から攻撃されることになります。
 そこでアニエスさんにお願いですが、女王様を守っていただけますか?
 後は僕とミス・ヴァリエールが片付けますから」
「私たちには、他に仕事はないのでしょうか?」
「近衛なんですから、女王様を守ることを第一に考えてください。
 それに、銃士隊の装備では大軍勢相手には不向きです」
「畏まりました、ご武運を祈っております!」

 挨拶を残して馬車から離れたアニエスは、隊の者に命じて警護の陣形を整えた。シンジに言われたとおり、自分たちの役目は女王を守り抜くことである。それもできないで、戦いに出るなどと口にしてはいけない。

「じゃあヒスイ、二人を起こすから連れて行ってくれないかな?」

 自分の周りを流れる力に集中したシンジは、その流れから少しだけルイズとサイトに力を流し込んだ。だがそれでも少し大きすぎたのか、電気に打たれたように二人は飛び起きた。

「もっと優しく起こしなさいよ!!」

 従ってルイズの抗議になる。それに謝ったシンジは、お詫びの代わりだとサイトに武器を上げると申し出た。

「今から二人をヒスイが案内するから、ヨルムガントとか言うのと戦うのに使ってくれないか?」
「それはいいっすけど、良いんですか武器なんて使っちゃって」
「普通なら駄目って言うんだけどね、まあさんざん使った奴だから良いだろう」
「さんざん使った奴……!?」

 なにと首を捻ったサイトに、シンジは「零戦」だと種明かしした。

「回収して整備しておいたから、ずっと調子が良くなっているはずだよ。
 一応補給もしたから、機関砲も使えると思うけど」
「零戦、使えるんですか!!」
「それぐらいの手助けは必要だと思ったからね。
 それに、空には竜も待機して居るみたいだからね」

 それでも大丈夫かと聞かれ、任しておいてくださいとサイトは胸を叩いた。ヨルムガントと竜、相手を考えれば大変なのだが、整備された零戦が有れば話は変わる。機動性一つ取っても、竜とはひと味もふた味も違っているのだ、これで遅れをっては恥としか言えないだろう。

「じゃあ、あと10分ぐらいで戦闘になるから、準備をよろしく!」
「準備って、どう……」

 その言葉を残して、サイトとルイズの二人の姿は馬車から消えた。きっと今頃は、零戦を前に目を丸くしているだろう。

「あとは、ガリアの新女王だな」

 そう呟いたシンジは、先ほどよりももっと力を加減してタバサを起こした。そのおかげか、サイト達と違って飛び起きるようなことにはならなかった。
 タバサは、そこにサイト達が居ないのに気づき、どうしたのかと最初に聞いてきた。

「あと少しで戦闘になるから、その準備をして貰っています。
 シャルロット王女にお願いですが、アンリエッタのそばに着いていてくれないかな?
 僕はこれから、待ち伏せしている兵を蹴散らしてくるから」
「貴方だけで大丈夫なの?」
「まあ、僕一人なら絶対に大丈夫なんだけどね」
「そう……」

 短く答えたタバサは、シンジの隣で眠っているアンリエッタの顔を見た。わずかな光しかないのだが、アンリエッタが涙を流していたのがタバサには分かった。それだけで、タバサには二人の間で何があったのか分かった気がした。

「私が口を出せる問題ではないのは分かっている。
 それに、貴方にはお母様の治療をして貰っている恩があるわ。
 でも、彼女を泣かせるのはいいことじゃないと思うわ」
「でもね、アンリエッタには投げ出すことのできない立場があるんだよ。
 少し可哀想だけど、後で記憶を消して僕のことは忘れて貰うよ」
「私には、それが良い考えだとは思えないわ。
 貴方には妻が沢山いると聞いている。
 だったら、女王一人増えても問題ないのではないの?」

 タバサに向かって、そう言うことではないとシンジは首を振った。

「僕たちは、これ以上この世界に干渉してはいけないと思っているんだ。
 あまりにも違いすぎる文明は、絶対にこの世界をおかしくしてしまうからね。
 この世界を守るためには、交流はできるだけ小規模にする必要があるんだよ」
「貴方の言っていることが正しいのかどうか私には分からない。
 でも一つだけ言えるのは、記憶を消したとしても彼女は可哀想だわ。
 はじめは違ったのかもしれないけれど、今は貴方のことを愛している」
「そうなのかもしれないね……」

 シンジはアンリエッタの目元を拭うと、そろそろ時間だとタバサに告げた。

「今からの戦いを見れば、交流を小規模にした方が良いという理由が分かるよ。
 圧倒的な力の差、技術の差というものを見せてあげよう」

 シンジがそう言った瞬間、タバサはシンジの姿を見失った。



 タバサの前から消えたシンジは、馬車の後方少し離れたところに現れた。そしてシンジの隣には、なぜか芙蓉学園の制服を着たヒスイが立っていた。

「馬車の守りは?」
「パーガトリの兵が、周りを固めております。
 彼らの力では、指一本触れられないと思います」

 そうと頷いたシンジは、目の前に広がる闇に視線を向けた。わずかな月明かりを頼りに見ると、大勢の兵士が蠢いているのを確認できる。いよいよ攻撃を仕掛けようとしているのだろう。

「じゃあ、はじめようか……光よ!」

 シンジが水を受けるように両手の平を前に出すと、そこに小さな光が現れた。その光はヒスイの見ている前で、次第に力強くなっていく。そしてその光が手のひらいっぱいの大きさになったところで、シンジは空に投げ上げた。そしてその光は、上空に達するとまばゆいばかりの輝きを放ち、辺りは昼かと思うほどの光に溢れた。その明るさの中、潜んでいた兵やヨルムガントがさらけ出された。

「相変わらず、シンジ様のお力は非常識ですね」
「今回は、そう言われても仕方がないと思っているよ」

 後ろを振り返ると、突然のことに驚いたのだろうか、アンリエッタを乗せた馬車も止まっている。先に進めばヨルムガントが待っているのだから、止まっていること自体問題ではないとシンジは考えた。

「あっちが見えるってことは、こっちもよく見えるって意味だからね」
「あの程度の数で、シンジ様を止めることができるでしょうか?」

 あの程度と言われた兵士達は、追撃するように街道を埋めていた。その数はざっと見積もって、千は軽く超えているだろう。だがヒスイの目から見れば、突然のことに対処できない烏合の衆にしか見えていなかった。

「たぶん、僕は何もしなくても済みそうだよ」

 どこからか、サイトの乗った零戦の爆音が聞こえてきた。これでシンジが起こした奇跡も、虚無の使い手の仕業にしてくれるだろう。

「シンジ様、スピネルがミョズニトニルンを確保したようです」
「敵も、零戦に逃げ腰になっているようだね。
 後は、ヨルムガントとか言うおもちゃを壊せば終わりだね」

 シンジの言葉を裏付けるように、トリスティンの方角から大きな爆発音が何度も聞こえてきた。どうやらルイズのエキスプロージョンは、シンジの力を借りて絶好調のようだ。これならば、思ったよりも早くけりが付きそうだ。

「後は、責任をとってジョゼフ王に退位して貰えば終わりだね」
「大人しく、退位しますか?」
「それほど、この国は一枚岩じゃないよ。
 それにシャルロット王女のバックの力を見れば、
 王を変えたくなるんじゃないのかな?」

 それでは最後の仕上げと、シンジはうろたえる兵達に向かって声を張り上げた。

「貴国の兵力は、我らの元に敗れ去った!
 我らは今一度ガリア王宮に戻ることにしよう。
 それまでに、貴国はこの不始末の責任をはっきりとさせよ。
 さもなくば、伝説の力が貴国の上に振るわれることとなるだろう!!」

 その声が浸透したところで、シンジは最後の仕上げだとヒスイに言った。

「ミョズニトニルンの解呪をすれば終わりだ。
 これで、ジョゼフ王は頼る物がなくなる」
「では、スピネルにミョズニトニルンを連れてこさせましょう」
「ついでに、平賀君達の回収もお願いするよ」
「畏まりました!」

 ヒスイは一礼をして、シンジの前から姿を消した。それを認めたシンジは、ゆっくりと止まっている馬車に向けて歩き出した。馬車の中には、ハルケギニアを治める二人の女王が待っているのだから。



***



 ハルケギニア最大のガリア王国を押さえたことで、その後の交渉はずっと楽になった。もともと信仰心の薄いゲルマニアには、聖地回復という名目は必要なかったのである。戦いを続けることの無意味さと、平和を受け入れることによって得られる利益を解いたことで、簡単に懐柔されてくれたのだ。その結果を持って、アンリエッタはロマリア皇国の聖エイジス三十二世との会見に臨んだ。そのときの餌に使ったのは、聖地への自由な往来の権利だった。それを保障すると言われれば、ロマリア教皇とて戦争を主張するわけにはいかない。その結果、すべての権限をアンリエッタは一任されることとなった。
 ハルケギニア内の調整に比べれば、エルフとの交渉の方が遙かに簡単だった。事前にビダーシャル卿の話が通っていたおかげか、アンリエッタの主張が簡単に認められたのだ。

「その異世界の王とやらに、よろしく伝えて欲しい」

 すでにシンジは、この交渉に関わってはいなかった。それを残念がった族長に、「確かに承りました」とアンリエッタは答えた。この儀式を持って、1千年以上続いた聖地を巡る戦いは終結したのである。

「サイトさん、シンジ様は?」

 急いでトリスティン王宮に戻ったアンリエッタは、すぐにシンジの姿を探した。だがどこにもシンジの姿を見つけることができず、一番事情を知っているサイトに尋ねたのだ。そんなアンリエッタに、サイトは申し訳なさそうな顔をして、

「碇さんは、元の世界に帰りました」

と告げた。それは、アンリエッタにとっての死刑宣告のようなものだった。せっかく望んでいた平和を手にしたのに、愛する人は居なくなってしまった。

「やはり、私では駄目なのでしょうか……」

 顔を覆って泣き崩れるアンリエッタに、サイトは掛ける言葉を持たなかった。これまでアンリエッタを襲った不幸を考えれば、サイトとしては幸せになって貰いたいと思っていた。どうせ重婚しているのだから、今更一人ぐらい増えても問題ないだろうとも言いたかった。だがシンジが問題にしたのが、アンリエッタの立場と、元の世界との関係なのだ。それを言われると、今のサイトにはどうすることもできなかった。

「なあルイズ……」
「私だって、姫様が可哀想だと思うわよ……」

 それでもどうにもならないことはあるのよ。だからルイズは、連れてきたティファニアの顔を見た。彼女の虚無なら、悲しい記憶を消すことができる。そうすれば、もう悲しい思いをすることもないだろう。ルイズに頷かれたティファニアは、本当に良いのかとサイトに聞き返した。確かに泣いているアンリエッタを見れば可哀想なのだが、だからと言って記憶を消すことが良いことだとは思えなかった。それに誰も気づいていないようだけど、記憶を消すこと自体に大きな問題があったのだ。

「女王様の記憶を消したら、全部忘れちゃうことになりませんか?
 今回のアンリエッタ様の行いは、全部碇様の記憶と結びついて居るんですよ。
 いくら何でも、碇様だけを選んで消す真似はできません」
「テファは、記憶を消したらこれまでの苦労が水の泡になるって言うのか?」
「その可能性が大きいんじゃないかなって……」

 なんてこったいと、サイトは天を仰ぎ顔を覆った。いい解決法のつもりが、最悪の結果を招くことになるのだ。これでは迂闊にアンリエッタの記憶を消すこともできない。

「サイトぉ、何とかしてあげられないの?」
「俺だって、できることなら何とかしたいさ……
 でも、俺じゃ碇さんに敵わないんだぞ」
「なんか、姫様を見ていたら悔しくなってきたのよ。
 私たちを手玉に取ったあの男に、何か一泡吹かせてやりたいのよ!」
「一泡って言ってもなぁ……
 とりあえず、姫様の記憶を消すのは止めておくことにして」

 そこからどうしようかと、サイトは真剣に考えた。だがいくら考えても、良い考えなど浮かぶものではない。うんうんと唸ったサイトに、あのぉとティファニアが控えめに意見を口にした。

「あちらの世界で、誰かに協力を頼んだらいかがでしょう。
 サイトさんは、自由に帰ることができるようになったんですよね?」
「あっちの世界か……」

 良い考えに聞こえるが、実行するとなると問題は沢山ある。まず第一に、誰を協力者とするかと言うことだ。元の世界で指導的な立場にいる相手に、一体誰が意見することができるのだろう。

「一応学園への入学許可は貰ったからなぁ……
 ダメ元で、何かいい手がないか聞いてみることにするか」
「サイト、あっちの世界に行くの?」

 不安そうな眼差しをするルイズに、仕方がないだろうとサイトは答えた。

「あっちに行かないと、頼る人が誰もいないんだからな」
「……帰ってきてくれるよね?」

 そう言って上目遣いで見るルイズに、サイトはパンチを正面から食らった気持ちになっていた。ちくしょー可愛いじゃねぇかと。
 だが泣き崩れているアンリエッタの前で、ルイズを抱きしめるわけにも行かない。手をわきわきとはさせたが、さすがにそれ以上のことは思いとどまった。

「ルイズ、お前は姫様のことを見ていてくれないか。
 必ず俺が、解決策を見つけて帰ってくるから」
「……絶対よ」

 チクショーこれで我慢なんか出来るものか。姫様ごめんなさいと心の中で唱え、サイトはルイズを抱きしめた。その凹凸に乏しい体が、サイトの腕の中にすっぽりと収まった。その体が小さく震えているのが、サイトに伝わってきた。

「絶対だ、俺はルイズを迎えに帰ってくる!」

 口づけをかわす二人を、きゃあきゃあ言いながらティファニアは手で顔を隠しながら観察していた。それはもうじっくりと……



***



 シンジに髪を撫でられながら、コハクは思い出したことがあると小さく呟いた。

「思い出したこと?」
「うむ、その平賀サイトなるもののことだ。
 なにやら学園で、椎名に相談しておったぞ」

 ちなみに学園に顔を出したサイトは、天使の戯れる光景に「天国ですか!」と口走ったという。ルイズやティファニアをきれいだと思っていたが、ここにはそんなレベルは掃いて捨てるほどいたのだ。「天使は恐ろしい」と、今更ながらにサイトは思い知らされたそうだ。

「平賀君が? イツキと?」

 二人の組み合わせを聞いて、シンジの背中に冷たいものが走った。サイトだけなら、別に問題はなかったのだが、そこにイツキが加わると、とたんに話がややこしくと言うか、自分に関わってしまうのだ。そして自分が被るだろう迷惑に、心当たりが有りすぎるのが問題だった。

「こ、コハクは、何の相談をしていたのか知っている?」
「さあな、われは姿を見かけただけのことなのだ。
 よほどシンジの方が、何を企んでおるのか知っておるのではないのか?」
「さ、さあ、僕には心当たりってのがないんだけど……」

 少なくともサイトの抱えている問題は、イツキに相談するようなことではないはずだ。そこで敢えてイツキが選ばれたことに、シンジはしっかりときな臭いものを感じていた。だいたいイツキが担ぎ出されるときには、必ずその矛先はシンジに向かうのだから。

「シンジよ、そう言う嘘をわれに吐くのは感心しないな。
 こうして肌で触れあっておると、ぬしの動揺が手に取るように分かるのだ。
 そうしてわれに隠すところを見ると、おおかた女のことであろう。
 だがなシンジよ、常々言っておるとおりわれは女には寛容だぞ。
 なに、女王など退位させてしまえばそれで済むことではないか」
「こ、コハク……い、いったい何を言っているんだい」

 女王と言う言葉は、更にシンジの動揺を激しくしたようだ。だがコハクにとって不思議なのは、どこにそれほど焦る必要があるのかということだった。今更妻の一人ぐらい、それがたとえ異世界の姫だったとしても、別に問題になるとは思えないのだ。それに、女王を妻にする問題も大したことはないと思っていた。アスカは反対していないのだから、碇家の中で争いになることもないだろう。

「その相談なのだが、実はわれも聞かされたのだ。
 と言うか、アスカもまた巻き込まれておるのだぞ」
「あ、アスカまで……」

 シンジには、この先の答えが見えた気がした。コハクの口から反対する言葉が出ていないと言うことは、アスカを含めて悪巧みが纏まったと言うことなのだ。

「……コハク、何で服を着ているの?」

 シンジが呆然としている横で、コハクは下着を身につけていた。普段のコハクなら、間違いなく朝まで一緒に寝ているはずなのだ。その不自然な行動に、まさかとシンジは戦慄した。

「われの時間はここまでなのでな。
 名残惜しくはあるが、事情を聞けば仕方が無くもある」
「ち、ちよっつ、僕の意志はどうなるの!!」

 つまり、この後アンリエッタが現れるというのだ。さすがのシンジも、ちょっと待てと言いたくなる。

「先に言っておくが、この部屋の空間は遮蔽してある。
 いかにシンジといえども、生身では容易に突破できぬからな。
 なに3界1の勇者が、4界1の勇者となったのだ。
 あの者なら、勇者に相応しい嫁と言えるのではないのか」
「どどどどうして、そう言うことを勝手に決めるんだよ!!」
「決まっておるだろう、我らは弱き女の味方なのだ!
 記憶を消して証拠隠滅などと考えるのは、勇者に相応しくない考えだからな」

 そう言っているうちに、コハクの支度は調ってしまった。そう言うことだからと、コハクは寝室の扉を開いた。そして待っていた女性に、「思いを遂げてくるのだ」と励ました。

「ありがとうございます、コハク様」
「アンリエッタよ、われとぬしは妻として同格なのだ。
 だからわれを呼ぶとき、様など型ぐるしくするでない!」
「では、コハクさん……で宜しいのでしょうか?」
「まあ、今はそこから始めるとしようか」

 なんで普通に言葉が通じているのだ! シンジの叫びは、二人にきれいに無視されていた。ありがとうございますとコハクに頭を下げたアンリエッタは、後ろ手に寝室のドアをがちゃりと閉めた。これで、絶対に逃げられない。アンリエッタの顔には、勝利を確信した笑みが浮かんでいたのだった。
 だがそんな二人にも、シンジがにやりと笑っていたのは見えなかったのだった。



***



 新しい世界との交流を始めるにあたり、誰を大使として送り込むかは難しいところだった。半ば強制的に国交を樹立させたのは、リリンであるシンジである。だがリリンは、ハルケギニアに至る移動手段を有していなかった。その意味ではエデンこそ窓口なるのに最適なのだが、そこには別の事情という奴も存在していたのだ。まあ個人的事情が大きかったのだが、最初にトリスティンを訪れた……と言うか、連れ込まれた平賀サイトの扱いをどうするかが難しかったのだ。ただの高校生なら問題はなかったのだが、おまけのように付いているガンダールフとか言う使い魔の身分がよろしくなかった。主の虚無の使い手とコンビで、世界の安定に欠かせない存在となってしまったのだ。単純につれて帰る、もしくは残しておくと言う選択だけでは終わらなくなってしまったのだ。
 その結果、喧々囂々の議論が繰り広げられたのだが、結局シンジの鶴の一声により、平賀サイトが名誉大使としてハルケギニアに派遣されることで落ち着いた。この辺りは、ガンダールフだと言う伝説が、ハルケギニアの民に受け入れられやすいだろうと考えられた結果でもある。
 かくして重要な役目に就いたサイトだが、彼個人には政治的能力は皆無に等しかった。まあサモンサーバントで拉致されるまで、出会い系サイト大好きな高校生だったのだから、そんなものを期待する方が間違っていると言うものだ。それに外交などと言う難しいことが出来るぐらいなら、最初から“名誉”などと言うお飾りにされるはずもない。そしてそれは、任命したシンジも認めるところだった。従って外交面のほとんどは、副大使がたてられて処理された。エデンから派遣された、ジャスパーと言う男性が指名されたのである。3界以外の全く新しい世界との交流と言うことで、コハクが直々に選んだ実力派でもある。今更言うまでもないことだが、天使の例外に漏れずいい男だった。しかも適齢期と言うのだから、何を狙ったのかとも言いたくなる。

「全てが丸く収まるというのは、やはり簡単なことではないですね」

 お披露目の際、女官の過半数を惚れさせたジャスパーは、右手で口元を覆ってどうしたものかと考えた。配下からの報告では、王家に対して民衆の間に軽微な不満が生まれているらしい。平和になったと言われても、その実感が無ければありがたみも薄い。そして実感を与えられるほど、3界との交流は行われていない。しかも国の中は、ことトリスティンにおいては何も変わっていないのだ。
 もっとも、簡単に平和の恩恵が得られないのも当たり前のことだった。それに聖地への道が出来たと言われても、聖地などそうやたらと行くような場所ではない。従って、貴族達とは違い、一般庶民に実感を与えられないのが今の平和なのである。

「やはり、目に見える形で“平和”を示す必要がありますね」

 国が変わったことを見せるには、派手なイベントが必要となる。そのために一番良いのは、適齢期を迎えている女王の婚礼だろう。王制をとっているのだから、女王の婿取りは重大きわまりないイベントである。政略結婚に見えない形を取れば、人々も平和を実感することができるだろう。しかも相手が相手だから、放っておいても暑苦しい空気を作ってくれるのは保証できる。

「やはり、トリスティン女王に骨折り願うしか方法がないか……」

 それに各国の間で、アンリエッタの評判は高まっている。エルフの地を含め、話し合いにより平和を導いた女王は、ハルケギニアの聖女とまで称えられるようになっていたのだ。しかもその前には“宝石”とまで称えられた美貌を持っているのだから、才色兼備と褒め称えられたのである。アンリエッタならば、めでたい儀式の中心になるにはうってつけの素材に違いない。それにこの話、トリスティンの安定を理由にしなくても絶対に断ることはないだろう。と言うか、二つ返事で賛成することは間違いなかった。
 女王成婚となれば、国中祝賀ムードに包まれるだろう。そこにハルケギニアの主立った王達、そしてエルフや東方の代表も呼べば、広く平和を印象づけることも可能となる。その時ばらまく物資ぐらい、3界から運んでくれば事足りるという物だ。いろいろなけじめを付ける意味では、これ以上ない儀式と言うことも出来る。
 良いことずくめに思える考えなのだが、ジャスパーはそこに非常に大きな問題が有ることを理解していた。何しろ結婚式は、女王一人でできる物ではない。当然相手となる男性が必要となるのだが、そのお相手がこの場合大きな問題となるのだ。

「……許可を貰う相手が多すぎる」

 それ以前に、誰が首に縄を掛けてくれるのか。問題になる人物を考えたジャスパーは、その難しさに思わず顔を顰めていた。新郎となる紫の奏者が大人しくしているとも思えないし、彼を派遣した上役もいい顔をしないだろう。パーガトリの姫に命を狙われたくないし、赤の奏者も怒らてはいけない相手なのだ。しかも以前なら頼りになった最高評議会議長も、今ではしっかりと臆病者になっている。とびっきりの恐怖と生命の危機を体験したのだから仕方のないと言えばそうなのだが、3界最高の意志決定機関……最近、それも疑わしくはなっているが、兎に角その長として情けない状態なのだ。だがへたれたサードニクスを恨んでも、何も始まらない。そうなると、彼自身が嫌がらせを実行しなければならないということなのだが……

「……こんなことで、コハク様の不興を買うわけにはいかない」

 紫の奏者に対して、含むところは有りすぎると断言できる。だからといって、コハク様命のジャスパーが、コハクの不興を買う真似など出来るはずがない。従って、計画立案者は別に仕立てる必要があるのだ。だが紫の奏者を動かせる人物など、そうそう居るものではない。清水の舞台から飛び降りても、自分では力不足というものだ。

「やはり、名誉大使殿に骨折り頂くことにするか」

 いつも自分が後始末をしているのだから、少しぐらい役に立ってくれても良いだろう。色々と弱みを知っていることもあり、利用しやすいと言えば利用しやすくもあったのだ。だがサイトを利用するに当たり、ジャスパーもまた別の問題を抱えていた。

「ラ・ヴァリエール候の館には行きたいような行きたくないような……」

 サイトを動かすには、ミス・ヴァリエールの父君を利用するのが一番有効なのは分かっていた。だがそうなると、彼の領地に出向く必要があるのだ。しかしそこには、行き遅れの年増と言う大きな関門があったのだ。ちなみにジャスパー的には、次女相手ならば大いにウエルカムである。やはりそこはそれ、年齢が問題と言うより、豊かな……げふんげふん。やっぱり性格は穏やかな方が好ましい……ちなみに「年増」とは言ったが、あくまでハルケギニアの標準と言うことである。自分よりも年下なのだから、それを年増というのはさすがに問題だろう。
 だがいくら関門が険しかろうと、コハク様から与えられた役目をおろそかにするわけにはいかない。それに紫の奏者が困った顔をしてくれれば、それだけでも苦労した甲斐があるというものだ。ちなみにこのジャスパー、コハク様命と同時に、ヒスイ様命でもある。その二人を独占する紫の奏者に対して、毒でも盛れるものなら盛りたいと考える一人でもあったのだ。



***



 貴方には感謝しているのですよ。姫様にそう言われても、ちっとも嬉しくないのはどうしてだろう。最近輝いているアンリエッタを見て、ルイズはどうにもならない嫉妬を感じさせられていた。ハルケギニアを取り巻く世界の問題は、姫様の活躍のおかげでひとまずの落ち着きを得ることができた。最大の問題だったガリア王国も、親友のタバサ……今はシャルロット女王と言わなければいけないのだけれど、彼女が王位に就いたことで脅威ではなくなっている。しかもタバサのお母様も、異世界の治療のおかげですっかり回復してくれた。もっとも空白の期間のせいで、何事もなかったようにとは行かないけれど、これから母娘の絆を結び直せるまでにはなっていたのだ。それにシャイターンの力と忌み嫌われていたエルフからも、ぜひ遊びに来いと招待されるまでになっていた。それは、間違いなく良いことに違いないだろう。
 やっぱりあの犬が悪いのだわ。そう考えたところで、今は犬と言ってはいけないことを思い出した。ハルケギニアよりも遙かに進んだ世界、そこから使わされた名誉大使というのが出世した犬の姿だった。力関係から行けば、今のサイトはアンリエッタと対等と言うことになる。なぜかそれを思うと、サイトに対して醒めてしまう自分にルイズは気がついていた。

「あたしを守るって言ってくれたのに……」

 ちなみにこの二人、まだ使い魔の契約は解除していない。伝説の重しが必要なくなるまで、今のままにしておいた方が良いという意見が多かったからである。
 そんなサイトのことを思い出すと、ルイズは胸が薄ら寒くなるのを感じてしまう。もちろん、薄ら寒いのは気持ちの問題で、絶対に胸の大きさは関係ない……はずだ。そのせいだろうか、最近サイトと話をしていても、寒々とした気持ちになってしまうのだ。以前なら、思い出すだけでも胸が熱くなっていたのに。

「やっぱり、ミス・ヴァリエールも貴族なんですね」

 落ち込んでいたルイズに、相変わらず召し使いから解放されていないシエスタが呟いた。ちっちゃな声だったけれども、その声はしっかりとルイズの耳に届いていた。

「やっぱりって何よ!」

 ぎろりと睨んだルイズに、シエスタは思わず一歩下がって、

「お、怒っちゃいやですよ。
 わ、私は正直な感想を口にしただけですから。
 それに、これは私の独り言なんですから……」
「正直な感想ねぇ……もう少し詳しく教えてくれるかしら?」

 凶悪さをにじませたルイズの視線に、失敗したとシエスタは盛大にうろたえた。今までサイトさんのことでやり合っていたときに比べて、比較にならないほどルイズのストレスが溜まっているようなのだ。それに気づかずちょっかいを掛けてしまった自分に、なんて間が悪いのかしらと「バカバカ、シエスタのバカ!」と心の中で盛大に自分をなじっていた。もっともいくら自分をなじっても、目の前に迫った危機には何の役にも立ってくれないのだが。

「で、ですから、わ、私は褒めたんですよ!
 やっぱり気品に溢れ、不機嫌そうなときでもお綺麗なんだなあって……」
「私は、詳しく教えて欲しいって命令したんだけど?」

 ひくっと目元を引きつらせたルイズは、懐から杖を取り出した。今までの経験から言って、このメイドが自分を褒めることなどあり得ないのは分かっている。けんかになりそう……というか、今まで何度もつかみ合いのけんかをしたはずだ。そこまで遠慮の無かったメイドが、言うに事欠いて「気品に溢れ、綺麗……」なんて、絶対に本気で言うはずがない。ないんだからと。
 その剣呑なルイズの様子に、シエスタはもう一歩後ろに下がってしまった。振り返らなくても、もうあまり下がるスペースが残っていないのが分かる。逃げられないと諦めたシエスタは、覚悟を決めて火薬庫の前で花火をすることにした。

「い、言いますから、怒っちゃいやですよ。
 その、やっぱり、ミス・ヴァリエールも高めが良いのかなぁって。
 最近苛々して、サイトさんにも冷たく当たっているじゃないですか。
 それって、アンリエッタ様に嫉妬されているんですよね?」
「あ、あたしが姫様に嫉妬ぉっ!!!」

 意外な言葉に、ルイズは怒る前に驚いてしまった。どうしてこのメイドは、時々突拍子もないことを言い出すのかしら。しかも言うに事欠いて、姫様に嫉妬しているだなんて。

「だって、アンリエッタ様の思いは叶ったじゃありませんか。
 しかも相手は、神様みたいに凄い碇様なんでしょう!
 あの人の前に出ると、サイトさんも形無しなんですよね。
 そ、それに、わ、私、知って居るんですよ!
 ミス・ヴァリエールがにやにやしながら右手の甲を見ているのを。
 それって、碇様にキスされたところなんですよね!!」
「あ、あたしはっ……!!」

 顔を真っ赤にして、ルイズは精一杯シエスタの勘違いを否定した。曰く、自分はあんな失礼で、得体の知れない男のことなど何とも思っていないと。何とも思っていないどころか、機会さえあれば黒こげにしてやりたいのだと。
 だが精一杯の主張も、火に油を注いだ結果になったようだ。「そうですかぁ」と信用しない顔をしたシエスタは、今度は地雷原でコサックダンスを踊り始めた。

「そんなに力説するところを見ると、私図星着いちゃいました?
 でも、別に隠さなくても良いんですよ。
 ミス・ヴァリエールが乗り換えてくれたら、私がサイトさんを慰めて差し上げますから。
 私は、ミス・ヴァリエールみたいにふらふらしていませんから。
 それにサイトさん、ひいおじいちゃんの生まれたところを見に行こうって誘ってくれました。
 やっぱり最後は、同郷って言うのが強いんですよね」

 幸せそうにしているシエスタに、ルイズは思いっきり醒めた視線を向けた。シエスタの祖先を訪ねる旅の言い出しっぺが、誰なのかをルイズは知っているのだ。

「……それって、あの男の差し金なんだけど」
「やっぱり、碇様も私を応援してくださっているんですね!!!
 ミス・ヴァリエール、やっぱり碇様は素晴らしいお人ですよ!
 それに、英雄色を好むって言いますから。
 奥様も沢山お持ちのようですし、そちらの方面もお好きだと思いますよ……」

 怒りかそれとも羞恥か、真っ赤になったルイズを前に、シエスタはちょっと悩んだように頬に人差し指を当てた。どうもその視線の先は、ルイズの顔ではなく胸にあったようだ。

「……何よ!」

 その視線に気づいたルイズは、さらに不機嫌さをましてシエスタに詰問した。

「いえ、色を好むと言っても、選ぶ権利はあるのかなって。
 やっぱり、アンリエッタ様のようにスタイルも宜しくないと……」

 どうやらシエスタは、核ミサイルの起動スイッチを押してしまったようだ。怒りに震えたルイズは、ゆっくりと杖をシエスタに向けた。しかも杖の先まで震えているのだから、相当怒っている証拠だろう。

「ね、ねえメイド、あんた灰になりたい?
 ナメてる、ねえ、私の事ナメてる?
 貴族バカにして、ただで済むと思ってんの?」
「だ、だから、怒っちゃいやですって言ったじゃありませんか!!」
「怒らないって約束した覚えはこれっぽっちもないんだけど!」

 さあと杖を向けたルイズに、シエスタは本気の恐怖を感じた。いつもと違って、今日は冗談が通じそうにないのだ。ああひいお爺さま、貴方のひ孫は少しもいい目に会わないうちにお星様になります。
 シエスタが観念して胸の前で手を合わせたとき、がちゃりと部屋の扉が開いた。天の助けと音のした方を見たシエスタは、助かったには助かったが、状況はちっとも良くなっていないことにため息を吐いた。そこには、何をしているのだと驚いた顔をしたサイトが立っていたのだ。

「な、何よ、犬!!
 入るときは、ノックの一つでもするものよ!!」

 気になり出すと、小さなことでも引っかかってしまう。今まで一緒に暮らしていても、サイトがノックなどしたことはなかったはずなのに。そのせいもあって、ルイズの言葉も刺を含んだものになってしまう。
 だが肝心のサイトは、そんな機微を理解できるはずもない。またいつもの癇癪かと取り合わず、重要な仕事だと一通の書簡を取り出した。

「ジャスパーさんが、重要な書類をおまえんちに届けてくれないかって。
 大使として公式な話だから、俺が行った方が良いらしいんだ」
「“名誉大使様”の仕事に、どうしてあたしが関係するのよ!!」
「せっかくおまえんちに行くんだろう。
 だったら、一緒に来ればいいじゃないか」

 何を苛ついているんだ? と、サイトは少し首を傾げた。だがいつものことかと、それ以上考えることをやめにした。

「で、どうするんだ?」
「大事な書類なんでしょう、あたしが着いていって良いのかしら?
 そもそもお父様に、何の用があるのかしら?」
「そんなもの、俺が分かるわけ無いだろう!」

 平然と言ってのけるサイトに、「それって、パシリよ」とルイズは心の中で毒づいていた。結局居ても役に立たないから、適当な理由を付けてパシリをさせられているのだろう。そのことに全く気がつかないサイトに、ルイズはさらに苛立ちを募らせた。

「大切なお仕事なんでしょ。
 だったら、一人で行ってくるものじゃないの!!」
「なんだ、せっかく誘ったのに行かないのかよ」

 仕方がないと、サイトは隣で顔色を悪くしていたシエスタを見た。シエスタにしてみれば、サイトは自分以上に地雷を踏みまくってくれているのだ。状況を改善するどころか、更に悪くなったと言っていいだろう。

「悪いけど、着いてきてくれるかな?」
「えっ、わ、私ですか……」

 普段なら二つ返事で着いていくところなのだけれど、今日に限っては行きたくないなぁと言う気持ちが強くなってくる。この人で本当に良いのって思うことでも、サイトさんだったら許せたのに……どうして今はいやなのかしら?
 結局答えの出ないシエスタは、「休みが取れないんです」などと言う、とってつけたような理由をこしらえた。今はルイズのメイドをしているのだから、休みなどルイズが許せばいくらでも取ることができるはずなのに。しかも、

「あんたと違って、遊び回っている暇はないのよ!」

 などとルイズも同調するものだから、結局シエスタも忙しいと言うことになってしまった。それなら仕方がないと、一人で行くとサイトは部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ったところで、ルイズは

「あんたは、ふらふらしていないんじゃなかったの?」

とシエスタにしてみれば、痛いところを突いてきた。もちろんシエスタも負けてはいない。

「私、ミス・ヴァリエールから仕事を仰せつかっていないんですけど?
 それに、どうしてサイトさんと一緒に実家に帰られないんですか?
 せっかく外交文書なんて格好良いものをサイトさんが持って行くんですよ。
 だったらヴァリエール候に良いところを見せるチャンスじゃないですか」
「子供の使いが、良いところを見せることにならないでしょうに……」

 ぶすっとしたルイズに、シエスタはそれ以上追撃することはなかった。それどころか、「そうなんですよね」と深いため息を吐いた。結局ルイズの感じていた物を、シエスタも同じように感じていたと言うことなのだ。

「どうしてなんでしょうね」
「あたしに聞かれても分かるわけ無いじゃない……」

 どうしてなんだろう。二人は顔を見合わせ、今まで以上に大きなため息を吐いたのだった。



***



 赤いミニのスカートを穿き、ピンク色のポロシャツを身につける。そしてティアラをはずせば、どこにでも居るというと語弊はあるが、普通のかわいらしい女の子に変身できる。
 とても女王とは思えない格好に着替えたアンリエッタは、宝石箱からちっちゃなスイッチを取り出した。このスイッチを押せば、1億2千万の空間を超えて移動することができるという仕組みになっている。シンジの寵愛を受けたのだから、持つ資格があるとコハクが渡してくれたのだ。

「まだ、皆さんお休みなっていませんよね」

 目安として渡された時計を見れば、22時を示していた。午前午後の区別が付きにくいからと、24時間制の時計を渡されたのだ。

「ええっと、今日はヒスイ様の順番でしたっけ?」

 別に割り込もうとか乱入しようとか考えたわけではない。何も知らないときは良かったのだけど、アンリエッタもヒスイの怖さはしっかりと教育されたのだ。どういうときに一番怒るかを考えれば、とてもではないけれど“邪魔”などできるはずがない。それに、今日の目的はシテ貰うことではないのだから。

「アスカ様がご在宅だと良いのですけど」

 アスカが一番常識があって、相談にも乗ってくれる。同じようにコハクも相談には乗ってくれるのだけど、時々特殊な答えを返してくれるので、よほどのことがない限り相談しようとは思えない。まあそんなことは良いと、アンリエッタは渡されたスイッチを「ぽち」っと押した。そうすれば、目の前に扉が現れてくれる。後は扉をくぐれば、目指す碇家居間まで歩いて数歩である。
 ちなみに空間移動に扉など必要ない。ただ感覚的なもののため、「扉」を作ることで理解しやすくしただけのことである。アンリエッタは目の前の扉を開き、その向こうに見える灯りに向かって一歩足を踏み出した。それだけで、碇家玄関に到着する。何故玄関かというと、靴を履いていても困らないようにと言う配慮からである。数歩というのは、玄関から居間まで歩く距離だった。

「あら、アンリエッタどうしたの?
 今日は、あんたの順番じゃないはずよ」

 アンリエッタの姿を目にとめたアスカは、見間違えかとカレンダーの日付を確認した。だがいくら見直しても、今日はヒスイの日に間違いない。そうなると、なぜアンリエッタが居間に現れたのかが疑問になる。彼女の立場上、碇家でごろごろとしているわけにはいかないはずだ。

「いえアスカ様、今日はそれが理由で参ったわけではありませんから」
「シンジが理由じゃないって言うのね?」

 シンジが理由だったら、この時間の訪問になるはずがない。アスカの決めつけに、その通りですとアンリエッタは同意した。

「実は、アスカ様に相談したいことがございます」
「あたしに、相談?
 あたしは、そっちの世界のことには関わっていないわよ」

 当然ハルケギニアのことだと考えたアスカに、少しばかり違っているのだとアンリエッタは答えた。

「統治のことでしたら、コハク様やシンジ様にお伺いします。
 実は人間関係のことで伺いたいことがありまして……」
「人間関係ね……」

 まあ座んなさい。アスカはそう言って、自分はさっさと床に座り込んだ。そしてアンリエッタは、少しスカートに気を遣いながら、アスカの真似をして床に腰を下ろした。

「だいぶ様になってきたけど、まだまだ慣れていないみたいね」
「ええ、この格好の方が楽なのですが、
 まだ立ち居振る舞いに慣れていませんので」

 ミニスカートとかポロシャツとか、その他諸々の格好は、碇家に来るときだけなのだ。そのせいもあって、着慣れないというのが正直なところだった。それに自分の順番の日には、気分を盛り上げるためドレスを着てくるのだからなおさらである。ちなみにドレスを着てくるからといって、本物の女王様プレイをするわけではない。豪華な衣装と脱がす手間が、適度なスパイスになると言う、はなはだ不真面目な理由が優先されたのである。

「ありがとうございます」

 アンリエッタが腰を下ろしたタイミングで、ナデシコがお茶とお菓子をテーブルに置いた。礼を言ったアンリエッタは、良い香りのする紅茶から手を付けた。

「……おいしい」
「今日は、ダージリンのファーストフラッシュですよ。
 お菓子は、エデン製の桃のジュレです」
「ありがとうございます、ナデシコさん」

 もう一度礼を言ったアンリエッタは、スプーンで薄桃色したゼリーを口に運んだ。桃の甘酸っぱさが、冷たいゼリーとよく合っていた。

「こんなものを食べていると知られたら、きっと民達に怒られるでしょうね」
「まあ、こっちでは普通に買えるお菓子なんだけどね」

 それは良いと、アスカはアンリエッタが訪問した理由に話を戻した。明日も学校があるのだから、あまり夜更かしをしているわけにはいかないのだ。

「その、私の大切なお友達のことなんです。
 どうも最近苛立っているように見えるんです。
 それに、あれほど仲が良かったサイトさんとも上手くいっていないようですし」
「その友達って、ルイズって子のこと?」

 はいと頷いたアンリエッタに、先に進めろとアスカは促した。相談されるにしても、詳しいことを聞かないと相談にも乗れない。

「その、どこから話したら宜しいでしょうか?」
「まずあんたから見て、最近の二人がどう変わったか。
 それから、普段の二人がどうだったか、どういう関係だったかを教えてくれればいいわ」
「最近の二人……ですか?」

 うんと考えたアンリエッタは、「ぎすぎすしている」と答えた。

「それだけじゃ、具体性に欠けるわね」
「ですが、私もいつも一緒にいるわけではありませんので……
 ただ以前と違って、サイトさんのことを持ち出しても、
 ルイズが妄想の世界に飛び込まなくなってしまいました」
「妄想の世界ね……」

 これまたよく分からない世界だと、アスカは漠然とした相談に頭を抱えた。自分を頼ってくれるのは嬉しいが、これでは相談に乗りようもないというものだ。

「やっぱり、それだけじゃよく分からないわ。
 それからアンリエッタ、あんたの立場もはっきりさせておきたいんだけど」
「私の立場と言いますと、どのような事を言われているのですか?」
「あんたが、この話に関わる立場よ。
 トリスティンの女王という立場で言っているのか、それ以外の立場で言っているのか」
「でしたら……」

 少し考えて、アンリエッタは二つの立場だと答えた。

「ルイズは、私の大切なお友達です。
 そのルイズがいらいらしているのですから、何とかしてあげたいというのが第一です。
 そしてもう一つ、トリスティンの女王としても問題だと思っています。
 虚無の使い手とその使い魔、始祖の力を利用してハルケギニアをまとめたのです。
 その二人が仲違いをしたことになると、せっかくの平和に影が差す事になります」
「最初の方だけなら、余計なお節介は焼かない方が良いと言ってあげるんだけどね……」

 意外にもアスカの答えは、女王としての立場が重要だというのである。どうしてと言う顔をしたアンリエッタに、説明不足だったかとアスカは言葉を続けた。

「友達としての立場だけど、最近の二人の事をよく分かっていないじゃない。
 余計な事をすると、かえって悪化する事もあり得るのよ。
 だから、余計な真似をするんじゃないって言う意味なんだけどね……」
「確かに、私はよく分かっていないのですね……」

 それでと先を期待したアンリエッタに、アスカは平和に影響が出るのなら、慎重に対処する必要があると付け足した。

「女王として、あんたは国の安全を守る義務があるわ。
 その二人の関係が、安全に影響するというのなら、
 それを気にする事を、間違いだと言うつもりはないわよ。
 でも、余計な口出しは、かえって関係を悪化させる事にも繋がるわ。
 だから慎重過ぎるほど慎重に対処する必要があるのよ」
「でしたら、事情を知る者から話を聞いてみましょうか?
 シエスタというメイドが、二人の事をよく知っていますから」
「あの、日本帝国海軍軍人の子孫って子ね」

 ふむと考えたアスカは、まあ良いかと「連れていらっしゃい」とアンリエッタに指示を出した。

「その子だったら、二人の事をよく知っているんでしょう。
 それに連れてくる口実は、こちらに来るための検査って事にすればいいわ」
「でしたら、さっそく手配致しましょう」
「んじゃ、詳しい話はその後って事で良いわね」

 時計を見上げると、すでに11時を過ぎていた。明日の事を考えたら、そろそろ寝ても良い時間になっている。これで話は終わりかというアスカに、アンリエッタははっきりと肯いた。ルイズの事を相談に来たのだから、その目的はすでに達成していた。

「ところで、ずいぶんと人が少ないように思えるのですが……」

 ぐるっと見渡すと、アスカ以外にはナデシコとナズナしかいないのである。別室で宜しくしているヒスイは良いとして、コハクやスピネル達の姿が見あたらないのだ。

「ああ、コハクは最高評議会に出るためエデンに戻っているわ。
 スピネルは、ここにいると息が詰まるって寮に戻ってる。
 エリカは自分の学校があるから、自宅に帰っているし、
 クレシアは寮で大人しくしているわ。
 そうそうユウガオは、コハクのお供で帰っているわよ」

 だから今はこれだけと。アスカは少しだけ口元を歪めて言った。いちいち名前を挙げてみると、なんて大勢の女性が“家族”になったのだろうと感じてしまうのだ。しかも目の前には、新しく加わった異世界の女王様まで座っている。

「アスカ様、どうかなさいましたか?」

 はっきりと苦笑に代わったアスカに、不思議そうにアンリエッタが聞き返した。

「いえね、非常識さにも磨きが掛かったかなって……
 ちょっとそう思っただけの事よ」
「はあ、非常識さ……ですか」

 そう言われても、ぴんとこないアンリエッタは、そうですかと首をかしげるだけだった。



***



 子供の使いから外交文書を受け取ったラ・ヴァリエール候は、その中身を読んですべてを理解することが出来た。ちなみにそのすべてというのは、あくまでサイトを使いとしたこと、その中身を教えなかったことである。さすがのラ・ヴァリエール候も、碇家の事情と、それにかかわるジャスパーの思いまでは想像がついていなかった。
 それでも、文書に書いてあることは必要だと認めていた。彼ほどの立場になれば、世界が変わりつつあるのは実感できる。だが民の立場に立てば、実感どころか何が変わったのか分からないだろう。だったら分かりやすい形でそれを示すのも、貴族としての役目には違いない。ただ一つ気に入らないのは、それを持ち出したのが異世界からの外交使節ということだった。本来ならば、それは側近たちからこそ出る話で無ければならなかったのだ。

「ジャスパー殿の言うとおり、アンリエッタ様にはけじめをつけていただかなければいけない」
「けじめ……ですか?」

 要領を得ない顔をしたサイトに、ラ・ヴァリエール候は「けじめ」という言葉を繰り返した。

「アンリエッタ様は、トリスティンの主なのだぞ。その主の婚礼が、いつまでも宙に浮いていて良いはずがない。相手が居ないのならまだしも、聞くところによると碇様の奥様に認められたと言うことではないか。ならば民たちに平和を示すためにも、盛大な婚礼の儀式を行う必要があるということだ」
「その考えに反対しないけど、誰がそれを進言しに行くのかなぁ」

 “名誉”がついても、サイトは所詮大使の身分でしかない。一国の主に向かって、結婚式を挙げろと進言する立場には無いのである。そしてそれは、ラ・ヴァリエール候も承知していることだった。

「アンリエッタ様には、私から進言することになる。だが碇様には、サイト殿から進言してもらいたいとのことだ」
「お、俺っすか?」
「大使殿なのだから、おかしな役目ではないだろう」

 ぎょろりと睨まれて、サイトは思わず首を引っ込めてしまった。立場が強くなっても、いまだにルイズの父親は苦手なのだ。これに母親とか長女とかが加わると、ごめんなさいと謝りたくなってしまう。そして同時に、ジャスパーが自分に中身を教えなかった理由に納得した。確かにこんな話、先に聞かされていたら引き受けはしなかっただろう。そんなことも考えていないのだから、ルイズが腹を立てるのも仕方が無いと思えてくる。

「アンリエッタ様の立場をはっきりさせるのも、この世界の安定に大きな意味を持つことになる。祝いの席に、ハルケギニア諸国に加え、エルフまで参列するとなれば、民たちにも平和を知らしめることが出来るだろう。そしてアンリエッタ様に対する尊敬も深まるというものだ」
「碇さんに、10人ぐらい奥さんが居ても?」

 普通ならば問題となるところなのだが、相手を考えれば大したことではないとラ・ヴァリエール候は断言した。

「その奥方たちが、格式を示してくだされば十分なことだ。しかもジャスパー殿は、エデンとやらから物資を持ち込んでくれると約束されている。それならば、誰も文句などつけるはずが無いであろう」

 はあと頷いたサイトは、もう一度自分の役割を考えることにした。アンリエッタに対しては、ルイズパパが話をつけてくれるという。夢中というか、頭に血が上っている状態の姫様が、反対するとは思えない。それどころか、もろ手を挙げて賛成してくれるだろう。そうなるとこの話、自分の責任が重大と言うことになる。勘弁してくださいと言いたいところだが、目の前のラ・ヴァリエール候が許してくれるはずがない。それにルイズの父親には、良いところを見せておかないと後々問題が出るだろう。

「碇さんに、納得させる役目ですか……」
「この世界に使わされた大使殿なのだ。この地の安定のため、骨折りいただいても良いのではないか?」
「まあ、アンリエッタ様の手引きしたのは俺ですけど……」

 こんなことになるのなら、同情などするのではなかった。ルイズに頼られたものだから、いい気になって芙蓉学園まで乗り込んだ罰が当たったのだろう。だがこぼれたミルクを嘆いてもコップには戻らない。この先どうするか、それを考えた方が建設的なのだが……

「碇さん、派手な儀式は大嫌いだって言う話なんだけど……」
「だからといって、アンリエッタ様のことを曖昧にしていい道理はない。このまま時間が経てば、お披露目をする前に子供が出来てしまうやも知れぬ。さすがに女王の身分で、それは許されるものではないのだ。そして我らの事情を言うのなら、民に平和を示す必要がある。おそらく他の王達も、婚礼の儀を待ち望んでいるのではないかな?」

 だからサイトに頑張れと言うのだ。そんなことを言われても、ねじ込む相手が悪すぎる。そもそもシンジに意見できる者など、世界中に片手で数えるぐらいしか居ないだろう。しかも今回のことは、その数少ない人に頼れないのも問題だった。その辺りの事情は、当然ルイズの父親にも想像が付いていた。だからラ・ヴァリエール候も、気に入らないが“餌”を与えることにした。そうそうと、さも今思い出したように、ラ・ヴァリエール候は末娘のことを持ち出した。

「あれも、ずいぶんと大人になったと思っている。行き遅れないうちに、嫁がせようと思うのだが?」
「ル、ルイズのことですかっ!!」
「うむ、こうして平和を手にしたのだ。しかもその平和に、我が娘は大きく貢献しておる。祭り上げられたところもあるが、ハルケギニアの平和の象徴とまで言われるようになった。そろそろ目出度い話があっても良いとは思わないか?」

 その象徴の片割れがサイトなのである。間接的に結婚を持ち出したルイズパパに、サイトはごくりとつばを飲み込んだ。ルイズのことは好きだし、可愛いとも思っている。だけど自分は18に手が届いたところなのだ。我が身を省みるまでもなく、早すぎるというのが正直な気持ちだった。とはいえ完全に傷物にしたわけではないが、擦り傷ぐらいなら沢山付けているのだ。責任といわれれば、多少の責任はあるのだろう。
 もっとも、ラ・ヴァリエール候にしても、サイトがお相手というのは納得できないところもあった。だがこれまでしてきた二人の苦労を見ると、反対ばかりではいけないとも思うようになっていた。そう言う意味では、名誉と言う但し書きは着くが、大使という肩書きは自分を納得させる役には立っている。相手の大きさを考えれば、国王に並ぶ地位にあるとも言えるだろう。もっとも、実態が伴っているかと聞かれれば、はなはだ心許ないところがあるのだが。

「どうだろう、サイト殿? 我が娘は、祝福を受けるに値する淑女に育ったかな?」

 そう聞かれて、違うなどと答えられるはずがない。どうなのだと迫るルイズパパに、サイトはかくかくと頷き、

「す、素敵な女性ですっつ!」

と何とか答えた。もしも否定しようものなら、死なないまでも、相当な目に遭わされるのは目に見えていた。それにこんなことがルイズママの耳に届こうものなら、竜巻で切り刻まれることになるだろう。
 そう考えたところで、サイトの中にルイズを相手にすることへの疑問が生まれてきた。確かに今は可愛い顔をしているけれど、その実態は酷い癇癪持ちで、しかも嫉妬深いと来ている。素直じゃないし、何かというと暴力を振るってくる。しかも両親は、平民に見える自分には容赦がない。その上実力は、ガンダールフの自分でも勘弁して欲しいと思うぐらいのレベルにある。人を人としてみてくれない長女と併せて、あまり付き合いたい相手ではないのだ。唯一例外といえるのはカトレアなのだが、結婚する相手はカトレアではないのだ。

 俺って、早まってない? そう自問自答したところで、このまま進んだらどうなるのかとサイトは考えてしまった。もしも碇さんに結婚式を押しつけたら、その功績を盾に次はルイズと自分のと言うことになりはしないだろうか。ルイズは好きだし、可愛いと思っているが、そのおまけを考えると、ちょっと遠慮したくなってしまう。
 だったらこの話を失敗させれば、自分への評価が落ちて、結婚話も無くなるのかも知れない。いやきっとそうだと、サイトは努力を放棄しようと考えた。もともと難しすぎる話なのだから、失敗したとしても仕方のない話なのだと。だが続いてルイズパパの口から出たのは、サイトの考えとは全く反対の言葉だった。ルイズパパは、シンジの説得が失敗したときにはと、話をサイトに振ったのだ。

「そのときは、平和の象徴の二人に式を挙げて貰うことになるだろう。始祖ブリミルの祝福を受けた二人だ、きっと民達も祝福してくれるに違いない」

 つまりどんなことがあっても、目出度い席を作ろうというのだ。勘弁してくださいと言いたいところだが、そんなことを口にしたら明日の太陽を拝めないだろう。こうなったら、なんとしてもアンリエッタ女王には結婚式を挙げて貰わなければならない。

「とはいえ、アンリエッタ様の問題を先延ばしにするわけにはいかない。是非ともサイト殿の働きを期待したいのだが?」
「は、はい、トリスティンの平和のために、なんとしても結婚式を挙げて貰いましょう!!」

 急にやる気の出たサイトに、自分から仕掛けたこととはいえ、ルイズパパは軽い憤りを感じてしまった。そして同時に、サイトに対する失望も感じていた。比較する相手が悪いのは分かっているが、こうして見ると格が違いすぎるのだ。この2年ほどの時間をどう捉えているのか、じっくりと問いただしたくもなって来た。

(我が娘達は、男運に恵まれないのか……)

 3人が3人とも、まともな縁に恵まれていない。そう考えると、しっかりと頭が痛くなってしまったラ・ヴァリエール候だった。



***



 疑うルイズに、「検査です」と言う都合を押し通し、アンリエッタはシエスタをリリンの地に送り届けた。なぜ送り届けたと言う表現になるかというと、さすがに平民のために公務をおろそかにするわけにはいかなかったのだ。しかもアンリエッタが付き添ったとなれば、ルイズの疑念をます恐れがあった。だからと言って、シエスタ一人で送りつけるわけにはいかない。従って信頼の置ける人物に同伴を依頼したのだが……

「きゃーきゃーきゃーきゃー!!」
「おおっ、おおっ、おおっ、おおっ!!」

 と言うのが、シエスタと同行者であるコルベール先生の反応だった。シエスタは、初めて見る異世界に純粋に驚き、そして喜んだ結果で、コルベールの場合は、話でしか聞いていなかった物を目の当たりにした興奮からの反応である。いずれにしても、二人ともまともに話の出来る状態ではなかったのである。

「気持ちは分からないでもないけど……」

 ふうっとため息を吐いたシンジは、この場の問題を解決するためにクレシアを呼び寄せた。とりあえず保護者には、別の餌を与えて大人しくして貰おう……というか、外で騒がせようというのである。

「コルベール先生を、歴史科学館にでも連れて行ってくれないかな? 多分、スミソニアン辺りが適当だと思うけど?」
「……刺激が強すぎませんか?」
「放っておいても、相当刺激が強そうだからね。だったら、歴史的な物から見て貰った方が良いかなって」
「それでしたら、大英博物館辺りはいかがでしょうか?」

 あそこなら、人類の歴史が詰まっている。クレシアの提案に、それも悪くないとシンジは答えた。

「その辺りは、本人の希望を優先してくれれば良いよ。それから……」
「交流を制限する理由、その説明をするようにですね」

 自分の言葉を先取りしたクレシアに、その通りとシンジは頷いた。新しい技術に目を奪われると、そこに潜む陰を忘れがちになってしまう。そうならないようにと言うシンジの考えは、クレシアにも頷けることだったのだ。

「でしたら、曾祖父の家にも連れて行きましょうか? あそこでしたら、ヨーロッパの歴史がよく理解できると思います」
「まあ、印象的にはよく似た世界だからね……ただ、あの頃は魔法なんて無かったろうけど」
「でしたら、早速お連れしましょう」

 よろしく頼むと、シンジはクレシアを抱き寄せた。そして恥ずかしそうに目を閉じたクレシアの唇に、自分の唇をゆっくりと重ねた。

「シンジ様も、一度曾祖父の家に遊びに来てください。きっと曾祖父も首を長くしてシンジ様のお出でを待っていると思います」
「そうだね、近いうちに挨拶に行くことにしようか?」
「きっと曾祖父も喜ぶと思います」

 喜ぶキール・ロレンツ。彼を知っている者なら、間違いなく自分の耳を疑うことだろう。もっともシンジは、キールと直接の面識はない。知っていることと言ったら、世界の黒幕、ゼーレの議長と言うことだけだった。父親との間でどのような戦いがあったのかなど、シンジは聞かされていなかったのだ。

 コルベールを連れて出て行ったクレシアを見送り、シンジは次の問題に取りかかることにした。さすがというか、シエスタは部屋に一人取り残されたことを気にもしていないのだ。相変わらず胸の辺りで両手を握りしめ、きゃーきゃー言いながら周りに感激してくれている。ちなみにこのときの格好は、彼女の制服と言っていいメイド服だった。この辺りの格好は、誰かの妄想じゃないかと言わしめたものである。

「ヨーロッパの風習に似てはいるんだけどね。どちらかと言えば、うわべだけを真似した“オタク”風味が漂っているわね。こう言うのを見ると、どこかのオタクが考えた世界じゃないかなって思えるのよ。それに、有名な小説に世界背景が似ているし……」
「まあ、違った風習を持っているんだから、微妙な違いはあって然るべきだろう? それに、魔法なんて物を持ち出したら、あまり代わり映えがしなくなるんじゃないのかな? っていうか、魔法物だってバリエーションが沢山あるだろう。たまたまその一つに、その世界が似ていたと言うだけで……」

 どうして自分がハルケギニアを擁護しなければいけないのか。疑問に感じながらも、シンジは仕方が無いとハルケギニアの世界観を押し通した。そうしている間に、遅れてコハクやヒスイ、スピネルやエリカも集まってきた。たかが平民のメイド一人に、碇家奥方総出演という厚い待遇である。

「シエスタさん、少し落ち着いてくれないかな?」

 相変わらずきゃーきゃー言っているシエスタに、シンジは静かにするようにと声をかけた。だがそんな声も聞こえないのか、シエスタはきゃーきゃー言いながら、あたりをきょろきょろと見渡していた。部屋においてある調度品も、照明も時計も電化製品も、どれ一つとっても目新しいというか、不思議としか言いようが無かったのだ。

「シエスタっ!」

 少しぐらいシンジが声を大きくしても、あまり効果が無かったようだ。扱いに困ったシンジに、コハクは手ぬるいと言って、小さな炎を作り上げた。普段シンジの手のひらを焦がすのよりは、少し小さいぐらいだろう。それをシエスタの目の前でぽんとはじけさせたのだ。さすがにこれは効果があったのか、シエスタの口から出る嬌声はぴたりと止まった。

「シエスタ、落ち着いて話を聞いてくれないかな?」

 シンジの呼びかけに、ようやくシエスタは反応してくれた。ただコハクの脅しが効いたのか、顔色は相当悪くなっていた。

「あ、あのぉ、灰にされたりはしませんよね?」
「ここでは、そんな野蛮なことはしないよ」

 どこかの副議長候補様が、言いつけを破った配下に行った実力行使は棚上げにされていた。「本当ですね?」と恐る恐る聞いてきたシエスタに、大丈夫だとシンジは大きく頷いた。

「わ、私だけ残されたのは、し、品定めをされるということでしょうか?」
「品定め?」
「は、はいっ、品定めです!!」

 かくかくと頷いたシエスタは、そういう話を本で読んだのだとまくし立てた。

「貴族の親方様が、平民の女の子を見繕って集めるんです。
 そして夜な夜な、口に出しては言えないような酷いことを……」
「……物語の話と現実を一緒にしないように」

 自分がどう見られているというより、自分に関係の無いところでの妄想に、シンジはしっかりと疲労感を感じていた。なるほど異文化交流は疲れるというか、このメイドが特に酷いのかとシンジは先行きの危うさを感じてしまった。これでは必要なことを聞き出すのに、どれだけの時間がかかってしまうのだろうか。そもそも正確な情報を聞きだすことができるのか。それさえ疑問に思えてしまった。

「とにかくお茶でも飲んで、少し落ち着いてくれるかな?」

 その言葉を待っていたように、ユウガオはシエスタの前に紅茶を置いた。

「あのぉ、こんなきれいな器で頂いて宜しいのでしょうか?」

 シエスタのような平民には、白磁のティーカップなど縁がまったく無いのだ。それに学院の給仕をしていても、これほど立派な食器を扱うことはめったに無かった。ちなみにこのティーカップは、クレシアの実家の倉庫に眠っていたものだった。古マイセンという話だから、確かに特別な品には違いないだろう。

「わざわざ来てもらったからね、これぐらいのことで気にしなくていいよ」

 そう言ってお茶を勧めたシンジは、簡単な焼き菓子……クッキーのお仲間をお菓子として出した。ここで気をつけたのは、普段食べているものでも、ハルケギニアでは特別なものになってしまうということだった。アンリエッタに言わせれば、普通に売っているお菓子でも極上のおもてなしになるらしい。
 だが質素なお菓子でも、シエスタには感動ものだったらしい。一口口に頬張ったところで、シエスタにしては真剣な顔で「雇ってもらえないか?」と切り出してきたのだ。

「夜のお供でも、どんな雑用でもいたします。ぜひともメイドとして、雇っていただけないでしょうか?」
「今日はそういう話で呼んだわけじゃないんだよ。それに、側仕えなら不足していないというか、貸し出せるほど居るというか……」
「やっぱり、だめなんですか……」

 はぁっとため息をついたシエスタは、

「最近、ミス・ヴァリエールの所は居心地が悪くて。だからこれを機会に職場替えができないかなって。碇様のところなら、こんなにおいしいものも頂けますし、曾おじいさんの生まれ故郷ですから……」

とこぼした。
 ようやく話の取り掛かりができたと、シンジは「そのミス・ヴァリエールのことだ」と切り出した。だがシンジはまだ甘かったようだ、というかシエスタの早とちりは想像以上だということになるのだが、ルイズの名前を出したところで、そういうことですかと勝手に納得してくれたのだ。

「ミス・ヴァリエールも碇様がお迎えになられるのですね。でしたら私は、ミス・ヴァリエール付きということでお願いします。碇様とでしたら、きっとミス・ヴァリエールの機嫌も直るでしょうから」

 そこまで口にしたところで、思い出したとシエスタは口に手を当てた。

「ミス・ヴァリエールはとても胸に不自由していますけど……」

 そういってきょろきょろと見渡したシエスタは、コハクとスピネルに目を留めた。そしてそういうことならと、大きく頷いて見せた。

「碇様って、意外と趣味が広いんですね」

 うんうんと頷いたシエスタに、その意味を理解したスピネルが色めきたった。

「い、碇様!! このメイドを、少し痛い目に遭わせても宜しいですか?」
「うむスピネル、われが許すぞ。存分に味あわせてやれ!!」

 しかもコハクが同調するものだから、部屋の中は騒然としてしまった。どうしてこう地雷を踏みまくってくれるのか、頭痛を感じ始めたシンジは、落ち着けといってコハクとスピネルを宥めに回った。

「アスカ、悪いけどタッチ! 僕が話すと、どうも余計なスイッチを押しまくってしまいそうなんだ」
「……あたしだって、こんなの相手にしたくないわよ」

 仕方が無いとため息をついたアスカは、仕事をシンジから引き取ることにした。どうしてと悩むところはあったが、もともとアンリエッタに相談されたのは自分自身だったのだ。
 ぎろりとシエスタを睨みつけてびびらせたアスカは、聞きたいことがあるのだと少し低めの声で話しかけた。

「あんたのご主人様の二人、最近うまく言っていないと聞いているけど? そのあたりのことを、間近で見ているあんたから話を聞こうと思ったのよ」

 それぐらいは分かるわねと。凄みを利かせたアスカに、シエスタはうんうんと頷いた。

「あの二人にはかわいそうだとは思うけど、それは二人だけの問題に収まらないのよ。ハルケギニアを纏めるのに、伝説の存在なんて利用したから、あの二人が仲違いするのは非常に都合が悪いのよ」

 それも理解できるわねと聞かれ、もう一度シエスタは頷いた。

「その事をアンリエッタが相談してきたから、二人のことに詳しいあんたを呼び出したというわけ。これで一応の事情は理解してくれたかしら?」

 はいと頷いたシエスタは、話を纏めて明後日の方向に投げ返した。

「つまりアンリエッタ様は、ミス・ヴァリエールが碇様に言い寄らないように牽制されたのですね?」
「どこをどう聞いたら、そういう整理になるのよ……」

 思いっきり脱力したアスカに、そうは言いますがとシエスタは反論した。

「アンリエッタ様がサイトさんを狙っていたのは、そんなに以前の話ではないのですよ。そのことで相当ミス・ヴァリエールとやりあったとも聞いています。ですから高めに乗り換えたアンリエッタ様が、すかさずミス・ヴァリエールに牽制したとしてもおかしくは無いと思います!!」
「あんたたちの人間関係をとやかく言うつもりは無いけど……」

 疲労感の増したアスカは、目の前のメイドを推薦したアンリエッタに、心の中で呪いの言葉をぶつけていた。どうしてこうも話の通じない相手を選んでくれたのだ。そのあたり小一時間、説教をしたいほどだった。
 だが今は、ここに居ない相手に責任を押し付けても仕方が無い。おかしな本に毒されたとしか言いようのないメイドから、必要な情報を聞き出さなければいけないのだ。気を取り直したアスカは、ふざけたことを言うと、スピネルを自由にすると脅しをかけた。

「私は、まじめにお答えしているつもりなんですけど……」
「どこかの三文小説に毒されたことを言っているんじゃないの!! いいこと、あんたのご主人様二人に関わることなのよ! もう少しまじめに説明しなさい!!」

 いいかと凄まれ、分かりましたとシエスタは頭を垂れた。

「あの二人がギクシャクしていると聞いたけど、それはあんたの目から見ても本当なのね!」
「はい、ギクシャクしているというか、ミス・ヴァリエールが苛々されていると言うか……」
「その苛立ちの理由に心当たりはある?」
「ミス・ヴァリエールはいつもイラついている気がするんですが……」

 うむと腕を組んだシエスタは、何かを思いついたとばかりに「ぽん」と手を打った。

「いつもと違うのは、でれっとしたところが見られなくなったことでしょうか。そうしてみると……」

 ううむと、シエスタは再び腕を組むと、今までとどう違っているのかをもう一度考え直した。

「そう言えば……今までのは、サイトさんに構ってもらえない時にイラついていましたね。後はイラついている顔をして、嫉妬しているときとか。だからサイトさんが来れば、すぐにご機嫌が直るって言うか……好きなくせに素直になれないって感じで居ましたね」

 うんうんと頷き、シエスタはもう一度手を叩いた。

「最近サイトさんのことでからかっても、食いつきが悪くなりました。からかうのなら、碇様を持ち出したほうが反応がよくなって……これって、ミス・ヴァリエールの気が変わってしまったということでしょうか?」
「その判断は置いておくとして、今はどういうときにイラついているのかしら?」
「今は、ですか……」

 ううむともう一度考え込んだシエスタは、イラついているのに二つのパターンがあるのに気がついた。

「サイトさんが居ないときと、サイトさんとお話されているときでしょうか」
「それって、いつもイラついているって意味?」
「ええっと、いつもいつもイラついているわけじゃなくてですね……どう言ったら良いんでしょう。普段は、何かを思い出してイラついていると言うか……その、そういうことはありませんか?」
「じゃあサイトってのと話しているときは?」

 アスカは答える代わりに次の質問に移った。余計なことを話すと、目の前のメイドがまた脱線しそうな気がしてならないのだ。

「う〜んう〜ん、なぜって言うのは難しいのですが……う〜んう〜ん」

 しっかりと悩んでしまったシエスタに、今度は横からシンジが口を出した。

「じゃあシエスタ、君の目から見てそのときの平賀君はどう見えた?」
「そのときのサイトさんですか? そうですね、ちっとも格好良くないって言うか……そりゃあ、サイトさんはいつもいつも格好いいわけじゃありませんよ。でも、時々ものすごく格好良くなってくれるんです。しっかりしているというか、土壇場に強いって言うのか……最近そういうところが無くて、へらへらしているところしか見えなくて……」

 自分の言葉にうんうんと頷きながら、シエスタは最近のサイトが格好良くないのだと強調した。

「名誉大使って、とっても大切なお仕事なんですよね。でもそんなお仕事に就いたのに、どうしてもサイトさんが格好良く見えないんです。この前も、ジャスパーさんのお使いでミス・ヴァリエールのお父様のところに行かれたのですけど、なぁんにも考えていないというか、ミス・ヴァリエールのお気持ちを分かっていないというか……」
「つまり、あんたの目から見てもサイトってのから魅力がなくなったのね?」
「そこまではっきりとは言いませんけど……そう言われればそうかなって」

 もう一度う〜んと唸ったシエスタは、どういうことなのでしょうと逆に聞いてきた。

「それが、次の質問のつもりだったんだけどね」

 はあっとため息をついたアスカは、おおよその想像がついたとシンジに話した。

「あたしの想像通りだとすると、その二人結構やばいかもしれないわよ。
 ほら、映画なんかでよく言うでしょう?
 『異常な状態で恋に落ちた二人は長続きしない』って。
 あれってね、実はいろいろな意味が含まれているのよ。
 たとえば日常に戻ったとするじゃない、すると今まで輝かせていたものがなくなるのよ。
 『あれっ、こんな人だったかしら?』って考え始めちゃうのよ。
 スキー場で格好いい人が、町に戻るとからきしってのに似ているわね」
「ごめんアスカ、スキー場の話はよく分からないんだけど……」

 そもそも常夏の日本で、スキーなどしたことが無い。シンジの言葉に、自分のたとえが悪かったことにアスカは気づいた。

「映画の話の方は分かるわね?」
「説明の上ではね……」
「だったらもう一つ。
 日常の生活の中では、今度は欠点が目立つことが多々あるのよ。
 非常事態なら、良い方ばかり目立つことになるけど、
 日常になると、欠点を隠していたものが見えなくなるのよ。
 そうなると、欠点が急に目に付き始めることになるわ」

 アスカの説明に、シンジを始め全員がうんうんと頷いた。こうして説明されると、世界の真理を説明されている気になるのだ。

「それから、新しい世界が目の前に開けるじゃない。
 それって、必ずしもその人の活躍できるところじゃないこともあるわね。
 そのサイトってのには、どう頑張っても大使の仕事なんてこなせるはずが無いじゃない。
 そうなると、ふがいなさばかりが目に付くことになるのよ」
「それって、分かる気がします。
 サイトさん、分からないからって言われたことしかしていませんから。
 確かに、そういう時にミス・ヴァリエールがよくイラついています」

 シエスタの答えに、そういうことだとアスカは頷いた。

「そのルイズって娘は、サイトってのが好きなのよ。
 ハルケギニアの問題が解決する前は、サイトってのにもものすごく格好良い時があったんでしょう?」
「そりゃあもう、7万の兵隊たちに突っ込んでミス・ヴァリエールを守ったり。
 いろいろなところで、二人で協力して活躍していましたから!!
 サイトさん、私たち平民の憧れでもあったんですよ!!」

 自慢げに胸をそらしたシエスタに、だったら今はどうかとアスカは聞き返した。

「今は……毎日することが無いって言うか、そのどこかの貴族みたいに何もしないで怠けているとか……」

 ここまで話をして、ようやくシエスタにも問題を理解することができた。これは確かに、アスカ様の言うとおりやばい状態なのだ。

「あ、アスカ様、サイトさんとミス・ヴァリエールはもうお終いなのでしょうか?
 あの私サイトさんが大好きですけど、ミス・ヴァリエールも大好きなんです!!
 こんな形で終わってしまうなんて、その、納得がいかないんです!」
「人の別れなんて、普通は納得のいく物じゃないわよ」

 シエスタを突き放したアスカは、シンジに向かっていざというときの準備をした方がいいと忠告した。

「ハルケギニアの平和が、あの二人に掛かっているって言うのなら、
 二人が決別したときのことも用意しなくちゃいけないわ。
 幸いアンリエッタへの支持が高いみたいだから、力の裏付けを用意すれば治まるわ」
「まあアスカの言いたいことは分かるけどね、あまり使いたい方法じゃないね。
 それに、まだあの二人が駄目になったって言う訳じゃないと思うよ」

 そう言って自分を見たシンジに、シエスタは「大人なんですね」とちょっと憧れたりしていた。憧れはしたが、もう少しお顔が素敵だったら良かったのにとも考えていた。でも考えてみれば、迫力のあるところは王様向きなのかも知れないわね。でもでもこんな見た目なのに、とっても綺麗な奥さんが沢山いるなんて……もしかしたら、自分の知らない世界ではもの凄いのかしら……きゃあきゃあ。本屋に行って、新しい本を探さなくてはだわ。
 別にシエスタが口に出して言ったわけではないが、表情を見ればろくなことを考えていないのは丸わかりだった。あまり関わりたくないなと思いながら、シンジはもう一度「手はあると思うよ」と繰り返した。

「シエスタに聞くけど、平賀君がばりばりと仕事をこなすと思っていた?」
「サイトさんが……ですか?」

 急に現実に引き戻されたシエスタは、どうだろうかとシンジの質問の答えを考えた。そりゃあ働く男って格好良いけど、サイトさんのイメージとは少し違っているわね。どちらかと言えば、失敗しながらもへこたれないのがサイトさんかしら。

「やっぱり、そんなサイトさんって想像が付きません」
「じゃあミス・ヴァリエールはどう思っているかな?」
「たぶん、ミス・ヴァリエールもそうだと思いますよ。
 サイトさんって、賢い方じゃないと思いますから。
 でも、決めるときは決めるって言うか、がむしゃらになるって言うか……」

 そう口にして、シエスタは「おおっ」と言って、ぽんと手を叩いた。

「そうですよね、サイトさんってそう言う人だったんですよね。
 普段バカなことをしていても、いざというときに頼れるって言うか。
 諦めないところが、サイトさんの良いところなんですよね」
「たぶん平賀君は、何をして良いのか分からなくなっているんだよ。
 酷いことを言えば、何もしなくても良くなってしまった。
 だから自分自身を見失っているんじゃないのかな?」
「でもそれって、結局難しいってことになるわよ。
 今のサイトってのじゃ、何もしない方が周りのためになるもの。
 下手に頑張って、邪魔にされたらもっと酷くなるんじゃないの?」

 やっぱり難しいというアスカに、そんなに大きな問題じゃないとシンジは笑った。

「問題はね、やる気の問題なんだよ。
 ミス・ヴァリエールだって過大な期待を抱いていないよ。
 彼女は彼女なりに、平賀君の良いところを知っているんだ。
 僕と同じことをしろだなんて、絶対に考えていないよ」
「でも、具体的に何をさせようって言うの?
 出来ることって、本当に何もないわよ」
「そうだねぇ……」

 そう言ってシンジは、コハクをちょいと呼び寄せた。そしえ耳元で、なにやら小さな声で指示を出した。

「ジャスパーの外交文書か?」
「コハクなら、すぐに手にはいるだろう?」
「と言うか、すでにわれの耳に届いておる。
 トリスティンの民に平和を示すため、アンリエッタの婚礼を行うべしと進言しておった。
 まあ一国の女王なのだから、今のままずるずるとと言うのは宜しくないだろう」
「……それって、多分僕への嫌がらせだね」
「間違いなく、ジャスパーの意図はそうであろうな。
 ぬしが派手な催しが嫌いなのは、広く3界に知られておるぞ」

 うんうんと頷いたコハクとヒスイに、そのつもりで宣伝したのにとシンジは零した。

「平和的な方法でぬしに嫌がらせをするには、
 派手な式典を開けばいいとわざわざ教えてやったのだ。
 ならば、利用しようと考える者が居ても不思議ではあるまい?」

 考えが甘いと指摘したコハクに、そのようだったとシンジはがっくりと肩を落とした。

「それでどうするのだ?
 アンリエッタのことを考えたら、やはり式典は必要ではないのか?
 あれも一国を治める女王なのだ、形を整えてやらねば民に示しが付くまい。
 ハルケギニアの平和のためには、必要な儀式だとわれは思うぞ」
「そう言われると返す言葉はないんだけどね……」

 本当に嫌そうな顔をしたシンジだったが、すぐに仕方がないと大きくため息を吐いた。

「1日ぐらいなら、頑張って我慢してみようか……」
「あのぉ碇様、習慣では1週間ぐらい続くと聞いていますが?」

 すかさず割り込んだシエスタに、シンジはひくっとこめかみを引きつらせた。よりにもよって、1週間も退屈な儀式……というか、恥ずかしい格好を晒さなくてはいけないという。いくら必要なこととは言っても、やりたくないと言うのが正直な気持ちだった。

「やっぱり、気が進まないな……」
「まあ、自業自得と諦めることだな」
「アンリエッタ様の婚礼の式典が開かれるのですね!!」

 目を輝かせたシエスタに、そう言うことになるだろうとコハクは答えた。一度関わってしまった以上、トリスティンに対する責任が生まれる。しかもその女王をいただいてしまった以上、それに伴う義務も果たさなければならない。
 よかったと喜ぶシエスタに、今度はアスカが「ちょっと待った」と割り込んできた。

「せっかくだから、ジャスパーって副大使の企みを利用しない?
 そのサイトってのに、シンジの説得をさせるのよ。
 それが出来たら、ルイズって娘も少しは見直すんじゃないの?」
「でもサイトさん、しっかりと碇様にびびっていますよ。
 とてもじゃないですけど、意見なんて出来るとは思いませんが……」

 もっともなことを言うシエスタに、だからなのだとアスカは答えた。

「この件に関しては、正義はサイトってのに有るわ。
 それをちゃんと確信して、シンジにものが言えるかってことがポイントになるのよ」
「それでも、ずいぶんと難しそうですね……」

 思いっきり嫌そうな顔をしたシンジに、実はシエスタはしっかりとびびっていたのだ。貴方たち奥様は、いつも一緒にいるからそんなことが言えるのです。トリスティンの民や貴族にとって、碇様は恐怖なんですよと。何しろ召還されたその日に、近衛騎士団を壊滅させた実績を持っている。絶対に敵に回してはいけない人のダントツトップに碇様はいるのです……と。

「でも、この程度の困難ぐらい立ち向かっても良いと思わない?」
「この程度って言います……」

 可哀想なサイトさん、もしもお星様になるときは、このシエスタも一緒に参ります。自己完結したシエスタを放置して、アスカとコハクは、手を出すなと釘を刺しておく相手をリストアップすることにした。まず筆頭は椎名イツキなのだが、しばらくパーガトリに行っているから問題ないだろう。だったら生徒会辺りかと、ヒナギクを黙らせる方法を考えることにした。



***



 アンリエッタ女王に面会したラ・ヴァリエール候は、早速婚礼の話を持ち出した。そして形式的とはいえ、なぜ婚礼の儀式を行う必要があるかを熱弁した。いまさらそんなことを言わなくても、女王が拒まないのは承知の上でである。

「まずわれらとしては、トリスティンの民に平和を示す必要があります。政略ではない婚姻を執り行うことで、民たちは“平和”の訪れを知ることになるでしょう。しかも婚姻というめでたい儀式は、民たちの気持ちを明るいものにする効果もあります。従いまして、民たちのためにも婚姻の儀式を執り行う必要があると考えております」

 まず第一に持ち出したのは、トリスティン内部の事情だった。確かにラ・ヴァリエール候の言うとおり、祝賀のムードを広めるのは、平和を示す有効な手段に違いないのだ。
 頷いたアンリエッタに、ラ・ヴァリエール候は、さらに別の意義も持ち出した。

「アンリエッタ様の婚礼に、他の王族を招くことにも意味があります。その客の中に、エルフが加わるとなれば、婚礼儀式の意味も大きくなりましょう。この世界に平和をもたらしたのはアンリエッタ様の働きなのですから、それを広く示す意味にもなりましょう。そしてエデン、パーガトリ、リリンの3界から客を招くことも重要です。アンリエッタ様のお言葉が、真実であったことを示す機会となりましょう」
「つまりラ・ヴァリエール候は、それだけ多くの理由があると仰るのですね?」
「まさしく、そのとおりでございます」

 恭しく頭を下げるラ・ヴァリエール候に、「分かりました」と言ってアンリエッタは小さくため息をついた。女王としての立場を考えれば、ラ・ヴァリエール候の言っていることには、何一つ間違ったことは無い。自分にかかる責任を考えれば、婚礼の事実を民たちに知らしめる必要があるのだ。そして政治犯の恩赦から、物資の配給まで、必要と思える措置を執らなければならない。そうすることで、時代の節目を知らせるのは王として必要なことだろう。そんなことは、いまさら言われなくても重々承知していることだ。
 そしてアンリエッタと言う個人の立場からも、婚礼と言うのは望みこそすれ否定するようなことではないのだ。ようやくめぐり合った理想の男性、その男性と晴れて結ばれると言うのだから、何を拒む必要があるだろうか? 婚前交渉を済ませたことは、晴れやかな舞台を否定する理由になどなりはしない。「これが私の夫なのよ!」と民たちに見せびらかせたいと言うのが正直すぎる気持ちなのだ。

 だが婚礼の儀式を行うとなると、アンリエッタにも思いつく関門が待ち構えていた。使い魔のお披露目のときもそうだったが、肝心の夫が極端に儀式嫌いなのだ。すでにお披露目を済ませたと言うヒスイ様にも、「二度とごめんだ」とぼやいていたと聞かされている。そんな主に、「1週間もお披露目をしてください」などとお願いできるだろうか。いや、ことの重大性を考えると、1週間で済むかどうかも疑わしいのだ。そもそも自分がお願いして、頼みを聞き入れてくれるとは思えない。こんなことが理由で捨てられでもしたら、目も当てられないことだろう。

「私としても、必要性以上に、結婚式を開きたいと言う願望があります。やはり好いたお方との結婚式には、私にも憧れと言うものがあります。ただシンジ様は、極端に儀式が嫌いだと伺っています。現にヒスイ様以外に、婚礼の儀式を挙げられた方はいらっしゃいません。しかもヒスイ様と儀式を挙げられた後には、もうこんなことはしたくないと仰られたと聞いています」
「つまり、碇様のご同意が得られないと仰られるのですな?」
「絶対にとは言いませんが、極めて難しいのではと思っています」

 はあっとため息を吐いたアンリエッタに、ラ・ヴァリエール候は「お願いしてみてはいかがか?」と振ってきた。妻として関係を結んでいるのなら、それぐらい言っても罰が当たらないだろうというのだ。確かにそうだと認めながらも、出来るだけ不興は買いたくないのだとアンリエッタは告白した。

「シンジ様には、私以外の妻が6人いらっしゃいます。そのいずれも、他を寄せ付けないほどの美貌を誇っていらっしゃいます。しかもコハク様は、最高評議会の副議長という要職に就き、碇様の住まわれている世界で、上から2番目に偉いと聞いています。ヒスイ様も、もとはパーガトリの王位継承権第3位を持つ王女様でした。ラ・ヴァリエール候もお逢いになっているから分かると思いますが、ヒスイ様こそ神の作られた最高傑作です。今あげたお二人は特別だとしても、他のお方達もいずれ劣らぬお力をお持ちです。その中で勝負をしなければいけない私は、少しでもシンジ様の機嫌を損ねるわけにはいかないのです」
「しかし、妻というのはそう言うものなのでしょうか?」

 ラ・ヴァリエール候の疑問に、自分にも分からないとアンリエッタは答えた。

「私の考えすぎと言われればそうかもしれませんが、もしものことを考えると冒険も出来ません。私の生涯で、二度とあのような素晴らしいお方には巡り会えないでしょう」
「つまり、アンリエッタ様から、婚礼のことは持ち出すことは出来ないと考えて宜しいのですか?」
「情けないお話ですが、そう考えていただいて結構です」

 王としても、はなはだ問題があるのは承知している。アンリエッタは、ラ・ヴァリエール候にそう零した。

「しかし、このお話は副大使のジャスパー殿が持ちかけてこられたのですぞ。碇様がそのように儀式嫌いというのなら、何故このような婚礼の話を持ちかけられたのか?」
「大使として、必要なことを提言されただけと考えてはいかがですか?」
「確かに、我が国にとって必要な提言であるのは間違いないでしょう。本来このようなことは、マザリーニ殿が持ち出さなければいけない話です。我らが後れを取ったことも、また問題と言えば問題なのですが……」

 ふむと口元に手を当てたラ・ヴァリエール候は、やはり当初の計画通りにするしかないかと腹を決めた。

「あちらの世界のことは、大使殿にお願いしてみてはいかがでしょうか?」
「ジャスパーさんにですか? 良い考えだとは思いますが、それでしたら提言ではない形の手紙が来たのではないでしょうか?」

 大使と言われて真っ先に浮かんだのは、エデンから派遣された副大使のジャスパーだった。それだけサイトの存在感が無いという意味になり、それはそれで大きな問題だった。だがラ・ヴァリエール候はそのことに触れず、「名誉大使殿」だとサイトを頼るべきだと口にした。

「サイトさんに、ですか?」

 うむと頷いたラ・ヴァリエール候は、元々の責任がサイトにあると主張した。

「アンリエッタ様のお輿入れを手引きしたのは平賀殿だったかと。ならば、その先にも責任を持つのも必要ではないでしょうか」
「そう、そうですねっ!! サイトさんのおかげで、私は思いを遂げること出来たのですよね。でしたら、今回のこともサイトさんにお願いするのが良いと思います。では、早速サイトさんにお願いすることに致しましょう」

 掴むわらを見つけたアンリエッタは、ぱっと顔を輝かせて喜んだ。碇家への出入りしか許されていない自分とは違い、サイトならば芙蓉学園で味方を捕まえることが出来るのだ。確かにサイトを頼るというラ・ヴァリエール候の考えは、今の状況を打開するには良い方法に違いない。そうアンリエッタは、単純に考えた。



 一方全員に頼られることになったサイトは、芙蓉学園の地で途方にくれていたりした。何しろ頼りのイツキは、すでにパーガトリに戻っているし、ジントやカエデにしても、それぞれの仕事場に戻っている。そうなると、いきなり頼る相手が居なくなってしまうのだ。しかもこんなことは、シンジの奥さん'sにお願いできるものではない。

「生徒会にお願いするのも違う気がするけど……」
 
 とはいえ、英雄様に物申せる公式な立場を持つのは、生徒会以外には存在しない。それで生徒会にやってきたサイトだったが、

「お話の順番が違っていませんか?」

と、いきなり生徒会長のヒナギクに返り討ちに遭ってしまった。ヒナギクが言うには、まず本人にぶつかってみるところから始めるべきだと。

「生徒会が関わるのは、あくまで芙蓉学園の運営についてです。確かにトリスティンにとって、女王様婚礼の儀式は重大事でしょうけど、それはあくまでトリスティンと言う枠組みでのことです」
「つまり、生徒会はこの件には関与しないと……」
「それは、芙蓉学園の範囲を外れた話ですよ」

 はあっとため息をついたサイトに、考えすぎるのはよくないとヒナギクは忠告した。そして、必要以上に英雄様を恐れることもないと言ってのけた。

「そりゃあ、碇さんの逆鱗に触れたらどう言う事になるのか分からないわよ。でもね、生徒間のことで碇さんが怒ったことは一度も無いって言われているわ。私たちの持ちかけた面倒も、いやな顔をすることはあっても、正しいことなら絶対に面倒見てくれるんだもの」
「……何回も碇さんにのされた俺に言います?」
「そのときのあなたは、芙蓉学園の生徒だった?」

 しれっと答えるヒナギクに、「いいえ」と答えるのが精一杯だった。

「碇さんは、怒るときにはものすごく怖いかもしれないけど、普段はとっても温和なのよ。それにとっても面倒見がいいし、たいていの面倒は引き受けてくれるわ。だからこれは生徒会ではなく、人としての忠告よ。自分がされて嫌だと思うようなことは、相手にもしないことが大切よ。それでも言わなければいけないときは、ちゃんとした理由を用意してからにしなさい」

 そう言って、とても魅力的な笑みをヒナギクは浮かべたのだが、残念なことに今のサイトにはそれを感じる余裕が無かった。何のかんの言って、結局生徒会は手伝ってくれないと言われたのだ。これでますます頼る相手がなくなってしまったのだ。

 「失礼しました……」肩を落として出て行こうとしたサイトを、「まだいいでしょう」とヒナギクは呼び止めた。そして傍らに居た副会長の藤田に、役員を集めるようにと声をかけた。

「せっかく来てくれたんだから、少しお話を聞かせて欲しいのよ。何しろ平賀君は、世界に羽ばたいた4人目の生徒なのよ。その冒険談を聞きたいって人が、実は生徒会にもたくさん居るのよ」
「世界に羽ばたいたって言われても、俺は単なる名誉職ですから……実際に、何かをしたと言うわけじゃないし」

 誇れるようなことじゃないと答えるサイトに、とんでもないとヒナギクは首を振って否定した。

「碇さんが、そんな無駄なことをすると思う? これは聞いた話なんだけど、3界以外に人の住む世界を見つけるのは、何百年も後だろうって言われていたらしいのよ。しかも平賀君の言っていたトリスティンって、ものすごく遠いところにあるって話よ。普通に探していたら、太陽系がなくなっても見つからないだろうって言うぐらいにね。分かる? そんな遠いところで見つかったのが、トリスティンって国なのよ。このことが発表されたときには、世界中が本当に騒然となったの。ほとんどの学者さんが、ぜひとも研究したいって声を上げたくらいにね。そんな貴重な世界に、名前だけの大使を置くと思う?」
「そんなことを言われても、俺には何もできることはないし……」
「何もできないって、自分で決め付けているだけじゃないの?」

 こうして間近で見ると、ヒナギクはとっても美少女なのである。そんなヒナギクにじっと大きな目で見つめられ、初めてサイトは恥ずかしそうに目をそらした。

「そ、そんなつもりは……ないと思ってる」
「どんなところでも、組織の顔になるのは大変なことなのよ。そして周りに認めてもらうのは、もっと大変なの。平賀君が名誉大使になることに、トリスティンの人たちは誰も反対していないんでしょう?」
「……そういう話は聞いたことは無いけど。居ても居なくても同じだと思われているだけなんだよ、たぶん」

 あくまでもネガティブなサイトに、小さくため息をつくと、ヒナギクはちょうどそろったメンバーに顔を向けた。生徒会長緊急招集による、臨時生徒会の開催である。もちろんその議題は、トリスティンにおけるサイトの活躍についてである。
 一同を席に着かせたヒナギクは、お待ちかねの催しだと声を大にして臨時生徒会の開催を宣言した。

「ではこれから、名誉大使の平賀サイトさんのお話を聞く会を開催します!!」

 ヒナギクの言葉を待っていたように、集まった役員たちから「おおっ」と言う歓声と拍手が上がった。サイトがどんなに卑下しようとも、新しい世界と言うのは非常に新鮮なものなのだ。そこに一人飛び込み、確固たる地位を築いたサイトの話である。期待するなと言うほうが無理な話と言うものだ。

「お、俺の話……ですか!?」

 驚いたサイトに、不思議なことではないだろうとヒナギクは答えた。

「だって、サイトさん以上にトリスティンのことを知っている人は居ないんでしょう。それに、一人遠くの世界まで連れて行かれ、そこでいろいろな活躍をしたって聞いているわよ。だったらぜひとも平賀君に話を聞きたいって言うのは、自然な感情だと思うわよ」

 そうでしょうと話を振られ、役員たちは盛大な拍手でそれを肯定した。

「自分では大したことはないと思っているのかも知れないけど、平賀君のしたことは本当に凄いことなのよ。だから平賀君の話を聞きたいって、生徒会役員が集まってきたのよ」
「そ、そうかなぁ……」

 そうやって美少女に褒められるのは、悪い気持ちのするものではない。少し顔を赤くしたサイトは、咳払いをしてから全員に向かって自分が召還されたところから話し出した。

「秋葉原を歩いていたら、目の前に光る壁みたいな物があったんだ。何だろうと思って近づいたら、いきなりそこに引きずり込まれ、気がついたらトリスティンの魔法学院の前にいたんだ。俺の冒険は、そこでルイズの使い魔になったところから始まったんだ」

 ルイズとの出会いから始めたサイトは、熱心な聴衆を前に1年に渡る冒険譚を話し始めたのだった。



 「良いものを聞かせて貰ったわ」生徒会に現れたシンジに、いきなりヒナギクは感謝の言葉を浴びせた。何のことかというと、ヒナギクを使ってサイトを元気づけたことである。そのために聞いた話が、もの凄く面白かったというのである。

「まさに波瀾万丈!! ってお話だったわ。
 またそれが、自慢話じゃないってところが凄かったわね」
「彼は、自慢話を言いふらすタイプじゃないからね。
 それに、ずいぶんと自信を無くしていたみたいだから、
 かなり割引されていたんじゃないのかな?」

 生活風習の全く違う、しかもどうやって帰ればいいのか分からない異世界に連れ去られてしまったのだ。そこで生きていく苦労はどれほどの物だろう。しかもただ生きていくだけではなく、死ぬような目にも何度もあって居る。その中で友人を増やしていったのだから、賞賛されて然るべき物なのである。
 シンジの言葉に頷いたヒナギクは、その友人のことだと確認してきた。

「やけにルイズって名前が出てきたけど、その子は特別な子なの?
 そりゃあ、使い魔とご主人様ってのは聞いているけど」
「平賀君にとっては、特別すぎる子だろうね。
 この世界から拉致った張本人というのはさておいても、
 ずっと同じベッドで寝ていたって言うからね」
「ねえ碇さん、それって……」

 ベッドで寝ている=……を考えたヒナギクは、顔を真っ赤に染め上げた。そんなヒナギクに、「ラブコメ」って知っているかとシンジは聞いた。

「……一応、知っているつもりだけど?」

 それがと首を傾げたヒナギクに、ラブコメを地でいく展開だとシンジは吹き零した。

「だいたい邪魔が入っていたみたいだね。
 そうじゃないときは、余計なことを口にしてぶち壊すとか。
 まあ僕も一度おじゃま虫になったけど、とことん巡り合わせが悪かったようだよ」
「だから、ラブコメって言ったのね?
 じゃあおきまりの、主人公を争う女の子も他にいるの?」

 そうだなと、シンジは少し上を向いて考えた。

「簡単に思いつくのは3人ぐらいかな?
 アンリエッタも、平賀君を好きになったこともあったみたいだしね」
「凄いじゃない!! どこの馬の骨とも分からない男が、女王様を惚れさせたの?」
「ああ、本当に凄いことだと思うよ。
 最低ラインの平民が、最後は貴族にまで上り詰めたんだからね。
 ただ問題は、そこまで頑張ったことへの自信が無いことかな?」

 だから自分を見失っている。シンジの論評に、責任があるのではとヒナギクが突っついてきた。

「碇さんが、やりすぎたんじゃないの?
 平賀君、何回ものされたって零してたわよ」
「結構丈夫だったから、利用させて貰ったんだけどね。
 確かに、それが理由で自信を無くしたのかも知れないなぁ……」

 ううむと腕を組んだシンジに、責任重大だとヒナギクは笑った。

「気配りの英雄様なんだから、ちゃんとフォローしてあげないといけないわよ」
「その英雄様ってのは止めて欲しいんだけどね……」

 絶対に慣れることがないと言うシンジに、仕方がないだろうとヒナギクは笑い飛ばした。

「だいたい、やることが非常識すぎるもの。
 考えても見てよ、碇さんも訳の分からない世界に拉致られたのよ。
 そこの女王様を虜にして、抱えてきた問題まで解決してきたんでしょう?
 1ヶ月にも満たない時間での出来事だと考えると、英雄様って言われてもおかしくないわよ。
 それとも、非常識が服を着て歩いているって言われたい?」
「……どっちも、もの凄く嫌だな」

 勘弁してと肩を落とすシンジに、それが現実なのだとヒナギクは言い放った。

「その辺りの自覚が足りないから、被害者が後を絶たないでしょう?」
「被害者が後を絶たないって……何か、もの凄く悪人になった気がするんだけど」

 いかがなものかというシンジに、悪人よりも質が悪いのだとヒナギクは言い返した。何しろ悪人ならば、正義の味方がやっつけてくれるのだ。だが質が悪いのが正義の味方だとすれば、誰がやっつけてくれるのだろう。

「まあ結果オーライだから良いんだけどね……
 でも碇さん、どこまで奥様を増やすつもりでいるの?
 このままだと、英雄様の前に『好色の』って枕詞が着くことになるわよ」
「それって……思いっきり嫌なんだけど」
「すでに、手遅れの気もするわよ」

 シンジが項垂れてしまったので、ヒナギクはチクチクといじめるのを止めることにした。久しぶりに二人きりになれたため、ついついはしゃいでしまっていたのだ。

「話を平賀君に戻すけど、生徒会は手を貸さないことにしておいたわ。
 ただ彼も芙蓉学園の生徒なんだから、悩み事相談には乗ってあげるわよ」
「冒険譚を話してくれたんだろう?
 だったら、少しは自分のしてきたことを思いだしたんじゃないのかな?」
「碇さんの手強さを再確認したんじゃないの?」

 にやりと口元を歪めたヒナギクに、「そうなの?」とシンジは不安そうに確認した。せっかく自信を付けさせようと目論んだのに、それが裏目に出ては取引をした意味がない。

「自分がしてきたことの凄さは理解できたみたいよ。
 うちの役員達も、本気で感心していたみたいだからね。
 でもその分だけ、碇さんの凄さが分かっちゃうのよ。
 だから功罪半ばってところかしら。
 碇さんさぁ、ちょっと脅かしすぎたんじゃないの?」
「そこまでしたつもりはないんだけどなぁ……
 途中からは、一緒に遊び歩いていたんだし」

 あれはなかなか楽しかった。芙蓉学園周辺では出来ない遊びを思い出したシンジは、また行こうかなと言う気になっていた。

「くれぐれも、高校生にあるまじきことをしないことね。
 っと、一応言われたことはしたんだから、見返りってのをお願いするわね」
「生徒会ご一同をお食事会に招待すれば良いんだっけ?」
「同伴者可って言うのがプラスアルファの条件よ」
「桂さんは、誰を連れてくるつもりなの?」

 日頃浮いた噂の無いヒナギクが同伴者に拘るのだから、シンジとしても興味津々なのだ。だがそんなシンジに、考えすぎだとヒナギクは笑い飛ばした。

「私は、一人で参加するわよ。
 まあ、大切な副会長への支援策だと思ってちょうだい」
「支援策って……上手くいっているんじゃなかったっけ?」
「マドカさんとは上手くいっているみたいね。
 でも問題はリョウカさんの方なのよ。
 さすがにふたりともは駄目って、ご実家の抵抗が激しいみたいよ」
「さすがに、反対する気も分かる気はするけどね」

 自分が常識的かはさておき、たった二人の娘が、同じ男に嫁ぐという。財閥の跡取りと言うことを考えれば、反対したくなるのも理解は出来るのだ。娘の幸せとリスクの分散、なかなか難しい判断でもあるのだが。

「そんなわけで、人望のある生徒会長としては面倒を見ようと思っているのよ。
 可及的速やかに招待されるのを待っているわ。
 ああ、トリスティンで行われる結婚式への招待でも構わないわよ」
「その辺りは、平賀君の活躍を期待してくれないかな?」

 つまりサイトが活躍すれば、結婚式を行うと言うのだ。本当ならば驚くところなのだろうが、ヒナギクは全く驚いた顔を見せなかった。

「ただ、あの世界は文化的に違いすぎるからね。
 注意して守らないと、大きな混乱が起きてしまうことになるだろう」
「そりゃあ、貴族とか魔法使いとかがいる世界だもの。
 下手したら、革命が起こりかねないわ」
「そうならないよう、平和的に社会が移行できるようにと考えているんだよ」

 モデルはエデンだと、初めてシンジは他人に方針を明かした。その考えを聞いたヒナギクは、大きく頷いてシンジに同意を示した。

「支配・搾取……そこから協調への移行でしょう?
 それだったら、エデンの形態が一番近いことになるわね」
「まあ、途中でパーガトリの真似もすることになるけどね」

 近代化という意味では、エデンが最終目標であるのは間違いない。悪くない考えだと、もう一度ヒナギクはその考えを支持したのだった。 







続く

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