昨日は久しぶりに終日ノマドワーキング。マトメカフェとマクドナルドに助けられました。
「ノマドワーカー」をdisる動き(この記事とか笑)が散見されますが、将来「ノマドワーキング」って当たり前のものになると僕は思っています。
出勤という名の儀式
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サラリーマン時代も非常に強く疑問を抱いていたのですが、僕たちは本当にオフィスに行く必要があるのでしょうか。
特に台風や震災の中、満員電車に乗ってオフィスに向かうのは完全に意味不明です。明らかに「電車が止まる」「危険なので外出を控えてください」という報道が朝から出ているのに、勇猛果敢に会社に向かうわけです。
そうした状況においては、比喩ではなく、もはや「出勤」は儀式的な行為なのでしょう。太陽がいつもどおり上ることを祈り、生け贄の儀式を毎日行っていたというマヤ文明に遠からず、といったところです。
固定観念と妄執に囚われた前時代的な儀式からは、そろそろ開放されるべきです。リュミエールが記録した100年前の出勤風景と、まったく変化がないのは驚異的です。
人間としての健全すぎる欲求
オフィスから開放されれば、ワークライフバランスは圧倒的に改善されます。これは僕自身体験してみて、革命的な変化でした。
特に結婚していたり、子どもや介護が必要な親族がいる場合は、在宅勤務許可のメリットは何者にも代え難いでしょう。そうした状況になくても「会社に行くかどうかを自分で決められる」のは、最高の裁量です。
「時間と場所からの開放」は、人間としての健全すぎる欲求だと思います。選択肢がなかったとはいえ、何十年も耐え忍んでいたのが不思議でなりません。
コスト削減にも
物理的に在宅でも仕事ができるようになる以上、企業も大規模なオフィスを構える必要がなくなっていきます。
将来的にオフィスは縮小され、打ち合わせスペースが中心になっていくでしょう。僕が知る範囲でも、固定のデスクがない企業は複数存在します。
それにより、企業はコスト削減が可能になり、従業員はワークライフバランスが改善します。セキュリティ周りで短期的な投資は必要かもしれませんが、長い目で見れば経営的にもプラスでしょう。
この時代を生きる労働者の悲願
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テクノロジーの進歩、人間の健全な欲求、コスト削減などの要因で、「時間と場所からの開放」は、多くのビジネスパーソンに訪れる必然の結果だと僕は予想します。
固有の設備が必要な一部の仕事(研究者など)、高度なセキュリティが求められる一部の仕事(金融、保険など)を除き、多くの労働は時間・場所から開放されていくでしょう。
問題は、「時間と場所からの開放」という必然の結果が、日本の大部分のビジネスパーソンに、どのタイミングで訪れるかです。残念ながら、来年・再来年というスパンの話ではないでしょう。
20年後、今と同じように毎日オフィスに勤務しているサラリーマンの姿を僕は想像できません。パソコンやメールがなかった時代の仕事が、もはや想像できないように。変化は確実に起こるでしょう。
そういう時、できることは変化を加速させることです。僕は自分のためにも、この変化を促進したいと考えています(この文章は、そのために僕ができる儚い努力なのです)。
勝手に代弁してしまいますが、「時間と場所からの開放」はこの時代を生きるビジネスパーソンの悲願といっても良いと僕は考えています。
「今日は会社に行くか行かないか」という人間として超基本的な選択すら、今はできないのですから。多くの人が幸せに働けるような社会にしていきたいものです。
関連本。「人は一人前の大人とみなされているのに、それが職場になると突然、半人前の若者のように扱われるのはどうしてなのでしょうか?」という言葉が刺さります(書評)。