昨日は東浩紀さん、家入さん、諏訪さんという豪華なパネルの中に混じって評価経済社会について考えてきました。Ustは1,500人くらい観ていたようで、なんともはや…もっと精進が必要だと痛感しました。というわけで、評価資本なるものについて考えてみます。
「返報の評価資本(恩)」と「注目の評価資本」
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僕は評価資本なるものは、大きく「返報の評価資本(恩)」と「注目の評価資本(カリスマ)」で分けられると考えます。
難しい話ではなく、「返報の評価資本(恩)」とは「誰かの抱えている課題を解決することによって得られる評価(いわゆる「恩を売る」)」で、「注目の評価資本(カリスマ)」は人気・知名度・フォロワー数のような評価です。
例えば僕はNPO支援活動を通して、たくさんの「恩」を手にしているかもしれません。もし僕が、多くの人の問題を解決し、「返報の評価資本」を適切に獲得していれば、万が一倒れた時、ツイッターで「誰か助けて」とつぶやけば、過去に支援した人たちから、5トンくらいお米が送られてくるかもしれません。
「返報の評価資本」は比較的持続しやすいのに対して、「フォロワー」のような「注目の評価資本」は、非常に脆いと考えます。何かスキャンダルがあれば、すぐに評価は毀損されるでしょう。ちょうど芸能人や政治家の没落を想像すると良いでしょう。
「評価経済」においてどう行動するか
「評価経済によって評価が価値に変わるようになった!」と聞いて、ひたすらフォロワーを増やしても、その「評価」は脆いものにしかなり得ないでしょう。
「評価経済」という言葉に疑問符を投げかけている方は、顔の見えない若い世代が、このような方向に流れていくことを懸念しているのように感じます(「フォロワー増やせば人生変わる!」と考えるほど、人間は間抜けではないと僕は思いますが…)。
一方で、実直に誰かのためになる貢献を続けていけば、返報の評価資本を獲得し、結果として、その人間関係から何らかの価値を得られるはずです。
既存のセーフティネットが崩壊するに従い、貢献活動を始める人は増えていくでしょう。その意味で、僕にとって評価経済なるものは、「多くの人がプロボノやボランティアに取り組むようになる社会」を意味します。
ソーシャルウェブは何を変えた?
ソーシャルウェブは「誰かのためになる機会」を発見しやすくした点で、有意義だと思います。例えばskillstockやCollaVolを使えば、すぐにでも「返報の評価資本」を獲得する機会を得ることができます。僕自身も、プロボノ受入れ先をソーシャルメディアで発見しています。
KloutやPeerIndexのような、ソーシャルウェブ上の「影響力のスコア化」は、現象としては面白いですが、まだまだ実験の域を出ません。また、どれだけ精度が高まったとしても、所詮は人気度スコアなので「Kloutスコアが高いから、ほとんどのものをタダで手に入れられる」という未来はあり得ないでしょう。
あまりまとまっていませんが、評価経済云々を考える上では「評価資本なるものを分類する」ことが必要かな、と感じています。僕が掲げた分類以外のやり方もあり得るでしょう。皆さんはどう考えますか?ぜひコメント欄にて教えてください。