岡田重孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
凡例
岡田重孝
|
|
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 天正12年3月6日(1584年4月16日) |
| 別名 | 助三郎(幼名)、直景(別名) |
| 官位 | 長門守 |
| 氏族 | 岡田氏 |
| 父母 | 父:岡田重善 |
| 兄弟 | 岡田重孝、岡田善同 |
| 子 | 岡田善治 |
岡田 重孝(おかだ しげたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。尾張星崎城主。
岡田重善の長男として生まれる。はじめ織田信長に仕えたが、信長が死去するとその次男・織田信雄の家臣として仕えた。天正11年(1583年)、父の死去により家督を継いで当主となる。
浅井長時・津川義冬らと共に三家老として信雄をよく補佐し、羽柴秀吉(豊臣秀吉)からもその器量を認められていた。しかし秀吉との内通を信雄から疑われ、長時や義冬らと共に天正12年(1584年)3月6日に信雄によって伊勢長島城に呼び出されて殺された。