3月12日の夜 
3月12日午後の1号機水素爆発によるもの

南相馬から太平洋を北上して時計と反対回りに女川を経由し、一の関に向かった。
このルートで世界遺産となった平泉も汚染された。


3月15日の午前中から夜にかけて 
3月14日の3号機水素爆発+即発臨界核爆発による可能性と
3月15日朝の2号機爆発と4号機の爆発 (火災)による可能性がある。
@那須町那須塩原市の汚染が決定づけられたルート。

原発から南下した流れは、房総半島を横切って、東京方面埼玉方面に流れ込んだ。
風向きが南風に変り、このプルームが北関東に押し上げられていく。
15日午後1時過ぎから、那須町の空間放射線量が最大1.75μ㏜まで急上昇した。
この日の午後、栃木県県北の一部で小雨が降った。


3月15日午後から夜にかけて
3月15日朝の2号機爆発と4号機の爆発(火災)によるもの
@福島市や郡山市を決定づけた最大規模の汚染ルート。

原発から北西方向へ進み、飯館村福島市二本松市郡山市などを濃厚に汚染。
この日の午後、福島県では降雪があった。SPEEDIで一般に公開されているルート。
一部の研究者が、この流れが那須や日光を汚染したとしているが、誤りである。


3月21日の早朝から午後
3月20日の3号機の圧力容器爆発によるもの(公開されていない)
@2番目に大量の放射性物質が放出された

海越えで水戸方面に南下し、千葉県の流山三郷東京方面を汚染した。
この日、この地域では、事故以来、初めての降雨があり、これが決定的な意味をもった。

上記は、 国内外の専門家の研究結果と東電の発表するデータおよびSPEEDIの公表データを もみの木医院長 川口幸夫がまとめたもの。データの確実性は、必ずしも保証されない。
2011年7月14日作成
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