ふるさと:原発事故15カ月(2) 放射能、人の間に溝

2012年06月18日

原発事故で生活が一変した友人たちのことを思い、声を詰まらせる武藤類子さん=福島県田村市で、丸山博撮影
原発事故で生活が一変した友人たちのことを思い、声を詰まらせる武藤類子さん=福島県田村市で、丸山博撮影

 50歳を前に県立あぶくま養護学校を退職。退職金で家を建て、きらめく人生を送りたいとの思いで名付けた「燦」を03年に開いた。

 大震災の起きた昨年3月11日午後2時46分には「燦」にいた。山鳴りがし、めまいのような揺れが大きくなっていった。「原発は大丈夫?」。まず頭に浮かんだことだった。

 建物に大きな被害はなく、片付けをしていると、ラジオが福島第1原発が全電源を喪失したニュースを流した。母親らと吹雪の中、西へ車を走らせた。「こんな事態を起こさせないため、これまで取り組んできたのに……」。悔しさで胸がいっぱいになった。

 翌12日、「避難を呼びかけなければならない人たちがいる」と、福島県会津若松市の避難所からとんぼ返りしたものの、待ち受けていたのは原子炉建屋水素爆発のニュースだった。今度は山形に避難した。90歳近い母親は帰宅を望み、4月半ばに「燦」に再び戻った。森や畑は以前と変わらないように見えた。だが、当時周囲の放射線量は毎時1〜3マイクロシーベルト。木の実も草も、まきも汚染され、元の暮らしはできなくなった。

 武藤さんの生き方に共感する人々が集まった「燦」も閉鎖した。

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