ふるさと:原発事故15カ月(2) 放射能、人の間に溝
2012年06月18日
「悩ましいね」
福島県田村市の人里離れた一軒家。森の暮らしを続けながら、里山喫茶「燦(きらら)」を経営していた武藤類子さん(58)は、原発事故で閉鎖に追い込まれた店内で、先行きの不透明さを思い、深いため息をついた。
森の暮らしは、武藤さんが原発に向き合って出した答えだった。福島では1967年から原発建設が始まっていたが、「無関心だった」。だが、くしくもチェルノブイリ原発の爆発事故が起きた86年、福島大在学中から甲状腺の病気を患っていた姉が36歳で白血病を発症した。「幼いころ米国やソ連、中国の核実験が行われ、『雨にあたるな』と言われたことを思い出した」。しかし、不安と裏腹に原発は次々と建設されていった。原発反対運動に関わりながら、「まず自分たちの生活を変えることが大切」と考えるようになった。
42歳の時、川沿いの雑木の山の開墾に取りかかった。鍬(くわ)で斜面を掘り、一輪車で土を運び、3年かけて平地を作り、最初の小屋を建てた。「ランプとまきストーブの生活。見上げると満天の星があった」。できるだけ自給自足を目指そうと、畑を広げ、ソーラーパネルを設置、太陽熱利用の調理器や温水器も導入した。