2012年06月18日

見えてきたこと

梅雨

 3,11で何がわかったか。これまで見えなかったものがはっきり見えるようになった、ということだと思う。

 きょう、6月18日付の朝日新聞は、米エネルギー省が提供した詳細な、米軍機2機による、実測放射能汚染地図を政府が公表しなかった、と報道した。その、データを知らせるメールは外務省経由で経済産業省の原子力安全・保安院と文部科学省に転送されたが、住民避難に生かされなかった。昨年の3月17日〜19日に測定したものだから、ヨウ素も含んだ有効な情報だった。

 SPEEDIのときもそうだったが、「どう生かすか」「どうすべきか」がわからない。日常業務をマニュアル通りにやることを優先し、仕事の本質がわからなくなってしまっているから、こういうことが起こる。福島第一原発の事故対応、特に初動もそうだったと思う。結果、飯舘や浪江の人たちが不必要な大量被曝をし、多くの人が放射能を気にしながら生活しなければならなくなった。
 震災後のいわき市の対応もそうで、すべきことができていなかった。

 「見えなかったものがはっきり見えるようになった」。それは漠然とした「行政力が落ちている。何か違う」「公務員の仕事がいやに表面的だ」という不安が、すべて明らかになってしまった、かたちとして現れてしまった、ということだと思う。
 だというのに「みんな一生懸命やっていた」「不眠不休だった。疲弊していた」という同情論が起こるからややこしくなる。本質や方向性が違っているのに、ただ闇雲に動いて混乱する。挙げ句の果てに責任を取りたくないから、黙りを決め込んで固まってしまう。実際のところ、何を優先すべきなのか、判断がずれていたと思う。
 100歩譲って、混乱のなかでどうしようもなかった状況だったとしても、それを検証し、次にどうつなげるかが行われていない。仕事は一生懸命やるのが当然なのだ。きちんとできなかった場合、責任を取らなければならない。それが常識のはずだが、なかなかそうはいかない。
 行政は3.11前とまったく変わっていない。

 大飯原発の再稼働。この一年の間に政府は何をしたのか。ただ再稼働をするためのセレモニー、手続きをしただけだった。将来に対するエネルギービジョンも、福島第一原発が起こったことによる対策も、うやむやにしたままで、ただ再稼働。その理由は「電気が止まったら大変だから」というだけ。野田首相の会見を聞いて「ああ、福島は棄てられたんだな。切り捨てられたんだ」と感じた。

 いま、いわき市がしなければならないこと。それはいわきに残っている人たちの命を守ることだと思う。
 まず、原発から放射能が漏れていないかを確認し、原発の現状について確実な情報をもらう。拒否されても強く要請し続ける。原発に何かあった場合の対応策を練る。国や県に任せずに、ヨウ素被害の実態を調べ、健康に害がないか、徹底的に独自診断する。目先のごまかしではなく、本質的な行政判断、対応が求められている。3.11を生かさなければならない。

   先日書いたキノコからのヨウ素検出は、今年に入ってからのこと。独自取材でもあり、取材源を明かすことはできない。匿名の質問にも答えられない。でも、事実として認識してもらいたい。そして、ごまかされないでそれぞれが十分に注意してもらいたい。

 

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この記事へのコメント
匿名での質問に丁寧に答えて頂きありがとうございました<(_ _)>
原発事故も一因ですが、実家がいわきから無くなってしまいとても心を痛めている者です。私は事故前に他県に嫁ぎました。
何かしらお役に立てればと情報を見逃さないようにしていきたいです。
これからもブログ、拝読させていただきますm(__)m
Posted by 元いわき市民 at 2012年06月18日 13:55