3,11で何がわかったか。これまで見えなかったものがはっきり見えるようになった、ということだと思う。
きょう、6月18日付の朝日新聞は、米エネルギー省が提供した詳細な、米軍機2機による、実測放射能汚染地図を政府が公表しなかった、と報道した。その、データを知らせるメールは外務省経由で経済産業省の原子力安全・保安院と文部科学省に転送されたが、住民避難に生かされなかった。昨年の3月17日〜19日に測定したものだから、ヨウ素も含んだ有効な情報だった。
SPEEDIのときもそうだったが、「どう生かすか」「どうすべきか」がわからない。日常業務をマニュアル通りにやることを優先し、仕事の本質がわからなくなってしまっているから、こういうことが起こる。福島第一原発の事故対応、特に初動もそうだったと思う。結果、飯舘や浪江の人たちが不必要な大量被曝をし、多くの人が放射能を気にしながら生活しなければならなくなった。
震災後のいわき市の対応もそうで、すべきことができていなかった。
「見えなかったものがはっきり見えるようになった」。それは漠然とした「行政力が落ちている。何か違う」「公務員の仕事がいやに表面的だ」という不安が、すべて明らかになってしまった、かたちとして現れてしまった、ということだと思う。
だというのに「みんな一生懸命やっていた」「不眠不休だった。疲弊していた」という同情論が起こるからややこしくなる。本質や方向性が違っているのに、ただ闇雲に動いて混乱する。挙げ句の果てに責任を取りたくないから、黙りを決め込んで固まってしまう。実際のところ、何を優先すべきなのか、判断がずれていたと思う。
100歩譲って、混乱のなかでどうしようもなかった状況だったとしても、それを検証し、次にどうつなげるかが行われていない。仕事は一生懸命やるのが当然なのだ。きちんとできなかった場合、責任を取らなければならない。それが常識のはずだが、なかなかそうはいかない。
行政は3.11前とまったく変わっていない。
大飯原発の再稼働。この一年の間に政府は何をしたのか。ただ再稼働をするためのセレモニー、手続きをしただけだった。将来に対するエネルギービジョンも、福島第一原発が起こったことによる対策も、うやむやにしたままで、ただ再稼働。その理由は「電気が止まったら大変だから」というだけ。野田首相の会見を聞いて「ああ、福島は棄てられたんだな。切り捨てられたんだ」と感じた。
いま、いわき市がしなければならないこと。それはいわきに残っている人たちの命を守ることだと思う。
まず、原発から放射能が漏れていないかを確認し、原発の現状について確実な情報をもらう。拒否されても強く要請し続ける。原発に何かあった場合の対応策を練る。国や県に任せずに、ヨウ素被害の実態を調べ、健康に害がないか、徹底的に独自診断する。目先のごまかしではなく、本質的な行政判断、対応が求められている。3.11を生かさなければならない。
先日書いたキノコからのヨウ素検出は、今年に入ってからのこと。独自取材でもあり、取材源を明かすことはできない。匿名の質問にも答えられない。でも、事実として認識してもらいたい。そして、ごまかされないでそれぞれが十分に注意してもらいたい。