2012年6月17日(日)
Facebook始めました
以前、高校や大学の同級生がFacebookに参加している、という話をしました。
あれから私も、参加すべきか否か迷いました。
そもそも私のネットコミュニケーションの原点は同窓会サイトだったことから、実名主義を掲げるFBのほうがMixiよりも性に合っているのではないか、現に元同級生などにはうみがめというウェブネームよりも本名のほうが通りがいいはず、そう考えました。それに、このブログをFBにリンクすれば、そちらでの友人にも確実に読んでもらえますし。
そう考えて、本日FBに登録致しました。
そちらのほうも、マイペースで続けられたらと思っています。
作成者
うみがめ
: 2012年6月17日(日) 15:40
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2012年6月16日(土)
やはり必要な国民的議論
以前「審議は尽くされたのか?」と題する記事で、改正臓器移植法が決して十分審議が尽くされたとは言えない状況で成立したことに触れました。そうした背景もあったのでしょうか、改正法の最大の目玉であった15歳未満の小児に対する脳死判定は、昨年4月に1例あっただけでした。
それが今回、6歳に満たない幼児への脳死判定が行われたことで、新たな局面を迎えました。
今回の脳死判定に当たっては慎重の上にも慎重が重ねられたようで、6歳以上の場合よりも4倍も長い24時間以上の間隔をあけて2回行われたといいます。患児の親御さんにとっても苦渋の決断ではなかったかということは、想像に難くありません。
脳死の患児から摘出された臓器は移植を待つ患者の元に届けられ、その移植術も概ね成功とのことでひとまず安心しました。
ただ、これで小児の脳死判定事例が一気に増えるとは断言できません。小児は成人に比べ脳の回復力が強く、正確な脳死判定はその分難しいのです。また背景に虐待がある場合も、移植目的の脳死判定の対象外となります。それを見極めることも重要です。
何より、これも過去記事「脳死移植10年」(リンク先・4番目の記事)で指摘したように、脳死移植自体に強硬に反対している人がいるのも事実です。元記事で挙げたこと以外にも、移植を受けた患者は拒絶反応を防ぐ為に免疫抑制剤を服用する必要があります(しかも一生)が、その負担が小児の場合重過ぎるという指摘もあります。
ただ私個人としては、移植医療というものがひとつの治療法として確立している以上、それを頭ごなしに否定したくはありません。移植を巡っては、違法な臓器売買の事例も報告されており、移植法はそれを未然に防ぐという目的も持っています。
やはりここは、脳死および臓器移植を認めるか否か、認めるにしてもどの範囲までか、改めて国民的議論を進めていく必要があるように思います。その上で今後、法律の条文や実際の運用を見直せばいいのです。臓器移植を単なる美談に終わらせていては、その先の議論は進みません。
作成者
うみがめ
: 2012年6月16日(土) 17:16
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2012年6月14日(木)
地デジ難民解消へ
テレビの完全デジタル化から間もなくで1年になりますね。そこで今回は、過疎地における地デジ化を巡る話です。
以前「衛星放送で地上波?」と題する記事で、地デジ難視対策衛星放送について取り上げました。地形的な要因あるいは混信によって地上デジタルが受信できない世帯への救済策として、NHK東京及び在京5民放の同時再送信を行うサービスのことですが、その地域の地デジ化対策が済んでしまえば、最早不要のサービスとなります。
事実、富山県や石川県では完全地デジ化を前に中継局の整備が完了したことから、対象地域が存在しないのです。そして高知県でも、今年度中に該当地区が無くなる目途が立ったのです。
県西部・土佐清水市では昨日(13日)、地デジ移行後も自主共聴施設をデジタル化できていない2地区(合計9世帯)に対し、市が施設維持費などを補助する助成策を提示しました。両地区がこれを受け入れ、共聴施設を設置する意向を示したことから、早ければ今年度末にも地デジ放送が視聴可能になるとのことです。今まで地元の情報を知りたくてもそれが出来ず、東京発・全国(関東)向けの情報ばかりだったのが、これでようやく解消されるわけですね。
今後、他の未整備地区でもこうした動きが加速することでしょう。総務省でも、はっきり何時までとは言及していませんが、遅くとも2015年頃までには整備が完了するものと思われます。
さて、そうなると気になるのは、難視対策衛星放送終了後にそこが使っていたチャンネルをどうするかです。これは私の個人的見解ですが、今の放送の枠組みが大きくは変わらないものと仮定するなら、空いたチャンネルはCSからの移行よりも、各地域の情報発信を促進させるために使ったらどうか、そう考えます。メディア業界も本格的に地方分権を進めようと思うのなら、現在のBS放送のように一旦東京というフィルターを通すのではなく、直接地方から情報発信できるような体制をこそ整えるべきだと思うのです。現に、大阪や名古屋の一部のテレビ局が直系のCS局を持っていますが、それと似たようなビジネスモデルはBSでも出来ないことはないはずです。
作成者
うみがめ
: 2012年6月14日(木) 13:48
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2012年6月10日(日)
うめぇ酒
今日6月10日は、入梅にちなんで梅酒の日と定められています。大体この時期に梅の実が熟し、それを漬け込むにも適した時期であることから、梅酒メーカーのチョーヤが制定したものです。
一般に梅酒とは、青梅を砂糖と酒に漬け込んで作られるもので、古くから家庭でも作られてきました。とはいえ、家庭での梅酒作りはかつては酒税法違反とされてきました。それでは現実にそぐわないということで、1962(S37)年に法改正、自分で飲むためであれば、アルコール度数が20度以上の酒類に、穀物やブドウ以外を混和する事を「製造行為」と見なさないと定められました。梅を漬け込むのに使う酒が蒸留酒(35度以上の焼酎など)となっているのはそのためです。もし仮に20度未満の酒で作ろうとしても、腐敗やカビの発生に注意を払わなければならず、特に醸造酒の場合は変質しやすいため厳重に管理する必要があります。法律で禁じられているのはそのためもあるのでしょう。
長期間漬け込むことでコクが出ることから、10年以上熟成させたものもあるのですが、一般には1年ほど漬け込んだものが好まれるようです。私の親も、大体1年ものを健康増進のため飲んでいた記憶があります。
因みにチョーヤが梅酒製造に乗り出したのは1959年のことですが、当初は社内からも「家でも普通に作られてるのに、梅酒なんて売れないよ」と反対する声が多かったといいます。しかし、家で作る梅酒は前述の通りアルコール度数が高めです。それらとの棲み分けを狙ってか、市販の梅酒は一般にアルコール8〜15度に抑えられているのです。最近では更にアルコールの弱いもの、果てはノンアルコールのもの(これは最早梅ソーダ?)まで売られています。
そう言えば、私が子供の頃「梅酒ソーダ」という商品がありました。実際にはごく微量のアルコールが入っていたのですが、そんなのお構いなしに飲んでいましたっけ。ブログ「失われた時を求めて」の記事「 定番の飲み物・失われた飲み物」によれば、その商品も1962年の発売だそうです。
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うみがめ
: 2012年6月10日(日) 19:08
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2012年6月9日(土)
四段構成と三段構成
とある週刊誌に出ていた記事で、「起承転結は古い! ネット時代の文章術とは?」というのが目に留まりました。
その記事の要旨は、「文章の書き方の基本として起承転結とはよく言われるが、ネット時代の今日、そのスタイルは相応しくない。『転』を抜いた『起承結』こそが理想のスタイルだ」というものでした。
何を今更、と思いました。
確かに、四こま漫画に見られるような起承転結(四段構成)のパターンも古典的な文章構成術ですが、実はその記事で理想的と指摘された三段構成も昔からあったのです。
皆さんは序破急(じょはきゅう)という言葉をご存知でしょうか?
元は雅楽曲の形式を示す言葉ですが、能楽師・世阿弥が「風姿花伝」の中で、「この形式は芸道全般に通じる」と論じたことから、広く一般に使われるようになったものです。つまり、導入部(序)→展開部(破)→終末部(急)という三部構成が何事にもまとまりがいい、というわけですね。
そう言えば、古典的な笑い話の形式に「三段落ち」というのがありますが、これも序破急の発想から来ているものと考えられます。一般的な論文も、大まかには序論→本論→結論という構成になっています。ネット時代、スピード化時代だから四段構成は時代遅れ、というのは違うように思います。
参考までに、起承転結とは元々漢詩における絶句(四行詩)の構成のことで、物語の構成要素としては重要です。しかし前述の通り、論理的文章に向いているとは言えません。
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うみがめ
: 2012年6月9日(土) 20:37
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